S・S・ラージャマウリ監督、プラバース、アヌシュカ・シェッティ、ラーナー・ダッグバーティ、ラムヤ・クリシュナ、サティヤラージ、スッバラージュ、タマンナー、ナーサル出演の『バーフバリ 王の凱旋』。
マヒシュマティ王国の次期国王アマレンドラ・バーフバリは“国母”シヴァガミの言葉に従い、戴冠式までの間に代々王国に仕える奴隷カッタッパとともに旅をする。やがて小国クンタラ王国の王女デーヴァセーナとめぐりあったバーフバリは、身分を隠して彼女の従兄クマラに仕えることにする。その頃、マヒシュマティ王国では王の地位を狙うバラーラデーヴァがバーフバリの動向を聞きつけ、デーヴァセーナ姫を横取りするためにシヴァガミに働きかける。
古代インドの2代に渡る王にまつわる映画叙事詩二部作の完結篇。
…といっても僕はいまだに前作『バーフバリ 伝説誕生』を観ていないんですが(※その後、DVDで視聴)、冒頭で前作のあらすじが語られるので大丈夫、ということだったし、予告篇がやたらと壮大なので、年が明けてからの劇場鑑賞1本目に選びました。
僕は普段インド映画を熱心に観ているわけではないし知識もないですが、それでも日本で一般公開される作品が増えて話題にもなることが多くなってきたので、興味をそそられれば劇場に足を運ぶことも。
インド映画は“ボリウッド”と呼ばれるムンバイで作られるヒンディー語の北インド映画とタミル語などによる南インドの映画があって、この『バーフバリ』はテルグ語による南インド映画。
僕はいまだにインド映画のことがよくわかっていなくて、長らく北インド映画と南インド映画の違いは言語以外ではジャンルや作風の違いだと思っていたんですよね。
北インドの映画は洗練されていてお洒落で、南インドの映画はベタで泥臭い、といったような。
ちなみに、90年代末に日本でも公開されて“マサラ・ムーヴィー”ブームの火付け役にもなった『ムトゥ 踊るマハラジャ』はタミル語の南インド映画。
でも、それぞれの作品を観比べてみると(というほど本数は観ていませんが)、北も南もどちらもジャンルはヴァラエティに富んでいるしその演出も多様で、結局のところ僕にはその違いがよくわからなくて。
去年観たボクシング映画『ファイナル・ラウンド』(この映画でジュニアボクシングのコーチ役だったナーサルが、『バーフバリ』ではバーフバリ暗殺を画策するシヴァガミの夫ビッジャラデーヴァを演じている)は南インドが舞台の映画で、ベタな内容ではあるけれど俳優たちの演技はリアリスティックで燃えたし。上映時間も2時間以内で「インド映画=3時間近い長尺」というイメージとも異なっていました。
当然ながら、俳優さんたちも作品の内容や演出によって演技スタイルもいろいろ変えてるんですよね。『バーフバリ』は神話とか史劇だからその演技もわりと大きめでわかりやすい。
シヴァガミ役のラムヤ・クリシュナが驚きの表情で目を見開いた顔には、漫画みたいにバックに「ガァァァンンン!!」と擬音が入りそうなほど。
この『バーフバリ』の「かつて謀略によって父王を殺された主人公が復讐を遂げて新たなる王として凱旋する」という神話的な物語には、国や時代を越えた「物語の原型」としての普遍性がある。
ギリシャ神話や北欧神話など、世界中に似たような話がありますね。
この映画はインドで記録的な大ヒットとなって日本でも“絶叫上映”が行なわれたり、TwitterなどのSNSで劇中での民衆のように「バーフバリ!バーフバリ!ヘ(゚∀゚*)ノ」と唱えて熱狂するファンを生み出している。
僕が住んでいるところでは近くに上映館が一館しかなくて、しかも一日に朝夕の2回しか上映されないので午前の回を観たんだけど、さすがに話題になってるだけあって平日にもかかわらずお客さんは結構入ってました。
基本、先ほど述べたような内容のストーリーでネタバレとかあまり気にする必要はないと思いますが、これからご覧になる予定で一切の予備知識を持ちたくないかたはご注意ください。
まぁ、とにかくスケールがデカい、の一言。そして強い、いっぱい!w
確かにVFXは最新技術を駆使したハリウッドの超大作にはかなわないけれど、それでもところどころ実景なのかCGなのかわからない風景もあって、また大量のエキストラや筋骨隆々の俳優たちの肉弾戦は迫力満点。
熱狂してしまうのもわかる(^o^)
バーフバリとデーヴァセーナを乗せた船が空に舞い上がるミュージカル場面なんかは、“ファンタジー映画”というのはこういうのをいうんだよなぁ、と思う。
僕がこの映画を観ながらずっと頭に浮かべていたのは、昨年末に観たスター・ウォーズの最新作との比較でした。
以下、鑑賞後のTwitterの呟きをもとに感想を書いていきます。
スター・ウォーズが神話であることをやめようとしている一方で堂々と王族の英雄譚を描ききる『バーフバリ』。
そしてこれは息子の母からの自立の物語でもあった。
王国を司る“国母”シヴァガミとの確執、頼れるしもべ、カッタッパの手による暗殺。
鬼母をも「悪」として切り捨てないのは親子の情を大切にするお国柄ゆえか。それでもその行ないは彼女の死によって償われる。たとえ国母であっても誤りは正されねばならない。
現実のインドでいまだに根強いカースト制度の存在を考えると神に選ばれた身分であるマハラジャを褒め称える映画には複雑なものを感じるが、それがインドの観客に熱烈に支持されているのは人はいつの世も「英雄」を求めるからということだろうか。
そういえば『ムトゥ 踊るマハラジャ』の主演男優でインド映画界の“スーパースター”ラジニカーントは2017年に自ら新しい政党を作ったのだそうな。彼は特権階級の出身ではないけれど、人々が「英雄」に求めるものはハッキリしている。
『バーフバリ』は神話的な英雄譚を用いながら、人の上に立つ者はかくあるべし、という人々の願いを描く。不正を許さず、たとえ相手が“国母”であろうとも信念を曲げない。水戸黄門を演じる俳優が権力におもねる発言を公けの場でする国に生きる僕らにも無関係な話ではない。
女性たちの身体を触りまくる国軍最高司令官の指を切り落とすデーヴァセーナ姫、そして彼女の裁判でバーフバリは「お前が悪い。切り落とすべきなのは指ではない」とデーヴァセーナに言って、皆の前で加害者である司令官の首を刎(は)ねる。
『バーフバリ 王の凱旋』は「性犯罪者は首を刎ねよ」というメッセージの映画でもあったw
このあたりは現在の日本でもまったく他人事ではないし、映画の中で性犯罪者が見事に成敗される様はほんとに痛快だった。
現実には被害者が社会的な制裁を受けがちな世の中だからこそ、「正義」とは何かをあらためて考えさせられる。
もちろんこの作品は豪傑が悪をちぎっては投げちぎっては投げる勧善懲悪のヒーロー映画で単純にそれを楽しめばいいんだけど、そもそも神話や伝説には「“英雄”にはこうあってほしい」という人々の願いが根底にあったわけで、それがストレートに描かれている。
そして最後には圧制を敷いていた偽りの王は倒されて、亡き父の遺志を継いだ真の王が君臨する。僕はそこに現実の世界を重ね合わせて、かなりグッときました。
一方で“神話”というのは一族郎党が骨肉の争いをするものでもあって、だからスカイウォーカー家にまつわる物語であったかつてのスター・ウォーズは確かに神話の一つだったのだ、と思う。
神話というのは一種の「たとえ話」でもあって、だからそこでの英雄たちが一族で争うのは現実の世界での家族間での諍いや社会の中でのさまざまな困難を象徴してもいる。
僕はスター・ウォーズの最新作のことは評価しないけど、あの映画でディズニーがスカイウォーカー家を伝説の英雄の座から引きずり降ろしたことと、この『バーフバリ』が描くものがまったく正反対なのが実に興味深いのです。そしてそのどちらにも熱狂している観客たち^_^;
この『王の凱旋』はハリウッド映画からの引用も多くて、船の上ではバーフバリとデーヴァセーナがもろ『タイタニック』なポーズをとり、『十戒』のように兵士たちが大量の鉄砲水で流されていくシーンもある。『ライオン・キング』にソックリだと指摘されている場面も。
その辺も正しくエンターテインメントしてると思いました。
ヒロインがまさに神話の中の女神様そのもので神々しかった。後半も彼女の戦いが見たかったなぁ。
夫を立てるだけの従順な妻ではなく、言うべきことはハッキリと口や態度に出して、場合によっては義母にも楯突く。そして性犯罪者には制裁を加える。これもまた現代における理想のヒロイン像なのだろうな。
また、夫であるバーフバリは彼女に立てた誓いをけっして破らない。そのために一度は王としての地位も捨てて母とも縁を切る。
勇者の証しとは、自分の欲望ではなく民の幸せのために戦うこと。
この映画は当たり前のことを正攻法で訴えかけている。
これはスクリーンの中の英雄譚だけど、映画には観る者に力を与えて現実を変える力もある。
「バーフバリ!バーフバリ!」というスクリーンの中と外に響き渡る民衆の歓声は、僕たちに今一度、“英雄”を生み出すのは私たちなのだということを思い出させてくれるのだ。
追記:
『バーフバリ 王の凱旋 完全版』(167分)が6月1日(金)から全国順次公開決定。
まじマヒシュマティ!!
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