ギャレス・エドワーズ監督、フェリシティ・ジョーンズ、ディエゴ・ルナ、アラン・テュディック、リズ・アーメッド、ドニー・イェン、チアン・ウェン、ベン・メンデルソーン、マッツ・ミケルセン、フォレスト・ウィテカー出演の『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』。

 

遠い昔、はるか彼方の銀河系。帝国軍が建造した究極兵器デス・スターの設計者ゲイレン・アーソ(マッツ・ミケルセン)を父に持つジン・アーソ(フェリシティ・ジョーンズ)は、お尋ね者として帝国軍に捕まり収容所へ移送中に反乱同盟軍に助けられる。元・帝国軍パイロットのボーディー(リズ・アーメッド)を介して父ゲイレンから彼女の育ての親ソウ・ゲレラ(フォレスト・ウィテカー)に送られたメッセージによって、ジンはデス・スターに隠された秘密を知る。帝国の新兵器の鍵を握るゲイレンを捜すキャシアン・アンドー(ディエゴ・ルナ)をはじめ同盟軍基地でめぐりあった有志たちとともに、ジンは「ローグ(ならず者)・ワン」としてデス・スターの設計図を奪取するために戦う。

 

「スター・ウォーズ」シリーズのスピンオフ作品第1弾。

 

去年公開された『エピソード7 フォースの覚醒』よりも時代はさかのぼり、『エピソード4 新たなる希望』の冒頭の10分前までの物語が描かれる。

 

監督は『GODZILLA ゴジラ』のギャレス・エドワーズ。


 

 

僕は『GODZILLA ゴジラ』を結果的にかなり酷評してしまったので(面白かったところもあるけれど)、その監督が撮る“スター・ウォーズ外伝”は、さてどうなのだろうと若干心配していたんですが(撮り直ししたとかいうニュースも聞こえてきたので、なおさら)、初めて劇場で予告篇を目にした時にまったく不安な感じがしなかったというか、「…これはかなり燃えるんではないか」という予感がして、もう楽しむ気満々で映画館に向かったのです。

 

ちなみに僕のスター・ウォーズに対する立場を申し上げておくと、「旧三部作(エピソード4~6)」原理主義者、もしくは絶対主義者ですw

 

俺も俺も!というかたもいらっしゃれば、「あぁ、懐古厨のオッサンね」と溜息をつかれるかたもいらっしゃるかと思いますが、基本的には誰がシリーズのどの作品を好きだろうとそんなのは人の自由だと思うし、そのことにいちいち文句を言うつもりはありません。

 

だがしかし、エピソード4~6(『新たなる希望』『帝国の逆襲』『ジェダイの復讐(帰還)』)というのはすべての原点にして中心であって(エピ4~6が抜けたら他のエピ1~3や7~9のお話も繋がらないし)、個人的に好きかどうかは別にしてそれらをないがしろにしたり、ましてやディスったりするような輩はスター・ウォーズのファンの名に値しない、という考えは揺るがない。それだけは譲れない。

 

で、そんな(何様のつもりな)僕にとって今回の『ローグ・ワン』はどうだったかというと…

 

とっても面白かったですよ(^o^)

 

IMAX3Dと2D字幕版を鑑賞。

 

 

 

量産型ベイダーみたいなデス・トルーパーがかっこいい

 

同じ日に続けて2回観ましたが、観れば観るほど何か胸に迫るものがあって、ちょっと涙ぐんじゃったほど。

 

シリーズ初のスピンオフ(イウォークが主役の2本の作品は…まぁ、テレビ映画ですし^_^;)として、十二分に堪能しました。年が明けたらもう1回ぐらい観たい(今度は4DXがいいなぁ)。

 

だから、『GODZILLA ゴジラ』の時みたいに途中でブチギレて酷評するつもりはありません。

 

で、これ以降は『ローグ・ワン』の内容についてはもちろん、不用意にこれまでのシリーズ作のネタバレもぶっこむ可能性があるので、まだ過去作をご覧になっていないかた、これから観る予定のかたはどうぞ予習のあとでまたお立ち寄りいただければ。

 

とりあえず、スター・ウォーズ・ビギナーのかたは、旧三部作(『新たなる希望』『帝国の逆襲』『ジェダイの帰還』)を事前に観ておくことをお勧めします。

 

これからは「スター・ウォーズ」シリーズを観ていること前提で書いていきますので、意味がわからないかたは申し訳ありません。

 

 

思えば、女性が主人公のスター・ウォーズが作られるなど、以前には考えられただろうか。

 

 

 

 

『フォースの覚醒』については僕は残念ながら否定的な気持ちの方が強いのですが、それでもあの作品が画期的だったのはやはり若い女性が主人公だったこと。

 

キャリー・フィッシャーが演じたレイア・オーガナ姫の進化・発展系としてのヒロイン。

 

自ら強い意志を持ち、時にリーダーシップもとって銃を手に戦う女性。

 

今回、フェリシティ・ジョーンズが演じる主人公ジンは自立した女性であるとともに、銀河帝国軍の科学者を父に持つ。

 

 

 

彼女自身は幼い頃に父ゲイレンと別れて以来、帝国の目を盗んで生きるために犯罪を行なうアウトローとなっていたが、出自だけ見れば本来なら「悪役側」のキャラクターだ。

 

それだけでもこれまでのシリーズの中では異色の主人公。

 

あるいは、そんなジンに一番近いキャラクターといえば、ハリソン・フォードが演じたハン・ソロがいる。

 

再来年公開予定のスピンオフ第2弾が若き日のハン・ソロが主役であることは、偶然ではないのだろうか。

 

もしかしたら、若い頃のハンと少女時代のジンがどこかの星で出会うようなことがあるかもしれませんね。

 

そんなふうに、この『ローグ・ワン』はスター・ウォーズの世界をさらに広げてくれた気がする。

 

銀河は広大で、多くの星があり、さまざまな文化がある。そしてそこに住む無名の人々。この映画はそれらの存在を意識させてくれる。

 

ジンは帝国の最終兵器の設計者が父親であるという運命を背負っているが、彼女はお姫様ではないし、宇宙の守護者たるジェダイでもない。

 

ただひたすら生き残るために時に汚いこともやってきた彼女だったが、父が遺した「希望」、銀河に自由と平和を取り戻すためのきっかけ、その第一歩を踏みだす力が自分にはあることを信じる。

 

そしてその想いは、ジンとともに作戦に参加した戦士たち一人ひとりの胸の内にもあった。

 

少年の頃から同盟軍で戦い続けてきたキャシアン。元は帝国軍のドロイドだったが再プログラムされて同盟軍のために戦うようになったK-2SO(アラン・テュディック)。フォースとジェダイの存在を信じる盲目の戦士チアルート(ドニー・イェン)とその頼れる友ベイズ(チアン・ウェン)。帝国軍のパイロットだったが、ゲイレンからメッセージを受け取って危険を承知でソウ・ゲレラのもとへむかったボーディー。

 

 

 

 

さらに、彼らとともに戦いに参加した幾人もの仲間たち。

 

この映画は、生き残れなかった者たちを描いた作品だ。

 

彼らが自分たちの命を燃やして繋げた「希望」。

 

その希望を受け継いだ英雄たちが、やがて帝国と皇帝を打ち倒す。

 

僕は『新たなる希望』を観た時に、ルークやハン・ソロ以外の、戦いのさなかに死んでいったパイロットたちが最後にレイア姫からメダルをもらえなかったことに釈然としないものを感じていたのだけれど(ビッグス~(T_T)/~~~)、『ローグ・ワン』ではまさにその死んでいった、歴史に残らなかった者たちがクローズアップされていて、そういう部分でこの映画はスター・ウォーズ史を見事に補完していたと思うのです。

 

 

 

これまで顧みられなかった者たちがここでは活躍している。

 

そして散っていく。これは泣くよ(TωT)

 

『新たなる希望』でルークとともに戦い、タイ・ファイターの攻撃で宇宙に消えていったレッドリーダーやゴールドリーダーが『ローグ・ワン』でも顔を見せる(あれは『新たなる希望』の未使用映像を使ったのだろうか、それともCG?)。

 

ところで、僕はこの映画を観る前は、エピソード4の前よりも『エピソード6 ジェダイの帰還』の直前の物語の方がいいんじゃないのかな、と思っていたんですよね。

 

すごく細かいことかもしれないしほとんどの人にとってはどーでもいいでしょうが、『ローグ・ワン』に登場した反乱同盟軍の最高指導者モン・モスマはエピソード4に出ていてルークたちの前で「この情報を手に入れるために多くの犠牲を出しました」と言っている、と誤解してる人が意外と多いので、訂正したいんですよ。

 

モン・モスマが出てくるのは『エピソード6 ジェダイの帰還』です。

 

『ジェダイの帰還』のモン・モスマ

 

ここで語られているのは「第2デス・スター」と呼ばれる2基目のデス・スターについてで、『ローグ・ワン』やエピソード4に登場するデス・スターとは別物。

 

予告篇のこの場面は本篇にはなかったですね

 

だから、ジンたちが文字通り命を懸けて入手した設計図のおかげでエピソード4の最後にデス・スターは見事にルークの手で爆発させられるんだけど、その後またさらにデカいのが作られちゃうんだよね。

 

そんでまたしても新しいデス・スターの情報を得るために同盟軍は多大な犠牲を出している。

 

なんかそれはあまり巧くないんではないか。

 

結局、第2デス・スターでは最初のデス・スターの欠陥は改善されちゃってるわけだし、そうしたらゲイレンがクレニックと帝国軍の目を欺きながらわざとデス・スターに致命的な欠陥を残したことやジンたちの払った犠牲が無駄骨だったようにも感じられてしまう(もちろん、彼らのおかげで多くの命が救われたのだが)。

 

それと、旧三部作を通して観てもらったらわかるけど、1作目『新たなる希望』には黒人やアジア系の俳優はいなくて、ほぼすべての出演者が白人。

 

それは1976年当時、セット撮影にイギリスのスタジオが使われてそこで現地の俳優たちが出演したから、という事情があるんだけど、今観るとほんとに不自然なほど白人しかいないんだよね。また登場する女性の数も少ない。

 

黒人の出演者が初めて登場するのは『エピソード5 帝国の逆襲』だし、アジア系の俳優が登場するのは(Xウィングのコックピット内のパイロット役のみ)『エピソード6 ジェダイの帰還』まで待たなければならない。

 

だから、ようやくアジア系の出演者が目立つ形で登場した『ローグ・ワン』(『フォースの覚醒』でも提督役で約1名だけ登場していた)は、むしろ『ジェダイの帰還』の直前の話の方がよかったんじゃないのか、と思っていたのです。

 

 

 

そうすれば、ジンたちの活躍は直接的に帝国の崩壊に繋がるわけだから。

 

ただ、そうすると『エピソード5 帝国の逆襲』が終わった時点ですでにルークはダース・ベイダーと出会っているし、ベイダーと自分の関係も知ってしまっているから、物語上いろいろめんどくさいことになるでしょうけどね。

 

しかも『ジェダイの帰還』で同盟軍に第2デス・スターの情報が漏れたのにはカラクリがあったわけで。

 

ターキン総督はエピソード4の最後にデス・スターと命運をともにするからエピソード6直前だと出せないとか、レイア姫のお団子ヘアもエピソード4の時だけなので、『ローグ・ワン』がエピソード4の直前でなければならない理由はいくつもあるし、エピソード4でのベイダー卿はまだその地位がなんとなく不安定で(ターキン総督の片腕っぽかったし、モッティ提督には「君のそのフォースとやらでデス・スターの設計図が取り戻せたかね?」と嫌味を言われたりする)、だからこそ『ローグ・ワン』のベン・メンデルソーン演じるクレニック長官とのやりとりも緊張感があった。

 

『ローグ・ワン』の時点では、皇帝>ターキン総督>?ダース・ベイダー>クレニック長官>将軍、提督

 

みたいな序列があって、そこがなかなか面白いんですよね。

 

『帝国の逆襲』でのベイダーはすでに皇帝に次ぐ地位を得ていて、使えない提督を殺したりかなり好き勝手やってましたから。

 

それに、やはりシリーズの第1作目の直前、というのがインパクトがあるわけで、だから痛し痒しというか、こっちを立てればもう一方の筋が通らなくなる、といった歯痒さも感じるんですが、それは作品自体の評価とは別ですし。

 

この『ローグ・ワン』が見応えある映画であることは間違いないでしょう。

 

ツッコミどころも含めて、スター・ウォーズが好きならいろいろ語りたくなる作品じゃないかな。

 

どのキャラクターの目線で観るかによっても感じられ方は変わってくるでしょうし。

 

たとえば、この映画をクレニック長官の視点で観ると、中間管理職のツラさが実感できる、みたいなw

 

 

 

クレニックは帝国軍の長官でありながら、その弱さも含めて実に人間臭いキャラクターで、彼の存在がこの映画をなんともいえない味わい深いものにしてるんですよね。

 

クレニックはゲイレンとは旧知の仲で、互いにエリート同士でもある。

 

彼の必死さには涙ぐましいものがあって、成り上がるために古き友も利用し、また総督やベイダー卿の地位も虎視眈々と狙っている。

 

デス・スターの実験についてはターキンに「皇帝に直接ご覧いただきたい」と願い出たり「あなたの手柄ではない!」と詰め寄り、デス・スターの完成によってベイダーの地位も脅かせると心の中でほくそ笑んだりもする。

 

彼自身は自分のことを策士だと思っている。しかし実際には捨て駒に過ぎない。

 

デス・スターの設計図が取り戻せなければ、もしものことがあれば、その時点で責任を負わされクレニックの未来は絶たれる。

 

全宇宙のサラリーマンが泣くシチュエーションw

 

事実、デス・スター完成のためにもっとも尽力したともいえる彼は、皇帝に謁見することすらかなわないまま惑星スカリフで自らが陣頭指揮したデス・スターのレーザー砲によって消滅する。

 

クレニックもまた、銀河の歴史にその名を刻まれなかった者の一人なのだ。

 

悪役にまで哀愁を感じさせるスター・ウォーズ。

 

これは、『帝国の逆襲』でハン・ソロを取り逃がしたためにベイダーに見せしめに粛清されてしまうニーダ艦長の哀しみに通じるものがある。

 

この作品には端々にこれまでの「スター・ウォーズ」シリーズの片鱗を見ることができて、これは監督の力なのか脚本のジョン・ノールの功績なのかわかりませんが(※再撮影と仕上げの編集を行なったトニー・ギルロイのおかげだそうです)、見事だな、と。

 

僕が言ったんじゃないですが『GODZILLA ゴジラ』での評価もそうだったように、しばしば監督のギャレス・エドワーズは、人間が、人間ドラマが描けない人、みたいに言われてて、好きな人には悪いですが、僕も『GODZILLA ゴジラ』に関してはそう思いました。

 

怪獣が暴れる場面以外の人間たちの芝居が恐ろしく退屈だったから。

 

この『ローグ・ワン』でも、登場人物たちに魅力がない、とか、前半が退屈、みたいな感想を散見して、繰り返しになるけれど、確かに旧三部作を観ずにいきなりこの作品を観たらそういう評価になるのもわからなくはないな、と思います。

 

でも一見地味な前半にこそ後半の怒涛の展開に向けてのタメがあるのだし、僕はライムスター宇多丸さんが不満を述べられていたようにこの映画の前半部分が退屈だとはまったく思わなかったですけどね。

 

どこの誰なのかよくわかんない奴らが集まってきて、ともに戦うことになる。

 

その過程を実に丹念に描いてたじゃないですか。

 

この映画は、言葉ではなく「戦い」そのもので“ローグ・ワン”のメンバーたちの絆が生まれる様子を描いている。

 

確かに『七人の侍』のような集団劇を期待すると、肩透かしを喰らってしまうかもしれない。

 

『七人の侍』は百姓の村を守るために食いっぱぐれた浪人たちが地位や報酬も顧みずにおのれの命を投げ出して戦う時代劇の傑作で、ギャレス・エドワーズも言及しているように『ローグ・ワン』と通じるものが大いにある(スター・ウォーズの元ネタの一つでもある)。

 

でも、『ローグ・ワン』のチームは同じ場所で一緒に戦うんではなくて、各自それぞれの持ち場で自分の役割を果たすのだ。

 

シリーズの創造主ジョージ・ルーカスが自ら撮って失敗してしまった『エピソード1 ファントム・メナス』のクライマックスのゴチャゴチャ感とは違い、『ローグ・ワン』は『エピソード6 ジェダイの帰還』のクライマックスをなぞるように、いくつもの場面がクロスカッティングによって同時進行する。

 

その手際は『ジェダイの帰還』に次いで成功している。

 

 

 

あれこそシリーズに対する最大のオマージュであり、そのラストが原点『新たなる希望』に続く、というのはもう感動以外のなにものでもない。

 

もっとも、不満もあります。

 

勿体つけて登場したフォレスト・ウィテカー演じるソウ・ゲレラがほとんど何の役にも立たないままあっさり死んじゃったり(ボーディーを責めるあのイカタコ・モンスターも意味不明だった)、さっきまでゲイレンの死のことで言い争っていたジンとキャシアンがその直後のシーンでわかりあってたり、ストーリー的に「ん?」ってのはちょこちょこある。

 

 

 

ソウの出番が少ないのは映画の尺の都合かもしれませんが、たとえばジンが同盟軍の基地でみんなにデス・スターの設計図奪取の計画を提案する時に、それを黙って聞いているキャシアンの表情を一つ入れることで、そのあとの和解と「ローグ・ワン」結成のシーンはスムーズに繋がったんじゃないだろうか。

 

あと、エピソード4でターキン総督を演じたピーター・カッシングはすでに90年代に亡くなっているので、『ローグ・ワン』ではもちろんCGを使って顔を本人に似せているんだけど、意外と出番が多くてあそこまで彼を見せる必要があったのかな、と思う。

 

『新たなる希望』のターキン総督

 

それはこの映画のラストに登場するレイア姫も同様。

 

特に明らかに手が加えられていることがわかるレイアの顔(ターキンもレイアも代役が演じて顔をCGで修正している)はキャリー・フィッシャー本人の顔とは微妙に異なっていて、なんとも気持ちが悪かった。

 

2枚目は『新たなる希望』のキャリー・フィッシャー本人(3枚目)の顔を貼ったもの。比べると結構違う

 

だいたい、映画の最後を締めるのがCGで顔イジられたキャラってどーなのよ。

 

あそこはレイアの後ろ姿だけ見せるとか、せめて横顔や口許だけとか、さりげなく余韻を持たせる見せ方にすべきだったでしょう。

 

ターキンにしても、ほんの一瞬その顔を見せることで観客に鮮烈な印象を与えることだってできたかもしれないのに。

 

あれはまさしくテクノロジーを過信した結果だった。

 

エピソード4での「いかに惑星を破壊しうる力があろうとも、フォースに比べれば物の数ではない」というベイダーの台詞のように、本物の人間に比べればCGによるデジタルダブルはまだまだただの作り物でしかない。

 

我らがダース・ベイダーがアンティリーズ船長の宇宙船タンティヴIVに迫り同盟軍の兵士相手に大暴れするラストは爽快だけど、あの慌ただしい展開はちょっと『エピソード3 シスの復讐』のラストを思わせもして、僕はあの映画はシリーズのマイ・ワーストワン(追記:その後、『エピソード8 最後のジェダイ』がワーストワンを更新)なのでそこはオマージュしなくていいよ、と(;^_^A

 

そういった「そこは違うでしょ!」っていうところもなくはないんだけど、でも僕はこの映画のおかげで、これまで作られてきた「スター・ウォーズ」シリーズの各作品がどこか1本の線で繋がったような気がしたんですよね。

 

この作品によってエピソード3と4が繋がり、女性戦士ジンが託した「希望」はレイアに手渡され、やがてそれはさらに若き世代のレイへと受け継がれた。

 

ヒロインたちが繋ぐ「希望」。スター・ウォーズの新たなる解釈だ。

 

英雄たちの陰に、多くの無名の戦士たちの無私の犠牲があった。

 

スター・ウォーズ史において、主人公とその仲間が最後に全員死んでしまうなんて前代未聞だ。

 

これからだってありえないかもしれない。

 

だからこそこの『ローグ・ワン』はかけがえのない作品であり、スター・ウォーズのファンにこれからも興奮と涙を与えてくれるだろう。

 

この映画は、けっして過去の作品を否定したり見下すようなものではなくて、むしろそれらに最大限の敬意を払っている。

 

それが証拠に、この映画を観たら旧三部作が無性に観たくなる。

 

『ローグ・ワン』はスター・ウォーズの語り直しでもある。

 

宇宙を舞台にした剣と魔法とドラゴンの登場する「おとぎ話」だった旧三部作に強い思い入れがある人たち(僕もですが)の中には、「こんなの俺の愛したスター・ウォーズじゃない!」と感じるかたもいらっしゃるだろうけれど、これが同じ世界を違う視点で描いた「外伝」だと思えば、これはこれでアリといえるんじゃないか。

 

古典的な英雄譚を現代に復活させた旧三部作がお気に入りの僕みたいな人もいれば、ジェダイたちがピョンピョン飛び回っていたCG絵巻みたいなプリクエル三部作こそが「ほんとのSW!」と言ってる人たちもいる。

 

『フォースの覚醒』こそ至高!という人もいれば『ローグ・ワン』が最高傑作、と言い張る人たちもいる。

 

いろんな奴がいる。

 

この映画はそういうことを描いてもいたのだ。

 

さまざまな出自と経験を持つ者たちが、ほんのひとときともに戦い、散っていった。「希望」のために、一瞬だけでも一つになれたいくつもの命があった。

 

それはまるでスター・ウォーズを愛するすべての人々のようではないか。フォースに導かれた者のように劇場で今か今かと開映を待つ僕たち観客がつかの間夢見る時間、そこでは奇跡が起こる。

 

“スターダスト”は「希望」の言葉。

 

出演者のことなど語りたいことはまだあるけれど、先日、一足先に銀河の彼方へ旅立ったレイア姫を想いながら、今日はこれぐらいに。

 

May the Force be with you.

 

キャリー・フィッシャーさんのご冥福をお祈りいたします。

 

 

 

追記:

 

その後、年が明けてから4DX吹替版を鑑賞。

 

この作品、シリーズ中では一番4DX向きだと思ったなぁ。特に機体の固定キャメラ風の視点が多用された後半のドッグファイトシーンは迫力ありました。

 

すでに一日の上映が1回になっていたので、タイミングが合ってよかった。

 

吹き替えでは、大平透さんなきあとベイダーの声を誰が演じるのだろう、という興味があったんですが、楠大典さんでした。ベイダーも若返りましたね。

 

去年も『フォースの覚醒』を4DXで観ましたが、これから毎年1年の初めにスター・ウォーズ関連作を4DXで観ることになるのかな(もうちょっと安くしてくれるとありがたいんですが…)w

 

 

関連記事

追悼 キャリー・フィッシャーさん

『スターウォーズ エピソード4 新たなる希望』

『スターウォーズ エピソード5 帝国の逆襲』

『スターウォーズ エピソード6 ジェダイの帰還』

スター・ウォーズ エピソード1~3についての雑な感想

『スター・ウォーズ エピソード7 フォースの覚醒』を観る前に

『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』と『クリード チャンプを継ぐ男』

『ファンボーイズ』

ストームトルーパーの叫び

 

 

 

にほんブログ村 映画ブログへ にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ