ジュスティーヌ・トリエ監督、ザンドラ・ヒュラー(サンドラ)、ミロ・マシャド・グラネール(ダニエル)、スワン・アルロー(ヴァンサン・レンツィ弁護士)、サミュエル・タイス(サンドラの夫・サミュエル)、アントワーヌ・レナルツ(検事)、ジェニー・ベス(マージ)、サーディア・ベンダイブ(ヌール・ブダウド弁護士)、カミーユ・ラザフォード(ゾーイ・ソリドール)、アン・ロトジェ(裁判長)、ソフィ・フィリエール(モニカ)ほか出演の『落下の解剖学』。2023年作品。

 

第76回カンヌ国際映画祭、パルム・ドール(最高賞)、パルム・ドッグ賞受賞。

 

人里離れた雪山の山荘で、視覚障がいをもつ11歳の少年・ダニエル(ミロ・マシャド・グラネール)が血を流して倒れていた父親のサミュエル(サミュエル・タイス)を発見し、悲鳴を聞いた母親が救助を要請するが、父親はすでに息絶えていた。当初は転落死と思われたが、その死には不審な点も多く、前日に夫婦ゲンカをしていたことなどから、妻であるベストセラー作家のサンドラ(ザンドラ・ヒュラー)に夫殺しの疑いがかけられていく。息子に対して必死に自らの無罪を主張するサンドラだったが、事件の真相が明らかになっていくなかで、仲むつまじいと思われていた家族像とは裏腹の、夫婦のあいだに隠された秘密や嘘が露わになっていく。(映画.comより転載)

 

最初に劇場で予告篇を観た時から気になっていたんですが、カンヌではパルム・ドールを、また他にもゴールデングローブ賞をはじめいくつもの賞を受賞していて、今年の第96回アカデミー賞で作品賞、監督賞、主演女優賞、脚本賞、編集賞の5部門にノミネートされていますね。

 

まもなく結果がわかります(^-^) ※授賞式は日本では3/11(月)。

 

なるほど、見応えがあったし、あとでまた触れますが、カンヌで受賞、オスカーにノミネートされた理由も理解できる。

 

では、大好きな映画かと言ったら個人的にはそうではなくて、紛れもなくよくできた作品であることは疑いようがないのだけれど、繰り返し観たいタイプの映画ではなかった。

 

予告やポスターの雰囲気から感じられるような「法廷ミステリー」っぽさをうかがわせながらも、実は謎解きを描いた作品ではなかったから。

 

これ以降はネタバレを含みますので、これからご覧になるかたは鑑賞後にお読みください。

 

その前に、どうでもいいことなんですが、一言。

 

どうも近頃の若いかた(嫌な言い方ですね^_^; いわゆるZ世代)は「タイパ(タイムパフォーマンス)」がどうとかということで、映画のオチをまず先に知っておいてその作品が「当たり」かどうかを確かめてから観る傾向がある──「間違いたくないから」みたいなことをTVで言ってて反吐が出そうになったので(あの番組で言ってたことが事実なのかどうか確証はないが)、できればそういう人たちには自分のブログを読んでほしくないと思いました。

 

そういう目的で書いているのではないから。

 

基本的には「すでに観た人」のために書いています(誰が誰のブログを読もうが、読む人がどういう目的で読もうがそんなのは人の自由ですが)。

 

…というか、自分が観た映画の内容について語ればどうしたってオチに触れずにはいられないので書いているまでで、この映画が観る価値があるかどうか判定したり、まだ観ていない人にオチを教えて悦に入りたいとか、そんな理由じゃないので。

 

僕のブログ記事をわざわざ読んでくださっているかたがたは人数も限られているだろうし、もともと映画がお好きでいつもご自身で観たい映画を決められているのでしょうから、こんなこといちいちお断わりするまでもないと思いますが。

 

この映画は上映時間が152分あって、それなりに長いし、最初に書いたように見応えはあった一方で、僕は最近の映画の上映時間の長さには疲れてもいて、ちょっとどの映画も長過ぎねぇか、と感じています。

 

それでも作品を鑑賞したこと自体は僕にとって貴重な体験だから、たとえばかなり文句も言った『ボーはおそれている』だって「後悔した」とか言いつつも、別にあの映画を観た事実を「なかったこと」にしたいとは思わない。

 

文句があればああやって感想の中で書くだけです。

 

そうやって「わー、失敗した!」という体験も積まないで、「失敗したくない」と最初から内容もどんな作品なのかも全部わかったうえで映画を観てて何が楽しいんだ、って話で。

 

そりゃ映画観るのにはお金がかかるから慎重になりたいのはわからなくもないし、身銭切って貴重な時間を提供するから痛みも伴うけど、その一方で自分の選択によって素晴らしい作品に出会えた喜びもあるわけで、つまらなかったなぁ、退屈だった、と不満の残る映画も何本も観てきて、ようやく自分にとって「面白い映画」がどんなものなのか知っていくんでしょう。

 

そんなに劇場のチケット代が惜しいんなら配信とかで観りゃいい(あ、人よりも早く観たいんでしょうかね。贅沢抜かすな)。

 

…映画の感想の前に長々とすみません。タイパとかいう言葉がマジで嫌いなもんだから。ひと頃の「ファスト映画」もそうだけど、映画に対して「タイパ」などという言葉を使う人とはお近づきになりたくない。

 

それに、人づての評価はあてになりませんから。僕の評価を見てから実際に映画をご覧になったら、それがよくわかるでしょう(;^_^A 人の評価はあくまでも人の評価に過ぎないので。自分の感覚を信じようぜ。

 

では、ここから感想に行きます。

 

謎解きを描いた法廷ミステリーではないのなら、ではなんの映画だったのかというと、「夫婦」についての映画でした。

 

 

 

僕がまず連想したのはノア・バームバック監督、スカーレット・ヨハンソン、アダム・ドライヴァー主演の『マリッジ・ストーリー』。

 

あの映画で仲がこじれた両親の間に息子が挟まれる構図というのは今回の『落下の解剖学』と同じで、『落下の解剖学』は互いに同業者であるジュスティーヌ・トリエ監督と夫のアルチュール・アラリが共同で脚本を手掛けている。

 

バームバック監督は妻のグレタ・ガーウィグ監督の『バービー』で、夫婦で共同脚本を務めている。『バービー』はオスカーの監督賞と主演女優賞(マーゴット・ロビー)にノミネートされなかったのがちょっと話題になってましたが(『バービー』は、それ以外の作品賞など7部門でノミネートされている)。

 

面白い偶然ですが、このあたりで『落下の解剖学』がほんとは何についての映画だったのかわかる。

 

また、僕が連想したもう1本は、ちょうど今から10年前に公開されたデヴィッド・フィンチャー監督の『ゴーン・ガール』で、あちらは『マリッジ~』や『落下の~』よりもさらに戯画化されていてコメディっぽくもあったけれど、妻の殺害を巡るお話だと思っていたら「夫婦」の話だった、というオチでしたよね。

 

最後の妻の一言、「これが結婚なのよ」にすべてが集約されていた。

 

だから、それを理解したうえでこの『落下の解剖学』を観れば、人によってはとても面白いと思う。

 

でも、僕は結婚もしてないし子どももいないので、鑑賞中は他人の夫婦喧嘩を延々見せつけられているようでもあって、観終わってグッタリしました。

 

繰り返し観たいとは思わない、というのはそういうことで。

 

ただし、この映画には男女関係や結婚生活について以外にもさまざまな要素が散りばめられていて、さすがにそれは僕にもわかったので、何度も観ることでいろんな伏線に気づけたり、単なる「夫婦」についてのお話以外の部分で面白味を感じられるかもしれない。

 

かつて夫が捨てたアイディアを使って書いた小説が大ヒットしてベストセラー作家になったサンドラはドイツ人で、夫のサミュエルはフランス人なんだけど、この夫婦は会話には英語を使っている。

 

僕の記憶が間違っていなければ、劇中でサンドラが母国語であるドイツ語を使っている場面はなかった気がするし、サミュエルもフランス語を使っていなかったような。

 

つまり、彼らの間には、まず“言葉”というフィルターがかけられている。

 

ダニエルが事故で弱視になったこと──物がよく見えない──という設定もそうでしょう。劇中の誰もが自分の想像を駆使したり、被疑者や証人の証言、現場検証をした専門家たちの意見などを参考にして判断せざるを得ない。

 

この映画では“夫の死因”という「事実」を巡る永遠に解けない謎が仕掛けられているのだけれど、誰もが可能性や残された血痕の位置、録音された夫婦喧嘩の音声、息子のダニエルの証言などから推測する他なくて、誰も見てはいない、確固たる証拠のないその死の真相は最後まで明かされることはない。

 

それはこの映画を観て観客がどう解釈するか、どのように考察・分析して結論付けるのか、ということと重なっていて、だからこれは映画について描いた「メタ映画」でもある。

 

この映画について観た者たちがあーでもないこーでもないと議論するのは、映画の後半での法廷の場面と同様、正解のないものについて語り合っているということ。

 

そういう、1本の映画の中に多くのメタファーが含まれているので、多分、観るたびに別の要素が目に入ってくる非常に豊かな内容だから、オスカーの脚本賞にノミネートされたのも当然だと思うのです。

 

152分の映画をもう一度観る気力や体力は僕にはないので、この映画を再度鑑賞することはないでしょうが。

 

主演のザンドラ・ヒュラーさんは5月24日公開予定の映画『関心領域』(監督:ジョナサン・グレイザー)でも主演していて、こちらも今年のアカデミー賞の5部門にノミネートされているし、僕も観たいと思っていますが、こんなこと言うとほんとに失礼なんだけど、ジャガイモみたいな顔の女優さんだな、と。

 

 

 

いや、彼女の顔の造作を侮辱したいのではなくて、でもいわゆる美人顔ではないところが妙にリアルなんですよね。

 

で、『落下の解剖学』で彼女が演じるサンドラは結構モテるんですよ。

 

わりと男前の夫は他の女性と浮気した彼女に明らかに嫉妬しているし、サンドラが若い時からの友人である弁護士でイケメンのヴァンサン(スワン・アルロー)も、彼女に気がある。

 

サンドラの方は、ヴァンサンとどうにかなりたい素振りは見せない。

 

モテる女ポジションなんだよね。

 

 

 

そして、彼女のような女性作家は現実にいそうだな、と思わせる。

 

ザンドラ・ヒュラーの演技はけっして大芝居ではなくて、とても細やかな表情の変化を見せるもので、徹底的にリアリズムのそれなんですね。

 

 

 

 

彼女の曖昧な表情は監督の演出も効いているのだろうけれど(ヒュラーはサンドラが夫を殺したのかどうか監督から教えられずに演じている)、観る側がいくらでも彼女の表情の中に自分なりに意味付けをすることができるようになっている。

 

だけど、そもそも「正解」はないんですよね、この映画には。

 

これって、要するに男女の間だったり結婚そのもののことなんでしょう。

 

正解がない中で、自分で決めなければならない。選択しなければ。

 

それは、サンドラとサミュエルの一人息子であるダニエルが、彼に付き添っていた女性のマージ(ジェニー・ベス)から告げられたことでもある。

 

信じる“フリ”ではなく、ほんとにそう信じて生きていくのだ、と。

 

ダニエルはマージに、父が精神科に通っていたことや薬を飲んでいたこと、薬をやめてアスピリンの飲み過ぎで吐いたことを知らなかった、と語る。

 

ずっと身近にいて、知っていたと思っていた父のことを自分はちっとも知らなかった。それがショックで彼は涙を流す。

 

彼が嘘を言っている可能性だってなくはないけれど、もしもそうならダニエルは名優ということになる。

 

だから、彼が涙ながらに語ったあの言葉は僕は本当なのだと思うのですが、ここでのダニエルの苦悩というのは『マリッジ・ストーリー』で描かれていたように息子が離婚する母と父の間に挟まれて苦しんでいた、あの姿と一緒で、自分にとっては母も父もどちらも大切な存在だったのに、どちらか一方を選ばなければならない、どっちが正しいのか答えを出さなければならない苦悩なんですね。

 

『マリッジ・ストーリー』の感想の中でも書いたように、DVなど明らかに片方に問題がある場合を除いては、おそらくはどちらか一方が100%正しくてもう片方が100%間違っているなんてことはなくて、両親の不仲や離婚で一番傷つくのは子どもなんだよな。

 

サンドラとサミュエルの口論が次第に罵り合いになっていく場面は、子どもの頃の自分の両親の激しい言い争いを思い出して気分が沈んだ。

 

のちに、あの当時のことを母に話すと、彼女は「お父さんも仕事で家庭どころではなかった」と父を擁護するようなことを言っていたので、いや、俺はあなたが洩らす夫への不平不満、怒りを散々聞かされながら過ごしたんですがね、と思ったのだった。

 

サンドラも、笑っていたと思ったら次の瞬間には嗚咽していたり、穏やかに話をしていたのに急に激昂して壁にグラスを投げつけたり夫をぶったりする。

 

あれだけ夫と怒鳴り合っていたのに、それでも「彼のことを愛している」と言う。

 

どっちやねん、と思うが^_^; でも、そういうものなんでしょう。知らんけど。

 

裁判で無罪の判決が下って、弁護士たちと一緒に酒飲んで笑っているサンドラの様子にとても違和感があったんだけど、人は伴侶が死んだあとでも笑うし(劇中では判決までに1年が経過している)、酒も飲む。

 

ヴァンサンもまた、とても冷静で頼りがいのある弁護士なんだけど、彼はまだ裁判が終わっていない段階で夜にサンドラと酒を飲んで、あからさまに彼女に気がある素振りを見せたりもする。見ていて、すげぇ危なっかしい人だな、と思った。

 

生身の人間は、みんなどこか曖昧で危うい。

 

坊主頭の検事(アントワーヌ・レナルツ)が、やたらとキャラが立ってて面白かったですが。

 

フランスの法廷では、あんなふうにまだ小学生ぐらいの子どもでも証言台で喋らされるんだなぁ。

 

ザンドラ・ヒュラーさんも素晴らしかったんですが、僕はダニエル役のミロ・マシャド・グラネールさんの演技がとても印象に残りました。彼がオスカーの助演男優賞にノミネートされてもよかったのに、と。

 

 

 

 

 

正解はない、と言ったけれど、でもこれは僕の解釈ですが、夫のサミュエルは自殺したんだろうと思いました。

 

彼が録音していた音声は、普段から小説のネタにするためにやっていた、とサンドラによって説明されるけれど、あの夫婦喧嘩は意図的に仕組まれたものに思えたし(夫のキレ方があまりに強引だったから)、あの音声を残したまま自ら死ぬことで彼は妻に復讐したんだろう、と。

 

 

 

飼い犬のスヌープ(メッシ)のことで「いつか別れの時が来る覚悟をしておいた方がいい」と息子に語ったのは、あれは自分自身のことを言っていたんだろうし。

 

作家の才能がないのにいろいろと理屈をつけて自分の「夢」にしがみつき、最後は妻の成功に嫉妬までして彼女に当たり散らして死んだサミュエルのあまりの弱さと迷惑千万な人生に、いたたまれなさを感じるとともに「俺は結婚なんてしなくてよかった」と思ったりもした。あんな苦しみながらする必要、ある?って。

 

好きなタイプの映画じゃないのは確かですが、でも映画は自分が経験していないことも疑似体験させてくれるものでもあるから、こういう映画も俺には必要なんだよなぁ。

 

観た人たちの感想、考察を聞いたり読むことでより映画を楽しめる、というのはあると思う。

 

パルム・ドッグ賞を受賞した“スヌープ”ことメッシ君(♂なのか♀なのか存じ上げませんが)の「演技」がお見事でしたね(しかし、彼は自分が何をやらされているのか理解していたのだろうか)(^o^)

 

さて、この映画、果たして作品賞は獲れるかな?

 

 

第96回アカデミー賞、脚本賞受賞。

 

 

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