読書日乗

読書日乗

低い城の羊男

 

『ウ・ヨンウ弁護士は天才肌』を見る。

天才的な頭脳をもつ自閉スペクトラム症の新人弁護士、上から読んでも下から
読んでも、ウ・ヨンウが様々な事件に遭遇する韓国の法廷ドラマ。
以前、「テミスの不確かな法廷」というやはり自閉症のドラマを見たけど、
テーマとしてはこっちが先か?

「テミスの不確かな法廷」ではそれほど天才的なところは薄かったが、
ウ・ヨンウの天才的な法律や条文をすべて記憶する特殊能力が前面にでている。
そういう天才的な能力は物語にしやすいが、やはり現実的に自閉症の人たちとは
違うのに、というのは見始めてから違和感があったが、そのうち健常人でも
スーパーマン・ストーリーというのはいくらでもあるわけで、そこを批判しても
この物語の面白さの中心からは離れていくのだろう、と思う。

この驚異的な記憶力を表現する映像効果は「シャーロック」や「岸辺露伴は動かない」
と共通しているものがある。
「シャーロック」はテキストが空間に溢れていくイメージであれり、情報端末の
空間が世界に広がっていく。
「岸辺露伴は動かない」は記憶を本にして過去をめくっていく。
「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」は記憶を膨大なカードとしてめくり、通有した情報
をピックアップする。
そしてウ・ヨンウはクジラが天啓のイメージとなり、共通な通路の抽出をやってのける。

それぞれ映像を真似をしているというより、人間の膨大な記憶力とそれを推測する
映像は似たものにならざるを得ないのだと思う。
フランセス・イエイツの名著「記憶術」では、西洋の古代・中世の記憶術は当時、
印刷技術も未熟かつ紙が貴重品であったため、頭の中に建築物などの秩序を思い描き、
そこに記憶したい事柄を意味するイメージを配置して膨大な知識を保持する、
特殊な能力を技術として育成してきたことを説明している。
この西洋の記憶術に似た理論を映像でうまく表現しているのではないかと思う。
もしかしたら、こうした記憶びとは相手の言葉を繰り返すエコラリア(反響言語)
を表現として持つ、自閉症のひとが担っていたかもしれないと妄想したりもする。
 

 

 

「暗闇にレンズ」高山羽根子を読む。
この小説も「映像」をテーマとした明治時代から始まる歴史改変SF。
レンズという小さなものに囲まれた世界を通して映し出される生活や戦争などの
さまざまな出来事を三世代にわたって描く女性たちの物語。
パズルのピースのように構成されるのが魅力だが、語り口がちょっと苦手だった。