監督:リッチ・ムーア、フィル・ジョンストン、声の出演:ジョン・C・ライリー、サラ・シルヴァーマン、ガル・ガドット、タラジ・P・ヘンソン、ジャック・マクブレイヤー、ジェーン・リンチ、アラン・テュディック、ビル・ヘイダー、アルフレッド・モリーナ、エド・オニールほかのディズニーのアニメーション映画『シュガー・ラッシュ:オンライン』。

 

 

Imagine Dragons - Zero

ゲームセンターでそれぞれ別のゲームの中に住むラルフとヴァネロペは親友同士。ラルフは変わらない毎日が気に入っているが、ヴァネロペは退屈気味。ラルフはそんなヴァネロペのために彼女がいるレースゲーム「シュガー・ラッシュ」のコースに手を加えるが、そのせいでゲームが故障してしまう。壊れたハンドルを直さなければ「シュガー・ラッシュ」のゲーム機は分解されて売られてしまい、ヴァネロペや住人たちが住みかを失うことになる。しかも古いゲームなので会社はすでに潰れていて、備品はインターネットでしか取り扱われていない。ラルフとヴァネロペはインターネットの世界に行って、ゲームでハンドルの代金を稼ぐことにする。

 

日本では2013年に公開された『シュガー・ラッシュ』の続篇。

 

大好きな作品で僕の2013年のベストワン映画ですが、あれからもう5年も経ったんだなぁ。

 

去年の『モアナと伝説の海』のエンドクレジットにラルフの絵が描かれてて続篇の話も知っていたから、ずっと楽しみにしていました。

 

今年はピクサーのアニメが2本(『リメンバー・ミー』『インクレディブル・ファミリー』)も公開されたし、普段アニメを観ない僕にしては珍しくアニメづいてる年で、そのトリを飾るのがこの『シュガー・ラッシュ:オンライン』。マイ・ランキングで2冠もあるかな?なんて思いながら、できればまずは字幕版から観たいな、と。

 

そしたらなんと、僕が住んでるところではどこのシネコンも吹替版しかやってなかった。去年『モアナ』の字幕版を唯一やってた劇場でも無情にも吹き替えのみ。なんでだよ(゚Д゚#)ゴルァ!!

 

多少遠方の映画館でも思い切って行こうと思っていたのに、ほんとにいくつも市をまたいで隣の県近くまで行かなきゃ観られないことが判明。交通費も時間もかさむ。さすがにバカバカしくなって諦めました。

 

ここ最近は場所や上映回数は限られてるけどディズニーやピクサーのアニメは字幕版を一応やってくれてたのに、まるで数年前に時間が巻き戻ってしまったような気分がしてほんとに腹が立った。

 

だって、東京の方や他の一部の地域では字幕版やってるところもあるのに、なんでこちらではスルーなの?バカにすんなよヽ(`Д´)ノ

 

それとも、もう少ししたら(年が明けたらとか)字幕版もやってくれるの?期待してますよ(※結局、年が明けても字幕版は公開されず…(>_<))!!

 

オリジナル言語版では走り屋姐さんのシャンク役を「ワイルド・スピード」シリーズに出ていたガル・ガドットがアテてるし、“バズチューブ”のアルゴリズムのボス、イエス役のタラジ・P・ヘンソンなども魅力的な配役だからやっぱりそちらも押さえておきたかったんですよ。

 

 

 

 

ジョン・C・ライリーのラルフの声(日本版はお馴染み、山寺宏一さん)も聴きたかったし。

 

それと、日本版では日本人好みの高めのキュートな声になっているけど、オリジナル言語版でサラ・シルヴァーマンが演じているヴァネロペはちょうど「ムーミン」のミイみたいに(ちょっと“ちびまる子ちゃん”っぽくもある)いかにもお転婆っぽい声

 

日本版のヴァネロペの声(諸星すみれ)も可愛い絵柄に合ってるから好きだけど、敢えて美少女っぽくない声にしてあるアメリカ版もなかなか捨てがたいんですよね。だからぜひ劇場で観たかった。吹替版は吹替版で愛着があるし、こちらももともと観る気ではいましたが。

 

オリジナル言語版同様に、ラプンツェル(中川翔子)やアナ(神田沙也加)、エルサ(松たか子)などの歴代ディズニープリンセスたちの声を実際に各作品で彼女たちの声を担当した女優さんたちがわざわざアテている(台詞はそれぞれごくわずかだけど)のも嬉しいし、吹替版の出来自体にはまったく抵抗はありませんから。

 

 

 

で、気を取り直して、もう冬休みだから子ども連れや学生が一杯なんだろうと思っていつもより早めに映画館に向かって会場に入ると、意外と大人の方が多かった。その中にわずかに子どもたちが混じってる程度。夕方の回だったからだろうか。

 

僕の横の席にお母さんと一緒に来ていたポニーテールの女の子が座ってて、まるでリアル・ヴァネロペみたいで気分はもうラルフ!彼女はきっとヴァネロペを意識してたと思うな(^o^) ごめんね、くさいおじさんが隣で。

 

前作『シュガー・ラッシュ』は懐かしのアーケードゲームから最新のものまでが混在する世界を舞台にした異世界ファンタジーの変種のような作品だったんだけど、ゲームの知識が80年代のファミコンの時代で止まってる僕なんかでもぎり理解できるものだったのに対して、今回はインターネットの世界が舞台になっている。

 

こうやってブログ書いてるわけだから一応僕もネットの片隅に存在はしているので、この映画で描かれていることは理解はできましたが(ネットで買い物はしないので、その辺はよくわかんないけど)、全体的にインターネットというものをそれなりに利用してること前提、みたいな作劇は「時代だなぁ」と。これまでインターネットを一切使ったことがない人が観たら、果たしてどう感じるんだろう。

 

まぁ、若い子たち(対象年齢はわりと高め)ほどこの作品世界の面白さがわかるのは確かでしょうが。

 

僕も、面白かったですよ♪

 

今年映画館で観る最新映画はこれが最後なので気持ちよく一年を終えられる作品でシメたかったから、期待通りに楽しく劇場をあとにできて満足しております(^o^)

 

冬休み・お正月映画の鉄板といえるんじゃないでしょうか。

 

では、以降は内容について書きますので、これからご覧になるかたはご注意ください。

 

 

前作が、自分たちが住むゲームの中で「のけ者」同士のラルフとヴァネロペが協力しあってゲームの世界の危機を救う、という話(後述しますが、実はすべてのトラブルの原因はラルフなんですが)だったのが、最後に仲間たちから受け入れられたふたりは今回の冒頭ではすでに悠々自適な生活を送っている。

 

ヴァネロペは「シュガー・ラッシュ」のプレイヤーのお客さんたちに人気のキャラクターになっていて活躍中だし、ラルフも今の生活に満足している。

 

しかし、「シュガー・ラッシュ」のゲーム機が故障したために彼らはインターネットに潜り込んで、新しい世界の存在を知ることになる。

 

ちょうど小さな街から大都会に行ったみたいで、『ズートピア』でウサギのジュディが故郷の田舎から巨大なズートピアに行った時を思わせたりもする。

 

 

 

 

『ズートピア』もそうだったけど、こういう場面の高揚感溢れる演出ってディズニーはほんとに巧いですよね。スクリーンの大画面で観るとワクワクしてきて鳥肌が立ちそうになる。

 

絵の密度の濃さに加えて、ヘンリー・ジャックマン(キック・アスとかキングスマン作曲した人)の音楽が盛り上げてくれるんだよね。

 

前作にはゲームキャラたちが大量に出演してたけど、今回はさらにディズニーやピクサーアニメにスター・ウォーズ、マーヴェル・コミックのキャラクターたち(先日亡くなったスタン・リーおじいちゃんもアイアンマンなどと一緒にアヴァターで登場)も無数に出てくるから、油断してると見逃してしまう。

 

 

思いっきり出てくるグルート(遠藤憲一)

 

どんなキャラが出てくるか眺めてるだけでも楽しそう。

 

ディズニーのサイトの内部を警備しているのがSWのストームトルーパーなのは、ディズニーが銀河帝国軍に支配されているという自虐ネタなのだろうか^_^; ストームトルーパーがやられる時に、ちゃんと「アーッ!!」とあの素っ頓狂な叫び声を上げるのが芸コマw

 

 

 

ネットオークションで落札した「シュガー・ラッシュ」のハンドルの代金をタイムリミットまでに調達するためレースゲーム「スローターレース」に入ったラルフたちは、そこの女性レーサーのシャンク(菜々緒)と出会い、ヴァネロペは彼女に憧れを抱くとともに自分が本当にやりたかったことに気づく。

 

 

 

今回のお話は要するに、ずっと今のままでいたいラルフと新しい世界に飛び出したいヴァネロペに意識の違いが生じて、友情と自分が望む生き方との間で揺れる、というもの。

 

今月発売の「映画秘宝」で女優ののん(能年玲奈)さんがこの映画のラルフとヴァネロペの関係を親子に例えられていて、僕は映画を観ている間はまったく思いつかなかったんだけど、確かに見た目はふたりはまるで親子のようだし(ヴァネロペはしょっちゅうラルフのことを愛情を込めて「くさいおじさん」と呼んでるしw)、これを「子離れできない父親」と「自分の好きなことをするために羽ばたこうとしている娘」の話として捉えることもできなくはない。

 

まぁ、そのわりにはラルフのヴァネロペに対する仕打ちは度を越し過ぎてるけど。

 

後半、自分から離れてインターネットのより過激なレースゲームの世界に移りたいと願うヴァネロペのことをラルフが邪魔しようとする展開は、ほとんどストーカーのようでかなりドン引く。

 

他のブログの感想でも、ここに引っかかってラルフのことがどうしても好きになれない、というかたもいらっしゃいました。

 

事実、ラルフは前作でも今回でもトラブルメーカーで、彼のせいでゲームの世界やインターネットの世界が大変なことになる。すべての元凶はラルフだ。

 

ちっとも反省してる様子のないラルフに対してイラつく人がいるのも無理はない気もする。

 

ただ、ラルフはなりはデカくて見た目も物言いもおっさんだけど、その中身は小学生みたいで、少女であるヴァネロペの方がよっぽど大人びて見えることもある。でも、ヴァネロペだってこまっしゃくれてはいるけどやっぱり子どもだし、彼らが「親友」同士であることからも、ふたりとも精神年齢は似たようなものなんですよね。

 

これは小中学生ぐらいの子どもたちの友情物語だと思って観れば受け入れやすいんではないだろうか。まだ子どもだから相手のことよりも自分の欲求の方を優先させちゃったり、でも本人は相手のことを思いやってるつもりでいることもある。

 

さっきまで上機嫌で仲良く遊んでいたのに、その直後に大喧嘩を始めるのも「子どもあるある」だし。

 

ラルフやヴァネロペはアニメキャラだから時々大人びたことや冴えたことを言ったりやったりもするけれど、彼らを現実の世界の大人のようにすべて理屈の通る、責任感のある存在(そうじゃない大人も大勢いますが)だと思うと、彼らの言動に疑問を抱くことになる。

 

ラルフは動画サイト“バズチューブ”にアカウントを作り、自作の動画を投稿しまくってユーザーたちから「いいね!」のハートを大量に手に入れてそれを換金、見事必要な金額まで到達するが、そんな自分を放ったままヴァネロペが「スローターレース」に独りで向かったことにショックを受ける。

 

 

 

ヴァネロペはゲームセンターの「シュガー・ラッシュ」に戻るのではなくて、インターネットの世界にとどまりたいと思っていた。

 

ヴァネロペを引き戻すために、あろうことかラルフはコンピューターウイルスを「スローターレース」に放って、そのせいで「スローターレース」は崩壊し始めてしまう。そして被害はインターネット全体に広がることに。

 

ラルフはあくまでも仕事で悪役「壊し屋ラルフ」を演じていたはずなのに、ついに本当に悪人のようなことをしでかしたわけで、これには大いに首を傾げたくなるし、ヴァネロペもまたラルフに面と向かってきちんと自分の気持ちを伝えなかったのは(「きっと怒るから」とシャンクに言い訳をしていたが)正しい選択ではなかったと思う。

 

親友親友、と口では言っていても、ふたりとも相手の気持ちへの配慮が欠けている。だから彼らの行動に納得がいかない、という意見もわかる。

 

一方で、でもこういうことってあるよなぁ、とも思ったんですよね。

 

子どもだけでなく大人だって、ほんとに小さな行き違い、すれ違い、嫉妬や思い込みなどによってできた溝が埋まらないまま仲がこじれたり距離ができて、そのまま二度と修復されずに終わっていく関係はけっして珍しくはないでしょう。

 

恋愛でも同じようなことはあるだろうし。

 

これは、そういう僕たちの中にいくらでもある対人関係のトラブルをゲームキャラたちが演じてみせた例え話、寓話なんですよね。

 

ラルフのヴァネロペに対するもはや友情を越えた執着は『千と千尋の神隠し』の“カオナシ”と同じで、ラルフの負の感情をコピーされた大量のラルフそっくりのウイルスたちは、完全にイッた目をして口々に「ともだち~?ヽ(゚∀゚)メ(゚∀゚)メ(゚∀゚)ノ」と街を破壊しながらヴァネロペを追いかけてくる。こいつらがなかなか気持ち悪くて^_^;

 

やがて彼らは合体してラルフの形をした巨大な怪物と化す。

 

前作ではヴァネロペの「不具合」は個性やその人固有の能力のことでもあったんだけど、今回はそれが心の揺れだとか精神的な不安定さとして描かれている。

 

ヴァネロペを失うまいと我を忘れている状態のラルフは不安定度100%。

 

これはもう単純に「悪を倒す」みたいな話じゃない。最後の敵は主人公のエゴが実体化したものなのだから。だからすでに映画を観た人たちが「結構、ヘヴィな内容」と言ってたのはこのことだったのね。

 

クライマックスの巨大ラルフとの対峙は、『モアナ』の炎の巨人とのそれに似ていて、その決着も暴力で相手を倒したりねじ伏せるのではなくて、説得して怒りを鎮めるというもの。

 

巨大ラルフのあの幾分不憫な感じの表情はこれまでの作品からの応用で既視感があったけれど、秀逸でした。

 

あの巨大ラルフというのは、まるで『インサイド・ヘッド』のようにラルフ自身の頭の中の葛藤をキャラクター化したものなんですね。

 

ヴァネロペはラルフの“持ち物”じゃない。親友ってそういうもんじゃない。

 

そうやってラルフ自身が納得して、別れを受け入れる話。

 

離れていても、親友でいられる。そう信じてそれぞれの世界で生きていくこと。

 

非常に身につまされることでもあるし、インターネットを舞台にしているだけに題材とテーマがぴったり合ってて巧いし説得力もある。

 

映画が面白かったことを強調しつつ、それでも敢えて言うと、物語の作りとしてはいろいろと疑問や不満はあったりもする。

 

ラルフがハンドルの代金を手に入れて当初の目的があまりにたやすく達成されてしまったことが、なんだかあっけなかったというか、盛り上がりに欠けてたなぁ、と。

 

あそこはやっぱりラルフとヴァネロペが協力しあって「シュガー・ラッシュ」が救われた!っていう展開にした方が、そんな自分の故郷のような場所を離れていこうとするヴァネロペの決意の強さが伝わるし、ラルフの受けるショックもより大きく感じられたんじゃないだろうか。

 

それと、インターネットは初めてでしかもあまりいい印象を持っていないはずなのに、そのわりにはラルフがネットについての知識を吸収するのが速くて、いきなりコンピューターウイルスを使おうとするところとか、ずいぶんと無理があるように感じたんですよね。なんでそんな卑怯な方法を彼がすぐに思いつくの?って。誰かに入れ知恵されたとかいうのならともかく。

 

ラルフってもっと素朴で単純なキャラじゃなかったかな。変貌ぶりが極端だったような。

 

ラルフが自分の動画につけられたコメントを読んでヘコむ場面があったのだから、そういう場に漂うネガティヴな感情が彼を変えていったことをもうちょっと画で描いておいたらよかったと思うんだけど。

 

前作でも思ったことなんですが、全体的に言葉で説明するシーンが多くて、重要な部分が映像で表現しきれていないんじゃないかと感じることがしばしばありました。

 

さらには、僕はシャンクはもっと物語の本筋に絡んでくるのかと思っていたんだけど、彼女は助っ人的な役割だったし、むしろ、ラルフたちに手を貸すバズチューブのイエス(浅野まゆみ)の方が出番は多いぐらいで、この二人のキャラクターは一人に統一した方が話がスッキリしたんじゃないかな。それぞれ魅力的なキャラではあったんですが。

 

前作はシナリオを褒めてる人が多かったけど、今回はそこまでうまくいってるようには思えないんですよね。物語の粗や穴をキャラクターたちの魅力で補っている感じで。

 

ヴァネロペのキュートさはすでに前作でも証明済みだけど、今回もさらにその表情に萌える(別れの時に、ちっちゃくずっと“バイバイ”ってやり続けてる顔や仕草ときたらもうw)。

 

ディズニーやピクサーのアニメのキャラクターたちって感情表現が豊かだから、動いた時にこそその可愛さも最大限に発揮される。笑ったり泣いたりはにかんだり。

 

時折ラルフの前に現われる、イーベイ(eBay)のメッセンジャーボーイの“Eボーイ”が妙にツボでした。

 

 

 

『モアナ』がそうだったように、この映画も最後に倒される悪役はいない。

 

不正プログラムをラルフに提供してインターネットを危機に陥れる者(見た目が明らかにSWのジャバ・ザ・ハットなのが笑った)でさえも、その存在の恐ろしさを示しながらも、それは誰の心にでも忍び寄る可能性があるものとして描かれている(迷惑なポップアップすらユーモラスなキャラになってるし)。彼らは映画の中で退治されない。それは現実に不可能なことだから。

 

戦うべきなのは、自分自身の中にある他者を犠牲にして欲望を満たそうとする気持ち。それを克服したラルフはヴァネロペとの別れの寂しさを乗り越えて、彼女の出立を祝福できるようになる。

 

僕個人としては、主人公コンビが勧善懲悪の世界の悪玉を倒してありのままの自分を受け入れることができた前作の方が映画として痛快だったから好きだし(続篇の運命として、どうしても“前作ありき”になってしまうというのもある。実はこの続篇が描いてるのは前作の変奏でもあるし。前作の悪玉と同じことを今回はラルフがやっている)、同じような続篇としては夏に観たピクサーの『インクレディブル・ファミリー』の方が作品としても優れていたと思いますが(すべてを“画”で見せきるということにおいても)、何度も念を押すように僕は今回も大いに楽しんだし、できれば年が明けたらまたもう一度観たいと思います(なので、お願いだから字幕版をやってぇ~)。

 

ところで、エンドロールでうさぎちゃんにラルフがどんどんパンケーキを食べさせて最後は破裂させちゃうおまけ映像があったけど、ちょっと意味がよくわかんなかったんですが(;^_^A ブラックなギャグだったのかな?

 

うさちゃんが可哀想(´・ω・`)

 

最後の「『アナ雪』の最新作の映像をちょっとだけお見せしましょう♪」って言ったあとのガッカリな“おっさんダンス”には笑いましたが。隣の女の子はクスリともしてなかったけど。

 

予告篇でも映し出されていたように、ヴァネロペとプリンセスたちは決まりきった昔ながらの「お姫様像」、特に王子様に助け出されて守られる、という部分に疑問を感じていることで意気投合、最後に彼女たちはそれぞれの得意技を駆使して王子様ならぬ「くさいおじさん」を救う。

 

 

 

この映画を観て救われている「くさいおじさん」がここにもいますがσ(^_^;)

 

前作にはミュージカルシーンはなかったけど、ヒロインたちがいきなり唄って踊ること自体は別に否定されてはいない。今回はヴァネロペとシャンクたちもしっかり唄うし。

 

 

 

昔ながらのお姫様たちの美しさや娯楽作品としての楽しさはそのままに、でも時には普段着姿でくつろいだり本音も言っちゃうよ、と。

 

最初にプリンセスたちの面子を見た時に、「メリダ(大島優子)はディズニーじゃなくてピクサーだろ」と思ったんだけど(しかも彼女は自分の映画の中で唄ってないし)、劇中でもしっかりと「あの子は別のスタジオだから」と言われてました。ちょっと「不思議さん」扱いされててw

 

オリジナル言語版ではメリダはスコットランド訛りで喋っている。だからヴァネロペは「何を言っているのかわからない」w

 

ちなみに『メリダとおそろしの森』は『シュガー・ラッシュ』を差し置いて2013年のアカデミー賞長編アニメーション賞を獲ってますが、さすがにそのことに対するツッコミは入れてなかったなw

 

トイ・ストーリー』がそうだったように(こちらも来年新作が控えてますが)、『シュガー・ラッシュ』というのはラルフとヴァネロペの成長やキャラクター同士の関係に発展性のあるシリーズだから今後もさらに続篇が作られてもおかしくはないし(そろそろ邦題を変えないと内容が“シュガー・ラッシュ”と関係なくなっちゃいそうだけど)、そうしたらもちろん観にいくつもりですが、来年にはアナと雪の女王』の続篇もあるし、ちょっとここんとこ続篇ラッシュなのが気にかかってもいます。

 

完成度の高い続篇は大歓迎だし、実際にこうやって楽しんでもいるわけですが、最近のスター・ウォーズの例にも見られるように、まずシリーズ化が前提での企画には不安もある。

 

安パイの続篇もいいけれど、今後も『モアナ』や『リメンバー・ミー』のようなオリジナルの作品で勝負を続けてほしいな。たまに続篇があって「おっ」と嬉しくなるぐらいのバランスがいいんじゃないだろうか。

 

さて、今年劇場で観た新作映画の感想はこれで最後です。

 

もう大晦日が迫ってるんで大急ぎで年間ランキングも投稿しなきゃ。

 

 

追記:

 

その後、翌2019年の元旦に早速もう一度(またしても吹替版ですが)鑑賞。

 

そうしたら…なんだか自分が書いた感想や下した評価がことごとく間違ってた気がしてきて、1から書き直したくなってしまった(;^_^A ランキングの順位ももっと上にすべきだったなぁ(※すみません、やっぱり順位を変更します。ヴァネロペみたいに順位が“瞬間移動”したということで、ご容赦を^_^;)。

 

ベイマックス』や『モアナ』の時と同じ過ちを繰り返している進歩のない俺。ラルフのこと偉そうに言えないよ~(´ε`;)

 

シャンクとイエスの出番は同じぐらいの割合だったし、彼女たちは物語の中でそれぞれヴァネロペとラルフと絡むのでしっかりとその役割を果たしている。

 

ラルフがコンピューターウイルスのことを思いつくのはやっぱり納得いかなかったけど、もといたゲームセンターでヴァネロペと一緒に遊んだ「トロン」のゲームが不具合でバグってしまった経験から、もし「スローターレース」も同じようになったら、と考えたという説明はちゃんとされている。

 

それから、ディズニーアニメのプリンセスたちがいつも映画の中で突然スポットライトを浴びて歌を唄いだすことに違和感を覚えていたヴァネロペ自身が水に映った「なりたい自分」を見てシャンクとともに唄うことで、それらの「お約束」に大きな意味を持たせている。

 

前作でゲーム「シュガー・ラッシュ」の国の“お姫様”で特別な力があることがわかったヴァネロペは、それで「めでたしめでたし」で終わるのではなくて、新しい世界、新しい友だちと出会ってさらなる可能性に挑戦していくヒロインとして描かれている。

 

彼女は“ディズニープリンセス”の一員でありながら、そのプリンセス像をアップデートしていく存在だ。

 

友だちである歴代プリンセスたちがそれを応援している。彼女たちもまたこの新しいプリンセスの影響を受けて変わっていく。

 

前作とこの続篇を続けて観ることで、シャンクがヴァネロペに言っていたように「友情も変わっていく」ことがわかる。前作の繰り返しではなく、キャラクターも物語もより深化→進化してるんですね。

 

あと、穿った見方をすれば、プリンセスたちに助けられたラルフが白雪姫のドレスを着て“女装”をするのにも意味が込められているのではないかと。

 

この映画では、意識的に従来の「プリンセス・ストーリー」の逆をやってるんですね。

 

女の子が男の子(ラルフ)を救い、男の子がお姫様の格好をしたりキスで目覚めたり(しかも相手は♂のカエル)する。それでもちっとも構わない。

 

人は「ありのままで」いられるし、変わっていくこともできる。

 

最初の感想で僕は、この映画のシナリオがうまくいっていない、と指摘したけど、いや、よくできてますよね。俺の目は節穴か。自分の書き散らしてる文章がいかにあてにならないか思い知った。

 

ですから、まぁ、僕の感想や評価なんてその程度ですから適当に流していただいて、皆さん、ぜひこの映画をご覧になって楽しんでくださいね。

 

繰り返し観れば観るほどに面白さが増し、その出来のよさを実感するようになるディズニーのアニメーション映画、恐るべし。

 

 

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