いつもお読みいただきありがとうございます
悠(はるか)と申します! 昨年4月、人生謳歌塾(以後JO)に入塾。
日常を整え、ワクワクする未来を作っていくために、CITTA手帳を愛用しています
公務員の保育士として仕事をしながら5歳の長男と2歳の長女の子育てに奮闘中でしたが、この4月に退職。
そんな中、長男の出産後に習い始めた「お茶」が、自分の中でとても大切な存在になっていることに気づきました。
現在、茶道裏千家助講師の資格を取得、来年宗名をいただく予定。
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こんにちは!
茶道裏千家今日庵で講師の免許を取得。
来年宗名をいただく予定の悠です
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これまでのお茶に関する記事はこちらをご覧ください
千家十職シリーズ、時間がかかってしまいましたが、本日で最終回
最後にご紹介するのは「土風炉・焼物師」である西村(永楽)善五郎。
現在は17代目が当主を務める永楽家。
実は、とてもめずらしい歴史を持つ西村(永楽)家。
その歴史の中で、姓が変わるのです。
初代から9代目までは、西村姓を名乗り、主に土風炉の製作をしていました。
https://wabi-sabi.info/archives/349より画像拝借しました。
こちらは、現在の物ですが風炉。
素焼きの器に黒漆を重ね塗りしたものや、表面を磨いたものがあります。
そして、10代目以降は、姓を永樂と名乗り、土風炉に加えて茶陶を製作しています。
茶碗師として、千家十職の中には他にも樂吉左エ門がいますが、
樂家は楽焼のみを扱うのに対し、永樂家は主に古くから伝わる伝世品の写しを製作しています。
このように、昔から愛されている美しい柄が描かれるのが特徴です。
そんな西村(永樂)家の歴史の中で、三千家とかかわりを持つようになるのは、他の千家十職と比べると浅いもの。
その歴史は、実はあまり定かではありません。
初代宗禅は、西京西村に住んでいたことから西村姓を名乗り、春日大社の供御器の製作を行っていました。
晩年に、堺の武野紹鴎の依頼で土風炉を作るようになり、土風炉師善五郎を名乗るようになりました。
そして、2代目宗善は堺に住み、3代目宗全以降は京に居を構えました。
主に小堀遠州より依頼を受け土風炉を製作。
その際に「宗全」の銅印を受けており、9代目までその印を捺用していたようです。
その中でも、5代目宗荃は芸術性のあるすぐれた作品を製作した名手。
実はその昔、土風炉は主に大和国が産出国でした。
しかし、ちょうどその頃、大和国の土風炉の質が低下し、見放されていきました。
そんなときに、真面目に製作をつづけていた宗荃の土風炉に目が向けられるようになり、多くの受注をうけるきっかけになったとされています。
そこから、京に土風炉の拠点が移り、今に続いています。
1788年の天明の大火で、その印章を失いますが、三千家の援助により10代了全が再興。
おそらく、このあたりから三千家の出入りがされるようになったのではないかと言われています。
12代和全の頃に、紀州藩徳川治富の御庭焼開窯に招かれ、作品を賞して「永樂」の銀印を拝領しました。
この頃から「永樂」姓を名乗るようになりますが、遡って10代了全、11代保全も永樂姓で呼ばれています。
このように、異例の歴史がある西村(永樂)家。
現在も、質の高く芸術性の高い土風炉や焼き物を製作しています。
さて、こうして紹介してきた千家十職。
千家十職のそれぞれの歴史を調べてみて、歴代の職人たちの計り知れない努力と苦労があって、こうしてその伝統や技術が生きているのだと思うと、道具一つ一つがとても尊い存在に思えます。
ただ「へー!すごいんだな」っていう上部の感想が恥ずかしく思いました。。
利休が好んだ詫びの精神や、歴代の家元に愛された技術や芸。
それが時代を超えて、今も作り続けられているってすごいことですね。
お茶は、ただお茶を飲むだけでなく、そうした歴史的背景も知ることで、より茶室でのひと時が深みを増すのだなぁと感じました。
と、いいつつ、お稽古ではお点前に精一杯ですが(笑)
さて、今回紹介した西村家の土風炉ですが、風炉の季節も今月で終わり。
来月からは炉の季節になります。
風炉の風情をあとわずかですが楽しみたいと思います✨
今日もお読みいただきありがとうございました