ジェームズ・マンゴールド監督、ヒュー・ジャックマン、パトリック・ステュワート、ダフネ・キーン、ボイド・ホルブルック、スティーヴン・マーチャント、リチャード・E・グラント出演の『LOGAN/ローガン』。R15+。

 

2029年、ミュータントの多くは命を落とし、生き残ったローガン(=ウルヴァリン)はテキサス州でリムジンの運転手をして日銭を稼ぎながらメキシコ国境近くの廃工場でミュータントのキャリバンとともに病いのチャールズ・エグゼヴィア(=プロフェッサーX)の世話をしていた。元看護師の女性からローラという少女をカナダ国境近くの「エデン」という場所へ連れていってほしい、と頼まれたローガンは、チャールズとローラとともに旅に出る。

 

「X-MEN」シリーズのカギ爪男“ウルヴァリン”ことローガンを主人公にしたスピンオフ作品の第3弾にして完結篇。

 

これまで17年間ウルヴァリンを演じてきたヒュー・ジャックマンのシリーズからの“卒業”作品でもある。

 

監督は2013年公開の第2弾『ウルヴァリン:SAMURAI』に続いてジェームズ・マンゴールドが担当。

 

『SAMURAI』は先日TVの地上波で初放映されましたが、感想にも書いたようになかなかの珍作ぶりで、好きな人がいたら申し訳ありませんがお世辞にも傑作とは言いがたかった。X-MENの全シリーズ中でももっとも評価が低く、映画自体も当たらなかった。

 

ハリウッドの名監督でも日本を舞台にするとあんなトンチキな映画を撮ってしまうというのがほんとにショックだったし、日本というのは今でも海外からはゲテモノやキワモノ扱いなんだな、と溜息が。

 

まずお断わりしておくと、今回の『ローガン』は『SAMURAI』とは似ても似つかない至極まっとうなアクション映画であり、ロードムーヴィーになっています。

 

 

 

なので、『SAMURAI』を観て「なんだこりゃ」となって「これの続篇なら観なくていいや」と思ってしまうと非常にもったいないので(むしろ『SAMURAI』の方が観なくていい作品)、ぜひ『X-メン』と『ウルヴァリン:X-MEN ZERO』で予習したあとにご覧いただければ、と。

 

この『ローガン』単独だけでもストーリーは理解できますが、ローガンの過去やこれまでのX-MENの一員としての活躍、プロフェッサーXことチャールズとの関係などを知っていた方がより感動も深まると思いますので。

 

こうやって早速お薦めしているように、僕はこの作品かなり好きですね。

 

マンゴールド監督が前作でつけたミソは、この続篇でチャラになって充分お釣りがくるほど。

 

では、これ以降はストーリーの中身について書きますので、未見のかた、これから鑑賞予定のかたは映画をご覧になってからお読みください。

 

 

ヒュー・ジャックマンが近いうちにウルヴァリンを“卒業”する、という話はかなり以前、すでに『SAMURAI』の頃から聞いていたんですが、あれから4年、ついにその時が来たか、と。

 

一応、X-MENシリーズは第1作の『X-メン』から観ているので、やっぱり感慨深いしとても名残り惜しい。

 

だって、ウルヴァリンはヒュー・ジャックマン以外に考えられないから。

 

「ウルヴァリン」というアメコミヒーロー自体はこれで永遠に封印されるわけではないだろうから、いずれ誰か別の俳優さんに引き継がれるんだろうけれど、今はとにかく17年間という長きに渡ってこのキャラクターを演じてきたヒュー・ジャックマンさんに「本当にお疲れ様でした」と伝えたいです。

 

X-MENというシリーズは必ずしも時系列順に作品が作られていなくて、毎度舞台になる時代が結構飛ぶんで続けて観ていないとわかりづらいんですが、ウルヴァリンというのは「不老不死」のキャラなので基本年を取らないことになっていて、だからどの作品でも彼だけは外見がほとんど変わらないし、他のキャラクターは作品ごとに演じている俳優も違う人になったりするんだけどウルヴァリンを演じてきたのはただ一人、ヒュー・ジャックマンだけ。

 

それだけでもかなり特別なキャラクターだし、こうやってウルヴァリン単体でシリーズが作られているように、映画版「X-MEN」のメンバーの中ではほぼ主役級と言ってもいいぐらい(『ファースト・ジェネレーション』と『アポカリプス』ではゲスト出演的なポジションだったが)。

 

そのウルヴァリンが最後を飾るこの作品は、ちょっと涙なくしては観られませんでした。

 

今回、老いないはずのウルヴァリンことローガンは、白髪混じりになった頭で登場する。

 

彼の体内に埋め込まれた金属アダマンチウムによって身体が蝕まれて傷の回復力も落ち、かつてのような俊敏さや獰猛さも発揮できなくなっている。

 

また、今ではローガンがミュータントのキャリバン(スティーヴン・マーチャント)と交替で介護しているチャールズも年老いてアルツハイマー病を患い、薬がなければ正気を保てない状態にある。テレパスである彼はその超能力を制御できなくなっている。

 

チャールズがかつて開いていた学校「恵まれし子らの学園」もすでになく、教え子たちも今はいない。

 

これまでのX-MENのシリーズではミュータントというのは“マイノリティ”を象徴していたが、この映画では「若さ」そのもののことでもあるように思えた。

 

老いないはずのローガンは傷つき人間のように年を取って若さを失いつつある。もはや自らの身体を自由に動かせず、ウルヴァリンたちの介助が必要なチャールズは人間の老人そのものだ。

 

彼らと対比されるのが、ダフネ・キーン演じる少女ローラ。

 

彼女は遺伝子研究所で他の多くの子どもたちとともに兵器用に育成されたミュータントで、ウルヴァリンと同様に手からアダマンチウムの刃を出す。

 

“X-23”ことローラはローガンの遺伝子から作られていた。つまり彼女はローガンの娘である。

 

かつてのローガンのように攻撃的で、腕を機械に改造した傭兵部隊リーヴァーズの屈強な男たちを次々と切り刻み刺し殺していく。

 

リーヴァーズのリーダー、ピアースによって殺されてしまった元看護師の女性ガブリエラの願いどおり、ローラを連れてチャールズとともに3人で「エデン」へ向かうローガン。

 

それはさながら親子3代が旅をするロードムーヴィーといった風情。

 

チャールズ、ローガン、ローラの疑似家族による新たなる「生」を求める旅は、結果的に老いゆく者の「死出の旅」になる。

 

この映画は近未来を舞台にした「西部劇」ともいえて、男たちの首が飛び手足が切断され血しぶきが舞う殺戮場面の合間にどこかユーモラスなやりとりが挟まれる。

 

追っ手が迫る中で帽子をかぶってお洒落をするチャールズがなんともカワイイ。

 

途中で助けた農場主一家の家に招かれ、ベッドで休むチャールズは柔和な笑顔でローガンに「これこそが家族だ。よく味わっておけ」と言う。

 

そして、多くの人々を犠牲にしてきたその生涯を悔い「私にはもったいない」と涙する。

 

かつて「最強のテレパス」と言われた彼の涙に、「X-MEN」シリーズのこれまでの様々な場面が甦ってきて胸が熱くなった。

 

しかしそのチャールズは、ローガンが農場主とともに家から離れてならず者たちを相手にしている間に、追っ手が放ったローガンのクローンで彼ソックリな外見のミュータント“X-24”によって農場主一家とともに殺されてしまう。

 

プロフェッサーXのあまりにあっけない最期に、僕はこれまでちょっと感じたことのない哀しみに襲われたのでした。

 

X-MENのシリーズはこれからも続くだろうし、今後もプロフェッサーは登場するかもしれないけれど(やはりヒュー・ジャックマン同様に17年間チャールズを演じてきたパトリック・ステュワートも本作品がシリーズ最後の出演)、この『ローガン』はアメコミヒーロー映画の「最終回」でもあるのだ、と思った。

 

けっして死なないはずの、仮に死んでもまた生き返ったりするような世界観のアメコミヒーローが、ここで確実に「死ぬ」ということ。

 

僕はそこに、この映画の作り手たちのメッセージを感じます。

 

これはスーパーヒーローの贖罪の旅を描いた映画でもあるのだ。

 

チャールズが流した後悔の涙。

 

そして、ホテルの部屋でチャールズとローラが観ていた西部劇『シェーン』の台詞。

 

「一度人を殺した者は元には戻れない」その罪を永遠に背負って生きていくのだ。

 

これは『シェーン』という映画史に残る名作へのオマージュであると同時に、悪人をぶっ殺しまくって最後には笑顔でバーベキューしている某アクション映画シリーズへの皮肉に聴こえるほどで、すべてのヒーローアクション映画に対する辛らつな言葉だ。

 

チャールズを失い、ローラと二人でさらに旅を続けたローガンは、ノースダコタ州の「エデン」、すなわち遺伝子研究所から逃げおおせた子どもたちのいる場所に着く。

 

ドローンで子どもたちの居場所を突き止めたピアースら傭兵たちは国境を越えようとする子どもたちを追い、彼らを助けるローガンにX-24をぶつける。

 

遺伝子研究所のザンダー・ライス博士(リチャード・E・グラント)に操られるローガンの若い頃の姿をした追跡者X-24は、まさしく野獣だった頃のローガンである。

 

年老いたローガンは若い頃の自分の分身と戦う。劇中に「X-MEN」のコミックブックが登場して重要な役割を果たしたりそれについてローガンが言及するのと同様に、これもまた実にメタ的なシーンだ。

 

経験を積み、より人間らしさを増したローガンはもはやただの凶暴なミュータントではない。

 

無敵に見えるX-24がけっして持っていないものを彼は手に入れている。

 

それが愛だろう。そして大切な人々を失ってきた喪失感。

 

孤独と、チャールズと同じく心に残る後悔の念。

 

僕は、この映画の中でローガンがすべてのスーパーヒーローたちの罪を背負っているかのように感じたのでした。おそらくそれは監督のジェームズ・マンゴールドも意識していただろうと思う。

 

スーパーヒーローたちの手は血にまみれている。

 

それでも「お母さんに伝えるんだ、もう大丈夫だと。この谷には銃はなくなった」と言って去っていくシェーンがそうだったように、ヒーローだから残せる言葉がある。守るべき者たちのために戦い、去っていく者は美しい。

 

ローガンにとっての旅の終わりは、まるで呪いのように永遠に続くかのようだった「アメコミスーパーヒーロー」の呪縛からの解放だった。

 

かつてX-MENの一員だった男は最後に人間のように息を引き取り、ローラと子どもたちの手で葬られ大地に還る。

 

ローガンの墓に立つ、木の枝で作った十字架を斜めに傾けて「X」の文字にするローラ。

 

ローラ役のダフネ・キーンは、その気迫溢れる顔つきと華奢な身体つきのギャップがなかなか激しくて、またずっと口をきかなかったのが終盤で喋ると予想外に幼い声だったのが驚きでした。

 

台詞を喋らずに顔の演技だけで感情を表現する様子は、未来の名女優を予感させました。

 

たとえば、廃工場でリーヴァーズたちが彼女の前に現われた時の、コーンフレークを食べながら見せる不敵な顔。特に大きな目と眉の動き。明らかにかつてのローガン=ヒュー・ジャックマンの表情を参考にしてますよね。

 

そんでまた、彼女が演じるローラが敵には容赦ないんだ^_^;

 

 

 

 

 

どこまでをダフネちゃんが演じててどこからがスタントダブルなのかわからないほどで、しばしばこの映画のローラは『キック・アス』のヒット・ガールに例えられるけど、ほんとにそのとおりだと思う。

 

彼女の暴れっぷりがこの映画をシリーズ初のR指定に押し上げているw

 

何しろぶった斬った敵の首っ玉持ってきて転がすし、大の男たちを切り刻み、韓国映画並みにグサグサグサグサッ!と滅多刺し。

 

もう、デッドプールさんが裸で逃げ出しそうなほどの残酷描写。

 

後ろの赤いのは出てきませんw

 

彼女の雄姿を観るためにもう一度映画館に足を運びたいぐらい。

 

ローガンはローラの獰猛さにかつての自分の姿を見て、やがて彼女とともに残された力を振り絞って戦う。

 

“父”と“娘”の共闘。その姿にもグッときました。

 

VFXの裏側 【ネタバレ注意】

 

 

若さを失い死にゆく男が、自分の“遺伝子”を受け継ぐ者を助け、また助けられながら自らの最後の使命を果たす。それは新しき命たちを明日に受け渡すこと。

 

ウルヴァリンのあとを継ぐ者が女性のキャラクターであることにも、何かとても大きな意味があるように思えます。

 

ローラを追う傭兵部隊のリーダー、ピアース役のボイド・ホルブルックはイケメンでマッチョだけどいい感じのやさぐれ感があって、僕は観ていませんがNetflixのドラマ『ナルコス』にも出ていて、アクション映画でのこれからのさらなる活躍に期待です。

 

 

 

彼が演じるピアースはしつこくローラを追ってきて、ローガンを終始見下し最後まで彼の手によっては倒されないんだけど、力を合わせた子どもたちによって命を絶たれる。

 

この映画で描かれている遺伝子研究所の子どもたちの姿は、現実の世の中で大人たちから搾取され、命を奪われる子どもたちを連想させる。

 

ウルヴァリン=ローガンが最後に手助けするのがもっとも弱い立場の“子どもたち”であることは、本当に重要だろう。

 

また、あの子どもたちはミュータントとして生まれて数奇な人生を送ってきたローガン自身とも重なる。彼らは人間に利用され用無しになればモノのように“廃棄”される運命にあった。

 

研究所でライス博士は、看護師に「彼らを子どもだと思うな」と告げていた。

 

これは、そんな虐げられた者たちの戦いの物語だ。

 

そしてそれはX-MENのシリーズが常に描き続けてきたテーマでもあった。

 

これは数あるヒーロー物の中でも記憶される特別な1本だといえるし、様々なジャンルを横断する「アメリカ」についての映画でもある。

 

排外主義がはびこり、メキシコなど海外の人々への差別を隠そうとしない大統領がいる国で、今こういう映画が作られる意味をじっくり考えたい。

 

そしてヒュー・ジャックマンさん、17年間本当にお疲れ様でした。

 

さようならウルヴァリン。今までどうもありがとう。※追記:その後、復活!w

 

 

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