デミアン・チャゼル監督、マイルズ・テラー、J・K・シモンズ、ポール・ライザー、メリッサ・ブノワ、オースティン・ストウェル、ネイト・ラング出演の『セッション』。2014年作品。
第87回アカデミー賞助演男優賞(J・K・シモンズ)、編集賞、録音賞受賞。
名門のシャッファー音楽学校に入学したアンドリュー(マイルズ・テラー)は、フレッチャー教授(J・K・シモンズ)に呼びだされて彼が指揮をするビッグバンドのドラムを担当することに。また行きつけの映画館の受付係をしているニコル(メリッサ・ブノワ)とも付き合い始める。順風満帆に見えたアンドリューの学校生活だったが、しかしフレッチャーの指導は過酷なもので主奏者になるために他の生徒たちと競争を強いられる。
スキンヘッドのかなりインパクトのある風貌で迫力満点の演技を見せたJ・K・シモンズがアカデミー賞を獲ってTVの情報番組などでも取り上げられていたし、お馴染み映画評論家の町山智浩さんのラジオでの解説も聴いていたので、同じくアカデミー賞受賞作品の『バードマン』とともに作品の存在を知った時から観にいくつもりで前売り券も買っていたんですが、最近プロのジャズミュージシャンの菊地成孔さんによるこの映画への酷評とそれに対する町山さんの反論があってYahoo!ニュースにも「炎上」などと書かれて一瞬話題になってましたね。
僕は完全なジャズ素人(というか音楽全般に無知)なので、プロのかたがどの部分に大いに引っかかったのか、その分野のプロがケナした映画を自分はどう感じるんだろう、とさらに興味が湧いてきたのでした。
で、実際に観てみてどうだったかというと、見ごたえのある映画でしたよ。
一方ではジャズのプロが批判するのもわからなくはない演出だな、とも。
なぜならここでは主人公の叩くドラムが「怒り」や「復讐」の手段として描かれているから。
アンドリューがクライマックスで演奏するのは、フレッチャーを見返すためだ。
それについては町山さんも書かれていて、批判の内容については納得もされているようです。
ただ、ジャズに対する思い入れも特にないような僕からすれば、これはようするに「モラハラ男」の話じゃないか、と。
それを描くためにジャズが用いられているんであって(監督が実際に経験したことが基になっているそうですが)、これを高校の野球部を舞台にしたスポ根物や上司にシゴかれ続けた部下が最後に仕事で見返す話に替えたって成り立つ。
だからそういう話として僕は普通に楽しみました。
この映画を批判した菊地さんの文章を読んで「観る気が失せた」とか「菊地さんが批判しているから観ない」などとコメントしてる人たちがいるけど、自分たちが恥ずかしいことを公に発言していることわかってるのかな。
なんでもかんでも人の言うことを鵜呑みにして、それを無批判に拡散することの無責任さをもっと自覚した方がいいんじゃないだろうか。
映画に限らないけど、作品を批判したり駄作だと決めつけるのはちゃんとそれを観たり読んだりした人間だけに許されることだと思う。
確かに僕だって人の評価に影響されて観る映画を選ぶことはしばしばあります。興味があったけど、あまりに世間での評価が低いので恐れをなして観るのをやめた作品も何本もある。でもそれは威張るようなことではなくて恥ずかしいから大きい声では言えない。当然、観てない作品の内容についてとやかく言うなんて論外(それはアンジェリーナ・ジョリーの監督作品を「反日映画」などと観てもいないのに決めつけるのと同じ行為だ)。
実はちょっと前に観て思いっきり酷評してしまった『エイプリルフールズ』もあるかたが書かれていた感想が高評価だったので安心して映画館に臨んでドツボにハマったんですが、映画の評価なんて人それぞれなんですよね。まぁ、そのブログ主さんの映画を観る目には今後若干距離を置くことに決めましたが。
といったって、観るのを決めたのは自分なんだから責任はもちろん僕自身にある。
たとえば僕は町山さんや宇多丸さんの映画紹介や映画評を愛聴していて、このブログでもしばしば取り上げているので「信者」だと思われているかもしれませんが、お二方の活動には尊敬の念を抱きながらも彼らが「駄作」「失敗作」だと断定した作品(『マレフィセント』や『スーパーマンIII』など)を面白いと感じることもあれば、その反対にどんなに絶賛してても僕には駄作にしか思えないもの(『LOOPER/ルーパー』や『横道世之介』など)もある。
映画の評価には数学のように決まった「正解」というのはないし、それは美術品や貴金属、宝石などの鑑定とも違う。
観る人の人生や価値観によっても大きく左右される。
どんなに偉い評論家や映画通が褒めてたって、自分の目で観て面白い、素晴らしいと感じられなければそれは自分にとっては価値がない作品ということになる。その逆も然り。
アカデミー賞で作品賞を獲った『バードマン』を「面白くなかった」と感じるのも、それはその人にあの映画がハマらなかったということで、それで構わないと思うし、その評価が間違っているとは絶対に言い切れないのだ(正しいという保証もないが)。
といっても、「人それぞれ」で済ますのではなくて映画について互いの意見を交換して議論することには意味があって、それによって相手の価値観やものの見方を知ることができる。意見が対立したままでもいい。相手を言い負かしたり自説を押し通すことが目的じゃないんだから。
今回は宇多丸さんの批評が一番しっくりきました。
件の菊地さんと町山さんのやりとりも、すべての文章を読み終えると(かなり長いですが)非常に有意義な議論であったことがわかります。
それぞれの立場の違い、嗜好の違いによって映画の評価は時に180度変わってしまうということ。
それに両氏の議論は映画の内容ともハモっていて、『セッション』をご覧になった人はぜひ読んでみることをお勧めします。批判、賞賛、そのどちらもこの映画の理解に繋がるとともに映画について語り合うことの面白さも堪能できます。
だから観もせずに「駄作」と決めつけたり「観るのやめた」とか人前で言ってる人は、自分の目で判断することをやめた人だということです。観るのをやめるのは勝手だけど、「誰々が言ってるから駄作認定」というのは情けない。少なくとも人前でドヤ顔で宣言することではないと思う。
この映画がどのような作品なのか、素晴らしい出来なのかそうじゃない駄作なのかはぜひ映画館に足を運んでご自分の目で判断してください。
映画の内容以前の話で字数を使っちゃいましたが、以降は作品のストーリーについて触れますので未見のかたはご注意ください。
この映画はどうも鬼教官とその生徒の師弟対決、下手すれば「師弟愛」めいたものを描いた作品のように紹介されていて、観た人たちもそこにグッときたようなことを語っているのだけれど、僕はちょっと違和感があって。
先ほど書いたように、まず僕はこれを「モラルハラスメントの話」だと捉えたもんですから。
「教師」という皮を被った怪物に翻弄される若者の話なんだし。
ドラムの技術の向上をスポ根物のように描いているので主人公に過酷な特訓が課せられるのはお約束ともいえるが、単なるシゴキを越えたフレッチャーの陰湿な仕打ちは病的で「教えは厳しいがそれは生徒を思ってのことだった」などとはとても思えないのだ。
むしろ彼は有望な人材をピックアップしてそれを潰そうとしているかのように感じられる。
そして映画は、本当に師と教え子の間に真の和解があったのかどうかはわからないまま終わる。
なぜなら、フレッチャーという男はそうやって心が通じ合ったと思ったらその直後に相手を奈落の底に突き落とすような人間だから。そういう人物として描かれてる。だからまったく安心できない。
劇中でフレッチャーが体現するのはモラハラ男の病理だ。
映画の原題“WHIPLASH”とは劇中でアンドリューたちフレッチャーのバンドが演奏する曲の名前だが、意味は「鞭打ち」のことで、まさしくアメとムチで生徒たちを操るフレッチャーのことでもある。
彼は恐ろしげな存在として最初から登場する。
バンドの一人の生徒を罵り泣かせ、追い出す。
しかし、その生徒の演奏には問題がなくて演奏のテンポを乱していたのは別の生徒だった。
この行為にどんな意味があるのかといったら、自分の恐ろしさを生徒たちに知らしめるため。
また、フレッチャーはアンドリューに優しく話しかけ「演奏を楽しめ」と励ます。厳しいけど、この人は生徒のことが憎いのではなくてあくまでも優れたジャズ奏者を作りだす目的のためにやっているのだ、と思わせる。
その直後の罵声と暴力。厳しいだけでなく、時折イイ人っぽい態度を見せるところが逆に悪質でもある。
これは人によっては『愛と青春の旅だち』でルイス・ゴセット・Jr.が演じた鬼教官のように生徒たちを育てるためのメソッドと捉えるかもしれないが、『フルメタル・ジャケット』の教官と“微笑みデブ”のエピソードのようにそれは人の心を不安定にさせて精神を病ませる。
『セッション』でもフレッチャーのかつての教え子の死は事故ではなく、鬱を発症しての自殺だったことがわかる。
フレッチャーは教え子の死自体は貴重な人材の損失として惜しみながらも、自身の姿勢や指導方針そのものを反省することは一切ない。自分は正しいと頑なに信じている。
「上出来だ」などという言葉を使っていたら新たな“バード”は生まれない。ジャズが滅びつつあるのは演奏者を甘やかし過ぎたからだ、と。
彼にとって、自分の指導についてこられない者は負け犬でしかないのだ。
フレッチャーが最大の異常性を発揮するのは、クライマックス直前にアンドリューに「私をナメるなよ」と凄むところ。
一ヵ月前、あまりの理不尽な仕打ちにステージ上で彼に殴りかかって退学になったアンドリューとバーで再会したフレッチャーは、アルバイトをしていたアンドリューを呼び寄せてJVC音楽祭で演奏させることにする。
しかし、本番直前になってアンドリューはあらかじめ教えられていたのとは別の、自分にとってはまったく初めての曲が演奏されることを知って愕然とする。楽譜もない。
教え子の自殺や彼の指導方法への批判によって学校を辞めさせられたことを恨んだフレッチャーは、アンドリューを貶めて公衆の面前で叩き潰すために彼を引き入れたのだった。
アンドリューは自殺したショーン・ケイシーの代理人の弁護士から匿名でのフレッチャーの告発を促されていたが、映画ではアンドリューがフレッチャーを「チクった」のかどうかはハッキリ描かれていない。クライマックス直前の場面でのフレッチャーに問い詰められたアンドリューの反応からも、彼が実際に憎き鬼教官の悪行を証言したのかどうかはわからない。
いずれにしても、フレッチャーの行為は常軌を逸しているし、とても真っ当な教育者とは思えない。
人が一人死んでいるのに、その原因を作った男は教職を失うだけで済んで、バーの演奏にゲストで呼ばれて気持ちよくピアノを奏でているという恐怖。
結局、フレッチャーは再びバンドで指揮することになるわけだし。
そして現実の世の中にはそういう理不尽なことが普通にある。
本人だけでなく、その父親のことまでもわざわざ侮辱するのもこの手のサディストの常套手段だが、実に卑劣でその性根は幼稚だ。
映画の途中でアンドリューが同じドラムの主奏者であるタナーから預かった楽譜を失くす場面があるが、楽譜の消え方があまりに不自然過ぎるので僕はてっきりフレッチャーが犯人だと思っていたんだけど、最後まで犯人はわからずじまい。
でもあれはどう考えたってフレッチャーの仕業としか考えられない。主奏者の座を巡ってタナー(ネイト・ラング)やライアン(オースティン・ストウェル)とアンドリューを競わせることが彼の目的なのだから。
競い合わせることで技術の向上を促す、というやり方はいろんな場であるけれど、でもやり方があまりに卑劣で汚過ぎるだろう。競い合わせるというよりも、互いの憎悪を誘発させている。
結局、タナーは医大に転学し、ライアンもジャズドラマーの道を諦める。
JVC音楽祭で楽譜がなく追いつめられたアンドリューはしかし、観にきてくれた父とともに寂しくステージを去るのでも、あるいはまたフレッチャーに殴りかかるのでもなく、強引にドラムで「キャラバン」を演奏し始める。
驚いてやめさせようとするフレッチャーを無視して他のバンドのメンバーたちとともに演奏を続けるアンドリュー。
確かにこの場面は見ごたえがあって、実際に撮影中にドラムを激しく叩き続けたために手から血が吹き出したというマイルズ・テラーの演奏も、それを受けるJ・K・シモンズの演技にも目が釘づけになる。
でも、これを素晴らしい「師弟の対決」などというふうには僕には思えないのだ。
あのクライマックスで呪われた教官とその弟子が心を通い合わせ、フレッチャーは浄化されたんだろうか。
彼は果たして最後にアンドリューに向かって「Good job.(上出来だ)」と言ったのだろうか。
しかしたとえそうであっても、そのあとにはまた新たな地獄が待っているように思えてならない。
だから、競争に打ち勝つために最初は自分からデートに誘って付き合い始めたニコルを一方的に捨てるアンドリューにしても(そのわりにはいつも時間に遅れるし、スティックを忘れたり事故ったのも彼自身のせいだ)、完全にサイコパスであるフレッチャーにしてもまったく好きになれないんだけど、俳優たちの演技が見事だから不快な気持ちよりもそんなムカつく登場人物たちの動向に目が離せなくなる。
とりわけフレッチャー役のJ・K・シモンズは、そのシブい声や表情のひとつひとつに見入ってしまう。
やってることは人でなしの所業なんだけど、フレッチャー先生の罵声がいちいち面白過ぎるのでw
「どうして下を向いてるんだ、お菓子なんか落ちてないぞ」とか「引っ込んでろ、ミニ・ミー」とか。3人のドラマーそれぞれに個別に人種差別的な罵声を浴びせたり。
彼の面白い罵声を聴くためだけにもう一度観たいぐらい。
すでにいろんな人に指摘されているけどフレッチャーというのは男根の象徴みたいなキャラクターで、だからJ・K・シモンズの常に全身黒づくめでまるで亀頭みたいなスキンヘッド(彼の顔のシワもなんだかリアルだw)が映って彼が顔を震わせて怒鳴るたびにアレがいきり勃っているようで、シリアスなんだけど笑いそうになってしまう。
アンドリュー君の顔に亀○を近づけてセクハラするフレッチャー先生
真面目な作風だし別に笑わせようとしてるわけではないのだけれど、フレッチャーがキャラ立ちしているおかげで(何気にアンドリューに“壁ドン”してるしw)現実にあったらかなり不愉快な話にもかかわらず気が滅入ることなくこの映画を観られた、というのはある。
フレッチャーのような人間にどうして多くの生徒たちがついていくのかといったら、それは彼がやはり尊敬されているからだ。
ヒドい仕打ちをするけど、でも生徒たちは彼のバンドで自分が演奏できることを誇りに思い、そのために切磋琢磨している。
彼に認められれば成功の道が開けるから。
僕は以前、友人に「人間的にはクソでも仕事ができる上司と、いい人だけど無能な上司とでは、前者を尊敬する」と言われた時に、あぁ、だから俺はいつだって先生とか上司が苦手で学校や仕事がしんどいんだな、と思ったのでした。
フレッチャーみたいな鬼教官は極端であっても、ちまたに彼に似た教師や上司が多いのはそういうことなんだな、と。
人は、自分を引き上げてくれると思える相手を求めているのだ。その人物が本当にそうなのかは保証の限りではないが。
J・K・シモンズは、かつてサム・ライミが監督した「スパイダーマン」3部作で新聞社の口うるさい編集長を演じていて、やはりしょっちゅう主人公を怒鳴っていた。
今回はあの編集長をさらに激烈にしたような役。
ちなみに「スパイダーマン」シリーズでのJ・K・シモンズは髪形がキマってたけどあれはヅラで、ご本人は頭のてっぺんがハゲ上がっているのでこの『セッション』のキンカン頭の方が本来の彼に近い。
シュワちゃんの最新作『ターミネーター:新起動/ジェニシス』にも出演しているようだけど、さてどんな役なんでしょうか。
二人暮らししている息子をつねに気にかけているアンドリューの父親役のポール・ライザーは、『エイリアン2』で主人公のリプリーたち海兵隊を裏切る企業の人間を演じていたのでなんだか卑怯な役の俳優さん、というイメージを勝手に持っていたんだけれど、久しぶりに顔を見たらなんだかとても優しそうなお父さん役だったので意外でした。
いつもデカい器に入ったポップコーンを食べながら映画を観ているのが何気にユーモラス。
フレッチャーをはじめこの映画には不愉快な人物が何人も出てきてそれはおそらく意図的なんだろうけど(自分たちがいかに優秀なのかを誇る従兄弟や近所の奴らなど)、このお父さんだけは無条件に息子を愛していることがわかる。
もっとも彼は妻に去られているので、映画を観ているだけではまったく問題がない人なのかどうかはわからないが。
別れたニコルから着信があったのでアンドリューがかけてみると、彼女にはすでに彼氏がいて、音楽祭に誘っても「彼がジャズに興味ないから」と断わられる。
通常だとこういう場合は最後に彼女は演奏を聴きにくるのがセオリーだけど、ニコルの出番はその電話口の会話でおしまい。
ではなぜわざわざ彼女はアンドリューに電話したのだろうか。
もしもあてつけのためだったとしたら、それが彼女からのアンドリューへの仕返しということか。
あの尻切れトンボ感が妙に気になったのだった。
結局、アンドリューにとってドラムとは、ジャズとは、なんだったのだろう。
憧れのバディ・リッチのような「偉大なジャズドラマー」になりたい、という彼の夢は今後叶うのだろうか。
それともあのドラムソロがアンドリューのラストステージとなるのか。
菊地成孔さんは町山さんへのアンサーで、この映画がなぜダメなのかというと「監督自身がまだ、音楽に救われてないから」だと書く。
監督の分身ともいえるアンドリューはあの演奏で音楽によって救われたのか。それとも菊地さんが仰るようにこの映画には「ジャズへの愛」が欠けているのか。
確かにアンドリューは「怒り」や「恨み」を演奏という形でぶちまけた。彼の負の感情があの演奏によって昇華されたのかどうかはわからない。それで彼は変われたのか。
ジャズ素人である僕にはここまででも十分に何かを描き得たことになると思えるんですが、許せない人もいるのかもしれませんね。ルサンチマンの解消にジャズを利用すんなよ、と。
僕にはそもそもこの映画で演奏されているジャズが巧いのかそうじゃないのかもよくわかりません。素人目ならぬ素人耳には上手に聴こえる。
なのでそういうものだと思って観ていたわけですが、だからといって「感動的な」映画だとは思わなかったし、むしろ延々と続くモラルハラスメントの地獄のような映画に感じられたんですよね。
そしてその不安はフレッチャーが最後に笑顔を見せたあとも消えない。
というわけで、僕の感想は、「不出来で偽善的な脚本をヌルいジャズで誤魔化している」といった感じの菊地さんの酷評とも「『ロッキー』のように感動的」とする町山さんの絶賛とも違います。
不気味な映画だったな、と。
だからこそ評価するのですが。
皆さんはどのようにお感じになったんでしょうね。
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