ギャヴィン・オコナー監督、ベン・アフレック、アナ・ケンドリック、J・K・シモンズ、ジョン・バーンサル、シンシア・アダイ=ロビンソン、ジーン・スマート、アンディ・アンバーガー、ロバート・C・トレヴァイラー、セス・リー、ジェイク・プレスリー、ジェフリー・タンバー、ジョン・リスゴー出演の『ザ・コンサルタント』。2016年作品。

 

イリノイ州シカゴ近郊の田舎町に住む公認会計士のクリスチャン・ウルフは、義肢などを開発している大手電子機器メーカー“リヴィング・ロボティクス”で経理担当が見つけた使途不明金の調査を依頼される。通常数ヵ月はかかる膨大な量の帳簿を一夜で調べ上げるクリスチャンだったが、社長から一方的に調査の終了を言い渡される。その裏では大企業の陰謀劇が進行していた。
 
『ザ・コンサルタント』と『ドント・ブリーズ』のネタバレがありますので、未見のかたはご注意ください。
 
 
TwitterのTLで褒めてる人が多くて気になったので鑑賞。
 
予告篇を観ればわかるように、表の顔は会計士、裏の顔は殺し屋の男の物語。
 
原題は“The Accountant(会計士)”なのに邦題が『ザ・コンサルタント』なのはおかしい、という批判を散見するけど、あらすじでは主人公のことを「会計コンサルタント」と紹介していたりする。
 
主人公のクリスは公認会計士なので、企業にコンサルティングする立場でもあるから“コンサルタント”というタイトルもあながち間違いではないと思いますが。
 
『ジ・アカウンタント』ではなんのことだかわからないし、『会計士』では地味すぎるから、ということかな?
 
観る前から「ちょっと風変わりな映画」ということは言われていたけど、実際観てみて、なるほど確かにユニークな映画でした。
 
これまでベン・アフレック主演のアクション物は何本か観てますが、その中でもこの最新作はなかなかポイント高いな、と。
 
昼は会計士、夜は殺し屋、そして主人公は障害を持っている、みたいな設定って、同じくベン・アフレックがかつて主演したDCコミックスのアメコミヒーロー映画『デアデビル』を彷彿とさせますが、要するに今回はその会計士版みたいなもの。
 
アフレックはつい最近も『バットマン vs スーパーマン』や『スーサイド・スクワッド』でバットマンを演じていたし(製作中のバットマン単独映画がいろいろトラブってるようですが。※追記:その後、アフレックはバットマンの新作の企画から離脱)、『ザ・コンサルタント』は映画のオリジナルだけど同じくDCコミックスでコミカライズもされたんだとかで、つまりスーパーヒーローのように派手なコスチュームは着ないものの、そもそもが劇画調の作品なんですね。
 
この映画の主人公クリスを、「バットマンの病的な部分をクローズアップしたようなキャラ」と表現している人がいたけど、確かにそういうふうにも見える。
 
よく例に挙げられてるように、「ゴルゴ13」のような世界観。
 
ゴーン・ガール』では見事なまでのデクノボーぶりだったアフレックが、顔の表情の変化が乏しいのは似ていながらもまったく印象の異なる、驚異的な暗記力で会計業務をこなし機敏な動きで敵を一人また一人と倒していくプロの殺し屋(金を受け取っているわけではないので、厳密には“プロ”ではないのだが)を好演。
 
 
 
 
ちょっと、それまではアクション映画とは無縁にも思えていたマット・デイモンが『ボーン・アイデンティティー』で見せたキレのある動きに瞠目させられた時のことを思いだしました。
 
マット・デイモンとベン・アフレックは『グッド・ウィル・ハンティング』で一緒に組んでアカデミー賞脚本賞を受賞したりいろいろ縁があるようだけど、ひと頃天才役ばかり演じていたデイモンと同じように、今回のアフレックも特殊な技能を持つ一種の天才役。
 
主人公クリスは高機能自閉症という設定で、少年時代は感情を抑えたり家族や他人と円滑なコミュニケーションをとるのが困難だったらしいことが描かれる。
 
しかし、軍人だった彼の父親は息子を厳しく鍛えて格闘技を身につけさせ、戦士として育て上げる。
 
またクリスはダスティン・ホフマン主演の『レインマン』で描かれた“サヴァン症候群”らしき暗記能力を発揮して、会計士として社会的な地位や財産も手に入れる。
 
彼が他者との会話や意思疎通が可能になったのは、それまでの人生でこういう場合にどう振る舞えばいいのか、どういう言い回しをすれば角が立たなくてトラブルにならないのかを学習したから。
 
クリスは無口で自分の思っていることを言葉で表現することはきわめて少ないために、彼が何を考えているのか、何を感じているのか、本当のところはわからない。
 
僕は子役が演じるいかにも「障害児」然とした少年時代のクリスと成人後のベン・アフレックがまるで別人のように思えたんですが、高機能自閉症というのは知的障害はなく言語を駆使することも可能だということなので、一見すると周囲からは障害とは思われないことも多いそうで、だからこの映画での描写はもしかしたらリアルなのかもしれません。
 
クリスが子どもの頃から緊張をほぐすためにいつもマザー・グースの歌「ソロモン・グランディ」を唄うところなどもそれっぽいし、彼のその癖はのちのちの展開にもかかわってくる。
 
このように、実在する障害を扱っているためにこの映画は障害者について描いた作品のような印象を受けるし、そういう観点から感想を述べている人も多くいらっしゃいますが、僕個人の意見としては、この映画は別に高機能自閉症の人について描いた作品ではないと思いました。
 
主人公が特殊な能力を身につけていて、たまたま彼が高機能自閉症であるという“設定”なだけで、それは物語の都合上そういうことにしただけ、というように感じられたのです。
 
ちょうど『ドント・ブリーズ』が障害者についての映画ではなかったのと同じように。
 
前もってお断わりしておきますが、僕はこの映画、結構面白かったです。ただし結末以外は、という条件付きで。
 
それについてはまたのちほど述べますが、ともかく殺し屋の主人公を描いたヒーロー物としてワクワクさせられる展開もあったし、さっき言ったようにベン・アフレック主演のアクション物の中では好きな方です。
 
先ほどの『ボーン・アイデンティティー』はシリーズが進むうちにどんどん大きな話になっていったけど、この『ザ・コンサルタント』はまだ“ヒーロー登場篇”といった具合で敵も悪徳企業や殺し屋集団に限られているので、そういう等身大の人間同士の地に足のついた戦いはド派手なアクションが見せ場の作品(ヴィン・ディーゼル主演の最新映画とか)が多い中で異彩を放っていて、確かに惹かれるものがありました。
 
大爆発とかカーアクションなどはなくて格闘を描いたアクション物というと、僕はジーナ・カラーノ主演の『エージェント・マロリー』を思い浮かべたりしましたが。

 

 

あの映画も結構奇妙なテイストで、『ザ・コンサルタント』とはまた違った面白さがありました。
 
とにかく「主人公が本当に強そう」というのが(その代わり、敵役の大物スターたちがめっちゃ弱かった^_^;)最大の魅力だった。
 
格闘家のジーナ・カラーノだからこその説得力あるアクションでしたが、『ザ・コンサルタント』のベン・アフレックも「ボーン」シリーズのマット・デイモンがそうだったようになかなかカッコイイ。
 
殺し屋が主人公、という映画では、ジョージ・クルーニー主演の『ラスト・ターゲット』なんていう作品もありました。
 
こういうシブくて抑制の効いたアクション映画ってわりと好きです。
 
『ザ・コンサルタント』でアフレックが使っているのは、インドネシアの“プンチャック・シラット”という格闘技。
 
シラットといえば『ザ・レイド』で主人公たちが駆使してましたね。
 
アフレックは190cm以上ある長身だけど、そんな彼がただ力任せに暴れるのではなく、相手に組みついたり必要最小限の動きで敵を仕留めるのが痛快。
 
ちなみにリヴィング・ロボティクスの社長ラマー役のジョン・リスゴーはベン・アフレックと並ぶと彼よりも背が高かったので、身長確認したら193cmあった。
 
 
 
猿の惑星:創世記』ではアルツハイマーに罹ったおじいちゃんを弱々しく演じてたけど、実はめっちゃデカい人なんだなw
 
 
さて、映画では謎の暗殺者の正体を探るJ・K・シモンズ演じる財務省犯罪捜査部の局長キングと彼から半ば強制的に協力を求められた分析官のメディナ(シンシア・アダイ=ロビンソン)たちのパート、クリスがリヴィング・ロボティクスからの依頼で使途不明金の行方を追っていく過程、そして彼の過去が交互に描かれ、やがてそれらが一つになっていく。
 
 
 
 
キングはかつてマフィアのガンビーノ・ファミリーを張っていたところ、謎の殺し屋によってボスのリトル・ニッキーをはじめアジトにいた全員が殺され、その殺し屋は踏み込んだキングに銃をむけたものの、彼が子を持つ親であることを知り命を奪わずに立ち去った。
 
それ以来、キングはその謎の男から裏社会の犯罪の情報を受け、出世したのだった。
 
一方で、リヴィング・ロボティクスで帳簿の食い違いに気づき調査をクリスに引き継いだ経理担当のデイナ(アナ・ケンドリック)は殺し屋たちに命を狙われ、クリスは彼女を守るために奔走する。
 
殺し屋たちのリーダーを演じるジョン・バーンサルは、どっかで見た顔だなぁ、と思ったら、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』でディカプリオの仲間になる男を演じてた人だった。
 
 
 
妙に迫力のある顔つきの人だけど、ボクシング経験者なんだとか。
 
だからか、今回の殺し屋役も実にリアリティがあって、チューリヒの地下駐車場でわざと車のダッシュボードの上にピストルを置いて油断したフリをしながら株のブローカー会社の社長を脅す場面の手馴れた感じ、そしてリヴィング・ロボティクスの財務責任者の家では牛乳を飲みながら彼に自殺を強要する場面なども、単なるアクション映画の悪役ではなく、ちょうど『イコライザー』でマートン・ソーカスが演じていた悪役のような、ほんとにいる怖い人みたいな存在感があった。
 
悪役が魅力的な映画は優れた映画だと思うので、これだけでもかなり期待できた。
 
実際、顧客の老夫婦の家で殺し屋たちに狙われた時のクリスの闘いぶりはかなりアガったし、デイナを守るために孤軍奮闘する姿には燃えるし、大きな背中を丸めてお弁当を食べる姿に萌える。
 
評判がいいのも頷ける。
 
だから「満足」と言いたいところなんですが、ただ僕は映画の結末にちょっと引っかかっちゃったんですよね。正直かなりフラストレーションが溜まってしまったのです。
 
映画のラストって重要だから、それに納得いかないと映画そのものの評価にも大いに影響する。
 
実は黒幕は最初にクリスに仕事を依頼したはずのリヴィング・ロボティクスの社長、ラマーだった。すべては会社の資産価値を上げるための自作自演だった。
 
しかし予想に反してクリスが限りなく真相に近づいてしまったために、やむなくラマーは身内を殺させて保身を図ったのだ。
 
そして、彼が使っていた殺し屋はクリスの実の弟ブラクストンだった。
 
ブラクストンは兄クリスとともに少年の頃から父親によって武術を学ばされていた。兄弟は2人とも裏社会の人間になっていた。
 
クリスはブラクストンと再会を約束して別れる。
 
デイナのもとにはクリスが大切にしていたジャクソン・ポロックの絵が送られる。
 
おわり。
 
 
…う~ん、と。
 
何に納得いかないって、最後にクリスが実の弟と決着をつけなかったところです。
 
単純にアクション映画の締めとしても尻すぼみな感じだったし。
 
だってブラクストンは部下にデイナを殺させようとしていたんだよ?
 
黒幕のラマーはあんなにあっちゃり殺してたのに、彼の指令で実際に殺しを行なっていた男が自分の弟だったと知ったら急に思い出話とかしだして、挙げ句の果てには見逃しちゃうってそれはどうなんだろう。
 
クリスは自閉症で仕事を完遂しないと精神的に不安定になるほどなのに、殺し屋の仕事は中途半端なまま終わっても平気なんですかね。
 
この映画について、家族愛に感動した、みたいな感想をしばしば目にするんだけど、僕はそれにもすごく違和感があって。
 
じゃあ、自分の家族は大事だけど、他人の命は別にどうでもいいってことですか?
 
現実には赤の他人よりも血を分けた家族が大事、というのはわかりますが、それを映画で臆面もなくやられちゃうと、そんな手前勝手な奴には僕は思い入れを込められない。
 
そんな人間を英雄視などできない。当たり前すぎるから。
 
クリスが言い訳をするラマーがまだ喋り終わらないうちにさっさと撃ち殺してしまったのは、彼が自分の野心(世の中に役立つ義肢を開発すること)のために身内まで犠牲にしたことが許せなかったからなんだろうけど、刑務所でクリスに裏社会で会計士としてやっていくためのさまざまなノウハウを教えてくれたフランシス(ジェフリー・タンバー)がリトル・ニッキーに殺された時にはあんなに逆上して復讐したのに、デイナが狙われた件に関してはあまりにあっさり「なかったこと」にしてないか。
 
それに、あそこでクリスが弟にとどめを刺さなければ、結果的に彼らを殺人マシーンに育てた父親の教育方法を正当化することになる。
 
長男のクリスが高機能自閉症であることを知った父親は、しかし施設に預けることを拒否してその息子に格闘技を習わせることで彼の「弱さ」を克服させようとする。そのおかげでクリスは学校のイジメっ子に逆襲できるまでになる。
 
そのスパルタ教育が殺し屋としてのクリスを作ったといえる。弟のブラクストンも。
 
そして、そんな父親の教育がまるで正しかったといわんばかりのあの結末。
 
何よりも僕が腑に落ちないのは、この映画の中でブラクストンが言っていた通り、彼らの母親が「家族を捨てた」ように描かれていて、それが最後まで否定されないことだ。
 
劇中では母親が去った理由は彼女の口からハッキリとは述べられないが、それはクリスが自閉症だったからではなく、父親の教育方針があまりに常軌を逸していたからだ。
 
母親の葬儀の場面で、すでに再婚していた彼女の遺体の前に現われた元・夫と息子のクリスに再婚相手の夫とその家族が怯えたような表情を見せて即座に退場を願うのは、彼ら父子がこれまでにも問題を起こしてきた証拠だろう。
 
そこでクリスは暴れ、警察官が発砲して父親が銃弾に倒れる。
 
自分を盾にして息子を守った父親の愛、みたいに描かれるけど、これだってやっぱりおかしな展開ではないか。
 
クリスやブラクストンにとってはかけがえのない肉親であり彼らを育てた尊敬する父親だろうが、その正体は息子たちを虐待して妻から逃げられた狂った男だ。
 
息子兄弟が見事な殺し屋に育って父親に感謝しているのは結果論であって、その価値観になんの疑問も投げかけられないというのはおかしいと僕は思う。
 
そりゃ、そんなこと言いだしたら「巨人の星」の星一徹だって糾弾されないといけなくなるけど、星一徹のスパルタ教育は今じゃパロディとして扱われてるわけで、いまだに彼の息子・飛雄馬に対する暴力的な教育が正しいと本気で信じてる人がいるのなら、要するにそれは問題児や不適応児はどこぞのヨットスクールにでも入れて殴られたり海に放りこまれてれば社会に適応する「強い」人間に育つ、などと言ってるようなもんだ。
 
障害者がその能力を伸ばして社会で生きていくことの大切さ、みたいなこととも僕はこの映画は無関係だと思いますね。
 
クリスの父親は軍人だから息子はその遺伝子を受け継いでいるのだろうし、そりゃベン・アフレックみたいなガタイに育てば格闘技だってこなせるかもしれないけど、ここで描かれている事例はあまりにも特殊で一般化なんてできない。
 
自閉症の人がみんなクリスのように数学が得意なわけではないし、実は彼の助手だったジャスティーンのようにペンタゴンにまで侵入できてしまうような凄腕のハッカーであるわけでもない。
 
じゃあ、そういう特殊な技術がないと障害者ってのはその存在を認められないのか。
 
障害があろうがなかろうが才能があろうがなかろうが、その人がそこにいることそのものが受け入れられる世界、それが理想なんじゃないの?
 
まぁ、この映画は“アクション物”ですから彼らをそういうキャラクターとして描いてるに過ぎなくて、これを絵を描く才能とか裁縫をする技術とか、そういうものの喩えとして捉えることもできるかもしれませんが、一方的に障害を「克服すべきもの」「弱さ」と描いているところに非常に偏ったものを感じる。
 
セッション』で生徒をシゴきまくるモラハラ鬼教官を演じていたJ・K・シモンズが今回は「良き父」を演じているというのも、何かいろいろ勘繰りたくもなる。
 
アクション映画なんだから、障害を持った主人公が殺し屋であることにいちいち文句言ったってしょうがないし、そんなつもりもありません。
 
それは『ドント・ブリーズ』で主人公たちを追いかけてくる筋肉爺さんが視覚障害者だったことと同じで、別にあの映画は障害者についての映画だったのではなくて単にそういう設定にしただけなんですよね。意外性があって面白いから、という理由で。
 
ちょっと話が逸れますが、『ドント・ブリーズ』の感想であの爺さんの描き方に疑問を呈したところ、反論のコメントをいただきました。
 
そこでのやりとりの中で僕が不用意に「倫理的な問題」みたいなことを書いたせいで話がこじれちゃって結局理解していただけなかったようですが、僕が言いたかったのは障害者を凶悪犯罪者に描いたのが許せないとかいうことじゃなくて、その描き方が単なる「狂ったジジイ」でしかなかったのが面白くない、ということです。
 
あの映画のオチは、自分の娘を事故で失った盲目の老人が加害者の女性を拉致して彼女を妊娠させて自分の子を新たに産ませようとしていた、というものだったんですが、それだとこの爺さんにまったく共感も感情移入もできない。
 
だから、映画の後半はただ彼が主人公によって退治されるのを眺めているだけになる。
 
そうじゃなくて、たとえば加害者は事故ではなく故意に爺さんの娘を殺したり自殺に追い込んだとかいうことなら、もうちょっとドラマティックな展開になったと思うんです。
 
やっているのは凶悪犯罪であることに変わりはないけど、あの老人にもうちょっと同情の余地を与えれば観客は映画を観ながら気持ちが引き裂かれることになるでしょう。
 
彼の行為は間違っているけど、でも自分だってああいう目に遭ったら同じようなことをしでかすかもしれない、と。
 
この『ザ・コンサルタント』に感じた僕の不満もそれに似ていて、高機能自閉症であるクリスが殺し屋であること自体に文句が言いたいのではなくて、しかし彼の最後の選択に納得いかないのです。
 
クリスは最後にブラクストンを殺すべきだった。
 
だって彼はデイナの命を狙い、これまでに闇の世界で何人もの人々を殺めてきたのだから。
 
クリスが弟への愛情と「悪」を許さない仕置人的な信条との板ばさみになって悶えながら、涙を流してブラクストンを殺していたら、僕はこの映画を絶賛したのになぁ。
 
クリスやブラクストンには違う道だってあったのに、あの父親は可能性の芽を摘み怪物を造りだしてしまった。息子たちを親子愛だの家族愛だのとは正反対の呪われた道へ導いたのだ。
 
殺し屋として生きるということは、実の弟の命さえも奪うということ。父が息子たちにかけた呪いは、こうして続いていく。
 
その狂気を描くことで、父親のただひたすら虐待じみた特訓によって「弱さ」を克服する、という脳筋にもほどがある戸塚某的な価値観にも疑問を投げかけられたはず。
 
そして、クリスが今後も孤独とともに血塗られた道を生きていくという、正しき“ヒーロー”としての姿も描けただろう。
 
なんとも惜しい。
 
この映画はこれまでのベン・アフレックの主演映画の中で一番ヒットしたらしくて、監督は続篇を撮る気満々のようで。
 
それが実現したら、次回作は果たしてどのような物語になるのでしょうか。
 
 
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