今月、劇場で観た新作映画は3本。旧作が2本。

 

 

ゴジラvsコング

 

 

ブラック・ウィドウ

 

 

プロミシング・ヤング・ウーマン

 

今年の第93回アカデミー賞脚本賞受賞作品。

夜な夜な酒場で酔い潰れている、あるひとりの女性の狙いは何か。

現在の日本でもたびたび俎上に載せられる、「レイプの被害者の“落ち度”」問題。

レイプの被害者が泥酔していたら加害者の罪はなくなるのか。被害者が派手な化粧や服装をしていたら、レイプされてもしかたないのか。

 

言うまでもないが、そんなわけはない。しかし、現実にはしばしば被害者の“落ち度”が取り沙汰され、加害者は罪を問われないまま犯罪は揉み消される。

主演のキャリー・マリガンの何かすべてを見透かしたような“目”に宿る絶望と怒り、そして憐れみ。それはまさに復讐の天使のまなざし。

キック・アス』のレッド・ミストやサム・ライミ版「スパイダーマン」のドック・オクが“あんな役”であえて出演。クライマックスで流れるジュース・ニュートンの唄う「Angel of the Morning」は『デッドプール』でも使われていたけれど、主人公キャシーはまるでアメコミの女性ヒーローか、もしくは女性ヴィラン(悪役)そのもの(キャシーの本名“カサンドラ”はギリシャ神話に由来する)。

 

 

脚本賞を獲ったシナリオは見事だったが、あのラストに喝采を送るよりも虚しさを感じずにいられないのは、この映画に登場するどんな“クズ”たちよりも現実にはもっと酷い人間がいることを僕たちはすでに知っているからだ。

そして、キャシーが懲らしめているのは、彼ら自身が言ってるように普段は「悪い奴じゃない」、「普通」に暮らしていて働いたり結婚したり子どもをつくったりしている、その辺にいる奴ら…僕らと変わらない者たちだということ。

キャシーが突きつけてくるもの、彼女が問いただしているのは、僕たち自身の姿勢、生き方だ。お前も奴らと同類か、それとも違うのか、どっちだ、と。

フランシス・マクドーマンド主演の『スリー・ビルボード』でも語られていたように、“傍観者”は共犯者なのである。

 

 

 

旧作

2001年宇宙の旅』(午前十時の映画祭)

 

シャイニング 北米公開版〈デジタル・リマスター版〉』(午前十時の映画祭)

 

スタンリー・キューブリック監督、ジャック・ニコルソン主演の1980年の『シャイニング』の北米公開版(143分)。

これまで見慣れてきた国際版からこまごまとシーンが増えている。

この映画の出来に原作者であるスティーヴン・キングは不満なようだけど、超能力の要素を削ったことでかえって主人公による妻や息子へのドメスティック・ヴァイオレンスが浮き彫りになっていて、むしろ現在観る意味がより明瞭になっているように感じた。

特にニコルソン演じるジャック・トランスの妻ウェンディに対する「お前のせいで仕事がはかどらないんだ」という責任転嫁と八つ当たりは、どう見てもモラル・ハラスメント。

撮影現場でもキューブリックはウェンディ役のシェリー・デュヴァルを精神的に追いつめてあの演技を引き出したのだそうだから罪深い。今なら通用しない。

幼い息子ダニー役のダニー・ロイドは、ほんとに名演技でしたね。

 

 

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