ライアン・クーグラー監督、レティーシャ・ライト、テノッチ・ウエルタ・メヒア、ルピタ・ニョンゴ、ダナイ・グリラ、ドミニク・ソーン、アンジェラ・バセット、ウィンストン・デューク、マーティン・フリーマン、レイク・ベル、ミカエラ・コール、メイベル・カデナ、アレックス・リヴィナリ、マリア・メルセデス・コロイ、フローレンス・カサンバほか出演の『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』。

 

音楽はルドウィグ・ゴランソン。主題歌はリアーナ(“Life Me Up”)。

 

ワカンダ王国の王ティ・チャラ(チャドウィック・ボーズマン)の死をきっかけに王国で産出される特殊な鉱物ヴィブラニウムを狙う国が現われ、ラモンダ女王(アンジェラ・バセット)は警戒を強める。海底でアメリカのヴィブラニウムの探知機が破壊されて現地の調査団が何者かに襲われる。兄の死から1年経っていまだ深い喪失感の中にあり自責の念に駆られているシュリ王女(レティーシャ・ライト)は、母ラモンダとともに海の帝国タロカンのリーダー、ネイモア/ククルカン(テノッチ・ウエルタ・メヒア)からヴィブラニウム採掘の阻止と地上人たちへの攻撃の協力を求められる。

 

ブラックパンサー』『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』『RRR』のネタバレがありますのでご注意ください。

 

MCU(マーヴェル・シネマティック・ユニヴァース)第30作目。

 

2018年の『ブラックパンサー』の続篇。時系列的には『アベンジャーズ/エンドゲーム』後が描かれる。

 

『ブラックパンサー』は日本も含めてヒットして評判がよかったし(オスカーの作品賞にもノミネート)、キャストのほとんどや監督をはじめスタッフの多くをアフリカ系が占めるのもアメコミヒーロー映画として画期的な作品でした。

 

その影響は僕なんかが想像するよりもずっと大きかったようで。

 

もっとも、僕は『ブラックパンサー』の1作目の内容についてはかなり微妙な、というかわりと酷評に近い評価をしてしまったし、それは今でもそんなに変わってはいなくて、正直なところ続篇に大きな期待をしていたわけではなかった。

 

それが主人公ブラックパンサー/ティ・チャラ役のチャドウィック・ボーズマンさんが2020年に亡くなって、その後、代役は立てずに続篇が作られるということだったので、「では、誰が主人公になるのか」という興味はあって、それは前作を観ていて設定を知っているからだいたい予想はついてはいましたが、予告篇の第2弾で新しいブラックパンサーの姿を見た時にはググっともってかれるものがあって、これは観よう、と。

 

 

 

この『ワカンダ・フォーエバー』の公開直前に「おさらい」として期間限定で『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』と『ブラックパンサー』が上映されていて、特にブラックパンサーが初登場した(同時にスパイダーマンもMCUに初参加)『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』はお気に入りの1本だったし、できれば前もってこの2本も観ておきたかったんですが、あいにくスケジュールがどうしても合わなくていずれも観られず。

 

 

 

 

以前『ブラックパンサー』がTVの地上波で放映された時も観たけど、それも結構前だから内容を忘れかけてるし、復習しておきたかったのでそこは残念。

 

アフリカの架空の王国ワカンダの国王でのちにアベンジャーズの仲間たちとともに悪の大ボス、サノスと戦ったスーパーヒーロー、ティ・チャラ“ブラックパンサー”(チャドウィック・ボーズマン)が、王位継承権を持つ男キルモンガーことエリック、本名ウンジャダカ(マイケル・B・ジョーダン)に敗れて一時は王位を失うが、やがて再び戦って勝利を得る物語でした。

 

ティ・チャラのことはもちろん、少なくともマイケル・B・ジョーダンが演じたキャラクターのことは知っていないと続篇で登場人物同士の関係がよくわからなくなるので、まだ観ていない人は前作の鑑賞は必須。

 

『ワカンダ・フォーエバー』では、冒頭でティ・チャラは病いの床に臥しており(その姿は映し出されないが)、妹のシュリの願いもかなわず兄は天に召される。

 

まわりの誰にも悟られず病気であることを隠して密かに治療を受けながら仕事を続け、やがて力尽きたチャドウィック・ボーズマンさんの姿がそのまま重なる。

 

本来、主人公であるキャラクターが去るところから物語が始まり、彼を支えるはずだったキャラクターがやがて王国のリーダーと“スーパーヒーロー”の役割を受け継ぐ。

 

僕は原作コミックにはこれまでまったく触れていなくてそちらの知識はないので自分が観た映画についてだけ述べますが、これは誰もが予期していなかった「主人公を演じる俳優の死」をきっかけにそこから発想して紡がれた物語で、非常に異例の企画だし(「ワイルド・スピード」シリーズで主要キャストの一人だったポール・ウォーカーさんのことが思い出されるが、ワイスピでは彼が演じたブライアンはまだ生きている設定。今後もCGなどを使って再登場するのではないかと噂されてもいて、今回の『ワカンダ・フォーエバー』におけるボーズマンさんの扱いとは見事に対照的)、当然ながらご遺族のかたがたの了承を得ているのだろうけれど、実在の人物の死をフィクションの中のキャラクターのそれと重ねて両者を同一視することには危うさもあって、それは人の死を「商品」のように消費することにも繋がるのではないか、という疑問もある。

 

ただ、ボーズマンさんとは親しく、彼の死のショックから映画監督を辞めようとさえ思ったというライアン・クーグラー監督が、そこからすべてを仕切り直して再び撮ることを決意した「ブラックパンサー」の新作には、ひとりの俳優の死を作劇のために利用する以上の故人への鎮魂と追悼の想いが込められているのだろうし(『ワカンダ・フォーエバー』は“我が友”チャドウィック・ボーズマン氏に捧げられている)、いち観客に過ぎない僕もまた、こうやって映画を通じて「チャドウィック・ボーズマン」という俳優をあらためて見送ることができたと言える。

 

偉そうに言ってますが、僕は特にボーズマンさんのファンだったのでも彼の出演作品をすべて観ているわけでもないし、恥ずかしながら彼の遺作も未見。ただ、『42 ~世界を変えた男~』でジャッキー・ロビンソンを、また『ジェームス・ブラウン 最高の魂<ソウル>を持つ男』でJBを演じた人として記憶していて、ブラックパンサー以前から才能のある俳優であることはわかっていたし、だから彼がMCU作品に参加してカリスマ的なスーパーヒーローを演じることを知った時にも大いに興味をそそられたのでした。

 

マーヴェル・ヒーロー以外でもこれからもさまざまな役を演じてくれるのを楽しみにしていたから、その早過ぎる死はとても残念です。亡くなって早2年経ちますが、あらためてご冥福をお祈りいたします。

 

 

 

さて、ボーズマンさんの追悼の意味を込めての鑑賞だったのは確かですが、一方でこの作品を楽しみにしていた大きな理由の一つが、主演がレティーシャ・ライトだったこと。

 

 

 

僕は彼女の出演作品をブラックパンサー及びアベンジャーズ関連作以外ではまだ『ナイル殺人事件』しか観ていませんが、レティーシャ・ライトが女性のスーパーヒーローを主人公にした作品で主演を務めるということにとても大きな可能性を感じたし、国王の妹がそのあとを継ぐという物語の設定上無理がない展開であるだけでなく、レティーシャ・ライト本人もまた大きな責任と期待を負うことになる挑戦で、彼女がブラックパンサーのスーツとマスクをまとって登場した瞬間こそが僕にとってこの映画でもっともアガった場面でした。

 

 

 

痩身で手足の長い彼女はパンサーというよりキャットっぽくて、昔ミシェル・ファイファーが『バットマン リターンズ』で演じたキャットウーマンを思い出した。

 

『シビル・ウォー』の時のように素早い動物的な動きで敵と戦う姿が描かれていたのが嬉しかった。

 

レティーシャ・ライト演じるシュリ=新生ブラックパンサーは、孤高のスーパーヒーローというよりも、これまでずっとともに戦ってきた国王親衛隊“ドーラ・ミラージュ”のオコエ隊長(ダナイ・グリラ)や新しく出会ったMIT(マサチューセッツ工科大学)の学生でシュリと同じく天才的な科学者リリ(ドミニク・ソーン)、兄の元恋人ナキア(ルピタ・ニョンゴ)らと協力し合って問題の解決にあたっていく。

 

「シスターフッド」の物語でもあるんですね。

 

 

ドーラ・ミラージュの隊員、アネカ(ミカエラ・コール)とアヨ(フローレンス・カサンバ)の同性愛を示唆するシーンは一部の国ではカットされたのだとか

 

そこに「今」を感じるし、ティ・チャラが過去作ですでに克服した「復讐心に打ち勝つ」ことをシュリも経験することで、似たようなテーマを扱っていても同じことの繰り返しにはならずにまるで浜辺の波が重なり合うように物語がより深く沁み込んでくる。

 

ティ・チャラのキャラは前作『ブラックパンサー』の最後で完成していたから、より若いシュリはまだ成長の余地があるし、兄とはまた違ったキャラクターの発展性もあるでしょう。

 

正直なところ、シュリが「世界を燃やしたい」と口にした時には、あれ?そんなキャラだったっけ、と思ったけど。

 

兄を救えなかったことへの悔いと、世界への怒りは無関係じゃないか?

 

アメリカの黒人差別に憎しみを燃やして復讐を企んでいたウンジャダカ/エリック・キルモンガーとシュリの間に通じるものがある、というのが少々ピンとこなかった。

 

シュリは自分の一族の伝統や霊的・呪術的な技には距離を置いていて、そこはアメリカで育って現代的な価値観を身につけていたウンジャダカと共通する部分はあったかもしれないが、「復讐心に打ち勝つ」というメッセージを伝えるためにシュリの性格が若干都合よく変えられてる印象がなくもなかった。

 

兄だけでなく母ラモンダの命までも今度は新たな敵タロカンの王ネイモアに奪われてしまう、というのは苛酷過ぎるし(両親と兄すべてを失って、シュリは本作品でついに完全に独りきりになる)、そうやって困難を与えてお話を盛り上げようとするテクニックに感じられなくもなかったけれど、それでもラモンダが水中でリリを助けて犠牲となるように、人生の手本となる母の行為は明らかにシュリに何かを残しただろうし、作品が伝えようとしていることはよくわかる。

 

 

 

 

ラモンダの命を奪って世界に戦いを挑もうとするタロカンの長・ネイモア/ククルカンもまた単なる「悪」ではなく、メソアメリカ、マヤやアステカ文明の血を引く者で、西洋の白人たちの侵略によって国や民族、その文化を滅ぼされたことで地上人への恨みを募らせ、彼らの海底の国への地上人の進出をきっかけに戦争を決意する(この辺、「ウルトラセブン」の「ノンマルトの使者」を思わせますが)。

 

 

 

 

 

タロカン(民族名なのか国名なのか首都名なのかよくわからないが)は、やはり現実の世界の歴史では白人たちによって侵略・支配、人々を奴隷化、資源を掠奪されたアフリカで唯一その被害を受けなかった国という設定のワカンダと近い立場で、だからこそネイモアは最初はワカンダと同盟を組むことを望んでいた。

 

タロカンの背景が描かれたことで、この『ワカンダ・フォーエバー』は“正義のヒーロー”が“ヴィラン(悪役)”を倒して万歳、な昔ながらのアメコミ・スーパーヒーロー物にはならないだろうことが予感される。

 

僕は前作『ブラックパンサー』に勧善懲悪のヒーロー物のカタルシスがないことへの不満を述べましたが、そういうことでは今回の続篇もまたわかりやすい形での善と悪の戦いは描かれないし、敵を倒してスッキリ、というような決着もつかない。

 

クーグラー監督はそもそも「勧善懲悪のヒーロー物」を作る気がないことがよくわかったし、彼は「アメコミ・スーパーヒーロー物」というフォーマットを用いてより現実の世界の問題を反映した映画を撮ろうとしているんでしょう。

 

少し前に観たインド映画『RRR』はイギリスに支配されたインドを舞台に実在した活動家がモデルの主人公二人が非道なイギリス人のインド総督夫妻と彼らが率いる軍隊と戦う話で、『ワカンダ・フォーエバー』とは対照的に勧善懲悪を徹底させた娯楽作でした。

 

 

あの映画もほぼ3時間ある大長篇で、アクション映画としては『ワカンダ~』よりも『RRR』の方が僕ははるかに面白かったですが、一方ではああやって敵を「悪」として単純化して最後にぶっ殺して万歳、で終わってていいんだろうか、という疑問は拭えない。

 

欧米列強による侵略やイギリスのインド支配が批判され反省されなければならないのは疑いようがないですが、武器を取って敵と戦うことこそが正義、というような結論は少なくとも今の時代に相応しくない気がする(『RRR』では、非暴力を説いたガンディーの存在が無視されてもいる)。

 

現在もウクライナとロシアの戦争が続いていて、軍事大国による隣国への一方的な侵攻・侵略が正当化されるはずもないのだけれど、ではウクライナが正義でロシアが悪だから倒せばいいのかというとそんな単純は話ではなくて、ウクライナの国内でも問題はあるしロシア人が全員悪人なわけでもない。

 

ウクライナ軍によるロシア軍に協力した市民への報復などが懸念されていたりもする。ウクライナ・ロシア間だけでなく、その問題は中東など世界のさまざまなところに存在する。

 

『ワカンダ・フォーエバー』で描かれていたのは、まさにその報復・復讐への戒めだった。

 

単に「正論」を振りかざすのではなく、将来の平和の存続を願っての自制。怒りを相手への暴力で晴らすのはなくて、矛を収めることで争いを収束させる。

 

1作目でティ・チャラがウンジャダカに示したように、シュリもまた母を殺したネイモアの命を奪うことをやめてタロカンと手を結ぶ。

 

差別や迫害、侵略や支配を受けた者たち同士が手を取り合い、真の敵に立ち向かう。

 

 

 

真の敵、とは、この映画でのアメリカやフランスといった特定の国のことではなくて、“ヴィブラニウム”が象徴する富や軍事力を他国に先んじて手に入れるためならどんな汚い手でも使う彼らの、その卑劣さのこと。

 

シュリ=ブラックパンサーは復讐ではなく、共生を選ぶ。

 

正しい選択をする者こそが本物の英雄=ヒーローである、ということ。

 

上映時間は161分でなかなかヴォリュームがありますが、長さは感じなかった。

 

そして、同じ長尺のアクション映画である『RRR』との内容のこの違いが面白い。

 

全篇シリアスなムードが続くけど、オコエの私服が大学の構内では目立ち過ぎとか、新登場で明るく陽気なリリ/アイアンハート(あいにく僕は記憶にありませんが、演じるドミニク・ソーンは『ビール・ストリートの恋人たち』にも出演していたのだそうで)がコメディリリーフを務めていたりで飽きさせない。

 

 

 

 

 

足首に小さな羽根が生えていて、まるでエンゼル体操のムキムキマンみたいな格好で空を跳ねるように飛ぶネイモアはマイティ・ソーやDCのワンダーウーマン以上に神話の中の住人っぽいし、前作もそうだったようにワカンダやタロカンといった超科学力によるSFやファンタジー風の世界が舞台なので頭を物語に馴染ませるのがなかなか難しくて、しかもナイトシーンが結構多いから暗過ぎてよく見えなかったりもする。おまけに今回は海底都市の場面もあるし。

 

 

 

以前から気になっていたんですが、どうもここ何年かのVFXを駆使したアクション系やアメコミヒーロー映画でやたらと夜のシーンが暗くないですかね?『ザ・バットマン』なんてほとんど全篇影絵みたいだったし。

 

IMAXやドルビーシネマならクッキリ見えるのかもしれないけど、通常のシネコンのスクリーンでは何が映ってるんだかディテールがてんで見えないことが多くてストレスが溜まる。観客に対してすごく不親切だと思う。

 

VFXのバレを誤魔化すためなのかなんなのか知らないけど、こんなんだったら昔の映画みたいに昼間に疑似夜景で撮るか、思いっきりブルーのライト焚いて明るめに写してほしい。

 

ある時期のハリウッド映画って、夜間の室内や屋外のシーンで灯りがついてないはずなのにやたらと明るくて画面がブルーがかってて嘘臭かったたけど、今のように暗過ぎて見えないよりはマシでしょう。

 

あと、観ていて気になった点として、タロカンは母親が人間であるネイモア以外はみんな肌の色が青っぽいんだけど、場面によって肌がネイモアのように人間と同じ色になってるように見えてて、ちょっと混乱した。なんで肌の色が変わるの?

 

 

 

タロカンの女性キャラたちの判別がつきづらくて(マスクをしてるせいもあるが)、ネイモアと一緒に闘ってたナモーラ(メイベル・カデナ)と、ナキアに殺された女性を同一人物だと勘違いしてしまった。あの辺、結構紛らわしかったと思う。

 

深海の水圧に耐えるためにシュリはあんなデカい潜水服を着なきゃいけなかったのに、そのあと彼女を助けにきたナキアは薄いスーツ着てるだけなのにあっという間にタロカンの首都にたどり着けちゃうのも「??」だった。ヴィブラニウム製なら物凄い水圧にも耐えられちゃうのか?

 

確かタロカンたちはアメリカの調査団を襲った時に銃で撃たれても平気だったし、橋の上での闘いの時にはオコエに槍で刺されても死ななかったのはなんでですか?

 

タロカンはヴィブラニウムを持ってるからそれを使ったのかと思ったけど、彼らの格好は肌が露出してるし。そのわりにはナキアに撃たれた女性は死んでいて、彼らの肉体的な強さの程度がいまいちよくわからなかった。

 

それはネイモアも同様で、肌が乾燥したら弱る、ってんで爆弾の爆発であっけなく負けてたのも、「マイティ・ソーに匹敵するほどの強さ」などという設定にまったく説得力がなかった。

 

最大の疑問として、ネイモアとの1対1の闘いでブラックパンサーは腹を槍で貫かれたのに死ななくて、次の場面では身体に傷さえついていなかったこと。

 

…だからなんで?(;^_^A

 

俺、なんか重要な場面を観逃したんだろうか。

 

タロカンは戦いでワカンダの軍勢を圧倒していたのに、ネイモアがブラックパンサーに降参したら全軍が負けを認めちゃうのも…そんなことあるか?って。

 

ちょこちょことそういう「…んん?」と引っかかるところがあったんですが、ライアン・クーグラー監督がアメコミヒーローを用いて描こうとしたものがなんだったのかはわかったから楽しめたし、『RRR』と比較してみても興味深かった。

 

『RRR』のわかりやすい敵は、「極悪非道なイギリス人総督とその妻」というキャラ(彼らにインド人の少女がさらわれて監禁される、というのも)に侵略や掠奪・搾取などの現実の「悪」を象徴させていたんだ、と僕は解釈することにしました。復讐心に代わるものとしての“ダンス”もあったし。

 

一方この『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』は、主人公と敵対する者たちもまた現実の歴史の中で国を滅ぼされたり虐殺されてきた存在であることを示すことで、国や民族同士の争いがけっしてわかりやすい「善と悪」で説明できないことを語っている。

 

まぁ、だったらワカンダだって王政を廃止して国民の選挙で国の代表を選ぶべきだけどな。現実の世界を見渡せば、一族が君臨して民を統治している国なんてろくなもんじゃないでしょ。

 

だからそこはディズニーのプリンセス・アニメと同じくファンタジーなんだけど、現実には歴史の中で存在しなかった架空の国の姿から現実の世界を見つめてみる、というのは面白い試みだし、やはり現実にはなかった「もしも」の世界を描いてみせた『RRR』と併せて観ることで、単体だけで観る以上の面白さを感じられたのでした。

 

そういえば、タロカンは「ミュータント」だと劇中で台詞があったけど、これは「X-MEN」のMCUへの参入の布石だったりするんでしょうかね?

 

ミッドクレジットで、ナキアはシュリにティ・チャラとの間の幼い息子トゥーサンを紹介する。

 

トゥーサンの本名は亡き父から受け継いだ“ティ・チャラ”で、彼はシュリに「僕はティ・チャラ王子だ」と言う。

 

それを聞いたシュリの表情から彼女が何を思ったのかはわからない。

 

王位継承の争いに息子を巻き込まないためにナキアにワカンダから距離を置くようにと伝えたティ・チャラは、トゥーサンがワカンダに戻ることを果たして望んでいただろうか。…望まないから遠ざけたんだろう。

 

“ティ・チャラ”という名前は希望や理想の象徴で、それが次に受け継がれたんだと思いたいし、シュリはけっしてティ・チャラの息子が父のあとを継ぐまでの「つなぎ」ではなく、これからも彼女こそが“ブラックパンサー”として活躍し続けるのだと僕は信じたい。

 

 

 

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