スダー・コーングラー監督、リティカー・シン、R・マーダヴァン、ムムターズ・サルカール、ザキール・フセイン、ナーサル出演の『ファイナル・ラウンド』。2016年作品。タミル語版。

 

横柄な態度と歯に衣着せぬ物言いのためにボクシング協会の有力者であるデヴに目の仇にされている元ボクサーでコーチのプラブは、チェンナイに異動させられて女子ボクシングの選手たちを指導することに。そこで姉のラックスの応援にきていた魚売りの娘マディの才能に気づいたプラブは、毎日500ルピーを支払う代わりに一日2時間のトレーニングを彼女に持ちかける。

 

あいち国際女性映画祭2017にて鑑賞。

 

男女共同参画社会づくりの拠点施設「ウィルあいち」で毎年行なわれている国内唯一の「女性映画祭」で、女性監督や女性に注目した映画を上映しています(※男性の監督の作品を上映したり、男性監督をゲストに呼ぶこともある。過去には故・大島渚監督も来場)。

 

この映画祭は20年ぶりぐらいで、以前来た時は河瀬直美監督の8ミリ自主映画の上映と監督のトークがありました。確か映画に出ていた監督の育ての親であるおばあさまも一緒に来場されていたっけ。

 

上映後のトークのあとの質疑応答で客席から質問した記憶があるけど、何を尋ねたのかもう覚えていません。撮影方法とかについてだったかなぁ。

 

あとでサインをお願いしたら、代わりに名刺をくださいました。懐かしい思い出です。

 

で、その後ず~っと足を運ぶことはなかったのが、今年は黒澤明監督の『用心棒』や『七人の侍』が上映されて、長年黒澤組のスクリプターをされていた野上照代さん(彼女はこの映画祭の運営委員会顧問でこれまでも何度も来場されているそうですが)や司葉子さん、仲代達矢さんもゲストで来られてトークをされるということで興味をそそられたんだけど、残念ながらそのどちらにも行けず、唯一行けた日に1本だけ観られたのがこの『ファイナル・ラウンド』というインド映画。

 

 

 

去年の第29回東京国際映画祭のワールド・フォーカス部門で上映されたそうだけど、そのことすら知らずに女子ボクサーの話ということとインド映画だということ以外、まったく予備知識がない状態で鑑賞。

 

この映画祭では作品のほとんどは1回きりの上映だし、監督が来場される場合以外はパンフレットの中の限られた記述以外には作品についての詳しい情報もないので、以下の感想は映画の記憶とパンフ、そしてインターネットで検索して見つけた東京国際映画祭での上映時の一般のかたのブログの感想を参考にして書いています。

 

ですから内容について記憶違いとか勘違いがあるかもしれませんので、もし間違いがありましたらご指摘いただけると幸いです。

 

あと、僕はインド映画はここ何年か1~2年に1本観るか観ないか程度なので、インド映画についての知識もほとんどないですから、ファンのかたにとっては言わずもがなのことを書くかもしれませんが、ご容赦を。

 

この映画祭が行なわれた「ウィルあいち」では、ウィルホールと大会議室の二箇所でそれぞれ別の作品が上映されていたんだけど、僕が観たのはウィルホールの方。

 

スクリーンは普通のシネコンぐらいの大きさですが、客席は前方は傾斜のないフラットな状態で、なんとなく昔の映画館っぽくてちょっと懐かしかった。ただ椅子の背もたれが木製で頭をのせる部分がないので、わりと前方に座ったために観てるうちに首が痛くなってきてしまった。

 

今の映画館の座席は座り心地がいいんだなぁ、とあらためて実感。

 

それでも映画は楽しんで観られました。

 

インド映画って日本で公開される場合、これまでは本国での公開から何年か経ってというのが多かったような気がするんだけど、この映画は2016年の作品だから最近で、だいぶタイムラグがなくなってきたのかな、と。

 

残念ながらこの映画は日本で配給がつかなくて、一般公開の予定はないようですが。

 

本当にもったいないなぁ。だって面白かったもの。

 

観終わったあと、何人もの女性のかたたちがちょっと興奮気味に「よかったぁ」って口々に褒めてました。

 

しかも、インド映画では二時間半とか三時間近い長尺な作品も結構あるけど、この映画は上映時間が111分でとても観やすい(海外での上映用なのかもしれないけど)。

 

ちなみに僕が観たのは東京国際映画祭の時と同じく“タミル語”版(タイトル:Irudhi Suttru)だったんだけど、一部キャストを替えてヒンディー語版(タイトル:Salaa Khadoos)も作られているそうで、今年2017年にはさらに主要キャストも替えてテルグ語版が作られたんだとか。

 

そうすると、それぞれのヴァージョンで舞台となる場所が違っていたりするんでしょうか。

 

タミル語の映画というのは南インドの、ちょうどラジニカーントが主演している映画などのことだけど、だからか冒頭のシーンで一瞬ラジニカーントのポスターが映ってました。また、ヒロインのマディの父親はやたらと「北インドの女は気が強い」みたいなことを言う。

 

日本では2013年に公開された『きっと、うまくいく』はヒンディー語映画だったから、あの映画に出演していたR・マーダヴァンはいろんな言語の映画に出てるんですね。

 

さて、日本でも女性の監督はけっして多くはないけれどインドでもその数は限られていて、スダー・コーングラー監督はその中の一人。本作品は監督2作目とのこと。

 

女性監督が“戦う女性”を主人公にして作った映画ということで、たまたまちょっと前に観たハリウッドのアメコミスーパーヒロイン映画『ワンダーウーマン』と重なったりもする。

 

別にそういう映画をあえて選んだつもりはなかったんだけど、でも「女性映画祭」で上映される作品だから、まぁ、ありうることでしたね。
 

『ワンダーウーマン』のパティ・ジェンキンス監督もスダー・コーングラー監督も1970年代の初め頃の生まれで年齢が近い。偶然だけど、こうやって並べると同時代的なものを感じて面白い。

 

インド映画でこういう元気はつらつなヒロイン映画が今では盛んに作られているのか、それとも珍しいのかわかりませんが、とにかくヒロインの弾けるような存在感が光る映画でした。

 

主演のリティカー・シンはもともとキックボクサーで演技経験もなかったのを、コーチのプラブを演じていてこの映画のプロデューサーも務めているR・マーダヴァンが彼女を監督に推薦したんだとか。

 

 

 

 

このリティカー・シンがほんとによくて、観ているうちに彼女に夢中になってしまった。

 

鬼コーチと出会ったじゃじゃ馬娘がボクサーとして頂点を目指す。

 

ボクシング物とかスポ根物の王道、というかかなりベタな話で、ハッキリ言って物語自体はこれまでに何度も観てきたような内容だし、インドが舞台であるという新鮮味はあるものの意外な結末も特にない。

 

だけど、主演のリティカー・シンをはじめ、出演者たちがみんなとてもよくて魅力に溢れているので、もうそれだけで見入っちゃうんですよね。

 

ちょっと顔がドリュー・バリモアを思わせるヤンチャそうな感じで、クルクル変わる表情も似てる。

 

一見強面っぽいんだけど、元気いっぱいで笑ってる時とか切なげな表情してる時なんか、ほんとにキュートなんです。

 

 

 

 

インド映画の女優さんって美人が多いけど、これまで見てきたほんとに美形のインドの女優さんたちとはちょっと雰囲気が違っていて、演技そのもので観客を魅了するタイプの人だなぁ、と。

 

リティカー・シンはこの映画で人気者になって現在は女優として躍進しているということなので、これから彼女が出演する映画がまた観られたら嬉しいなぁ。

 

そして彼女が演じるマディを指導するコーチ、プラブ役のR・マーダヴァンは、さっきもちょっと触れたようにパンフレットの解説には『きっと、うまくいく』に出演していた、と書いてあったんだけど、こんな男前どこにいたっけ、と思ったら、なんとあの映画で主演のアーミル・カーン演じるランチョーの親友で3バカの一人ファルハーンを演じてた人だった。

 

…え゛っ、あの彼!?Σ(゚д゚;)

 

 

 

 

ほぼ別人じゃん^_^;

 

前にも書いたけど、インドの男優さんって髭を生やしてる時と剃ってる時の顔の印象がまったく違うので、言われなきゃ同一人物だとわからなかったりするんだけど、彼の場合は言われてもにわかには信じがたい(;^_^A

 

でもこのマーダヴァンさんはインドでは有名な俳優で日本のインド映画ファンの人たちの間でも人気が高いらしく、東京国際映画祭で来日した時の写真見てもなんか田亀源五郎先生の漫画に出てきそうな熊系のマッチョなイケメンなので、この姿が本来の彼だということでしょうか。

 

映画観たあとにも、女性たちが「あのコーチ、めちゃくちゃかっこよかったよね」と呟いてたもんなぁ。

 

この映画に関しては、この人のことが一番の驚きでした。

 

もともと役者じゃなかったんだけど、さまざまな職業を経て俳優になったんだそうで。この『ファイナル・ラウンド』の監督、スダー・コーングラーさんとは助監督時代からの知り合いとのこと。

 

この映画のために1年半かけて鍛えたそうだけど、作品の中で彼がボクシングを見せるのは一度だけサンドバッグを殴り続ける場面やマディのトレーニング場面ぐらいで、そのためだけに1年半かけたのか?と。

 

映画の冒頭で上半身裸になってたけど、ほんとにもう、このままエンゼル体操しだすんじゃないかってぐらいムキムキだった。

 

アーミル・カーンもそうだけど、インドの俳優さんって身体作りが徹底してるよな~。

 

で、演技の方も、ユーモラスな学生役だった『きっと~』とは打って変わって陰のある役で、この人の顔の表情を見ているだけで場がもつ。

 

険しい顔つきや、ほんのかすかに視線が泳ぐところとか、そしてラストの涙。

 

インドの俳優さんってどなたも顔にめちゃくちゃ説得力があるんだけど、それは別に顔の作りが大きいから迫力があるってだけじゃなくて、すごく繊細な演技をするんですね。

 

僕は、R・マーダヴァンの顔の演技は日本の俳優さんたちもおおいに見習ったらいいんじゃないかと思う。

 

もちろん、映画監督もインド映画の演出から多くのことを学べるんじゃないでしょうか。インド映画って俳優がただ踊ってるだけじゃないんですよ。

 

この映画でもヒロインが踊る場面がありますが、リティカー・シンが普段着で全身を使って踊ってる姿はヒロインの喜びを表わしていて、彼女のこぼれるような笑顔とヤンチャそうな身体の動きがワイルドで最高にセクシーでもある。

 

 

 

 

僕はこの作品、昔観たドイツ映画『4分間のピアニスト』をちょっと思い出しました。マディの姿があの映画でハンナー・ヘルツシュプルングが演じるヒロインに重なりました。

 

『4分間のピアニスト』 監督:クリス・クラウス 出演:モニカ・ブライプトロイ ステファン・クルト

 

 

『4分間のピアニスト』は音楽教師が問題児の少女にピアノを教えるもうちょっとシリアスな人間ドラマだったけど、この『ファイナル・ラウンド』は王道のスポ根映画なので、これまでのインド映画にしばしば見られた暗さ、陰惨な場面はない。

 

女性ボクサーが性行為を強要されるところや貧しい暮らし、有力者に買収される警察など、深刻な社会問題を匂わせる場面はあるけれど(物語自体はフィクションだが、実際の女子ボクサーや関係者たちの経験を基にしている)、それらを観る者にしっかり意識させながらも映画が急に重苦しくなることはないので、エンターテインメントとして最後まで楽しめる。

 

そして、この映画をあくまで明るく観られるのは、ひとえに主演のリティカー・シンのおかげ。

 

彼女の若さと元気が映画を引っぱっていく。

 

映画の中でマディは心と身体の両方が傷つくけれど、それでもけっして落ち込んだままでは終わらない。そういう不屈の精神が演じるリティカー・シンの表情、そしてその身体に宿っている。

 

モハメド・アリに憧れて、彼の試合のヴィデオを観ながらボクシングを独学で学んできたマディは、かつてはボクサーでオリンピックにも出場したプラブをコーチに迎えて本格的に訓練を始める。

 

 

 

20年前にボクシング協会のデヴの妨害に遭って金メダルを獲り損ねた彼は妻に逃げられ、それ以来やさぐれている。

 

田舎に飛ばされてやる気もなくジュニアボクシングの試合を眺めていたが、選手の妹のマディの才能を見出して、彼女にかつて自分が目指したが掴めなかった王座を狙わせようとする。

 

自分の夢をマディに託したのだった。

 

マディの両親にラックス(ムムターズ・サルカール)とマディの姉妹を育てたい、と申し出たプラブに最初マディは反発していたが、やがて彼のことを意識するようになる。

 

 

 

 

このマディがコーチのプラブに恋をするのがちょっと唐突な印象があって、コーチが妹のマディの方に肩入れすることに傷ついた姉のラックスがわざとマディに怪我をさせる展開には、おいおい、いつの時代のスポ根ドラマだよ^_^;と。

 

実の妹に向かって「コーチと寝たの?」とまで言うラックス。

 

ラックスは警察官を目指していて、どうやらそのためにボクシングで実績を上げたいらしいんだけど、プラブから妹の方が才能があると言われてしまう。

 

スポーツや格闘技の世界は苛酷ですね。

 

僕は、ちょっとフィギュアスケートの浅田舞・真央姉妹とか、レスリングの伊調千春・馨姉妹を連想しました。

 

もちろんそれぞれ事情は違うし、別に彼女たちは姉妹で憎みあったわけではないだろうけど、選手としては姉よりも妹の方が高い成績を上げて名前や顔も有名であるということは共通していて、だからお互いに複雑な想いもあったんじゃないかと思うんですよね。

 

まぁ、この『ファイナル・ラウンド』ではそれを極端な形で描いてますけど。

 

ここでの姉と妹の確執と最後の和解は、フィクションの中ではよくあるといえばよくある話だし、どれだけの人が共感を覚えるのかわかりませんが、でも一度は妹を陥れた姉がクライマックスでリングの外から妹の試合を涙ながらに応援している姿は素直に感動できましたね。

 

一方で、コーチであるプラブと教え子のマディの関係については、繰り返すようにR・マーダヴァンとリティカー・シンの熱演で胸が熱くなるシーンも多いんだけど、後述しますがちょっと釈然としない部分もあって。

 

プラブはマディに目をかけて彼女を何とか優秀な選手に育てようとするんだけど、マディの方は最初はお金が目当てで、姉のラックスへの遠慮もあって練習に身が入らない。

 

それでも一念発起して姉や他の選手らとともにプラブのもとでトレーニングに励むものの、次第に(というか急に)プラブを異性として意識しだしてハッキリと彼にその想いを告げる。

 

プラブは親子ほど年の離れたマディの恋心を「よくあること」としてまったく相手にしない。彼はただひたすらボクサーとしての彼女の才能に懸けていた。かつて妻に去られてもいる彼にとって、恋愛などというものはボクシングで栄光を勝ち取ることの妨げでしかない。

 

それでもプラブに食い下がるマディは、彼女に全身全霊をこめて指導するプラブの姿勢を「それは愛じゃないの?」と問う。

 

確かにこれはまだ10代の彼女にとって、他に優しく接してくれる男性もいない自分に熱心に指導してくれるコーチへのいっときの熱病のようなものなのかもしれないが、それでも僕はこのマディの恋になんだかとても打たれたんですよね。エロティックなものも感じたし。

 

そして、以前観た日本映画で、これも女子ボクサーが主人公の『百円の恋』を思い出しました。

 

あの映画では、安藤サクラ演じるヒロインが新井浩文演じるボクサーの男性を好きになって自分もボクシングを始めて練習を積み、やがて試合に臨む。

 

この2つの映画には主人公がボクシングを始めるきっかけこそ違うけれど、それを続ける動機が「恋」という共通点がある。

 

『ファイナル・ラウンド』は10代の女性が主人公なのに対して『百円の恋』はボクサーとして年齢制限ギリギリである30代の女性が主人公なので事情が違うし、だからこそラストの余韻もそれぞれ異なるんですが、この『ファイナル・ラウンド』ではマディは最後に強敵を下して見事王者となって、コーチを抱きしめる。

 

コーチのプラブがかつて獲れなかった王座をマディが手に入れる。

 

その結末自体は感動的だしそれでいいんだけど、ただし、そこに至るまでにプラブはずいぶんとマディに対して酷い仕打ちをしている。

 

マディを妬んだラックスによって彼女が右手に怪我を負わされ試合に負けると、「色ボケしやがって!」「死ね!」と罵って蹴りまで入れて、彼女を見捨てる。

 

これまでマディを育てるために身銭を切って金を払い続けバイクまで売ったことがまるで美談のように語られるが、そもそもマディをボクシングに引き込んだのはプラブなのだから、言っちゃあなんだが彼は当たり前のことをしてるだけじゃないのか。

 

マディは家族の生活のためにお金がほしいだけなんだから、ボクシングでトップになるというプラブの夢を彼の代わりに実現させる義理などないはずだ。

 

マディが試合に負けたのは色ボケのせいじゃなくて姉に怪我を負わされたからだったが、彼女は黙っていた。

 

その事実を知らないプラブは無情にもマディを切り捨てる。

 

その仕打ちを彼はマディに謝罪すべきだったんじゃないか。

 

どうも、話がプラブに都合よすぎるんだよね。これ、観てて疑問に感じる人は僕以外にいないんでしょうかね。

 

プラブに見切りをつけられたマディはジュニアボクシングのコーチ、パンチ(ナーサル)のもとで練習を続けるが、有力者のデヴ(ザキール・フセイン)にウエイトの違う相手と無理に戦わされて敗北した帰りの電車の中で、彼に性的な行為を強制されて拒んだために泥棒の濡れ衣を着せられて警察に捕まる。

 

マディを助けられる者はプラブ以外いないので、彼女は彼に電話して救いを求める。プラブはすぐに保釈金を出してマディを救い出す。

 

感謝するマディに、プラブは「保釈金がもっと高くてもかけつけた」と言う。

 

かっこいいんだけど、ズルくないですか?^_^;

 

あそこは、やっぱりマディを手放したことを悔やみ、このまま本当に彼女と離れるのかどうか逡巡するプラブの様子を描いておくべきだったんじゃないだろうか。

 

彼にとってもマディからの電話は救いであったはずだから。

 

そして、ロシアの強豪とマディとの王者を決定する試合にデヴの策略で参加することを禁じられたプラブは、しかし「マディにはあんたが必要なんだ」というジュニアボクシングのコーチ、パンチの言葉に意を決して会場に向かう。

 

デヴの取り巻きや警備員たちに取り押さえられているプラブの姿を見たマディは、相手選手に顎への見事なアッパーカットを見舞って勝利する。

 

抱き合う二人の姿は本当に美しいし、何よりもプラブを演じるR・マーダヴァンの表情と涙がその感情を雄弁に語っているのであえて台詞で言う必要もないと思われるだろうけど、あそこはやっぱり一言「すまなかった」とか「ありがとう」という言葉が欲しかったなぁ。

 

その一言で、彼のマディへの反省や感謝の気持ちがハッキリ伝わっただろうから。

 

『百円の恋』のラストに僕は妙なリアリティを感じたし、人間模様としても共感を覚えるんですが、この『ファイナル・ラウンド』はとにかく清々しいヒロインの活躍と熊系コーチの男性ホルモンの魅力(笑)で見せきった感じですね。

 

いつかまたR・マーダヴァンやリティカー・シンの新作を観られるのを楽しみにしています。ぜひ今度は一般公開してください。

 

※追記:

その後、2024年に「インド大映画祭2024」にて『最終ラウンド』の邦題で上映された模様。

 

 

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PK

 

↓こちらはヒンディー語版

 

 

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