ネタバレがあります。

 

ロバート・ロドリゲス監督、ベン・アフレック、アリシー・ブラガ、ウィリアム・フィクナー、J・D・パルド(ニックス)、ハラ・フィンリー(10歳のミニー)、イオニー・オリヴィア・ニーヴス(7歳のミニー)、ニッキー・ディクソン(セラピスト)、ダイオ・オケニイ(リヴァー)、ジェフ・フェイヒー(カール)、サンディ・アビラ(テルマ)、ジャッキー・アール・ヘイリーほか出演の『ドミノ』。

 

公園で一瞬目を離した隙に娘が行方不明になってしまった刑事ローク(ベン・アフレック)は、そのことで強迫観念にかられ、カウンセリングを受けるようになるが、正気を保つために現場の職務に復帰する。そんなある時、銀行強盗を予告するタレコミがあり、現場に向かったロークは、そこに現れた男(ウィリアム・フィクナー)が娘の行方の鍵を握っていると確信する。しかし男はいとも簡単に周囲の人びとを操ることができ、ロークは男を捕まえることができない。打つ手がないロークは、占いや催眠術を熟知し、世界の秘密を知る占い師のダイアナ(アリシー・ブラガ)に協力を求める。ダイアナによれば、ロークの追う男は相手の相手の脳をハッキングしていると言う。彼女の話す“絶対に捕まらない男”の秘密に混乱するロークだったが──。(映画.comより転載)

 

ロバート・ロドリゲス監督は、最近はスター・ウォーズの配信ドラマを手がけていたようですが僕はまったく観ていなくて(Disney+に加入してないので)、彼の映画を観るのは2010年の『マチェーテ』以来、13年ぶり。

 

1995年のアントニオ・バンデラス主演の『デスペラード』以降、90年代から2000年代にかけて監督作品を何本か観ていましたが(『デスペラード』の前日譚で自主映画として撮った『エル・マリアッチ』はレンタルヴィデオで視聴)、ダニー・トレホ主演の『マチェーテ』の続篇も、それからやはり1作目は観た『シン・シティ』の続篇も観なかったし、ジェームズ・キャメロン製作で日本の漫画を映画化した『アリータ:バトル・エンジェル』も観ていなくて、なんとなく疎遠な監督になっていた。

 

以前はタランティーノとツルんでB級テイスト溢れる作品撮ってる人、というイメージが強かったし、普通に楽しんでいたんだけれど、だんだん映画の趣味が変化してきたこともあって、昔ほどロドリゲス監督が撮るようなタイプの映画に足を運ばなくなってきたからというのもある。

 

でも、この最新作の予告篇を観て、ちょっとこれまでの作品とは毛色が違うもののような感じがしたのと、「どんでん返し」系っぽくて公開前にTwitter(あえてまだこう表記)上で褒めている人がいたので、これは観たいな、と思って。10月公開の映画の中では結構、というか、かなり期待していたのです。

 

空に地上の景色が映って、それがググーッと湾曲するヴィジュアルは『インセプション』を思わせたけど、刑事モノで「どんでん返し」がある、というのに大いに惹かれて、それ以上は情報を入れないようにしていた。

 

そして10月を締める作品として劇場に臨んだ。わくわく。

 

…ところが──(キターー!!

 

まぁ、映画の評価なんて人それぞれですし、誰の評価が正しくて誰が間違ってるとか、そんな簡単に決めつけることなんてできないですからね(予防線)。

 

あくまでも、僕個人がこう感じた、ということを述べているだけに過ぎませんから。この映画を大いに楽しまれたかたもいらっしゃるでしょうし、そのことにケチをつけるつもりはありませんのでご了承ください。もう、こういう言い回しでお察しいただけるでしょうが…。

 

公園でふとした隙に見失い、そのまま行方知れずとなった幼い娘のことが心の傷になってセラピーに通いながら刑事を続ける主人公が、ある銀行の貸金庫に入れられているモノが奪われる、という匿名の通報をもとに現場に駆けつけたところ、わずかな言葉のやりとりで会ったばかりの人たちに思いのままの行動をとらせている謎の男に気づき彼を追うが…という冒頭からの展開は勢いがあって、謎の男を演じるウィリアム・フィクナーの存在感、そのあまりに大胆不敵で神出鬼没なキャラクターに魅せられて、この先どうなっていくのか興味を惹く。

 

 

 

ちなみに、ウィリアム・フィクナーは先ほど挙げた『インセプション』の監督、クリストファー・ノーランの『ダークナイト』では銀行で謎の男ジョーカーにおちょくられる男性を演じてましたが、このキャスティングはわざとだよね。ハイ、『インセプション』意識してますがそれが何か?みたいな(^o^)

 

ベン・アフレックとは『アルマゲドン』で共演してましたし。

 

 

 

いや、今申し上げたようにフィクナーさんはこの役柄にハマってたし、彼のおかげで映画が確実に面白く感じられたところはあったから、ノーラン作品への目配せとは関係なくナイスなキャスティングだったと思いますが。

 

ただ、予告篇の時点でSF的な要素があるっぽいことは示唆されてはいたものの、それでも僕は「どんでん返し」のある刑事モノ、という部分に期待をしていたんですよね。

 

そういえば、ベン・アフレックはジョン・ウー監督の『ペイチェック 消された記憶』(2003年作品。日本公開2004年)という、フィリップ・K・ディック原作の映画に主演していた。

 

もう内容は覚えていませんが、記憶を消された主人公の手許に残された数々のガラクタが次々に役立って、最終的な目的を果たす、といった話だったよーな。

 

だから、SFテイストでも描きようによって「どんでん返し」は充分成り立つと思った。

 

でも、劇場で流れていた予告篇では巧妙に隠されていたけれど、アリシー・ブラガ演じる占い師・ダイアナが登場するあたりから、実はこれが「超能力モノ」だったことが判明する。

 

 

 

映画の原題は“Hypnotic”で、hypnotic(ヒプノティック)とは「催眠状態の」という意味だけど、この映画の中では「ヒプノティック」と呼ばれる強力な催眠術、もしくは催眠方法というのが実在することになっていて、それについての説明台詞が劇中ところどころで結構な長さで続く。

 

そして、どうやら主人公のロークはそのヒプノティックを操る者たちの組織に追われていることがわかってくる。

 

行方不明の娘を捜すポリティカル・サスペンスだと思っていたら、超能力をめぐるお話だった。

 

劇中では「超能力」とは一言も言ってないけど、声や視覚などを使って相手に暗示をかけるのが催眠術だとしたら、最初のうちはヒプノティックの遣い手である“レヴ・デルレーン”(ウィリアム・フィクナー)は次々と人々に短い言葉で暗示をかけていくのが、次第にダイアナ同様に超常的な力で相手を操るようになる。それはもうほとんど超能力。

 

自分が見ていたのは幻だった、という展開や組織との戦いなど、『インセプション』や『マトリックス』みたいな世界。

 

あの2本の映画も説明台詞は膨大だったけど、それを上回る驚異の映像で観る者を圧倒して、それが作品の魅力となっていたし、設定に関する長ったらしい台詞についてもいろんな考察をする余地を与えていた。

 

でも、この『ドミノ』にはそういう凝った映像の面白さはほとんどないので、ロークの娘・ミニー(ハラ・フィンリー)が実は最強のヒプノティックの能力を秘めていて、彼女の力を利用しようとしている組織から娘を守るためにローク自身がヒプノティックを使ってミニーを隠していた、と判明してからは、主人公と超能力組織との戦いがひどく安っぽく見えてしまった。

 

“レヴ・デルレーン”という名前は、ミニーの居場所のアナグラムだった

 

この映画に対しては「これでは“なんでもあり”じゃん」というツッコミがあるけど、催眠術とか超能力を出すなら、そこに一定の条件をつけるとか、制約を加えることでサスペンスを生み出すことは可能だと思うんですよね。

 

それがなくて、なんか顔面にちょっと力を入れたら画面の周囲が少しだけ歪んで相手側が勝手に同士討ちしてくれたり、こちらの思うままに行動してくれるんならそんな便利な道具はないわけで、いくらでも都合よく話を繋げられる。

 

それではドキドキもしないし、もはや「どんでん返し」も成り立たない。なんでもあり、なんだから。

 

マジシャンたちを描いていた『グランド・イリュージョン』で、“催眠術”が実在してそれを自在に操れる人物が登場していたように、映画の作り手たちは観客に「この世界には催眠術というものがある」と信じ込ませようとしていたけど、その時点で伏線を張って最後に種明かしをするロジカルな推理モノも「どんでん返し」も霧散してしまう。

 

「グランド・イリュージョン」シリーズは、ストーリーをスピーディに進めていく代わりに大切なものを犠牲にしてしまっていた。

 

催眠術といえば『ナイトメア・アリー』ではその仕組みを解説していたし、心理的に人を欺く術の危険性を示すことで、それがナチズムなどの洗脳へと繋がる怖さとなって観客に思考を促すことにもなっていた。

 

娯楽映画には社会的テーマやメッセージだとか現実の世の中との接点がなければならないわけじゃないし、そんなものは微塵もなかった『オペレーション・フォーチュン』が愉快だったように、要は観てる間その作品に惹き込まれて楽しめればオッケーなんですが、この映画の中の「超能力組織」がカルト宗教団体を思わせるように、もうちょっと工夫すればより映画の中身に入り込んでリアリティを感じることができたと思うんだけどなぁ。

 

でも、最強超能力少女の争奪戦だったこの映画に僕は真剣に観るべき何ものをも見出せなかったし、そしてここが肝腎なんだけど、エンタメ作品として「どんでん返し」に驚かされたり興奮させられることもなかった。ほんとにガッカリ。これが“構想20年”の作品なの?ノーランやウォシャウスキー姉妹に怒られません?(;^_^A

 

ここ最近観た映画の中でも、その肩すかしぶり、期待はずれ度はかなりでした。

 

これの前に観た『ザ・クリエイター/創造者』の感想であの作品を「あまり楽しめなかった」と書いてしまったのだけど、正直、この映画に比べたらまだ面白かったんじゃないかと思ったぐらいに。

 

…まぁ、僕が勝手に期待値を上げ過ぎたせいではあるけれど、でもなぁ。ほんとにもったいない。

 

それにしても、強力なパワーを持つ少女をめぐる話、って『ザ・クリエイター』もそうだったし、なんでそこまでカブるんでしょうね(少年ではダメなのか?)。

 

唯一楽しめた要素は、この作品の中で描かれる、ロークを欺いて彼の記憶の中にあるミニーの居場所を突き止めるために組織が行なう仕掛け、まるで『スティング』のような大勢の人員による芝居が(これまでに12回繰り返した、と言及される)、「映画」というもののメタファーに見えるところ。

 

組織のメンバーたちが簡易セットの中でそれぞれの役割を演じている姿は、「映画」を撮影中の出演者たちのそれを連想させるし、あの“組織”とは、ローク=「観客」を騙して彼が見ているものがあたかも本物であるかのように思わせようとする、映画の作り手たちそのものでもある。

 

また、赤の他人だと思っていたダイアナが実はロークの妻であったり、彼女やデルレーン、そしてロークやミニーが人知を超えた能力を持っているなど、これってなんにでもなれてしまう「俳優」という不思議な存在を描いているとも言えるわけで。

 

俳優は作品ごとに、時には同じ作品の中でさえ別の人物を演じるし、他人同士で夫婦や親子になったり、ミュータントや超人になりきったりもする。──そうやって観客に催眠術をかけている。

 

この映画では『アリータ:バトル・エンジェル』で使われたセットを再利用したのだそうだし、メキシコのシーンが実はパネルを立てたセットだったことが真上からのショットでわかるシーンなど、「映画」というものの奇妙さ、さっきまで本物のように感じて疑いもなく見ていた景色がニセモノだとわかって、ふと自分の足場が崩れたような感覚に陥る瞬間の楽しさはあった。

 

それが最後まで持続しなかったのが残念。

 

邦題になった“ドミノ”は、自分が信じてきた世界の崩壊感を象徴する、個人的にはいいタイトルだと思いますが

 

幻を見せられていた、と思っていた人物が実は他の者たちに幻を見せていた…と思ったら──と延々続きそうになる際限のない話で、何しろ彼らが使ってるのが「超能力」なので、そこに「そうだったのか!」という驚きも面白さもない。

 

こういうのは「どんでん返し」とは言わない。

 

「ドラえもん」の中で漫画家のフニャ子フニャ夫が描いた「ライオン仮面」で、主人公のライオン仮面の代わりにオシシ仮面が出てきたが、結局敵に捕まってしまい絶体絶命──と思ったら今度はオカメ仮面が現われて…といつまで経っても終わらない連載漫画のようなもので。

 

途中まではこの話がどう決着するのかという興味で楽しめたんだけど、どんどん「なんでもあり」な状態になっていくにしたがって、観てるこちらの緊張感も集中力も薄れていったのだった。

 

ベン・アフレックって、『ザ・コンサルタント』の寡黙な殺し屋や『ザ・フラッシュ』のバットマン(自ら監督もした『アルゴ』の主人公も)はかっこよかったのに、なぜだろう、『ゴーン・ガール』の夫とかもそうだったけど、他の映画ではキレ者には見えない。

 

だから、この映画でもデルレーンが催眠術を使って人々を操っているのを見ても「彼らはグルだ」と見当違いのことを言ってて、観ていてじれったかったんだけど、でも結局あの冒頭の銀行でのあれこれは全部組織のメンバーたちのフラッシュモブみたいなお芝居だったんだから、ロークの指摘は正しかったんだよね。

 

どうしても賢く見えないベン・アフレックのイメージを利用したキャスティングの妙ですな(笑)

 

ラスト近くでデルレーンを前にした「してやったり」なドヤ顔がねぇ^_^;

 

映画館でどうしても観ておくべき作品とも思えなくて、配信とかでも充分だろうと感じたし、久々に観た監督作品がこれではなぁ、と僕にとってはかなり残念な出来の映画でしたが、でもどこか憎めないところもある。

 

まず、上映時間が短い(^o^) 94分。

 

これで130分とか140分あったら、確実に「○作」認定してましたが、94分だし、まぁねぇ、と。さくっと観られますから。

 

先ほどタイトルを挙げた『オペレーション・フォーチュン』のように、観終わって即内容を忘れるような作品でも観終わった直後に「面白かった」と思えればいいんで、そのためにはやはりシナリオは大事ですね。ロドリゲス監督は、ガイ・リッチー監督に脚本書いてもらったらどうだろう(侮辱?)w

 

ダイアナ役のアリシー・ブラガは『ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結』以来ですが、なぜかこの女優さん好きなんですよね。そんなに出演作品観てないけど。もっともっといろんな映画で彼女を見たい。

 

 

 

メキシコ系のロバート・ロドリゲス監督がエンタメに徹した作品を撮り続けているのは、何か強いポリシーがあってなのか、ただ政治や社会情勢に無関心なだけなのかわからないけれど、潔いといえば潔いし、彼のようなクリエイターも必要なのでしょう。

 

だけど、ロドリゲス監督の持つエンタメ志向にさらに少しでも社会を映すような要素が加われば、もっと面白い映画になると思う。その前にシナリオの推敲をお願いしたいけど。

 

次回作は、ぜひ予告篇以上に面白くしていただきたいです。

 

 

 

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