James Setouchi
2025.5.9
歴史家の書く日本宗教史(わかりやすい)
1 本郷和人 1960年東京生まれ。東大史料編纂所教授。専門は日本中世政治史、古文書学。『大日本史料 第五編』の編纂を担当。著書『空白の日本史』『歴史のIF』『日本史の論点』『最期の日本史』『愛憎の日本史』『東大教授が教えるシン・日本史』『日本史のツボ』『承久の乱』『軍事の日本史』『乱と変の日本史』『考える日本史』『歴史が草yという病』など多数。(新書の著者紹介から)
2 『宗教の日本史』(扶桑社新書2024年11月)について
(だらだらと長文になってしまった。)
わかりやすい入門書。高校日本史の宗教領域の通史に、いくつか深掘りのトピックスをつけたくらいのわかりやすさ、と言えばいいだろうか。
著者の本郷先生はマスコミにもよく出ておられ、どことなく穏やかなお顔(失礼)とわかりやすい語り口で人気がある。この本もわかりやすい語り口で、一般の人に語りかける感じで書いておられる。かりにも東大史料編纂所(ここは歴代すごい学者が揃っているところ)の碩学(せきがく)たる方が、平たい語り口で、あたかも喫茶店で話しかけるかのように書いてくださっているので、私のような素人にはありがたい。が、少し物足りないところもある。それは本書の性質上仕方がないのだが、①分野によってはもっと詳しく書いて欲しい②結局歴史研究者であって信仰者ではない、という点で私には物足りないところが残った。が、全体としては素人相手に通史を語って下さっている本で、読者諸氏は、一読されてみてもいいのではないでしょうか。以下、私の好きなように疑問点や感想を書きます。もちろん、本郷教授は他のところで詳しく書いておられるとは思いますが。
はじめに:鎌倉新仏教が今まで歴史学では「枝葉」としてしか語られなかった、との記述があった。これは知らなかった。鎌倉新仏教は重要だと私は思っていた。「庶民の視点」が大事だ、と本郷氏が言うのは、その通り。「神仏が混在する宗教観」の国はそう多くはないと本郷氏は書くが、インドはどうか。ムハンマドもイエスも釈迦もシヴァやヴィシュヌと一緒に飾ってるのを見たことがある。
第1章 日本人は神を信じてきたのか:これは重要な問いで、最初で最後の問いと言ってもよい。梁塵秘抄「仏は常にいませども・・」(18頁~の解釈は、本郷氏は「仏は現われないからこそありがたい」と解釈するが、私は、(専門ではないが)この歌は、「見えないけれども夢に現われるからやっぱりありがたい」と解釈する。
「神道」(20頁)の解釈(再定義)はもっと詳しい本を読んだことがある。
「山への畏敬」(21頁)はあるが、「海」の彼方に異界が会ってマレビトが来る、というのは、海辺に住む私にはわかりやすい。
「自然崇拝」と「祭り」(23頁)はもっと詳述して欲しい。自然(雨、雷、山、風など)を畏敬するのはよくわかる。しかしそこで神社を作って神様が固有名詞を持って他の神様と区別されみこしや屋台を担ぎ出して祭りをするまでには、数百年、千年以上の時間がかかっているのではないか? ここを簡単に片付けると、日本人は仏教・儒教伝来以前から自然を崇拝し神社の祭りをやってきた、と安易に主張することになり、様々にまちがう。廃仏毀釈がそうだ。
「武士」(24頁)と国司の自然の神々への感謝のための「大狩」とも説明が不十分。
「神道は宗教なのか?」(31頁)は、重要な問いだが、久米邦武の考えは考えとして、儀式中心の宗教は世界中にある。バラモン教、ゾロアスター教、ヒンドゥー教なども教義や開祖があいまいな時代が長いが、立派な宗教だ。ユダヤ教やキリスト教ですら、聖書・聖典をあまり民に読ませず祭儀中心を押し出す場合がある。すると神道に教祖や経典や教義がなくても、そこに宗教的心情や信仰心があれば「宗教」といえるはずだ。これは靖国や護国神社に公費で玉串料を出していいかという問題(政教分離原則の問題)と関係する。久米邦武に限らず志の高い人は「あんなものは宗教の名に値しない」と切って捨てたいかもしれないが、科学で証明できない神仏や死後の世界や霊威を語るものは、すべて宗教と言っていいのでは?
「くじ引き」(37頁)は神慮を問うものだと人びとが恐れたからこそ通用したのでは? 操作した者は罰当たりの無神論者だったとしても。
遊女の「起請文」(39頁)は確かに商売用のウソかもしれないが、最後の最後に心中死に踏み切るときは、神仏を頼まなかっただろうか? 私は頼んだと思う。
第2章 仏教が根付いたのは「多神教」だったから:道教もあるかたちで入っている(福永光司)。キリスト教も各地の信仰や風習を取り入れながら拡大していった。もしかしたらイスラム教もそうかもしれない。ゾロアスター教という多神教のあった中東地域にイスラム教は広がり、根付いている。ゲルマン民族が自然崇拝をしていたかどうかよく知らないがそのエリアにキリスト教は広がっている。「多神教の仏教や道教は日本に根付くが、一神教のキリスト教やイスラム教は日本には根付かない」と言うとしたら、多くの誤解を招く。
第3章 多才な空海と孤高の最澄:空海は経済的には恵まれていた、都できちんと勉強してきたインテリだった、というのは、他の方の本でも読んだ。
第4章 「民衆の救済」がなかった平安仏教:奈良仏教は鎮護国家だが、真言と天台は個人の救済だ、とずっと昔お坊さん(多分真言や天台のお坊さん)が書いた本を読んだことがあるが、どうなのか? 行基(少し古いが)はどうなろうか。市聖・空也や「聖」についても少し言及があるが、もっと書いて欲しい。「神仏を通じた統制と恐怖による支配が中心だった」(93頁)は、なるほどそういう見方もあるのかと思った。
第5章 鎌倉新仏教は庶民をスポンサーに:鎌倉新仏教に注目すべきだというのは賛成。法然で「平等」(109頁)がはじめて出てきたかどうか知らないが、法然上人の教えで行けば万人は阿弥陀仏の圧倒的な救済力の前で平等となるのは確か。
親鸞の息子の義絶(115頁)「本願誇り」をめぐってかどうかは、どうかな。
一遍が念仏に「呪文としての力」を見ていた(118頁)とするが、どうかな。そうだとすれば、呪文=古代思想に逆戻りしたということになるのだろうか。呪文、賽銭、お参り、読経、断食、寄進など種々の「善行」は要らない、ただ阿弥陀如来から来る救済力をマウケにするだけだ、とはならないのかな?
日蓮(120頁)は本当は経済力のある武士の子かもしれない、というのは面白い。しかし、漁師の子だ、ということになっているところが値打ちだと思うのだが。(イエスも厩で生まれたことになっているところが値打ち。)
もうひとつ、法然や親鸞、日蓮の後継者たちはたしかに庶民の中に教えを浸透させていったが、それには年月がかかっているのでは? そこを知りたい気がする。
第6章 武士に好まれた禅宗の魅力:禅宗は「只管打坐」(128頁)と書いているが、曹洞宗が只管打坐、と高校時代に習ったのだが・・?
春屋妙葩(130頁)については知らなかったので書いて貰って良かった。
禅宗は融通無碍に物事を考えなさい、という非常に哲学的な教え」(132頁)とあるが、それが「哲学的」ですか? ちょっと疑問。「禅宗は融通無碍」は分かるが老荘思想に言及があってもよかった。また、安易に世俗と妥協し例えば軍国主義と親和的だったことも書いて欲しかった。
禅宗は「ニヒリズム」(133頁)は私も前から疑っていた。二元論を克服して「ポジティブ」と言うが、まさにそれで軍国主義と野合した(「近大の超克」)。
「公案」(134頁)も、師匠が絶対のようで妙な気がする。
「南泉斬猫」(134頁)は前々から分からない話だが、要らぬ議論をした挙げ句に殺生をするとは本末転倒だ、と趙州は言いたかったのかも、と今日初めて思いついた。草履を頭に載せるのは本末転倒だ。
夢窓疎石は詭弁(137)か? 死後の世界・生まれ変わりを釈尊が肯定しているかどうか知らないが、鎌倉期の普通人は信じていただろうから、「詭弁」とは言えないのでは?
「対話」(144頁)への着目は大変良い。
お墓(146頁)については、もっと詳しい議論を読んだことがある。「千の風になって」は死者はそのへんに遍在しているのであって、輪廻転生しているのではないのでは? 死んだら浄土に行く、そこで修行して次は仏になる、と私は思っている。死んだら魂はその辺にうろうろしているがやがて山の上の空の辺りにいる(、雷と雨で降りてきて地面からまた稲になって人体に入るとか・・?)と誰かが言っていた、墓にいるとすると骨なり墓石なりに神聖さがある、などなど多様な考え方がありそうですが・・? お盆で迎え火を焚くのは、故人が墓にいるわけではなくどこか空中にいると感じているからでは?
第7章 なぜ一向宗は織田信長の脅威だったのか:当時の高野山の荘園の分析はさすがご専門)だ。
秀吉の父親も村のリーダーだった(155頁)とするのは得心した。
「支配が無いからこそ、共同体内の厳しい規律がさらに強化される場合もある」(159頁)はなるほどと思った。都会の子が田舎に移住すれば人間関係の煩わしさから離れて自由に暮らせるかと思えば、そうではなく、「いい若い人が来てくれた」とばかりに田舎のしがらみに絡め取られてしまう現実をよく押さえている。では、どうすればいいのか?
第8章 豊臣秀吉がキリスト教に危機感を覚えた真の理由:人口から考えると、ポルトガルやスペインが日本を植民地化しようとは考えなかっただろう(178頁)のところは得心。へんなネット記事の批判をしてくれてよかった。
宣教師たちは殉教を望んで日本を選んだ(187頁)という記述は、はっとしたが、もう少し考えてみたい。
本来のキリスト教なら教えに殉じて命を捨てよとなるはずだ(188頁)というのは、疑問。キリスト教は偶像崇拝を禁止している。神のみを礼拝する。お守りも仏画も仏像もそれを神格化したら偶像崇拝になる。だから踏み絵くらいOKではないのか? 私は昔からこの疑問を持っている。
第9章 徳川家康はキリスト教と豊臣秀吉の団結を恐れた?:キリスト教弾圧と大坂城攻めは繋がりがある(201頁)は、細部は知らないが、大きく言えばそうかもしれない。豊臣の残党=キリシタン、というイメージが流布した、という本を読んだことがある。悟りの「長養」(210頁)(臨済宗の言葉か)についてはこれから考えてみたい。道元では「仏向上」と言う。
第10章 廃仏毀釈は明治政府の命令ではなかった:明治政府は神仏分離を命じただけで、廃仏毀釈は地元のリーダーらがやったことだ(221頁)、それと言うのも江戸時代の地域の寺が権威を笠に着て威張っていたからだ(222頁)、とある。同様のことを別の人の本で見たことがある。それにしても、廃仏毀釈という文化の破壊はひどい。神仏分離自体しなくてよかったのでは。明治政府は日本文化の長年の「伝統」の破壊者だった。明治こそ日本、と思っている人は、大間違い。
第11章 神道は本当に宗教ではないのか:「国家神道」は天皇制と神道を結びつけ国民の忠誠心を高めるために用いられた思想(224頁)というのは、その通り。日本人の「伝統」でも何でもない。支配のための道具なのだ。挙げ句の果てに国家総動員で焼け野原だ。
玉串論争については228頁で本郷氏の書いていることはよくわからない。(「政教分離に関する司法判断で違憲判決という画期的な足跡を残した「愛媛玉串料訴訟」。松山地裁は2日、その事件記録の発見を公表し、原則的に永久保存となる特別保存の対象とする方針を明らかにした。・・・愛媛玉串料訴訟は、愛媛県が靖国神社に納めた玉串料などを公費負担したことについて、最高裁大法廷が1997年4月、憲法の政教分離原則に違反するとし、二審判決を破棄して原告住民側の逆転判決を言い渡した。目的が宗教的意義を持ち、効果が宗教に対する援助、促進または圧迫、干渉になるとの基準に沿って憲法20条に違反するなどとし、政教分離をめぐるその後の各地の動きに影響を与えた。」(www.asahi.com2021年4月3日))とある。
「冷静に考えてみれば、神社に序列をつけること自体、かなり不敬な行為です」(231頁)はその通りで、伊勢が最高位だと言えば出雲や宗像(むなかた)や大神(おおみわ)神社がそれは怒るだろう。神田明神(平将門=朝敵)の氏子たちも怒っていたとか。
伊勢の外宮とその周辺の遊郭で金を使い果たし、内宮にはお賽銭が集まらなかった(236頁)というのは、へえと思った。
神主が身の清らかさを保つために竹箒で掃除する(240頁)などは、いつから? なぜタケ? などに説明が欲しかった。ケガレ意識が日本の差別を生んでいるので、それを越える道も書いて欲しかった。
第12章 日本における「本当の信仰」とは?:新宗教への言及(242頁)は良い。チャーチ・セクト論の紹介(244頁)も良い。そこからカルトになるときの特徴をいくつか書くとよい。反社会的行為であればその点で法規制できることも書きたい(フランスの法を参照)。今の学生がカルトに絡め取られるケースがあるのは、そこにしか居場所がないからだろうから、その点も。
「発心」(248頁)は仏教教学上は難しい問題をはらむ。「仏の道を探求する」(248頁)と書いておられるが、禅宗に近い発想だ。キリスト教に「発心」はあるだろうか? むしろ「回心」が重要では。浄土系はどうかな。
ローマ教皇(253頁)は2025年5月8日、新教皇レオ14世が選出された。多数の人びとがバチカンの広場に集まり涙を流していた。ローマ教皇は国際社会の中で重要なプレイヤーの一人だ。そこに繋がる日本のカトリック教会のネットワークもある。美智子妃殿下の聖心女子大もカトリックだ。聖光学院(神奈川)も栄光学園も上智大もカトリックだ。ナントカ(青山、関西、西南など)学院大学やICUはプロテスタントだ。それらに言及しても良かった。
統一教会や日本会議、神道連盟への言及もない。大本教およびその後継である各派への言及も欲しい。天理教も。創価学会など日蓮系各派への言及も。仏教におけるリバイバル運動も。ニューカマーを含めムスリムも。だがこの入門者用の薄い本には書ききれない。他で読んでね、ということだろう。
科学万能主義(254頁)への疑問にも言及したのは良い。「科学技術万能主義」とすべきか?