J・J・エイブラムス監督、デイジー・リドリー、ジョン・ボイエガ、オスカー・アイザック、ヨーナス・スオタモ、ナオミ・アッキー、ケリー・ラッセル、ドーナル・グリーソン、ケリー・マリー・トラン、リチャード・E・グラント、キャリー・フィッシャー、ビリー・ディー・ウィリアムズほか出演の『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』。

 

のっけからネタバレ全開ですので、内容を知りたくないかたは鑑賞後にお読みください。

 

 

かつて“エンドアの戦い”のさなかに葬られたはずの銀河帝国の皇帝パルパティーン(イアン・マクダーミド)が蘇った。レイ(デイジー・リドリー)やフィン(ジョン・ボイエガ)、ポー(オスカー・アイザック)らレジスタンスはパルパティーンの潜む星エクセゴルを探すが、地図にも載っていないその星にたどり着くためには2つのデバイス「ウェイファインダー」が必要だった。生前ルーク(マーク・ハミル)がたどり着いたがそこで行き詰まった惑星パサーナへ赴いたレイたち一行は、禁断のシスの古代文字が刻まれた短剣を手に入れる。

 

専門用語とか登場人物について細かい説明をしないので、これまでスター・ウォーズを観たことがなかったり、この『スカイウォーカーの夜明け』を未鑑賞のかたは意味がわからないと思います。あしからずご了承ください。

 

エピソード1から続くスター・ウォーズ9部作の完結篇。レイ(シークエル)三部作の最終章。

 

2015年の『エピソード7 フォースの覚醒』から新たに始まった物語が終わりを迎えるとともに、1977年の第1作『エピソード4 新たなる希望』から42年の時を経てついにスター・ウォーズにひとつの大きな区切りがつく、ということで、ともかく最期を看取るつもりで観てきました。

 

3年後の2022年からさらなる新シリーズが開始、というアナウンスがすでにされているから、本気でその終焉に涙を流す人がどれだけいるのかわかりませんが。

 

少なくともルークやハン・ソロ、レイアが活躍したシリーズはこれでおしまいなので、そこはファンの皆さんはいろいろ胸に去来するものがあるかもしれませんね。

 

さて、『フォースの覚醒』とその次の『エピソード8 最後のジェダイ』ではあえて2種類の感想を書きましたが、今回は最後ですし、「光と闇」が一つになるわけですから感想も一つにまとめたいと思います(しんどいし^_^;)。

 

『フォースの覚醒』【ライトサイド篇】【ダークサイド篇

 

『最後のジェダイ』【ライトサイド篇】【ダークサイド篇

 

 

鑑賞後に何か込み上げてくるものがあるだろうか、と思っていたんだけれど、清々しいほどさっぱりしていて、頭にクることもなければSWの思い出が走馬灯のように浮かんで思わず落涙…みたいなことも特になかった。

 

そして、思いましたね。…あぁ、これでスター・ウォーズを卒業できそうだな、と。

 

残念ながら、映画が素晴らしかったから、ではないのですが。

 

ただ、前作『最後のジェダイ』で怒りと憎しみのパワーを出し尽くしちゃって、もはや本気でキレる気力もなくて。魂が抜けたような状態^_^;

 

最後なんだから怒ったってしょうがないし。俺が怒ったところでエピソード7~9を作り直してもらえるわけでもないんだから。

 

なので、やる気なさげな書き方をしますが、それが今の正直な心境です。基本、褒めていません。

 

後半はずっと薄暗い場面が続くもんだから、催眠効果がスゴくてウトウトしてしまった。

 

この映画は、光が激しく点滅するシーンが多いので、そういうのに過敏なかたは要注意です。TV放映の時は凄まじい修正が入るんだろうな。観づらそう。

 

しょっぱな、いきなり冒頭のオープニング・クロールで「パルパティーンが復活」みたいな説明があって椅子からズリ落ちる。そこ省略しちゃうんだ、と(;^_^A これまでの話をすっ飛ばす結構なビックリ展開だと思うんだが。

 

で、そのおじいちゃんを捜してレイたちがあちこち行くんだけど(この三部作はジジイを捜してばかりいる気がするが)、そのレイをファースト・オーダーの最高指導者カイロ・レンが追う。

 

しかし、このカイロ・レンさんが、まぁ、ポンコツ過ぎて。今に始まったことではないけれど。

 

レイを殺そうとしたり生かそうとしたりパルパティーンに従ったり、「いや、俺は従ってない」と言い訳したり。何がやりたいんだかさっぱりわからない。

 

祖父のダース・ベイダーのようにダークサイドを極める、みたいなこと言ってたのはどうなったの?

 

カイロ・レン=ベン・ソロというキャラクターに関しては、演じているアダム・ドライヴァーという俳優の方が完全に役柄を超えてしまった例ですよね。この『スカイウォーカーの夜明け』では、もうドライヴァーがカイロ・レンという中途半端なキャラに飽き足らなくなっているように見えた。もっとマシなシナリオだったら、彼はベン・ソロをもっともっと魅力的で記憶に残る人物として演じてくれただろう。

 

前作でこのカイロ=ベンにあっちゃり殺られちゃったスノークはクローンかなんかで、その正体はワシだったんじゃあ、とドヤ顔で真相を語る黒頭巾のジジイ。

 

…だったらさぁ、あんなブサイクなおっさんじゃなくて、最初からあんたが直接顔見せた方がよっぽど効果があったんじゃないの?銀河帝国の復活を望む連中は大勢いるんだから。

 

J・J・エイブラムスが『フォースの覚醒』の時点で先のことを何も考えてなかったのがモロバレなんですけど。そもそもパルパティーンだって出てくるかどうかは確定してなかったそうだし。

 

だいたい、クローン技術で蘇った、って…どーゆーこと?あんた死んだんでしょ?

 

それにクローン技術(ここでいう“クローン技術”というのは現実の世界のそれのことではなくて、SWやSF映画などでしばしば用いられる便利な技術のこと)を使ってるんだったら、ジジイのままじゃなくて若かった頃のパルパティーンを出しゃいいでしょうに。そしたら新鮮だし、より強敵っぽくなっただろうから。

 

そういう新しいアイディアがほとんどないんですよね、この映画には。『フォースの覚醒』でやってたことを上塗りしてるだけ。旧三部作(EP4~6)にチョイチョイと手を加えてかっこよさげで感動げなことやってるだけで。

 

この人の作った連続TVドラマを僕はちゃんと観たことがないんですが、あちらのTVドラマなら少年ジャンプ方式で先のストーリーや設定を何も決めずにどんどんお話を繋げていくような方法で通用するかもしれないけど、それを映画、よりによってスター・ウォーズでやってしまったのは、救いようがないほど愚かな行為だと思う。商売は得意なのかもしんないけど、僕はこの人を映画監督だとは思いたくない。もう、バンサの餌にでもなればいいのに。それかサルラックに食われて腹の中で1000年間もがき苦しめ。

 

このシリーズが壊滅的にダメだと思う理由の1つはシナリオで、とにかく物語をやたらと入り組ませてるわりにはストーリーテリングの面白さがまるでなくて、おまけに登場人物たちの台詞がド素人が書いたのかと思うほど酷い。

 

なんか会話のシーンでいちいちモタつくし、そのやりとりもまったく面白くないんだよね。

 

唯一笑えたのが、

 

ルーク「ジェダイの武器には敬意を払え」 お ま ゆ う?(;^_^A ジェダイ流のジョークか。

 

 

今回でかなり気になったのは、レイとポーがちょっとした言い争いをする場面でのポーの言葉の通じなさ。レイは「あなたってめんどくさい」と言うが、めんどくさい以前にまともに会話ができていない。

 

オスカー・アイザックが演じるポー・ダメロンって結構人気があるようですが、僕は彼のキャラが以前から苦手というか、ずっと違和感があった。キャラクターとしては彼はかつてのハン・ソロの役回りで、ジョン・ボイエガ演じるフィンはルーク、といったところ。だからポーはやたらとC-3POに対して「お前は黙ってろ」と乱暴にあしらい続ける。

 

今回、ハン・ソロの代わりに駆り出されたランド・カルリジアン(ビリー・ディー・ウィリアムズ)(右)

 

シスの古代文字を解読する場面で、これまで足手まとい扱いされてきた3POがようやく活躍するのは『エピソード6 ジェダイの帰還』でのイウォークとのやりとりの場面の反復なんだけど…違うんですよ。

 

旧三部作でのハン・ソロと3POのやりとりは一見ハンがただ3POを邪険にしてるだけに見えるけど、レイアとのキスの最中に無遠慮に声をかけてきたり、お喋りな3POにハンじゃなくてレイアが「お黙り!」とキレたり、漫才みたいなユーモラスな掛け合いだったんだよね。彼らの軽妙な会話が観客を楽しませてくれていたのです。

 

だけど、ポーと3POの間にはそういう笑いがまったくない。だから、ただ単にポーは3POにやたらとキツくあたるだけのイヤな奴になってしまっている。

 

目が危険な状態のアイアン・ジャイアントみたいになってる3PO

 

旧三部作って登場人物はほんとに必要な人数だけに絞っていて、それ以外は出番が限られてるからおのずと誰が主要キャラなのかわかったし、その限られたキャラクターたちのドラマを描いていた。

 

キャラクターはどれも類型的だったけど、それを出演者たちが彼らの演技力や役者としての魅力でカヴァーしていたんですね。漫画映画とか冒険活劇としての楽しさがあった。

 

このシークエル三部作ではやたらと登場人物が多くて、しかもそれぞれの役割が判然としないので、物語が追いにくいしキャラクター一人ひとりの描写もその分薄くなっている。

 

今回“D-O”ってドロイドが新たに登場して可愛らしいんだけど、完全にBB-8とキャラがカブってるし、ほんとに必要だったのか?と。だってその前にR2-D2だっているんだよ?同じようなキャラだらけでしょう。もう、オモチャを売らんがため、としか思えなくて。

 

 

 

前作で叩かれまくったローズ(ケリー・マリー・トラン)は今回脇に追いやられて、フィンとはこれまた新たなキャラクターのジャナ(ナオミ・アッキー)がペアを組むんだけど、前作からの流れでいくならジャナが果たす役割はどう考えたってローズが担当しないといけないはず(ご丁寧に今回も馬みたいな生き物に乗せてるし)。でも不人気だったからとっとと引っ込めちゃった。

 

 

 

 

ここはローズに挽回させるべきところでしょう。彼女に愛着を感じてる観客だっているんだし、後先考えずに登場させておいて、評判が悪かったらまるで駒のように別のキャラと交換するってのはほんとにテキトーだな、と思う。

 

おかげで『最後のジェダイ』でのローズの目立ち方が逆に不自然なものになってしまった。J・J・エイブラムスとライアン・ジョンソンはキャラクターを育てていく気もなければ、「物語」を組み上げていく能力もないことがわかる。

 

では、新しく登場したジャナはしっかりと描かれているのかといったら、フィンたちとは会ったばかりで意気投合して協力する、ただの助っ人扱いでそれ以上ではない。キャラクターの描き込みはローズよりも後退している。

 

それはポーの古くからの仲間としてまたしても新しく登場するゾーリ(ケリー・ラッセル)も同様で、要するにフィンとポーの男性キャラたちにそれぞれ女性キャラを「あてがってる」だけなんだよな。

 

 

 

 

ジャナもゾーリも描き方によっては充分魅力的なキャラクターになると思うんだけど、何せ急に出てきたもんだから、彼女たちの物語をじっくり絡ませている暇などない。

 

三部作ってことがわかってるのに、なんで前もってストーリーやキャラクターを十全に考えておかないのだろう。

 

たとえば、一部でやたらとディスられている『ジェダイの帰還』のイウォークたちでさえ、あの1作の中で何人(匹?)かのキャラクターがちゃんと描き込まれていたじゃないですか。

 

大量に新キャラを出しておいてろくに描かないもんだから、観てても登場キャラに思い入れが込められないんですよ。やたらとゴチャゴチャしてるだけで。

 

そこまでしてキャラクターグッズを売りたいのか。お金の亡者だな!

 

 

 

『フォースの覚醒』と『最後のジェダイ』ではスノークに仕えていたハックス将軍は、またまた今回新登場のプライド元帥(リチャード・E・グラント)にあっちゃり殺されちゃうし(やはりドーナル・グリーソンお得意の報われない男だったw)。元帥、今までどこにいたんだよ。なんで急に出てきたの。

 

全然お話が繋がってないんだよな。パルパティーンおじいちゃんの再登場からして、「そーゆーことなんだからイイんだよ!」と強引にぶっこんだだけだもんね。

 

だってさぁ、前作でカイロはレイのことを「酒代の代わりに売られた」とか言ってなかったっけ。何?その嘘。

 

それがなんと、皇帝の孫でした、と。

 

クローン技術で生まれたんなら、孫じゃなくて娘でいーんじゃねぇの?そのへんの理屈がよくわかんないけど。

 

レイが指先からパルパティーンのような稲妻を出すシーンだけはちょっと「オッ」と思ったけどね。

 

予告篇で映っていた赤いライトセイバーを手にするレイの姿に、彼女が「闇堕ち」するのでは、とファンがどよめいたけど、フタを開ければ「…そうでしょーね!」という類いのものでしたね。

 

爺さんよりも彼女との戦いをメインで見たかった

 

もうこのシリーズは画面に映ってるものを額面通りに信じてはいけない、ということだ。

 

確かジョージ・ルーカスは“フォース”をなんでもできちゃう便利な魔法のようには描かないようにしていたと思うんだけど、そんなことディズニーは知ったこっちゃないので、お得意の魔法で「奇跡」の大盤振る舞いをする。

 

チャットはできるわ、ジェダイ以外の死人も見えるわ、ライトセイバーをテレポーテーションさせられるわ、手をかざせば傷も治せちゃうし、死んだ人に自分の命を与えるという、まるで「光の国」の住人のような芸当まで可能。お歳暮みたいに互いに命をやりとりも。フォース最強。

 

フォースがあればなんでもできる!(アントン風)

 

旧三部作では、オビ=ワンもヨーダも死んで霊体になってからはルークの前に姿を見せたり言葉でアドヴァイスすることはあっても、物理的な力を使うことはなかった。フォースはなんでもできる魔法ではなくて、最後に奇跡と勝利をもたらすのは親子の愛であり、勇敢な戦士たちの友情と命を懸けた努力だった。

 

『ジェダイの帰還』で、ルークはライトセイバーを“捨てる”ことで最終的にダークサイドに勝利した。

 

そこに大切なことも込められていたのだと思うんだけど、果たしてこのシークエル三部作にはその精神があっただろうか。

 

『最後のジェダイ』でのルークのライトセイバーのポイ捨ては『ジェダイの帰還』へのオマージュだったのかもしれないが、その真意は観客にまったく伝わらなかった。同作でレイのフォースの力はインフレを起こしていたし、『スカイウォーカーの夜明け』で彼女は2本のライトセイバーでパルパティーンに勝利するし。前作のルークの教えとまったくもって矛盾している。

 

デイジー・リドリー演じるレイは、『最後のジェダイ』でのいけ好かなさが鳴りを潜めたところを見ると、やっぱり前作の監督ライアン・ジョンソンの拙くて不遜極まりないシナリオがすべての元凶だったのだな、と再確認した次第。

 

レイはこの『スカイウォーカーの夜明け』でも相変わらず集団行動が苦手で人の言うことを聞かずに独断で行動しがちなんだけど、それはどこかかつてのルークを思わせるところがある。血は繋がっていなくてもルークの跡を継ぐのは紛れもなくレイなのだし、今回あらためてデイジー・リドリーはよかったなぁ、と思った。

 

 

 

 

 

 

彼女の表情、身体の動き、それらがとても魅力的だったことは間違いないし、デイジー・リドリーの存在とその演技が作品の至らなさをかなり救っていた。

 

だから、レイ・スカイウォーカーという、ファンが応援できてこれからも愛し続けることができるキャラクターを生み出したということでは、このシークエル三部作は存在意義があったかもしれない。

 

そして、ルーク、レイア、ハン・ソロ、ランドという旧三部作の登場人物たちが30何年かぶりに再登場してくれたことは、いろいろ言いたいことはあるものの、それでも嬉しかったし、彼らの姿がこうやって作品の中に焼きつけられたことは素直に喜びたい。アニメキャラのように彼らはいつまでも若いわけではないし、やがてはこの世から去っていく。

 

レイア役のキャリー・フィッシャーやR2-D2役のケニー・ベイカー、チューバッカ役のピーター・メイヒューがこの三部作の間に亡くなっている。

 

だから、スクリーンで彼らにまた会えたことには感謝しています。

 

せっかくの完結篇なんだからもうちょっとあれこれ書きたいのですが、他の映画の感想がまだあるので、ひとまずこれで。

 

それでは皆さん、フォースとともにあらんことを

 

さようなら、スター・ウォーズ。

 

 

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