同じ日に観た2本。実は約1名キャストがカブってたりする。

 

いずれもネタバレがありますので、これからご覧になるかたは鑑賞後にお読みください。

(→フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』の感想はこちら

 

  デッドプール&ウルヴァリン

 

 

ショーン・レヴィ監督、ライアン・レイノルズ、ヒュー・ジャックマン、エマ・コリン、マシュー・マクファディン、ロブ・ディレイニー、アーロン・スタンフォード、タイラー・メイン、モリーナ・バッカリン、ウンミ・モサク、レスリー・アガムズ、ジョン・ファヴローほか出演。R15+。

 

TVA(時間変異取締局)に捕らわれた不死身の“デッドプール”ことウェイド・ウィルソン(ライアン・レイノルズ)は、マルチヴァース(多元宇宙)のキーとなる存在”アンカー”である元X-MENのメンバー“ウルヴァリン”ことローガン(ヒュー・ジャックマン)とともに消滅の危機にある自分の世界を守るために虚無の世界に棲むミュータントのカサンドラ・ノヴァ(エマ・コリン)と対決する。

 

ライアン・レイノルズ主演の「デッドプール」シリーズ第3弾。

 

タイトルにもあるように、これまで台詞の中や顔写真などでデッドプールに散々イジられてきた「X-MEN」シリーズのキャラクターである“ウルヴァリン”ことローガン本人がついに登場。我らがヒーロー、デップーとタッグを組むことに。

 

 

 

前作『デッドプール2』(デヴィッド・リーチ監督)から6年目にして、ようやく完成した最新作。

 

監督は『フリー・ガイ』でもレイノルズと組んだショーン・レヴィ(ネトフリ映画の『アダム&アダム』でも2人は一緒に仕事をしているようだけど、僕は未視聴)。

 

また、レヴィ監督は以前『リアル・スティール』をヒュー・ジャックマン主演で撮っている。

 

さらにこれは20世紀フォックスがディズニーに買収されて20世紀スタジオになってからのシリーズ初の作品で、デップーがついにMCU(マーヴェル・シネマティック・ユニヴァース)に合流。同様にこれまで20世紀フォックスが作ってきた「X-MEN」シリーズもMCUに組み込まれることになった。

 

観た人によっていろいろご意見はあるでしょうが、個人的にはある程度は映画版の「X-MEN」シリーズは押さえておいた方がより楽しめるだろうし、アベンジャーズについても、ソーやキャップ(キャプテン・アメリカ)が誰なのかぐらいはわかってる必要はあるかと。

 

壮大な内輪ウケというか、ファン向けの映画であることは間違いないので。

 

もちろん、このシリーズの前2作の予習は必須ですし。

 

…偉そうなこと言ってるけど、僕は原作のマーヴェル・コミックはまったく読んだことがないし、アメコミ映画をすべてチェックしているわけでもなくて、ディズニープラスには入ってないからトム・ヒドルストン主演の「ロキ」も観ておらずTVA(時間変異取締局)のことは今回初めて知ったし、他にもきっと拾えていないものはいくつもあるでしょうが、自分でも意外だったけど思ってたよりは意味はわかった。

 

一応、映画版の「X-MEN」シリーズはずっと観てきたから。

 

あと、「マッドマックス」ネタはタイムリー過ぎて笑いました。あの姐さんの名前も思いっきり出てくるし(クリス・ヘムズワース繋がりで、あの映画をイジってる意味は一応ある)。だから、ぜひこのタイミングで劇場で観ておくべきですね。

 

逆に、「X-MEN」も「デッドプール」もこれまで観てなくてよく知らない人にとっては結構難易度が高いんじゃないだろうか。別に「観るな」とは言わないけど、いちげんさんにはけっして易しいストーリーじゃないと思います。

 

せっかくなら2000年の『X-メン』や2012年の『アベンジャーズ』あたりは事前に観ておくことをお勧めします(すでに観たことがある人は、あらためて観直さなければなければならないということはないですが)。

 

で、久々のデップーの映画をとても楽しみにしていたし、実際心地よい時間を過ごしもしたのだけれど、先ほども述べたようにこれはずっとアメコミ映画(特に20世紀フォックス作品)を追ってきた人たちへのご褒美みたいな作品なので、お話の中身はというとそんなに大したことはない(;^_^A

 

デップーとウルヴァリンがボコり合う理由もよくわかんないし。甘嚙みみたいな喧嘩を延々やってて。

 

 

やたらとホンダ オデッセイを嫌がるデップーさん

 

だって、一番の見せ場がいろんなデッドプールからなる「デッドプール軍団」との闘いなんだもの。『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』の血飛沫版、みたいな(笑) なんかどっかの仮面ライダーみたいなのもいたし。

 

ちなみに、女体版デップーの“中身”は、ライアン・レイノルズの妻、ブレイク・ライヴリー。わかるかっ^_^;

 

 

 

前作の感想で、今後はウェイドはマスク姿とアボカドみたいな顔と昔の回想シーンの3種類で演じるのかな、と書いたけど、今回は別のヴァースのデッドプール“ナイスプール”が出てきて、長髪で仮面もしてなくて「顔が傷つくから戦わない」とか言ってる(そんで別の“自分”に銃撃戦の盾代わりにされて惨殺される)。

 

かぶってたヅラをひっぺがされて、ちょっとだけ頭頂部に毛が残ってるのがオバQっぽくてw

 

一番笑ったのは、ウルヴァリン役のヒュー・ジャックマンに続いて、キャップ(クリス・エヴァンス)も再登場か?と期待させといて、出てきたのは『ファンタスティック・フォー』(2005) のヒューマン・トーチ/ジョニーだった、というオチ。そっちかいっ、という(ここでボンヤリしてしまう人は無理して観る必要はないですし、この感想も読む必要はないかと)。客席で肩が(笑いで)震えてしまった。

 

「あいつギャラ高過ぎるんだもん」って、いや、中の人一緒ですがなw

 

でも、あのシリーズは2作まで作られたんだから、少なくとも1作目はヒットしたんでしょう。僕も嫌いではなかったなぁ。2作目は観てないけど。

 

エンドクレジットではご丁寧にも、評判悪くて「なかったこと」にされてしまったジョシュ・トランク監督によるリブート版 (2015) も映っていた。

 

それにしても、2017年の『LOGAN/ローガン』でウルヴァリン役は卒業、と自ら宣言していたにもかかわらず、あっちゃり戻ってきたなぁ、ヒュー・ジャックマン。

 

もう俳優の言う「○○を卒業」は信用しないことにしよう。

 

いや、ヒュー・ジャックマンさんの復帰は嬉しかったし、「デッドプール」のシリーズとしてはこれ以上ないほどのオチなわけだから文句なんかないですけどね。

 

そして、冒頭で『LOGAN/ローガン』のラストから始まったようになんとなく期待はしていたんだけど、あの映画でローガンとともに闘い、彼の死を看取ったミュータントの少女・X-23/ローラ(ダフネ・キーン)の再登場には、あぁこんなに成長して、とおじさんは目頭が熱くなったです。あれからもう7年経ったんだもんなぁ(しみじみ)。

 

この映画はデップー/ウェイドが主人公ではあるけれど、相棒として登場したウルヴァリンの物語でもあって、その彼の物語をちゃんと締めくくった、というところであのキャラクターに対する作り手たちの愛を感じましたね。

 

『LOGAN/ローガン』で復活することなく完全に「死んだ」あとに、別の“ヴァース”にいたローガン、ミュータントの仲間たちに助けを求められながらも逃げて彼らの全滅を防げなかったことに負い目を感じ続けてきた彼こそが、実は僕たち観客がこれまでずっとシリーズを通して見てきた“彼”だった──そう思わせるラストでした。

 

初めてX-MENのコスチュームを身につけ、マスクもかぶった“ウルヴァリン”の姿を見せることで、美しく終わった、そして「スーパーヒーロー映画」への批判も込めた厳しい内容でもあった『LOGAN/ローガン』とはまた違う「もう一つの」ウルヴァリンの物語がここに完結したような気がする。ウェイドはその手助けをしたんだよね。

 

人を助ける存在になりたい、と願っていた彼が、9人の大切な友人たちとともにローガンも救った。そこには、映画版「X-MEN」シリーズを観続けてきた者にこそわかる感動がある。

 

エンドクレジットで「X-MEN」シリーズの過去作の撮影風景が映し出されると、20年前だから当然なんだけど、ヒュー・ジャックマンの若々しいこと!!『ウルヴァリン:X-MEN ZERO』の撮影時に笑顔で抱負を語る若き日のライアン・レイノルズの姿も。前作で自分に殺されましたが。

 

懐かしい顔がいっぱい出てきて、あの映像だけでもグッときた。

 

アベンジャーズはアイアンマン(ハッピー・ホーガンも新撮で出てくる)やソー、キャップ、ハルク、ホークアイなどは映ってたけど(スカーレット・ヨハンソン演じるブラック・ウィドウは映ってたかどうか失念)、スパイダーマンは映し出されませんでしたね。なんか事情でもあるんでしょうかね(巨大なアントマンの死体は出てきたが)。

 

その代わりというか、映画の本篇前に『ヴェノム』の最新作の予告が流れてた。え、まだやるの?w…いえ、別にいいけど。

 

劇中のモニターに映っていた、瀕死のデッドプールを抱えながらソーが泣いていた理由は不明のまま(ソーのあの映像は「マイティ・ソー」の2作目から抜き出したものだそうだが。すみません、2作目観てないんで^_^; どっか別のヴァースの話、ってことかしらね)。

 

劇中でのデップーの「もうマルチヴァースやめません?」って台詞に、ここ最近「マルチヴァース疲れ」を起こしているMCUやアメコミ映画界の問題点が集約されてるようで、おかしくも身につまされるというか。この映画自体にもその危うさはだいぶ感じましたが。

 

個人的には、僕は前作『デッドプール2』がシリーズの中では一番好きです。

 

今回は、ウルヴァリン関連のエピソードが感動的だっただけに、主人公であるはずのウェイド/デッドプールの方のお話はなんとなくボヤケてしまったような気も。コロッサス(ステファン・カピチッチ)もネガソニック(ブリアナ・ヒルデブランド)もユキオ(忽那汐里)もドーピンダー(カラン・ソーニ)も出てくるけど、ほぼいるだけだったもんね。ブラインド・アル(レスリー・アガムズ)のコカインネタは健在でしたが。

 

ウェイドと恋人だった(すでに過去形になっている)ヴァネッサ(モリーナ・バッカリン)との物語は、前作で綺麗に完結したはずだったんだよね。「子ども作る」って言ってたし。でも、今回は「中○しできなかった」とか言ってて、別れたことになっている。なんで別れたのかはわからないし、その理由については今回のヴィランであるカサンドラ(エマ・コリン)が超能力でウェイドの頭の中に入り込んで彼の心を搔き乱していた。

 

まぁ、誰だって恋人と別れることはありますし。

 

別れたあともヴァネッサを大切に思っているウェイドが、彼女や友人たちをなんとか消滅の危機から救おうとする。すべてはそこから始まったのだった。ウェイドの誕生パーティでバックにジュース・ニュートンの曲「Angel of the morning」が薄っすらかかっていました。

 

これは「忘れられたスーパーヒーローたち」を救う話でもあって、さっきは笑ってしまったヒューマン・トーチもそうだし、『デアデビル』のヒロインで、単独作品もあったエレクトラ(ジェニファー・ガーナー)や鈴木雅之…じゃなくてブレイド(ウェズリー・スナイプス)、そしてアニメじゃ結構活躍してたのに実写映画版だと扱いが軽かったガンビットなど(それ言ったらサイクロップスだって散々な扱いだったが…)、その顔触れに涙ちょちょぎれそうに…

 

…って、なんでガンビット役がチャニング・テイタムなのか(そして、訛りが凄過ぎてデップーにイジられる)w そこはテイラー・キッチュを出したれよっ。まぁ、チャニング・テイタムは『フリー・ガイ』でもイイ味出してたからねぇ。※追記:どうやらかつてチャニング・テイタム主演でガンビットの単独映画が企画されたんだけど、20世紀フォックスのディズニーによる買収で頓挫した、という経緯があったらしい。

 

デップーがさまざまな世界のいろんなパターンのウルヴァリンに会いにいく場面で、ヘンリー・カヴィルがウルヴァリンを演じているヴァージョンの彼が出てきてデップーが「これこそ完璧なウルヴァリン」みたいに言うんだけどぶっ飛ばされてしまう、というくだりで、以前『マン・オブ・スティール』の感想で主演のカヴィルの胸毛マッチョぶりに「ウルヴァリンかい」みたいなツッコミをしたのを思い出して、自分の感覚が間違ってなかったことを確信した。まぁ、ヘンリー・カヴィルもDCでスーパーマン役をキャンセルされちゃった人ですが。よく出てくれたよなw

 

ラスボスとの対決も、マドンナの歌が奇跡を起こす、というのが、もうテキトー過ぎて^_^;

 

あと、カサンドラが「エンヤのCDで股間をこすってやる」とか言ってて、相変わらずエンヤはオモチャにされてるなぁw

 

プロフェッサーX/チャールズ・エグゼヴィアの妹、という設定のカサンドラは僕はこれまでまったく彼女のことを知らなかったし、映画にも出てこなかったんじゃなかったっけ(ディズニープラスのネットドラマの方で出てたのかな?)。

 

そういう意味で、このヴィランもまた「忘れられた存在」だった、ということ。

 

カサンドラがいた虚無の世界になんでアントマンの死体があったのかわかりませんでしたが、今後描かれたりするんでしょうかね。

 

前作ではミュータントの少年を救ってたように、デッドプールは弱者とか捨てられたり忘れられていく者へのまなざしが優しいな、と思う。けっして強い者に媚びたりしない。だから彼は「無責任ヒーロー」なんかじゃない。誰よりも「守るべきもの」がなんなのか、誰なのかを心得ている。

 

今後も続篇が作られるのかどうか(ディズニーだから作るでしょうな)わかりませんが、これからもずっと追い続けたい。

 

ところで、この映画を観た某ショッピングモール内にあるシネコンでは毎度高校生の男女が恋がどーだとかスカしたような耳障りな台詞を喋ってたり、マイルドヤンキーみたいなのが出てきてしょーもないギャグかましたりする邦画の予告篇が流れまくってて大変不快なので、デップーにはデッドプール軍団の代わりにあの手の映画の登場人物たちをゴールドのデザートイーグルで惨○していただきたいです。

 

 

参考になる考察

https://virtualgorillaplus.com/movie/deadpool-and-wolverine-post-credit/

 

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『ワイルド・スピード/スーパーコンボ』

『グレイテスト・ショーマン』

『レ・ミゼラブル』

 

 

 

  フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン

 

 

グレッグ・バーランティ監督、チャニング・テイタム、スカーレット・ヨハンソン、ウディ・ハレルソン、ジム・ラッシュ(映画監督ヴェスパータイン)、アンナ・ガルシア(ルビー)、ドナルド・エリース・ワトキンズ(ステュ)、ノア・ロビンズ(ドン)、クリスチャン・クレメンソン(ウォルター)、レイ・ロマノ(ヘンリー)ほか出演。

 

1969年、アメリカ。人類初の月面着陸を目指す国家的プロジェクト「アポロ計画」の開始から8年が過ぎ、失敗続きのNASAに対して国民の関心は薄れつつあった。ニクソン大統領の側近モー(ウディ・ハレルソン)は悲惨な状況を打開するべく、PRマーケティングのプロフェッショナルであるケリー(スカーレット・ヨハンソン)をNASAに雇用させる。ケリーは月面着陸に携わるスタッフにそっくりな役者たちをメディアに登場させて偽のイメージ戦略を仕掛けていくが、NASAの発射責任者コール(チャニング・テイタム)はそんな彼女のやり方に反発する。(映画.comより転載)

 

劇場の予告篇で、これはぜひ観たいと思っていたんですが、諸事情により先週観る予定だったのが今週に『デッドプール』の最新作とハシゴすることに。

 

チャニング・テイタムがデップー映画にも出てて笑ってしまった。

 

スカヨハさんもMCU繋がりではあるし(彼女の場合はクリエヴァみたいにカメオでもシリーズに再出演することはなさそうだが)。

 

ただ、てっきりコメディだと思っていたんですが、そしてユーモラスな場面はあるしクライマックスもコミカルな展開ではあるんだけれど、実際には思ってた以上に「実録モノ」っぽい、つまり『アポロ13』とか『ファースト・マン』を彷彿とさせるようなわりと真面目な映画だった。

 

もっとドタバタ調のコメディ版『カプリコン・1』(日本公開1977年)みたいなのを想像してたもんだから。そしたら、なんか全然違っていたんでちょっと戸惑った。

 

劇中で流れる音楽とか、ムードがあってよかったし、スカヨハさんのボンキュッポン!が強調されたカラフルな60年代ファッションも可愛くて(チャニング・テイタムが着ている黄色や青色の薄手のシャツが「スタートレック」の制服っぽくてw)、途中からは普通のドラマなんだ、と思って観てましたが。

 

 

 

 

 

RAYE - Fly Me To The Moon

 

 

あと、YouTubeではみつけられなかったんだけど、「Moon River」も流れていたような。

 

チャニング・テイタムって、サンドラ・ブロックと共演した『ザ・ロストシティ』や先ほどの『フリー・ガイ』で見せてたような、イケメンマッチョなんだけどバカっぽい演技が絶品なので今回もそういう役柄を期待していたんだけど、いつも真面目だからこそのおかしみはあるものの、バカとまでは言えなくて比較的普通の男性の役だった。

 

だけど、シリアスな芝居をすると急に棒っぽい、というか無表情ぶりが目立つんだよね、彼は。けっして大根なんかではないと思うし、むしろ僕は巧い人だと感じていたんだけど、この映画ではそういう大真面目だからこその面白さというのはそんなに出ていなかったような。

 

上映時間も132分あるので、でもそんなにテンポよくポンポンっと話が進んでいくわけでもないから、途中で何度かうとうとしてしまった。

 

お話のエンジンがかかり始めるまでが長いんですよね。もうちょっと縮められたんではないか。

 

だってこれ、まるで「実話の映画化」みたいな作りだけど、この映画自体はフィクションですし、別に現実にあんな月面着陸の映像捏造計画があったわけではない。

 

要するに、昔から言われてきた根拠の乏しい噂をもとにアポロ11号の打ち上げの裏側ではこんなことがあった…ら面白いね、といった具合のホラ話なわけで。

 

ウディ・ハレルソン演じるニクソン大統領の下で働く政府の男・モーを騙すために、映画監督やスタッフ、役者たちを使って月面着陸後の映像を捏造して生中継で全世界に流す“フリ”をする、というあたりでようやく映画が動き出すんだけど(その前の打ち上げのシーンも迫力ありましたが)、シナリオ自体はそんなにコメディというふうではないので、正直、もうちょっと笑える映画がよかったなぁ、と。

 

 

 

でも、この映画がやりたかったのは、実はそういうデマやそれらを無責任に面白がって拡散するような連中を批判することなんじゃないだろうか。

 

多くの人たちがたずさわって10年かけて犠牲者も出してようやく成功させた「偉業」に対して、そんな面白半分にいい加減なことを抜かすんじゃない、という怒り。

 

20年ほど前、僕の友人がアポロ11号の月面着陸は捏造だった、という噂を本気で信じかけているような素振りで熱く語りだしたので、世界中の人々が同時中継で観てたのに、そんなこと不可能だろ、と答えたんだけど、人というのはずいぶんとたやすく騙されるんだな、と思ったのでした。今でも彼があの捏造説を信じているのかどうかは知りませんが。

 

『ファースト・マン』の時だったか、感想にも書いたけど、多くの人々の努力とその成果を「嘘」「捏造」呼ばわりするのは、ほんとに歴史を軽んじる態度だと思う。

 

この映画は、そういう姿勢をいさめているようだった。

 

チャニング・テイタム演じるちょっと堅物で嘘が嫌いなコールを通して、この映画は観客の僕たちに先人たちへの敬意を求めているように感じた。

 

 

 

劇中で、「月に行く前に戦争を終わらせて」というインタヴューの映像も流れる。当時はヴェトナム戦争真っ只中だった。そして、それは現在の世界の姿とも重なる。

 

月へロケットを飛ばすことの意味や意義を、みんな本当に真剣に考えているだろうか。

 

スカーレット・ヨハンソン演じるケリー(本名ウィニー)は、もともとは10代の頃から母親と一緒に詐欺をしていたが、身を守るために男を殺した娘の代わりに母が刑務所に入ることになって以来、一人で詐欺師としてさまざまな仕事にたずさわってきた、という設定。

 

でも、そういう彼女はこの映画の中ではとても勤勉で、「どこが詐欺?」というほど真面目に仕事をしてるんですよね。たとえ、それが最初は人々を騙すことが目的だったとしても。

 

 

 

 

根っこの部分ではコールもケリーも似たように責任感のある人たちなんだろう。

 

この映画は、そういう人たちへの賛歌のように思えた。

 

だから、最初は笑う気満々でいたのにコメディじゃないことに少しがっかりしながらも、観終わったあとは何かイイ映画を観たような気分になりました。

 

僕自身は、地上での問題を据え置いたまま月へ到達するために他国と競争することに本当に意味があるのかどうかはわからない。他に使わなければならない予算があるだろう、とも思う。

 

面白いのは、たとえばリアルな月面着陸の場面が描かれた『ファースト・マン』だって実際にはVFXを使ってるわけだし、つまり僕たち観客が「実話の映画化」作品で観ているのは、この『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』でモーやケリーたちがやってた作り物での撮影と一緒なんですよね。

 

この作り物が溢れた世界に、「本物」は果たしてどれほど存在するのだろうか。

 

そんなことをふと考えさせられました。

 

 

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