スター・ウォーズ/最後のジェダイ』。【ライトサイド篇】

 

通常サイズのスクリーンで日本語吹替版を鑑賞。

 

ダークサイド篇】では批判的な感想を述べましたが、こちらでは同じ作品の感想を別の角度、視点から記していきます。

 

すでにこの映画をご覧になったかたに向けて書いていますので、ネタバレも含めてご注意ください。

 

それと、もしこれからこの『最後のジェダイ』を観る予定でまだシリーズの過去作を観ていないかたは、どうぞそれらをご覧になってから劇場に足を運ばれますように。そうでないと続き物なのでストーリーについていけませんから。

 

 

この作品がこれまでのシリーズの掟破りをいくつもしているのはもちろん意図的で、ここではSFファンタジー映画の中でもわりと約束事が多い「スター・ウォーズ」というブランドの破壊が行なわれている。非常に挑戦的な試みといえる。

 

冒頭の字幕ではほとんど何も語られないし、映像面でもスター・ウォーズでは禁じ手だったいくつもの手法(フラッシュバック、アクションシーンでのスローモーション、モノローグ等)がこれも敢えて使われている。

 

映像面では、宇宙船がハイパースペースにジャンプしたり通常空間に戻る時のエフェクトがとても迫力があって、ホルド提督がスノークの戦艦に超スピードで激突するクライマックスでは鳥肌が立った。あの劇的な場面も従来の「スター・ウォーズ的」な表現ではない。

 

スター・ウォーズという映画シリーズは実はルーク・スカイウォーカーが反乱同盟軍とともに皇帝と銀河帝国に勝利を収める『エピソード6 ジェダイの帰還』でいったん完結している。銀河に平和が訪れ、めでたしめでたしで物語は幕を閉じている。

 

新たな主人公レイの物語を描く“レイ三部作”の第1作目である『エピソード7 フォースの覚醒』はそれから30年後の話だけど、すでに終わった物語を再始動することはなかなか難しくて、ヘタをすれば旧三部作(EP4~6)の単なる焼き直しになってしまう。

 

事実、『フォースの覚醒』は旧三部作全体の物語を表面的になぞる構成になっていた。

 

帝国の残党ファースト・オーダー、かつての皇帝を連想させる悪の親玉スノーク。ダース・ベイダーの遺志を継ごうとしているジェダイの血を引く若きカイロ・レン。そして偉大なるジェダイ・マスター、ルーク・スカイウォーカー。

 

そのようにすべてが過去のシリーズからの「いただき」だけで作られたような内容に賛否が分かれたんですが、勧善懲悪の冒険活劇であった旧三部作は物語の「原型」であり、逆にいえば「冒険活劇」を作ればだいたいその内容は旧三部作と似たものになってしまう。

 

ファンタジー・アクション映画などの続篇が抱えるジレンマですよね。

 

それが、その次の『エピソード8 最後のジェダイ』ではそういうシリーズのお約束、ファンが期待する展開をことごとくハズして、定型の物語を内部から破壊するという実験をやっている。

 

「スター・ウォーズ」という、今やディズニーの持ち物となったフランチャイズ映画でこういうことをやるラディカルさ。

 

僕は、これまでに何度か例に挙げた2014年に公開されたディズニーの実写映画『マレフィセント』を思い出したんですよね。

 

『マレフィセント』は、やはりディズニーのアニメーション映画『眠れる森の美女』の物語を反転させてアレンジしたものでした。

 

悪い魔女を倒してめでたしめでたし、だったはずの物語が登場人物の立場を逆転させて描かれていた。

 

そのために原典である『眠れる森の美女』のファンの中には設定の大胆な変更やお馴染みのキャラクターの扱いについて不満を感じる人もいて、作品としてはやはり賛否が分かれています。

 

今回、ディズニーはそれと同じようなことをスター・ウォーズでやったのではないかと。

 

シリーズで初めての女性の主人公で、前作ではジェダイと何かかかわりがあるのではないかと予想されていたそのレイが今回「普通の人」だったことが判明する。

 

 

 

「選ばれし者」ではなく、普通の人々が戦う物語ということが強調されている。

 

フォースは誰にでも宿り、ジェダイは血筋によるものではなく誰もがなれる。

 

ルークは劇中で「私は最後のジェダイではない」と言う。『最後のジェダイ』というタイトル自体が覆されるのだ。

 

旧三部作の完結篇である『エピソード6 ジェダイの帰還』とタイトルがカブるのも、きっとわざとなんでしょうね。サブタイトルの単語をカブらせない、というお約束すら反故にされる。

 

なぜルークがカイロ・レンをあれほど怖れたのか。それは彼が「神話の破壊者」だから。彼を生かしておけば「スター・ウォーズ」という神話が破壊されてしまう。

 

これは「“スター・ウォーズ”について描いたスター・ウォーズ映画」、非常にメタ的な映画なんですね。

 

「序破急」でいうとこの映画は「破」で、英雄の神話はその根底から壊される。カイロ・レンに破壊されたジェダイ寺院や、ヨーダによって焼かれたジェダイの書物のように。

 

旧三部作のさまざまな名場面がファンへのサーヴィスやオマージュの域を超えて批評的に再現されている。

 

また“光”と“闇”との戦いとは、この新しい三部作の支持者とこれを批判する者との戦いのメタファーのようにも読める。どちらも必要。そのバランスによって作品は成り立っていく。

 

フィンやポー、そして初登場のローズなど、やはりジェダイではない者たちの働きがフォースの使い手であるレイの活躍と同じ比重で描かれる。特にローズは虐げられた人々、弱い立場の者たちを代表するキャラクターで、その描写には力がこもっている。

 

 

 

 

出会った時にフィンのことを「スターキラー基地を破壊した英雄」と憧れの眼差しで見ていたローズは、しかしそのフィンが逃亡しようとしているのだと知った瞬間に夢から覚めたように彼を捕らえる。

 

ローズのフィンへの失望はレイのルークへの失望と重なっている。

 

このように、レイとカイロ・レンをはじめ、この映画にはさまざまな対比が見られる。

 

クルーザーで1人、ファースト・オーダーの巨大戦艦に体当たりするホルド提督と、惑星クレイトでやはりファースト・オーダーのキャノン砲に特攻しようとするフィンをローズが命懸けで止める場面。

 

 

 

映画の冒頭で危険な攻撃を試みて成功の代償に多くの犠牲を出したポーが、最後の戦いでは仲間たちの命を優先して退避する場面。

 

対比や互いの違い、変化などが繰り返し描かれ、これまで「光と闇」と表現されてきたことが具体的に示される。

 

ローズがフィンを救ったあとに語った、「敵を憎むのではなく、愛する人を救うこと」。それこそが真に戦いに勝つ最良の方法。

 

彼女は「光」の側にいる者だ。そして悪者に兵器を売って貧しい者たちを虐げ、カジノで遊び呆けている金持ちたちを「クズ」と軽蔑している。

 

しかし、ローズやフィンたちに協力するDJは、武器商人たちはレジスタンスにも兵器を売っていることを彼らに告げる。

 

 

 

DJは金のためにはどちらの側にもつくような、世の中には「光と闇」の両方があることを知っている男だ。彼は彼なりの流儀で“バランス”を取って生きている。

 

フィンたちを裏切ってファースト・オーダーから金をもらっているDJの姿は、どこかルークやレイアたちに出会ったばかりの頃のハン・ソロを思わせる。ハンは以前、レイアに「お金の亡者ね」と言われていた。

 

レイアに出会わなければ、ハンはDJのような本当のならず者になっていたかもしれない。

 

戦う目的は違っていても、武器を使って戦争をしているということではレジスタンスもファースト・オーダーも変わらない。

 

ポーが上官のホルドとモメるように、レジスタンスの方もまた一枚岩ではなく、単純な“正義の味方”側ではない。

 

旧三部作で描かれた「勧善懲悪」も否定される。

 

光、闇、バランス。

 

この映画のテーマが何度も形を変えて奏でられる。

 

カイロ・レンがレイに「俺と手を組め」と言って手を差し出す場面は、『エピソード5 帝国の逆襲』でベイダーがルークにしたことの反復だが、レイとカイロが象徴している「光と闇」の関係はここでより明瞭になっている。

 

未来を作っていくレイと過去を破壊するカイロ。彼らが合わさることで銀河のバランスが保たれる。

 

この映画で描かれるレイとカイロのライトセイバーの戦いの描写は、曲芸的だったエピソード1~3の殺陣とフェンシングや剣道のような型を基にしていたエピソード4~6のそれのちょうど中間ぐらいのバランスで演出されているように見える。

 

『最後のジェダイ』では、これまでのシリーズ作の要素が交じり合い、その融合が図られている。

 

 

最高指導者スノークからその「弱さ」を指摘されたカイロはかぶっていたヘルメットを壁に叩きつけて壊し、その後はずっと素顔を出している。

 

彼の顔の傷や髪型、服装はダース・ベイダーになる前の若きアナキン・スカイウォーカーに似ている(戦闘機を回転させながら敵を攻撃するところなんかも)。

 

カイロはダース・ベイダーを形だけ真似るのではなく、真のダークサイド、彼が進むべき道を目指すことにしたのだろう。

 

レイが「選ばれし者」ではなかったように、ここでも登場人物の変化が描かれている。

 

ルークは弟子だったカイロのことを“ベン”と呼ぶ。レイもそれに倣って、以降はベンと呼び続ける。

 

ハン・ソロとレイアの息子であるカイロの本名はベン・ソロ。そしてベンという名は、ルークの師であるオビ=ワン・ケノービが使っていたもう一つの名前から取られている。

 

かつてオビ=ワンはアナキン・スカイウォーカーの教育に失敗して、彼がダークサイドに堕ちてダース・ベイダーとなることを食い止められなかった。

 

ルークはオビ=ワンや他のジェダイ・マスターたちが犯した過ちを一身に引き受ける。

 

ジェダイは偉大ではない。失敗だった。ルークの心は無になっている。

 

その彼がレイアの許を訪れて(実際には彼のジェダイの技による幻影だったのだが)銀河の平和のために戦う若者たちを助けたのは、彼に会いにきたレイの中に“未来”を見たからだろう。

 

後悔の念に囚われていたかつてのジェダイの騎士は、師オビ=ワンがそうだったように若者たちに未来を託すことで浄化されて生命を取り巻くフォースの一部となる。

 

これは古き者が新しき者に救われる物語でもあった。

 

ヨーダはルークのことを今も「若きルーク」と呼ぶ。

 

ルークは老成して仙人のようになったのではなく、弱さを抱えた一人の生身の人間として生きてきた。

 

その自分の弱さと失敗も伝えることで、それが貴重な教えとなって若者たちの知恵と力になる。

 

ルークとスノークがともにこの作品でシリーズから姿を消すのは、もちろん偶然ではない。

 

 

 

 

スノークは自分の力を過信し驕った醜い「老害」。だから彼はカイロ・レンを見くびって油断したために真っ二つにされて息絶える。

 

ルークは自分の弱さと愚かさを認めることで、老いた者のあるべき姿を体現する。

 

偉そうに若者に説教する“マスター”ではなく、むしろ若者におのれのなんたるかを教えられる者として。

 

ファースト・オーダーの前に幻として現われ、もはや実体として戦わないルークは、ジェダイの究極の姿の一つの解答とはいえるかもしれない(これはまた、かつてヨーダがルークに言った「戦いで人は偉くはならん」という言葉の体現でもある)。

 

ルークとレイアが再会して言葉を交わし、ルークがレイアに静かにキスをする場面では、演じるマーク・ハミルとキャリー・フィッシャー、彼らが“スター・ウォーズ”という神話とともに歩んできた年月が重なって目頭が熱くなった(バックには『ジェダイの帰還』の“ルークとレイアのテーマ”が流れている)。

 

実際にも兄と妹のような関係だったというハミルとフィッシャーの本当の別れの場面に見えたから(キャリー・フィッシャーは昨年12月に死去。この映画は彼女に捧げられている)。

 

基地から脱出する道を探す若者たちを見守るレイアの表情は晴れやかだ。

 

若きレイのフォースが岩を浮かせ、レジスタンスのメンバーは同志たちのいる銀河の外縁部へ向かう。

 

それはスター・ウォーズの世界がさらに広がっていくことの比喩でもある。

 

ハン・ソロに続いてルークが、そしてレイアがこのスター・ウォーズ・ユニヴァースから旅立っていった。

 

英雄たちは立ち去り、新しい者たちが物語を作っていくのはこれからだ。

 

三部作の完結篇『エピソード9』を監督するのは『フォースの覚醒』のJ・J・エイブラムス。

 

自らの本当の姿に向き合いフォースの力を強めたレイとファースト・オーダーの最高指導者となったベンの物語はどのような結末を迎えるのだろうか。

 

これからも繰り返し唱えられる「フォースとともにあらんことを」という言葉の中にレイアは宿り、ハン・ソロは前作『フォースの覚醒』で息子のベンの手で葬られたが、その名前は『最後のジェダイ』でも何度も出てくる。彼の名前はけっして忘れられていない。

 

オビ=ワンの名前はベンとして残り、ハン・ソロの愛機ミレニアム・ファルコン号はチューバッカとともにレイが受け継ぐ。

 

そしてルーク・スカイウォーカーは名もなき少年たちの英雄として伝説になる。

 

エンドクレジットでジョン・ウィリアムズによるあの懐かしいメロディが鳴り響き、やがて“レイのテーマ”に替わっていく。

 

これは若き者、小さき者たちへの応援歌だ。

 

そして映画館でこの作品を観ている新しき者たちに、それはもうすでに届き始めている。

 

 

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