James Setouchi
2025.5.13
中村隆之『ブラック・カルチャーー大西洋を横断する声と音』岩波新書 2025年4月
1 著者 中村隆之:1975年~。東京都生まれ。東京外大大学院地域文化研究科博士後期課程修了。博士(h学術)。早稲田大邦楽学術院教授。著書『カリブ-世界論』『エドゥアール・グリッサン』『野蛮の言説』『魂の形式 コレット・マニー論』『第二世界のカルトグラフィ』『環大西洋政治詩学』など。訳書などもある。
2 『ブラック・カルチャーー大西洋を横断する声と音』岩波新書 2025年
アフリカから南北アメリカに至る環大西洋圏の「ブラック・カルチャー」を大きく捉え直す。音楽に関する話題が多いが、他のジャンルにも言及する。
私は現代音楽をあまり知らないので、読むのに苦労した。不十分にしか読解できていないので、こんな本もあるよ、と簡単に紹介するにとどめる。現代音楽の好きな人にはワクワクする話題だろう。但しきわめてシリアスな内容を含む。
前半(第1章~7章)は、アフリカから奴隷が連れ去られ南北アメリカで苦難の生活をする中で、それでも「ブラック・ミュージック」をはじめ環太平洋的な関係の中でブラック・カルチャーを継承し再創造している様を歴史的に概観する。アフリカの現地の口承伝承・音楽から、南北アメリカでのスピリチュアル、ブルース、ジャズ、R&B、ソウル、ラップ、ヒップホップ、レゲエ、リンバ、サンバ、文字化された声の文化なども一貫した視野に収めていく。岩波の月刊誌『世界』に2023年8月~2024年1月に連載したもの。
後半(第8章~12章)は、トピックスごとに論じる。書き下ろしである。各章の題名は、
第8章 奴隷貿易・奴隷制の記憶の光と影
第9章 ブラック・ミュージックの魂
第10章 ブラック・スタディーズとは何か
第11章 ブラック・カルチャーは誰のものか
第12章 未来に向けて再構築されるルーツ
である。
以下、ほんの少しだけ、私の印象に残った所を示す
。
・大西洋奴隷貿易で「中間航路」(大西洋を横断する一角)を渡った人びとの数は、奴隷貿易が続いた366年(1501~1867年)の間で、1250万人を越え、アメリカに辿り着けたのは1070万人あとされる。これは推計で、密貿易や数字のごまかしも考えると、記録よりも多くの人びとが大西洋を渡ったと考えるべきだろう。(16頁)
・アフリカの黒人奴隷は、白人がやってきて連れ去る前に、アフリカ世界の中で既に存在した。イスラム諸国との交渉を通じ、奴隷は交易の商品として売買することが広まった。(19頁)西アフリカの諸国は奴隷を主要な「輸出品」とした。アフリカ人の共通意識のもとでの団結心は弱く、どれを同胞とは見ていなかった。軍事大国ダホメー(現ベナン)は周囲に戦争を仕掛け、調達した奴隷を西欧の商人に売り、火薬を買い、軍事強化につなげた。いわゆる「奴隷海岸」から積み出された奴隷は18世紀だけでも200万人にのぼると言う。(22頁)・・・(JS)これは恐ろしい。戦国期の日本でも同じ日本人(敗れた側)を奴隷として西国、さらに外国に売り飛ばした話があるが、それらをもって「それぞれの文化には独自の価値観があるのだから、西洋的な人間尊重の価値観で批判しないでください」と言われても、「何を!」と言いたくなる。人間が人間を奴隷として売買したりしてはいけないのだよ。
・高度で洗練された文化は、ある社会において長い時間をかけて形成され制度化されたことの帰結として存在する。アメリカス(南北アメリカ)における奴隷とされた人びとの文化は、アフリカにおける制度化された社会集団をほぼ完全に失ったところから、管理と暴力の世界の中で世代から世代へと継承されていった。(50ペ頁)・・・(JS)確かにそうだ。社会制度が前提としてあって、その中で(抵抗の文化も含め)文化は存立していることが多いが、それらを全て失い身体ひとつで新大陸に送られた人びとが有していたものは、記憶、伝承、音楽(楽器もない)などばかりだったろう。ディアスポラのユダヤ人を連想したが、ユダヤ人は文字を持っていた。アメリカの黒人奴隷は文字を奪われていた(場合が多かった)。
・「アフリカ帰還とは、・・遠くあとにしたあの「故郷(ホーム)」に帰ることです。」(98頁)が、「十九世紀中盤に人工的に作られたリベリアが、その名のとおりの理想郷にならなかったように、帰る場所がただちに「故郷」となるわけではありません。帰るべきアフリカと、そこから奴隷船で引き離されたアフリカ人とのあいだには、奴隷貿易・奴隷制がつくりだした埋めがたい断絶もまた存在するのです。」(99頁)・・・(JS)帰るべき「故郷」は理想化しても現実にはそれは違っている。「故郷」は否応なく非実在の理想化されたユートピアとならざるを得ない。だが、それゆえにまた現実を変革していく力にもなり得るだろう。儒教徒が古の聖人の世を夢想し、日本の神道・国学者たちが古の「神ながらの世」を夢想し、ユダヤ教徒たちがシオンの丘での再会を夢想したのと、どう同じでどう違うか? 「在日」の諸君は「朝鮮」への帰還を夢想したが、 ・・・
・奴隷制の記憶を保持する「記憶の場所」は、1970年代までなかなか整備されなかった。ユネスコが動いてアフリカのガーナのベナン湾沿いの奴隷貿易の拠点を世界遺産とした。他に「奴隷の道」プロジェクトまどもある。(124~125頁)フランスやイギリスで記念館が出来るのは21世紀。(126頁)アメリカではオバマ大統領のもと2016年にワシントンDCにアフリカ系アメリカ人歴史文化博物館が開館。(127頁)・・・(JS)自国の(人類の)歴史において不名誉な「過ち」「汚点」「黒歴史」と呼べるものを隠蔽・抹消するのではなく、しっかりと記録してそこから学び、未来へ向けてよりよい社会を作っていくのは、大事なことだ、と感じた。日本ではどうかな。ほかの国ではどうかな。
・「語りにくい過去」もある。奴隷制時代には「愛すること」は非常に困難だった。子殺しもあった。ゾラ・ニール・ハーストンは「私の民族が私を売り、白人が私を買った」と記した。レオノラ・ミアノの小説『影の季節』はアフリカの強国による奴隷狩りを主題とする。(132~137頁)
・・・(JS)語り出しにくい、思い出すのも辛い過去、というものもある。日本では原爆の被爆者の苦しみ、沖縄戦の苦しみ、またいわゆる「従軍慰安婦」の苦しみなど、あまりにもつらいので戦後のある時期からやっと語り始めることができるようになったのであって、それをもって「なかった」「捏造(ねつぞう)だ」とは言えない。
・ブラック・パワーは政治的な運動でもあったが、男性中心主義的なイデオロギーを自明視してきた。今日では、当時の急進的ナショナリズムの思想の核にあった「ネーション」のイメージを変えることが重要だ。「ネーション」を、「すでに存在する集団を指す言葉ではなく、未来に向けた理想的な共同体のための合言葉、つまり、まだここにはないユートピアの実現に与えられた呼び名」と捉えてみたい。(144頁)
・「ラップとヒップホップは、・・・神との対話を求めるという、ブルースよりも宗教色の強い精神性を表明」する。(155頁)エリカ・バドゥはその一人。(156頁)・・・(JS)ラップは、実は淵源においては、神との対話を求める、宗教色の強い精神性を有していたのだと知った。今(2025年)の日本の若い人がやっているラップはどうかな。
・ブラックという形容詞を安易につけるとレッテル貼りとして機能するので注意すべきだとの立場もある。だが、「国や地域の単位を越えて集団的呼称が必要とされるのは、この世界が植民地主義と人種主義に深く規定されてきたから」だ。(192頁)・・・(JS)この問題は確かに議論がある。だが、あまりにも重い奴隷制・被差別の現実を考えたならば、今は「ブラック・カルチャー」という概念で環大西洋圏の文化をくくって語ることが有効で生産的だ、というのが著者の立場のようだ。どこの国でも適切なアファーマティブ・アクションは必要・有効だと思うが、他方それが差別の道具に転化しないように配慮することが必要だろう。
・著者はエドゥワール・グリッサンに学ぶところが多い。グリッサンは、<関係>を世界のあり方の基本様態だと捉えた。世界は<関係>の中に巻き込まれることにより一体化し、その中で各地の民は様々な文化の接触と混交を経験する。奴隷船を生き延び連行された新しい土地で最低限の生活だけが許された人びとを始祖とするプランテーションの民を、グリッサンはクレオール化を生きる<関係の民>と捉えた。(199~200頁)
(JS)余談ながら2005年の「愛・地球博」のアフリカ共同館だったと思うが、そこで流れている太鼓の力強い躍動(やくどう)音と、王か神かわからないが巨大な黒い立像とが、非常に魅力的だったのを覚えている。
アメリカの「黒人問題」を扱った本は今まであまり読んでいない。勉強不足だ。
ヴォーンダ・ミショー・ネルソン『ハーレムの闘う本屋 ルイス・ミショーの生涯』(あすなろ書房)は入門用で勉強になる。モハメド・アリやマルコムX、キング牧師も出てくる。
アンジー・トーマス『ザ・ヘイト・ユー・ギヴ』(岩崎書店)は十代向け小説で良書とされる。
栗原康『サボる哲学』(NHK生活人新書)第5章には「黒いモーセ」ハリエット・タブマンと「地下鉄道」の紹介が載っている。
有吉佐和子『非色』(小説)も考えさせられた。敗戦後の日本人女性が黒人米兵と結婚してアメリカに行く話だ。
キング牧師、マルコムX、BLM運動に関しても何かで読み、いずれも重要だと認識している。苦難を乗り越えて進もうとする人びとが沢山いて、私たちも勇気づけられる。
マーガレット・ミッチェル『風とともに去りぬ』は南北戦争当時の黒人奴隷問題が出てくる。但し主人公は南軍側だ。
フォークナーの小説は黒人も出てくるがプア・ホワイトも出てくる。『アブサロム、アブサロム!』のサトペンは黒人(カリブ海から連れてきた)を使って富を築き、白人純血種の誇りにしがみつき、プア・ホワイトのウォッシュ・ジョーンズをないがしろにして、滅んでいく(短篇『ウォッシュ』、邦訳『孫むすめ』)。差別は差別する側が問題なのであり、「黒人問題」は「白人問題」だと考えてみるべきだ。
・アフリカ関連の勉強も不足だ。白戸圭一『アフリカを見る アフリカから見る』(2019年、著者は立命館大学の先生)、ムルアカ『中国が喰いモノにするアフリカを日本が救う』(2015年、アフリカと中国と日本)、勝俣誠『新・現代アフリカ入門 人々が変える大陸』(2013年現在の政治経済)、中村安希『インパラの朝』(旅行記、アフリカ全般)、マイケル・ウィリアムズ『路上のストライカー』(小説、ジンバブエと南アフリカ)、クッツエー『マイケル・K』『恥辱』(小説、南アフリカ)、ナポリ&ネルソン『ワンガリ・マータイさんとケニアの木々』(絵本、ケニア)、曽野綾子『哀歌』(小説、ルワンダ)、宮本正興・松田素二『新書アフリカ史』(歴史)、山崎豊子『沈まぬ太陽』(小説)などなど。ネルソン・マンデラについては何かの雑誌で特集を読んだが、苦難を乗り越えてアパルトヘイトを打ち破った偉人だと認識している。
・かつてはアメリカでは「日本人」「日本製品」は差別の対象だった。今かの国の一部の人びとはメキシカン、ヒスパニックおよびイスラム教徒をターゲットにしているようだが、黒人やアジア人はどうなのだろうか。有名なマルチン・ニーメラーの「彼らが最初共産主義者を攻撃したとき」を想起する。
(国際)白戸圭一『アフリカを見る アフリカから見る』(2019)、勝俣誠『新・現代アフリカ入門 人々が変える大陸』(2013)、中村安希『インパラの朝』、中村哲『人は愛するに足り、真心は信ずるに足る アフガンとの約束』、パワー『コーランには本当は何が書かれていたか』、マコーミック『マララ』、サラミ『イラン人は面白すぎる!』、中牧弘允『カレンダーから世界を見る』、杉本昭男『インドで「暮らす、働く、結婚する」』、吉岡大祐『ヒマラヤに学校をつくる』、アキ・ロバーツ『アメリカの大学の裏側』、佐藤信行『ドナルド・トランプ』、高橋和夫『イランVSトランプ』、鎌田遵『ネイティブ・アメリカン』、堤未夏『(株)貧困大国アメリカ』、トッド『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる』、熊谷徹『びっくり先進国ドイツ』、ヘフェリン『体育会系 日本を蝕む病』、暉峻淑子『豊かさとは何か』、堀内都喜子『フィンランド 豊かさのメソッド』、矢作弘『「都市縮小」の時代』、竹下節子『アメリカに「no」と言える国』、池上俊一『パスタでたどるイタリア史』、多和田葉子『エクソフォニー』、田村耕太郎『君は、こんなワクワクする世界を見ずに死ねるか!』、伊勢崎賢治『日本人は人を殺しに行くのか』、柳澤協二『自衛隊の転機』、高橋哲哉『沖縄の米軍基地』、岩下明裕『北方領土・竹島・尖閣、これが解決策』、東野真『緒方貞子 難民支援の現場から』、野村進『コリアン世界の旅』、明石康『国際連合』、石田雄『平和の政治学』、辺見庸『もの食う人びと』、施光恒『英語化は愚民化』、ロジャース『日本への警告』,滝澤三郎『「国連式」世界で戦う仕事術』 R7.5