ジョシュ・クーリー監督によるピクサーのアニメーション映画『トイ・ストーリー4』。

 

日本語吹替版の声の出演:唐沢寿明、竜星涼、戸田恵子、所ジョージ、中村優月、日下由美、新木優子ほか。

 

第92回アカデミー賞長編アニメーション賞受賞。

 

バズやジェシーたち仲間とともに長年持ち主だったアンディから幼い少女ボニーのもとへ譲られてきたウッディは、今はもうかつてのように持ち主のお気に入りのオモチャではなくなっていた。ボニーは体験入園した幼稚園でプラスチック製の先割れスプーンやモール、アイスキャンディの棒などのガラクタで作った“フォーキー”を大切にしている。幼稚園への入園前の家族旅行にオモチャたちも一緒に連れられていくが、自分のことを“ゴミ”だと思っているフォーキーは車の窓から飛び降りて行方がわからなくなってしまう。

 

『トイ・ストーリー3』『トイ・ストーリー4』『シュガー・ラッシュ:オンライン』のネタバレがありますので、未鑑賞のかたはご注意ください。

 

 

2010年公開の『トイ・ストーリー3』から9年ぶりの続篇。

 

…あれからもう9年も経った、という事実に小刻みに震えてますが。

 

「完璧な完結篇」と絶賛された『トイ・ストーリー3』のあとにさらなる続篇が作られると最初に知った時には、ディズニーのスター・ウォーズの例もあるだけに「あぁ、ピクサーもそうやって人気シリーズを無理やり続けていくのかなぁ」とちょっと残念な気持ちになったんですよね。

 

去年の『インクレディブル・ファミリー』に続いてのシリーズ物の続篇で、『リメンバー・ミー』(17年作品)からもう2年もオリジナル作品がないし、特に今年のディズニー&ピクサーの実写リメイクや続篇のラッシュは明らかに異常。

 

ただピクサーが油断ならないのは『モンスターズ・ユニバーシティ』や『インクレディブル・ファミリー』がそうだったように、前作から10年とか平気で経っちゃった続篇でも見事な傑作を作ってしまうこと。

 

1995年公開の1作目と2作目との間は5年だけど、次の3作目までは10年あったし、そのあとまた9年のインターヴァルと、ほんとに1本1本丁寧に作ってますよね。

 

だからヘタな続篇などではないはず…なぜならこれまで「トイ・ストーリー」シリーズは僕はすべて面白かったし、1作目はピクサー初の長篇アニメーション映画だったんだから、その大切なシリーズの評判を落とすようなものを作るはずがない。それぐらいの信頼感はある。

 

なので楽しみにしていたんだけど、前作同様に僕が住んでるところではほとんど吹替版での上映で、唯一字幕版をやっているのはIMAXのみ。この前スパイダーマンをIMAXで観たばかりだし、そんなにIMAXでばっか観てたらお金がいくらあっても足りないのでやむなく通常サイズのスクリーンで吹替版を鑑賞。

 

唐沢さんや所さんたちが声をアテてる吹替版ももうお馴染みで抵抗はないから、充分楽しめました。

 

公開が始まって間もないけど、夏休みのちょっと手前ということもあって平日の昼間はまだ超混雑とまではいってなくて、お客さんも子どもではなくてほとんどが大人でした。

 

上映時間は100分で同時上映の短篇は無し。これは1作目以来24年ぶりのことなんだとか。

 

で、どうだったかというと──

 

とてもよかったです。

 

別に「今度こそ完結篇」と銘打ってるわけじゃないし(プロデューサーはそれらしきことを語っているが)、さらなる続篇があったって不思議ではないけれど、あの「完璧な完結篇」である3作目のあとにこういう続篇を作ったか、という静かな驚きがあって、僕はまだ1回観たきりですが、これはぜひ近いうちにまた観たいなぁ、と思いました。もうまもなく夏休みシーズンに入っちゃうから、次に観るのは映画館が落ち着くもうちょっとあとになるかもしれませんが。

 

前作が幼い時からずっと大切にしてくれた持ち主のアンディとの別れを描いた号泣系(笑)なら、今回は涙が溢れるというよりもあとからジ~ンと効いてくる感じでした。

 

でも、いろんな部分で「トイ・ストーリー」シリーズの掟破りをしていて、ある意味で本当の「完結篇」と呼んでもいいような作りになっている。

 

ちょうど、児童向け番組「できるかな」の最終回のノッポさんの「あーあ、喋っちゃった!」みたいな。

 

「トイ・ストーリー」の世界ではオモチャたちは子どもに愛されるのが一番の望みで、特に主人公ウッディの持ち主であるアンディへの想い、その忠誠心は絶対的なものだった。

 

その大前提が今回は大きく揺れる。なぜなら、ウッディはもうアンディの持ち物ではないから。彼を愛し、ずっと大切にしてくれていつも一緒だったアンディは、この4作目では冒頭の9年前の少年だった頃の彼や途中で挟まれる回想シーンのみの出番で、劇中でウッディと再会することはない。

 

前作のラストでそのアンディから幼児であるボニーにもらわれたウッディは、以前のように新しい持ち主にとっての一番のお気に入りであることを望むが、あいにくボニーはウッディにはほとんど興味を示さず(前作では欲しがってる様子だったのに^_^;)、幼稚園に行くのを嫌がって他の子たちとうまくやっていけるか不安な彼女のために密かに同行したウッディの助力で、自作したオモチャに“フォーキー”と名づけてお気に入りにする。

 

 

 

 

ところが、生まれたばかりのフォーキーはウッディからすればボニーに愛されるラッキーな立場でありながら、自分がオモチャだという自覚すらなくて隙あらばゴミ箱に入ろうとする。

 

このフォーキーの不憫で、ゆえに若干ウザくもあるキャラクターがほんとに絶品で、僕は吹替版しか観ていないのでオリジナル言語版の方はどんなふうなのかわかんないけど、フォーキーの声を担当している竜星涼の声の演技がもうサイコー(^o^)

 

フォーキーは1回1回の台詞の量はそんなに多くないんだけど、竜星さんの呟く「…ゴミ?」っていう一言に毎回吹いてしまったw

 

竜星さんは今回オーディションで選ばれたんだそうだけど、今までに仮面ライダーや朝ドラにも出演しているイケメンの若手人気俳優とはとても思えないポンコツキャラを見事に演じている。

 

そのポンコツだったキャラがやがて…というお話。

 

子どもへの忠誠心が何よりも大事だったはずのオモチャたちが、「心の声」に従ってシリーズを通してのその“ルール”から自由になる。

 

しかも、これまでのシリーズでは基本的にオモチャたちは人間の目の前で彼らに直接影響を与えるようなことはしない、というのが暗黙のルールだったんだけど、これが思いっきり破られるんですよね。

 

具体的には、終盤でバズがボニーの家族に向かって内蔵されている以外の自分の言葉を発したり、仲間たちがボニーのお父さんの運転を邪魔して車を移動遊園地に無理やり誘導したりする。

 

この展開はシリーズをずっと観続けてきた人ほど「えっ!」ってなるだろうし、中にはそれで納得がいかない人もいるかもしれない。

 

新登場の2体のぬいぐるみ、ダッキーとバニーたちが何度も妄想する(そのたびにバズから却下される)、彼らがアンティークショップの店主のおばあさんを襲う作戦が伏線になってるんですよね。オモチャが自分の意思で動く姿を人間に見られたり、その状態で人間と接触するのは本来「トイ・ストーリー」の世界設定ではありえない、あってはならないことなんだけど、ただ、実は1作目でオモチャを破壊して遊ぶ人間の子ども、シドを懲らしめる時にすでにこの“ルール”をオモチャたちは破っている。

 

ダッキー&バニー役のお笑いコンビ、チョコレートプラネットの二人(長田庄平、松尾駿)も竜星涼同様に声の演技が実に巧みで、言われないとプロの声優だと思ってしまいそう

 

だから、この4作目でのルール違反は原点である1作目に戻ったんだ、ともいえるわけで。

 

そもそも、人間たちが見ていないところでオモチャたちが喋ったり動いたりまるで生きているように振る舞っている、という発想から作られたこのシリーズは、時にそのオモチャたちに幼い子どもを持つ親の気持ちが重ねられたりしてきたのだが、結局のところここでのオモチャというのは人間、あるいは子どもたちのためにひたすら健気に頑張るいじらしい存在だった。彼らの存在意義とは子どもに愛されることにあった。

 

でも、もしも彼らに「心」があって本当に「生きている」のなら、彼らには「自由」が与えられるべきではないのか。

 

これは「A.I.に人権は必要か」という問いと同じで、「命」が宿っているのならば本人が望むように生きる権利、他の誰のためでもなく自分のためにどのように生きるか選択する権利があるということだ。

 

子どもに所有されて必要とされて、愛されることを望むのも自由。持ち主のもとを離れて旅立つのも自由。アンティークショップで埃をかぶり続けるのも、野ざらしになって朽ちていくのも、それぞれの運命。何に喜びを見出し満足を得るのかも、それは自分次第。

 

ウッディがまだアンディのもとにいた頃に、アンディの妹のモリーの持ち物だったが他の人に譲られていった陶器人形のボー・ピープが、2000年公開の『2』から19年ぶりに再登場する。

 

 

 

 

『3』ではなんの説明もなくいつの間にかいなくなっていたボーが、あのあとどうなったのかが語られる。ずっとどこかで気になってたキャラクターのその後を知ることができるのって、昔馴染みの友人知人の近況を知るような感じだし、ウッディはもともとボーに好意を持っていたんだから、昔好きだった子と再会するような懐かしさと嬉しさがありますよね。

 

ボーはキングギドラみたいな三つ首のヒツジの置物ビリー、ゴート、グラフや他のオモチャたちとともに移動遊園地にまぎれて国中を旅していた。腕も折れてテープで補修していたり衣服も以前のものとは変わっていてオモチャとしての値打ちはもうあまりないかもしれないが、彼女はそんなことは気にも留めずに自由な生き方をしている。

 

アンティークショップというと、ウッディが「ヴィンテージ物」として狙われる2作目をちょっと思い出すけど、この映画はさりげなくこれまでのシリーズの要素が現在の目で捉え直されているんですね。

 

悪役の扱いもそうだし。

 

アンティーク人形のギャビー・ギャビーは人間の女の子に愛されることを夢見ているが、背中の紐を引っ張ると声が出るはずが最初から壊れていたため誰からも手にとってもらえずにいた。そこでフォーキーとともにやってきたウッディの身体に内蔵されたヴォイスボックスを奪おうとする。

 

 

 

ギャビー・ギャビーは、ちょうど前作『3』でウッディたちを幼稚園に閉じ込めようとしたぬいぐるみのロッツォみたいなキャラクターなんだけど、ロッツォが最後にはヒドい目に遭って懲らしめられていたのに対して、ギャビー・ギャビーは最後に彼女の悲しみが癒される。

 

ギャビー・ギャビーはウッディのヴォイスボックスを受け継いで「声」を得る。アンティークショップのオーナーの孫娘ハーモニーにはそっぽを向かれてしまうが、やがて移動遊園地で迷子の女の子に拾われていく。

 

倒されるべき悪役を必要としたかつての「トイ・ストーリー」シリーズが、ここで『モンスターズ・ユニバーシティ』や『インサイド・ヘッド』(ジョシュ・クーリー監督はこの作品の脚本を担当)を経たのちの、さらなる次元へ進化を遂げている。

 

強引な展開ではなくてちゃんとドラマとして成り立たせたうえで、みんながそれぞれの幸せを掴む、という結末を迎えるんですね。

 

また、この映画ではボーをはじめ女性の登場人物がこれまで以上に出てきて重要な役割を果たす。アベンジャーズでもそうだったように、意識してそのように描かれている。ウッディの持ち主はボニーだし、アンティークショップの女性店主の孫も女の子。そしてギャビー・ギャビーも、彼女を連れていくのも女の子。ボーの親友の小さな人形のギグルも三つ首ヒツジも、みんな女の子。

 

それは「とりあえず女の子をいっぱい出しとけばいい」ということではなくて、その一人ひとりがしっかりと個性のあるキャラクターとして描かれていて、それぞれが劇中で物語の本筋にも絡んでいく。

 

ボーはもはや男の主人公の“おまけ”的なヒロインではなくて、ウッディを導き、最後に彼がともに生きていくことを願う相手として、颯爽としたキャラクターとして新たに造形し直されている。

 

強い女の子が大活躍して男の子たちを助ける映画。

 

Oh yeah!♪

 

トラウマを抱えるバイクスタントマンのオモチャ、デューク・カブーン(オリジナル言語版の声はキアヌ・リーヴス)を励ますのもボー

 

シュガー・ラッシュ:オンライン』でヒロインのヴァネロペは、最後に自分の意思で故郷のゲームを離れて新しい世界に旅立っていくけれど、それと同じことをボーはやっていたんですね。

 

そして、そんな彼女に感化されたウッディは、「自分」が本当に欲する生き方を選ぶ。

 

今回、バズはウッディのサポートに徹しているしジェシーの出番もそんなに多くはないんだけど、ウッディからちょっと距離を置いたおかげもあってか彼らとの別れがベタついたお涙頂戴になっていないのがいい(多分、その辺の日本のアニメだったら下品きわまりない絶叫や泣き声を垂れ流して、宣伝で「泣ける」を連呼するだろう)。本当に大人な作品。もちろん、子どもさんでも楽しめます。

 

 

 

それでも劇中でバズが何度も胸のボタンを押して発する「内なる声」、そして彼のキメ台詞「無限の彼方へ、さぁ行くぞ」はこの映画のテーマを言い表わしている。

 

別れは新しい始まりでもある。これからもウッディはいろんな出会いや別れ、そして再会を経験していくのでしょう。

 

彼はもうアンディの持ち物ではないし、ボニーの持ち物でもない。誰の持ち物でもない。

 

自 由 なんだ 。

 

 

もしかしたら、いつか僕らの町にもやってくるかもしれない、と思うと夢があるよね。

 

オモチャたちの気持ちを考えながら僕たち観客がずっと観続けてきたこのシリーズは、ついにオモチャが本当に命を持って自分の意思で生き方を決めるところまでやってきた。

 

ウッディと別れてバズたちとともにボニーの家で生活しているフォーキーだったが、彼らのもとにボニーのお手製の新しいお気に入りでプラスチック製のナイフでできた女の子がやってくる。

 

彼女はボニーの家にやってきたばかりの頃のフォーキーのように生まれたての赤ちゃんみたいに喋り方もたどたどしくて、自分が誰なのかよくわかっていない。

 

フォーキーは、かつてウッディが自分にしてくれたように彼女に優しく接する。もうフォーキーは立派なオモチャだ。

 

そして、新しくオモチャの仲間になった“彼女”が発する言葉は、この映画の本質を突いている。

 

「…わたしはなんで生きてるの?」

 

 

とてもシンプルでわかりやすくて、深い。

 

大好きな映画がまた1本増えました。

 

 

関連記事

彼女は大丈夫 『トイ・ストーリー4』

『シュガー・ラッシュ:オンライン』と『モンスターズ・ユニバーシティ』

『プーと大人になった僕』

『テッド』

『エクス・マキナ』

 

 

 

 

 

 

にほんブログ村 映画ブログへ にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ