スター・ウォーズ/フォースの覚醒』のダークサイド篇へようこそ。

こちらはスター・ウォーズの最新作『フォースの覚醒』に失望し、フォースの暗黒面に堕ちた者の集いし場所です。

ライトサイド篇」でも説明しましたように、ここには『フォースの覚醒』への批判が書かれています。もちろん内容についてのネタバレもあります。

なので、これからご覧になるかたやあの映画を心から楽しんで満足できたり「今年一番!」「シリーズ中、最高傑作」「泣いた!」と絶賛モードのかた、そしてJ・J・エイブラムス監督のファンのかた、自分が好きなものを他人にディスられるとキレるタイプの人は絶対に読まないように。

もしも読んで刃物振り回して怒り狂っても責任は負わないし、そこまでではなくてもせっかく気分よく映画を観終えたのに不愉快な思いをするのは時間の無駄ですから、どうぞこのままそっとページを閉じていただければ。

いいですか、忠告しましたからね。

それからこれも繰り返しますが、このブログはコメントが承認制になっています。

以下の感想を読んでブチギレて腹立ちまぎれに罵詈雑言を書き込もうとしても、本ブログ記事の執筆者に対する単なる個人的な中傷はスルーしますのであしからず。冷静なご意見であれば承ります。

それでは早速。



「ライトサイド篇」でも触れたように、惑星ジャクーで主人公レイファースト・オーダーストームトルーパーだったフィンと出会い、やがてミレニアム・ファルコン号の持ち主にめぐりあう前半は文句なくよかった。

しかしそれ以降、映画はいろいろとビミョーになっていく。

ちょっと重箱の隅っぽいツッコミもあるけど、気になったところを挙げていきます。

この映画、「おっさんたちはこれで喜ぶだろ」って調子で、とにかく旧三部作のいいとこをぶち込んでくる。

で、実際喜んでるおっさんが多いんだな。「スター・ウォーズの世界観を見事に継承してる」とか言って。

事実、表面的なストーリーは、ほぼ『エピソード4 新たなる希望』をなぞったもの。

砂漠の惑星、緑に溢れる惑星、雪景色、究極兵器…。

『新たなる希望』からは砂漠の惑星タトゥイーンデス・スター

エピソード5 帝国の逆襲』からは氷の惑星ホス、沼地の惑星ダゴバでの幻影。

エピソード6 ジェダイの帰還』からは森の月エンドア

確かに砂漠の惑星ジャクーや緑に覆われた惑星タコダナはどう見てもタトゥイーンやエンドア(あるいはヤヴィンかダゴバ)から取られているんだが(雪に覆われたスターキラー基地はホスっぽいし)、だったらタトゥイーンエンドアでよくね

なんでわざわざ同じような環境の別の惑星を出す必要があるんだろう。

新しい星を出すのなら、これまでに一度も描かれていない風景の惑星の方がよくないですか?

まぁ、エピソード1~3であらかた星のヴァリエーションが出尽くしたのかもしれないけど。

だとしたら、それこそ過去作の惑星をもう一度登場させて新しい物語をそこで繰り広げればいいじゃないか。

そのへんの、あまり深く考えずにキャラやイメージがカブるものを出してるところがなんかスゴくモヤモヤするのだ。

過去作への「オマージュ」ってことかもしれないが、だってこれはスター・ウォーズの正史ですよ。パロディ映画や二次創作じゃないのだ。

R2-D2に対するBB-8もそうだけど(BB-8のデザインとそのキュートな動きは秀逸だと思うが)、“なんちゃってダース・ベイダー”のカイロ・レンといい、惑星タコダナで千年間バーを営んでいるという眼鏡外すと目がつぶら過ぎるミカンおばさんのマズ・カナタヨーダっぽかったり、とりあえずスター・デストロイヤーを昔よりもさらにデカくしてみたり、これまたデス・スターもどきのスターキラー基地などあまりに旧作のコピーが多過ぎる。

ゴジラもそうだけど、ただデカくて強いという設定にすればいいってもんではないからな!

カイロ・レンが乗る巨大戦艦“ファイナライザー”はこれまでのスター・デストロイヤーの2倍の大きさという設定らしいが、そんなに大きく見えない。




『新たなる希望』の冒頭で初めてスクリーンに姿を現わしたスター・デストロイヤーの巨大感を凌ぐほどの迫力はない。

つまり、それがこの映画全体を物語っている。

VFXの技術は進歩してCGはエピソード1~3の頃よりもさらにリアルになったが、過去作を“今風”にリニューアルする技には長けていても「新しいものを生み出す工夫」が足りないのだ。

また、ワープの描写はこのシリーズの見せ場の一つでもあって、旧三部作のそれぞれの作品ごとにジョン・ウィリアムズ作曲のスコアと合わさって観る者の気分が高揚するように演出されていた。

エピソード1~3ではあえて見せなかったハイパースペースへのジャンプで星々が光の線のように延びるエフェクトは本来なら「キター!!」って感動が押し寄せるはずなのに、今回の最新作ではIMAXで観たにもかかわらずいまいちグッとこなかった。

なんだろう、ケレン味が足りないというか。

これはジョン・ウィリアムズの曲がこの最新作ではプリクエル(前日譚)三部作よりもさらに耳に記憶されないものだったから、というのもあると思う。

これまでのスター・ウォーズの音楽は登場人物たちにそれぞれモティーフとなる旋律が作られて、有名な「帝国のマーチ」など耳で覚えて口ずさめるものばかりだったが、『フォースの覚醒』では新曲部分に印象に残るメロディがないのだ。

耳に心地良いのはすべて旧三部作から引用された曲だけ。

これはジョン・ウィリアムズの音楽が変化してきているためで、「わざと」「あえて」そうしているのかもしれないが、僕にはただ退屈な曲にしか感じられなかった。

だってこの映画のサントラCD欲しいと思わないもの。

これも旧三部作からの曲の流用が結構多かったプリクエル三部作にだって、エピソード1ではダース・モールとの戦いの時の曲、エピソード2ではアナキンとパドメのテーマ、エピソード3ではアナキンとオビ=ワンの戦いの時の曲と、最低でも1作に一曲は耳に残る曲が作られていた。

『フォースの覚醒』にはそれすらない(わずかにレイのテーマが耳に残る程度)。これではアガれない。

ジョン・ウィリアムズのメロディアスな曲を欠くとスター・ウォーズはこれほどまでにつまらなくなるのか、とあらためて痛感した(久石譲の音楽が流れない宮崎駿のアニメ映画を想像してみればよくわかる)。


そして、この映画のストーリー面で何が一番ショックだったかって、もちろんハン・ソロの一件。

予告篇を観た時に、カイロ・レンがダース・ベイダーの朽ちたマスクに向かって「私があなたを受け継ぐ」みたいなこと言ってて「…なんかこいつイタそうだな」と思ったんだけど、その“嫌な予感”は当たってしまった。

マスク取って素顔を見せた瞬間に「あ、やべ」って思ったけど、あとの祭り。

サバゲーのフェイスマスクみたいなダサダサなメットのデザインはともかく、頼むからせめて脱がずにずっとかぶっててほしかった。

今回はジャー・ジャー・ビンクスみたいなウザキャラが出てこないと思ってたら、今度は中二病DQNのコスプレ野郎かよ。

ダース・ベイダーのマスクは生命維持用であり、ボバ・フェットのマスクや装甲服は銃撃戦での防御のためだったが、こいつのマスクにはカッコつけるため以外にまったく意味がない。

映画を観る前に別のブログには「カイロ・レンって、まるでガンダムの主人公みたいな名前」と書いたんだけど、なんてゆーか、実際その正体はガンダムのニュータイプとかエヴァなんちゃらの病んだガキどもみたいなのだった。

俺が一番苦手な輩だ。

親子関係に悩むとか、そういうのやりたいんならどっかよそでやってくれよ。よりによってスター・ウォーズあのハン・ソロがこじらせた実の息子に刺されるとか、正気か?と。どこの『ゲド戦記』だよ。

中二病の息子が散々やらかしたあとに父親に再会して「ずっと苦しかった…」と涙目でホザくとか、ほんと勘弁してほしかった。

ありえないでしょ、あのハン・ソロがフォース使って暴れてた奴を相手に突っ立ったまんま黙って刺し殺されるなんて。

この映画の作り手たちがハン・ソロというキャラクターを本当に愛しているのなら、プスッと刺されてハリソン・フォードがいつもの困ったような顔したまま奈落の底へ落ちていっておしまい、なんてフザケた最期なんかにはしないはずだ。

そもそもハン・ソロとレイアの息子がアレってのが無理があり過ぎなのでは。どこにそんな病んだ遺伝子があるの?アナキンからの隔世遺伝か?

バケモノの子』といい、なんで最近の映画監督はすぐにキレるガキに大人を刺させるのか。何が面白いの?そういうの。

スター・ウォーズまでが日本のアニメのつまらないとこを真似してどーすんだ。

ハン・ソロが今はレイアとは別れてて、息子をほっといたことを反省してとか、『インディ4』そのまんまだけど、ハン・ソロとインディ・ジョーンズは演じてるのは同じハリソン・フォードだけどキャラクターは違うでしょ!?

なんで一緒くたにしちゃうの?

ハン・ソロはもともと同業者のグリードを先に撃ち殺しちゃうような悪党なんですよ。

レイアと付き合って同盟軍の将軍にもなったからまともな生活を送ってるのかと思ってたけど、結局また密輸業者に戻ったということはやっぱ彼は「宇宙の不良」だったってことでしょ?

そんな男が息子のことで反省したり悩むだと…?

誰が観たいんだよ、そんな所帯じみたハン・ソロを。

ハンは友人想いで根はイイ奴だけど、やっぱりいつまでも皮肉めいたチョイ悪オヤジでなきゃ。

ジャック・スパロウ船長の先輩なんだからさぁ。

だってね、たとえば「ルパン三世」でルパンが不二子ちゃんとの間にできた息子に刺されて死ぬなんて話があったら大問題でしょ。

左腕にサイコガンを持つ宇宙海賊コブラがアーマロイド・レディとの間の息子(!)に刺し殺されるようなことがあったら、ファンは絶対納得しないはず。

番外篇とかパロディ作品ならばともかく、正史である最新映画でそんなドメスティックな展開やられたんではかなわない。

そりゃ、スター・ウォーズは銀河を舞台にした『ゴッドファーザー』みたいな家族モノではあるけどさ。

だからってハン・ソロを家族問題で悩ませる必要なんかないでしょうに。

確かにアニメキャラと違って、ハリソン・フォードはこの先も永遠に生きてハン・ソロを演じ続けることはできない。

だから、そんな老いたかつての英雄に引導を渡して次世代の物語を描きたい、という作り手の気持ちもわからなくはないが、だとしたらハン・ソロには最高の引退の花道を用意するべきでしょう。

たとえ映画から姿を消しても、ハン・ソロはこれからもずっと相棒のチューイとともに銀河を旅し続ける。それでいいではないか。なぜ無理矢理殺すんだ。

仮にどうしても彼が死ななければならないのだとしたら、それは愛するレイアや古き友人(そして年下だが義兄の)ルークのためか、若きレイやフィンたちのために命を投げ出すというような勇ましく華々しい幕切れでなければ到底受け入れることはできない。

『帝国の逆襲』のあの別れのように、ハン・ソロは最後までカッコ良く粋な台詞を吐いて退場しなければ。

ハン・ソロって、その後のSFアクションとか日本のアニメキャラに多大な影響を与えた「宇宙のアニキ」じゃないですか。

そんな人をこんなにあっけなく殺していいのか。

何度も言うけど、ほんとにありえないよ!!ヽ(`Д´)ノ

今の時点ではハンがハッキリと死んだとは断定できないけれど、ライトセイバーが身体を貫いてたしなぁ。彼が落ちていったスターキラー基地は宇宙の藻屑になったわけだし。

続篇ではきっと復活すると信じたいけど、もしもあんなつまらん死に方で終わらせるつもりなら、俺はJJを今後も絶対に許さない。

実は、エイブラムスとともに脚本を書いたローレンス・カスダンは、『ジェダイの帰還』の時にもハン・ソロを殺そうとしてルーカスに止められた前科がある。

安易な劇的効果を狙って、あるいは作り手の勝手な都合のために観客にとって思い入れの強い登場人物をあっさりと死なせるような作劇は最低だ。

この映画では「安易な劇的効果」というよりは、今や「神話」の住人と化したハン・ソロやルーク・スカイウォーカーからその英雄としての神話性を奪い取ることが目論まれている。

それはまるでかつてジョン・ウェインが演じてきた西部劇の英雄をクリント・イーストウッドが「西部のガンマンは実際にはこんなに臆病で卑怯者だった」と暴いたように、英雄物語の勇者たちを無様に殺すことが新たなる伝説の始まりと云わんばかりだ。

だからこれは、“スター・ウォーズ”という神話の解体であり、破壊なのだ。

真に「神話」としてのスター・ウォーズを愛する者ならば、怒りを感じて当然の所業なんである。

ハン・ソロは息子をほったらかしにしていたために妻との関係が悪化してしまった冴えない男にされてしまい、ルーク・スカイウォーカーは弟子にした妹の息子に裏切られて“責任に堪え切れず”宇宙の彼方に逃げたことにされてしまった。

エピソード4~6をちゃんと観ていれば、責任感の強いルークがそんな脆い精神の持ち主ではないことがわかるはずなのに。

彼は友人たちのために危険を犯してベイダーに戦いを挑み(結局、助けに行って逆に助けられちゃったわけだが)、実の父だと判明したベイダーに「善の心」が残っていると最後まで信じ続けた。

責任放棄して逃げる、なんてのはルークには一番似合わない行為ではないか。

この“スター・ウォーズの最新作”と称する『フォースの覚醒』で、キレる若者が神話の英雄の一人を刺し殺して、「スター・ウォーズ」シリーズの主役である「スカイウォーカー家」の最後のジェダイは豆腐メンタルなジジイにされてしまった。

これがスター・ウォーズへの冒涜でなくてなんだろうか。

シリーズすべての語り部だったはずのC-3POR2-D2もただ出てきただけだし。

しかも、カイロ・レンの出現とハン・ソロの死によってエピソード4~6での同盟軍の戦いは無に帰してしまった。多くの兵士たちの死もイウォークたちの犠牲も無意味だったことにされたのだ。

かつての帝国軍よりもはるかに強力な最終兵器(遠く離れたいくつもの星をいっぺんに破壊することが可能)と軍隊を持つファースト・オーダーの台頭は、完全に「ドラゴンボール」的な強さのインフレを起こしている。

フィンにしても、彼は人殺しが嫌でファースト・オーダーを抜けたはずなのに、ひとたび敵になればかつての仲間たちをなんのためらいもなく殺し、ポー・ダメロンと一緒に「ホッホ~!!」と雄叫びを上げてハシャいでいる。

映画の冒頭で仲間の死を描いているのに。

もしもあのクライマックスでフィンがふと顔を曇らせて自分のやっていることに疑問を感じるような描写があれば、より彼のキャラクターに深みが増しただろうに、彼は単なる調子のいい戦闘バカとして描かれている。

せっかくストームトルーパーに人間的な感情を持たせたり黒装束のエモ過ぎるマスク男を出して「悪の相対化」をやってみても、最後がこれまでとまったく同じ「敵を倒してめでたしめでたし」のままでは何も変わっていないどころか、ヒーローたちの勝利にまったく喝采を送れないことでは娯楽作品の出来としてはまるっきり後退している。

要するにこれは、「スター・ウォーズ」と名の付いたまったく無関係なシリーズの始まりなのだ。

この映画を褒めなきゃSWファンにあらず、みたいなこと言って作品を批判する者を責めたてたりしてるのがいるけど、そういうク○バカはスターキラーの熱線で灰になればいい。

あの不甲斐ない“ダース・ベイダーのなり損ない”も、いっそのことあのままスターキラー基地とともに宇宙の塵になればよかったのに。




もう、カイロ・レンじゃなくて大杉漣の方がよっぽど頼りになったんじゃないか?

まぁ、大杉漣だと最後にライトセイバーで自分の腹をかっさばいちゃいそうだけど。

とにかく、今回は悪役があまりにショボ過ぎた。

せっかく出てきた女性の悪役であるキャプテン・ファズマの見事なまでの見かけ倒しっぷり。


この直後にチューバッカに殴られます


せっかく190cmあるという長身もこれでは宝の持ち腐れではないか。

カイロ・レンの師匠という最高指導者スノークとやらもただのブサイクなツラのエイリアンで、旧三部作の銀河皇帝のような凄みは1ミクロンもない。

スノークって、…ムーミンかよっ。スター・ウォーズの悪役には名前に「濁点」が付くんだよ!!

なんであんな「ウルトラセブン」に出てくる自称“宇宙の帝王”バド星人並みのカリスマ性の欠けらもない顔にしたんだろう。「中の人」はあのモーションキャプチャー・マスターのアンディ・サーキスにもかかわらず、恐ろしくもなければカッコ良くもない。


CGよりも中のご本人の方がよっぽど迫力あるじゃねーか


スター・ウォーズというシリーズでは悪役は非常に重要なのに、呆気にとられるほど悪役たちに魅力がないのだ。これは致命的だと思う。

エピソード1~3のダース・モールジャンゴ・フェットドゥークー伯爵グリーヴァス将軍たちはみんなそれぞれキャラが立っててカッコ良かったのに。

驚くべきことに、この最新作を観終わったあとに、僕はこれまでイマイチ、というかハッキリと自ら“アンチ”を表明していたエピソード1~3が「面白い映画」だったように思えてきたのだ。

それぐらい最新作は不満の残る作品だった。

この映画を褒めてる人たちに問いたいんだけど、この映画の敵はカッコ良かったですか?強そうだった?ってゆーか強かったですか?

僕にはとてもそうは思えなかったんだけどな。

カイロ・レンに共感を覚えたり未熟な彼を「カワイイ」と感じる人もいるようだけど、冗談じゃない。

続篇ではダース・モールに生き返ってもらって、ホンモノのライトセイバーさばきでこいつを叩き斬ってほしいよ。

いらないから、ああいう軟弱でヘタレな悪役モドキは。

僕がスター・ウォーズに求めるのは「憧れ」であって、現実の世界のチマチマした“お茶の間ドラマ”ではない。

そもそもスター・ウォーズというのは宇宙を舞台にした勧善懲悪の「冒険活劇」だったのだが、新しい作り手はそのことをすっかり忘れている。

単純に1本の映画としても、エイブラムスの『スーパーエイト』よりも劣ると思う。

『エピソード8』で「驚愕のオチ」でもあってすべてがひっくり返されでもしない限り、JJのしでかしたことに対する僕の怒りは消えないでしょう。

スター・ウォーズの中で「“スター・ウォーズ”という映画について語ってみた」というメタフィクショナルな観点から楽しむことはできるかもしれない。

要するに、これは「スター・ウォーズ」ではなくて「スター・ウォーズをイジってみた映画」なのだ。

もはや、おっさんたちにはスター・ウォーズを無邪気に楽しむのではなく、「スター・ウォーズなるもの」について考える映画を観てさまざまな思いをめぐらすことしかこのシリーズに関わる方法は残っていないのかもしれない。

僕はこの作品を観て戸惑いや怒りののちに、寛容な気持ちになった自分を発見した。

「諦め」と言い換えてもいい。

「俺のスター・ウォーズ」はもうはるか昔に終わったのだ。

今あるのは幻の残骸に過ぎない。

だから絶望して「スター・ウォーズ」から卒業するのもいいし、すべてを受け入れてこれからもシリーズに付き合い続けるのもいい。僕みたいに文句を垂れながらダラダラと観続けるのだってそれは人の自由だ。

人の数だけスター・ウォーズはある。

その人の人生と分かちがたく結びついているのがスター・ウォーズなのだ。

だからそれは他の誰とも違う自分だけのもの。

1本でもそういう大切な映画を持っているのなら、それは幸いなことなのだろう。


さて、「ダークサイド篇」などと称しながら、結局はカイロ・レン並みの尻すぼみな感想に終わってしまいました。

でもハッキリわかったのは、「スター・ウォーズ」はミッキーマウスと同じく永遠に続くシリーズになったということだ。TVアニメのドラえもんサザエさんがけっして終わらないように。

だから僕はその真の結末を観ることはないだろう。

結末はないのだから。

32年前に完結したルークやハン・ソロ、レイア姫たちの冒険物語こそが僕の本当のスターウォーズだった。

そのことを痛烈に思い知らされた作品でした。


レイア姫役のキャリー・フィッシャーさんのご冥福をお祈りいたします。16.12.27



『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』【ダークサイド篇】


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