アントワーン・フークア監督、ジェイク・ギレンホールフォレスト・ウィテカーレイチェル・マクアダムスオオーナ・ローレンスナオミ・ハリスカーティス・“50セント”・ジャクソンミゲル・ゴメス出演の『サウスポー』。2015年作品。



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世界ライトヘビー級王者のビリー・ホープ(ジェイク・ギレンホール)はディフェンスをしない完全攻撃型のボクシングで勝利をものにしてきたが、妻のモーリーン(レイチェル・マクアダムス)は夫の身体に無理がきていることに気づいていた。マネージャーから提示された次の大きな試合を断わり、しばらく娘のレイラ(オオーナ・ローレンス)と家族3人水入らずの時間を過ごすことを望むモーリーンだったが、ビリーの勝利会見のあとで新進の若手ボクサー、ミゲル・エスコバル(ミゲル・ゴメス)が暴言を吐いて彼を挑発し始める。


ちょっと前に『64-ロクヨン- 前編』を一緒に観にいったボクシング好きの友人が「これは観たい」と言っていたので僕もチェックしていたんだけど、『イコライザー』の監督の新作だとはその時には気づかなかった。

フークア監督の『トレーニング デイ』は未見なんですが、2014年に観た『イコライザー』は好きな作品です。

スティーヴン・セガール並みに無敵のデンゼル・ワシントンが大工道具を駆使してロシアン・マフィアを壊滅させる“ホームセンター・アクション映画”だった『イコライザー』から一転して、今回の最新作は正統派のボクシング映画。

ボクシングに詳しい人にはいろいろツッコミどころもあるみたいですが、僕は門外漢なので迫力あってかっこよかったし胸に迫るものもあった。

日本で昨年公開された『ナイトクローラー』で14キロ減量して頬がこけてたジェイク・ギレンホールが、その次のこの映画では鍛えまくって見事なまでのマッチョに。






ほんと、つくづくこの人はクリスチャン・ベイルマシュー・マコノヒーと同じタイプの俳優さんなんだな。

まだアカデミー賞は獲れていませんが、ディカプリオじゃないけどいつか受賞してほしいですね。それだけの才能や実力のある俳優だと思うから。

共演は、ついこの前観た『スポットライト 世紀のスクープ』に出演してアカデミー賞助演女優賞にノミネートされていたレイチェル・マクアダムス。

『スポットライト』での彼女は、事件について証言することをためらう被害者を説得したり、加害者の家を訪れて追い返されたりしてストレスを溜めながら大スキャンダルを追っていく有能な記者を演じていた。

あの映画では冷静でどちらかといえばあまり感情をストレートに表に出さない役柄だったけど、今回は主人公と同じくヘルズ・キッチン出身の施設育ちで経済的に裕福になった今でもどことなくワイルドさを残した女性、という役作りをしている。

 


マクアダムスは演じる役柄をかなり入念にリサーチする人らしいので、今回のモーリーンもやはり実際に同じような環境で生活する女性をモデルにしたんだろうか。

ジェイク・ギレンホールとレイチェル・マクアダムスの2人は夫婦役がとてもお似合いでした。もしかしたら演技に関して似たようなアプローチをする人たちなのかもしれないですね。

さて、これ以降はストーリーについてのネタバレがありますので、未見のかたはご注意ください。


ボクシング映画を数多く観ているわけではないんですが、まず僕がパッと思いつくのはもちろん『ロッキー』、そしてその次はマーク・ウォルバーグ主演の『ザ・ファイター』(あと、忘れちゃいけない『百円の恋』も)。

この『サウスポー』は昨年公開された『クリード チャンプを継ぐ男』と比較されることが多いようだし僕も好きな作品ですが、あの映画は「ロッキー」シリーズの中の1本でシルヴェスター・スタローンも出ているからこそ思い入れが込められたところはある。

もしも『クリード』にスタローン演じるロッキーが登場せず、あれが「ロッキー」シリーズとも無関係な作品だったとしたら、ここまで高く評価されているかどうかはわからない。

だから、比べるなら僕は『ザ・ファイター』の方がフェアなんじゃないかと思います。

『ザ・ファイター』には同じく肉体改造俳優の先輩、クリスチャン・ベイルが出演していて、彼はこの作品の演技でアカデミー賞助演男優賞を受賞している。

ボクシングの試合の模様はもちろん最大の見せ場なんだけど、それ以外の人間ドラマこそが見どころで、だから劇中では実力派俳優たちが演技力を競い合っている。

そのへんは『サウスポー』も似たものを感じます。

いえ、『ロッキー』だって第1作や最近の作品は俳優たちの演技も見応えありますけどね。

ちなみに『クリード』のライアン・クーグラー監督も、この『サウスポー』のアントワーン・フークア監督もアフリカ系。だからでしょうが、出演者には黒人俳優が多い。

今年のアカデミー賞は「白いオスカー」などと呼ばれたりもして黒人の監督や俳優が1人もノミネートされなかったことを問題視する向きもあったけど、確かに『クリード』や『サウスポー』はどちらも実際に観てみて面白かったから、オスカーの候補に選ばれなかったことには少々疑問も感じる(『クリード』のスタローンは助演男優賞にノミネートされたが、主演のマイケル・B・ジョーダンは候補にならなかった)。


内容については、『ザ・ファイター』に比べると『サウスポー』の方が主人公の家族の人数も限られているし物語がよりシンプルなために、ロッキー的な高揚感を得やすいというのはあると思う。

『ザ・ファイター』はクリスチャン・ベイルと母親役のメリッサ・レオのシーンなんかでちょっとウルッときたりもしてけっして嫌いじゃないんだけど、主人公が大勢いる家族や町の人たちのために闘う、という部分が個人的にちょっと受けつけないところがあって、それよりも妻のため、娘のため、自分のために闘う『サウスポー』の主人公の方に僕はより一層共感できたので。

別に『ザ・ファイター』と『サウスポー』のどちらが作品として優れているかといった話ではなくて、単純に物語として僕はこの『サウスポー』の方が好きだというだけです。

ボクシングって、選手はやっぱり応援してくれる人たちみんなを巻き込んで闘うもので、それは『ロッキー』(の続篇)や『ザ・ファイター』でも描かれているんだけど、『サウスポー』では主人公がどこかのコミュニティを代表したり大勢の人々のために闘う、という部分はあまりクローズアップされないんですよね。

闘うのはあくまでも残された娘のため、という前提で描かれている。

そこが僕には一つの「たとえ話」として何かストンと胸に落ちたのです。

これは紛れもないボクシング映画だし、物語自体はこのジャンルとしては王道中の王道ともいえるものなんだけど、それでも僕はこれを人生についての「たとえ話」として観たんですね。

もともとこの映画で音楽を担当しているエミネムの主演で考えられていた企画だったようで、ストーリーも彼のこれまでの人生を基にしているという話だし。

だからたまたまこれはボクサーが主人公だけど、たとえばヒップホップの世界でも、それ以外の分野でも成り立つ話で、根底には誰にでも通じるテーマが流れている。

まぁ、もともとボクシングだったり格闘技を描いた映画って単に特殊な世界の人々の話じゃなくて、普通に生きている人々の「人生」を目に見える形で劇的に見せてくれるものでもあるわけだけど。

この映画で描かれているのは、「人生を守る」ということについて。

ビリーはこれまで攻撃一辺倒で防御をしてこなかった。ここでのディフェンスとは、彼自身の人生、娘のいる生活を「守る」ことだ。

キレやすく、そのために結果としてかけがえのない存在を失った男が、その生き方を修正し、本当の「強さ」を身につけていく、という話。

僕はあらすじもろくに知らないままこの映画を観たので、レイチェル・マクアダムス演じるモーリーンが前半で退場してしまったことに少なからぬショックを受けたんですよ。

あ、ここでもう死んでしまうんだ、って。

そしてその後、ボクシングに身が入らなくなってどんどん追いつめられていくビリーの姿がしばらく映し出されると、「…あれ?ひょっとして、これってボクシング映画ではないのかな?」と少々不安にすらなってきたのだった。

ヤケを起こして銃を手にモーリーンの仇を討ちにいこうとするところなんて、いくらなんでもトバしすぎなんじゃないか、とも。

だからリアリティの面では現実にこういうことが起こり得るのかどうか僕にはわかりませんが、でも妻に対する侮辱的な暴言を吐かれてカッとなって相手に殴りかかったばかりに大切な存在を失うという取り返しのつかない事態を引き起こしてしまったビリーの姿には、僕は自分がこれまで短絡的に起こしたいくつもの愚かな行為とその結果失ったもの、人から奪ったものについての記憶が蘇って堪らない気持ちになったのです。

短気はアカン、キレたらダメ!ってことですよね。

たとえもとは相手に非があろうとも、それでキレて突発的に暴力的な行動をとってしまうと、関係のないまわりの人たちまでも巻き込んで傷つけてしまう。それはあとになって後悔しても、もう遅いのだ。

この映画はそういうことを語っている。

フォレスト・ウィテカー演じるジムのオーナーで元ボクサーのティックはビリーのキレやすさを諌め、気持ちを抑えて自分をコントロールすることを教える。それが勝利に繋がるのだ、と。

 


このあたり、ちょっと『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』のヨーダとルークを思わせますが(もちろん『ロッキー』も)w

まるで悪魔の囁きのようにビリーを誘うマネージャーのメインズを演じるカーティス・“50セント”・ジャクソンの不敵な表情、その変わり身の早さは人間の非情さを表わしているようだ。悪そうな顔してるもんなぁ、元ホンモノなだけに。




かつて、テニスプレーヤーの伊達公子が、調子がいい時には大勢の人が集まってきて自分をちやほやするが、調子が悪くなると蜘蛛の子を散らすようにまわりから人がいなくなる。苦しい時に自分の近くに残ってくれる人こそが本当の友人だ、というようなことを語っていて、それを思いだした。

そのとおりだなぁ、って思いますね。みんな上向き調子の人にはあやかりたいから群がるんだよね。そして「あ、ダメだこいつは」と思ったら見限るのも早い。

ビリーから高級腕時計をもらって喜んでいた仲間たちは、ビリーが不調になった途端に彼の許から去ってしまった。彼らは友人ではなく金で雇われた人間でしかなかった。

ビリーは事件当日、ボディガード役だった昔からの友人ジョン・ジョン(ボー・ナップ)がとっさにモーリーンを守れなかったことを責め立てるが、やがてビリーが家を失いリングにも立てない状態になった時にこの旧友は自責の念に駆られてビリーを心配し続けてくれる。ツラい時、苦しい時に見捨てずにいてくれる人のありがたさ。

ビリーの転落ぶりについてはあまりに急すぎる気がするし、モーリーンはしばらく試合を休んで家族でゆっくり過ごすことを望んでいたんだけど、そもそも借金で首が回らなくなるような状態なんだったらそれも叶わなかったんじゃないの?という疑問はある。

ビリーはまわりの人たちが自分の金を横領したのではないかと疑うが、真相は映画を観ていてもよくわからなかった。

モーリーンを撃ったボディガードを雇っていたミゲルがまったく罪に問われないのも、そういうもんなの?と。

モデルになったエミネムや、あるいはかつてのマイク・タイソンの急転落ぶりなどを引き合いに出して、そういうことはあるんだ、と主張する人もいるけど。

確かにアメコミスーパーヒーローは現実にいないけど、ボクサーは実在する。

だからこそ彼らの闘う姿は観る者の胸を打つ。人生における“闘い”を目に見える形でリングの上で見せてくれるのだから。


ダニエル・クレイグ版の007シリーズで“マネーペニー”を演じているナオミ・ハリスが、レイラが入る施設のカウンセラーを演じている。




目立たない役だけど、ちょっと荒くれ気味のビリーにも冷静に対応し、レイラを優しく見守る女性を好演している。

ティック役のフォレスト・ウィテカーは、いかにも、といった感じの指導者役を手堅く演じている。彼の哀しそうな目には惹き込まれる。

ビリーと出会ったのをきっかけに、やめていた酒を再び飲み始めてしまうところも人間臭くていい。

出演者たちは全員がよかったですね。

ミゲル・エスコバルを演じるミゲル・ゴメスの、あぁ、こーゆーヤンチャそうな奴いそう、っていう顔つきとか。




一時は本気でミゲルを撃ち殺そうとまで考えたビリーが、リングの上でルールに基づいたフェアな闘いによって勝利を収めるということの高揚感をもうちょっと感じられたらよかったかな、とは思いました。

あの闘いは復讐ではない。『ロッキー4』で親友を殺されたロッキーの闘いが復讐ではなかったように。

もっとも、ビリーが親として問題ありとされて娘のレイラが施設に引き離されて、そこで彼女が急に父親を拒絶しだすところが少々唐突な気がしないでもなかった。

 


そこではビリーの戸惑いも描かれているから、きっと独りでいろいろ考えたり母親のことを思いだすたびに孤独感もあいまって、それが父への「パパが殺されればよかったのに!」という言葉になったのだろうことは観ていれば想像はできるんだけど、その後しばらくして、ビリーが再び試合に出ることを告げるとすぐさま態度が軟化するところも、ちょっと極端すぎるのでは?と。

あそこは、試合当日になってTVで中継を観ているうちにリングで闘う父の姿に理屈を超えた衝動に駆られて応援しだす、というような展開の方がしっくりきた気がする。

母モーリーンが座っていた場所に、最終的に娘のレイラが座って父と視線を交わしてもよかったし。

そして、試合の見せ方にしても、最後のサウスポーの一撃はもうほんのちょっとだけ引っ張った方がよかったんじゃないだろうか。

溜めて溜めて、最後に、というタイミングが少し早すぎたんじゃないか、と。

それに、主人公が最終的に試合に勝つかどうかはもはやどちらでもいいのだ。

最後に僅差で負けた『クリード』と違ってこの映画のビリーは勝利を収め王者に返り咲くけど、父親がベストを尽くして闘う姿を娘が見ることこそが重要だったのだから、それが叶った時点で彼は勝利していた。

仮に試合に負けていても感動的な物語になっただろうし、彼ら父と娘にはまた新たな生活が待っていたはずだ。だから映画の中での勝利は“ご褒美”ですね。

あの客席のベンチに妻はもういないが、今は娘が見守ってくれている。そのことの喜び。

守るべき存在を持ち、その正しい方法を身につけた人間は強い。

ビリー・ホープの“ホープ(HOPE)”は希望だ。

新たなる希望を手に入れた彼は、苛酷な経験の中で自らの弱さと闘い、勝利した。

その姿に、人が目指すべき道を教わった気がしました。



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