意図して選んだわけじゃないですが、実写映画とアニメ映画でクリス・プラット2連発

 

まぁ、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー (GotG)』の方も今回の主役はCG製のアライグマ(声:ブラッドリー・クーパー)だから、こちらも一部はアニメと言っていいかもしれませんが。

 

いずれもネタバレがありますので、まだご覧になっていないかたはご注意ください。(ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』の感想へ

 

  ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3

 

 

ジェームズ・ガン監督、クリス・プラット、チュクウディ・イウジ、ブラッドリー・クーパー (ロケットの声)、カレン・ギラン、デイヴ・バウティスタ、ポム・クレメンティエフ、ゾーイ・サルダナ、ヴィン・ディーゼル (木人グルートの声)、ウィル・ポールター、ショーン・ガン、エリザベス・デビッキ、リンダ・カーデリーニ (ライラの声)、マイア・バカローヴァ (宇宙犬コスモの声)、シルヴェスター・スタローンほか出演。

 

マーヴェル・コミックの実写映画「MCU(マーヴェル・シネマティック・ユニヴァース)」の1本。

 

かつてアベンジャーズの一員として世界を救ったものの、愛するガモーラ(ゾーイ・サルダナ)を亡くして失意に暮れるスター・ロードことピーター・クイル(クリス・プラット)。そんな彼が率いるガーディアンズの前に、銀河を完璧な世界に作り変えようとたくらむ敵“ハイ・エボリューショナリー”(チュクウディ・イウジ)が出現し、アライグマのロケット(声:ブラッドリー・クーパー)に命の危機が迫る。ガーディアンズは大切な仲間、そして銀河を救うため、壮絶な戦いに挑む。(Yahoo!映画より転載)

 

2021年のDC映画『ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結』も好調だったジェームズ・ガンが古巣に戻って前作『リミックス』から6年ぶりに撮った「GotG」三部作の完結篇。『ソー:ラブ&サンダー』でソーと別れたあとのガーディアンズの冒険が描かれる。

 

 

 

これまでのシリーズも劇場公開時に観てきましたが、僕は必ずしも熱心なファンではなくて、感想でも「世評の高さほど面白いとは思わない」というような評価をしてきました。

 

正直なところ、ガーディアンズの面々も活躍する『アベンジャーズ/エンドゲーム』以降、個人的にはマーヴェル映画への興味が薄れつつあって、ネット配信ドラマとの連動が続くとますます距離を置くことになってきて、あれから観ていない作品も結構あるし、今回の『VOLUME 3』も格段の期待をしていたわけではなかった。

 

ただ、一応シリーズ最終作ということなので、2014年からアベンジャーズ関連作品も含めてずっとおなじみだったガーディアンズを見送るために観てきました。

 

150分の上映時間は確かにそれなりに長いんだけど、これが最後だと思って観ていたから気にならなかったし、これまでの2作の感想で「“家族”の物語に食傷気味」みたいなことを書いてきたけど、それこそがジェームズ・ガンが描きたかったことなのだ、とわかったうえで観たから、もはや抵抗もなくファミリーや仲間たちについての物語を楽しみました。

 

スター・ロード死す!…ではなくて酔っぱらってるだけです

 

義父であるサノスの手にかかって命を落としてしまったガモーラのことが忘れられず酒浸りになっていたピーター・クイルだったが、突如来襲したアダム・ウォーロックによってガーディアンズの一員であるロケットが重傷を負う。

 

 

 

しかし、ロケットの傷を治療しようとすると彼の体内に埋め込まれた“キルスイッチ”が作動して死んでしまうため、それを阻止してロケットを救おうとピーターとガーディアンズはかつてロケットを改造した張本人である“ハイ・エボリューショナリー”と対決する。

 

ジェームズ・ガンは以前Twitterで呟いた悪趣味なツイートを掘り起こされてディズニーに「GotG」の監督を解雇されたものの、デイヴ・バウティスタをはじめ出演者たちやファンの嘆願と署名活動によって復帰しており、その経緯を知ったうえでこの最新作を観ると、今回の主人公であるロケットと、それから彼に重傷を負わせたウォーロックの2人のキャラクターにはジェームズ・ガンが重なって見える。

 

仲間を救うために奮闘するガーディアンズの姿に、ジェームズ・ガンの「友人たち」への感謝の気持ちが見て取れる。

 

ハッキリ言って一連の解雇騒動はジェームズ・ガン自身の責任で、ある意味自業自得でもあるので、それを映画の中で「人は間違いを犯しても取り返せるし、世の中には完全な存在などいなくて、誰もが問題を抱えながらも生きていく権利がある」というようなことを主張されても居直りにしか感じられず、ちょっと図々しくないか?とも思うんですが。

 

ただまぁ、言ってることはその通りだとも思うし、落ちこぼれヒーローチームの姿を通してジェームズ・ガンが描こうとしてきたものがより鮮明になったとも言えるので、僕は面白く観られました。

 

映画の外側でも男気のあるところを見せてくれたデイヴ・バウティスタ(ドラックス・ザ・デストロイヤー役)は、少し前に観た『ノック 終末の訪問者』でも主演だったし、日本では来年公開予定のDUNE/デューン 砂の惑星の続篇にも悪役で出演していて活躍が目立ってますが、今回の『VOLUME 3』でも重要な役回りで、終盤ではずっと「バカ」だと思われてきたドラックスの意外な面がわかって、彼は映画の最後に他のメンバーたちと同様に新たな人生を歩みだす。

 

ある者たちは新しいメンバーとともに引き続きガーディアンズにとどまり、ある者たちはアベンジャーズの初期メンバーたちがそうだったように自らが望む場所に旅立つ。

 

この映画に登場するガモーラはサノスに殺された彼女とは別人で現在はスタカー(シルヴェスター・スタローン)率いる宇宙海賊ラヴェジャーズに所属していて、クイルとの記憶もないため、彼らと共闘はしつつももはやガーディアンズではない。

 

 

 

僕は、『インフィニティ・ウォー』でガモーラが殺されたあとに『エンドゲーム』で過去からやってきた彼女を見て、ガモーラの死がまるでなかったかのように扱われたら嫌だなぁ、と思っていたんですが、『VOLUME 3』では現在のガモーラはかつてピーターと愛し合った彼女とはあくまでも別人格、別の人物として描かれていて安心しました。

 

彼女はピーターのことをなんとも思っておらず、死んでしまったガモーラの代わりを務めることもないし、まだ彼女に未練があるピーターにハッキリとそう伝えもする。

 

もしかしたらありえたかもしれない関係を胸にとどめながらガモーラと別れるピーターの姿がとてもせつない。何事もなかったかのように彼らがまた恋人同士になるような展開じゃなくて、ほんとによかった。

 

「マルチヴァース(多元宇宙)」の導入で、あるキャラクターが劇中で命を失っても別のタイムラインでは生きている、といった展開が多用されるようになると「死」が無意味化されてどんどんどーでもいい茶番劇の様相を呈してくるのを危惧しているんですが、今回の映画ではガモーラの死がなかったことにはなっていないし、ロケットの大切な友だちであったカワウソのライラ(声:リンダ・カーデリーニ)たちもまた、生き返ることはない。

 

 

 

「死」は別れであって、それを回避することはできないし、別れの悲しみや寂しさが完全に忘れ去られることもない。記憶の中にある限り。その悲しみや寂しさを抱えながら、私たちは明日も生きていく。遠退く意識の中で、「今はまだ」というライラの言葉に押し戻されてロケットは“こちら”に還ってくる。彼にはまだまだ生きて闘い続ける役割が残っているから。

 

シリーズの中で、ロケットはブラッドリー・クーパーの声でしばしば可愛らしく泣いていたけれど、今回、自分と同じく動物から改造されたライラたち“友だち”を無残に殺された若き日のロケットは大声で泣く。

 

日本のアニメで女の子が声をあげて泣くシーンをしばしば目にするたびに作り手の異様な嗜癖にうんざりするんですが(女子高生とか若い娘さんが人前であんな大声で泣くか?幼児じゃないんだからさぁ)、ロケットは動物だし、だからちょっと子どものようでもあって(彼のチョコチョコとした歩き方はいつ見ても可愛い)、それに仲間を殺されたらそりゃ大声で泣きもするだろ、と。

 

ロケットの号泣にはさすがにちょっと涙ぐんでしまった。

 

彼らと今回のヴィラン(悪役)であるハイ・エボリューショナリーの関係は、見たまんま動物虐待に対する批判ともとれるけど、僕は日本での入管での虐待死や人権侵害を思い出してしまった。

 

けっして外国人を動物扱いするつもりなどありませんが、「命」を粗末に扱うことへの怒りが込められていたことは確かだから、通じるものはあるでしょう。

 

ハイ・エボリューショナリーの非人道的な行為や「命」をいくらでも取り換えのきくただのモノ扱いする価値観は、僕たちが住むこの国の為政者や政治家、権力者たちとも無関係ではないのだし。

 

ハイ・エボリューショナリーのキャラクターがまたなんか凄く「ちっさい」のね。

 

強大な悪、というよりも、この世の中の差別主義者どもとか、もっと言っちゃえば劣等感の裏返しである根拠のない万能感と特権意識に溢れた腐れヲタクのなれの果て──彼らの一番醜いところを抽出したような男。

 

自分にとって「完全な存在」を創り出そうとする中で多くの他者に犠牲を強いながら、自分自身を変えようとはしない。

 

そんなハイ・エボリューショナリーは最後に、お前は「完全な存在」を創り出そうとしているのではなく、「ありのまま」の人々を認めようとしないだけだ、と喝破される。

 

サノスのような豪腕でヒーローたちを叩きのめす筋肉系ではなく、ツラの皮一枚剥いだらその正体がバレちゃうような実はチンケな存在。だってアライグマにボコボコにされてるんだもんね。

 

顔の表皮を貼り付けた状態のハイ・エボリューショナリーの頭部がまるでヘルメットをとったロボコップみたいだな、と思って観てたら、ピーターが同じツッコミをしていた。

 

 

 

これまで「アライグマ(ラクーン)」と呼ばれると怒っていたロケットが「俺はロケット・ラクーンだ」と名乗ることでついに自らのルーツを受け入れてアイデンティティを確立し、それに誇りを持つことができた。

 

みんなからバカ扱いされてきた(まぁ、事実ではあるが…w)ドラックスについても同様で、他の誰よりも子どもたちとの意思疎通に長けていた彼は、その資質にようやく自分で気づく。

 

そんなドラックスへのツッコミ担当だったマンティス(ポム・クレメンティエフ)も、集団の一員から解放されて一人の生き方を選ぶ。

 

ガモーラと同じくかつてサノスの義理の娘として彼に仕えながら虐待され続け肉体を改造されてきたネビュラ(カレン・ギラン)は、『エンドゲーム』で過去の自分を殺してガーディアンズの一員になった。ここでは正しき選択によって人は変われるのだ、と言っている。

 

ロケットの生還にネビュラが見せた涙は、ロケットの人生が彼女自身のそれと重なるものがあったからだろうし、かつてはガーディアンズと敵対していた彼女がこれからもロケットとともにガーディアンズとして闘い続けるラストのその姿に、素直に胸が熱くなったのだった。

 

 

 

ロケットに生死の狭間を彷徨わせた直接的な原因であるウォーロック(ウィル・ポールター)が、後半はガーディアンズに協力してピーターを救う展開も興味深かった。

 

 

 

演じるウィル・ポールターは『ミッドサマー』で大変なことになってた人だけどw ここでもちょい頭がユルめのキャラを好演。

 

なんだか昔の仮面ライダーの敵幹部みたいに顔を金色に塗ったウォーロックは、胸を貫かれても死なないし、実のところキャプテン・マーベル並みのパワーや頑丈さを持ち合わせているにもかかわらず、冒頭でのガーディアンズの本拠地ノーウェアでの大暴れ以降はその存在を無視されがちで、ピュアゆえに最初はヴィランに利用もされるんだけど、彼もまたその後の選択、行動によって過ちは正され、その存在は否定されなくなる(エリザベス・デビッキ演じる“母親”のアイーシャはあれで死んじゃったのだろうか。あっけない退場がちょっと寂しい)。

 

ガーディアンズのリーダー、ピーターはハイ・エボリューショナリーとの戦いを終えてガーディアンズを去り、故郷の地球に帰って育ての親である祖父と再会する(ディズニープラスでやってた番組がらみらしいケヴィン・ベーコンについての小ネタは意味わかんなかったが)。

 

クライマックスで脱出する際に宇宙空間であれだけ顔がボコボコになったにもかかわらず、そのあと傷一つ残らず元通りになってたのはご愛嬌だけど、そういえば今回ピーターは戦闘時にはいつも装着していたあのおなじみのマスクを一度もつけてなかったのはなんでだろう。

 

ピーターが地球に戻ったことで、永遠に終わらないファンタジー映画に思えた「GotG」もとうとう終幕を迎えることに。

 

ピーター・クイル役のクリス・プラットは去年の『ジュラシック・ワールド/新たなる支配者』に続いて代表作といえるシリーズを終えるわけだけど、それぞれの作品にはなんだかんだと文句も言ってはきたものの、それでもずっと観続けてきたシリーズが終わるのはやはり感慨深い。

 

これまで「アイ・アム・グルート」としか言わなかったグルート(声:ヴィン・ディーゼル)がついに…というのも「できるかな」の最終回っぽくて(高見のっぽさんのご冥福をお祈りいたします。22.9.10)。

 

まぁ、『VOLUME 3』はまたいつでも続きが作れる終わり方だったから(最後にも「スター・ロードは帰ってくる」と字幕も入ってたし)ほんとに今生のお別れだとは思ってないけどね。

 

映画が始まる前に『マーベルズ』とDCの『ザ・フラッシュ』の予告篇が流れてて、「飽きた飽きた」と言いながらも、まだまだお付き合いしそうな気配を感じたりもして…^_^;

 

 

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  ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー

 

 

監督:アーロン・ホーヴァス、マイケル・イェレニック、声の出演:クリス・プラット、アニャ・テイラー=ジョイ、ジャック・ブラック、チャーリー・デイ、キーガン=マイケル・キー、セス・ローゲン(ドンキーコング)ほか。

 

ブルックリンに住むイタリア系の兄弟、マリオ(クリス・プラット)とルイージ(チャーリー・デイ)は独立して配管工のサーヴィス会社を始めるが、修理の依頼はなかなか来ない。ある夜、兄弟は地下の土管からキノコ王国にワープしてしまう。その頃、ダークランドの大魔王クッパ(ジャック・ブラック)は、キノコ王国のピーチ姫(アニャ・テイラー=ジョイ)を妻にするために手下たちとともに空飛ぶ要塞で迫ってくるのだった。

 

イルミネーションによる任天堂の有名人気ゲームの3DCGアニメーション映画化作品。字幕版を鑑賞。

 

世界的に大ヒットしている一方で、Rotten Tomatoesにおける評論家と一般の観客との評価が乖離しているとして評論家をぶっ叩いてる人たちもいるみたいだけど、実際には評論家の評価も悪くはないようで。

 

そもそも“スーパーマリオ”の映画に何を期待してるんだって話だし。映画評論家だってそんなことは重々承知のうえでしょ。

 

それから「ポリコレに縛られていない」などという、これまた的外れな持ち上げ方をしてる輩もいるようだけど、この映画でのピーチ姫の描かれ方を見てもそんなことが言えるんなら、“ポリコレ(ポリティカル・コレクトネス)”だの“コンプラ(コンプライアンス)”だのといった言葉にはなんの意味もないことになりますね。

 

 

 

ほとんどの映画館では吹替版が上映されていて、僕が住んでるところでは字幕版をやってるのはわずか1館のみ、それも一日わずか2回の上映だけど、マリオの声をクリス・プラットが、またピーチ姫をアニャ・テイラー=ジョイ、クッパをジャック・ブラックが担当しているのでぜひそちらで観たかった。

 

…で、どうだったと言うと、「ストーリーに深みがない」という指摘は、まぁその通りではあるけれど、でも楽しめましたよ。

 

僕は子どもの頃に「スーパーマリオブラザーズ」をやったことがあるぐらいで今ではゲームって一切やらないし知識もないので、映画の中に散りばめられているという“イースターエッグ”にも気づけなかったんですが、それでもストーリーを理解するのには困らなかったし、だいたいこの作品は小さな子どもたちが対象でもあるのだから、これぐらいシンプルなストーリーで充分でしょう。

 

 

 

 

おなじみのキャラクターたちがスクリーンの中を飛び回り、冒険を繰り広げる。

 

この映画の前に「インディ・ジョーンズ」の最新作の予告をやってたけど、あの映画だって特にストーリーに深みがあるわけじゃないだろうし。でも面白けりゃいいでしょ、ってことで。

 

この映画の登場キャラクターを見てるとどうしてもディズニーの「シュガー・ラッシュ」シリーズを思い出すんですが(あの映画のキャラクターたちは明らかにマリオのゲームキャラをヒントにしてるし)、あの2本の作品は確かに「深み」がある物語と設定で、だからあちらと比べてあれこれ言いたくなる気持ちはわかる。

 

 

 

でも、おとなが楽しめるアニメーション映画だった一方で「シュガー・ラッシュ」シリーズは「幼児にはちょっと難しい」という意見もあった。ターゲットとしている年齢層の違いにもよると思うけど。

 

僕は「シュガー・ラッシュ」シリーズが大好きですが、この『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』はあのシリーズとは別に、もっと単純にゲームの世界をアトラクション的に体感する映画として、特に親子で楽しむにはもってこいの作品だと思いました。小さな子どもさんにも自信を持ってお薦めできる。

 

a-haの“Take On Me”やボニー・タイラーの“Holding Out for a Hero”などのベタにもほどがある選曲は、観客の子どもたちの保護者へのサーヴィスだろうかw

 

AC/DCの“Thunderstruck”が流れる映画(『バトルシップ』『マイティ・ソー バトルロイヤル』)は面白い、という法則がここでも証明されている(^o^)

 

「ピーチ」を連呼するジャック・ブラックの熱唱も聴けるしw

 

 

 

 

ジャック・ブラックが声をアテてると思って観てると、クッパの顔がだんだんジャック・ブラックっぽく見えてくるから不思議(^o^)

 

 

 

クッパって、アメリカでは“バウサー (Bowser)”って名前なんだなぁ。「クッパ軍団 (Koopa)」という言葉は出てきてたから、亀の軍団のことを「クッパ」と呼んでるんだろーか。

 

そういえば、1993年のマリオの実写映画『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』を劇場公開時に観ましたが、ヒロインの名前が「デイジー」だったので、僕はてっきりピーチ姫はアメリカでは“デイジー”と呼ばれているのだと思っていたら、ピーチ姫とデイジーって別のキャラクターだったんですね。そんな知識もないまま映画を観てましたが。演じてたサマンサ・マシスの名前が懐かしい。

 

 

 

ルイージ役のジョン・レグイザモなんて、僕の中ではいまだにあの時のイメージのまんまだもんなぁ。「ヒゲがない!」ってw

 

今回、3DCG映画化されたことで、あの過去作がみんなにイジられてるけど、悪役のクッパをデニス・ホッパーが演じててゲーム版のキャラとは外見が似ても似つかなかったこと、頭部が異様に小さい恐竜っぽい手下たちが大勢いたことぐらいしか覚えてなくて、どんな内容なのか忘れようにも思い出せない^_^;

 

今年は公開30周年なんだなぁ。当時は『ジュラシック・パーク』に対抗して封切られたんだった(そして見事に惨敗)。だから恐竜だったのか。

 

マリオ役のボブ・ホスキンスは『ロジャー・ラビット』の探偵役が有名だけど、そういえば『未来世紀ブラジル』ではダクトの修理屋役だった。あの映画ではむしろロバート・デ・ニーロが演じてた無許可の修理屋の方がマリオっぽかったな。口髭も生やしてたし。

 

マリオ役はボブ・ホスキンスに決まる前はダニー・デヴィートが候補だった、みたいなことをどっかで読んだけど、もう、ちっさくて口髭が似合う頭ハゲたおっさんだったら誰でもよかったのかよ(;^_^A

 

でも、マリオって口髭とコロコロな体型のせいでおじさんっぽいけど、ほんとは青年でどうやら20代という設定らしい。今回の映画でも家族や両親との場面などからも若そうだし(あのあたりは同じイタリア系ということでジョン・トラヴォルタ主演の『サタデー・ナイト・フィーバー』のパロディだったのかしらね)、帽子を脱いだら頭にはいっぱい毛があった。

 

今回のアニメ映画ではやたらと「マンマ・ミーア!」連呼したりマリオとルイージがイタリア系であることを強調してたけど、でも声を演じてるクリス・プラットもチャーリー・デイも別にイタリア系じゃないんだよな。最近じゃアニメでもキャラクターと声の演じ手のルーツを合わせたりして、わりとうるさく言われてもいるんだけど、そのあたりは別に構わないんだろうか(その件については前述のジョン・レグイザモさんが批判的な意見を述べている)。ディズニーだったら結構こだわりそうだけど。

 

 

 

「アニメだし、ファンタジーなんだから声優の出自は関係ないでしょ」という意見もあるけど、だったらなんで劇中でマリオたちが「イタリア系」であることをわざわざ強調したの?って話で。

 

そもそも“マリオ”も“ルイージ”もイタリア風の名前だし、映画の中で彼らの元上司がイタリア語訛りの英語を使って兄弟をからかう場面もある。キノコや亀のキャラなら、そりゃどこの誰が演じたっていいでしょうが、イタリア系移民の子孫の役ならそこはキャスティングはちゃんと考えるべきでしょ。

 

都合のいい時だけ「アニメだし、ファンタジーなんだから」とか言うのはズルくないですかね。

 

なお、主演がどちらもクリス・プラットなだけではなく、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:Vol. 3』と『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』のいずれも劇中でビースティ・ボーイズの“No Sleep Till Brooklyn”が流れる。

 

 

 

ピーター・クイルが少年時代にヨンドゥによって宇宙に連れ去られたのは1980年代で、だから彼がカセットテープで聴き慣れていた今はなき母親のセレクトによる音楽はその当時のもの。ドンキーコングやマリオのゲームが生まれた時代とちょうど重なる、ということなのでしょうが、このキャスティングは絶対狙ってるよね。

 

クリス・プラットの演技自体はよかったと思いますよ。

 

クリス・プラットは結構高めの声でマリオを演じていて、言われなきゃ彼が声を担当しているとは気づかないほど。マリオの目の表現や白い手袋などと合わせると、どうしてもディズニーのあのネズミのキャラクターを連想せずにはいられない。絶対意識してるよなぁ(^o^)

 

マリオのちっさくてコロコロとした体型も可愛かったけど、表情豊かで自分たちが「カワイイ」ことをしっかり自覚しててそれをアピールもするキノピオ(キーガン=マイケル・キー)もなかなかラヴリーでした。「中の人」はおっさんですが(笑)

 

 

 

カワイイといえば、僕はピーチ姫がよかったなぁ。

 

 

 

声を演じてるアニャ・テイラー=ジョイは、実写でもできちゃいそうだけど。

 

 

 

ライダースーツ姿が凛々しくて、王国を救うために自ら率先して戦いに赴くし、媚びたところが全然ないハンサムウーマン。

 

 

 

ゲームではクッパにさらわれてマリオに救出される役回りが多いようだけど、この映画ではクッパ軍団に囚われるのはルイージだし、ピーチ姫はジャングル王国に行って同盟を結ぼうとしたり、キノピオを救うためにやむなくクッパからの結婚の申し出を承諾する。人質になって「助けて~!」って叫んでるお姫様じゃないんだよね。

 

ピーチ姫の顔の表情がクルクル変わって、時には目を見開いたりほんとにキュートで。このあたりもディズニープリンセスっぽかった。

 

マリオにしろピーチ姫にしても、それからクッパも、登場キャラたちがもともとディズニーの絵に近いってのもあるけど、でもこの映画ではさらに寄せてる気がした(犬のフランシスのキャラクターデザインはいかにもイルミネーション作品っぽかったけど、最近は『私ときどきレッサーパンダ』のようにピクサーの絵柄がイルミネーションのと区別がつかなくなってる)。

 

別に悲しいシーンなんてないのに、この映画を観てる最中に涙ぐみそうになってしまった。きっと疲れてたからだろうけど。

 

可愛いキャラクターたちが走り回り、飛び回り、一所懸命頑張ってる姿に何か打たれるものがあった。あくまでも明るくて、ユーモラスであることを忘れない。

 

この映画が多くの人々、子どもたちやおとなたちにも支持されているのは、健気なまでの明るさ、深刻にならない、でもけっして不真面目ではない姿勢によるところが大きいのではないか。

 

「深みがない」とも言われているようだけど、「深み」ってなんだ?暗くシリアスな顔をして絶叫したり血反吐を吐くことが「深み」だろうか。

 

エロやグロを直接表現することが「深み」なのか。

 

そうじゃないと思う。

 

確かにこの映画を観終わって無性に『シュガー・ラッシュ』が観たくなったけど、でも『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』は『シュガー・ラッシュ』よりもさらに広い年齢層が楽しめるアトラクション・ムーヴィーとして画期的な作品に仕上がっていたと思う。

 

これまでのイルミネーション作品の例から言っても大ヒット映画の宿命として続篇が作られる可能性は高いと思うけど、さて、果たしてこの1作目を超える感動は味わえるだろうか。

 

その時こそ、「深みがない」という評価への作り手からの返答が求められるでしょうね。

 

クリス・プラットはさっそく新たな人気シリーズを手に入れたか?(^o^)

 

 

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