ニテーシュ・ティワーリー監督、アーミル・カーン、ファーティマー・サナー・シャイク、ザイラー・ワシーム、スハーニー・バトナーガル、サニヤー・マルホートラ、サークシー・タンワル、リトウィク・サホーレー、アパルシャクティ・クラーナー、ギリーシュ・クルカルニー出演の『ダンガル きっと、つよくなる』。2016年作品。
かつてインドのレスリングの全国大会で1位を獲ったマハヴィルは国際大会での優勝を目指していたが、経済的な理由から断念する。その夢を自分の息子に託そうとするものの、生まれてくるのは女の子ばかり。ある日、男の子たちにからかわれた娘のギータとバビータが彼らと喧嘩して負かしたのを知ったマハヴィルは、レスリングで金メダルを獲らせるために彼女たちを鍛え始める。
『バーフバリ 王の凱旋』に続いて今年観る2本目のインド映画で、僕は2016年の『PK』から2年ぶりのアーミル・カーン主演作品。
実話を基にした物語で、父親のマハヴィルとその娘のギータとバビータは実在の人物、それ以外は架空の人物である、と最初に解説の字幕が入る(マハヴィルの妻がどうだったのかは失念)。
予告篇を観て公開前から楽しみにしていましたが、アーミル・カーン作品も『きっと、うまくいく』と『PK』、そして今回の『ダンガル』で3本目ともなるとだいぶお馴染みな感じで、さすが信頼と安定の面白さでした。
僕はレスリングのルールすらろくに知りませんが、試合の場面はほんとに迫力満点で手に汗握ったし、ラストでは大げさでなく客席で感動に震えました。
…これは今のところ僕の今年上半期のベストワン候補かなぁ。
ところが、鑑賞後に劇場の受付でパンフレットを買おうとしたら、「諸般の事情により発行することができませんでした。 」という断わり書きが。えぇ~、なんで?“諸般の事情”ってなんだよ。
これまで観たアーミル・カーン主演映画はどれも普通にパンフを売っていたから、この映画だけ作られないなんてことは絶対にありえないと思うんだけど。
公式サイトにも理由が書かれていないので、すごくモヤモヤする。まさか、ここ最近の日本の女子レスリング(試写では選手やコーチがコメントを出していたようだが)のいざこざが原因だったりしないよな?そんな理由だったらほんとにしょーもなさ過ぎて情けないけど。
おかげで作品の情報がほとんどないので、この映画の字幕翻訳にたずさわられた関係者のかたによる詳しいブログ記事↓を参考にさせていただきました。
“ダンガル(DANGAL)”とは、レスリング、それも賞金や賞品が出るような試合のことをいうのだそうです。ここぞという「勝負」っていう意味も込めてのタイトルでしょうか。
それと、予告篇では「オリンピック」と字幕が入ってますが、映画で直接描かれているのは「コモンウェルス(英連邦)大会」。
どういう大会なのか特に説明がないので映画を観てるだけではよくわからなかったんだけど、つまりかつてのイギリス領だった国々が出場する大会ということらしい。だから対戦相手がオーストラリアだったりしたんだな。
こんなところで思いがけず『ウィンストン・チャーチル』の世界と繋がるとは。
実のところ、映画本篇を観る前はちょっと警戒していたのです。
というのも、予告篇でアーミル・カーン演じるマハヴィルが娘たちの髪の毛をムリヤリ短く切る場面があったから。
そしてそのあとに、髪を切られて嫌々レスリングの練習をやらされることに不満を言うギータとバビータに、親に結婚させられることになった他の家の少女が涙ぐみながら「あなたたちが羨ましい。お父さんはあなたたちを愛しているから」と言う。
僕はそれを観て、父親のスパルタ教育を「父の愛」として正当化するような映画だったらイヤだなぁ、と思ったんですよね。
まぁ、結論からいうとその通りの映画だったんですが。
アスリート、特に格闘技の選手を主人公にした映画というのはどうしたって「スポ根モノ」の要素があるし、そこでトップに立つような人たちはそういう厳しいトレーニングに耐え抜いてきた人たちだから本人たちもしばしばスパルタ教育に肯定的だったりしますが、その方法論を他の一般の人々に応用できるとは限らないし、そんなに普遍性もないんじゃないか。
結果的にギータとバビータの姉妹は父親譲りのレスリングの才能があってそれを伸ばすことができたから父マハヴィルの教育は「正しかった」ということになるんだけれど、彼女たちのような特別な才能を持った人たちの成功の裏にはスポーツや勉強などを親に無理強いされて貴重な子ども時代や思春期を犠牲にして途中で潰れていった多くの人々がいるのだろうから。
この映画も、自分が果たせなかった夢を子どもたちに託す、という父親のエゴと、「父の娘たちへの愛」や「男尊女卑の世の中で女性が活躍するチャンスを作る」といった要素が若干混同されているところがあって、そのあたりは観る側は勘違いしたらダメだろうと思います。
だって、マハヴィルはもともとこれから生まれてくる「息子」に自分の夢を継がせようとしていたわけで、別に女性差別に異を唱えて娘たちをレスリングの選手にしたのではないから。終盤にマハヴィルは娘に「お前が闘ってるのは、“女を下に見るすべての人間たち”だ」とカッコイイこと言うけど、そんなこと最初は言ってなかったじゃん^_^;
たとえば、去年観た女子ボクシングを描いたインド映画『ファイナル・ラウンド』ではヒロインが有力者にムリヤリ性的な関係を迫られる場面があって、女性選手がしばしばそのような性暴力に晒される現実が描かれていたけれど、この『ダンガル』には男性によってギータたちが痛めつけられたり差別される場面というのはそんなにないんですよね(インターナショナル版ではカットされてて、少女の頃のギータが試合の入場時に男たちからセクハラまがいの発言をされる場面があるそうですが)。
女の子がレスリングをやることに最初はまわりからの反発もあるけど、彼女たちの活躍のおかげでそれもうやむやになっていく。
逆にギータたちの従兄でコメディリリーフのオムカル(リトウィク・サホーレー)が彼女たち姉妹のレスリングの相手をさせられて、散々やっつけられる。だから女性の男性社会への異議申し立て、みたいな部分はかなり薄めなんですね。
ちなみに、先ほどのブログ主さんによれば、最初の字幕にあったようにオムカルは映画のために創られた架空のキャラクターで、実際にはマハヴィルさんには甥ではなくて姪御さんが2人いるのだそうで。ほんとに女性ばかりの家族(映画でもバビータの下にも2人妹がいたし)なんですね。彼女たちもその後、レスリングの選手になったんだとか。
オムカルは青年(アパルシャクティ・クラーナー)になってもいい味出してて、ずっと姉妹やマハヴィルを支え続けてましたね。実在しないのがちょっと残念w
特に女性の格闘家って子どもの頃に男子に対して対抗心を持っていたり、女の子だから、ということでいろいろと悔しい思いをしたという話もよく聞くから、女の子がレスリングなんて、と言われ続けたギータさんやバビータさんもおそらくはそのような経験をしてきたんだろうけど、それは映画ではあまり描かれていない。
それでも映画としてとても巧く作られているので、いつしか僕たち観客は困難を乗り越えて試合に臨むギータやバビータを応援している。
彼女たちはまだ少女のうちから強さを発揮するので、意外と「根性」みたいなものは強調されない。そういう精神論で勝利するのではなくて、もっと理論立った「こういう方法で闘ったから勝てた」というふうに描かれている。
これは日本のこの手のスポ根映画とか対戦モノなどで見逃されがちな要素ではないかと。とりあえず努力したから、頑張ったから勝てた、みたいなの多いじゃないですか邦画って(『バクマン。』とか)。でもそうじゃないんだよね。
努力したから勝てたのはもちろんなんだけど、でもそこにはちゃんと勝因がある。
この映画はそれを描いているからこそ、スポーツに興味がなかったりやみくもな「根性論」や「スパルタ教育」に抵抗がある僕みたいな人でも楽しめるんだと思う。
終盤になって、不調だったギータは伸ばしていた髪を再び短く切るけど、彼女が試合に勝てたのは髪を短くしたからじゃないし(エンドロールで映る実際のギータさんも髪は長い)、男子選手の目を意識して爪にマニキュアを塗ったって、それが原因で負けるわけじゃない。
ギータさん(本人)
禁欲や根性が勝利をもたらすんじゃなくて、正しい闘い方によって必然的に彼女は勝つ。
映画の前半でマハヴィルが娘たちに教えた「5ポイント獲れる大技」の伏線もクライマックスでしっかり回収されるので痛快だし、まるでほんとの試合を観ているようで燃える。
内容は王道のスポーツ物なんだけど、ストーリーの組み立て方が巧みで「家族」を描いた物語としても楽しめるし、最後はほんとに胸が熱くなる。
この映画はアーミル・カーンをはじめ出演者がほんとにイイんですが、特に女性たち、ギータとバビータを演じた女優さんたち(ファーティマー・サナー・シャイク、スハーニー・バトナーガル)が最高に素敵だった。子役の子たち(ザイラー・ワシーム、サニヤー・マルホートラ)も、最初はこんなおさげ髪で可愛らしい顔の女の子たちがレスリング?と思って観ていると、これが結構頑張ってるし。
彼女たちが時折父親の前でかすかに頭を揺らす仕草がなんだか可愛い
この映画で描かれるレスリングの試合の模様が現実のそれと比べてどれほどリアルなのかは僕にはわかりませんが、この女優さんたちはレスリング経験者なのかな?と思ってしまったほど。女優さんたちの闘いぶりにとても説得力があったので、かなりトレーニングしたんだろうなぁ。ずいぶんと激しく投げ飛ばしたりしてるし。対戦相手役の女性たちはもしかしたら本物の選手だったりするんだろうか。
ギータとバビータの中の人たちはどちらもとっても綺麗な女優さんですが
それでは、これ以降はストーリーについてさらに書いていくので、これからご覧になるかたはご注意ください。
まず、ここのところインド映画を観ていて痛感するのは、俳優さんの身体の作り込みの徹底ぶり。
この作品でもアーミル・カーンは若い頃と歳をとってからを見た目を変えて演じてるんだけど、若い頃の髭を剃った状態の彼はほんとに青年そのもの(実際にはアーミル・カーンは50代)で、まるで特殊メイクみたいなムッキムキの肉体をしてるのが、娘たちが生まれて成長してからは身体に肉がついて腹も出ている。
彼の外見の違いがハッキリしているので、劇中での年月の移り変わりが自然に感じられてくる。
アーミル・カーンは先に歳をとった状態の場面を撮影してから、4週間で脂肪を減らして筋肉をつけて映画の冒頭のあの若々しい肉体を作り上げたんだそうな。
ビフォー(97kg)&アフター(70kg) すげぇ~Σ(・ω・ノ)ノ!
ギータ役とバビータ役の女優さんたちもそうだけど、見た目の説得力が凄いんですよね。もちろん身体の動きも。
同じように20代ぐらいの日本の女優さんたちで、果たして彼女たちのように映画の役柄のためにあれほどまでに鍛えることができる人がどれだけいるだろうか。
女性ボクサーを描いた邦画『百円の恋』で主演の安藤サクラさんは短期間の撮影中に見事にビルドアップしていたから、日本の女優さんにも可能だと思うんですが。
この映画のストーリーは先ほどの『ファイナル・ラウンド』と競技は違うものの、鬼コーチに姉妹が指導を受けたりクライマックスの試合でコーチの姿が見えなくなる展開などわりと似ているところがあって観比べてみると非常に面白いんですが、『ファイナル~』の方はいまだに日本では一般公開もされずソフト化もされていないので本当に残念です(お願いだからどこかDVD化してください)。
ちなみに、『ファイナル・ラウンド』で鬼コーチを演じていた俳優のR・マーダヴァンは、『きっと、うまくいく』でアーミル・カーンが演じる主人公ランチョーの友人の一人を演じてました。二人揃って(『ファイナル~』も『ダンガル』も2本とも2016年の作品)別の映画で格闘技の女性選手を指導する役、というのがちょっと面白い。
『ファイナル・ラウンド』の主人公は妹の方だけど、『ダンガル』では姉だし、『ファイナル~』では最後に試合中のヒロインの前にコーチが姿を現わすことでついに彼女は勝利を収めるのに対して、『ダンガル』では試合中には最後まで父親はギータの前に姿を現わさない。
父の教えはいつも正しくて、それに従うことによってギータは勝ってきたんだけれど、でも闘うのは彼女自身。だから最後は父の指示を受けずに自分の判断で攻めて勝利を掴み獲る。
『ダンガル』は娘の「父からの自立」の物語だったんですね。
ムリヤリやらされたレスリングに次第にのめり込んでいって、やがて自分の意思でそれを続けるようになり、自分自身の力で勝つことができるようになるまでが描かれている。
国際大会のために参加した強化合宿のコーチ(ギリーシュ・クルカルニー)の指導方針と父親のマハヴィルの教えの違いでギータさんが板ばさみになった、というのは事実のようですが、コーチが決勝戦の前にマハヴィルを騙して部屋の中に閉じ込めてしまう展開などはおそらくフィクションだろうから、そうだとしたら劇中で完全に悪役にされてしまった実在のコーチだった人はちょっと気の毒ですね^_^;
このあたりのコーチとの関係については、どうしたってここ最近の日本の女子レスリングのことが頭をよぎる。
女子レスリングの伊調馨選手に対して長らく彼女を指導してきたコーチがパワハラを行なったことが明らかになって問題になっているし、それから大相撲では土俵の上で急病で倒れた京都市長に救命措置を施している女性に「女性は土俵から降りてください」と非常識なアナウンスをしたり、ちびっこ相撲で去年までは普通に女子児童が土俵に上がれていたのに今年は許可せずに出場を断念させたりと、その日本相撲協会の姿勢が批判されたり、「土俵に女性は上がってはならない」という“伝統”そのものについて疑問視されたりしていますが、そういう性差別がいまだにおおっぴらに存在する日本でインドよりも女性の権利がしっかりと守られているなどとはとても言えないですよね。
僕は日本相撲協会や多くの日本の男性たちにこの映画を観てもらいたい。
この映画では、父で夫のマハヴィルがただ「正しい」とされているのではなくて、娘たちも、そしてなんだかんだ言いつつも常に夫に従ってきた妻のダヤー(サークシー・タンワル)もまたちゃんと自己主張する。
強化合宿の合間に一時帰省してインドの代表として故郷の村に凱旋したギータは、レスリングの技のかけ方、攻め方について子どもたちの前で合宿のコーチの教えを受け売りして父のマハヴィルと意見が対立する。
とうとう親子でレスリングをすることになるが、若く選手として力をつけてきているギータは父を破る。
そのことで父を慕う妹のバビータとも一時わだかまりができるが、バビータの「お父さんの教えが間違っていたんじゃない。お父さんが老いたのよ」という言葉は、父親の背中を見ながら生きてきたギータにはショックでもあったでしょう。
娘が成長して、反対に父は老いていく。自然の摂理だけど、やはりどこか切なくもある。
それでも娘が自分を越えていくことは、きっと父は誇らしかったに違いない。
妹のバビータは父の指導で順調に全国大会を勝ち進んでいくのに対して、国際大会でギータは負けが続き、次の試合で負ければそのまま敗退というところまで追い込まれる。
ギータのピンチにバビータとマハヴィルが手を差し伸べる。
そういう父と長女、姉と妹の間のドラマをしっかりと描いているからこそ、試合の模様に燃えるだけではなくて、親子や姉妹を描いた家族映画になっている。
それから、妻のダヤーの場合は、夫が娘たちにタンパク質を摂らせるために鶏肉を食べさせようとすると嫌がる。「料理に使った鍋は台所に持ってこないで」とまで言う。宗教的な理由からだろうか。
こういうインドの小さな村ならではの風習もちょっと交えているところがリアルで面白かったですが。
さて、レスリングを続けるためにはお金が必要だけど、役所はギータたちの活動にお金を出してくれない。
こういう経済的な苦労って、日本でもよく言われますよね。
才能があっても国や企業からの援助がなくて膨大な金額の経費を工面できずに、その道を諦める人たちが大勢いる。
かつて国からの援助が受けられず生活のためにレスリングで金メダルを獲ることを諦めたマハヴィルは、「選手を育てないくせに負けるとあれこれと文句を言う」と愚痴るけど、ほんとにそういうことでしょうね。国やまわりが育成しなければ、いい選手はなかなか生まれない。
なんのためにスポーツをするのか。金メダルを目指すというのはどういうことなのか。この映画ではそのことについても言及している。
強化合宿のコーチは銅でもいいから選手たちがメダルを3つ獲れればいい、と思っているが、マハヴィルはギータの実力なら金を狙える、と主張する。
メダルは“金”であることで人々に記憶されるのだ、とマハヴィルは娘に言う。
もちろん、実際には銀や銅を獲った選手たちだって素晴らしいのだけれど、そういうアスリートたち自身がインタヴューなどでしばしば「金を獲りたかった」「次は必ず金を獲れるように頑張ります」と言うのは、誰もが金を目標にして頑張っているからだし、金を獲ることがお世話になった人たちや自分を応援してくれている人々への最大の恩返しだと考えてもいるからなんでしょう。
自分一人の力で闘っているのでも、自分だけのために闘っているのでもなくて、自分は多くの人々の期待を背負っているという自覚がある。
ギータとバビータは、自分たちの村や女の子たちの期待と夢を背負っている。彼女たちの勝利が少女たち、女性たちを勇気づける。そのことで二人に続く者たちが現われるだろう。
「あなたたちが羨ましい」と涙を流していたあの少女のような多くの女性たちのために、彼女たちは闘っている。
彼女たちが“金”を獲ることにはそういう意味がある。
僕は最初にお断わりしたようにスポーツにほとんど興味がないし、オリンピックの試合さえもそんなに熱心に観ることはありませんが、この映画を観ていて、アスリートの人たちにはギータやバビータがそうだったように一人ひとりにドラマがあって、それぞれが背負っているものがあるのだということをあらためて知らされた気がします。
国際大会の直前に部屋の中に閉じ込められて客席で試合を観ることもギータに指示を出すこともできなくて途方に暮れていたマハヴィルの耳に会場からのインドの国歌が聴こえてくる場面では、涙ぐむマハヴィル=アーミル・カーンの表情にもらい泣きしてしまった。
国歌を使ったシーンとしては、本当に最高の場面でした。
この映画、親子の絆を描いた家族映画であるのと同時にスポーツ映画としてもほんとに燃えますから、僕はお薦めですよ。東京では応援上映(上映中に声を出しての応援が可)があったようですが、いいなぁ。僕も参加したい。ダンガルダンガル♪
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