ケイシー・レモンズ監督、ナオミ・アッキー、スタンリー・トゥッチ、ナフェッサ・ウィリアムズ、アシュトン・サンダース、タマラ・チュニー、クラーク・ピータースほか出演の『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』。2022年作品。PG12。

 

歌手の母を持ち、自身も類い稀なる歌の才能に恵まれたホイットニー・エリザベス・ヒューストンは、アリスタ・レコードの社長クライヴ・デイヴィスに見出されて一躍人気シンガーとなる。同じく歌手のボビー・ブラウンと結婚するが、親友で個人秘書のロビンと夫の折り合いが悪く、結婚生活の破綻などでホイットニーは次第にドラッグに依存してゆく。

 

あけましておめでとうございます。

 

正月三が日には歌がいっぱい流れる映画がいいなぁ、ということで鑑賞。

 

ホイットニー・ヒューストンの伝記映画で、『ボヘミアン・ラプソディ』の脚本家アンソニー・マクカーテンが脚本を担当。

 

僕はあいにく未鑑賞ですが、奴隷解放のために闘った実在の活動家の半生を描いた『ハリエット』の監督でもあるケイシー・レモンズはもともと俳優で、『羊たちの沈黙』でジョディ・フォスター演じるFBI訓練生の同期生を演じていた人なんですね。

 

あの映画での出番は多くはなかったけれど、クラリスがレクター博士とのやりとりで博士の真意を掴んでいったり猟奇的な連続殺人事件の真相を解明していく過程で要所要所に顔を出す役で、これまでに何度も観ているから彼女のことも印象に残っています。

 

もっともっと彼女とクラリスとの絡みが見たかったほど。

 

なるほど、そういう人が撮った作品なんだな、と。

 

また、『ボヘミアン・ラプソディ』(監督:ブライアン・シンガー、デクスター・フレッチャー)は僕は結構好きでBSで放映されたクライマックスのライヴエイドの場面が長めのヴァージョンも観ましたが、一方で同じ脚本家が書いた『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』(監督:ジョー・ライト)のことは結構酷評してしまいました。

 

『ボヘミアン・ラプソディ』の方も、クイーンの楽曲や出演者たちの好演のおかげで楽しめはしたし世間の評判もよかったんだけれど、物語そのものはわりと平板だったなぁ、という印象。

 

で、今回の『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』もやはりグッともってかれるような映画的な盛り上がりのあまりない平坦な語り口で、ホイットニー・ヒューストンの人生を急ぎ足でザ~ッとおさらいするような作りでした。

 

ところどころ実際のホイットニーのライヴコンサートの模様を再現していて、それはそれで見応えがあるものの、だったらご本人の本物のライヴ映像を観てればいいような気も。

 

僕は観ていないですが、彼女のドキュメンタリー映画(『ホイットニー ~オールウェイズ・ラヴ・ユー~)もすでにあるんですね。そちらの方を無性に観たくなってしまった。

 

去年観たダイアナ妃の劇映画とドキュメンタリーのように、2本併せて観たらより入り込めたかも。

 

主演のナオミ・アッキーは熱演だったけど、言っちゃ悪いけど顔や体型がホイットニーご本人とは似ていないし(それ言ったら『ボヘミアン~』のラミ・マレックだって顔はフレディには似てなかったが)、映画の中で何度もホイットニーは「綺麗だ」と言われるんだけど、その言葉にあまり説得力がなくて。

 

 

 

いや、ナオミ・アッキーさんだって素顔は綺麗な人なんだろうけど、映画ではその「綺麗」な部分があまり表現できてなかったように感じたのと、なんとなくホイットニー・ヒューストンとは別のタイプの女性に思えたんですよね。

 

ホイットニー・ヒューストンってファションモデルもやってただけあって手足や身体がスラッとしてて、確かに彼女が黒人以外の人々にも人気があったってのがよくわかる。

 

ホイットニー・ヒューストンの歌が同じアフリカ系の人たちから「黒人っぽくない」と叩かれたのは、その歌声だとか曲調だけでなく、彼女の外見も関係があったんじゃないだろうか。

 

一方でナオミ・アッキーは『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』で演じた、主人公たちに助太刀して一緒に闘う女性のようにアクション映画映えするような筋肉質なタイプで、逆にホイットニー・ヒューストンはおそらくはアクション物で自ら闘うような役柄は似合わない(後述する『ボディガード』でも“守られる”役だった)。

 

 

 

 

映画の中で使われているのはホイットニー・ヒューストン本人の歌声で、それに合わせてナオミ・アッキーがステージでのホイットニーのパフォーマンスを見事に再現しているんだけど、なんていうんですかね、フレディ・マーキュリーはそのステージ・パフォーマンスが派手だし、だからラミ・マレックの完コピぶりが観ていて楽しかったわけだけど(『ボヘミアン~』でも歌声はフレディ・マーキュリー本人のものが使われている)、ホイットニーの場合はそこまで動きまくるわけじゃないし、繰り返しになるけれど、ナオミ・アッキーが一所懸命ステージ上の彼女を演じれば演じるほど、“本人”の顔や姿が見たくなってしまうんですよ。

 

 

 

 

 

もちろん、劇映画ならではのよさもあって、クライヴ・デイヴィス役のスタンリー・トゥッチが何度もすごくいい顔をするんですよね。ボビー・ブラウン役のアシュトン・サンダースは『ムーンライト』で主人公の若い頃を演じてた人だけど、ボビー・ブラウンのクズっぽい感じと、でも完全な悪者ではない部分なんかも巧く演じていたし、だから脚本は凡庸だけど役者陣の好演で映画がもってた気がする。言うまでもなく、全篇に散りばめられたホイットニーの歌の力が大きいですが。

 

 

 

 

僕自身は90年代にホイットニー・ヒューストンがケヴィン・コスナーと共演して主題歌や挿入歌も唄った『ボディガード』(監督:ミック・ジャクソン)を公開当時に劇場で観たぐらいで彼女の歌をそんなに知らないので思い入れはないんですが、それでも80年代の終わり頃とか90年代にホイットニー・ヒューストンといえば「歌姫」みたいなイメージ(『ボディガード』でもそういう役だったし)で、音楽に疎い僕なんかでも劇中に流れる彼女の歌声とその曲の雰囲気に、かつてリアルタイムで過ごした時代を思い出したりもしました。

 

エンダァ~~♪ってサビの唄い出しもギャグに使われるほど有名ですしw

 

 

 

 

彼女が亡くなって10年目にこの映画が作られたんですね。

 

もともとホイットニー・ヒューストンの歌をよく聴いてたわけじゃないから『ボディガード』以来ご無沙汰だったし晩年のことなども知らなくて、だから2012年に彼女の突然の死が報じられた時には、あぁ、あの人もそういう生き方をしたんだなぁ、としんみりしたんですよね。2009年にはマイケル・ジャクソンが、また2016年にはプリンスと、80~90年代頃におなじみだったミュージシャンたちが2000年代以降かなり亡くなってる。

 

映画の中で「黒人らしくない」とか言われてホイットニーが、なんでそんなこと言われなきゃいけないの?と怒りを露わにする場面で、そういう世間からの強制に反抗したところに共感を覚えました。自分が唄いたい歌を唄って何が悪い?ということ。

 

その一方で、世間の目を気にして同性愛の相手であるロビン(ナフェッサ・ウィリアムズ)と距離を取ったり、普通に子どもがいる生活がしたい、とわりと平凡な人生を目指すようなところもあって、でも大スターだし自分が稼がないと、という責任感と、喉の衰えから声域が狭まって若い頃のように唄えなくなったことへの焦りなどが重なりどんどんクスリにハマっていく悪循環。

 

 

 

 

ロビンからも「あいつはクズよ」と反対されながらも浮気性の夫とズルズル結婚生活を続けたり、それはよくある芸能人の転落人生そのものでもあって、だから見ていて共感するよりもただただ「残念」としか言いようがなかった。

 

意識せずに、でも彼女は夫婦仲が悪かった両親(いつも仲が悪いわけではなく、比較的良好に見える瞬間もあるのがかえってリアルなんだが)の生き方をなぞってしまっていたんだな。

 

 

 

 

父親のジョン(クラーク・ピータース)がまた、妻と離婚したあとも娘のマネジメントを担当してその稼ぎからかなりの額を抜いていて、ホイットニーが問い詰めると「口の利き方に気をつけろ」と逆ギレした挙げ句、死の床においてさえも見舞いにきた娘に「俺の金を返せ」と捨て台詞を残してくたばるクズっぷりを見せてくれる。

 

同じく実在の人物を描いた『ドリームプラン』をちょっと思い出した。今回はあの映画の裏ヴァージョン的な。『ドリームプラン』も主演のウィル・スミスがアカデミー賞授賞式でやらかしたせいでミソがついちゃった感があったし、あの映画で描かれた“父親”も実際にはなかなか問題のある人物のようだし。

 

ホイットニー・ヒューストンの母シシー(タマラ・チュニー)は素晴らしい歌の才能を娘に残してくれたが、その「歌姫」が母譲りの「男を見る目がない」という弱点も受け継ぐことになったのは本当に皮肉だ。

 

ミュージシャンとかアーティストと呼ばれる人々、あるいは芸能人や有名人という人種は、時に型破りだったり向こう見ずで破滅型のその生き方で僕たち凡人を楽しませ戦慄させて悲しませもして振り回す。

 

長生きして大往生を遂げる人もいるけれど、その晩年がけっして幸福だったとはいえない人もいる。

 

だけど、それは僕らだって同じだ。

 

ただ違うのは、ホイットニー・ヒューストンのような人はその姿と歌声、パフォーマンスが半永久的に残っていくということ。

 

いずれは生前の彼女を知らない世代で新たに「ホイットニー・ヒューストン」という存在に出会う人たちも出てくるだろうし、この映画がその役割を果たすのかもしれない。

 

 

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