回廊を行く――重複障害者の生活と意見 -5ページ目

情報とは「多々ますます弁ず」

ビラ 政治ビラ

かなり旧聞ですが、2004年1月、東京都立川市の防衛庁宿舎に、自衛隊イラク派遣に反対するビラを無断配布したとして逮捕起訴された三名の市民団体員に対して、最高裁は一審の無罪判決をくつがえして有罪 として罰金刑を言い渡しています。その流れに乗ったのか、7月1日には「早急に核武装しよう」などと書いたビラを、郵便箱に配布するために5月に防衛省宿舎に侵入したとして邸宅侵入の疑いで御殿場市が逮捕 し、同月3日には警視庁小金井署が東京都国分寺市の共産党市議を書類送検 したことが判明しました。これは共産党市議団発行のビラ「市議会報告」をマンションの集合ポストに投函するために敷地内に立ち入ったとされたものです。

最高裁の判決は『表現の自由」を危うくするものとして各方面から批判されていますが、私がもっとも鋭いと思ったのはいわゆるパブリック・ニュースの一つであるJanJanNewsの署名記事です。「『ビラ配布有罪』判決を下した最高裁判事たち」 というその記事は、その判決に少数意見が書かれていないことに注目し、判決を下した第二小法廷のメンバーのうち、古参の最高裁長官ともう一人の検事出身の判事が自ら忌避したのかどうか、判決に関与していないことを明らかにし、残りの3名がいずれも比較的最近に最高裁判事に任命されていることを記しています。3名のうち今井判事(裁判長)は04年に判事任命でそれまでのほとんどを最高裁事務局にいた人物。津野判事は大蔵省から内閣法制局に入って長官となり、04年から判事。中川判事は弁護士出身で05年に判事に任命されています。最高裁判事を任命するのは内閣で、つまり彼らを任命したのはすべて01年4月~06年9月に首相であったあの小泉氏ということになります。そして、08年の4月の時点で、朝刊を含む最高裁判事15人のうち12人までが小泉内閣の任命だったのです。ついでながら残りの3名は安倍内閣の任命です。

このことは私の知る限りマスコミでは指摘されたことがないはずで、考えようではカイカクで日本をぼろぼろにしたことと並んで、小泉氏の大きな負の遺産です。実はこのブログを書き始めたモチーフは、ビラのようなものを制限されると、私のような聴覚障害者はいよいよ政治情報から遠ざけられることを主張したかったのですが、判決の日時を検索している間にJanJanNewsの記事に行き当たりました。問題はそれ以前というか、それ以上のものだったのです。アメリカでも最高裁判事は大統領の指名、上院の承認で任命されますが、日本では70歳定年であるのに対し、アメリカでは任期が終身ですから、同一の大統領に指名された判事が過半数になることはなかなかないようです。最高裁判事は調べてみると国会同意人事ではないようですが、今後は内閣の勝手にならないように参議院の現野党に頑張ってもらわねばなりません。新しい判事については、マスコミも詳しい履歴を報道するべきです。

改めて付け加えますが、聴覚障害者は政治家の肉声を聞くことができません。テレビでも誤変換を恐れてか、政治家の発言をそのまま字幕にすることは滅多にありません。政見放送の一部には手話がつきますが、手話を十分に解さない中途視聴者などのための字幕はありません。さらに街頭での演説など、手話通訳は認められていますが、筆記して聴覚障害者に見せることは、法定外文書の配布となるということで、原則として禁止されています。従って字による情報がほとんど唯一の手がかりです。その意味で選挙の際に時々入るビラは大変参考になりますが、最高裁判決に従うということで、こういうものも制限されていくのでしょう。一方、カットにあげたのは政府の年金関係のビラですが、こういうものは例えば新聞折込の形で今後も堂々と入ってくるのではないかと思います。

☆最高裁 改革よりは 革命を


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テレビ番組三題(3)福祉企業と市場原理主義

義手 義手  

(3)『カンブリア宮殿』 オンリーワンの技術で人を幸せにする! ~過疎の町から世界中に発信」
 放送:2008年8月11日 テレビ東京

この『カンブリア宮殿』は作家の村上龍氏が様々な分野の「成功者」とインタビューするもので、このブログでも美術家の村上隆氏とのものを『美術の下部構造』 と題して書くなど、2,3回取り上げています。今回は島根県の小都市の「中村ブレイス」という会社の社長を招いていました。この会社は義肢類を製造販売する会社で、扱う品目は義足・義手・義指から腰痛用ベルト・リウマチ用サポーターと広範囲に及んでいます。冒頭に紹介されたのは自らも両足が義足であるという社員が、片足を切った六十年輩の男性の義足を作り上げて歩くようにしたというもので感動的でした。義指を作るところもあり、女性のものであるのか、つめに特殊な材質を使用して、マニキュアが塗れ、除去して塗り替えることも可能にし、一方ではシミのようなものもつけたり、指先の表面をを指紋様にしたりと、「メディカル・アート」と称しているのもなるほどと言える出来栄えでした。

創業以来35年で従業員52名、年商約8億円だということですが、ここまで念を入れたものを作って採算が取れるのかというのが、大方の人の感想でしょう。これを村上氏は「ヒューマニズムとビジネスのバランスをどうやってとっているのか」という言葉で質問していました。初期に開発したシリコーン製の偏平足用のインソール、つまり靴底が評価され、9ヶ国で特許をとってこれまで150万個売れたということが、企業を支えてきたというのが答でした。

ここで考えたのですが、ありえることなのかどうかは別として、いわゆるファンドのようなものがこの企業に目をつけ、何らかの手段を講じて経営に参加したらどうなるでしょうか。インソールで確実に儲かるものならば、その部門に人員と資金を集中し、他の部門は不採算部門としてリストラする・・・というようなことにはならないでしょうか? これは極端かもしれませんが、ファンドを運営する、「お金を儲けるのがいけないですか」式の思考の人々にとって、中村ブレイスのような企業はどのように写っているのでしょうか? 今言った不採算部門が社会にとって不必要なものとはさすがに言わないでしょうから、その部分は公的セクターに委ねるとでもいうことになりそうです。「小さい政府」の理念に反さない程度の援助をして、もし万一インソールのようなヒット商品が又出てきたら、今度は民営化を叫び、その際に不採算部門を置き去りにする・・・これを繰り返すといったことを想像してしまいます。

このあたり私の考えが浅すぎるのでしょうが? 市場原理主義者といわれる方にコメントがいただきたいものです。そう言えばこの番組の途中にはいつも元大臣の竹中平蔵氏がCMで登場します。テレビ東京は日経系ですから、竹中氏にアクセスするのは簡単でしょう。「市場原理主義における福祉企業の位置」。ひたすら前ばかり見ているような「改革」一本槍もいいですが、こういった足を地に着けた研究も是非やって、世の人の「福祉=非生産的」という迷妄を正してほしいものです。

☆「人のため」 原理に迷えば これ消える


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テレビ番組三題(2)労働時間

木工場木工場

(2)『世界ウルルン滞在記2008』  世界に一つだけの家具 フランス
 放送:2008年8月10日
(日)TBS

この『世界ウルルン滞在記』というのは1995年から毎日放送制作で続いている紀行にクイズなどを組み合わせた番組ですが、2007年春にリニューアルして滞在記の後に「ルネサンス」とつけ、さらに2008年春には「滞在記2008」としてこれまであった内容に即したクイズを廃止しています。その間レギュラーの交代や回答方法の小細工などがあったのが逆作用したのかパワーが落ちた感じで、この秋には終了すると発表されています。

このフランス編は日曜大工に凝っていたという俳優の三田村邦彦が、フランスの家具製造工房に行って商品陳列用のタンスを作るというものでした。洋服店の注文品を5日程度で作るというのは、番組の流れからいって成功するに決まっているようなものですが、三田村氏と工房の主や職人たちとのやりとりの中で、一つびっくりさせられたことがありました。

それは作業の途中で4時半になったから木工場を閉めるというところで、タンスのデザインを考えている時はもちろん、実際に木を切って組み立てたり装飾したりしているのもかまわずに閉めてしまう。仕事が未完成ならば家に持ち帰ってするそうですが、木工場でやった方が能率が上がるのは自明ですから、週35時間というこの国の労働時間の規定、及びそれに対する意識は徹底しているなと思いました。

場合によってはこの辺で番組の焦点が変わってもおかしくないところですが、民放のバラエティの一つですから、もちろんそういうことはありません。三田村氏もサラリーマン経験はないようですから、あてがわれた仕事以外、労働条件などということは考えもしなかったでしょう。注文品には納期があるのでどうなるかと思いましたが、間に合わなかった場合に備えて三田村氏の作ったものとほぼ同様なものを職人が作っていたというオチがあったのですから、裏返せばプロの職人が作ればその納期の内に楽にこなせた仕事だったと思われます。

ここで思い出したのは昨年だったかNHKで見たポーランドにできた日系の工場のことで、番組のタイトルも全体の内容も全然覚えていませんが、終わり近くにポーランド人が現地の人として初めて工場長になる。その喜びを家族との夕食でかみしめる、といったところだけ覚えています。何故覚えていたかというと、その夕食の時間が6時半か7時か、とにかくそのあたりの時間だったことで、工場長であっても、時間が来ればきちんと帰宅することが可能なんだなあと思ったからです。

その日系の工場の日本人幹部も、現地の労働者は超勤など簡単にしないということは理解していることでしょう。しかし初めて工場長に任命した者には、責任者として帰るのは最後だとか、何か問題が起これば場合によっては深夜まで工場から離れないとか、そういったことを、当然のこととして期待している可能性が少なくありません。そしてそういう事態での新工場長の行動によっては、彼に対して厳しい評価をして日本の本社に報告するということもあるのではないかと、邪推かもしれませんが、考えてしまいました。

こういう考え方の落差は、日本における労働者の間の格差につながることもあるように思います。

☆彼我の差で 格差のことを 考える


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テレビ番組三題(1)廃仏毀釈

鶴岡八幡宮大塔取り壊し(1870)以前の鶴岡八幡宮大塔

通勤の必要がない退職後の生活ですが、こうも暑いと家にいてもまとまったことができず、夜寝苦しいことも手伝ってテレビにかじりついていました。あしかけ二日で続けて3本の録画を見たのですが、それぞれに感じたことがあるのでまとめて書いてみます。

(1)『その時 歴史が動いた』 日本人の心を守れ~岡倉天心・廃仏毀(き)釈からの復興~  NHK
 本放送:2008年5月14日 (水)  
 再放送:2008年8月12日早朝

これは眠れないのでつけたテレビで偶然放送していたもので、はじめの10分あまりは見逃したのですが、岡倉天心の美術行政家としての業績のひとつが、廃仏毀釈によって損なわれた仏像等の保護と修復であったことを初めて知り、大変有益でした。

単なる美術品であればオリジナルが尊重され、破損された部分はそのままにして保存するところを、仏像の場合は信仰の対象でもあるから、修理に当たっては
遺されている姿をこれ以上損傷させないよう保持することを目的とし、部分が欠けていてそのままでは信仰の対象となりにくい時は取り外し出来る部分を作って補修復元するという方法を天心が確立し、それを「現状維持修理」という呼ぶようになったということです。

これも貴重な知識でしたが、それよりも印象に残ったのは
、画面に映し出された廃仏毀釈によって損なわれた仏像等の惨状です。廃仏毀釈については神仏習合状態の神社と寺院とを強制的に分離させた程度の知識しかないのですが、その過程で多くの、今なら文化財とされるような仏像等が破壊され棄てられている様はショッキングでした。ある仏像など手足を切り取られ、顔も削られているのは、あの鶴彬 の「手と足をもいだ丸太にしてかへし」を思い出させました。実際に薪として焼かれたものもあったそうです。

ここで思ったのですが、神道による政教一致を目指した明治政権の政策のもたらしたこの状態を、日本の歴史を考える人々はどう位置づけているのでしょうか? もっとはっきり言うと、戦前の日本の方を今よりもよしとし、あわよくばそこに回帰したいというような人々は、
廃仏毀釈のような出来事も肯定するのでしょうか? あるいはこれは太平洋戦争の期間における軍隊のいくつかの暴虐と同様、なるべく口にすべからざることとして蓋をしたいことなのでしょうか?

いずれにしても彼らの理想とする日本が、いつの日本であるかという問題は、いつか機会があれば問い詰めたい問題です。実際はそれはいいとこ取りのモザイク細工であって、過去にも、もちろん現在にも存在しない、存在し得ないものであるかもしれません。彼らが何かと言うと目の仇にする戦後の「民主化された日本」の方が、まだしも実体を持っているのだと思われます。

☆政(まつりごと) 耶蘇も仏も 痛めつけ


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報道遮断

black outblack out

暑い時の形容に「気息奄々」というのがありますが、この「奄々」という字を使うことは、今回変換してみて初めて気がつきました。息がふさがることだそうで、まるで呼吸不全の私のためにあつらえたような四字熟語です。鼻につけて酸素を吸うカニューレのあたりが熱を持って、暑さも加わって頭が働かず、更新を怠っていたのですが、この数日の状況に黙っていられなくなりました。

家にいることの多い私にとってテレビは大事な情報源です。字幕番組が多くなってその傾向はますます強まっていたのですが、ここ数日は毎週の番組はもちろん、定時のニュースまで内容が変わっていることが多いのです。その元凶は高校野球と北京オリンピック。テレビに比べていくらかでも冷静であるべき新聞でさえ、高校野球とオリンピックのために大幅に紙面を献上しています。

この二つについての情報を求める人はたしかに多いでしょう。それは認めます。しかしそのせいで多くのニュースが扱いを小さくされ、もっと悪いことには報道さえされないということにはもっと目を向けなければなりません。こういうことを新聞社やテレビ局に投稿してもまず取り上げられることはないので、今はいくつかのブログが頼りみたいなものですが、その中にもオリンピックというと無条件降伏のようなものがないでもないのには呆れます。

毒入りギョーザについて、中国でも中毒例があったという情報を政府が隠していたことについては週刊誌が取り上げていて、新聞もさすがに無視はしていませんが、いかんせん野球とオリンピックの報道の洪水の中では、ニュースはあってもそのフォローはなかなか見つかりません。麻生自民党幹事長のナチス発言や、太田農水相の「日本では消費者がやかましい」発言についても、新内閣発足早々に問題発言が出たということはわかるにしても、それに対する反応や発言の意味については、なかなか情報を探せません。

一口に言って、お上とそれに組する者にとっては、スポーツは絶好の目くらましのようです。相当良識的な人でも、オリンピックには好意的なことを言ったり書いたりしているので、この人の普段の言論もこのように盲点があるものなのかなと思わされます。高校野球自体が野球部員の非行に対して鈍感を装う傾向が強まり、オリンピックは80年代から世界の平和どころかむしろトラブルを誘うものになっているのに、少なくとも日本ではそういうことは頭にも浮かばないようです。まともな感覚を喚起するのがマスコミの役割だというのは、多分もう古いのでしょう。

☆民の目 塞ぐに目隠しいらぬ 五輪と 野球があればよい



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都心のけものみち

メトロリンク1 メトロリンク2
①メトロリンク停車位置    ②バス停標

先日は京橋の美術館に絵画展を見に行きました。いつも書くように重いボンベを携行するとなると、出先での移動経路を確認しておかねばなりません。今回は目的地の最寄の駅はメトロ銀座線の京橋ですが、ここはエレベータで地上まで行けず、隣の日本橋も同じなので、降りるのはその先の三越前になります。

三越前から京橋のあたりまでどうやって行くかですが、タクシーを使えば簡単だし、私の体調がよくて雨が降っていなければ徒歩も不可能ではありません。しかし一番簡単で便利、しかも無料というメトロリンク日本橋 を利用することにしました。午前10時から午後8時まで10分強の間隔で、JRの東京駅の八重洲口からJR新日本橋-三越前-日本橋-京橋とまわって八重洲口に戻る巡回コースで、バスは古いものを改装したのか大小さまざまですが、みなノンステップで車椅子も可能なようです。料金は無料で、これは地元の企業が負担しているような説明がパンフレットにありました。

ところがどこがバス停なのかが三越前ではわからず、付近の歩道を一往復しているうちにバスが来てやっとわかりました。①のようにロードコーンあるいはパイロンという、工事の時に車止めなどになるものがそれだったのです。これでは気がつかなかったわけで、うまく写真を撮れなかったのですが、三越前ではパイロンを間を空けて、4本でバス車両の長さになるように置いてありました。それぞれに文字が描いてあり、拡大したものが②です。

何故このような目立たないものになったのかと考えてみました。まったくの憶測ですが、国土交通省が固定したバス停の設置を認めなかったのではないでしょうか? これまでとは発想の違う経路を通るものですし、料金を取らないのではいつまで続くか不安だったのでしょう。かつて路線バスのバス停の位置を数センチ移動するだけでも運輸省の許可が必要だと言われました。今は違うでしょうが、こういう極端なケースが規制緩和の理由とされてよく持ち出されたのを覚えています。国土交通省は運輸省の後身ですから、それをつい思い出しての憶測してしまいました。実はせっかくの移動手段が突然なくなっては困りますから、結構混んでいるし、100円くらい取ってもいいのではと私も思ったものです。しかし運転手の手間を考えるとそれではスムーズに行かないのでしょう。

とくにバリアフリーの話もありませんから、これを「障害」カテゴリーに入れる意味がわかりにくいかもしれませんが、障害があると外出前にいろいろな情報を集め、移動手段や経路まで見通しを立てておくことが必要であるという観点から、「障害」に入れました。

☆ただよりも 定時・低床の バスうれし


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落書き--国の恥か悪戯か

firenze
フィレンツェ:サンタマリア・デル・フォーレ大聖堂

イタリアの観光地の有名な教会堂で女子短大生の落書きが見つかり、それから泥縄式に大学生、高校野球の監督と次々に旧悪が明らかになっています。大学生は停学となり、野球部監督は解任されました。相変わらず日本社会は庶民には手厳しい。

これに対して「落書き:伊紙『あり得ない』 日本の厳罰処分に」という記事 もあり、

「フィレンツェに限らず、イタリアでは古代遺跡はスプレーにまみれ、アルプスの山々には石を組んだ文字があふれる。その大半がイタリア人によるものだ。同紙は「日本のメディアによる騒ぎは過剰だ」と、日本人の措置の厳しさに疑問を投げ掛けた。コリエレ・デラ・セラ紙も『行為はひどいが、解任や停学はやり過ぎ』と論評した。」ということです。

もっともこの記事は「一方でレプブリカ紙によると、大聖堂の技術責任者、ビアンキーニ氏は『日本の出来事は、落書きが合法と思っているイタリア人にはいい教訓だ』と語った。」と続けていますが。

落書きを意味する英語で落書きを意味するgraffiti
という言葉はイタリア語が起源 で、何かを公に知らせたい手段として壁などに引っかいて字を書いた。その引っかいた跡がgraffitoで、複数のgraffitiが落書きとして通用するようになったということで、そのイタリアでこういう話題が出てきたのは奇遇ですが、なるほど御当地だから日本ほどには重大視しないわけです。フランスとか、他の文化財の多い国の様子を知りたいですね。

有名なブログの「きっこのブログ 」によれば、

実は、この大聖堂は、落書きのメッカで、柱や壁が落書きだらけなのだ。そして、そのほとんどが、恋人同士や夫婦など、カップルの名前が書いてあるものなのだ。何でかって言うと、この大聖堂の入口付近には、何人もの「油性マジック売り」がいて、カップルの観光客を見つけるやいなや、ソッコーって近づいて来る。そして、こう言うのだ。

「この大聖堂の最上階の展望台まで上って、そこの柱や壁に自分たち2人の名前を書いて来ると、永遠の幸せが約束されるんですよ」

そして、バッグの中にたくさん持ってる太い油性マジックを現地の定価の5倍、10倍の値段で売りつけるのだ。


ということで、どうやら厳罰に呆れるという方が主流のようです。しかし日本はやはり日本なので、産経新聞の【外信コラム】 には次のような真面目な主張もありました。

幸い新しく選出されたローマ市長は、落書きに対し厳しい罰則条例を用意することに意欲を示している。日本人落書き事件が一部イタリア人青少年の慢性的な悪癖を退治するきっかけとなるよう祈る。

これを書いた記者はイタリアで何年暮らしているのかは知りません。しかしイタリア人が驚いたのは日本人の落書きそのものより実行者に対する厳罰だとこの記事でも書いていますが、その後の結語がこれではいよいよ判断の基準に迷います。


それでも日本の軍事力による貢献が少なすぎるとか、あるいは国旗国歌に対する態度が日本人は特異だとか、日本と外国を比較するこういった前提からの議論を読む時には、まずその前提から疑ってかからなくてはならないこともあるということはわかってきました。


☆郷に入り 郷に従い 責められる



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安全運転の証明


ヘッドフォンヘッドフォン

『TVBros』という隔週刊の雑誌があります。テレビ番組誌ですが、あのきっこさんが「隅から隅まで読む」と書いているように、基本的な情報の他にユニークな視点に加えてコラムがたいへん充実しています。私ももう数年愛読していて、出されるたびに必ず買う雑誌です。余計なことですが、定価200円なのに1円のお釣りをくれるところが多い。本体の価格に5%をプラスするとそうなるのでしょうが、お釣りをくれないところではどう会計処理しているのでしょうか?

現在刊行中の7.5-7.18号で、これも必ず読む清水ミチコさんのコラムを読むと、「高速道路のノイズキャンセラ機能にびっくり!」というタイトルですが、高速道路の騒音の周波数と逆の音波を瞬時にスピーカーから出すことにより、付近の騒音を和らげるというものがあるそうです。同じ機能をもつヘッドフォンも出回っており、清水さんも購入して試してみると、「これをつけたら、電車の前だろうが、ビックカメラの前だろうが、周りの雑音が消えて、音楽だけがよく聞こえます。逆に無音の背後が気になりだし、交通事故には自ずから気をつけるようになりました。」だそうです。

そうとは書いてありませんが、清水さんが試してみた場面では自動車を運転しているのですね。この辺誤読すると今書いているブログが無意味に近くなりますが、そういうことはないと思います。ここで注目したいのは「無音の背後・・・」以降の文章です。音が聞こえない(車外の音が聞こえないという方が正確?)時の方が注意深くなり、安全運転を心がけるということになると思います。

以前は道路交通法に「精神病者、精神薄弱者、てんかん病者、目が見えない者、耳が聞こえない者又は口がきけない者」には免許を与えないとなっていました。補聴器の使用を禁じる通達も1964年に出されました。これに対しては聴覚障害者の不満が強く、補聴器が認められたのは1973年です。その後は道交法はそのままですが、いわば運用によって免許を取得できた聴覚障害者の数は少なくありません。これは今では「目が見えないことその他自動車等の安全な運転に支障を及ぼすおそれがある身体の障害として政令で定めるものが生じている者であることが判明したとき。」免許を停止できるというように改正され、今年の6月からはワイドミラーの使用等を条件として重度の聴覚障害者にも免許が認められるようになりました。

ところがこのことについてのニュースがWEBに出ると、多くのコメントが寄せられて、そのほとんどが聴覚障害者に車の運転は危険だというものだったといいます。聴覚障害者が車の運転をするのは危険・・・直感的にはこうなるものでしょうが、しかし道路交通法で聴覚障害が絶対欠格(免許を与えない)となっていたのにもかかわらず、補聴器の使用などを認めて事実上それを緩和してから30年以上あったわけです。もし聴覚障害者の運転で事故が多ければ、法律そのものは変わっていませんでしたから、道路交通の主管官庁である警察庁の判断で、補聴器を禁止するなどもう一度規制を厳しくすることも可能だったわけです。しかしそういうことはありませんでした。

 外国では聴覚障害者に対して運転免許を禁止している例はあまりないそうですし、日本で運転者にアンケートを行っても運転には視覚が大事で聴覚はそれほどでもないいう結果が出ているそうです。そう言えばクーラーのために窓を締め切り、その中で大音響で音楽を流すなどに状況が増えたことが、補聴器の許可などの動機になったといわれたのが思い出されます。清水ミチコさんの文章はそれが正しいことを、逆の方向から明らかにしたものだと思います。

☆この緩和 コイズミタケナカ 関与せず



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闇か光かは目のつけどころ

NHKNHK

日曜日の夜に放送される『サラリーマンNEO 』という番組があります。NHKのものですが、30分という短い時間にサラリーマンの諸相を皮肉っぽく取り上げ、出演者も舞台系の演技派が多くてわざとクセのある演技を披露し、なかなか人気があるようです。この番組に「世界の社食から」というコーナーがあり、各国の企業の社員食堂を映していて興味深いのですが、この間はキャノンの食堂を紹介していました。実は企業名が映ることを極力避けているNHKの番組の中で、この番組だけはそれにこだわらないことで異彩を放っていて、番組の初期から日産自動車のCEOであるゴーン氏を続けて登場させているほどです。従ってキャノンが登場したこと自体に問題はないのですが、映されるのが社員食堂であることから見ていて悪い予感がしました。

私の場合悪い予感は当たることが多いのですが、このときもそうで、キャノンの会長にして経団連の会長でもあり、いわゆる「改革」の旗を振っている御手洗氏が出てきたのです。キャノンといえば「派遣」をめぐって、違法とされる偽装請負などを行ったとして批判されており、御手洗氏はその批判に対して法律の方が間違っていると反論したそうですが、その御手洗氏が出社した時はいつもこの食堂を利用するとかで、実際にお盆を手にして空いているところを探して社員と同席するという、ある意味でサービス満点の画面がありました。御手洗氏がNHKにサービスしたのか、それともNHKが御手洗氏にサービスしたのであるのかはともかくとして、御手洗氏にプラスのイメージを与えたのはたしかです。

ここで偽装請負云々という解説を入れるべきだなどと野暮は言いません。しかし社員食堂であれば、正社員以外の派遣社員などが利用できるのだろうかという疑問を、持った人は少なくなかったのではないでしょうか? 「アルバイトの社員もここで昼食をとっています」くらいのナレーションがあればよかったというのは、あるいは木によって魚を求めるの類かもしれませんが。あるいは「正社員以外は利用できません」ということも、ありえないとは信じますが可能性はあります。またある企業では食堂の価格は正社員とそれ以外とでは格差があり、前者のほうが安いという話もあります。経団連会長の会社でまさかそういうことはないでしょうが。

NHKではもう一つ教育テレビで『知るを楽しむ 』というシリーズがあります。「この人この世界」「私のこだわり人物伝」「人生の歩き方」「歴史に好奇心」と四つのテーマがあり、字幕もついていて再放送も頻繁ですから、最近ではほとんどを見ています。6月は最後のテーマでは「江戸の色恋ものがたり 」というのをやっていて、法政大学の田中優子教授が解説したのですが、最初はちょっと違和感を感じました。江戸の流行は吉原等の遊郭から始まり、粋とか恋とかの意識も遊郭で育まれたというのですが、最近どこかで「遊郭を文化的に評価する風潮があるが、遊女はしょせん売買の対象だったし、死んでもまともな葬儀をしてもらえるのは僅かだった」とか読んだところだったので、ひっかかったわけです。ところがその最終の4回目で(大体一つのテーマは4回)心中の話となり、貨幣経済の発達と農村の疲弊から遊女は金で自由を奪われた存在で、本当の恋を達成しようと思えば心中しかなかった。庶民はそこを見抜いていたから心中物が人気を集めたのだという説明があり、これで首尾一貫すると納得したものです。

ただし上記のウェブページを見ると、第4回の梗概としては「
恋の文化のゆりかごとなった遊郭。そこで繰り広げられた男と女の悲喜劇を通して、江戸時代の日本人の美意識へと迫っていく。」といった調子なので、せっかくの田中氏の熱弁も生かされていないようです。

「闇の夜は吉原ばかり月夜かな」という句があり、これは吉原の不夜城ぶりを詠んだのだと思う人が多いでしょうが、実は「闇の夜は吉原ばかり 月夜かな」と読むそうで、
つまり世間はいくら月夜で明るくても、吉原は闇だという意味だそうです。

☆闇の夜は 負け組みばかり 月夜かな


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改造スポーツ

サイボーグ サイボーグ


水着を替えると新記録が出るといった最近の水泳競技の報道を見て、「サイバースポーツ」というタイトルを考えたのですが、検索すると車の名前にそんなのがあるようなのでやめておきました。しかし新開発の水着で新記録続出というのでは、スポーツは旧来のものから変質して、別のものになりつつあるのではないかと思います。


新しい水着が従来のものとどう違うのかはよくわかりませんが、開発した企業のサイト などによれば、新素材を使用して製造法も工夫し、薄い、軽い、喫水製が高い、表面がフラットでかつ緊迫性が強いといった点が特徴のようです。技術開発は結構なことですが、スポーツについてはそれがどこまで許容されるかという問題は考えられていないのでしょうか?


よく知られたようにスキーのジャンプにおいては、スキーの大きさの規格が変更されて体格に比例するものとなり、日本選手には不利になりました。日本選手の進出を妨げる目的があったのかどうかはともかくとして、この場合は新しいタイプの用具の開発にはブレーキがかかっていることになります。水泳の水着の場合とどう違うのか判然としません。


一方で両足義足の陸上男子短距離の選手(南アフリカ)が、国際陸上競技連盟(IAAF)によって国際協議会への参加を認められなかったのに対し、
スポーツ仲裁裁判所(CAS、本部スイス)は5月16日にその決定を向こうとする判断を示したという報道 があります。IAAFは研究調査の結果一定以上のスピードに達すると、義足は健常者に比べて、約25%少ないエネルギー消費でスピードを維持できると結論付け、これがIAAF規則で禁止する「技術的な装置による競技能力の向上」に当たるとして、IAAF競技大会への参加は認められないと判断したとのことですが、これをCASが覆したわけです。


結局は認められたにせよ、義足が問題となったのに対して新開発の水着についてそのような声が起こらないのは何故かと思います。上に列挙した例について言えば、身体に対してはスキー板、義足、水着の順で異質感が大きいので、問題視する度合いもそれに比例しているとも考えられます。つまりスキー板の場合は規制が存在するのに対して新開発の水着はあっさり認容され、
義足については始め禁じられたのが受け入れられるようになったということです。


もちろんこれらは経済的な動機を反映しているに過ぎないとも考えられます。需要として、また技術の代価として見込まれる利潤について、スキー板には今後の見込みはあまりなさそうなのに対して、水着は一試合に一着を消費するといわれますし、義足についても障害者の補助具への応用が見込まれます。繰り返しますが、スポーツは旧来のスポーツではなくなっていて、各種各方面の思惑の複合体となっているのだと観念するしかないのでしょう。

☆スポーツは 儲け仕事の デコレーション

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