ジェームズ・マンゴールド監督、ハリソン・フォード、フィービー・ウォーラー=ブリッジ、マッツ・ミケルセン、イーサン・イシドール(テディ)、ボイド・ホルブルック、オリヴィエ・リヒタース(フォラーの部下ハウケ)、トビー・ジョーンズ、トーマス・クレッチマン、シャウネット・レネー・ウィルソン(メイソン捜査官)、アントニオ・バンデラス、ジョン・リス=デイヴィスほか出演の『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』。

 

音楽はジョン・ウィリアムズ。

 

日本語吹替版キャスト:村井國夫、坂本真綾、井上和彦、木村皐誠、中村悠一、安元洋貴、佐々木睦、根本泰彦、藤田奈央、大塚明夫、宝亀克寿ほか。

 

考古学者で冒険家のインディ・ジョーンズ(ハリソン・フォード)の前にヘレナ・ショー(フィービー・ウォーラー=ブリッジ)という女性が現れ、インディが若き日に発見した伝説の秘宝「運命のダイヤル」の話を持ち掛ける。それは人類の歴史を変える力を持つとされる究極の秘宝であり、その「運命のダイヤル」を巡ってインディは、因縁の宿敵である元ナチスの科学者ユルゲン・フォラー(マッツ・ミケルセン)を相手に、全世界を股にかけた争奪戦を繰り広げることとなる。(映画.comより転載)

 

2008年公開の『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』から15年、「インディ・ジョーンズ」シリーズ第5弾で最終作。

 

これまで4作品の監督を務めてきたスティーヴン・スピルバーグは製作総指揮にまわり、4作目までは製作総指揮だったジョージ・ルーカスは離脱。配給はディズニー。パラマウントのロゴの前におなじみディズニーのシンデレラ城のロゴが入る。

 

6月最終日にして公開初日の朝イチで観てきました。字幕版(字幕翻訳:戸田奈津子)と吹替版(吹替翻訳:野田尊子)の両方を鑑賞。

 

吹替版では『最後の聖戦』以来、30年以上ぶりに村井國夫さんがインディの声に復帰。

 

そういえば6/30(金) に金曜ロードショーで放送された4作目『クリスタル・スカルの王国』はこれまでインディ役を内田直哉さんが務められていた劇場用&ソフト版ではなくて、この放送のために新たにアフレコを行なったヴァージョンで、こちらでも村井國夫さんが声をアテられていました(他の声の配役は以前と同じようなので、村井さんの声のみ新録っぽい)。

 

内田直哉さんの声も違和感なかったし好演されてましたが、やはり80年代にTVで村井さんの声のハリソン・フォードに馴染んでた世代(インディだけでなく、「スター・ウォーズ」のハン・ソロ役でも)なので、やっぱり村井國夫版インディは嬉しい。

 

心なしか、『クリスタル・スカル~』も何割増しか面白くなってる気が(^o^)

 

『クリスタル・スカル~』は結構酷評もされたし、お好きなかたには申し訳ありませんが、僕も正直「がっかり」派でした。

 

その前の『最後の聖戦』から19年ぶりの続篇だったから、みんなの期待も高かったからねぇ。

 

でもまぁ、ハリソン・フォードが主演する作品としては最後となるさらなる新作もこうやって公開されたから、『クリスタル・スカル~』もシリーズの1本として「こういうのもある」ということで、今となってはTV放送されれば観てTwitterで呟きながら楽しんでますけど。

 

一応、この『運命のダイヤル』は前作『クリスタル・スカルの王国』のお話の流れも汲んでますからね。

 

公開されたばかりだし、学生さんなどはこれから夏休みに皆さん観にいかれるだろうからほんとはネタバレは控えるべきなのでしょうが、すみません、感想を書くうえでどうしても内容に触れずにはいられないので、ラストまでストーリーについて述べます。

 

鑑賞を予定されているかたは、映画をご覧になったあとでお読みください。

 

 

『クリスタル・スカルの王国』で○○○を出しちゃったあとにインディは今度は何を探すのだろう──しかもこれがほんとに最後の作品ということだし──という興味はあったんだけど…なるほど、1作目から42年経っての最終作としては納得、な「お宝」でした。

 

今回、インディや悪役たちが探し求めるのは、アルキメデスが作った「アンティキティラ島の機械」と呼ばれる古代ギリシャ時代の歴史の遺物。

 

実際に存在するもので、アルキメデスとの関係も言われているようだけど、もちろん「時間の裂け目」を特定する、などという性能は脚本家の想像力が生み出したフィクション。

 

レイダース/失われたアーク《聖櫃》』のアークや『最後の聖戦』の聖杯は、現実に存在するかどうかはともかく、現物は発見されていないのに対して、『魔宮の伝説』のシヴァ・リンガ(サンカラ・ストーン)は映画で描かれたものとは無関係に実在しているし、クリスタル・スカルも近代になって作られたことが判明しているが、一応、同じ名称の品がほんとにある。

 

このあたりの完全なる創作物ではない、なんとなく世間に流布している伝説やオカルト的な怪しげな要素がこのシリーズの魅力だったわけで、そこんとこは今回もうまいとこから持ってくるなぁ、というのはあった。

 

その一方で、かつての「インディ・ジョーンズ」シリーズや亜流作品にあった胡散臭さ、ケレン味、よい意味での「ハッタリ」感が今回は若干希薄で、それが監督の交代のせいなのか、それとも時代の流れによる変化なのかはわかりませんが、この『運命のダイヤル』はこれまでの作品群と比べてもわりと淡々としている。

 

いや、アクションシーンはふんだんにあるんだけど、言い方は悪いけどだいぶ間延びしてるんですね。上映時間は154分とシリーズ中最長。

 

果たしてそれだけのランニングタイムが必要だったのか、そこんとこは議論が分かれるでしょうが、はっきり言えるのは、かつての“ジェットコースター・ムーヴィー”の疾走感はないということ。

 

 

 

『最後の聖戦』って、あれで上映時間127分ですよ。2時間ちょっとの映画が大作感満載だったでしょう。本来ならば、インディ・ジョーンズの映画に2時間半もいらないんですよ。

 

『運命のダイヤル』は、おじいちゃんが主人公ということもあるし、映画のテンポや、もっと言えば作品のスタイルそのものが以前の作品たちとは異なる。

 

そこんところで「期待していた、自分が好きだった“インディ・ジョーンズ映画”ではない」という反応があっても不思議ではないし、事実、不満の声もわりと出ている。

 

 

 

…では、僕自身はどう感じたかというと、確かにまず字幕版を観た時にはグイグイ引き込まれるような勢いが足りない気がしたし、物語的なカタルシスも弱くて、ちょっと残念な気分になったんですよね。作品への批判には同意してしまうところもある。

 

80年代を代表するハリウッド映画のヒーローの最後の花道なんだから、もうちょっと描きようがあったのではないか、と。

 

インディ・ジョーンズの映画のはずなのに、新登場のヘレナの出番がかなりを占めていて、下手すりゃ彼女が主人公のようにも見える。『インディ・ジョーンズ 最後の冒険』じゃなくて、『ヘレナ・ショー 最初の冒険』じゃないのか?と。

 

おじいちゃんがずっと出ずっぱりで頑張るのはキツいから脇のキャラが派手なアクション部分を代わりに受け持つ、というのは前作『クリスタル・スカル』でインディの息子のマット(シャイア・ラブーフ)もやってたから、まぁしょうがないところはあるんだろうけど、おかげでインディの活躍よりもヘレナの活躍の方が目立ってしまっている。

 

ヘレナがモロッコで急にインディばりのスタントアクションをおっぱじめた時には物凄い違和感があった。

 

明らかにヘレナはインディの後継者的なキャラクターとして創り出されていて(学校では考古学の博士課程を取っていて、父親はインディと旧知の同業者。闇のマーケットで盗品を売りさばいたりギャングともかかわりがあったりと“悪漢”要素もあって、おまけに腕も立つ)、つまり、インディアナ・ジョーンズのあとを継ぐのは女性の“ヒーロー”である彼女なんだ、ってことですよね。

 

80年代に作られて、魅力的な女性キャラクターたちは何人も登場したけれど、もともと往年の007映画のノリを踏襲していて根底の部分に女性を「お荷物」と見做すような男尊女卑的でマッチョイズムが漂っていたこのシリーズ(ハリソン・フォード演じるインディはスタローンやシュワルツェネッガーのようにいたずらに筋肉を誇示したりはしなかったが、『魔宮の伝説』でのウィリーの扱いを見てもわかるように、基本、常に「守ってほしけりゃおとなしくしてろ」「生意気な女は嫌いだ」と女性を見下す態度をとっていた)が終わりを迎える時に、そこに新たに“女性ヒーロー”を配置する、というのはとてもわかりやすい(ディズニー映画でもあるだけに)。

 

ただ、それを「インディ・ジョーンズ」シリーズの、それも最終作でやる必要があるのか?という疑問はあった。

 

かつての、怒涛のようなアクションのつるべ打ちや、あるいは過去作の名場面を彷彿とさせるオマージュの数々に涙ぐんで、最後には「ブラボー!!」と拍手したくなる熱さ、みたいなものは、少なくとも初見時には感じなかった。

 

それでも、夜にはTVで『クリスタル・スカル』を観て久々に「村井國夫版インディ」を堪能して、翌日に今度はやはり村井さんがインディの声をアテた吹替版『運命のダイヤル』を観たら、前日以上に楽しめて静かに感動している自分がいたのでした。

 

現在78歳の村井國夫さんはハリソン・フォードご本人とそんなに年齢は変わらないけど、声に艶があるというか、色っぽいんだよな。ぶっちゃけ、おじいちゃんっぽくない。

 

村井さんのハン・ソロやインディを僕が好きなのは、まさに「噂通りの伊達男」に相応しい彼の声で台詞の中にちょっとしたジョークや皮肉めいた言い廻しがあると、その効果と魅力が倍増するから。

 

「おじいちゃんっぽくない」声の村井國夫が老人になったインディ・ジョーンズを演じている、そのことに何か妙な感慨を覚えたのです。

 

僕は普段は洋画は字幕派なので、オリジナル言語である英語版を観ておいてよかったですが、でも吹替版も結構よかったですよ。お薦めだなぁ。

 

運命のダイヤル“アンティキティラ”をめぐる台詞のやりとりは吹替版の方がより理解しやすいし、これまでの過去作の出来事、地名やアイテム名など字幕版ではだいぶ省略されているので、吹替版では全体的な内容の情報も得やすく、シリーズをずっと観てきた人ほど吹替版は観ておいた方がいいと思います。

 

繰り返し観て、過去作へのオマージュを探すのはなかなか楽しいんじゃないでしょうか。かなり強引にインディの台詞の中にぶっこまれてた「カリの血」のくだりには笑っちゃったけどw

 

いろんな評価があるだろうし、だからこれはあくまでも僕の感想、意見でしかありませんが、個人的にはこの作品は大いに「あり」でした。…2度観たうえでようやく思い至った、のですが。

 

先ほど、ヘレナが目立ち過ぎだし、彼女の活躍を「『インディ・ジョーンズ』シリーズの、それも最終作でやる必要があるのか?」と思った、と書いたけど、まさしくそこに大きな意味があったのだし、「80年代の遺物」で、かつての「古きよき冒険活劇」のパロディの要素もあった「インディ・ジョーンズ」シリーズに欠けていたもの、「変えていくべきもの」として、新たな時代の女性ヒーロー、ヘレナは登場したのだ。

 

 

 

インディの実の息子・マット(本名:ヘンリー・ジョーンズ三世)がヴェトナム戦争で亡くなった、という設定は、いろんな意味を含んでいる。

 

マットを主人公にする続篇も考えられていたそうだけど、その企画は幻に終わったし(彼は父から帽子をもらえなかったし)、そもそもそれ以前にインディには“娘”がいる、というアイディアがあったのが、『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』の主人公・マルコム(ジェフ・ゴールドブラム)の設定とカブるので息子に変更したという経緯がある。

 

古くからの家父長制を思わせるヘンリーという名前に対して、ヘレナという名前はギリシャ神話に由来する(アーサー王伝説とも関係がある)。本作品でギリシャが大きな意味を持っていたように、ヘレナは名付け親であるインディにとって血の繋がらない娘のような存在でもある。この映画で、二人は疑似的な親子のように描かれている。

 

“インディ・ジョーンズ”をただの昔ながらの伊達男や荒唐無稽な劇画ヒーローのままでかっこよく去らせるのではなくて、本名:ヘンリー・ジョーンズ・Jr.として、老いて大切な者を亡くし、若い名付け子に助けられ、妻と再会して、これからもこの世の中で生きていく意味を見出す一人の生身の人間に還す──この映画は、おそらくは僕も含めて観客の多くが期待したのとは別の方法でシリーズを締めくくる選択をした。

 

「痛くないのはここ」とマリオン(カレン・アレン 吹き替え:戸田恵子)が差し出した“肘”にキスをするインディ。

 

高らかに鳴り響く「インディ・ジョーンズのテーマ」とともに馬に乗って去っていく男たちの後ろ姿で勇壮に幕を閉じた『最後の聖戦』とは180度違って、『運命のダイヤル』ではアイスクリームを食べに出かけるヘレナやテディ、サラー(ジョン・リス=デイヴィス)と彼の孫たちの後ろ姿を映して、インディがベランダに干されたあの帽子を手に取るショットへと続き、「昔々、あるところで…」といった感じにアイリスアウトで終わる。

 

このささやかなエンディング。

 

そういえば、ヘレナ役のフィービー・ウォーラー=ブリッジという女優さんの名前に見覚えがあったんだけど、『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』で若きランド・カルリジアンの恋人のドロイド・L3-37の声を演じていた人なんですね。

 

こんなとこでハリソン・フォード繋がり(映画『ハン・ソロ』にハリソン・フォードは出てないが)(笑)

 

このフィービー・ウォーラー=ブリッジさんの堂に入った演技が見事で、今回初登場にもかかわらず、いかにも昔からのインディの知り合い、という説得力があって、けっして物怖じしない物腰、バイクに乗って爆撃機に飛び移る超人的な身体能力など、「そんなわけないやろ」なアクションを披露してくれるんだけど、それ言ったらインディだって、あるいは「ダイ・ハード」シリーズのジョン・マクレーン刑事だって同様に映画の中で現実には不可能なことばかりやってきたわけで、それは男性だろうと女性だろうと違いはない。

 

インディが若い娘を救うんじゃなくて、その逆を描いたことは、男性主人公の大活躍を見たい観客には不評かもしれないけれど、足手まといでもなければ裏切り者でもない頼りになる女性ヒーローは少なくとも映画版の「インディ・ジョーンズ」シリーズでは初めてだし、「007」の番号や「ジェームズ・ボンド」という名前を女性キャラクターがけっして継承しないように「インディ・ジョーンズ」の名前はハリソン・フォードの代名詞として今後は永久欠番、殿堂入りとなる。

 

ここから、新しい時代の女性ヒーローが生まれていく、というのは「今」を反映しているし(舌打ちしてる人たちの様子も目に浮かぶがw)、ジェームズ・ボンドの最期を描いた『007 ノー・タイム・トゥ・ダイ』のラストと同様(フィービー・ウォーラー=ブリッジは同作品の脚本も担当している)、これはこれで僕はちょっとグッとくるものがあった。

 

我らが“インディ・ジョーンズ”のことを大好きで彼に憧れた“娘”たちが、これからは自分たち自身がヒーローになれる、そういうことを伝えているんだから。

 

また、前作ではそれこそヘレナのように大活躍していたマットがあっけなく死んだことにされてしまったのはあまりに哀しいのだけれど、それもただシリーズ物で「ナレ死」ならぬ「台詞の中だけで死んだことにされちゃった」のではなくて、彼が父親に反抗して自ら軍隊に入隊して戦死してしまった、ということにも大きな意味が込めてある。

 

マッチョイズムの最たるものが軍隊なのだし、インディはずっとナチスを相手にヒロイックに戦ってきて、もはや不死身な存在になっていた。誰も映画の途中でインディが死ぬ心配なんかして観てはいないし、今回だって80歳のおじいちゃんがありえないアクションを見せはする(車や馬に乗ってると誤魔化せるが、走るとチョコチョコした“おじいちゃん走り”になってしまう。だって80代だもの)。

 

でも、その彼の息子は戦争で命を失っている。ここでは連続冒険活劇の世界ともっと現実寄りの世界が奇妙に混在している。

 

荒唐無稽な「連続冒険活劇」で、80年代のヒーロー像のアイコンでもあった「インディ・ジョーンズ」が、「強くかっこよかった男、父」が、ここでメタ的に映し出され、解体されている。

 

ナチスを殺しまくった劇画ヒーロー「インディ・ジョーンズ」は、ただ妻を愛するヘンリー・ジョーンズ・Jr.に戻っていった。

 

インディの古き友人でダイヴァー、レナルド役のアントニオ・バンデラスのあまりにもったいない無駄遣いぶりも、穿った見方をすれば、かつて快傑ゾロをはじめ何人ものヒーローを演じてきた彼があれほどあっさりと殺されてしまうのも(しかも足を悪くしている設定で、アクション的な見せ場も皆無)、インディを老いた父、夫、男として描いたことと同じく、昔ながらの「男らしさ」批判、ととれなくもない。

 

マッツ・ミケルセン演じるナチスの残党と思われたフォラーの目的が「ヒトラーを殺すこと」であった、というのには意表を突かれたし、彼やボイド・ホルブルック演じる部下のクレーバーがシリーズではお約束の「秘宝」の力で悲惨な最期を遂げるのではなくて、乗っていた爆撃機の墜落によってあっけなく命を落とすのも、不満要素であると同時にその「あえて」の選択が僕には新鮮に思えたし、「スター・ウォーズ」がそうだったようにディズニーが古くからのフランチャイズをどう変えて新しくしていこうとしているのか、その一端を見せられたのは面白かった。

 

 

 

 

ヘレナ・ショーを主人公にした新しい続篇が今後作られる可能性があるのかどうかは知りませんが、でも、たとえばヘレナがキー・ホイ・クァン演じるショート・ラウンドと出会ってインディとの想い出話を聞くとか、そんな作品があったら観てみたいじゃないですか(^o^)

 

2000年もの間、けっしてみつからなかったアルキメデスの墓があまりにあっちゃりみつかっちゃって拍子抜けでしたが(シリーズ恒例のギミックもいまいちパッとしてなかったし)、インディたちを“アンティキティラのダイヤル”のある場所に導いたのは、「アルキメデスの原理」を応用した仕掛けだった。小学校の算数だったか理科だったかの授業で習ったの思い出しました。

 

 

 

あとでアルキメデスその人も出てきて、しっかり「ユリイカ(ヘウレーカ)!」と言ってましたね。

 

「運命のダイヤル」という題名からもなんとなく予想はしていたんだけど、「時間」を超える旅を描くこの映画は40年に及ぶこのシリーズを振り返る旅とも重なって、『失われたアーク』から40歳年をとったインディやサラー、そしてマリオンの姿に、映画館そのものがタイムマシンのような役割を果たして僕たち観客をも時間の旅にいざなう。

 

 

 

過去は変えられないし、戻ってはこない。だからこそ、それは時に忌まわしく、時に光り輝いている。

 

先日観たアメコミ・スーパーヒーロー映画『ザ・フラッシュ』でも描かれていたけれど、今、こうやって過去を振り返って新たに前を向き直すような作品が多く撮られているのが大変興味深い。

 

ブラボー、インディアナ・ジョーンズ!!

 

ハリソン・フォードさん、子どもの頃からワクワクさせてくれて、どうもありがとうございます。そしてインディ役、おつかれさまでした。

 

 

 

 

 

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