デヴィッド・フィンチャー監督、ベン・アフレックロザムンド・パイクニール・パトリック・ハリスタイラー・ペリーキャリー・クーンキム・ディケンズ出演の『ゴーン・ガール』。R15+

原作はギリアン・フリンの同名小説。



結婚5周年の記念日にニック・ダン(ベン・アフレック)の妻エイミー(ロザムンド・パイク)が行方不明になる。エイミーの母親(リサ・バネス)は娘をモデルにした児童書「完璧なエイミー」を著した作家で、エイミー失踪のニュースはただちに全米に知れ渡る。ニックの家を調査したロンダ・ボニー刑事(キム・ディケンズ)は、荒らされた現場に不自然さを感じていた。




2012年の『ドラゴン・タトゥーの女』に続くデヴィッド・フィンチャーの最新作。

映画館で目にした予告篇が期待感を煽るものだったので楽しみにしていました。

とても評判がいいようで。

原作小説は読んでいません。

予告篇からわかる以上の情報はほとんど入れずに劇場へ。




で、早速結論からいきますが、…うーんと、僕はちょっと期待してたような面白さは感じませんでした。

いや、中盤までは先の展開がどうなるのか、という興味でぐいぐい見せられるのでけっしてつまらなくはなかったんですが、後半ちょっと飽きてきちゃって。

2時間半をまったく飽きさせない、という感想もあるけれど、僕は特に終盤あたりになって、この展開どーでもいいなぁ…と思ってしまったんですよね。

どの辺がどーでもよく感じてしまったのかはのちほど述べますが。

でもまぁ、「今年一番!」とか言って褒めてるかたがたは多いんで、多分、作品の出来に問題があるんじゃなくて、単に僕が原作者が脚本も担当したこの作品の良さをきちんと理解できていないんでしょう。

だけどしょーがねぇじゃん、とも思うんですが。

だってこれ「結婚」についての映画なんだもの。

こちとら独り身だし、今後も所帯をもつ予定はない。そんな奴に既婚者の大変さなんか実感できるわけがない。

だから、たとえばこれまで『レボリューショナリー・ロード』とか『ブルーバレンタイン』など「結婚」や「夫婦」について苦い後味を残す作品群を観て大いに身につまされた人たちはこの映画にもいろいろと感じるものがあるのかもしれませんが、僕にはよくわからなかった。

わからないなりに無い頭をヒネりながら、他のかたがたのレヴューも参考にしつつ感想を書いていきます。


いつも無抵抗でだっこされてるネコさんが可愛かったですな

それではこれ以降はネタバレを含みますので、未見のかた、これからご覧になるかたはご注意ください。



すでに映画評論家の町山智浩さんの解説は聴いていたので、ほんとはこの映画はミステリーの要素が主眼ではなくて、すべては結婚生活についてのメタファーなのだ、ということは知っていました。

上映中はそれも忘れて作品に没入していたんですが、後半あまりにお話がすっ飛びすぎて^_^;

いや、ブラックなコメディとして観ることができるというのもわかったし、事実エイミー関連の場面のいくつかでは笑っちゃいましたが。調子コイて「イエス!」と飛び跳ねたらお金落とすとことか。

デジーにレイプされて彼を殺して命からがら逃げ帰ってきた、と主張するエイミーに対してニックが「両手を縛られてたのに、どうやってナイフを手に入れたんだ」とツッコむところや、悲劇のヒロインの生還を演出するために刑事の質問も無視して必死にまくしたてるエイミーとか、客席から苦笑が漏れてましたし。

アゴをイジられすぎのベン・アフレックも、このあと『バットマン vs スーパーマン』でバットマン演じてるのにアゴばっか見ちゃうじゃないかw

鑑賞後にこの映画をスタンリー・キューブリック監督の『アイズ・ワイド・シャット』に例えるレヴューを読んで、妻の最後のキメ台詞もあったし、「なるほどなぁ。確かに言われてみれば似たテイストかも」なんて感心したんですが、僕は観てる最中、なぜかデヴィッド・リンチの映画を連想していたんですね。


実はフィンチャー印満載の傑作『ゴーン・ガール』(ネタバレあり!)


同じデヴィッドつながり、というわけじゃないですが。

ヒロインのエイミーを演じるロザムンド・パイクの顔の表情が時折リンチ作品の常連女優ローラ・ダーンにちょっと似てたから、というのもあるかもしれない。

ちなみにロザムンド・パイクは、僕がクソミソにケナした『ワールズ・エンド』でヒロインを演じてた人(別に彼女の演技にケチつけたのではない)。

『アイズ・ワイド・シャット』がトム・クルーズがヒドい目に遭いながら街を彷徨う様を描いたコメディとして観られなくもない(笑えるかどうかは別にして)ように、デヴィッド・リンチの映画は犯罪を描いてても明らかにコメディとして作られてもいるので、内容は深刻なのにどこか登場人物たちを突き放してて時々アホな場面が入ってたりするとことか、この『ゴーン・ガール』と共通するものがあるんじゃないか、と。

もちろん、リンチとフィンチャーでは作風はかなり異なりますが。


映画は3つのパートに分かれていて、1つめはエイミーが失踪してから夫のニックがマスコミの前で会見をして世間の同情を集めるが、やがて彼自身が妻殺しの犯人として疑われだすまで。

 
“完璧な”カップルだった二人


2つめは夫によって殺された、と思われていたエイミーの行方。

妻を失った夫への同情は、自分の死を偽装してまで夫の許から逃げなければならなかった妻への同情に移っていく。

映画の観客は、劇中の一般市民たちと同じように物語が進んでいくうちに何者かによって感情や善悪の判断を操作されるのだ。

その手際は実に見事で、観客は妻に去られてうろたえていたはずの夫にいつのまにか「女の敵」として憎しみさえ抱くようになる。

3つめは、そんな夫の哀れな被害者だったはずの妻の正体について。

そして最後のエイミーの「これが結婚なのよ」という捨て台詞によって、この映画が結婚のカリカチュアだったことがわかるという仕組み。

またここには、勝手な憶測で人を殺人犯と決めつけて糾弾するマスコミや、不確かな情報を鵜呑みにして攻撃の矛先をあちこち変えまくる世論への痛烈な批判がある。

もうこの映画の中のマスコミは、嫌いな言葉だけどハッキリ「マスゴミ」と呼んでいいぐらい卑劣でクズいし、それに踊らされてセレブ妻失踪事件を騒ぎ立てる世間の奴らもどうしようもなく愚かな存在として描かれている。

普通に生活していて子どもを生み育てている主婦でさえも、ヒロインから「バカ女」呼ばわりされる。

最初に書いたように、僕はこの映画を途中まで、具体的にいうとエイミーがニックによって日々苦しめられてきて、自らの「死」をもってそんな夫への復讐に乗りだすあたりまではかなり楽しめたのです。

あぁ、これもフェミニズム的なテーマの映画だったのかな、と。

粉砂糖が舞う夜の美しい想い出は、粉雪舞う夜に裏切られてしまった。

よりによって学校の教え子の小娘に私と同じように愛のサインを送るなんて。

なるほど、虐げられた女性の復讐劇か。イイネ!と。

ところが、そのように一方的に夫から被害を受けてきたように思えたエイミーは、実はサイコ女だったことが判明する。

この終盤で僕は「えぇ~?(-_-;)」とサガってしまって。

近所の妊婦と友だちになって彼女の尿を採取するとか自分の腕から大量の血液を抜き取って床に撒くとか、事件の真相が描かれるパートでのエイミーの行動からはどんどん現実味が薄れていく。

挙げ句の果てに、かつて彼女をストーキングしていた(とエイミーが主張している)高校時代の元カレとヤりながらの首かっ切りとか…安手のホラー映画のノリ。

このやりすぎぶりはデフォルメでギャグなんだ、というのは理解できるけど、僕にはそれらが何の隠喩なのかわからなくて。

浮気や不倫をオーヴァーに描いてみせたんだろうか。

たまには、かみさんは家を出てハメを外せって言ってるのか?w

それにしても、もう限りなくおばちゃんに近いおねえさんがケツをプリップリさせながら偽装工作してるとこ(ニックの実家で失踪を偽装する場面とデジーの別荘でレイプを偽装するシーンがわざわざ似せて撮られている)とか、可笑しいというか「ヘンすぎるだろそれ」と。

ロザムンド・パイクはアカデミー賞主演女優賞ノミネート確実、みたいにいわれてるし熱演なのは確かなんだけど、でもあまりにヘンすぎるだろ、と^_^;

怪演、といった方がいいかもしれない。

まぁ、『ブラック・スワン』のナタリー・ポートマンみたいに“イッちゃってる演技”がオスカー獲ることはけっこうあるから、可能性は否定できませんが。

僕はこれ、なんか日本の2時間サスペンスドラマ観てるような気分でした。特に後半が。

で、散々暴れておいて「これが結婚なのよ」とか言われてもさぁ。

これ聞いて世の中の旦那さんたちは「ヒエェ~(+_+)」ってなるんですかね。

この映画を一言で説明すると「かみさんコワい」って話だし。

だけど、それがどうした、と。

離婚率が増加している昨今、結婚生活を続けていく夫婦の心得みたいなものを描いてるんだろうか。

夫ニックを演じるベン・アフレックの優柔不断ぶり、デクノボーぶりはお見事でした。

妻が失踪中にそれも妹が他の部屋で寝てるにもかかわらず浮気相手の巨乳娘とちゃっかりヤっちゃうとか、下半身のだらしなさなんかもほんとにこういう男っているもんな。

巨乳チャンがバカっぽく描かれているのもお約束で。

セックス以外で妻に関心を持つこともなく、妻が昼間誰とつきあってどんな生活をしているのかも、彼女の血液型すら知らない。

あの夫の姿を見て、「…あれ俺じゃん」と思う人は多いんでしょうな。いや、セックスレスの夫婦も多いようだから(知らんがな)実情はもっとヒドいのかもしんないが。

「無職は初めてで…」と言ってゲームしてる夫の姿とか、僕は共感よりも「死ねばいいのに」という感想しか浮かばなかったですね。

この夫婦は二人とも失業中で借金もある。

妻は母親に精神的に支配されている。

このことについてブログでとても的確な批評をされているかたがいらっしゃるので、勝手に紹介。

すみません、ご迷惑でしたら消しますので。


ゴーン・ガール/他人が”わたし”を創り出す 映画感想 * FRAGILE


エイミーは実は意識せずに母親に復讐しているのではないか、というこのブログ主さんの指摘は、言われてみれば納得だけど僕はそこに気づけていなかったし、目から鱗でした。

「完璧なエイミー」として母親にその実像ではなく理想像の方を愛されてきた娘は、母親の抑圧から逃れようとして失踪した。

しかし、結局夫を刑務所送りにすることも自害することもできずに、元カレを惨殺して大嫌いだった夫の実家に戻ってくる。

そして再び自分にふさわしい完璧さを夫に求めて、蜘蛛女のように彼を絡めとって捕らえるのだ。

夫が妻に興味を失ったのも自分の生徒に手を出したのも、こういうことが原因だったのではないか、というオチ。

で、僕はそこになんか釈然としなかったのでモヤモヤが残ってしまったのです。

なんでエイミーを夫の無関心や浮気を正当化させちゃうような病的なまでの「完璧さ」(と彼女が勝手に信じている“こだわり”という名のワガママ)に囚われた女性にしてしまったのだろう、と。

それは僕のような女性をよく知らない「モテね男」にはわからない、女性としての何か“病理”があったりするんでしょうか。

そりゃ強迫観念のように「完璧さ」を求め続ける妻、というのは逆にいえばつねに完璧じゃない状態なわけで、生身の人間なんだからワガママだったり言ってることややってることがいつだって正しいというのでもない、それが現実の女だ、妻だ、ってことなのかもしれないが。

「卵が先か鶏が先か」みたいに、ニックに問題があったからなのか、それともエイミーに問題があったからなのか、ほんとの原因はどちらなのか。

あるいはどっちもどっち。お互い様、ということなんだろうか。

どちらが悪い、と白黒つけるのが目的ではないのはわかりますが。

「結婚」というのはそういうことなんだ、と。

…だから、知らんがな。


かつて天才少年ドギー・ハウザーだったデジーことニール・パトリック・ハリスが、エイミーに執着したばかりに悲惨な最期を遂げるのが気の毒すぎる。




彼は高校時代にエイミーとつきあっていたがフラれてから彼女をストーキングしていた、ということになっているけど、先ほどのブログ主さんが書かれていたようにレイプ事件と同様エイミーの狂言だった可能性が高い。

この人、超金持ちなんだけど自分の型にカノジョをハメたがる男らしく、エイミーにとってはただの金づるでしかない。

彼との再会以降も、エイミーが何考えてるんだかさっぱりわからないんでそのままデジーとくっつく気なのかと思ってたら、股間にワイン垂らして狂言レイプを熱演、ベッドの上で絶頂中のデジーの喉を隠し持ってたカッターナイフでスパッとイって逃亡。

このあたりで僕は「あーあ」ってめんど臭くなってしまったのでした。

だってまるでポール・ヴァーホーヴェンの『氷の微笑』みたいに安いんだもん。

僕たち観客は、ニックとともに「エイミー劇場」に延々つきあわされてるわけで。

エイミーのそういうところに小気味よさを感じて応援したくなる人もいるかもしれませんが、僕はもう満腹でした。


あと、ニックと双子の妹のマーゴ(キャリー・クーン)の関係が僕にはどうもよくわからなくて。

近親相姦を疑われたりもするけれど、ニックがマーゴに言うように、彼女は兄の正気を象徴しているというか、二人で一人みたいなものなのかな、と思ったんですが。

 


最後に再びエイミーが戻ってきて彼女が妊娠してることがわかるとマーゴが泣いてたんだけど…なんで?

ごめんなさい、ちゃんと観てたんだけど、この映画、僕にはよくわかんないことが一杯で。

それと、最初は小さなことも見逃さない敏腕刑事に見えたボニーがやがて後手後手に回るようになって、中盤以降では観客がすでに知ってる事件の真相について誤った証拠でニックを逮捕したりするようになるのも、なんかのはぐらかしなんでしょうか。

この人、けっこう大きな役なのに、結局ニックにもエイミーにも振り回されっぱなしなのよね。




ニックとマーゴが協力して敏腕弁護士のタナー・ボルト(タイラー・ペリー)を雇って逆襲に転じていく展開は面白かったし、観客が劇中のマスコミや一般人たちと同じようにニック側についたりエイミー側についたり、またニックの方に戻ったりとあっちこっちに振り回されて作り手の術中にまんまとハマってることに気づかされていく過程はエキサイティングではありました。




ニックを殺人犯呼ばわりするTV番組の司会者役のミッシー・パイルは年々“しゃくれ”が激しくなってきてるような気がするけど、好きなんだよな、この人。

ギャラクシー・クエスト』では宇宙人役で宇宙語喋ったりしてた。

 


いろんな映画に出てるけど、顔見るといつも「あ、ギャラクエの人だ」と思うw

で、最後は「仲直りよ」とか言って平然とニックとエイミーの仮面夫婦にインタヴューしている。

悪意に満ちた映画だったことは間違いないですね。

ダメージを受けた、という人がいるのもわかる気はする。

でも俺にはやっぱりあまりピンとこなかったなぁ。

『ドラゴン・タトゥーの女』もそうだったけど、観終わって「うわぁ、超面白かった!」ってならないんだよな。

セブン』は劇場で観た時、物凄く興奮したんですが。

まぁ、映画って2度目が一番面白い、ってこともあるから、もう一回観たらお気に入りになったりするかもしれませんが。

この映画では、両親が有名人で(しかし多額の借金があることがエイミーの告白でわかるのだが)娘とその夫も一見非の打ちどころのない夫婦なんだけど、実は彼らの結婚生活が欺瞞に満ちたものであることが暴かれていく。

エイミーもニックもいつも互いに偉そうなこと言ってセレブ気取りだけど、実際には自分で自分のケツも拭けないような人物でちっとも大人じゃない。

エイミーが逃亡先で金を奪われて無一文になりデジーに助けを求めるくだりは本筋から外れるようでちょっと蛇足な気もしたんだけど、ここではエイミーがいかに依存心が強いか、ということが描かれている。

彼女はいつだって誰かに助けを求める。自分で金が稼げなくても、いざとなれば他の誰かから引っ張ってくる。これまでもそうやって生きてきたんだろう。

彼女は「完璧なエイミー」を演じ続ける根っからの女優なのだ。

だからしばしばまわりの人々を翻弄もする。




僕はこれは、女性はそうやって人生をサヴァイヴしてんだよ!っていう話なんだと解釈しました。

自分のカノジョやかみさんはそんなことない、と言える男はいないでしょう。

これは、あんたはどれだけ彼女のこと知ってるの?っていう意地の悪い問いかけなのだ。

この映画観て僕みたいにビビッちゃうような男には、そもそも結婚など縁遠い話なんだろうな(T_T)



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