今月劇場で観た新作映画は7本、旧作は5本でした。

 

5月も何本もの映画を観ることができて、どれも見応えがありましたが、感想の方がまったく追いつかなくて(;^_^A まとめて短めのもので失礼します。

 

ウィ、シェフ!

TAR/ター

ワイルド・スピード/ファイヤーブースト

クリード 過去の逆襲

 

※各作品の感想の中にネタバレが含まれますので、お読みになる際はご注意ください。

 

 

レッド・ロケット

 

 

GotG Vol. 3 ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー

 

 

 

  ウィ、シェフ!

 

 

ルイ=ジュリアン・プティ監督、オドレイ・ラミー、フランソワ・クリュゼ、シャンタル・ヌーヴィル、ファトゥ・キャバ、ヤニック・カロンボ、アマドゥ・バー、ママドゥ・コイタ、クロエ・アストール Chloé Astor(リナ・デレト)ほか出演。2022年作品。

 

一流レストラン「リナ・デレト」でスーシェフ(副料理長)を務める女性カティ(オドレイ・ラミー)は、シェフと大ゲンカして店を飛び出してしまう。やっとのことで見つけた新しい職場は移民の少年たちが暮らす自立支援施設で、まともな食材も器材もない。施設長ロレンゾ(フランソワ・クリュゼ)は不満を訴えるカティに、少年たちを調理アシスタントにしようと提案。料理がつないだ絆は少年たちの未来のみならず、天涯孤独で人づきあいが苦手だったカティの人生にも変化をもたらしていく。(映画.comのあらすじに加筆)

 

去年観たレストランを舞台にしたイギリス映画『ボイリング・ポイント/沸騰』に満足できなかったので、映画サイトでこのフランス映画のタイトルとポスターを見て、さまざまなルーツと肌の色の多様性溢れる料理人たちがレストランで協力し合いながらお客さんに素敵な料理を提供する、笑いも交えた愉快な内容を期待していたんですが。

 

そして、実際微笑ましい場面もあるんだけど、僕が思ってたようなコックたちが厨房でドタバタを繰り広げるようなコメディ仕立ての作品ではありませんでした。

 

実は「料理」そのものについての映画というよりも、フランス人の元スーシェフが移民の若者たちと彼らの故郷の料理を介して交流する、という物語で、料理は重要な要素ではあるが主役ではない。

 

 

 

主人公のカティ・マリー(演:オドレイ・ラミー)は架空の人物だけど、実在の元シェフ、カトリーヌ・グロージャンさんが教師を務める職業訓練学校での活動をモデルにした、ということで、これも実在の女性の料理人の実話をもとにした『大統領の料理人』を思い出した。ストーリーや移民の青少年たちのキャラクターとエピソードには創作が含まれているかもしれないけれど、ルイ=ジュリアン・プティ監督は、移民の少年たちをリサーチしてシナリオを書いたそうだから、実際の彼らからヒントを得ているのでしょう。

 

 

移民大国であるフランスでさえも、当事者から「この国で生きていくのがこんなに大変だとは思わなかった」という言葉が出てきてしまうような現状。

 

クルド人難民の一家を描いた『マイスモールランド』もそうだったけど、とてもタイムリーで重要なことを描いている映画だと思います。

 

90分台でとても観やすい、ということではちょっと前に観た『パリタクシー』に通じるものがある。

 

それゆえに、もう少し各登場人物たちを掘り下げたり、若者たちが料理を習得していく過程をもっと見たかったり、終盤にさらなるエピソードが欲しかった、といったようなところはあるんですが、でもここ最近上映時間が長めの映画が多くて1本観終わったらくたびれちゃったりもするんで、これぐらい「さくっと」観られる作品もありがたいな、と。重過ぎないですし。

 

TVの料理対決番組で勝って賞金を手に入れる…と思わせてのクライマックス以降の展開で、この映画が本当に訴えようとしていることがなんだったのかわかる。知ること、関心を持つことが大事。

 

最強のふたり』の主演だったフランソワ・クリュゼを10年ぶりぐらいに見ました(^-^)

 

 

 

 

 

  TAR/ター

 

 

トッド・フィールド監督、ケイト・ブランシェット、ニーナ・ホス(シャロン)、ノエミ・メルラン(フランチェスカ)、ミラ・ボゴジェヴィチ(ペトラ)、ソフィー・カウアー(オルガ)、アラン・コーデュナー(セバスチャン)、Fabian Dirr(クヌート)、Dorothea Plans Casal(チェロ奏者ゴーシャ)、マーク・ストロング、ジュリアン・グローヴァーほか出演。

 

ドイツの有名オーケストラで、女性としてはじめて首席指揮者に任命されたリディア・ター(ケイト・ブランシェット)。天才的能力とたぐいまれなプロデュース力で、その地位を築いた彼女だったが、いまはマーラーの交響曲第5番の演奏と録音のプレッシャーと、新曲の創作に苦しんでいた。そんなある時、かつて彼女が指導した若手指揮者クリスタ(シルヴィア・フロート)の訃報が入り、ある疑惑をかけられたターは追い詰められていく。(映画.comより転載)

 

158分ある作品ですが、さすがケイト・ブランシェットの熱演でそれほど長くは感じませんでした。

 

ただし、オーケストラに関する知識がある程度ないとわからない箇所が結構あって、そちらの方面に疎い僕はかなり苦戦しました。ゲームもやらないんで、「モンハン」とか全然知らないしなぁ。

 

この映画、パワハラ・性加害についての映画だと思って観ていたんですが、たとえば『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』のように被害者側から描いたものではなくて、むしろ“加害者”と見做された者の視点で描かれているので、この映画を観る側の受け取り方によっては作品が主人公・ターの行為を擁護しているようにも見えるんですよね。

 

『SHE SAID』で言えば、ちょうど加害者のハーヴェイ・ワインスタインの視点で彼の主張、その論理で描かれているような。

 

この映画には“キャンセル・カルチャー”への批判が込められている。

 

指揮者を目指していた若い女性・クリスタ(演:シルヴィア・フローテ)の死を知った時のターの冷淡な反応も、その理由はいろいろと憶測できるが、実際のところ、ターがかつてクリスタに何をしたのか、彼女をどう扱ったのか、彼女たちが本当はどのような関係だったのかは描かれていないのでわからない。

 

ターは「陥れられた」ようにも見えなくはない。そこがモヤモヤする。ジュリアン・グローヴァー演じる元指揮者も、ナチスへの協力やパワハラ等で告発された実在の名指揮者たちの名を挙げて「彼らは陥れられた」と語っていた。まるで彼らは真の被害者だとでもいうように。

 

関係ないけど、ケイト・ブランシェットとジュリアン・グローヴァーは、二人ともかつて「インディ・ジョーンズ」シリーズで悪役を演じてましたね。

 

ジュリアード音楽院の生徒・マックス(演:ツェトファン・スミス=グナイスト)と教える側のターの問答は、どう聴いてもターの言葉に理があって、マックスの「バッハは子どもを20人も作った女性蔑視者だから嫌い」という言い分はずいぶんと無理がある。

 

ターは、思想やセクシュアリティの違いなどで「才能」を認めないのはもったいない、と説くが、マックスは彼女を口汚く罵って立ち去る。

 

僕たち観客は冒頭での彼らのやりとりの一部始終を知っているから、終盤でSNSに投稿されたその時の映像が「一部を切り取られて」「ターに不利なように編集されたもの」であることがわかる。

 

この映画は一体何を描こうとしていたのか、僕には理解が難しかった。

 

ターの下でクリスタは、本当にターの一方的な被害者だったのか。それとも、彼女もまたターのようにさまざまな手段を使って「成り上がる」ことを目指していたのか(自分を見出してくれたはずのターへの、オルガの陰口が意味深長)。

 

ここでは、人間的に問題があっても素晴らしい芸術的才能を持つ者はいるのだ、という真実を映し出している。

 

確実に言えるのは、ターと自殺したクリスタ、それからターを裏切り彼女の前から姿を消したフランチェスカ(演:ノエミ・メルラン)との間には“力”の格差があり、対等な関係ではなかったこと。

 

ターがやっていたのは、すべて「上から」だった、という事実。

 

本人にそのつもりがなくても、「上の立場」を利用すればハラスメントになるのだ。

 

この映画はいろんなかたがたによる感想、解説を読んだり聴いたりして、あぁそうか、あの場面はそういうことを言っていたのか、と教えていただいてますが(ソフィー・カウアー演じる若いロシア人のチェロ奏者・オルガを追ってターがまるでタルコフスキーの映画の中のような廃墟を彷徨う場面の意味がわからないんですが)、映画自体はけっして「正解」は与えてくれず同じ場面を観ていても人によって如何様にも解釈できるので、観た人同士であれこれと意見を交換すると面白いでしょうね。

 

 

 

関連記事

『セッション』

 

 

 

 

  ワイルド・スピード/ファイヤーブースト

 

 

ルイ・レテリエ監督、ヴィン・ディーゼル、ミシェル・ロドリゲス、ジェイソン・モモア、タイリース・ギブソン、クリス・“リュダクリス”・ブリッジス、ナタリー・エマニュエル、サン・カン、レオ・アベロ・ペリー、ジョン・シナ、ジョーダナ・ブリュースター、ブリー・ラーソン、ダニエラ・メルシオール、シャーリーズ・セロン、ジェイソン・ステイサム、ヘレン・ミレン、リタ・モレノほか出演。

 

パートナーのレティ(ミシェル・ロドリゲス)と息子ブライアン(レオ・アベロ・ペリー)と3人で静かに暮らしていたドミニク(ヴィン・ディーゼル)。しかし、そんな彼の前に、かつてブラジルで倒した麻薬王レイエス(ジョアキム・デ・アルメイダ)の息子ダンテ(ジェイソン・モモア)が現われる。家族も未来も奪われたダンテは、12年もの間、復讐の炎を燃やし続けていたのだ。ダンテの陰謀により、ドミニクと仲間たち“ファミリー”の仲は引き裂かれ、散り散りになってしまう。さらにダンテは、ドミニクからすべてを奪うため、彼の愛するものへと矛先を向ける。(映画.comより転載)

 

2021年の『ジェットブレイク』の続篇。シリーズ10作目(スピンオフを除く)。

 

当初、最終作まで撮るということだったジャスティン・リンから監督は「トランスポーター」シリーズや『グランド・イリュージョン』のルイ・レテリエに交代。

 

どのようないきさつがあったのかはわかりませんが、ジャスティン・リンは一応、脚本や製作に名前を連ねている。

 

前作の段階では「あと2作」と言っていたけれど、どうやらさらにこのあと2作品撮るかもしれないようなことをヴィン・ディーゼルが言っていて、最終作が先延ばしになった模様。

 

これの前に『TAR/ター』を観て頭がショートしそうになったので(;^_^A 難しいことなど何一つないこの映画は一服の清涼剤のようでした(^o^)

 

 

 

…いやまぁ、これまでこのシリーズをまったく観てないと、登場キャラクター同士の関係は煩雑で相当難解ですが(お前誰やねん!って)w

 

それにしても、このシリーズには続々と集まってくるなぁ、DCヒーローたちが。今回はアクアマン。

 

しかもキャプテン・マーベル(ブリー・ラーソン)まで参戦(主演のヴィン・ディーゼルも木製のマーヴェル・ヒーローだし)。

 

いいんでしょうかね、これユニヴァーサル映画なんですけど(ワーナーやディズニーだったらこの布陣は無理だろうから、これでいいのか)。映画会社の枠を越えてマルチヴァースやってるw

 

シャーリーズ・セロン演じる宿敵・サイファーも早くも次回作あたりでのベビーターンを予感させるし、今回の悪役のジェイソン・モモアだってどう考えてもそうでしょ(それにしても、ヴァティカンの近くの街なかで中性子爆弾破裂させといて「死者ゼロ」ってそんなアホな)。ジェイソン・ステイサムの例もあるし、スターは結局は生き残って善玉化するんだよ。しかし雑魚は容赦なく殺される。深刻なキャラの格差問題。

 

 

 

 

あと2作で20年以上続いたこのシリーズも終了するんだそうですが(ほんとに終わらす気あるのか?^_^;)、多分、みんなドラッグ入りのマフィン食べて夢を見ていた、とかいうオチなんじゃないか(「ハイスクール奇面組」かっw)。きっとほんとは誰一人死んでないんだろう。

 

そんで最後には敵だった奴らも全員“ファミリー”になって、みんなで手を繋いでお祈りしてバーベキューして終わるに違いない。

 

 

 

 

 

  クリード 過去の逆襲

 

 

マイケル・B・ジョーダン監督・主演、ジョナサン・メジャース、テッサ・トンプソン、ミラ・デイヴィス=ケント(アマーラ)、フィリシア・ラシャド(メアリー・アン)、ウッド・ハリス(リトル・デューク)、フロリアン・ムンテアヌ、アンソニー・ベリューほか出演。

 

かつてロッキーが死闘を繰り広げた親友アポロの息子アドニス・クリード(マイケル・B・ジョーダン)。ロッキーの魂を引き継ぎ世界チャンピオンとなった彼の前に、刑務所から出所した幼なじみの“ダイヤモンド”デイミアン(デイム)・アンダーソン(ジョナサン・メジャース)が現れる。2人はかつて家族同然の仲間であったが、デイムはクリードの少年時代のある過ちによって18年間の服役を強いられ、復讐心に燃えていた。クリードは封印してきた自らの過去に決着をつけるべく、デイムとの戦いに向けて猛トレーニングを開始する。(映画.comのあらすじに一部加筆)

 

チャンプを継ぐ男』『炎の宿敵』に続く「クリード」シリーズの第3弾(しかし今回の日本語の副題は語呂が悪いな)。

 

あまり話題になっていないし、劇場やTVで予告篇も目にしていません。

 

評価の方も「普通」というものが多くて、前の2作ほど話題にもなってない(そもそも、ロッキー・ファンや一部の映画ファンを除くと前の2本だってそんなに話題にはなっていなかったが)。

 

近所のシネコンでは、映画館は混んでるのに、公開されて間もないにもかかわらずこの映画の上映会場は閑散としていました。大きめのスクリーンに、ショッキングなほど客が少ない。

 

この3作目が前2作ほど評価されていないのが“ロッキー=スタローン”の不在が原因なら、ちょっと残念ですが(シルヴェスター・スタローンの名前は製作やシリーズの原作者としてクレジットはされているし、“ロッキー”の名もアポロとともに劇中の台詞の中に出てくるものの、実質スタローン本人は作品にはノータッチ)。

 

いや、僕はわりと楽しめましたけどね。

 

1作目の対戦相手・コンラン(演:アンソニー・ベリュー)や前作の“宿敵”ヴィクター・ドラゴ(演:フロリアン・ムンテアヌ)が再登場するのもよかった。

 

「逃げた男」と「見捨てられた男」の闘い。

 

 

 

今回、3作目にしてようやくロッキーが直接絡まないアドニス(演:マイケル・B・ジョーダン)自身の物語が描かれる。

 

シリーズが続くにつれて主人公の過去がどんどん付け足される、というのは「ワイスピ」シリーズでもそうだけど、ウマい手だよね(笑)

 

デイミアン(演じるのは最近暴行容疑で逮捕されたジョナサン・メジャース)のキャラが場面ごとに激変し過ぎだろ、とか、勝敗が決まるのがあっけなさ過ぎる、もう少し最後にデイミアンに粘ってほしかった、など不満もなくはないけれど、ここんところ心が弱ってるせいもあってか、これぐらいシンプルでストレートな作品に素直に浸れた。

 

 

 

 

これで完結なのか、それともまださらに続くのかは知りませんが、引退後の復帰、王者への返り咲きと、ひとまずある区切りにはなりましたね。

 

映画本篇のあとにアニメーション作品が流れたんだけど、なんか“クリード”に絡めたSFモノっぽくて、てっきり予告篇なのかと思ってたら、どうやらあれが完成作品のようで。

 

ぶっちゃけよくわかんなかったし、面白くもなかった。『過去の逆襲』の上映前にスパイダーバース』の続篇の予告篇も流れてたから、似たようなジャンル、ってことかもしれないけれど、正直、一体俺は今何を見せられているのだろう、と思ってしまった。

 

マイケル・B・ジョーダンがアニメが好きなことはよくわかったけど、今後も彼には実写映画の方で頑張ってほしいです。

 

 

 

 

旧作

丹下左膳余話 百万両の壺(Nikkatsu World Selection)

 

河内山宗俊(Nikkatsu World Selection)

 

お葬式 4K(午前十時の映画祭13)

80年代にTV放映された際に観た記憶があるんですが、林の中での青姦シーンと、丸太のブランコみたいなのに乗った喪服姿の宮本信子が勢いよくそれを漕いでるところが思い浮かぶだけで、それ以外の場面をさっぱり思い出せなかった。

 

今回、初めて映画館のスクリーンで観て、あぁこういう作品だったんだ、と。

 

基本、主人公夫妻の妻の父親が急死してから、お通夜、葬式が終了するまでを順番に映し出していくだけで、その途中でくだんの喪服での「合体」シーンが目を引くぐらいで、わりと淡々としたお話でしたが、顔のアップが多く、食事のシーンが汚く、エロシーンがわざとらしくて下品、という、その後の伊丹十三監督作品の特徴が出揃っている。

 

今はなきあの俳優さんやあの俳優さんのありし日の姿が見られて懐かしかったし、80年代の映画ってこんな感じだったよなぁ、とか思いながら観てました。

 

 

 

薔薇の名前 レストア版(12ヶ月のシネマリレー)

哲学だとか宗教論争とか、ちゃんと理解しようとすると難しいですが、要は中世ヨーロッパを舞台にして我らがショーン・コネリー演じる修道士“バスカヴィルのウィリアム”がシャーロック・ホームズよろしく推理力を駆使して、修道院で起こった連続殺人事件の真相を追うというもの。

 

30年ちょっと前にTVの地上波で放映されたのを観て以来の、劇場では初鑑賞でしたが、ようやく完全な形でこの映画を観ることができました。

 

ウンベルト・エーコによる原作小説は読んでいないし、劇中で交わされるキリスト教徒たちの討論の内容を充分に理解できてもいませんが、たびたびカルト宗教による被害が報じられる現在、この映画に登場する「笑うことを禁ずる」長老の主張は、「宗教」というものの大きな問題点を提示している。

 

一体、誰のための“ルール”か。

 

人々を縛りつけ、互いに監視し合う「宗教」は本当に私たちに必要か。

 

だいたい、すべての人間に通じる「普遍」的な宗教など存在するのだろうか。

 

俗にまみれ、民衆から吸い上げた富を独占する聖職者たち。どこにも「聖なる」ものなどない。

 

ポール・ヴァーホーヴェン監督の『ベネデッタ』は、この映画の女性版だなぁ。

 

それにしても、両作品に共通する「貧しい育ちの美しい娘が主人公を性的に誘惑する」というイメージは、その発想の貧しさにちょっと辟易するんですが、「ポルノ的」であろうとするとそういう描き方になってしまうのだろうか。

 

タイトルの“薔薇の名前”とは何か。

 

映画では、若き修道士見習い・アドソ(クリスチャン・スレーター)が「この先、永遠に出会うことはない」と語った、彼が生涯でたった一度だけ交わったあの娘の名前を思わせるが、では「名前」を知らなければ彼女は存在しないのだろうか。

 

名も知らぬあの娘は、しかしアドソの中で確かに実在した。この映画はそう語っている。

 

現在NHKで放送中の朝ドラ「らんまん」は、草花の名前を人のそれに重ねて「雑草という草はない」と語る植物学者を主人公にした作品ですが、この『薔薇の名前』もまた、歴史の中で名を残さぬ者たち──それはつまり私たちのことでもある──の存在、そして「知識」がいかに重要か、ということを伝えている。

 

人々が無知で愚かなままでいることを称揚するような教えは間違っている、と。

 

ショーン・コネリーとクリスチャン・スレーターの二人の師弟の姿や立ち居振る舞いが、もうジェダイにしか見えなくてw やたらと「Master(先生)」とか呼んでるし。

 

ジョージ・ルーカスは「スター・ウォーズ」のエピソード1~3を撮る時に、この映画を参考にしたんだと思うなぁ。

 

 

 

マルサの女 4K(午前十時の映画祭13)

あのテーマ曲はほんとに印象的でしたね。メロディを耳にした瞬間、1980年代の終わり頃にタイムスリップ。当時の代表的な映画音楽だった。

 

劇中で宮本信子演じる板倉亮子がスーパーマリオのゲームをやる場面があって、スーパーマリオのアニメ映画を観たばかりの今、期せずして36年前と時代がリンクする。

 

バブルの時代。いろんなものが暴走していた。そのツケを今僕たちは払わされている。

 

醜悪さも含めて、あの時代を象徴したような映画でした。

 

伊丹十三監督の映画を2本観て、自分の中の「山崎努」ってこの時代の中年のギラついたイメージなんだよなぁ、って思った。“仕置人”だった人だもんねぇ。

 

主演の宮本信子さんも現在もご活躍中で、BSプレミアムでは「あまちゃん」の再放送が、民放では「日曜の夜ぐらいは…」にも出演中だし、映画館では『お葬式』と『マルサの女』が上映中と、現在いろんな時代の彼女が見られますね(^o^)

 

2作目のマルサの標的は新興宗教と悪徳政治家、そして大企業。

 

どうせなら続篇も上映すればよかったのに。さらに現在のこの国の抱える問題と重なってるんだから。

 

 

6月や7月も新作・旧作ともに観たいものが目白押し。是枝監督の『怪物』に実写版『リトル・マーメイド』、そして『インディ・ジョーンズ5』etc.。

 

これから梅雨に入って本格的にジメジメと蒸し暑い日が続きますが、皆さんどうぞ体調にはお気をつけください。

 

 

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