James Setouchi ドストエフスキー 『罪と罰』 各種文庫に翻訳がある。

  Фёдор Миха́йлович Достое́вский 〝ПРЕСТУПЛЕНИЕ и НАКАЗАНИЕ〟

 

[1] ドストエフスキー年譜   

         (NHKブックス 亀山郁夫『ドストエフスキー 父殺しの文学』の年表を参考にした。)

1821( 0歳)帝政ロシア時代の地主の家に次男として生まれる。

1834(13歳)モスクワのチェルマーク寄宿学校に学ぶ。

1837(16歳)母マリヤ、結核で死去。ペテルブルグの寄宿学校に学ぶ。

1838(17歳)中央工兵学校に入学。

1339(18歳)父ミハイルが農奴によって殺される。

1843(22歳)工兵学校を卒業、陸軍少尉となる。工兵局に就職。

1844(23歳)工兵局を退職。『貧しき人々』の執筆に専念。

1845(24歳)『貧しき人々』完成、べリンスキーの絶賛をうける。

1847(26歳)ペトラシェフスキーの会に接近。べリンスキーとは不和。

1848     (マルクス「共産党宣言」)

1849(28歳)ペトラシェフスキーの会のメンバーとともに逮捕。死刑宣告ののち恩赦でシベリア流刑。

1853~56 クリミア戦争

1854(33歳)刑期満了。シベリア守備大隊に配属。

1857(36歳)知人イサーエフの未亡人マリヤと結婚。

1859(38歳)ペテルブルグに帰還。

1860(39歳)『死の家の記録』の連載開始。

1861(40歳)農奴解放宣言。だが農奴は土地を離れ貧困化し大都市に流入した。

1864(43歳)『地下室の手記』。妻マリヤ、結核のため死去。

1866(45歳)『罪と罰』連載開始。

1867(46歳)速記者アンナと結婚。

1868(47歳)(明治維新)  

1871(50歳)『悪霊』連載開始。

1875(54歳)『未成年』

1879(58歳)『カラマーゾフの兄弟』連載開始。

1881(60歳)1月死去。3月、皇帝アレクサンドル2世暗殺される。

1904~   日露戦争

1917    ロシア革命

 

[2] 『罪と罰』

 1866年執筆。当時のドストエフスキーは、妻の死、理解者だった兄の死、兄の雑誌『エポーハ』廃刊など、さまざまなことで追いつめられていた。ドストエフスキーはロシアからヨーロッパに逃げ出し、賭博でお金を使い果たした。友人・知人にお金を無心しつつ『罪と罰』を執筆。当時はロシア帝政末期で、解放農奴が貧困化しペテルブルクなど大都市に流入、犯罪も多発していた。このような状況下でこの傑作は生まれた。

 

主な登場人物

1 ロジオン・ロマーヌイッチ・ラスコーリニコフ ペテルブルグの屋根裏部屋に暮らす、もと学生。「考えること」をしている。奇妙な妄想に取りつかれ金貸しの老婆を殺す。人に親切ないいやつでもある。

2 マルメラードフ:酔っ払い。ソーニャの父。酔っぱらって長い長い話をラスコに聞かせる。馬車に轢(ひ)かれて死ぬ。

3 ソーニャ・マルメラードワ:マルメラードフの娘。貧しい一家を養うため売春をしている。心優しく熱心なキリスト教徒。

4 カテリーナ:マルメラードフの妻。もとは上流階級だった。今は貧しく病弱で苦しんでいる。

5 アリョーナ:金貸しの老婆。ラスコに殺される。

6 リザヴェータ:アリョーナの義理の妹。ソーニャの友人。ラスコに殺害される。

7 ドゥーニャ:ラスコーリニコフの妹。美しい女性。かつてスヴィドリガイロフという奇怪な人物に言い寄られたことがある。

8 プリヘーリヤ:ラスコーリニコフとドゥーニャの母。息子を愛している。

9 ルージン:金持ち。独自の価値観によりドゥーニャと結婚しようとするが、ラスコに反対される。

10 スヴィドリガイロフ:異様な人物。金持ち。ドゥーニャに言い寄る。

11 マルファ:スヴィドリガイロフの妻。夫に殺されたという噂がある。

12 ラズーミヒン:ラスコの友人。ラスコーリニコフのために尽力する。

13 ポルフィーリィ:予審判事。ラスコーリニコフを犯人とにらみ追いつめるが・・

14 ミコールカ:ペンキ職人。殺人事件の現場近くにおり、自分が犯人だと自白してしまう・・

 

ドストエフスキーの仕掛けのいくつか江川卓『謎とき『罪と罰』』、亀山郁夫『『罪と罰』ノート』などを参考にした)

 

 ロジオン・ロマーヌイッチ・ラスコーリニコフという名前

(1)「ロマノフ王朝の祖国をたたき割る英雄」という意味だ。

(2)200年前にロシア正教から分離した、ロシア土着のキリスト教(ラスコーリニク=分離派)の意味だ。

(3)ロシア文字で書くと「PPP」。逆すると悪魔の数字「666」になる。

 

2 ラスコーリニコフの部屋

 屋根裏部屋だ。それは棺桶に近い。ラスコーリニコフはそこから自分は選民だと思って地上を見下している。大地から遊離した思想に取りつかれて。ソーニャはラスコーリニコフに言う。「ひざまずいて大地に接吻しなさい」と。高所から降りて大地に接吻した時、ラスコーリニコフの再生・復活は始まるのだろうか。

 

3 ラスコーリニコフの夢

(1)少年時代の夢。田舎の村でミコールカが周囲にはやし立てられて、興奮状態の中でやせ馬を殺害する。恐ろしい夢だ。

(2)老婆殺害の夢。何度も殺そうとするが老婆は笑っている・・・これも恐ろしい夢だ。

(3)シベリアで見る夢。伝染病が世界を覆い尽くす。人々は互いに自分が正しいと主張し暴力的に殺し合う。これも恐ろしい夢だ。

・・・これらの恐ろしい夢を配置することで、ドストエフスキーは何を言いたかったのだろうか?

 

4 強きスヴィドリガイロフと弱きマルメラードフ

 マルメラードフは酔っ払いで娘を売春に売りに出すような、どうしようもない弱い男だ。スヴィドリガイロフは金と権力があり自己の欲望のためには他の人間を単なる手段として用いる(かと思われる)、悪魔的な人物だ。

 しかし、マルメラードフは馬車に轢かれて死んでしまうものの、神への信仰は捨てていない。これに対しスヴィドリガイロフの最後は・・・一体、人間における真の強さとは何であるのだろうか?

 

[3]コメント

 (某読書会での会話をヒントにして書いた。) 

 マルメラードフは、飲んだくれのどうしようもない男だが悪魔に魂を売ることだけはしていない。ラスコーリニコフは、マルメラードフ一家を助けるいい奴でもあるが、他方悪魔の思想にとりつかれている。

 

 聖なる娼婦ソーニャとラスコーリニコフが対決する。なぜソーニャが読むのは「ラザロの復活」のところでないといけなかったのか。「復活」とは何か。ラザロは死んでなおこの世に復活するが、我々は死んでのちあの世(天国)に復活するのか。復活する場所は再創造されたこの地上の楽園だと誰か(多分エホバの証人の方)が教えてくれたが本当か。今私(たち)に必要なのは希望も生命力もなくうつむいて生きる日々を脱し希望と生命力を持って立ち上がる力ではないか。ラザロはキリストにプネウマ(霊。神の息)を与えられて立ち上がることができたということか。ラスコーリニコフは肉体が死んだわけではなく悪魔の思想に取り込まれていたのが悔い改めて悪魔の思想から解放されるということなのか。

 

 ラスコーリニコフの「自由と力だ」の叫びは何を意味するのか。ラスコーリニコフは悔い改めているのか、自分がナポレオンの器でない(「踏み越え」を行ったつもりが大したことはできていないし不安になっている)ことで苦しんでいたのか、不安はつかまりたくないという不安だけなのか。

 

 斧を持つラスコーリニコフは、「デスノート」を持つキラと同じだ。自分は正しいと信じ自分が認定した「悪」を殺害する。NATO(だけではないが)が高度な軍隊を持ち高い所から爆撃するのも同じだ。高度な科学・技術を用いて高みから見下ろし他を攻撃するのはラスコーリニコフと同じだ。あなたは、高度な科学・技術を習得し一体何をしようとしているのか? ドストエフスキーは「に、にんが四は悪魔の思想」と言った。算数・数学・科学技術だけでは、人間にとって大切なものを破壊しながら、しかも気付けないでいるのだ。ナチスの技術官僚や旧ソ連の技術系ノーメンクラツーラたちはどうだったか。では現代はどうか。藤原正彦は「論理」だけでは不可で「情緒」が要ると言った。「情緒」? キラや数学者・技術屋に欠落しているものは何か? それをどうやって補うのか?

 

 ラスコーリニコフはセンナヤ広場でひざまづいて大地に接吻した。現代において、我々が降り立ち接吻すべき「大地」とは何か? 田舎に住んで農業をしろと? 具体的な顔の見えるローカルな人間関係を親密圏として水利組合や地方祭(注)とその飲み会にせっせと精を出して生きろと? それも一つの人生ではある。いや、その狭さがいやだから都会に住んでいるのでは? 「人生の楽園」はどこに? 都会で教会(エクレシア)あるいはイスラム教のウンマに帰属する? パウロは「私の国籍は天にある」として神に直結しつつ地上では旅に生き旅に死んだ。無論カルトにからめとられるのはいやだ。

 

(注)脱線するが、タマフリについて、神様を神輿にお乗せして上下に揺らすのは大変失礼なことであるから、後世に始まったことで、本来タマフリはそうではなかった、と國學院系の偉い先生が書いておられた。そうだと思う。今や酔っ払って騒ぎたいだけの人も多い。祭りのあり方については別に論考が要るだろう。「これが日本の伝統だ」というものは大体が後世のでっち上げだ。そもそも縄文1万年には神社も延喜式内社も秋祭りもなかった。神社神道と神輿と山車(だんじりの場合も)は日本に太古からあった、というのはフィクション。大陸から高度な仏教が来たときに何かが起こり、さらに律令制を整備するときに何かを(政治的意図で)したのでは?

(さらに補足)それでも宗教は宗教なので、神道行事を公的行事としてやるべきではない。政教分離が肝心だ。真剣に神様を信仰している人ほどそう考えるはず。公的行事として行ったとき、他の宗教を信じている人を抑圧・排除することになる。江戸幕府の役人はキリシタンを逆さにつるして拷問した。軍国主義・国家神道の時代にもキリスト教の学校を締め上げたし、大本教をも弾圧した。ガンジーを暗殺したのはヒンドゥー教徒だ。多神教徒も実は不寛容だったりするのだ。しかもしばしば政治に使われて。不寛容な国家は短時間で滅んだ。他民族・他文化を寛容に受け入れる国家や社会の方が長く存続する。世界史はそれを教えている。

 

 ラスコーリニコフは、シベリアで、アブラハムの時代以来神の祝福を受けて幸福に過ごす遊牧民の姿をはるかに遠望する。(それはシベリアのオムスク監獄でドストエフスキーが見た姿であったにちがいない。)そこに救いの予兆があるのではないか。

 

 (ここぼやき)いや、現実の農林水産業(牧畜はもちろん)は資本の圧力ですでに歪んでいる。(堤未果『ルポ貧困大国アメリカ』シリーズ参照。)円ドルレートに左右され石油を買わなければ成り立たない農林水産業、牧業。ではペルーの奥地に住み狩猟採集生活に戻る? そんなことは無理だ。所詮文明に守られて生きるほかはない。都市の周辺、しかし貨幣経済・市場経済の圧力のあまりないところで半自給自足で暮らす? 金のかかる子育ては無理だな・・・子ども二人憧れの都会の大学に行かせるなんて無理だ。・・・自分一人生き延びるだけなら、その辺で芋を植えることくらいならできる。旧ソ連では配給された家の庭で芋を育てていたのでソ連崩壊時に餓死を免れた人が多かったと聞く。そう言えば「国民の生命と財産を守るのが政府(国家)の仕事だ」と誰か首相が叫んでいたな。一部の富裕層・「上級国民」だけでなく無力な私(たち)の生命と財産を!・・・「財産」!? 生まれつき多い人と少ない人、それどころか大きなマイナスを背負っている人もいる。安心して学び仕事をし結婚して子育てができるくらいには国民の生活を守るのが政府(国家)が第一義的にやるべきことでは? そう言えば「国民の生活が一番」という名の政党もあったな。・・・ともあれ、芋でも作って貧乏しながら暮らしなさい、と言うのは政府(国家)の言うべきことではあるまい。ましてシベリアに行って遊牧民になりなさいとか・・・?(そう言えば昔「満蒙に行け!」とかありましたね。中南米に行った人たちもいる。苦労した人の話をリアルに聞いた。)そこを解決するのが経済学(経世済民の学)で、「自分が儲けて富裕層になればいい」というのではちょっと違う。渋沢栄一先生に現代の状況について聞いてみたい。(では、大事なのは儒学(『論語』)の勉強ということか? ソロバン勘定ばかりあって儒学の学びの欠落している現状は、渋沢先生の嘆くところだろう。では『論語』をどう読むか? は別の機会に。)

 

 そもそもラスコーリニコフに真実の救いは訪れるのか? ラスコーリニコフはシベリアでの経験を経て、もっと強烈な存在になって首都に戻ってきて「革命」をやらかすのだろうか。そこで救われるべきはマルメラードフ一家やミコールカのような存在であるはずではなかろうか? 

 

 (またぼやき)スターリンや毛沢東、また習近平(彼は「下放」された経験がある)は、最も善良な人、困っている人を助けたかどうか? 

 

 スヴィドリガイロフは救われるのか? ユダ(聖書)もスメルジャコフ(『カラマーゾフの兄弟』)も救われるべきではないか? 神には何でもできる、とキリストも請け合っている。             

                                    

 議論は尽きない。『カラマーゾフの兄弟』も読んでみよう。

 

*なお、ドストエフスキーを読むには、『貧しき人々』→『罪と罰』→『カラマーゾフの兄弟』の順がよい。そこまで行けたら『未成年』『悪霊』などどんどん読めるだろう。『地下室の手記』『白夜』などは短いが初心者は挫折しがちだ。