社会学者の上野千鶴子(うえの・ちづこ)さんの言葉。


「人はなぜ不倫をしないのかのほうが不思議です。その前段階として、人はなぜ結婚という守れない約束をするのか、がもっと不思議」


上野さんは結婚を「自分の身体の性的使用権を生涯にわたって唯一人の異性に譲渡する契約のこと」と定義しています。

つまり結婚とは、生涯ひとりの人としかセックスしませんという約束のことです。どうして人はそんなできもしない約束をするのか。

結婚しなければ不倫は成立しません。なぜ性関係の相手はひとりでなくてはいけないのか、に根本的な疑問を持つ上野さんは、一生ひとりの人を愛し、他には目もくれないという約束=結婚を、なぜ人がしてしまうのかが不思議で仕方ないのです。

「恋愛体質の人は結婚したって恋愛しますよ。なぜ結婚したあとで恋愛しないですんでいるのかがわからない」


上野さんはフェミニズムについてこう語ります。

「私はフェミニズムが男との平等を求める思想である以上に、自由を求める思想だと思っています。平等より、私は自由がほしかった。性的な身体の自由はとりわけ重要なものだと思っています。それを結婚によって手放すなんて、考えただけで恐ろしいくらいです」


結婚という契約をしたからといって、人を好きになる感情を抑えることはできません。感情に鎖はつけられないのです。良し悪しの問題ではありません。

不倫はするなというよりも、「守れない約束」はしないほうがいい、ということですね。


(上野千鶴子さんの発言は、亀山早苗『人はなぜ不倫をするのか』SB新書より)



人間は誰でもウソをつきますが、まれにそのウソが病的な段階に達している人がいます。哲学者の中島義道さんは、ヒトラーを例にあげてこう述べています。


   例えば、ヒトラーのウソは、通常の「ウソつき」の枠を大きく越えていて、病的で不気味な様相を呈している。

   彼はいたるところで、ごく自然にウソをついた。実科学校を退学したのは、本当は成績不振のためであったが、重い肺結核にかかっていたためだとウソをついた。兵役拒否のためにミュンヘンに逃れて捕まったときは、兵役の手続きを知らなかったとウソをついた。そして、ウィーンで同居していたクビツェクに対しても、造形美術アカデミーに不合格であったのに、合格したとウソをつき続けた。彼は、いつでもすぐばれるウソをついて平然としているのだ。

(『ウソつきの構造』角川新書)


そして別の著書でもこう述べる。


   彼にとっては(とりわけ目撃者と証拠のないところでは)、「そうありたい」と願ったことが、そのまま真実なのだ。それは、自分でも本当にそうであったと思い込めるほど「自信に満ちた」嘘なのであるから、他人はあっさり騙されてしまうのだ。

(『ヒトラーのウィーン』ちくま文庫)



現在、安倍前首相のウソが話題となっていますが、彼も「いつでもすぐばれるウソをついて平然として」います。

彼は自分の立場を守るためには、「目撃者と証拠のないところでは」真顔でウソをついて恥じません。

そんな「ウソつき」の安倍さんも、他人から「ウソつき」呼ばわりされると怒るようです。

安倍さんは国会の予算委員会で質問に立った野党議員に対して「私をウソつきと言ったことは許せない!」と反論していました。

ウソを平然とつく人でも、「ウソつき」と言われると、それを非難として受けとるようです。

ウソをつくことは悪いことだとわかってはいるのですね。なんとも滑稽です。