ジョセフ・コシンスキー監督、ジョシュ・ブローリン、マイルズ・テラー、ジェニファー・コネリー、ジェームズ・バッジ・デール、テイラー・キッチュ、アンディ・マクダウェル、フォレスト・フライ、レイチェル・シンガー、ルネ・エレーラ、ジェフ・ブリッジス出演の『オンリー・ザ・ブレイブ』。2017年作品。

 

アリゾナ州プレスコット市の森林消防隊は、指揮官のエリック・マーシュ(ジョシュ・ブローリン)のもと、火災現場の権限を持つ“ホットショット(精鋭部隊)”を目指して日々訓練と、溝を掘って防火帯を作り“迎え火”を焚いて延焼を防ぐ消火活動に明け暮れていた。これまで薬物に溺れていたブレンダン・マクドナウ(マイルズ・テラー)は、恋人だったナタリー(ナタリー・ホール)に彼の子が宿ったことをきっかけに心を入れ替え、消防隊に応募する。マーシュは消防署長で旧知の仲のデュエイン(ジェフ・ブリッジス)に隊がホットショットに認定してもらえるよう相談し、二人は市長(フォレスト・フライ)に掛け合う。

 

2013年に起こった「ヤーネルヒル火災(注:映画のネタバレになりますので鑑賞後にお読みください)」を描く、実話を基にした映画。

 

最初はまったくノーマークだったんですが、非常に評判がいいので観てきました。

 

消防士を描いた映画といえばロン・ハワード監督の『バックドラフト』が有名だし(僕も好きですが)、この映画もいかにも「燃えそう」な作品なのはわかったんだけど、予告篇で流れてたヘンな日本語の曲非常に耳障りで(その曲が入ってない予告を貼りました)、なんかかなりイラッときて興味を失いかけていたんですよね。

 

オンリーザブレイブcmが嫌い?exileのコレジャナイ感がすごい

 

 

TVでも流れてたあの予告観て、僕以外にも「なんだこれ( ´・д・)」とシラケた人は大勢いらっしゃるようで。そらそーでしょ。内容と曲が全然合ってないもの。選曲してる人間のセンスを大いに疑う(ブログのレヴューで「『海猿』かい」とツッコんでるかたがいて笑った)。

 

もしもエンドクレジットにあのヘンな日本語の曲が入ってたらつくづく興醒めだなぁ、と観る前は警戒していたんですが、幸いにも僕が観た字幕版には入っていませんでした(吹替版は未確認)。

 

危うくせっかくの余韻が台無しになるところだった。ホッ。

 

今回に限らずハリウッド映画などが公開される時にしばしばオリジナル版にはない日本の曲が「日本版テーマ曲」などと紹介されますが、唄ってる本人たちは依頼されてただ曲を提供しただけかもしれないけど実に意味不明で、観る前に公式サイトなどで確認しても、実際に映画で流れるのか、それともただの「イメージソング」なのかよくわからないものが結構ある。

 

しかも、たまにしっかり日本公開版に流れたりするんで油断ならない。マジでいらない。予告にも入れないでほしい。観る気が失せるから。洋画は作品と無関係な日本のミュージシャンの宣伝の場ではない。どっかよそでやってもらいたい。

 

この映画のエンディングに流れたのはインストゥルメンタルで、劇中でも流れていた旋律にグッとなりました。

 

 

 

以降は物語の内容とラストについて書きますので、これからご覧になるかたはご注意ください。

 

 

さて、僕はジョセフ・コシンスキー監督の映画は『トロン:レガシー』も『オブリビオン』も劇場公開時に観てますが、どちらも微妙な、というかハッキリ言って酷評に近い感想を書いておりまして、だから今回も「あぁ、あの監督か…」とあまり期待し過ぎずに鑑賞したんですが…いやぁ、おみそれいたしました。

 

よかったです。

 

負け惜しみじゃないけど、コシンスキー監督はSFとかどんでん返し系の映画よりも、こういう普通のヒューマン・ドラマの方が向いてるんじゃないだろうか。

 

コシンスキー監督と出演者たち

 

「普通のヒューマン・ドラマ」といったって、物凄い規模の森林火災がリアルなVFX映像で映し出されるスペクタクル映画だから映画館の大画面でこそ観るべき作品であることは間違いないんですが。

 

 

 

考えてみれば当然なんだけど、実際に森を燃やすわけにはいかないので、大掛かりな森林のオープンセットを作って、そこで山火事の撮影をしているのだそうで。

 

 

 

 

本物の山々にも登って、出演者たちはホットショットの元隊員に鍛えられたんだとか。だから彼らのあのたくましい姿はホンモノなんですね。

 

 

 

SFX(特殊効果)は駆使してるし部分的にCGも使用してるんだけど、でもこの作品からはこれまでコシンスキー監督が手がけたSFモノとは違う、生身の人間ドラマの醍醐味を感じたんですよ。

 

 

 

 

『トロン:レガシー』にも重要なキャラクターとして出演していたジェフ・ブリッジスが今回も出てるけど、僕は『トロン:レガシー』の時よりもこの『オンリー・ザ・ブレイブ』の彼の方が断然よかったと思う。出番はそんなに多くはないけど要所要所に顔を出して、ジョシュ・ブローリン演じるマーシュと“グラニット・マウンテン・ホットショット”のメンバーたちをバックアップする頼もしい人物を演じている。

 

 

 

ところで、『キングスマン:ゴールデン・サークル』の時にも気になったんだけど、これまで長髪に無精ヒゲの不良オヤジ、というのがジェフ・ブリッジスについての僕のイメージだったんですが、短髪にして髭を剃った状態で口をちょっとモグモグさせながら喋る様子とか、急におじいちゃんになっちゃったように見えてちょっと心配になってしまった(髪形はデュエイン・スタインブリンク氏ご本人に似せたんだそうだが)。

 

まだ68歳だからそんなに老け込む年でもないと思うんだがな。

 

いや、素敵なおじいちゃんでしたけどね。ギター弾きながら歌も披露するし。

 

終盤で彼が唸るような嗚咽を漏らす場面があるんだけど、観てて涙が出そうになったもの。

 

ジェフ・ブリッジスにはこれからもずっと元気でいてほしいなぁ。

 

デュエインの妻役でアンディ・マクダウェルが出てて久しぶりに顔を見たけど、ジェフ・ブリッジスと夫婦役でもまったく違和感がない。そっか、この人今年60歳なんだ。

 

そして、『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』の悪役サノスの声や『デッドプール2』の新キャラ、ケーブル役などここんとこ出まくりのジョシュ・ブローリンが森林消防隊の頼れる指揮官を、また『セッション』や『ビニー/信じる男』などのマイルズ・テラーが落ちこぼれ新人隊員を演じる。

 

 

 

 

僕は最初、ジェフ・ブリッジスとジョシュ・ブローリンは親子役なのかな、と思ったぐらいで、並んでるとほんとの父親と息子みたいなんだよね。熊っぽい感じが似てる。

 

 

 

彼らはどちらも2世俳優という共通点もあるし。

 

しかし、ジョシュ・ブローリンっていつ頃からこんなにゴツくなったんだっけ。『グーニーズ』のお兄ちゃんだったのに(しつけぇ)。

 

妻役がジェニファー・コネリーというのも、80年代に映画を観始めた者としては、いい人選だなぁ、と。

 

 

 

ジェニファー・コネリーは今も綺麗だけど、この映画ではほぼノーメイクでどこか疲れを感じさせる中年の女性を演じていて、いい年の取り方をしてるなぁ、って思いました。

 

マイルズ・テラーはこの映画で役柄に合わせて髪を明るく染めてるんだけど、おかげでますます顔がマーク・ザッカーバーグに似て見える(劇画調のサバンナ高橋にも見える)。

 

  

 

 

『セッション』でもそうだったけど、なんていうかご本人には大変失礼ですが、あまり出来がよくなさそうな面構えがいかにも落ちこぼれっぽくて、そんな彼が一念発起して努力を重ねる様子には共感を覚えた。

 

また、マクドナウをイジりまくるマック(マッケンジー)役にテイラー・キッチュ。

 

 

 

この人、僕は『バトルシップ』と『ジョン・カーター』以来数年ぶりに顔を見るんだけど、マイケル・キートンと共演した『アメリカン・アサシン』も現在公開中だし、頑張ってますね。

 

今回は『バトルシップ』で浅野忠信とシバき合っていた「チキン・ブリトー!」のバカをさらに頭悪くしたようなキャラで、他の隊員に悪戯してジョシュ・ブローリンに叱られてる時の嬉しそうな表情が最高。

 

訓練中に仲間たちにマックが語る、ラシュモア山の4人の大統領たちの顔が自然な岩の侵食によってできたと思い込んでいる恋人シャイアンのエピソードが可笑しい。

 

昨夜のベッドでの営み自慢、「激し過ぎて、こらえるのが大変だった」「こらえてぇ」

 

森林消防隊の面々の、この頭が悪過ぎる会話w

 

エロ話で盛り上がり、ふざけ合い、現場に向かうバギーの中でノリのいい曲に合わせてケツを出して踊る。

 

中高生がそのまま大きくなったような男たちだが、マクドナウも彼らに徐々に馴染んでいく。

 

最初はまだ身体が鈍ったままで訓練についていけず、自分を「マクドーナツ」呼ばわりするマックが元カノのナタリーのことまで侮辱するとマクドナウは殴りかかる。マックに同僚が「家族の悪口はやめとけ」と一言。独り者のマックにはわからないが、家族持ちには譲れないものがあるということ。

 

やがてマックとマクドナウは意気投合して親友になる。

 

マックは憎めないキャラだけど、実在の人物としてはなかなかヒドい描かれ様ではある^_^; カノジョのシャイアンなんてアホの子扱いだし。

 

しかもシャイアンには浮気されちゃうし、これはどこまで実話なんだろうかw

 

基本、描かれるのはマーシュとマクドナウ、そしてキャプテンのスティード(ジェームズ・バッジ・デール)、マックあたり。

 

 

 

 

あとは賑やかで気のいい奴ら(笑)ということがわかるぐらいで、誰が誰だかほとんど見分けがつかないんだけど、それでも彼らは映画の最後に一人ずつ丁寧に紹介される。

 

今これを読んでるのはすでに映画を鑑賞されたかただけだと思うので早速ネタバレしちゃいますが、僕は「ヤーネルヒル火災」のことはこの映画を観るまで知らなかったし、どんな結末になるのかもまったく予備知識のないままで観たので、この映画のクライマックス直後の展開にはかなり驚いたんですよね。呆然とした。

 

確かにグラニット・マウンテン・ホットショットの隊員たちにはそれぞれ“フラグ”は立てられてたけどさ。でもまさか、あんな結末を迎えるとは。

 

マーシュに見張り役を命じられて部隊と離れて行動していたマクドナウの目前に予想以上に勢いを増した炎が向かってくるが、彼は別の隊ブルーリッジ・ホットショットの隊長に助けられて脱出。

 

一方で、方向を変えて迫ってきた炎に取り囲まれたグラニット・マウンテン・ホットショットの隊員たちは、訓練してきた通り防火テントをかぶって地面に横たわったが、その直後に人間が耐えられる限界をはるかに超えた2000度の炎が一気に彼らを包んだ。

 

彼らが訓練で使っていた“防火テント”があまりに薄っぺらいので、こんなんで猛火を防げるんだろうか、と思ったんだけど、残念ながらあんな強力な炎の熱から人間を守るのはやはり不可能だったようで、マーシュをはじめ19名はそれぞれ防火テントをかぶったまま全員絶命する。

 

20名中19名死亡って、それはあまりに酷過ぎる。

 

これがもし完全なフィクションの物語なら、おそらく隊員の何人かが犠牲になりながらも主要な登場人物たちは生きて戻ってくるんじゃないだろうか。

 

あるいは、火災現場でマーシュがマクドナウを救って命を落とす、みたいな展開にするとか。

 

その方が感動的だろうから。

 

でも、現実はもっと残酷で容赦がなかった。

 

安全な場所に避難したあと、無線でマーシュたちの様子を聴きながら何もできずに涙を流し、そして彼ら仲間の死が伝えられて車の中で身悶えして暴れるマクドナウ。

 

たった一人、自分だけが生き残ったことがどれほどの重荷になったことだろう。

 

それは想像するに余りある。

 

常に山火事の危険と隣り合わせの生活というのは僕はちょっと想像がつかないし、だからこれは一見すると自分などとは違う世界の話のようにも思えるのだけれど、でも一方でマーシュと妻のアマンダとの子作りについての言い争いなどは別に消防士に限らない問題で、また父親になったマクドナウの幼い娘への想いなども、彼らの市井の人々としての姿が描かれることで、大火災との闘いが人の人生そのものと重ね合わされてもいる。

 

観客がこの映画を観て心を打たれるのは、森林消防隊の人々の命を懸けた生き方に感銘を受けるのと同時に、それが人生の象徴のように感じられてもくるからでしょう。

 

生きることの困難さと素晴らしさを描いている。

 

マーシュはかつて火災現場で見た炎に包まれた熊の話をする。それは恐ろしくも美しい光景だった。

 

彼の語った「熊」というのが実際の熊のことなのかそれとも何かの比喩なのかちょっとわからなかったんですが、マーシュはいつも森林火災の現場で炎に向かってまるで獲物を狙うハンターのように語りかけていたし、火災の炎は怖れつつも魅せられるものとして表現されている。

 

ジョシュ・ブローリン本人もなんだか熊っぽいですが(髭の形がハルク・ホーガンかミスター・サタンみたいだし)w

 

 

人を、町を救う行為の尊さ。気高さ。そのために時に自らの命を犠牲にすることもある“英雄”たちが、普段はみんなで陽気に酒を飲み唄い踊る、どこにでもいる気のいいあんちゃんたちでもあったということ。

 

この映画に心地よい涙を流せるのは、これが競い合って相手を打ち負かしたり、誰かを傷つけたり殺したりする話ではなくて、「命を救う」話だから。

 

途中でジェニファー・コネリー演じるアマンダが傷ついた馬の世話をする様子が映し出されるけど、彼女もまた「命を救っている」んですよね。

 

マーシュは消防士たちのホームパーティで、みんなの前で「見た目より中身」と語る。それが彼らのプライドなんだろう。一歩間違えば即座に死に繋がる危険な任務。俺たちは誰よりも山のことを知っている。

 

マクドナウは入隊当初、同じ隊の者たちから鼻で笑われる。それは彼が薬物に逃げた負け犬だったから。体力が落ちた彼は訓練で他のみんなにまったくついていけない。

 

力のない者、努力しない者は尊敬されない。実にシンプルだ。なぜならそういう奴はみんなの足を引っ張るから。

 

だからやがてマクドナウが隊の一員としてその力を発揮しだすと、みんなは彼を受け入れる。

 

恋人と別れてマクドナウと同居することになったマックはマクドナウの幼い娘のために家中の家具を安全に改造するし、娘が熱を出せばキャプテンが妻とともに駆けつけて面倒を見る。

 

ここには美しい友情や仲間同士の労わり合いがある。実際にどうなのかは知りませんが。

 

「森林消火」と「建物消火」の違いとそれぞれ従事する消防士たちのヒエラルキーについても語られていて、なかなか興味深かった(『バックドラフト』で描かれるのは「建物消火」の消防士たち)。

 

なかなか会えない娘のためにも森林消火を辞めて建物消火に移りたい、というマクドナウにマーシュは「お前のようなヤク中は建物消火では受け入れられない」と冷たく言い放つ。

 

しかし、それはマーシュ自身のことだった。マクドナウと同じように過去に薬物中毒だったマーシュは現在も自助会に通いながら、マクドナウにかつての自分を重ねていた。だから他の隊員たちの反対を押し切って彼を入隊させた。

 

 

 

そんな彼の意地もあってか、グラニット・マウンテン・ホットショットはアメリカ史上初めて市営の消防隊で“ホットショット”となった。

 

デュエインが「同情が欲しいなら辞書を探せ」と言うように、彼らの仕事は苛酷だ。泣き言は聞き入れられない。

 

そんな世界だからこそ彼らは尊敬され、その名と偉業は記憶され続ける。

 

映画ではホットショットになってから短期間で悲劇に襲われたように描かれているけれど、実際に彼らがホットショットとして活躍したのは6年間で、その間にいくつもの火災から人々と町を守ってきた。

 

不幸にして19名の命が犠牲になったけれど、僕には彼らが炎とともに大地に還っていったように見えたのです。

 

これは純粋に自然の猛威との闘いであり、森林を焼きながら炎を食い止めようとする彼らの闘いは絶望的なものにすら感じられる。

 

それでも愛する者たちを守るために彼らは闘わなければならない。

 

その闘いはまさに人生そのものだ。

 

 

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