デミアン・チャゼル監督、エマ・ストーン、ライアン・ゴズリング、ジョン・レジェンド、J・K・シモンズ出演の『ラ・ラ・ランド』。2016年作品。

 

第89回アカデミー賞の主演女優賞、監督賞、撮影賞、美術賞、作曲賞、歌曲賞受賞。

 

 

ロサンゼルス。女優を目指してコーヒーショップでアルバイトをしながらオーディションを受け続けるミアとジャズの店を持つことを夢見るピアニストのセブは何度も偶然の出会いを重ね、やがて恋に落ちる。“スターの街”で生きる“夢追い人”たちの姿を通して描かれる、エンターテイナー、芸術家たちへの賛歌。

 

セッション』のデミアン・チャゼル監督の最新作。

 

去年に映画評論家の町山智浩さんの解説を聴いて、興味を持っていました。

 

僕はミュージカルにはまったく詳しくないんですが、それでもごくわずかだけどこれまでに何本かの往年のミュージカル映画は観ていて、最近(といっても、もう4年ぐらい前ですが)も『レ・ミゼラブル』に感動したクチだし、『アナと雪の女王』のようなディズニーのミュージカルアニメも好きだから、これはぜひ観てみたいな、と。

 

しかも監督が『セッション』で話題になったデミアン・チャゼルだし、出演がエマ・ストーンとライアン・ゴズリングなのも、そういうジャンルにピッタリの配役な気がして、どんな映画に仕上がっているんだろう、とずっと楽しみにしていました。

 

前作『セッション』は絶賛している人がいる一方で「ジャズへの愛がない」と批判されたりもして町山さんもプロのジャズミュージシャンのかたと議論されていましたが、僕はジャズにも音楽全般にも疎いんで、あれをモラルハラスメントについての映画として観ました。物語の展開上、胸糞悪くもなるんだけど、出演者たちの熱演に見入ったし見応えがあった。

 

で、今回もまたライアン・ゴズリング演じるセバスチャン(セブ)はジャズピアニストという設定で、監督は劇中で彼にジャズについていろいろと語らせている。

 

 

 

 

ジャズの現状に危機感を持っている、ということでは、セブは『セッション』でJ・K・シモンズが演じたフレッチャー先生とちょっと似ているところもある。

 

それについても詳しい人たちは言いたいこともあるのでしょうが、その分野についてはやはり僕はよくわからないので、昔のものにこだわってる人、というぐらいの認識で観ていました。

 

チャゼル監督は現在32歳だけど、ジャズに限らず扱ってる作品が明らかに古いんですよね。

 

セブは“サッチモ”ことルイ・アームストロングについてミアの前で熱っぽく語るし、ミアの方も彼女が語る映画(『カサブランカ』など)はやはりあの年齢ぐらいの女性にしては趣味が渋すぎる。セブとミアが映画館で観るのもジェームス・ディーン主演の『理由なき反抗』だし。

 

無論、ミアが古い映画に詳しいのにはちゃんと理由があるんだけど。

 

若いのに古い映画やミュージシャンについてやたら詳しくてそれらを愛好している人っているけど、デミアン・チャゼル監督にもそういうニオイを感じる。

 

 

 

チャゼル監督のジャズやミュージカル映画についての理解度、愛着度については疑問を持つ人もいるようだし、そういう人たちがチャゼル監督の映画に小賢しさやいけ好かなさを感じるらしいのもなんとなく理解できなくはないんですが。

 

論争勃発!『ラ・ラ・ランド』チャゼル監督はなぜいつもジャズファンから嫌われる? 前作では菊地成孔と町山智浩バトルも

 

そして菊地成孔さんは今回も相変わらず容赦ない大酷評w

菊地成孔の『ラ・ラ・ランド』評:世界中を敵に回す覚悟で平然と言うが、こんなもん全然大したことないね

 

 

『セッション』『ラ・ラ・ランド』と2作続けてオスカーにかかわったことにも、こういうものを描いていたらアカデミー賞会員にウケがいいんじゃないか、という計算を見てとるのかもしれない。

 

ただ、じゃあ『ラ・ラ・ランド』はジャズや古いミュージカル映画についての知識がないと楽しめないのかといったらそういうわけではなくて、ジャズについてまったく知識がない僕でも『セッション』を楽しめたように(あるいは知識がないからこそ楽しめた、ということかもしれませんが)、監督自身の趣味を反映させながらも、語られているのはそういう限られたジャンルを越えた普遍的なこと。

 

『セッション』では主人公が音楽学校で鬼教師にしごかれながらジャズの演奏技術を磨く過程をスポ根物のように描いたが、『ラ・ラ・ランド』では映画の都ハリウッドのあるL.A.を舞台に画家や詩人、役者などの芸術家やその卵たちへのリスペクト溢れる物語が描かれる。

 

といっても、それは互いの夢を追う一組のカップルのとても小さな話。

 

アカデミー賞関連作品で話題になってるからシネコンで大々的に公開されているけれど、そもそもこれはとてもささやかな映画だし、中には「たいして面白くなかった」というかたもいらっしゃるでしょう。

 

いろんな評価があっていいと思いますけどね。『セッション』もそうだったんだし。

 

僕は好きですよ、この映画。

 

肯定的な意見も

『ラ・ラ・ランド』を、擁護してみる

 

 

そういえば、ミアのルームメイトたちの中に『エクス・マキナ』で日本人女性を演じていたソノヤ・ミズノ(黄色のドレス)がいて踊ってましたね。さすが本職はダンサー。

 

 

 

今回はちゃんと台詞がありましたw

 

この映画を観て、あらためてエマ・ストーンって「目がデカいなぁ」って思った。

 

 

 

ちょっと引きで見ると普通に目鼻立ちのハッキリした綺麗な女性なんだけど、正面のどアップになると目のデカさが一層際立つ。

 

テッド2』ではアマンダ・セイフライドが「目がゴラム」とからかわれていたけど、エマ・ストーンはまるでティム・バートンの『ビッグ・アイズ』に出てくる目がデカすぎる女の人みたい。そして木の実ナナに似ている。

 

明らかに顔の大きさに対して目の大きさのバランスがおかしいというか^_^;

 

他にも誰かに似てるなぁ、とずっと思っていたんだけど、『マトリックス』のエージェント・スミスだったw

 

似てる?w

 

 

…こうやって延々と顔で遊べるぐらい、エマ・ストーンの目にはインパクトがある。

 

ところで、興味を持たれてこれから観てみようかと考えてらっしゃるかたがたにまずお伝えしておくと、この映画は登場人物たちが全篇唄いっぱなし、ということはなくて物語のところどころで唄うシーンがちょっとある、という構成なので、予告篇を観て想像するようなL.A.の名所で大勢が大乱舞しながら唄うミュージカル巨篇、ではないです。

 

フレッチャー先生が「ファスター!ファッキン・テンポー!!」と怒鳴りながら狂ったように唄って踊りまくったりもしないw

 

予告篇ではJ・K・シモンズがあたかも主要登場人物の一人のように見えるけど、彼の登場シーンはほぼあれだけだし。

 

だから賑やかでハイテンションなダンス映画を期待してしまうと肩透かしを喰らうでしょう。

 

と言っても、ビョークが主演した『ダンサー・イン・ザ・ダーク』のように、ド~ン、と落ち込むような重くて暗い話でもない。

 

そもそも歌やダンスシーンはそんなに多くない。

 

実際、“ミュージカル映画”としては物足りないのも確かだし。

 

僕は他の部分で楽しめたから別に気にならなかったけど、期待していたようなミュージカルではなかったことに不満を持たれたかたは結構いらっしゃるようで。

 

僕は、デミアン・チャゼルへの風当たりって、作風は異なるけどちょっとクリストファー・ノーランへのそれを思い浮かべるんですよね。

 

二人とも支持するファンは多いけど、一方で「そこまで傑作か?」と揶揄されたり、過去の名作へのオマージュみたいなのについて逆に底の浅さを指摘されたり、一部の人たちに冷笑気味に扱われるところなんかが似てるなぁ、と。

 

そして、僕のチャゼル監督作品との距離感って、ノーランの作品に対するスタンスに近いものがある。

 

絶賛はしないけど、でも嫌いじゃない、っていう。見応えはしっかりあるので。

 

だから「この映画が物凄く好きで擁護したい」というほど入れ込んでいるわけではないですが、それでも僕は『セッション』に続いてこの『ラ・ラ・ランド』にも満足感がありました。

 

観終わって会場の外に出ると、前を歩いていた年配のご夫婦が二人で手をとりあって軽くダンスのステップを踏み始めた。きっと社交ダンスをされているんでしょうね。

 

楽しそうに映画の感想を述べあっているお二人の後ろ姿になんだかとてもいい気分になって、それだけでもつくづく映画館で観てよかったなぁ、って思った。

 

こういうのはやっぱり劇場で映画を観る醍醐味ですね。

 

それでは、これ以降物語の内容について書いていきますので、これからご覧になるかたは鑑賞後にお読みください。

 

 

冒頭で高速道路を使って撮影されたダンスシーンはなかなか圧巻。

 

 

 

この映画はフィルムで撮影されているために細かくチラつく粒子と滲んだような色合いがどこかノスタルジックで、最近はクリアなデジタル映像を見慣れてるんでちょっと新鮮な感じ。

 

ミアやセブの部屋の中とかL.A.の街並み、夜景などでもこのフィルムの質感は効果を発揮していて、最新の映画なのにどこか昔の映画のような雰囲気がある。

 

夕陽が沈んでいって徐々に紫色に変化していく空とネオンで染まる街。

 

その中でエマ・ストーンとライアン・ゴズリングが踊る。

 

 

 

 

僕は普段、美男美女が恋に落ちてどーたらこーたら、みたいなラヴストーリーには興味がなくてほとんど観ないんですが、それでもこの映画はつくづくエマ・ストーンとライアン・ゴズリングの二人でもってるなぁ、と思いました。

 

 

 

 

どちらか片方でも別の俳優だったらこのケミストリーは起こってなかったでしょう。

 

カップルがイチャつく映画なんていつもなら御免こうむるとこだけど、彼らが演じる恋人たちを眺めているのはちっとも退屈じゃなかった。

 

グリフィス天文台のシーンなんか観ると、思わずプラネタリウムでデートしたくなっちゃう。

 

 

 

当初、主人公カップルにはチャゼル監督の前作『セッション』で主役を務めたマイルズ・テラー、そして「ハリー・ポッター」シリーズのハーマイオニー役でお馴染みのエマ・ワトソンがオファーされたんだけど、二人とも出演を辞退したので現在のキャスティングになったんだそうで。

 

マイルズ・テラーは『セッション』では熱演していたし、おそらく彼が演じていたらゴズリングよりももっとリアルな人物像になっていただろうけど、セブのキャラクターは甘いマスクのライアン・ゴズリングだからこそ成り立っていたんだと思うし(ミアの「そこのジョージ・マイケル!」という台詞も彼だから許されるんだろうし)、セブが姉から「まともな仕事につきなさい」と言われて「俺はまだ本気出してないだけ」みたいなこと言ってるのも、マイルズ・テラーだとほんとのダメ男みたいで可笑しさよりも痛々しさの方が勝ってしまった気がする。

 

ライアン・ゴズリングがちょいダメな感じの演技をしてると、妙なギャップがあってそれだけで面白いんだよね。楽器を演奏している姿も踊ってる姿も何やってても絵になるから、セブ役は彼で正解だったと思う。

 

ミアにしても、美人だけどどちらかといえば生真面目な印象の強いエマ・ワトソンよりも、どこかユーモラスでいい意味でアニメ(カートゥーン)キャラっぽいエマ・ストーンの方が役柄的には相応しかったんじゃないかな。

 

マイルズ・テラーと同様にエマ・ワトソンがミアを演じていたらもっとほんとにいる女性っぽかっただろうけど、大きな目を見開いたりマンガのようにクルクル変わるエマ・ストーンの表情はミュージカルという「いきなり唄って踊る」ようなジャンルとも相性がよくて、夢のために頑張っているヒロインのキャラクターを際立たせていた。

 

まぁ、エマ・ワトソンがこの役を断わったのはディズニーの実写版『美女と野獣』の撮影を優先したからで、来月には彼女が演じるベルをスクリーンで観ることができますから(『美女と野獣』にはソノヤ・ミズノもダンサーとして出演している)。

 

もっとも、こちらはかつてのアニメ版のようなミュージカル仕立てなのかどうかはわかりませんが(実写版の『シンデレラ』がそうだったように登場人物が唄わない可能性もある→追記:しっかり唄ってました♪(^o^))。

 

 

舞台のミュージカルの場合と違って映画では顔のアップを映せるので、切々と唄い上げるエマ・ストーンの表情をしっかりと見ることができる。

 

実家から呼ばれてむかったオーディション会場でミアが唄う「Audition (The Fools Who Dream)」には、『レ・ミゼラブル』でのアン・ハサウェイの独唱の時のような胸に迫るものがありました。

 

オーディション会場で、ミアは審査員から「自分のことを何か話して」と言われる。

 

オーディションって、こういうムチャ振りも時にされたりするのだろうか。

 

手渡された台本を読むのではなく、自分の言葉で話す。

 

これも、ミアがついに手にしたモノについて描いているのだろうと思う。

 

そして彼女はパリに住んでいた“おば”のことを語り始め、やがてそれは“スター”を夢見て努力している自分や多くの“夢追い人”についての歌に変わっていく。

 

 

 

どうか乾杯を 夢追い人に

たとえ愚かに見えても

うか乾杯を 心の痛みに

どうか乾杯を 厄介な私たちに

 

夢追い人たちの姿は、会社勤めや商売で日々を堅実に生きている人々には滑稽だったり愚かしく思えるかもしれない。イソップ童話の「アリとキリギリス」でいえば彼らはキリギリスだ。

 

でもどうか温かく見守ってほしい。

 

彼らの姿は時に人々を励まし勇気づけてもくれるのだから。夢を成し遂げた者たちは、さらに多くの人々に夢を与える。

 

彼らの存在自体が夢を紡ぐのだ。

 

これは“アーティスト”たちへの賛歌でもある。

 

ちょっと、以前観たアニメ映画『くまのアーネストおじさんとセレスティーヌ』を思いだしました。

 

あの映画は、世の中から無益な存在として疎んじられている画家や大道芸人などの“アーティスト”たちは、差別や偏見からも自由になれる、ということを語っていた。

 

スターは人々の憧れになり、多くの“夢追い人”を新たに生みだす。

 

そうして世の中は活気と希望に満ちていく。

 

ミアに果たしてシナリオライターの才能があったのかどうかはわからないし、数少ない観客からも「大根だな」と嘲笑われてしまうような彼女の演技をどうして専門家だけが高く評価できたのかもよくわからないのだけれど(劇中でミアの芝居を映せないのは、一般の客にはわからないのにミアの才能が見出される芝居というのが具体的にどういうものなのか、形にできないからでしょう)、それでも自分で戯曲を書き小屋を借りて一人芝居をした彼女の行動力こそがあのチャンスを生み出したのだし、だからこれは世界中の夢を追って努力している人たちへの応援歌でもある。

 

ミアのように夢のために現在頑張っている、あるいはかつて頑張っていた人にはグッとくる話じゃないだろうか。

 

あの独唱シーンが見られただけでも、僕は元を取ったなぁ、と思いましたよ。

 

映画のラスト近くで以前自分が働いていたコーヒーショップに立ち寄って注文し、「サーヴィスです」と無料で提供しようとする店員に笑顔でお金を払って、店内の客たちの熱い視線を浴びながら颯爽と出ていくミアは、まさしく現在ハリウッドスターの一人であるエマ・ストーンその人になっている。

 

そして、きっとそんなスクリーンの中の彼女に憧れて女優を目指す若き女性たちも出てくるだろう。

 

この映画ではミアがセブと別れた直後にあっという間に何年もの月日が流れて、次の場面では彼女はもう女優として売れてハリウッドスターになっている。

 

以前『イン・ザ・ヒーロー』という邦画を観た時に登場人物の一人がハリウッドスターになるという描写があって、そのあまりのリアリティのなさにゲンナリしたんだけど、エマ・ストーンなら説得力抜群ではある。本物だからw

 

同様に、セブが努力の末に自分のジャズの店を持つ過程はまったく描かれない。

 

そこに物語としての弱さを感じる人もいるのでしょう。

 

ただ僕はこれを、何かを掴むためには別の何かを諦めなければならない時がある、ということを言っていると思ったから、ヒロインたちが一足飛びに夢を掴んでしまったことにはさほど不自然さやつまらなさを感じませんでした。

 

むしろ、欲しいものはすべて手に入れて唄って踊ってハッピーエンド!ヘ(゚∀゚*)ノみたいなノーテンキなラストじゃなくてほんとによかったと思った。

 

ラストに、これまでのミアとセブの物語が最高に美化して映し出される。

 

何もかもがうまくいき、ミアの一人芝居では満席の客席が湧く。二人は結ばれて幸せな家庭を。

 

 

 

想い出は美しく。

 

これはちょうど『この世界の片隅に』の「過ぎた事、選ばんかった道」のように、もしかしたらそうだったかもしれない「覚めた夢」、実現しなかった“可能性”だ。

 

そして僕たち観客が銀幕の中に観ているものもまた、「夢」。

 

エマ・ストーンの“夢追い人”の独唱と同じように、人によってはこれは若手監督が頭だけで考えた、感傷的で陳腐なエンディングと映るかもしれない。

 

でもたとえそうだとしても、僕にはその消えていった甘い夢がとても美しく感じられたのです。

 

「いきなり唄って踊る」わざとらしい世界である“ミュージカル”という手法を取り入れて、エマ・ストーンとライアン・ゴズリングという現在ハリウッドでもっとも売れているスターたちが演じてみせた、夢見て生きる男女を描いた「夢」。

 

この『ラ・ラ・ランド』に不満や物足りなさを感じた人は、デヴィッド・リンチ監督の『マルホランド・ドライブ』を続けてご覧になったらいかがでしょうか。

 

『マルホランド・ドライブ』(2001) 出演:ナオミ・ワッツ ローラ・エレナ・ハリング ジャスティン・セロー

 

 

ちょうどいい感じでバランスが取れるんじゃないですかねw

 

『マルホランド・ドライブ』はヒロインが見たハリウッドの甘い夢が反転して暗闇の世界に引きずり込まれる恐怖譚だったけれど、“ミュージカル”というのはハリウッド映画でももっとも人工的な世界で、そこで繰り広げられる明るく賑やかな歌とダンスの饗宴の裏には多くの挫折や哀しみが渦巻いている。

 

観客はそれを感じ取るからこそ、単純で底抜けに明るいミュージカルの中にけっしてそうじゃない自分たちの人生を重ね合わせるんじゃないだろうか。

 

ミュージカルはそもそも“フェイク”だ。本物じゃない。

 

そんなミュージカルにも「本物のミュージカル」と「偽物のミュージカル」みたいな評価の違いがあるのが面白いが、“本物”に憧れつつもどこか偽物の中に自分を見出してしまうような僕は、ミアやセブがスクリーンの中で掴みとった彼らの「夢」さえもが、どこかおぼろな幻のようにも思えたのでした。

 

 

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