ジョージ・ルーカス監督、リーアム・ニーソン、ユアン・マクレガー、ナタリー・ポートマン、ジェイク・ロイド、アーメド・ベスト、ペルニラ・アウグスト、レイ・パーク、ヒュー・クァーシー(パナカ)、ケニー・ベイカー、アンソニー・ダニエルズ、アンディ・セコム(ワトー)、サイラス・カーソン(ヌート・ガンレイ)、ブライアン・ブレスド(ボス・ナス)、スティーヴ・スピアーズ(ターパルス)、ルイス・マクラウド(セブルバ)、フランク・オズ、キーラ・ナイトレイ、サミュエル・L・ジャクソン、ワーウィック・デイヴィス、イアン・マクダーミド、オリヴァー・フォード・デイヴィス(シオ・ビブル)、テレンス・スタンプほか出演の『スター・ウォーズ エピソード1 ファントム・メナス』。1999年作品。4K上映。

 

平和な惑星ナブーが銀河通商連合に襲撃され、その事件の調査に向かったジェダイ・マスターのクワイ=ガン・ジン(リーアム・ニーソン)と弟子のオビ=ワン・ケノービ(ユアン・マクレガー)は、メカの不調で砂の惑星タトゥイーンに不時着する。そこで出会った9歳の少年アナキン・スカイウォーカー(ジェイク・ロイド)に眠るフォースの力を感じ取ったクワイ=ガンは、アナキンをジェダイ騎士団に入団させようとする。一方その頃、謎の敵ダース・モール(レイ・パーク)がジェダイ抹殺のために暗躍していた。(映画.comより転載)

 

シリーズのネタバレがありますので、まだ観ていないかたはご注意ください。

 

『SW エピソード1』公開25周年記念ということで、「スター・ウォーズの日(5月4日)*」に絡めて5月3日(金) ~6日(月) の4日間限定で『ファントム・メナス』の4K版が全国25の映画館で上映されていて、観てきました。

May the Force be with you.(フォースと共にあらんことを)」にちなむ。

 

ゴールデンウィーク中だし、上映館も限られているので絶対に混むだろうと思ったから、珍しく事前に座席のチケットを購入。

 

…正解でしたねぇ。朝の8時半からの上映でしたが、客席はかなり埋まっていました。

 

入場プレゼントでポスターもらいました。デカくてちょっと荷物になったけど。

 

いきなりケチつけてしまって申し訳ありませんが、今回の25周年記念のポスターのデザイン、なんかビミョーじゃないですか?^_^; 昔の手描きの看板みたいで。わざとそういう雰囲気を狙って描いたんだろうか。1999年の初公開の時のポスターと見比べてみるとよくわかります。不思議な絵柄…w

 

さて、僕は以前からプリクエル三部作(エピソード1~3)についてはずいぶん酷評してきたし、作品に対する評価は今でもほとんど変わってはいないのですが、ただそのエピソード1~3についての感想を書いたのはエピソード7を観る直前で9年も前のことだし、こういうこと言うとまたファンのかたに叱られるかもしれませんが、シークエル三部作(エピソード7~9)を観ちゃったら、もうかつてのプリクエル三部作が普通に面白かったように思えてきたので、迷いつつも貴重な機会だから再び劇場鑑賞したのでした。

 

 

 

今回上映されたのは、ブルーレイ化されて以降のヴァージョンで、ヨーダは初公開時のようなパペットではなくてCGに置き換えられているし、ポッドレースのシーンも長くなってたんじゃないかな。

 

 

 

あと、字幕担当は初公開時と同じ戸田奈津子さんだけど、「ボランティア軍」が「義勇軍」に、「ローカルの星人」が「地元民」に変わってたし、ポッドレース中のアナウンスの「ビックリしゃっくり」もなくなってました。評判悪かったからやめたのかな(笑)

 

実は地味に不安だったのが、映画の冒頭にあの「20世紀フォックスのファンファーレ」はちゃんと入っているだろうか、ということでした。

 

今じゃスター・ウォーズの新作映画には、あのファンファーレは入らないですから。

 

消されてたらたまらんな、と。

 

で、上映が始まっておなじみの曲が鳴り響くと、ちょっと胸がジィ~ンときたのでした。あぁ、久しぶりにあのファンファーレからのジョン・ウィリアムズの曲を聴けたなぁ、と。

 

もうそれだけで「劇場に観にきてよかった」と思った。

 

文句ばっか言ってるから「嫌いなら観るな」と言われるでしょうが、『ファントム・メナス』が公開された1999年という年は楽しいこともツラいことも個人的にいろいろあって思い出深くもあるし、僕は僕でスター・ウォーズには勝手に思い入れがあるのでプリクエル三部作は全部映画館で観て、サントラCDやDVDも(確かエピソード2までだったが…)買ったり、それなりに落とすべきものを落としたうえであーだこーだと文句言っております。初公開当時だって、今はなき新宿スカラ座や渋谷パンテオンなどで何度も観たし。

 

プロデューサーや異なる監督たち同士の間でのすり合わせがうまく行なわれず、シリーズの世界設定が完全に破綻してストーリーが迷走してしまったシークエル(レイ)三部作とは違って、プリクエル(アナキン)三部作には少なくとも創造主であり監督のジョージ・ルーカスが込めた一貫性はあったし(作劇的なその狙いがうまくいっていたかどうかはともかく)、何しろ結末は最初からわかっているのだから、あとはそこに向かってお話を進めていくだけで、そういう意味では淀みがない作りになっている。

 

これまでに何度も繰り返し観てきたからでもあるけれど、今回久しぶりに観てもスゴくテンポが速く感じて、観る前から予感はしていましたが結構楽しめたのでした。いや、思いっきり楽しむつもりで観にいきましたし。

 

ジャー・ジャー・ビンクスは相変わらずけたたましくてウザかったけど(道案内する、とか言っといて騒いでるだけだし)、もう慣れてしまった。

 

最後のジェダイ』のローズ(ケリー・マリー・トラン)もそうだったけど、映画に使っといて叩かれても監督やルーカスフィルムは役者を助けないんだよなぁ。

 

 

 

ジャー・ジャーが「ナブーの戦い」で繰り広げるドタバタはバスター・キートンのコメディ映画から引用されているのは有名だし、だから彼は彼で監督から与えられた役割を律儀に果たしているのだ、と思えばもはや腹も立たないw

 

映画の内容については以前の感想の中で散々難癖つけたので、今回はそれとは別のことを書こうかな、と。

 

僕は、以前の感想の中で「お話が面白くない」と文句を言ったんだけど、そしてその評価は今でも変わりませんが、勧善懲悪の冒険活劇だった旧三部作(オリジナル三部作、あるいはルーク三部作)と異なって、エピソード1から続くプリクエル三部作は、共和国がいかにして銀河帝国へと変貌していったかが描かれるわけで、それは僕らが生きるこの世界の現状と重ねることでいろいろと考えさせられるところはありますよね。

 

通商連合に侵略される惑星ナブー、裏で糸を引いているシスの暗黒卿。銀河の中心である惑星コルサントではすでに政治の腐敗が極限まで進んでおり、自分の星を救うためとはいえアミダラ女王(ナタリー・ポートマン)はもはや機能していない元老院の最高議長を別の人物にすげ替える。しかし、それは独裁化への第一歩だった。

 

いろんな国(僕たちが住むこの国も含む)のことが頭をよぎるし、25年前よりもそれはさらに鮮明になっている気がする。

 

アミダラ女王の影武者をキーラ・ナイトレイが演じていた、というのは知ってる人には常識だけど、意外と知らない人もいるんではないだろうか。

 

彼女が演じた侍女のサーベはこの『ファントム・メナス』ではわりと活躍するんだけど、ナイトレイが出演したのはこの作品のみ(続く『エピソード2 クローンの攻撃』で影武者としてパドメの代わりに殺されたのは別の侍女コーデ)。

 

ところで、キーラ・ナイトレイさんはよくナタリー・ポートマンさんと顔が似ている、と言われるそうだけど、似てますかね?

 

 

 

 

 

 

 

白塗りしてると一見見分けがつかないっぽいけど、ナイトレイさんの方が目ヂカラ強めでやや三白眼気味なので、白粉顔がちょっと怖いんですよね。彼女の方が身長もポートマンさんよりも高いし、年齢も4歳若い。

 

ナイトレイさんの『ファントム・メナス』出演については↓こちらの感想にもちょっとだけ書いています。

 

 

僕は、最初にこの作品を観た時からどう見ても途中でアミダラ女王が別人に代わっているのがまるわかりだったのでスゴく違和感があったんだけど(それ以前にナタリー・ポートマンがアミダラと侍女のパドメの両方を演じていることは明らかだったから、劇中で誰もそのことに気づかないのがほんとに不可解だった)、これはイアン・マクダーミド演じるパルパティーン議員がどう見たってシスの暗黒卿ダース・シディアスと同一人物なのに誰も気づかないのと対になっている。

 

なんだかんだ言って付き合いよく『スカイウォーカーの夜明け』まで出続けたおじいちゃん

 

これを現実の世界で多くの人々が「人の本当の正体」を知らない、気づかないことへの皮肉のようなものだと解釈すると、物語の中で不自然に感じたことが別の意味を持ってくる。

 

パドメの正体もパルパティーンの正体も「どんでん返し」としてはまったく効果を上げていないけれど、わかりきったことに誰も気づかない、というのは黒澤明監督の『蜘蛛巣城』だし(朝もやの中からグンガンたちが現われるショットは同作品からの引用でしょう)、『蜘蛛巣城』がシェイクスピアの「マクベス」をもとにしているように、シェイクスピアの悲劇のような話を狙ったんだな。

 

だから監督が「やりたいこと」はハッキリしていて、僕が感想で「いらない」と言ったポッドレースのくだりは『ベン・ハー』だし、いろんな名作から印象的な場面を持ってくることでルーカス監督はSWを映画史の中に刻み込もうとしていたんじゃないだろうか。

 

ハリウッド映画に香港映画的なアクションを持ち込んだ、ということでは画期的だったと思うし(同じ年に公開された『マトリックス』の方がインパクトがあったが、同時期に起こったアクション面の変革だった)、その後の映像の背景をデジタルで描く手法の先駆けでもあった。

 

おかげでクワイ=ガン・ジン役のリーアム・ニーソンがグリーンバックの前での演技にうんざりして、二度と出演してくれなかったという逸話も。

 

クワイ=ガンはエピソード2以降も霊体での再登場もなくて、その理由をいろいろと考察されたりもしたけど、単にリーアム・ニーソンさんがもうグリーンバック撮影が嫌だったから、っていうねw

 
確かに20年以上前のVFXだから現在のものに比べるといろいろと過渡期な感じはするんだけど、逆に今のように全部CGで描いちゃったりはせずにミニチュアも使ってるし、いろんな技術を持ち寄っているから、ちょうど『ジュラシック・パーク』の1作目のように時代が経っても古びないところがある。
 
 
 
ダース・モール(レイ・パーク)はかっこよかったなぁ。
 
彼があっさり倒されるのはやっぱり納得いかなかった。
 
監督から「はい、お疲れ。そろそろやられようか」って言われたように最後は防御の体勢もとらずに突っ立ったまんまで真っ二つにされていた。
 
モールさんは、その後のいろんな媒体で「実は生きていた」ってことにされたけど(まぁ、ボバ・フェットも皇帝も生きてましたからな)、そこはちゃんと決着をつけてもらいたかったな。もうあと何手かアクションを続けていれば、オビ=ワンが実力で勝ったように見せることはできたと思う。監督が勝敗を急ぎ過ぎた。
 

今回、『ファントム・メナス』の上映のあとに6月にディズニープラスで配信予定のドラマ「スター・ウォーズ:アコライト」の本篇の一部が上映されて、ジェダイ役として『マトリックス』の“トリニティ”役のキャリー=アン・モスが出演してましたが、わかりやすいな(^o^)

 

まぁ、僕はディズニープラスに加入してないんで観られないし、劇場でネット配信ドラマの宣伝されてもな、と思いましたが。

 

これも配信ドラマの「マンダロリアン」の劇場版が作られるそうだから、それの予告篇を期待したんだがなぁ。

 

なんていうか、どんどん日本のアニメ的な作風になってますね、スター・ウォーズ。

 

プリクエル三部作の頃はまだそういう要素は希薄だったな。どちらがいいとか悪いとかいうことではないですが。アジアやインドや中東、中南米などにルーツを持つ俳優たちがどんどん出演するようになったこと自体は歓迎すべきだと思うんで、あとは最近のアクション物のトレンドにノれるかどうかなんだろうなぁ。

 

別に延々と続くクンフーアクションが観たいわけじゃないんですよね…ゲームじゃないんだし。フォースとかライトセイバーでの闘いというのはあくまでも物語の中でピンポイントで入ってる程度でいいと思う。ユニークなキャラクターたちの「物語」を観たいんですよ、こちらは。

 

 

 

僕は感想では少年時代のアナキンのエピソード自体を「不要」と評したけど、でもジェイク・ロイドさんはよく頑張って演じたと思うし、ルーカス監督はきっと映画館に来た幼い子どもたちに、まるで現代の子どもみたいに「Oops!」とか「Yippee!!」とか言ってる主人公の少年に感情移入して観てもらいたかったんでしょう。

 

未来の妻となる女性に「天使なの?」って尋ねたり、口がうまいよねぇ。まぁ、この当時のナタリー・ポートマンさんは確かに天使のように可愛かったけれども(今でも美しいが)。

 

 

 

アナキンや母親のシミは奴隷という設定にもかかわらずまったくそうは見えなくて、彼らの持ち主であるワトーもけっして二人を虐待するわけではなく、続篇でもシミのことを大事にしていたような様子だし、そこんとこでまったくリアリティがないんだけど、それはルーカス監督の人間を描く手際の限界なのか、それとも子どもたちが観ていてツラくならないようにあえて酷い場面は入れなかったのか、どちらなんでしょうね。

 

『エピソード4 新たなる希望』ではルークの親代わりだったベル伯母さんとオーウェン伯父さんは焼死体になっていたんだけどな。そういう残酷描写はプリクエルでは省かれてましたね(エピソード3ではアナキン君の身体は大変なことになってましたが)。

 

父親がおらず、母シミ(ペルニラ・アウグスト)によれば「なぜか自然に生まれた」というアナキンはキリストに重ねられているし、劇中で「選ばれし者」とも呼ばれていた。『マトリックス』の主人公もそうだったけど、思えば同じ年に公開された2本の映画で、それぞれの主人公たちはその後まったく別の道を歩んだのだな。

 

少年時代のアナキン役のジェイク・ロイドさんがこの映画の出演後にたどった人生は苛酷なものだったし、最愛の妹さんも亡くされて、今は施設で心の病いを治療しているということで、彼のこれからの穏やかで明るい生活を祈らずにはいられない。

 

 

ジェイク・ロイドさんの妹マディソンさんも出演しているというラストシーン。アナキンの後ろに立っている幼い女の子(R2-D2の後ろ)がジェイク・ロイドさんによく似ていたけれど、彼女がマディソンさんだろうか。

 

初めて映画館で観た時のようなお客さんたちのストレートでヴィヴィッドな反応というのは今回はなかったけれど(当時は劇中でダース・モールやR2-D2が紹介されると客席が沸き上がったり、エンドロールのあとにダース・ベイダーの呼吸音が聞こえてくると人々の中からざわめきのようなものが聞こえた)、それでも皆さん、それぞれに感慨に耽っているようでした。

 

スター・ウォーズの映画を劇場で観るのが特別なイヴェントだった頃の雰囲気を思い出させてくれました。

 

果たして続く『エピソード2 クローンの攻撃』は、いずれリヴァイヴァル上映されるんでしょうかねぇ。

 

12年ほど前に『ファントム・メナス』の3D版が公開された時には僕は観なかったし、どれほど盛況だったのかも知らないけれど、エピソード1の再上映でこれだけ多くの人たちが劇場に駆けつけたのなら、続きもぜひやってほしいよね。

 

そしていつかは大好きなルーク・スカイウォーカーの物語、エピソード4~6を(オリジナル版で!…って無理か)また映画館の大画面で観たいです。熱くリクエストしておきます。

 

 

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