R・バールキ監督、アクシャイ・クマール、ソーナム・カプール、ラーティカー・アープテー出演の『パッドマン 5億人の女性を救った男』。ヒンディー語。

 

原作は、インドで女性の生理用ナプキンの製造、普及に尽力した実在の人物アルナーチャラム・ムルガナンダム氏をモデルにしたトゥインクル・カンナーによる短篇小説「The Sanitary Man of Sacred Land」。

 

2001年、工房で働く“ラクシュミ”ことラクシュミカント(アクシャイ・クマール)は、妻のガヤトリ(ラーティカー・アープテー)が月経時に汚れた布を繰り返し使っていることを知り、薬局で買うと高価な生理用ナプキンを自作しようと試みるが、いまだに生理用品の使用率が低いインドでは女性の生理を“穢れ”とする意識が強く、ラクシュミの行動は妻や家族、村の人々から理解されずに顰蹙を買うことになってしまう。

 

内容について述べますので、これからご覧になるかたはご注意ください。

 

 

以前、映画評論家の町山智浩さんの作品紹介を聴いて興味を持っていました。劇場で予告篇を観てなかなか面白そうだったし、コミカルな場面もありつつ、とても教育的なことを描いてると思ったから。

 

その日は直前に、これもインド映画で“マサラ・ムーヴィー”として日本でも20年前に公開された『ムトゥ 踊るマハラジャ』4K & 5.1chデジタル・リマスター版を観て、『ムトゥ』は上映時間が166分、この『パッドマン』は137分とヴォリューム満点で、もう半日「インド映画祭り」状態でしたw

 

2本ハシゴしてくたびれて途中で眠くなっちゃったらどうしようと心配でしたが(正直、『ムトゥ』ではウトウトしちゃったけど)、『パッドマン』では頭もスッキリしていて集中して観られました。

 

評判がいいのは事前に知っていたけど、実際観てみて面白かったです。

 

ちょっとここのところ個人的に不発が続いていて、このへんでそろそろ「あ~、面白かった!」と言える映画に出会いたかったので嬉しかったですね。お薦めですよ(^o^)

 

“5億人の女性を救った男”という恩着せがましい邦題は、もうちょっと別の表現ができなかったんだろうか(5億人を救った、のではなくて、救うための大きなきっかけを作った、ということだから。それはインドにおけるさらなる今後の課題だし)と思いますが。日本公開の際に相変わらずセンスがない副題をつけるのは本当に悪い習慣だ。

 

ただの“パッドマン”だけではどんな映画なのかわからないから、というのはあるんだろうし、主人公が自ら作って販売したのは確かに女性が利用する生理用品だけど、それはパートナーになったり、ともに同じ世界で生きている男性にだって大いにかかわりのあることなんだから。結果的に「人々の意識を変えた」ということこそが大きかったんじゃないか。

 

それは映画を観てみて、さらに実感しました。

 

インドの「パッドマン」が映画化。生理のタブーに苦しむ妻を救うため、社会を変えた男性に話を聞いた HuffPost

 

 

主人公ラクシュミの妻ガヤトリは月経に伴う不都合を「女の問題」と言って周囲から隠そうとするし、確かに当事者である女性たちの問題なんだけど、「女だけの問題」ではない。女性の社会進出にもかかわることだし、そこには迷信や因習、「恥」の意識が働いていて、それを生み出すのは女性たちだけではないから。「恥」を男性たちが女性たちに強いるということもある。すべてはその社会の「教育」によってもたらされるもの。

 

映画プロデューサーでもある原作者のトゥインクル・カンナーは、衛生的な生理用品の普及や性知識についての教育効果も期待して映画化を考えたようだし。ちなみにこの映画の主演俳優のアクシャイ・クマールはカンナーの夫。夫婦でこの問題に取り組んだんですね。

 

エンターテインメント作品の中で、世界中のより多くの人々に大切なことを伝え啓蒙するという確固たる目的がある。国が動くことも期待してのこと。

 

月経についての禁忌というのは、イスラム教国家サウジアラビアの映画『少女は自転車にのって』でもかすかに触れられていた。

 

『パッドマン』は女性の月経を題材に扱っていることから、イスラム教の一部の国では上映を拒否されてもいる。

 

さすがに現在の日本で女性の生理を“穢れ”として排除することなどない…と思いたいけど、してますよね、相撲とか。“穢れ”という考えは僕たちの住むこの国にも歴然として残っている。「家」をめぐって嫁姑問題が絶えないところなど、インド社会のことを未開扱いして笑ってなどいられないし、日本人である僕らだって無縁じゃない「恥」の概念こそがなかなかにしてやっかいで、自分の信念を貫くことよりも、まわりから村八分にされることを怖れるというのは往々にしてある。

 

劇中でラクシュミの姪の少女が「大人になった時」にみんなで祝う場面があったように女性たちの中には代々受け継がれてきた風習もあるし、それは一概に否定されるべきではないけれど、一方で科学的、医学的な知識も学ばなければ古代や中世レヴェルの魔術的な迷信に惑わされることにもなる。

 

これは無知であることは恐ろしいという実例で、妻でさえも「生理用品を作る」という夫がやってることの意義を理解できず、家族や村人たちからの白眼視に堪えかねて実家に戻ってしまう。

 

ここでまわりがなんと言おうと妻が夫を支え続けたということなら“美談”にもなるんだろうけど、現実はそうではないところが問題の根深さを痛感させる(ムルガナンダムさんは妻と5年間別居する羽目になった)。

 

日本で現在のような生理用品が普及したのがいつ頃なのか知りませんが、TVで生理用品のCMを流すことには最初は抵抗があっただろうし、それらを一つ一つ克服して「今」があるんですね。

 

3.11の大震災のあと避難所では生理用品が不足したというし、それが生活の中でどれだけ大切なものなのかという認識がまだまだ甘かったせいでしょう。

 

また、いまだに月経がなんなのかすら知らない男がこの国にもいるという恐るべき事実がある。

 

「生理周期が分かるね」? AKBグループメンバーの生配信動画にうつりこんだ「生理用品」、視聴者の反応は無知か悪意か

 

 

男女問わず月経についてしっかりと知識を身につけたり、経口避妊薬や避妊具の適切な使用の徹底など日本にだって課題はいくらでもあるわけで、正しい「教育」が必要、というのは全然他人事じゃないんですよね。生理中だったり妊娠中の女性へのケアや周囲のサポートも万全とはとても言い難いだろうし。

 

この国にも性教育を制限しようという動きもあるし、自分たちや自分の子どもたちを無知のままでとどまらせておかないためには、ムルガナンダムさんがそうだったように誤った男女観、性道徳観を改めるために声を上げなくては。

 

主演のアクシャイ・クマールは、僕は彼の出演作品を観るのはこれが初めてだけど、インドでは有名な俳優さんなんだそうで。ムルガナンダムさんご本人に比べるとかなりイケメンになってますがw

 

ガタイがよくて男前の彼が女性の生理用品のことで右往左往するのがユーモラス。本人はあくまでも真剣だからこそ可笑しくもある。

 

そして映画を観ているうちに、彼がやってるのはそんなに非難されなければならないことだろうか?という疑問が湧いてくる。まっとうなことをしてるだけじゃないか、おかしいのはどちらなんだ、と。

 

女性の生理をタブーにしてはならない、ということ。彼女たちの自由と可能性を抑えつけることになるから。それは社会を硬直させることにも繋がる。

 

身内にすらなじられて居場所もなく味方が誰もいない状態で、ほんとによく頑張り抜けたなぁ、と感嘆する。ムルガナンダムさんが生理用品の製造を思い立ってからそれを完成させて人々から賞賛されるまでに6年の歳月が経っている。逆にいえば、たった6年でゼロからすべてを作り上げた。

 

後半に登場するパリー役のソーナム・カプールがほんとに美しくて(ちょっとローラ似)、背が高くて笑顔がとても素敵だった。インド映画に出てくる女優さんにはいつも見惚れてしまう。

 

 

 

 

 

 

ただし、パリーは映画のために創作された架空の人物で、ムルガナンダムさんに協力したのは彼が住み込みで働いていた家の女性の大学教授とのこと。映画のようなロマンスもなかった。ラクシュミが世話をしていた男の子の親のあの教授はほんとは男性ではなくて、女性だったということですね。パリーの大学教授のお父さん(彼はシク教徒。ラクシュミはヒンドゥー教徒)のリベラルでインテリな感じも、もしかしたらムルガナンダムさんに協力した大学教授がモデルなのかもしれませんね。

 

確かにパリーはちょっと出来過ぎたキャラクターで、彼女が実在しないというのは「実話」としては弱いし、現実には存在しなかった恋愛的な要素を持ち込んだことはエンターテインメントとしては話に華を添えてはいるが、そのために妻のガヤトリ(彼女の名前もラクシュミ同様に本人とは変えてある)が損をしていて、ただ夫に対して無理解なだけの女性のように見えてしまっている。

 

ガヤトリが夫と別居して兄から離婚を勧められても頑なに応じなかったのは彼女が心の底ではなんとか夫を信じようとしていたからだし、注意深く観ていればけっしてただ薄情な女性というわけではないことはわかりますが。

 

 

 

 

 

ガヤトリの姿は多くのインド人女性の典型的な考え方、生き方の例として描かれていて、またパリーはそれとは対照的な人物という意味を込めて、ある種の理想の女性像として創られたのでしょう。

 

実話を基にしていながら、作り手の意図がよくわかります。

 

2017年、インドでの生理用品の普及率は24%だそうで、かつて12%ぐらいだった状態からかなり上昇している。2018年にはさらに42%に上がる見込みなのだとか。

 

この成果にムルガナンダムさんの努力が大いに寄与していることは疑う余地はないでしょう。

 

クライマックスの国連での演説でもわかるように、この映画はムルガナンダムさんの功績を称えているけれど、「こんな立派な人がいる」ということで終わるのではなくて、私たち観客に向けてラクシュミが直接語りかけるという形で、人々の意識と生活の向上、社会の変革を訴えている。非常にメッセージ性の強い映画です。

 

僕はあの演説のシーンで涙ぐみそうになってしまった。

 

それは現実にこのような「人々のために」尽くせる人がいることへの尊敬の念が湧いてきたのと、今この映画を観ている自分自身の生き方を問われてるようにも感じられたから。

 

お金を喉元まで貯めてもそれは自分独りが満足するだけ。

 

ムルガナンダムさんは偉業を成し遂げた今でも大都市に進出することなく生まれ故郷の村に住んでいて、インドの小さな村々に衛生的な生理用品が安価で作れる機械を広めているそうです。そうやって草の根で貢献を続けている。それも、もともとは愛する妻のために始めたこと。

 

 

 

 

ムルガナンダムさんの信念には、社会が豊かになるにはまず女性たちが幸せになること、というのがあった。その精神こそがもっとも大切なのではないだろうか。女性が幸せになれない社会は豊かにはなれない。

 

この映画が描いているのは「女の問題」ではない。社会全体の問題を描いている。

 

時々笑いながらも、考えさせられる作品でした。

 

 

関連記事

『ダンガル きっと、つよくなる』

『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』

 

 

 

 

 

ミルカ [DVD] ミルカ [DVD]
4,104円
Amazon

 

 

にほんブログ村 映画ブログへ にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ