ロン・ハワード監督、オールデン・エアエンライク、エミリア・クラーク、ヨーナス・スオタモ、ウディ・ハレルソン、ドナルド・グローヴァー、ポール・ベタニー、フィービー・ウォーラー=ブリッジ (声の出演)、ジョン・ファヴロー (声の出演)、エリン・ケリーマン、ワーウィック・デイヴィス、タンディ・ニュートン出演の『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』。

 

遠い昔、はるか彼方の銀河系で自らの持ち船のパイロットになることを夢見るハン・ソロ(オールデン・エアエンライク)は、犯罪組織の手を逃れて故郷の惑星コレリアから脱出するが恋人のキーラ(エミリア・クラーク)と離ればなれになってしまう。やがてもぐりこんだ帝国アカデミーを追放となり歩兵として従軍していたハンは、そこで戦場泥棒をしていたトバイアス・ベケット(ウディ・ハレルソン)たちと出会う。

 

IMAX2D字幕版と通常字幕版を鑑賞。

 

「スター・ウォーズ」シリーズ(実写に限る)の第10作目、2016年の『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』に続くスピンオフ第2弾。

 

かつてはハリソン・フォードが演じていたシリーズの人気キャラクター、ハン・ソロを主人公にしたスピンオフが作られる、という発表がされたのがいつだったかもう覚えていませんが、『ローグ・ワン』の公開時にはすでに知っていた気がします。

 

とても楽しみにしていました。

 

だって、ダース・ベイダーと並んで人気のある“あのハン・ソロ”を主人公にした映画が面白くならないわけがないし、実のところ僕は個人的にはジェダイがどうのこうの、みたいな話よりも宇宙の運び屋ハン・ソロと賞金稼ぎやならず者たちが戦うマカロニ・ウエスタンのような映画の方が興味があったから。昔のスター・ウォーズでは、ハン・ソロというキャラクターと彼の周辺の物語が映画の魅力やシリーズの人気の半分を担っていたといっても過言ではないでしょう。

 

やがてジェダイの騎士となる真面目な青年ルーク・スカイウォーカーの物語をメインに、ちょっと斜に構えた冒険野郎ハン・ソロが広大な宇宙を相棒のチューバッカとともに愛機ミレニアム・ファルコン号で駆け巡ってスペースオペラの世界を広げていた。

 

今回、若手俳優のオールデン・エアエンライクが若き日のハン・ソロを演じ、彼が『エピソード4 新たなる希望』(1977)でルークやレイア姫と出会う10年前が描かれる。

 

 

 

 

 

90年代にインディ・ジョーンズの少年期から青年期を描いたTVドラマシリーズをやってましたが、ちょっとそれを思い出しました。

 

ハン・ソロといえばあのキャラあのキャラ、といった具合に、すでに過去作を観ている身としてはどうしたってお馴染みのキャラクターの登場やこれまで台詞の中で語られたり設定として聞いてきたエピソードなどが描かれることを期待せずにはいられない。

 

そんなわけで公開を待ちわびていたんですが、一足お先に公開された海外での評価が思いの他芳しくなかったり、アメリカでも当初期待されたほど客足が伸びなかったことが伝えられてきて、急に不安になってきた。

 

監督の交代劇(フィル・ロード&クリス・ミラーが降板)については知っていたけど、現場はずいぶんと混乱があったようだし、8割ぐらいを撮り直した、ともいわれているように、かなりの突貫工事で仕上げられた模様。すでに撮影が済んでいたキャストの一部も変更になっている。

 

『ローグ・ワン』の時もそうやってトラブルが続いて別の監督がヘルプに入って再撮影や編集のやり直しが行なわれたりしていたけど、ディズニーやルーカスフィルムの人たちはそこから何も学ばなかったんだろうか。

 

ポール・ベタニーが演じた犯罪組織クリムゾン・ドーンのボス、ドライデン・ヴォスも最初は別の俳優が演じていてVFXによって異形のキャラクターとして描かれるはずだったのが、予定の変更で急遽人間体に変更されて、もともとの出演者がスケジュールの都合で追加撮影に参加できなくなったためにベタニーが代役を任されたんだそうで。

 

 

 

ポール・ベタニーは『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』でアベンジャーズの一員の“ヴィジョン”を演じていたけど、立て続けにVFXモノに出演することに。この時期は忙しくなかったんだろうか。ちなみに、彼の奥さんは先日観た『オンリー・ザ・ブレイブ』に出ていたジェニファー・コネリー。二人はロン・ハワードの『ビューティフル・マインド』での共演をきっかけに結婚している。アベンジャーズではまわりがデカい筋肉男ばっかなのであまりわかんなかったけど、今回、あらためてポール・ベタニーって背が高いんだな、って思った。

 

さて、手っ取り早く個人的な評価を先に述べると、普通に迫力があって面白いところもあったけど、懸念していた通り、作品の出来そのものに興奮を覚えることはなかった。

 

つまらなかった、ってほどではないがとても絶賛とまではいかない。つくづく『ローグ・ワン』はよくできていたんだな、と思った。

 

なので、そういうことをこれから書いていきますから、この映画に満足されたかた、この映画が大好きなかたにはあまり楽しい文章ではないかもしれません。かなりぶつくさ言います。スター・ウォーズのことをよく知らない人にも意味不明だと思います。あらかじめご了承ください。

 

ただし、たとえば去年の『エピソード8 最後のジェダイ』の時のようにマジギレする気はないです。あそこまでヒドくはなかった。僕がJ・J・エイブラムスの『エピソード7 フォースの覚醒』やライアン・ジョンソンの『最後のジェダイ』を嫌うのには理由があって、それは各感想で述べましたのでここでは繰り返しませんが、そういう決定的に許せないようなことは今回はなかった。あとは“程度”の問題。

 

スゲェもったいないなぁ、と。それに尽きますね。この題材だったらもっともっと面白くできたはずだし、「なんでこうなった」と首を傾げざるを得ない。

 

 

実質的なクライマックスだった前半のコアクシウム争奪戦

 

ここんとこ毎度のように(来年の“エピソード9”もすでに最初予定されていた監督が降板している)撮影の段階になってプロデューサー側と監督との方向性の違いが云々されるってのは、つまり監督を選ぶ立場にいる人間が無能だからではないか?そう思われてもしかたないでしょう。

 

今回もロン・ハワードはいろんなしがらみの中で途中から代打監督として抜擢されて尻拭いをさせられた損な役回りだから同情もするけど、でも悪いがそんな作り手たちの事情は観客には関係ないから。

 

僕は『ローグ・ワン』は結構お気に入りなので(旧三部作“エピソード4~6”に次いで好き)、馴染みのない新しいキャラクターたちだって受け入れられることがわかったし、ただ昔のスター・ウォーズを持ち上げて最近の新しい作品をなんでもかんでも目の仇にしてるわけじゃなくて、あくまでも1本の映画として面白いかどうかで判断します。

 

それに、繰り返しになるけどハン・ソロが主人公でチューバッカ(ヨーナス・スオタモ)との出会いが描かれて、彼らが銀河の星々で冒険を繰り広げる映画なんてどう考えても面白いに決まっている。

 

脚本は僕も大好きな『エピソード5 帝国の逆襲』や『エピソード6 ジェダイの帰還』、それにハリソン・フォード主演の『レイダース/失われたアーク』にもかかわったローレンス・カスダン、そして彼の息子のジョナサン・カスダン。

 

人選だけ見るともっとも相応しい人たちに思えるけど(L・カスダンは『フォースの覚醒』も書いているが…)、この『ハン・ソロ』がイマイチだった理由の多くはシナリオの中途半端さにあると思う。それについては後述します。

 

ローレンス・カスダンとジョナサン親子のどちらが主導権を握ってシナリオを書いたのか知りませんが、少なくともこれはローレンス・カスダンが手がけた作品の中で突出した出来というわけではないだろう。

 

また、ロン・ハワードの監督作品としても、『バックドラフト』や『アポロ13』、先ほどの『ビューティフル・マインド』、そして『ラッシュ/プライドと友情』のようにこれまで観て面白かった映画たちに比べると、そこまでではない。

 

確かにこれまでのシリーズをまったく観たことがない人でも一応意味はわかるしSFアクション映画の1本として普通に楽しめる映画だとは思います。スター・ウォーズやハン・ソロに特に過剰な思い入れがなければむしろ観やすい映画かもしれない。

 

だから、これから書くのはもともとスター・ウォーズやハン・ソロにわりとこだわりというか、強い期待感を持っている人間の感想です。当然、異論もあるでしょうし、これが正解などと言うつもりもない。

 

では、以降は「スター・ウォーズ」シリーズの過去作と本作品『ハン・ソロ』のネタバレがありますからくれぐれもご注意ください。

 

 

前半は比較的普通に(それもあくまでも“普通に”なんですが)楽しめて、違和感はなかったんですよね。

 

レイアとの出会い以前にハン・ソロに特定の恋人がいたことは昔からよく知られていたのか、それともこの映画で初めて作られた設定なのかわかりませんが(僕は映画以外のメディアでのSW関連作品の知識はないので)、まぁ、物語を転がしていくためにはそういうきっかけは必要だろうし、抵抗はなかった。

 

ハンが帝国アカデミー出身、というのは以前から言われてたことだし、彼の来歴がスピーディに語られて、やがて過去作で言及されていたミレニアム・ファルコン号を手に入れる経緯が描かれる。

 

“ソロ”という姓の由来があんなことだったというのは、納得しがたいものがあるけど。家族がいない独り者だからって、それはあまりに安易じゃありませんか。

 

『新たなる希望』のカンティーナでオビ=ワンに語った「ケッセル・ランを12パーセクで飛んだ」というハンの台詞も映像化されている。

 

懐かしのチェス台

 

僕はオールデン・エアエンライクは好演していたと思いますが(敢えてハリソン・フォードの物真似をしなかったのも、いろいろ意見はあるでしょうが僕は結果的にはよかったんじゃないかと思う)、この映画については「ハン・ソロじゃなくて、ウディ・ハレルソン演じるベケットが主役なんじゃないか」と評してるかたもいらっしゃって、ベケットはシリーズ初登場ながらおいしい役なので、彼の存在感が主役のハンを食ってしまった、というのは事実かもしれない。

 

ベケットとハン・ソロの師弟関係は、マカロニ・ウエスタンの『怒りの荒野』におけるリー・ヴァン・クリーフとジュリアーノ・ジェンマの関係によく似ている。

 

 

 

ベケットがハンに言う「他人を信用するな」という教えも、『怒りの~』でクリーフ演じるヴェテランのガンマンがジェンマ演じる若者に授ける「ガンマン十ヶ条」の中にある。

 

師と弟子が最後に戦うのも同じ。

 

だから監督のロン・ハワードが西部劇を大いに意識してこの映画を作ったことはわかるし、ご本人もそう発言している。

 

その点においては僕も楽しめた部分はあった。異形のクリーチャーたちとならず者が宇宙を舞台に暴れるスペースオペラ。期待してた世界。

 

…ただ、観た人はわかると思うしもうハッキリ言っちゃいますが、なんと先ほどの「ハン・ソロといえばあのキャラやあのキャラ」が出てこないんですよ、一人も!

 

キーラの台詞に出てくる「ハット・カルテル」という組織名を聞けば、もちろんあのワンダフル・ヒューマンビーイング、ジャバ・ザ・ハットが登場すると思うじゃないですか。

 

そして『帝国の逆襲』で密かにファルコン号を追い、続く『ジェダイの帰還』ではハンの一撃によってあっけなく砂漠の怪物サルラックの餌食になった因縁の賞金稼ぎボバ・フェットも、あるいは『新たなる希望』でハンに撃ち殺されてカス呼ばわりされてたグリードも、当然登場するものとばかり思っていた。

 

 

 

 

ってゆーか、ハン・ソロが主人公の映画にジャバ様やボバ・フェットを出さないとか、ありえないでしょ

 

出ませんからね。ビックリですよ。

 

ワイアット・アープが主人公の西部劇でOK牧場や宿敵クライトン一家が出てこないようなものだ。そんなアホな。全然オッケー牧場じゃねーよ。

 

ドライデン・ヴォスの空飛ぶお城の部屋の中にボバ・フェットと同じ装甲服が飾ってあったけど、そういうヲタク的なくすぐりじゃなくて、ボバ本人を出せ、っての。

 

『帝国の逆襲』でボバとともに賞金稼ぎたちの一人としてワンシーンだけ登場したボスクの名前も出てくるけど、やはり姿を見せない。だからなんでだ。

 

ボスクさん

 

すでに観た人たちが誰一人としてこのことを話題にしてないことからも嫌な予感はしていたんだけど、まさか関連キャラが(チューバッカとランド以外は)誰一人出てこないとは思わなかった。なんか過去作のキャラを出したらNGな理由でもあるの?

 

映画のラスト近くにベケットが「惑星タトゥイーンに行く」と言ってるけど、いや、それを描けよ、と。

 

みんなが一番見たくて一番面白い要素を根こそぎ取り除いちゃってる。ランド・カルリジアン(ドナルド・グローヴァー)とドロイドの人間とロボットを越えた恋とか(後述)、そんなのよりももっと大事なものがあるでしょうが。

 

 


単に旧作のファンを喜ばせるためだけじゃなくて、『新たなる希望』で「俺はあんたらの言う革命だかなんだかには興味がねぇ。興味あるのは経済学、つまり俺への礼金」と言ってレイアから「お金の亡者」と呼ばれていたハンが、これまでどういう世界で生きてきたのか、彼の価値観を形作る経験の数々を描くうえで、非情な犯罪王ジャバや凄腕のバウンティ・ハンター、ボバ・フェットは必要不可欠な存在ですよ。

 

ジャバが『新たなる希望』の特別篇でハンにあんなに生意気な口を叩かれたり(「用があるなら直接来い。カスを寄こすな」)自分の取り分を値切られたりしてもその腕を買って彼を信頼していたのは、長い付き合いだからでしょう。グリードがハンのことを「いっぺん殺してやろうと思ってた」理由だって描くいい機会だったんだし。

 

 

「船を差し出せば命だけは助けてやる」と言うグリードに「殺して持ってけ」と答える時のH・フォードの目が怖い

 

 

なんでそういう最高のチャンスを捨てちゃうかなぁ。出し惜しみし過ぎだろう。

 

それにチューバッカはハンに命を助けられてからというもの彼と行動をともにしてきたんだけど、ちょっとその理由が軽過ぎるんだよね。

 

もっとハンは自分の大事なものを犠牲にしてチューイを救ったことにしなきゃ(これまでの設定では、チューイを助けたことで帝国アカデミーを追い出されて将校になるチャンスを失ったことになっていた)、チューイがハンに感じている恩義が伝わってこない。

 

エピソード4~6でのハンとチューイの絆の強さ、チューイがいかにハンを愛していて、ハンの方も憎まれ口を叩きながら誰よりもチューイを信頼しているか(だからこそ、ハンがバカ息子にあっさり殺されるのをチューイが黙って見ていた『フォースの覚醒』はとても信じられない)、そこに至るエピソードをこそ描かなきゃ。

 

新しく登場したキャラクターたちは別によかったと思うんだけど、優先順位を間違ってる。

 

ハンとランドの出会いはもっと昔でよかったんじゃないかと思うし(『帝国の逆襲』では「古い友だち」と言ってるんだし)、さっきちょっと出したけど、ランドとドロイドのL3(声:フィービー・ウォーラー=ブリッジ)が実はデキてて…みたいな展開は「なんだそれ」と。

 

キーラが真面目な顔でL3と「人間とドロイドはヤれるのかどうか」ってことを話してるのを聴いてて頭が痛くなってしまった。何を考えてこんなシナリオを書いたんだろう。カスダン親子の頭の中が少々心配になってくる。

 

L3が劇中でドロイド(ロボット)の権利を主張していたように、長らくスター・ウォーズの世界で金で売買されて奴隷のように働かされて差別されてきたドロイドという存在に対してもコンプライアンスが必要だと考えたのかもしれないけど、恋愛はともかく人間とロボットに性行為が可能かどうかとか、どーでもよくないですか?(゚Д゚)≡゚д゚)、カァー ペッ!! バカじゃねーかと。

 

映画を観る前に「ランド・カルリジアンはパンセクシュアルとして描かれる」という情報を耳にしたので、てっきり非ヒューマノイド型の恋人でもいるのかと思ってたら、相手がロボットだったとは。それはさすがにどーでもよ過ぎる。

 

それに人間的なドロイド、というのはすでに『ローグ・ワン』で描かれていて(しかもその最期も酷似している)、二番煎じに見えたし。『エピソード1 ファントム・メナス』では、C-3POと同じ型のドロイドが女性の声で喋っていた。

 

あらためて「ドロイドに性別はあるのか?」という疑問を提示しているのは興味深くはあるが、R2-D2もBB-8も性別は不詳でC-3POは喋り方がオネェっぽかった。最初からドロイドの性別は曖昧だったんだよね。

 

それをわざわざ恋をする女性とか同性愛者のように性を限定するというのは、せっかくのSF的な世界観をわざわざ現実のそれに狭めている気がして、なんかノれませんでした。

 

ドロイドというのは別に奴隷やマイノリティのメタファーじゃなくて、ちょっとペットの動物みたいだったり、あるいは人間ならざる彼らが人間のように振る舞ったり、3POみたいに人間の行動を理解できなかったりする様子がユーモラスだったんだよね。なんかそこんとこを勘違いしてる気がする。

 

だって、たとえば部屋を掃除するルンバに性欲を感じるか?ルンバとセックスしようと思いますか?って話でしょ。ルンバには自由も人権もないけど、だからってそんなことに真剣に悩んでどうする。人種問題とかLGBTQについて描きたいのなら、相手はロボットじゃなくて異星人同士の方が理解しやすいと思う。

 

L3のナヴィ・システムが組み込まれることによってミレニアム・ファルコン号が「銀河一速い」宇宙船になった、という展開は好きだったですが。自意識のあるドロイドが宇宙船に宿っている、というのはちょっと泣けるところではある。

 

ただし、ハイパースペース内でハンたちが乗るファルコン号を追うあの巨大なイカだかタコみたいな生物には感心しなかった。

 

『フォースの覚醒』にもなんだかよくわかんない吸盤のついた巨大な怪物が出てきてハリソン・フォード演じるハンたちを追っかけてたし、『ローグ・ワン』にさえ尋問用のタコチューが登場していた。ローレンス・カスダンやディズニーの人たちは何か巨大な軟体生物にオブセッションでもあるんだろうか。イカやタコはもういいよ。飽きた。ちょっとあまりにも芸がなさ過ぎる。

 

スター・ウォーズにはこれまでたびたび巨大生物が出てきて主人公たちを危機に陥れていたけど、でも『ハン・ソロ』ではあんな怪獣とかではなくて(どうしてもクリーチャーを出したいんなら、EP5でハンの台詞の中に出てきた“ガンダーク”を出せばよかったのでは。EP2でもオビ=ワンが台詞でその名前を出していた)、ボバ・フェットとか賞金稼ぎたちと宇宙船で競争すればよかったんじゃないのか。宇宙を舞台にした“西部劇”なんだったら、馬代わりの宇宙船同士の戦いを描かないと。

 

ミレニアム・ファルコンとボバ・フェットが操る“スレーヴI”の戦いなんて、スゲェ観たいじゃないですか。なんでそれを描かないのか。

 

この映画にはやたらと台詞の中にどっかで聞いたような名前が出てくるんだけど(『ローグ・ワン』に登場した惑星の名前も)、ジャバたちと同じく実際にその姿を映さないんだよね。それはつまんないでしょ。

 

多分、その辺のくすぐりはカスダン親子の息子の方が書いたんだと勝手に想像してるけど、そういう「わかる奴にはわかる」的なヲタクウケを狙うことこそ、本来もっとも戒めなければならないんじゃないだろうか。アクション映画は映像で「見せなきゃ」わかんないんですよ。なんでもかんでも台詞に詰め込んで事足れりとするのはアクション映画としては失格。

 

僕は『ローグ・ワン』の感想で、若き日のハン・ソロと『ローグ・ワン』の主人公ジンがどこかの星で出会うかもしれない、と書いたんですが、そういう話だってできただろうし。

 

そしたらスピンオフ同士で物語が繋がるでしょ。「アベンジャーズ」シリーズでやってることがスター・ウォーズでもできるのです。面白そうじゃん。

 

そういう工夫が何もなくて、登場人物たちは単発で出てきてその作品の中で退場する。そして二度と出てこない。それはずいぶんと無駄ではないだろうか。シリーズを作り続けてる意味があまり感じられないんですよね。登場キャラを大切にしていない。台詞の中だけで星の名前や人物名だけを言っててもしょうがないんですよ。

 

ポール・ベタニーは好きな俳優さんだしその演技もよかったんだけど、残念ながらこの映画で彼が演じたドライデンには犯罪組織のボスとしての凄みはあまり感じられなくて、そんなに怖くもない。

 

組織自体も少人数で、なんでベケットがそんなに彼らを怖れるのかもわかんないし。彼がもぐりこんでいた帝国軍の方がよっぽど厄介じゃないか。

 

ドライデンは格闘技の使い手、という設定だけど、そんなに強そうにも見えなかった。ブラスターで撃たれたら終わりでしょ。

 

いや、彼のバックには別の大物が控えているので敢えてああいう描き方をしたともとれるけど、もともと腕が複数あるエイリアン型のキャラクターだったわけで、外見や出演者の変更によってドライデンのキャラクターとしての魅力が減じてしまったことは否めない。

 

この映画における悪の親玉は彼なんだから、それがあまり強くも怖くもないのでは困る。

 

で、その大物の件なんですが、ラストにキーラの前にホログラムで登場するのがダース・モール改め、ただのモールさん(レイ・パーク)。もうシスの暗黒卿じゃないから“ダース”はとれちゃったのか。

 

 

 

ドライデン・ヴォスを陰で操っていたのは彼だった、というオチ。

 

悪役としてのダース・モールはかっこいいから好きでしたが、しかし彼は『エピソード1 ファントム・メナス』でへっぴり腰のユアン・“オビ=ワン”・マクレガーにライトセイバーで真っ二つにされたではないか。

 

 

 

…ボンドで身体をくっつけたのか?それともフォースの魔法を使って生き返ったの?

 

映画以外のメディアではどうやらダース・モールは死んでなくて復活するらしいんだけど、そんなことはこれまでの映画では一切描かれていないし、だいたいあんなふうに身体を上下に一刀両断されたのに生きてるなんて、そんなことが可能ならもうなんだってアリじゃないか。

 

 

 

どう考えても完全に死んでるはずのキャラが実は生きていた、って、ほとんど「ワイルド・スピード」シリーズのノリ。

 

あぁ、SWもついにこういうふうになってしまったか、と。

 

サプライズのためのサプライズ。人気があるキャラは死んでも生き返る。そうなってしまったらシリーズ物も末期だと思う。

 

この分だと、いずれボバ・フェットはサルラックの腹から這い出してきそうだし、レイアに絞殺されてセール・バージごと吹っ飛んだはずのジャバ様だって実は死んでなかったことにもなりかねない。

 

皇帝やダース・ベイダーだって映画の作り手の都合でいつでも蘇るだろう。

 

※追記:2021年現在、以上の予想のうち2つが的中している。

 

モールさんが生きてたってことは、じゃあ、『ファントム・メナス』でのクワイ=ガン(リーアム・ニーソン)の犠牲も、オビ=ワンの勝利も無意味だったということだよね?それでいいんですかね。

 

僕はそれは『フォースの覚醒』でハン・ソロを、『最後のジェダイ』でルークを無残に殺したことと同じぐらい過去作に対する酷い裏切りだと思うんですが。

 

しかも、お話はそれで終わってしまうので、キーラのその後は不明だし、今後モールさんが別の作品で再登場するのかどうかもわからない。尻切れトンボのまま映画は終了する。そんなとこで「アベンジャーズ」の真似しなくてもいいのに。

 

1本の映画としても完結もしていなければ連続モノとしての醍醐味もない。つくづく残念ですね。

 

過去作のキャラクターへの思い入れをひとまず措いても僕が一番飲み込みづらかったのは、映画の前半で貨物コンテナの中のハイパー燃料「コアクシウム」をベケット一行と奪い合っていたエンフィス・ネスト(エリン・ケリーマン)の正体が若い女性で、彼女が率いるクラウド=ライダーズが実は盗賊ではなくて犯罪組織への反乱者であることがわかる後半のくだり。

 

ベケットやハンはエンフィス・ネストの目的を知った途端にそれまで敵対していたはずの彼女たちへの態度をコロッと変えて、ハンに至っては大金になるコアクシウムまでほとんど譲ってしまうんだけど、それはおかしくないか。

 

 

 

だってベケットはクラウド=ライダーズに邪魔されたせいでコアクシウムを手に入れ損なって仲間のヴァル(タンディ・ニュートン)やリオ(声:ジョン・ファヴロー)が死に、ドライデンに責任を問われる羽目になったんだし、ハンやチューイだって命が危険に晒されたんだから、そんな相手となんで急にわかり合ってんのか意味がわかんない。彼らの心情を考えたら全然納得いかないんですよね。

 

 

 

 

そうじゃなくて、たとえばエンフィス・ネストがドライデンに殺されたことでハンの心が揺れて、最終的に彼女の仲間たちにコアクシウムを譲ることにするとかさ。普通はそういう作劇にしないですか?

 

キーラから「あなたはイイ人(Good Guy)よ」と言われて「俺がイイ人なわけがない」と答えていたハンが、ちょうど『新たなる希望』でレイアたち反乱同盟軍に協力したように、ここで自称“アウトロー”のハンの中にある善良な心が垣間見えるという描き方はできたと思うんだよね。

 

でも描き方が巧くないから、いちいち引っかかってしまう。

 

映画でシナリオがいかに大事か痛感しました。

 

カスダン親子とロン・ハワードには黒澤明の『用心棒』を観て勉強し直してもらいたい。

 

 

僕はこの映画、IMAX2Dと通常版で計2回観まして、そのうえで感じたことを書きました。かなり上から偉そうにものを言いましたが、最低限払うもの払ってるんだから意見を言う権利はあると思っている。繰り返しますが面白いところもあった。

 

追ってくるタイ・ファイターを撃退する場面にジョン・ウィリアムズのあのお馴染みの曲がかかると、「おっさん転がし」なのはわかっててもやっぱり燃えちゃうし。

 

ハンやチューイ、ランドたちはエピソード4や5以降に登場することが決まってて彼らがいきなり死んでしまうことはないし、*そういう意味では安心して観ていられました。

 

文句も言ったけど、この映画を楽しんで「好き」だと感じているかたがたに難癖つけるつもりはありません。

 

シリーズもこれだけ本数が増えたんだから、好きな作品や中には苦手だったり受け入れがたいものもあって当然じゃないかと思う。

 

この『ハン・ソロ』は別にコケたわけじゃなくて日本でも普通にお客さんは入ってるようで今後最終的にどのような評価が下されるのかわからないし、ボバ・フェットやオビ=ワンを主役にしたさらなるスピンオフの企画も、やれ見直しになっただの、いやまだ立ち消えてはいないだのといろいろ言われてて確定してませんが、せめて続篇を同じキャストで作って今回描き漏らしたエピソードにしっかりケリをつけてもらいたい。そこでジャバやボバも出してくれたら、僕のこの映画の評価もかなり変わってくると思う。

 

なので、ヒットさせるためにも、皆さんぜひ劇場へどうぞw

 

※つい2~3日前に、来年公開のエピソード9にランド・カルリジアン(ビリー・ディー・ウィリアムズ)が再登場する、という情報が入ってきたんだけど、まさかJJ(EP9の監督)の奴、ランドまで殺るつもりじゃねーだろうな。嫌な予感しかしない。もしほんとにそうだったら一生奴を許さないヽ(`Д´)ノ

 

 

関連作品

『ブルージャスミン』

『イノセント・ガーデン』

『ヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネイジ』

『グランド・イリュージョン』

『ターミネーター:新起動/ジェニシス』

『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』

『ワンダー 君は太陽』

 

 

 

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