マイケル・グレイシー監督、ヒュー・ジャックマン、ザック・エフロン、ミシェル・ウィリアムズ、ゼンデイヤ、レベッカ・ファーガソン、キアラ・セトル、オースティン・ジョンソン、キャメロン・シェリー、サム・ハンフリー、エリス・ルビン、スカイラー・ダン、ヤーヤ・アブドゥル=マティーン2世、エリック・アンダーソン、ポール・スパークス、フレドリック・レーン出演の『グレイテスト・ショーマン』。2017年作品。

 

 

19世紀半ばのアメリカ。仕立て屋の息子フィニアス・テイラー・バーナム(ヒュー・ジャックマン)は、金持ちの家の娘で子どもの頃から親しかったチャリティ(ミシェル・ウィリアムズ)とニューヨークで結婚し2人の娘たちをもうけるが、会社の倒産で失業する。銀行から金を借りて「バーナムのアメリカ博物館」を開くものの、人々からそっぽを向かれて閑古鳥が鳴く。娘の「剥製ではなく生きているものを」という言葉からヒントを得たバーナムは、街の「ユニークな人々」を集めて彼らの芸を見世物にすることに。その「地上最大のショー」は評判となるが、新聞で「低俗で下品」と酷評されてしまう。

 

ストーリーのネタバレがあります。

 

 

IMAX2D字幕版を鑑賞。

 

初めて予告篇を目にした時から、これは絶対に劇場で観たいと思っていました。

 

ヒュー・ジャックマン主演のミュージカル映画といえばすぐに『レ・ミゼラブル』が思い浮かびますが、主人公が貧しい生活からの「成り上がり」であるところなどもちょっと似てますね。

 

 

あれから5年。久しぶりにヒュー・ジャックマンの歌声が聴けました。

 

 

 

“レミゼ”ではジャックマンは踊らなかったけど、この『グレイテスト~』では軽やかにダンスをしてみせる。長身の彼が踊ると『X-MEN』のウルヴァリンで見せていたアクション場面とはまた違った迫力がある(ちなみに、『LOGAN/ローガン』の監督ジェームズ・マンゴールドが本作品の製作総指揮を務めている)。

 

去年のちょうど同じぐらいの時期に『ラ・ラ・ランド』が公開されて話題になったし(『ラ・ラ・ランド』が“ミュージカル映画”かどうかは意見が分かれるところかもしれませんが、一応ミュージカルシーンはあるので)、それから『美女と野獣』もあったしどちらも好きな作品ですが、結論を先に言っちゃうと僕はあの2本をさらに上回るぐらいこの映画にハマりましたね。よかった!!1回目を観終わったあとにすぐ次の回のチケット買ってました。

 

楽曲は『ラ・ラ・ランド』で作詞を担当したベンジ・パセックとジャスティン・ポール。共同脚本は『美女と野獣』の監督ビル・コンドン。才能が結集してますね。

 

ヒュー・ジャックマンが演じる主人公のP・T・バーナムは実在の人物で、実際にサーカスを設立した興行師。

 

ただし映画では彼の人生はかなり脚色されているので、映画を観終わったあとにWikipediaでその実人生と比べてみると違いがなかなか面白いです。

 

どっかの本かなんかで読んだ記憶があるんだけど、確かバーナムは『キング・コング』の主人公カール・デナムのモデルなんじゃなかったっけ(違ってたらゴメンナサイ)。おそらくご本人はギャンブル好きの山師的な人物だったのではないかと。果たして映画の彼ほど純粋で善良だったかどうか(ニセモノの巨人の化石を見世物にしたり、相当胡散臭い人物だったようで)^_^;

 

劇中でも「ペテン王子」と名乗ったりもするが、ヒュー・ジャックマンが演じることでバーナムからはそういう胡散臭さよりもひたすら「無数の夢に懸ける熱い男」という印象の方を強く受ける。

 

というか、この映画ではそのように名声や人々からの喝采を求めずにはいられない人物のメンタリティを、彼がそれまで生きてきた苛酷な環境によって積もり積もった劣等感、ルサンチマン、満たされない状態が原因、と解釈している。

 

このあたりも『レ・ミゼラブル』で主人公の影的な存在だったジャヴェール警部(ラッセル・クロウ)のキャラクターと通じるものがある。

 

レベッカ・ファーガソン演じるスウェーデン人の歌姫ジェニー・リンド(彼女もまた実在の歌手)も、婚外子だったために疎まれて育ったという設定。愛されなかったという思いが、のちに愛を求めて彷徨い続けることに繋がる。

 

 

 

ジェニーがバーナムに「懸けた」のは彼女が求めてやまない「愛」だったが、すでに彼女自身が唄う歌(“NEVER ENOUGH”)の歌詞によって彼女が求めるものはけっして手に入らない、あるいは何を得ても彼女はけっして満ち足りることができないことを予感させる。

 

バーナムとジェニーは似た者同士として描かれているんですね。まぁ、実際の二人の間には映画のようなロマンティックな関係はなかったようですが。

 

バーナムとのアメリカ公演を途中で降りて以降、ジェニーは映画の中から姿を消すが、あのあと彼女がどうなったのか気になる。

 

劇中で唄うジェニーはセリーヌ・ディオンやアデルをイメージして描かれているそうで、確かにオペラ歌手という設定だけど唄ってるのはオペラじゃなくていかにもセリーヌ・ディオンが唄いそうな感じの歌。19世紀が舞台なんだけどまるで現代と繋がってるように見える。

 

レベッカ・ファーガソンは『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』で戦うヒロインを演じてましたが(今年公開の最新作にも出演するようで)、あの映画ではオペラハウスで敵と戦ってたのが今回は唄ってるというのがw もっとも歌は吹き替え(歌:ローレン・オルレッド)だそうですが。

 

バーナムの妻チャリティ役のミシェル・ウィリアムズ、空中ブランコ乗りのアン役のゼンデイヤ、そして髭の歌姫レティ役のキアラ・セトルと、それぞれに見せ場がしっかりとある。

 

マンチェスター・バイ・ザ・シー』ではツラい役だったミシェル・ウィリアムズは今回は笑顔の多い役で救われるけど、夢を追いかけてともすると家族を置いてけぼりにしがちな夫を愛しながら時折不安げな表情を見せるところなど、その確かな受けの演技が作品を支えていた。

 

 

 

もう一人の主人公ともいえるフィリップ役のザック・エフロンも、僕は彼の出演作はこれまでに人前でキャンタマ晒してた『ネイバーズ2』しか観たことがなかったので^_^; バカ演技を一切封印して一途なイケメンに徹してるのが新鮮でした。結構ミュージカルやってる人だったのね。

 

ちょっとハスキーな歌声がセクシー♪

 

バーナムがフィリップをクドく場面のヒュー・ジャックマンとエフロンのデュエットはちょっと萌え要素あるよね。

 

 

 

フィリップはビジネス・パートナーになったのに、いつの間にかバーナムからサーカスのメンバーたちの世話を丸投げされてるのがなんだか可笑しいですが。

 

フィリップは上流階級の出なのでいろんなところにコネがあるし、バーナムが求める社交界に取り入る方法を提供してるわけだけど、次第にバーナムと立場が逆になっていく。

 

フィリップとアンの恋はバーナムとチャリティの夫婦の描写と対になっていて、普段恋愛ドラマにまるっきり興味のない僕でもかなりもってかれました。ロープを使ったミュージカルシーンはほんとに綺麗で胸がキュ~ンとなってしまった。

 

 

 

 

 

 

肌の色や社会的地位、身分の違いによる恋の障害って古典的ではあるけれど、今それらに妙なリアリティを感じてしまうのは、現実のこの社会が不寛容で差別に満ちているからでしょうか。

 

ミュージカルって人の感情を劇的に描くので、普通のラヴストーリーなら「どーでもええわ」と思ってしまいそうな男女(男女以外でも)の気持ちの交感が不純物を取り除いた状態でダイレクトに伝わってきて、僕は通常のドラマよりも入り込みやすいんです。

 

ゼンデイヤは『スパイダーマン:ホームカミング』ではすっぴんに近くて飾り気のない地味系女子を演じていたので、この『グレイテスト~』での恋したりカモシカのような長い足で空中で回転するヒロインはギャップがあって大いに魅了されました。

 

本職の歌手だけど俳優としてもずっとやってるから、屈辱を感じた時の曇った顔やふと見せる笑顔、涙を流しながら唄うところなど表情の変化で見せる演技が本当に素晴らしかった。あと、『スパイダーマン』の時にはわかんなかったけど、結構背が高いのね(180cm)。出演者はみんな素敵だったけど、僕はこの映画では特にゼンデイヤが一番強く印象に残りました。

 

『スパイダーマン』でもそうだったように、ゼンデイヤはマイノリティという立場のヒロイン役に説得力と魅力をもたらしてますね。彼女の主演映画を観たい。

 

僕はこの映画、登場人物たちの描写が見事だと思ったんですよね。

 

『レ・ミゼラブル』がそうだったようにミュージカル映画で登場人物を一人ひとり丁寧に描写してると結構な長時間になりがちだけど、この映画は105分というタイトな上映時間で主要キャラクターたちにとって必要な場面が手際よく入れられていて、ストーリーに起伏もあるしクド過ぎず物足りなさも感じない。とてもバランスよく構成されてると思いました。

 

僕が2回続けて観てもしんどくなかったのも、この短めの上映時間と観やすい構成のおかげ。

 

舞台劇の映画化ではなくて、完全なオリジナルのシナリオだそうで。今度舞台化されるみたいですが。

 

 

この映画のいくつもの感動的なシーンの中でもとりわけ涙が出そうになるのは、レティとユニークな仲間たちがバーナムに上流階級の人間たちがいる部屋から閉め出されたあとにサーカスで唄い踊る場面。

 

レティさんは髭よりもド迫力のおっぱいと二の腕に目がいってしまうんですが

 

コスチュームを身につけた彼らの姿が僕にはアメコミヒーローたちのように見えたんです。『ウォッチメン』で描かれていたスーパーヒーローたちの出で立ちにソックリだったから。

 

アメコミヒーローのコスチューム・デザインのルーツって、きっと寄席や大道芸の人々なんだろうし。

 

ニックネームをつけたり、彼らを差別する街の住人たちと戦う時に軽業を駆使したり、それぞれの得意技を使ってたのもいかにもだった。彼らは歌の通り「戦士」なのだ。

 

レティが唄う「言葉の刃で傷つけるなら、洪水を起こして溺れさせる」という歌詞。

 

 

 

この「洪水」というのはなんのことだろうか。溢れる涙か。それとも観客たちから湧き上がる拍手と歓声のことだろうか。

 

アンのことを侮辱するフィリップの両親やサーカスの団員たちを蔑みの目で見つめる上流社会の者たち、サーカスに押しかけて彼らを罵り排斥しようとする街のならず者たち(放火する直前に客席の中に入り込んでいたということは、わざわざ金を払って文句言いにきたんだろうか。彼らの姿には明らかに現代の差別主義者たちが重ねられている)。

 

私たちを傷つける者たちを、私たちがこの世界で堂々と生きていくことで見返してやる、ということ。

 

まるで奇面組みたいな異能の持ち主であるサーカスの面々は個性豊かだけど、彼らはずっと世間の片隅で生きてきた。バーナムは無意識にか、そういう虐げられている人々への共感があったんでしょう。

 

少年時代に『レ・ミゼラブル』のジャン・ヴァルジャンのようにパンを盗もうとしてあえなく捕まってしまった彼に優しくリンゴを差し出した、顔に障害を持つ女性のことを忘れずにいたのだ。

 

自分は社会のはぐれ者だ、という意識。

 

ヒュー・ジャックマンにはアウトサイダーというイメージがないから(ウルヴァリンはまさにそういう存在だったわけですが)、バーナムが銀行でたまたま見かけた小人症の青年チャールズ・ストラットン(サム・ハンフリー)を誘ってサーカス団を作ろうとする展開が唐突に感じられもするんだけど、そこは「ミュージカル補正」で美化されてるってことでw

 

 

サーカスというと思い出す映画が何本かありますが(チャップリンの『サーカス』や『ライムライト』など)、ティム・バートン監督の『バットマン リターンズ』ではそのサーカス団が悪役として描かれていた。

 

両手の指に障害があったために金持ちの両親に捨てられたオズワルド・コブルポット(ダニー・デヴィート)は、“ペンギン”と呼ばれてサーカス団とともに地下に潜伏する。

 

そして自分を捨てたゴッサム・シティ(『グレイテスト・ショーマン』の舞台となるニューヨークがモデル)の住人たちに復讐しようとする。

 

ペンギンは『グレイテスト・ショーマン』のP・T・バーナムの“ネガ”なんですよね。

 

バーナムという成功者は、シルクハットを被った怪人ペンギンが夢見た自らの姿なんじゃないか。

 

そういえば、『レ・ミゼラブル』で名前を替えたジャン・ヴァルジャンは市長になっていたっけ。ペンギンもゴッサムの市長を目指していた(実在のP・T・バーナムもその後、故郷であるコネティカット州の最大の街ブリッジポートの市長を務めている)。

 

チビ・デブ・ハゲという三拍子揃ったダニー・デヴィートと190cm近い長身のダンディなヒュー・ジャックマンは、もう見事なまでに対照的だ。バーナムには彼を愛し続ける妻チャリティと2人の子どもたちもいる。

 

ペンギンは街の名士になり損ねてバットマンに倒される。

 

バーナムは上流階級の人間たちと同じ目線で仲間たちを見下し無視して彼らの信頼を裏切り、そして財産も失った。

 

ジェニー・リンドのことも「出し物」として扱ったバーナムは、自分とショーだけを愛して「人を大切にしなかった」。

 

しかし、独りぼっちになったバーナムを励まし救ったのは、彼が見捨てかけたサーカスのみんなだった。

 

彼らに居場所を、“家族”を与えたバーナムが、今度は彼らに後押しされて失いかけていた家族を取り戻す(バレエを踊るお姉ちゃんの舞台で“木の役”を演じている妹ちゃんが可愛い)。

 

 

 

過ちとそこからの復活。

 

『バットマン リターンズ』は悲劇だったが、『グレイテスト・ショーマン』では最後に人々は自分の帰る場所を得る。

 

バットマンと同じアメコミヒーローであるウルヴァリンを“卒業”したヒュー・ジャックマンから、映画の最後に若きフィリップに手渡されたステッキ。

 

「君に譲るよ。Show must go on.(幕は開いてるぞ)」

 

『LOGAN/ローガン』に涙したあとだから、彼の言葉がいっそう深い意味を持って胸に迫ってくる。

 

みんながそれぞれに愛する家族のもとへ。かつて少年フィニアスが夢見たものはそこにあった。

 

「もっとも崇高な芸術は、人を幸せにすることです」 ── P・T・バーナム

 

いつも暗い顔をしている演劇評論家のベネット(ポール・スパークス)に、バーナムは「最近腹を抱えて笑いました?」と尋ねる。

 

バーナムのベネットに対する辛辣な物言いは、クリエイターや表現者たちの評論家に対する皮肉に聞こえる。

 

ベネットがバーナムたちのショーを批評で「バカ騒ぎ(circus)」と表現したことから、それを気に入ったバーナムは自ら「サーカス」と称するようになる。

 

「バカ騒ぎ」で上等。人を楽しませられるなら。

 

この映画の中で、何度も「偽物」という表現が使われる。バレエやオペラは「本物」の芸術で、サーカスは「偽物」だと。

 

今現在、サーカスのことを偽物などと言う人はいないように、たとえ「ピーナッツ(成り上がり)」だって“本物”になれるのだ。「映画」だってそう。

 

また、「ユニークな人々」であるサーカスの団員たちは上流階級の人間や街の無法者たちから「本物の人間」扱いされない。

 

チャリティの金持ちの父親(フレドリック・レーン)が「所詮、仕立て屋の息子だな」と最後までバーナムのことを認めなかったように。

 

貧しい家庭の出身だったり、外見が他の人と異なっていたり、社会の不適合者だと思われている人々を「偽物」呼ばわりする者たちに、「これが私」と力強く告げること。

 

先ほどの評論家ベネットは「私は嫌いだったが」と前置きしつつも、バーナムが作ったさまざまな人々が集い多様性溢れるサーカスを「人類の祝祭」と呼んだ。

 

マイノリティたちの魂の叫びを描くこの映画には“今”が宿っている。大勢の人たちに観てもらいたいです。

 

 

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