監督:バンジャマン・レネール 、ステファン・オビエ 、ヴァンサン・パタールによるフランスのアニメーション映画『くまのアーネストおじさんとセレスティーヌ』。2012年作品。
原作はベルギーのガブリエル・ヴァンサンによる絵本。
日本語吹替版で鑑賞。
吹替版の声の出演は玉野井直樹、宇山玲加ほか。
子ネズミのセレスティーヌは、他の子ネズミたちと地下にあるネズミの町の孤児院で暮らしている。彼女たちは将来医者になるためにネズミの命である「歯」をたくさん集めている。ある日、セレスティーヌはマンホールをつたって地上の熊たちが住む町へ行く。そこで腹ペコの熊アーネストと出会うが、ネズミと熊たちは互いに忌み嫌いあっていて、けっして一緒に住むことなどできないと考えられている。そのためにセレスティーヌとアーネストはともに追われる身となる。
第86回アカデミー賞長編アニメーション賞ノミネート。
この年のアカデミー賞にはスタジオジブリの『風立ちぬ』がノミネートされていて、日本ではそれが受賞できるかどうかが注目されていました。
結局、オスカーを勝ち獲ったのはディズニーの『アナと雪の女王』。
僕は同じくノミネートされていたこのフランス製のアニメ映画の存在すら知りませんでした。
それが、先日観たイギリスのクレイアニメ映画『ひつじのショーン』の上映前に予告篇が流れて、一目見て「あぁ、これは観たいな」と思って。アカデミー賞ノミネートはその時初めて知りました。
映像を観てもらったらわかるけど、高畑勲監督の『かぐや姫の物語』を思わせる絵柄や色使いなど、「ジブリの新作」と言われても信じてしまいそうになるほど。
ほんと、予告観た時点で思ったけど、映画本篇を観たらより一層ジブリっぽさに溢れていて、でもジブリといっても宮崎駿監督作品ではなくて、高畑勲監督の方というのがまた(^o^)
ヒロインの子ネズミ、セレスティーヌが住むネズミたちの町の造形など、いかにも「ジブリが描きそうな」世界。
もちろんこれは1981年から始まったベルギーの絵本が原作なので、別にこの映画がジブリ映画をパクったとかそういうことじゃないんですが。
ただし、僕は実際に原作の絵本を読んだことはないんだけど、原作の挿絵のセレスティーヌの顔は結構リアルなネズミだったりする。
それはそれでまたアニメとは違った可愛らしさがあるんだけれど(ってスイマセン、僕はリアルネズミは苦手なんでちょっと怖いんですが^_^;)、アニメ版のセレスティーヌはちょうど「ぐりとぐら」みたいにデフォルメされた絵柄で、手足も太く描かれていて誰もが「カワイイ」と感じられるキャラクターデザインに変更されている。
また、まるで筆で彩色したような淡い色使いは多くの日本のアニメやディズニー、ピクサーのCGアニメなどともヴァンサンの筆による原作の絵本のものとも異なっていて、高畑監督の『かぐや姫』や『ホーホケキョ となりの山田くん』を彷彿とさせる。
くどいけど、キャラクターたちの顔の表情なんかがジブリ作品にソックリなんですよね。
キャラの目の小ささとか(これがディズニーなら、もっとセレスティーヌの瞳を大きく描くと思う)。
ネズミの警官たちがゾワゾワ~っと大量に集まってくる描写なんかも実にジブリっぽい。
そして、どこか子どもの頃に観ていた児童向けアニメだったり絵本を思いださせる。
熊のアーネストを見た子ネズミたちが「キャ~!!」と悲鳴を上げる時の顔なんかは、ちょっとチャールズ・シュルツの「ピーナッツ」の子どもたちみたいだったり。
そういう、いつか見た絵柄や世界観を思いださせてくれて、映画を観ていてとても心地良かった。
作品全体がレトロな雰囲気で懐かしい感じ。
そして、熊やネズミが擬人化された物語だからファンタスティックなおとぎ話かと思えば、「魔法」のような非現実的なものは出てこなくて、想像してた以上に現実的でシビアなお話でした。
予告篇ではフランス語だけど、日本ではすべて吹替版での上映。
フランス語の響きがちょっと可愛かったんでできれば原語版で観たかったけど、子どもたちが観る映画だし、丁寧に吹き替えられていて聴きやすかったです。
ちょっと「まんが日本昔ばなし」みたいに1人の声優が何役も演じてるように感じたんだけど、どうだったんだろう。
鑑賞後、パンフレットが欲しかったんだけど売ってなかったので詳しいことは確認できず。
この映画、意外と資料がないんですよね。
では、これ以降は物語のネタバレがありますのでご注意ください。
僕は原作の「くまのアーネストおじさん」シリーズを1冊も読んだことがないから、この映画版が原作通りなのか、それとも映画オリジナルのストーリーなのかまったくわからないんですが、映画版はアーネストとセレスティーヌの出会いから彼らが一緒に暮らすことになるまでが描かれている。
この映画の世界ではネズミと熊は地下と地上に分かれて町を作ってそれぞれ暮らしているが、互いを嫌っていて異なる種族同士でともに暮らすことなどもっての他だと考えられている。
だから気が合って一緒に暮らそうとするアーネストとセレスティーヌは、両方の町から排斥されることになる。
これだけでも民族差別問題を連想させるのに十分でしょう。
絵本が原作の子ども向けのアニメ映画でそんな大げさな、と思われるかもしれないけど、この映画で描かれるのって、このふたりの許されぬ友情について、なんだよね。
ふたりを隔てるのは、人々の差別意識以外の何ものでもない。
この映画は、ネズミや熊の姿を借りて人間たちの営みを描いている。
そして空想的な物語ではなく現実そのもののような世界だからこそ、観ていて腑に落ちない点がいくつもあるのだ。
セレスティーヌら子どものネズミたちは、歯医者の所長の命令で前歯を失ったネズミたちの“替え歯”にするために綺麗な歯を集めているのだが、それはどこから集められたものなのだろう。
普通は自分たちネズミの町で拾ってくるのか。
それとも、歯を拾うために彼らは地上の熊たちの町に行くことは許されているのか。
どうでもいいけど、ネズミと熊じゃ歯のサイズが違うんじゃないの、ってツッコミは野暮か。
ふたりが警察から逃げおおせたあとにアーネストがセレスティーヌに突然冷たくなって家から閉め出してしまう展開も、彼の心の動きが追えなくて戸惑う。
何よりも、そもそもなんでネズミたちはあんなに熊を恐れて嫌うのか。
熊たちもまたどうしてネズミを蛇蝎のごとく嫌うのか、その説明がちゃんとされないのだ(熊はネズミを食うから、という説明がされるけど、そして当初アーネストもセレスティーヌを食おうとするが、すべての熊がネズミを食うわけではない)。
その「理由がよくわからないのに互いに忌み嫌いあっている」というのが何か意味があることなのかと思ってしまう。
孤児院の院長が子どもたちに話していた、恐ろしい熊の話を信じなかったために食べられてしまった子どものエピソードは本当のことだったのだろうか。
熊のお菓子屋の妻は幼い息子に、抜けた歯を枕元に置いておくとネズミの妖精がやってきてそれをお金に換えてくれる、という話をするが、忌むべき存在であるならばどうしてわざわざそんなネズミをおとぎ話に登場させるのか。
その辺のモヤモヤがずっとついて回るんだけど、ただ僕にはこの物語が敢えて説明せずに大切なことを伝えているように思えたんですよね。
たとえ人種や民族についてではなくても、この映画が異なるコミュニティ同士の和解の物語であることは確かなのだから。
孤児院の子どもたちはアーネストの姿を見て院長に促されて悲鳴を上げるが、本当は彼らはアーネストを恐ろしがってはいない。
熊の女性も法廷でセレスティーヌを本当に怖いとは思っていない。
怖いと思い込まされているだけなのだ。
興味深いのが、アーネストは大道芸で他の熊たちからの投げ銭で生活しようとしてまったく儲からず毎度の食事にも事欠いているが、彼は昔から貧乏だったのではないこと。
アーネストにはボロいながらも持ち家があって地下室には先祖の写真が飾ってあり、実は彼の一族は代々裁判官だったことがわかる。
エリートの家の出だったのがなぜ今のような生活をしているのか、詳しいことは語られないが、セレスティーヌへの説明から彼が裁判官になる道を嫌って「芸術」の道を志したことがわかる。
絵を描くのが好きなセレスティーヌも歯医者になりたくないのだが、ネズミの町では絵などなんの役にも立たないので彼女は所長から見下されている。
大道芸人も絵描きもここでは無用の存在で、すなわち「芸術家」なのだ。
一方、ネズミたちも熊たちも働き者で、映画の中で彼らの仕事ぶりが描かれる。
所長だってイヤミな感じではあるけれど優秀な歯科医であることがわかるし、セレスティーヌを追いかけたお菓子屋の店主もその妻もまた、しっかりと仕事をしてその上で財産を息子に残そうと努力している。
セレスティーヌやアーネストたちの生き方は、そういう堅実な人々の生活と対比される。
ただし、どちらが正しくてどちらが間違っているか、といった判断はしない。
このふたりのような生き方もあるのだ、ということを提示している。
お菓子屋の妻が経営している「歯」の店から大量の歯を盗みだすセレスティーヌとアーネストの窃盗行為がたいして罪に問われないこととか、結局のところ彼らはこの先どうやって食べていくのかなど(なんとなく、セレスティーヌが絵を描いてふたりの話を物語にする、みたいなこと語っていたけど)、疑問がなくはない。
物語的にもうひと波乱あってもよかったのではないか、とも。
孤児院の他の子ネズミたちももっとお話にカラんでほしかったし、せっかく登場したネズミの町や熊の町も他の場所をもっともっといろいろと見たかった。
80分の作品なので観易いし、最初に書いたように懐かしい、心地良い気分には浸れましたが。
セレスティーヌはほんとに可愛いし、結構乱暴だが気のいいアーネストのユーモラスな姿はちょっと『バケモノの子』の熊徹を思いだしたりもして。
小さなネズミのセレスティーヌには、自分自身で絵を描き物語も作る原作者のガブリエル・ヴァンサン自身が重ねられているそうです。
だから、セレスティーヌが楽器の演奏やボールジャグリングが得意な大道芸人のアーネストとともに生きていく、というのは、そういう“芸術家”たちへの讃歌でもあるし、芸術家というのは差別や偏見からも自由なんだ、ってことを語っているんだろうと思います。
とても小さなお話だけど、大切なことを伝えている。
この作品でとても印象的だったのは、作画とともに音楽。
日本でこういう作品をアニメ化するとどうしてもアイドルグループが主題歌を唄ったり、子どもウケするようにTVアニメ風にされちゃったりするものだけど、そういう商業的な改悪がこの『くまのアーネストおじさんとセレスティーヌ』にはないんですよ。
使われてる音楽はクラシックや物語の雰囲気に合ったノスタルジックな曲調のもので、技術的なことを考えなければいつの時代に作られた映画なのかもわからないぐらい。
そもそも原作自体が今から35年近く前(シリーズの最終作は2001年に出版)に生まれたものだから、すでに時代を越えてるんですよね。
そういうアニメは残念ながら日本からはほとんど消えてしまった。
だからこそ、僕はこの映画になんともいえない懐かしさを覚えるんだと思う。
僕はこのアニメ、子どもたちにお薦めしたいんだけど、22日からの公開にもかかわらず僕の住んでるところではすでに朝と夕方の1日2回の上映だし、だいたい夏休みも終わりに近づいたこの時期にはみんな宿題に追われて映画どころじゃないかもしれないから、もうちょっと早く公開してくれたらよかったのになぁ。
僕が観た時も、夕方の回だったせいもあるけど子どもの姿はまったくありませんでした。
なんか届けるべき人たちに届いてないような気がして、もったいないなぁ、って。
それに宣伝もほとんどされていないようだから、よっぽどアンテナ張ってる親御さんでないとこういう映画をやってること自体気づいてない人が多いんじゃないか。
原作は日本でもシリーズで出ているそうだし曲がりなりにもアカデミー賞で『風立ちぬ』や『アナ雪』と受賞を競い合った作品なのに、この扱いはなんだろう。
今後DVDやブルーレイになっても、ディズニーでもピクサーでもないこの作品を手に取ろうとする人たちがどれだけいるだろうか。
もうちょっと多くの人に観てほしいなぁ。
だからせめてここで紹介しておきます。
まぁ、おっさんがどんなに懐かしがろうと当の子どもたちにソッポ向かれちゃったらしょうがないんですが、かつて幼い頃の僕たちが海外の絵本を読んだり児童文学が原作のアニメを日常的に観ていたように、今の子どもたちだって十分この「くまのアーネストおじさん」の物語に入り込めると思うんだけどな。
小さなお子さんのいるご家庭でもしご興味を持たれたかたがいらっしゃいましたら、どうぞ親子でご覧になってみてください。
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