アンソニー・ルッソ、ジョー・ルッソ監督、ロバート・ダウニー・Jr.、ジョシュ・ブローリン(声の出演)、クリス・ヘムズワース、クリス・プラット、ゾーイ・サルダナ、デイヴ・バウティスタ、ポム・クレメンティエフ、ブラッドリー・クーパー(声の出演)、ヴィン・ディーゼル(声の出演)、ベネディクト・カンバーバッチ、クリス・エヴァンス、マーク・ラファロ、トム・ホランド、エリザベス・オルセン、ポール・ベタニー、チャドウィック・ボーズマン、ダナイ・グリラ、ピーター・ディンクレイジ、カレン・ギラン、アンソニー・マッキー、スカーレット・ヨハンソン、ドン・チードル、ベネディクト・ウォン、セバスチャン・スタン、イドリス・エルバ、トム・ヒドルストンほか出演の『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』。

 

ソー(クリス・ヘムズワース)たちアスガルドの民の乗る宇宙船がサノス(声:ジョシュ・ブローリン)とその配下ブラックオーダーによって襲われる。ヘイムダル(イドリス・エルバ)の力で地球に飛ばされたブルース・バナー(マーク・ラファロ)は、ドクター・ストレンジ(ベネディクト・カンバーバッチ)にサノスの襲来を告げる。サノスが狙う銀河に散らばる6つの「インフィニティ・ストーン」すべてが揃った時、それらが収められた“ガントレット”で地球の半分の人間を消滅させることが可能になる。地球には2つのストーンがあった。その一つでドクター・ストレンジが持つ「タイム・ストーン」を奪うためにブラックオーダーは早速地球に降り立ち、街を破壊する。今は解散状態のアベンジャーズのトニー・スターク(ロバート・ダウニー・Jr.)やピーター・パーカー(トム・ホランド)たちは協力し合って戦う。生き延びたソーはピーター・クイル(クリス・プラット)たち“ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー”に救われる。

 

ネタバレがあります。これからご覧になるかたは鑑賞後にお読みください。

 

 

IMAX3D字幕版を鑑賞。

 

2008年の『アイアンマン』(日本では『インクレディブル・ハルク』の公開が先)から続くマーヴェル・シネマティック・ユニヴァース(MCU)の19作目、2015年の『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』に続く「アベンジャーズ」のシリーズ第3弾。

 

物語は去年公開された『マイティ・ソー バトルロイヤル』の直後から始まる。『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』のあと各地に散らばったスーパーヒーローたちが最大の危機に立ち向かう。

 

 

 

 

 

2012年の『アベンジャーズ』1作目のラストで初登場して『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』ではガーディアンズのメンバーであるガモーラ(ゾーイ・サルダナ)の義理の父親と判明したサノスが、その野望を実現するためについに地球にやってくる。

 

MCUの10周年作品ということもあってファンの皆さん盛り上がってますね。

 

かつてジョス・ウェドン監督の『アベンジャーズ』第1作目について、僕は大好きな『スーパーマンII』と比較してこき下ろしたのですが、懲りずに2回目をIMAXで観たら普通に楽しめちゃって「あれ…?」って感じで振り上げた拳をそのまま棚に上げて、それ以降(『インクレディブル・ハルク』『マイティ・ソー/ダーク・ワールド』『ドクター・ストレンジ』を除く)関連作品を観続けています。

 

なんだかんだ文句を垂れながら、もう10年お付き合いさせていただいてて、スーパーヒーローたちが集う「アベンジャーズ」の本格始動からもすでに6年経過している。

 

例のごとく原作コミックスは読んでいないし、映画版の方も熱烈なファンというわけではありませんが、これまでこのシリーズには(誰に頼まれたわけでもないが)それなりのお金や時間を費やしてもいるので、一観客として感想を述べる権利はあるだろうと勝手に思っています。

 

ただ、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』や『マイティ・ソー バトルロイヤル』の感想でもちょっと書きましたが、タイツやマントや鎧姿の超人たちが銀河だの宇宙だのを舞台に暴れる映画に集中するのがだんだんしんどくなってきていて^_^; そろそろ潮時かな、とも。

 

中には好きな作品(『アイアンマン』『アイアンマン2』『シビル・ウォー』『スパイダーマン:ホームカミング』など)もあるけれど、10年に渡ってこれだけの本数を観てきてそのわりにはお気に入りの作品がごくわずかというのはどうなんだろう、と疑問を感じるところもあって。このシリーズを押さえるために観られなかった他の何本もの映画があるので。

 

だからってサノスみたいに指パッチン一つで一気に「アベンジャーズ」関連作品から撤退、というつもりもないけど、今後はもう少し観る作品を絞っていくかもしれません。

 

ファンの多いシリーズだし、ブログでレヴューされてるかたも結構いらっしゃるので話題を共有できなくなるのは残念ですが、僕も他に観たい作品もあるし時間やお金にも限りがありますから。

 

で、この最新作では長らくその存在を匂わせながらなかなか本格的に登板しなかった最強の敵サノスとの戦いが描かれるということで、一つの区切りになるのではないかと思いまして。

 

しかし、もともとこの『インフィニティ・ウォー』は二部作になる予定だったはずだし、これだけ引っ張った悪の親玉を作り手がこの1作だけで果たしてあっけなく葬り去るだろうか、という懸念は観る前からあった。すでに『アベンジャーズ4(仮題)※“アベンジャーズ/エンドゲーム”』の来年の公開は決まっているから、いつものように悪役は倒されずに次回作に持ち越しなのでは、という予想は案の定、見事に的中。物語は完結しないまま映画は終わる。

 

そのことを知らずに観るとかなり呆気にとられると思います。映画館で後ろにいた女性が「…え、どういうこと?」と呟いていた。

 

シリーズを通して観ていて今後も観続けるつもりの人たちには不都合はないでしょうが、何しろ登場するキャラクターがひたすら多くてしかも物語が中途半端なまま終わってしまうので、過去作を観たことがない“いちげんさん”にはかなり不親切で困った作りの映画だと思います。

 

基本、2時間半という上映時間中ずっと戦ってるだけだし。

 

ゴールデンウィーク真っ只中でIMAXの会場の観やすい席はほぼ埋まっているという、普段なかなか体験する機会のない状態で大勢の人たちと観るのはちょっとした夏休み気分が味わえて純粋に楽しかったですが、1本の劇映画としてはかなりイビツで変則的な作品と言わざるを得ない。

 

これだけ登場人物が多いと互いに初対面であることも少なくないので、そのたびに「初めまして」「アイ・アム・グルート」とか自己紹介しあって、次のシーンではサノスが差し向けた手下が暴れたりする。で、またどこそこでは誰々と誰々が出会ってどーのこーの、みたいな繰り返しが続く。

 

同じルッソ兄弟が監督した『シビル・ウォー』は僕はわりと好きだったのでこの映画にも期待していたんですが、題材が題材だけになかなか難しかったようで。

 

いや、きっと他の監督だったらもっと酷い出来だっただろうと思いますが。

 

ロバート・アルトマンの映画を引き合いに出して褒めてる記事も読んだけど、さすがにそれはアルトマンに失礼じゃないか。

 

大勢の登場人物のアンサンブルというよりも、交通整理に追われてるせわしなさの方が気になってしかたなかった。

 

そしてなんと、最後に悪の親玉サノスが勝利してスーパーヒーローたちを含む人類の半分が消滅して終了!という前代未聞のエンディングを迎える。そりゃ女の人も「どういうこと?」って言うよσ(^_^;)

 

…これはあれだね、ちょうどタツノコプロのタイムボカン・シリーズの1本『逆転イッパツマン』の第30話「シリーズ初!悪が勝つ」のマーヴェル・コミック版みたいなもんだ。

 

アニメ番組や週刊連載漫画で主人公の敗北、地球の危機!ドド~ン!!つづく」って奴。

 

かすかな希望すらない完全なるバッドエンド。

 

かつて『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』の驚愕のオチと尻切れトンボなラストから次回作まで3年かかったことを思えば、1年後に続篇が観られるのははるかに幸福といえるかもしれないけど、これまたこの何年もの間ずっと文句を言ってきたように、「映画」をそういう連続TVドラマみたいに扱うのが僕にはやっぱり納得いかないんですよね。

 

もうさすがに学習してるから本気で腹を立ててはいないけど(腹を立ててもしかたないし)、締めるべき時にはちゃんとシメてほしい。シリーズに観客を繋ぎとめておきたいのはわかるけど、なんのカタルシスもないままズルズルとまたいつの間にか次の話へ、っていう展開になっていくのはほんとにバカにしてると思う。

 

次回作ではしっかりと決着がつくことを望みます。

 

『アベンジャーズ』の1作目の感想で、『スーパーマンII』の三悪人みたいな完全なヴィランが大暴れしてスーパーヒーローと戦ったのちに最後は見事に退治される、勧善懲悪の話が観たいんだ、というようなことを書いたんだけど、そう考えるとこの『インフィニティ・ウォー』はかなりそれに近いんですよね。

 

随所に(かなり強引に)笑いをまぶしているのも昔のアメコミ映画っぽくていい。

 

ドラックス(デイヴ・バウティスタ)がピーター・クイルとガモーラの前で「気配を消して」お菓子をポリつくところは笑いました。

 

実際、サノスの配下たちがアイアンマンやスパイダーマン、ドクター・ストレンジたちを相手に暴れる様子はかなり痛快で、「イカ野郎」呼ばわりされていたその一人は見た目は細身でそんなに強そうに見えないんだけど、余裕の表情でアベンジャーズを翻弄する。

 

 

 

他のブラックオーダーたちも腕が立つし、ハルクをも凌ぐサノスの強さはまさに天井知らずで、それは幼児期に頭の中で想像した万能の悪の親玉そのものだった。

 

そういう、幼稚といえば非常に幼稚な発想から生まれた究極の“悪者”の強さと豪快な破壊行為に快感を覚えるのは確かだし、それをなるべくリアルで精密なVFXで見せてくれているのは率直に気持ちよかった。

 

ソーとピーター・ディンクレイジ演じる巨人(この配役が絶妙)とグルートが協力して“ムジョルニア”に代わる万能斧“ストームブレイカー”を作り上げる場面は胸が熱くなったし。

 

だから、この映画の最後にスーパーヒーローたちがあのタマ袋みたいなアゴを持つ紫色のテリー・ギリアムのような顔のデカブツをフルボッコにして倒してたら、大好きな映画になったかもしれない。

 

 

 

次回作でそういう最高のラストを用意してくれたら、僕の『インフィニティ・ウォー』の評価も変わるはず。

 

だけど、この映画でサノスが涙を流したり、彼の大虐殺が映画の中でちゃんと否定されていないことに僕は一抹の不安を感じるんです。

 

これは、なんか最後に「イイ奴」になっちゃうパターンではないか?と。

 

作り手の中に(あるいはファンの中にも)変にサノスに対する思い入れがあって、このスーパーヴィランを最後に倒すべき敵で終わらせることに抵抗があるような雰囲気を感じるんだよね。原作ファンにもこのキャラクターが好きな人は多いようだし。

 

最後にサノスがぶっとい腕を天に振り上げて「我が生涯に一片の悔いなし!」とか言って終わるんじゃねーだろうな、と。

 

僕は個人的にそういうの大嫌いなんですが。

 

これまで多くの人を殺しまくってきた奴が「実は真の漢(おとこ)だった」みたいにキャラ変更されるのが我慢ならない。

 

ヒーロー物というのは最後に悪役が見事に倒されてこそ、だと思うのです。イイ奴なんかにならなくていい。改心したり、「彼にも彼なりの正義があったのだ」みたいなクソみたいな弁解もいらない。

 

ウルトラマンを倒したゼットンは、完全悪として科学特捜隊の新兵器で粉々に爆破されるからこそ最強の怪獣なんだよ。ゼットン星にもいろいろ事情があるもんね、全部水に流しましょう、などと最後に地球人とゼットン星人が仲直りする「ウルトラマン」の最終回なんて俺は観たくない。

 

現実の世の中では簡単に人を善や悪に振り分けたり、最後に悪人をぶっ殺して「ヒーハー♪」と勝利のポーズを取ることなんてできない。そんなのはわかっている。

 

フィクション、それもヒーロー物というその中でも特に荒唐無稽度の高いジャンルでぐらい、思いっきり悪が滅ぼされる作品を見せてくれたっていいじゃないか。

 

ここんとこハリウッドのヒーロー映画ってそういう勧善懲悪を忌避する傾向があって、おかげで溜飲が下がるクライマックスが描かれずにどっちつかずのハンパなラストになったりして、そのたびに僕はなんかはぐらかされたような不満を覚えるのです。

 

もともと勧善懲悪なスペースオペラだったスター・ウォーズでさえ最近は「正義の相対化」とやらをやっていて、結果的に“悪”の方の描写がなおざりにされてしまっている。それはつまんなくないか。

 

「正義」というものに疑問を持つのも大切だけど、「これは絶対に悪」というものはあるわけじゃないですか。だったらそれと戦って倒すことが現実を生きる僕たちの大きな戒めにもなると思うんです。そこをなぁなぁにしてしまっていいんだろうか。

 

インド映画『バーフバリ』がこれほど評判になっているのも悪は悪として徹底していて最後にしっかり倒されるから、というのもあると思う。

 

それから『バーフバリ』もマーヴェルのスーパーヒーロー映画と同様にVFXを駆使した神話的なスペクタクル映画でありながら、生身の肉体同士がぶつかり合う様子が描かれるから、そこにCGキャラが乱舞する映画とは違ったリアリティを感じられる。

 

タイツやマントの超人たちは、その一方で生身の弱さや脆さを抱えた普通の人々との対比があってこそ彼らの超人的な能力が観客に強く意識される。超人ばかりが出てくる映画では強さのインフレで次第に感覚が麻痺していって、結果的にスーパーヒーローの魅力は霧散してその他大勢の一人に過ぎなくなる。

 

『シビル・ウォー』が面白かったのは、疾走感溢れるストーリーテリングやキャメラワークによって普通の街なかで繰り広げられる超人対超人の闘いが絶妙なバランスで肉体感覚を保持していたからだと思うし、『ホームカミング』もやはり人間ドラマの中で肉体的な限界を持つヒーローがぎりぎり頑張るからこそ、その活躍に観客は応援したい気持ちにさせられたんじゃないだろうか。

 

『インフィニティ・ウォー』では、“スーパーヒーロー映画”がすでに行き着くところまで行ってしまっている。

 

だからこそ、その最後にはスーパーヒーローたちは生身の肉体を取り戻さなければならない。日常に帰るのだ。

 

それとこの映画で僕が大いに不安を掻き立てられたのは、サノスが振りかざす「正義」に対して観客の中で「彼の言い分にも一理ある」「彼を悪とは言い切れない」などと正当化している人たちがいること。人の感想読んでてしばしばそういう記述を目にして非常に引っかかった。

 

サノスは銀河の人口増加による食料不足を解決するために多くの星々で虐殺を行なって人口を減らし、結果的にその星の未来を救ってきた、ということになっている。人間を無作為に選んで痛みを与えずに殺すのは「慈悲」なのだ、とも。

 

映画の中では一応それはとんでもないこととして描かれてはいるけれど、一方でサノス本人は「そのおかげで生き残った人々は幸せに暮らしている」と自己正当化する。

 

…僕はサノスが言ってることはナチスの論理とまったく同じで、それこそ究極の悪だと思うんですけど。

 

だからこそ、そんな「神」のようなことを口走って人々を殺す者は最後に退治されなければおかしい。

 

だいたい、人類を半減させることが食糧不足を解決する唯一の方法みたいに言ってるけど、だったらまずその前に食料を増やす方法を考えろよ。言ってることがあまりに愚か過ぎる。

 

あるいは、サノスというのは「死」そのものだったり、またはキリスト教的な「神」をキャラクター化したものなのかもしれない。

 

愛する者を自ら殺すことでその意志を全うする、というのは神とキリストの関係を基にしているのだろうし。

 

この映画は、無慈悲に人々の上に降りかかる厄難や災害などをサノスというキャラクターに込めて、人間の力ではどうにもならない力との絶望的な戦いを描いているのだ、というふうにも言えなくはない。

 

だから今後の展開は哲学的なものを含むようになっていくのかもしれないですね。

 

正直、ヒーロー映画で哲学問答をやられても僕はあまり興味が持てそうにないんですが。

 

スーパーヒーロー映画にこんなツッコミをするのはほんとに野暮なんだろうけど、それぞれのヒーローたちの強さの基準がよくわかんないところもあった。

 

すっげぇ強かった奴があっちゃり負けちゃったり(地上ではあんなに強かったのに宇宙に放り出された途端に息絶えるイカ野郎とか。あんた宇宙から来たんでしょ?)、サノスにしてもあんな冗談みたいに強い奴がなんで急に追い込まれるのか。

 

地上の人間を半減させようとしているような強敵が手下を大勢引き連れて昔の合戦みたいに野原でみんなで殴り合ったり、気の長い話で^_^;

 

 

 

ガモーラが崖から落とされてあっけなく絶命してしまうのも、これまで宇宙で散々飛び回って派手なバトルを繰り広げてきた彼女の姿を見てきただけに「えっ、この程度で死んじゃうのか」と。

 

以前の感想で僕はヴィジョン(ポール・ベタニー)のことを「スーパーマン並みの能力を持ったキャラクター」と表現したんですが、今回の『インフィニティ・ウォー』ではヴィジョンはなぜか弱々しくなっていて常にワンダ(エリザベス・オルセン)に守られている状態。結局、最後はサノスに額に埋まった「マインド・ストーン」を無理矢理掴み出されて死んでしまう。

 

 

 

ヴィジョンがあんなに弱くなってしまった理由がよくわからなかったんですが。『シビル・ウォー』では活躍してたのに。

 

ドクター・ストレンジも強いのか弱いのかよくわかんなくて、前半ではあっさり敵に捕まってたのに、後半、悪の親玉のサノスとはいい勝負をしたりする。この人が最初にもうちょっと頑張ってたら、いろいろめんどくさいことが省けたのに。

 

 

 

それに、一番のツッコミどころはやはりあと一歩のところでサノスの目論見を阻止するところまでいったのに、愛するガモーラを殺されたことを知って逆上してサノスを殴ったためにチャンスを逃してしまうピーター・クイル(=スター・ロード)や、これまたここぞという時にサノスの頭部を破壊しなかったせいでついに人類の半分が消滅する羽目になるソーの間抜けさ。しっかりしろよ、あんた神様だろ?^_^;

 

 

 

 

銀河の命運を懸ける戦いなのにずいぶんと呑気なヒーローたちだよなぁ。

 

まぁ、だからこれまで散々例えに出してるように、「ドラゴンボールZ」なんだよな(金のかかった“スーパー戦隊物”とも言えるが)。めちゃんこ“つおい”超人同士の戦いのための戦い。それを大勢のギャラリーが劇場で見物している。

 

このカタストロフのために今までいろいろと積み上げてきたのはわかるんだけど、それにしても人気キャラクターたちの容赦ない捨てっぷりには首を傾げたくなる。

 

もう『仁義なき戦い』みたいに毎回「○○、死亡」とデカデカと字幕で出してほしいぐらいの惨殺ぶり。

 

特にロキの退場は、女性にも人気が高いキャラクターだけになかなか思い切ったことをしてくれるよな、と。

 

 

 

パシフィック・リム』のペントコスト司令官ことイドリス・エルバ(ヘイムダル役)も、冒頭であっさり殺されてたし。Nooo~~~!!。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

 

久しぶりに出てきたと思ったら、『キングコング:髑髏島の巨神』と同じく「マザファッ…」と最後まで言い終わらないうちに消されちゃったあのアイパッチのおっさんには笑いましたが。

 

そういえば『キングコング』ではサミュエル・L・ジャクソンはロキ役のトム・ヒドルストンや今後公開されるキャプテン・マーベル役のブリー・ラーソンと共演していたな。出演者がカブりまくってますね。

 

終盤にサノスの力で多くの人々とともに消滅させられたヒーローたちはおそらく続篇で時間を巻き戻すことで生き返るんだろうけど(そうでないと単独主演作の続篇が作れないからw)、次回作でシリーズから“卒業”することが決まっている俳優さんもいるので、結構ガラッとメンバーが変わったりするのかもしれないですね。

 

そういえば思いがけないところでキャプテン・アメリカの宿敵レッドスカルが出てきてちょっと驚きましたが(演じているのはヒューゴ・ウィーヴィングではないが)。…今頃?ってw

 

マーヴェルはすでに予告篇が流れている『アントマン&ワスプ』と公表済みの『キャプテン・マーベル』以降の新作のラインナップを来年のコミコンまで発表しない、と言ってるそうだけど、それは新しくアベンジャーズに加わるヒーローを秘密にしておきたいからでしょう。ゴチバトルみたいだな。

 

…ゴチャゴチャと文句も言ってきましたが、『アベンジャーズ』1作目の時のように2回目観たら何も考えずに楽しめちゃうかもしれないし、最初に書いたように夏休みのイヴェントのようでお祭りに参加してるようなワクワク感はあったから、これはこれでよかったんじゃないかと。

 

3D効果はかなりあって、ドクター・ストレンジの「タイム・ストーン」がスクリーンの手前に飛び出して見えたり、全体的に立体感が強調されているような演出でIMAXで観る価値は大いにありました。

 

4月下旬から『パシフィック・リム:アップライジング』や『レディ・プレイヤー1』に続いてこの映画と、一週間おきにIMAXや4DXなどで贅沢にアトラクション映画を楽しんできましたが(大幅に予算オーヴァーしております…^_^;)、どの映画にも一長一短あって面白いところも不満なところもあったので、どの作品が突出して優れていたとは言い難くて、ゴールデンウィークも後半にさしかかった時点ですでに祭りのあとの虚脱感に襲われてますが。

 

普通の人間ドラマを観たくなってきた。

 

と言っても、ちょうどこの映画の前に予告篇が流れていた『デッドプール2』も6月に公開されるし、観るかどうかわかんないけど『ランペイジ 巨獣大乱闘』の怪獣大暴れが意外と迫力あって面白そうだし、今後もまだまだスーパーヒーロー映画や怪獣映画はスクリーンに流れ続けるので油断はできない(;^_^A

 

 

※チャドウィック・ボーズマンさんのご冥福をお祈りいたします。20.8.28

※ウィリアム・ハートさんのご冥福をお祈りいたします。22.3.13

 

 

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