エドガー・ライト監督、トーマシン・マッケンジー、アニャ・テイラー=ジョイ、マット・スミス、シノーヴ・カールセン、マイケル・アジャオ、リタ・トゥシンハム、サム・クラフリン、ダイアナ・リグ、テレンス・スタンプほか出演の『ラストナイト・イン・ソーホー』。R15+。

 

イギリスのコーンウォールの実家からロンドンへ行き、「ロンドン・カレッジ・オブ・ファッション」に入学してファッション・デザイナーを目指すエロイーズ(トーマシン・マッケンジー)は、寮のルームメイトたちとそりが合わず下宿を探す。ソーホー地区で屋根裏部屋に間借りすることにしたエロイーズは、夜、その部屋で1960年代のナイトクラブ「カフェ・ド・パリ」を訪れた歌手志望のサンディ(アニャ・テイラー=ジョイ)の夢を見て以来、次第に彼女に自分を重ねるようになる。

 

ネタバレがありますので、これからご覧になるかたは鑑賞後にお読みください。

 

エドガー・ライト監督の映画は、僕はこれまで映画館で3本観ています。

 

ホット・ファズ』はくだらなくて愉快だったから次の『スコット・ピルグリム』を観たところあまりピンとこず、さらにその次に観た『ワールズ・エンド』の面白さがわからなくて、この監督の作品は自分には合わないのかも、と思って『ベイビー・ドライバー』は劇場で観ませんでした。

 

そしたら、『ベイビー・ドライバー』は妙に世間で人気があるので気になってDVDで観たら面白くて、映画館で観なかったことを後悔。

 

この監督の作品はもう観ない、という決意をあっさり覆して、4年ぶりの最新作を鑑賞。

 

主演が今旬のふたり、アニャ・テイラー=ジョイとトーマシン・マッケンジーというのも「観たい」と思った大きな理由のひとつ。

 

 

 

僕はNetflixには加入していないので話題になったテイラー=ジョイ主演のドラマ「クイーンズ・ギャンビット」はいまだに観られてないんですが(この先も観れるあてはない)、M・ナイト・シャマラン監督の『スプリット』で初めて彼女を見て、それ以前に主演した『ウィッチ』でもテイラー=ジョイの演技と存在感が印象に残っていた。

 

 

それから、やはり去年日本で公開された『ジョジョ・ラビット』で印象深い役を演じていたトーマシン・マッケンジー(“トーマサイン”という発音が正しい、と言われてるので今後表記を替えるかもしれませんが、とりあえずしばらくはこちらで)も気になる女優さんで、今年はやはりこれもシャマランが監督した『オールド』に出演、また先日観た『パワー・オブ・ザ・ドッグ』にもとても小さな役で出てましたが、ほんとに引っ張りだこですよね。

 

 

この若手ふたりの組み合わせはかなり魅力的に映ったので、楽しみにしていました。

 

アニャ・テイラー=ジョイも出番は多いし物語に深くかかわるものの、主演はトーマシン・マッケンジーの方で映画は彼女の視点で進んでいく。

 

まるで『魔女の宅急便』の主人公キキの実家のように田園風景の中に昔ながらの屋根のある家が建っているコーンウォールは見るからに田舎で、その景色はとても牧歌的で美しいのだけれど、実際にそこに住んでいる若者にとっては大都会ロンドンは憧れなのだろうし、自分が目指す夢を実現させるためにはどうしたって故郷を離れて専門的な勉強をしなければならない。

 

それは昔からあることだし、イギリスに限らず舞台が日本でも成り立つ話。

 

だから、故郷からロンドンに着いた途端にエロイーズ(エリー)が受ける大都会の洗礼は苦いし、観ていて早速不愉快になる。田舎出の小娘だと思ってセクハラ発言をしたり、下車して店に逃げてもずっとおもてで待ち伏せまでしてくるタクシー運転手。

 

そして、会話の内容のほとんどがエリーへの侮辱や蔑みまみれのルームメイトとその仲間たち。

 

 

 

人の故郷を「サイアクだよね」とバカにして、母親の死因をしつこく聞かれたから正直に心を病んで自死したことを話したらドン引きしながらも「あたしのおじさんも自殺した」と謎のマウンティングをしてくる。とにかく喋ってることの中身が全部軽薄。

 

これは演じてるシノーヴ・カールセンという女優さんの演技が巧みだからこそなんですが(日本の俳優さんたちもそうだけど、クズを演じさせるとなんでみんなあんなに生き生きしてるんでしょうか)、このルームメイトの女子、カイリー・ジョカスタがほんとにムカついてしょうがなかった。

 

この手の映画やTVドラマなどでよくある「イジメっ子」キャラなんだけど、ほんとにいそうなんだよな、ああいうクソ○○○。

 

冗談めかしながら標的にした相手が傷つくことをわざと言い続けて、みんなでケラケラ笑って孤立させていく。

 

ブライアン・デ・パルマの『キャリー』でナンシー・アレンが演じてたイジメっ子女子と同じようなポジションだけど、直接手は出さないし先生の前では尻尾を出さない分、カイリーの方はより狡猾で悪質でもある。

 

祖母(リタ・トゥシンハム)の影響でもあるエリーのレトロ趣味をカイリーは「ババ臭い」と笑うんだけど、最新のものが最高で古いものはダサい、と決めつける価値観(そーゆー人、結構いますが)や感性こそが僕は糞ダサいと思うけどな。僕はよくわかりませんが、60年代ってファッションの世界ではオシャレの宝庫なんじゃないの?音楽だって今でもリスペクトされてるものがいっぱいあるじゃないですか。その良さがわからないってのは(僕もよくわかってませんが…)それだけでも美に関する才能がないってことなのでは。

 

また、カイリーは「ジョカスタ」という自分の姓も嫌っていて「ジョカスタなんて名前、他にいる?」と言っている。流行りの「苗字なしのファーストネーム」だけ名乗ろうか、とも。個性をわざわざ捨てて、みんなと同じものを選ぼうとしている。個性がない、ってファッション業界では致命的じゃん。エリーとはどこまでも逆。

 

『キャリー』のナンシー・アレンは超能力でお仕置きされるけど、この『ラストナイト・イン・ソーホー』ではカイリーが最後まで退治されないのが納得いかない。ラストでもなんかニヤつきながらエリーのこと見てるし。

 

ホラー映画なんだから、ムカつく奴は思いっきり悲惨な目に遭えばいいのになぁ(心からの本音)。

 

従来のホラー映画なら真っ先にぶっ○されてるはずのカイリーが無事なままなのは、一方的に彼女を悪役として断罪しないようにした結果なのかもしれませんが。

 

この映画は、サスペンスとかホラーというジャンルを現代的な目から描き直してもいて、普段この手のタイプの映画をあまり観ない僕が興味をそそられたのもそのような部分でした。

 

 

まず、この映画を観る前にそのヴィジュアルのイメージから連想したのが、デヴィッド・リンチ監督の2001年の作品(日本公開2002年)『マルホランド・ドライブ』。

 

 

 

あちらの舞台はハリウッドでナオミ・ワッツ演じる主人公ベティは女優志望という違いはあるけれど、故郷をあとにして自分の夢にむかって歩み始めた若い女性が地獄めぐりをする、という共通点がある。悲劇的な結末を迎えるところも(後述するように『ラストナイト~』の方は映画としては一応丸く収まるが)。

 

どちらも時代は現代だけれど、1950~60年代のレトロ風味が全篇を覆っていて、華やかで美しい世界の裏側で恐ろしいことが行なわれている。

 

最近の映画なら、『ラ・ラ・ランド』なんかもちょっと思い浮かぶかもしれないですね。あちらはホラーの要素は皆無ですが。

 

もっとも、この『ラストナイト~』でミュージカル映画っぽいのはトーマシン・マッケンジー演じる主人公のエリーが踊る冒頭と、そのあとのナイトクラブでのダンスシーンぐらい。

 

60年代の音楽は何曲も流れるけれど、ミュージカル映画ではない。

 

 

 

僕は60年代の文化にも音楽にもからきし無知なので(現在のもですが)、劇中に散りばめられたそれらにいちいち反応することができないのは残念ですが、『ラ・ラ・ランド』の往年のミュージカル映画風の雰囲気を楽しめたように、エリーが夢の中で60年代のロンドンへやってくる場面では本当にあの当時にタイムスリップしたようなワクワク感があったし(ショーン・コネリー主演の007映画『サンダーボール作戦』の看板も楽しい)、あの時代の再現ぶりはこの映画最大の見どころなのは確かですね。

 

アニャ・テイラー=ジョイ演じるサンディがマネージャーのジャック(マット・スミス)と踊る場面で流れるウォーカー・ブラザーズの「ダンス天国」を聴くと、僕なんかはヴァラエティ番組の「平成教育委員会」で流れてた替え歌「こども天国」を思い出すんですが。

 

The Walker Brothers - Land Of 1000 Dances

 

 

あの場面のダンスの振り付けは、ちょっとタランティーノの『パルプ・フィクション』のトラヴォルタとユマ・サーマンのダンスを思い出しますね。

 

サンディとエリーが何度も入れ替わるようにしてダンスするワンショットはさまざまな手法を駆使してとても複雑な撮影が行なわれたそうで、この映画のハイライトのひとつでもある。

 

サンディとエリーが鏡越しに同一画面に映っているショットは鏡の部分がくり抜いてあってアニャ・テイラー=ジョイとトーマシン・マッケンジーが向かい合って演技したそうだし(カフェ・ド・パリの場面で「ハリー・ポッター」シリーズの双子役だったフェルプス兄弟がクローク係を“2人1役”している)、めくるめく映像マジックは純粋に目に愉しい。

 

 

 

 

ただし、現在のロンドンのエリーが立ち寄るクラブのシーンで光の点滅がかなり激しいので、人によっては発作や体調不良の要因ともなるのでご注意を。

 

それと、2度ほど突然ダンッ!とデカい衝撃音みたいなのが鳴るんでそのたびに客席から飛び上がってしまった。ああいう驚かし系の効果音って苦手なので勘弁してもらいたい。

 

ホラー映画では珍しくもない手法でしょうが、あれは怖がらせているんじゃなくて、ただ大きな音で驚かしてるだけだから個人的には感心しない。映像の怖さで勝負してほしい。

 

この映画、主人公のエリーは幽霊が見えるという設定で、実家での冒頭シーンから亡くなった母親の姿が鏡に映るし、ロンドンに行ってサンディの夢を見るようになってからはエリーは顔のない男たちの幽霊に脅かされるようになる。

 

この「顔のない男たちの幽霊」の存在はきらびやかな60年代のロンドンの裏面を象徴していて、サンディのその後の運命やエリーの母の死にもかかわってくるんだけど、僕はこの幽霊たちの映像がなんだかチープに感じられてしまって。

 

エリー役のトーマシン・マッケンジーは目を見開いて怯える演技を何度も見せていて熱演なんだけど、彼女が見ている幽霊たちが僕には全然怖くないので、だんだん見飽きてきてしまった。

 

 

 

なんだかわからない薄ボンヤリしたものには恐怖を感じても、くっきり見えるとかえって怖くない、というのはある。あの幽霊たちの表現はいかにも今風のVFXで、何か禍々しいものを見た、という感覚を呼び起こさない(ちょっとジブリの『千と千尋の神隠し』のある場面を思い出したんですが)。

 

あの幽霊たちの微妙なチープさというのはジャンル映画として「あえて」の表現なのかもしれないし(ワラワラと群がってくる描写は監督が好きなゾンビのイメージなんだろうし)、恐ろしく見えていた彼らが終盤では憐れでつまらない存在と見做されるので、もともとエドガー・ライト監督は観客を本気で怖がらせようというつもりはなかったのかもしれませんが。

 

サンディの境遇を知って彼女を救おうとするエリーの変貌ぶりが極端なのと、テレンス・スタンプ演じる謎の老人の正体をエリーがサンディを殺害したジャックだと思い込むところなど飛躍が激し過ぎて、かなり強引に思えてしまった。あのおじいさん、気の毒過ぎるし。

 

劇中で何度もエリーが車に轢かれそうになるんだけど、くどく感じたし、その結果があれかい、と。

 

謎の老人はジャックではなくて、サンディに「ここは君のような人がいるべき場所じゃない」と忠告していた客(『人生はシネマティック!』のサム・クラフリン)だろうことは予測できたし、エリーが部屋を借りていたミス・コリンズ(ダイアナ・リグ。彼女は1969年の『女王陛下の007』のボンドガールでもある)こそが実は…というオチも含めて、ストーリーそのものはかなり安っぽい。

 

女性目線で「スウィンギング・ロンドン」の闇を描いた、ということ自体は興味深くて、たとえば、最近ではヒッチコック監督が女優のティッピ・ヘドレンをレイプしようとして抵抗されたため手を回して彼女を映画界から追放したことが暴露・批判されたりしていて(ちなみにリメイク版『サスペリア』で主演を務めたダコタ・ジョンソンはヘドレンの孫。彼女はヒッチコック監督の行為を非難している)、ショービジネスの世界だけに限らず昔から力やコネを持つ男性が女性たちを食いものにしてきた歴史に目を向けさせる。

 

金髪の美女が犠牲者として描かれることが多いホラーやサスペンス映画などのジャンルで、観客(と監督)のサディスティックなまなざしに晒されながら傷つけられ殺され続けてきたヒロインたちからの視点と現代の夢を追う若い女性を重ね合わせて、男性としての自省を込めて描く試みは支持したいんですが。

 

ただちょっとわかりやす過ぎるというか、ある程度の時点で先の展開が容易に読めてしまうのと、エリーとサンディの姿を通して作り手が訴えかけようとしていることがあまりに直球なので、いろいろ楽しめる要素はありながらもちまたでの評判のよさほどハマることができず。いや、『ベイビー・ドライバー』もそうだったように面白かったですよ。ホラーとしては怖くなかったし、サスペンス映画としてはツッコミどころだらけだったけど。

 

意味不明な場面や展開だらけなのが逆に「謎」を残すことになって、それが記憶に残るデヴィッド・リンチの映画と比べると、こちらでは謎とその因果関係もちゃんと説明されるので人にも薦めやすいし、最後も大団円になるから後味も悪くはないし。

 

あのとってつけたようなハッピーエンドも、あれもエリーの夢なのだ、と解釈できなくはないし。それ以前に、この映画で起こったことすべてが「エリーの夢」と考えられなくもない。

 

だって、あんな事故やら凄惨な事件にかかわって、しかも学校でも散々問題を起こしているのに、そのあと何事もなかったようにロンドンにとどまり続けてファッション・デザイナーとしての道も掴もうとしてるってのは、さすがに無理があり過ぎるでしょ。

 

まぁ、この映画はやはり若い頃にロンドンにやってきて、その後、映画監督として成功したエドガー・ライトがエリーに自分を重ねた作品でもあるので、最後は希望溢れる結末で締めたかったということなんでしょうね。

 

 

 

 

トーマシン・マッケンジーの等身大の女の子ぶりは共感を覚えるとともに、やがて責任感と不安定さの間で揺れるエリーの姿には痛みも感じたし、もとはエリー役にはアニャ・テイラー=ジョイが想定されていたのが『スプリット』の主演などを経てイメージが変化してサンディ役へのオファーに至ったというエピソードも面白い。異なるタイプの女優に見えて、アニャ・テイラー=ジョイとトーマシン・マッケンジーは大いに似ているところもあるということ。

 

今では金髪や派手めのメイクのイメージが強いテイラー=ジョイも、『スプリット』では髪の色は濃くて地味めなエリーのような娘を演じていたんですよね。

 

だから、今度はこの『ラストナイト~』でこれまで濃い色の髪で化粧も薄めだったエリーがやがて金髪にして化粧も濃くなっていく様子は、トーマシン・マッケンジーという若手美人女優の変身を楽しめると同時に彼女がこれから演じていく役柄の広がりを思わせもして、マッケンジーにとってこの映画は確実に大きなステップになっただろうことがわかる。

 

 

 

トーマシン・マッケンジーって真面目な女の子役が多いけど、彼女の薄い青色の目はどこかクールさも感じさせるので(なんとなく、アビゲイル・ブレスリンや若い頃のジョディ・フォスターに似てません?)、神秘的なキャラクターとか似合いそうだし、今回とは正反対の、それこそカイリー・ジョカスタみたいな意地悪だったり不遜な態度の女性役などにもぜひ挑戦してもらいたいな。

 

これからもまだ主演映画の新作が控えているそうなので楽しみです。

 

アニャ・テイラー=ジョイは『マッドマックス 怒りのデス・ロード』でシャーリーズ・セロンが演じた女戦士フュリオサの若い頃をスピンオフ作品で演じるということなんで、こちらも期待。…ってゆーか、彼女があのシャーリーズ姐さんと同じ役ってどんなふうになるのか想像できないんですが。身体鍛えて短髪にするの?^_^; こちらもチャレンジングだなぁ。

 

 

関連記事

『ドライビング・バニー』

『マッドマックス:フュリオサ』

『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』

 

 

 

 

↑もう一つのブログでも映画の感想等を書いています♪

 

にほんブログ村 映画ブログへ にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ