ブライアン・シンガー監督、ラミ・マレック、ルーシー・ボイントン、グウィリム・リー、ベン・ハーディ、ジョセフ・マゼロ、エイダン・ギレン、トム・ホランダー、アレン・リーチ、アーロン・マカスカー、ダーモット・マーフィ、プリヤ・ブラックバーン、メネカ・ダス、エース・バティ、マイク・マイヤーズほか出演の『ボヘミアン・ラプソディ』。

 

1970年、ブライアン・メイとロジャー・テイラーのロックバンドで新しくリードヴォーカルになったファルーク・バルサラはやがて“フレディ・マーキュリー”と名乗り、さらにベースのジョン・ディーコンも加わった4人組で「クイーン」として売り出していく。彼らが1985年のチャリティコンサート「ライヴ・エイド」に臨むまでを描く。

 

映画の内容に触れますので、これからご覧になるかたはご注意ください。

 

 

僕は音楽とかロックに疎くて(実はクイーンについてもヴォーカルのフレディ・マーキュリー以外のメンバーのことをよく知らない)音楽映画というのにあまり興味もないのですが、この映画はずいぶん前から予告篇が劇場で流れていて、公開が近づくにつれてTwitterの呟きなどからも大勢が期待しているのが伝わってきました。

 

フレディ・マーキュリーのことは、80年代に観た映画『メトロポリス』で彼がサウンドトラックの曲を提供していてその存在を知りました。その時は、口髭を生やした男っぽい顔つきと高めの声にギャップがある人だな、と思った。

 

ギャグ漫画の「魁!!クロマティ高校」やNHKの朝ドラ「あまちゃん」などでネタにされてたように、フレディ・マーキュリーのあの格好はちょうどブルース・リーなどと同様にすでに時代を越えたアイコンになってるんですね。あの髪型と口髭とタンクトップ姿でみんなフレディに見えるというw 口髭があると前歯が目立たないから、というのもあったのかもしれませんが。

 

笑ったら申し訳ないけど、映画の中でフレディがかかわる男たちがみんなマリオみたいな口髭してるのが可笑しくて。なんでみんな互いに微妙に寄せてるんだ^_^; 彼の最後の恋人だったジム・ハットンなんてちょっとドン・フライっぽいし。

 

 

悪いヒゲと善いヒゲ

 

 

 

 

 

 

「わかる奴だけわかればいい」 フレディ詰め合わせ(堀内孝雄っぽいのや明らかに間違ってるのも混ざってますが)

 

フレディ・マーキュリーは1991年に亡くなっているけれど、僕はリアルタイムでそのことを知っていたのかも、クイーンというバンドをいつ知ったのかももはや覚えていない。ただ、映画プロデューサーのディノ・デ・ラウレンティスが80年代に作った愛すべきポンコツ・スペースオペラフラッシュ・ゴードン』のオープニングの曲が今でもお気に入りで、たまに聴きます。

 

フラッシュ!あぁ~~♪

 

90年代にたまたま知り合いの前でクイーンの「グレイテスト・ヒッツ」を聴いてたら、「ベスト・アルバムとか聴く人?」とバカにしたような言い方をされたのでイラッとした。ベスト・アルバムとか聴く人ですがそれが何か?

 

2000年代にはクイーンの曲を劇中に使ったミュージカル「ウィ・ウィル・ロック・ユー」を今はなき新宿コマ劇場で観ました。奮発してイイ席を取ってビール飲んで気合い入れて臨んだんだけど、生の舞台のミュージカルに慣れていなくて他のお客さんたちのように一緒になって唄って盛り上がれず、静かに観てすごすごと帰った思い出が。

 

そんな感じでろくにクイーンの知識もないしファンでもないのだけれど、でも彼らのいくつかの曲が好きなのを感じていたから、この映画にも興味をそそられたのです。多分、違うバンドだったら観ていなかったと思う。

 

 

 

映画の中で「ボヘミアン・ラプソディ」が6分あるのを「長過ぎる」と言われるけど、現在では6分以上ある曲は珍しくないし、この曲を何べん聴いてもちっとも長さを感じなくてあっという間に終わってしまう印象がある。もっと聴いていたいぐらい。

 

「マンマミ~ア、マンマミ~ア♪」とか唄ってるからてっきり僕はフレディ・マーキュリーってイタリア系の人なのかと思っていたら、インド出身だったんですね。

 

彼とその家族は国を追われてイギリスに渡ってきたわけで、それは現在の移民や難民の問題とも直接繋がっている。

 

この映画に関しては、すでに観た人たちの反応の中に結構辛口のものもあったので、ちょっと期待し過ぎないようにしていたんですよね。

 

ご本人には失礼だしファンの人がいたらこれも申し訳ないですが、監督がブライアン・シンガーというのも不安があった。

 

なぜなら、僕は彼のこれまでの作品で「これは傑作!」と満足して映画館をあとにしたものがほとんどないから(『スーパーマン リターンズ』は好きです)。

 

ちなみに日本のメディアではほとんど触れられていないようだけど、ブライアン・シンガーは撮影の途中で無断欠勤を理由に解雇されてデクスター・フレッチャーが後任を務めている。

 

完成までにかなりの紆余曲折があったんですね。

 

企画が始動した頃は主演をサシャ・バロン・コーエンが務めるという話だったそうで、彼の方が実際に主演したラミ・マレックよりも顔の作りがフレディ本人に似ているから、ちょっとそちらのヴァージョンも観てみたかった。サシャ・バロン・コーエンもよく脱ぐしw

 

ラミ・マレックという俳優さんを僕はこれまで知らなくて(過去の出演作を確認すると観てる映画もあるのだが)、だからどうしてもまず最初に「フレディ・マーキュリーに顔が似てるかどうか」が気になってしまったんですが、特にマレックの大きな「目」がフレディ本人とまったく似ていない。これはずいぶんとノイズになって、だから映画が始まってしばらくは彼を「フレディ・マーキュリー」その人だと認識できなくて困った。

 

 

 

 

 

作家とか画家とか、本人が別に人前に顔を出す仕事じゃなければそれほど気にならないだろうけど(ピカソやダリみたいに顔が知られ過ぎてると気になるけど)、ミュージシャンだから思いっきりご本人の顔が有名なわけで、だから違和感が拭えなくて。

 

90年代に観たリチャード・アッテンボローが撮った『チャーリー』という映画で喜劇王チャップリンをロバート・ダウニー・Jr.が演じていたんだけど、やはりチャップリンの顔はよく知ってるからモノマネしてる「まがい物」に見えちゃって俳優の演技に集中できなかったことを思い出した(ゲイリー・オールドマンがチャーチルを演じた映画も、顔は似ていないからやっぱり観ていて若干気になったし。なお、チャップリンとチャーチルとフレディ・マーキュリーの共通点はイギリス)。

 

「目」って重要だと思うんで、それが似てないと気が散るんだよね。

 

まぁ、そんなことを言ってたら、結局は本人が出演した映画とか本人が唄ってるライヴ映像を観てた方がいい、ってことになってしまうんで、劇映画なんだからそこは割り切って観るべきなんでしょうが。

 

ところで、フレディ・マーキュリーのことを「ヘンな顔」みたいに言う人がいるけど僕は普通に男前で美しい顔だと思ってて(確かに前歯はちょっと出てるけど)、だからやたらと彼の顔や歯のことをとやかく言うのがよくわかんないんですよね。そこまで出っ歯か?と。俺の方がよっぽど出てるよ(知らんがな)。

 

映画ではなんだかフレディの前歯が必要以上に強調されてるように感じられて、時々「おそ松くん」のイヤミみたいに見える時もあった。

 

そんなわけで、映画の中盤あたりまではちょっとノれない感じで「あぁ、ブライアン・シンガーまたかよ」と思っていたのです。

 

バンドを「クイーン」と名乗るようになってトントン拍子に人気が上昇していく様子が描かれるんだけど引っかかるものがなくて駆け足の再現ドラマが続いてるようで、この調子で盛り上がりのないまま終わるのか?と。

 

なんとなく観る前の不安が的中しちゃったような。

 

でも、やがてフレディとバンドのメンバーたちとの間に亀裂が生じて彼が次第に孤立していくと、徐々に映画に入っていくことができました。

 

成功を手にしても自分だけが「独りぼっち」という思いが拭えず、事実ゲイであることを理由に恋人も去っていく。

 

アイデンティティの不安、というのは個人的に興味のあるテーマなので、フレディ・マーキュリーが抱えていた孤独にどこか共感も覚えた。

 

 

 

それはスーパースターだから、だけではなく、ひとりの人間としての弱さや愚かさも含んだものだから。

 

「両親は火事で死んだ」と偽り、本名や自分の出自を恥じて「別の人間」になろうとしたこと。

 

これは「放蕩息子」の話でもあるんだよね。「家族だから喧嘩もする」という言葉が印象的だった。喧嘩しても家族ならきっと仲直りできる。

 

ただ、彼は最後に「家族」であるバンドに戻り、両親にもありのままの自分を受け入れられたけれど(この部分は史実と異なっているそうですが)、彼が望んだ「別の人間」=スーパースターにもなった。夢を実現して自分がなりたいものになった。

 

劇中でちょっと名前が出るマイケル・ジャクソンも「自分がなりたいもの」になろうとした人だったけど、フレディ・マーキュリーが多くの人々に希望を抱かせてくれるのは、「自由」を得ること、本当に自分が生きたい人生を生き抜くことは可能なんだと、彼自身が身をもって体現してみせたからでしょう。

 

「自由」の代償は大きかったけれど、彼がバンドのみんなとともに残した曲の数々は愛され続け唄い継がれて、新たなファンも生み出していく。その曲と生き様は、時に人生における苦しみを乗り越える支えにもなってくれる。

 

映画のクライマックス、1985年のウェンブリー・スタジアムの「ライヴ・エイド」の場面では一緒に手拍子や足踏みしたり両手を前に突き出したり合唱したくてしかたなかった。かつて生のミュージカルでできなかったことが映画ならできそうな気がした(声出しオッケーの“応援上映”もあるそうですが)。

 

 

 

 

 

映画を観ながら膝がプルプルって震えそうになった。カバンを足で挟んで堪(こら)えましたが。

 

きっと、この映画を観終わってからカラオケに立ち寄ってクイーンの曲を熱唱する人いっぱいいるだろうなw

 

夕方の時間帯に観たんですが客席は若い人よりも中高年の人たちが多くて(さすがにフレディのコスプレをしてる人は見かけなかったw)、昔からのクイーンのファンの人らしきかたたちが鑑賞後にめいめい思い出を語り合ったりしてました。ご夫婦で来てる人も多かったな。劇場パンフレットはすでに売り切れてて「再入荷未定」になっていた。

 

IMAXではないけれど、公開されて間もないので大きなスクリーンでしかもちょうど真ん中ら辺のいい席で観られました。

 

せっかくなら、できればこれは映画館で観ておいた方がいいでしょうねぇ。

 

ファンの人たちがどう評価をされるのかわからないし、曲の制作順やエピソードの年数が史実と違うとかいろいろ指摘もありますが、僕はそのあたりまったく知識がないのであくまでも1人のカリスマ的なミュージシャンを描いた劇映画として楽しみました。

 

僕のように知らない人への入門篇として観ることはできるかも。

 

もちろん、クイーンの曲がこの映画に力を与えているわけで、まず何よりも「曲ありき」であることは言うまでもありませんが。

 

主演のラミ・マレックさんは好演してました。僕みたいな「本人と顔が似てない」とか文句言う人が出てくるリスクを負いながら、スクリーンの中で彼は“フレディ”として「生きていた」。

 

 

 

 

 

クイーンのメンバーの一人、ジョン・ディーコンを演じているジョセフ・マゼロはかつて『ジュラシック・パーク』(1993)でティム少年を演じてた人で、90年代には子役として何本もの映画に出演していたけど、あのちっちゃかった子がこんな青年になったんだなぁ。心なしか、年取ったら顔がスピルバーグに似てきた気がw

 

 

 

EMIの重役レイ・フォスターを演じているマイク・マイヤーズは事前に彼が出てることを知らなかったら絶対に気づかなかったと思う。

 

まるで『オースティン・パワーズ』の時のようにメイクで素顔が隠れていて、イギリス英語でドクター・イーヴルみたいな喋り方をしていた(マイヤーズはダナ・カーヴィと共演した『ウェインズ・ワールド』で「ボヘミアン・ラプソディ」を唄っていた)。

 

 

 

それにしても、最近繰り返してるけど、今年は実在の人物を描いた映画をずいぶん観てるなぁ。別に意識してそういう作品を選んでるわけじゃないのに。

 

思えば映画『チャーリー』はチャールズ・チャップリンの没後15周年に作られたんだけど、フレディ・マーキュリーが亡くなってからもう27年という歳月が経過している。

 

けれど、チャップリンがこれから先も人々からけっして忘れられることがなく彼の映画もおそらく半永久的に残っていくのと同様に、クイーンやフレディ・マーキュリーが忘れられることも彼らの音楽がこの世から消え失せることもない。

 

 

 

それはなんて凄いことなんだろう。音楽に疎い僕のような人間でさえ、その存在を知っているんだから。ヴィジュアル的にもめっちゃキャラが立ってるから、というのもあるんだろうけど。

 

まさしくそういうのを「伝説」と呼ぶのだろう。

 

以前『リリーのすべて』の感想でもちょっと書いたんだけど、男性の同性愛者の一部の人たち(女性の方はよくわかりませんが…)には自らを傷つける傾向があるように思えて、フレディ・マーキュリーの後半生のある時期の自己破壊的な生活も、やはりそれは怒りだったり、あるいは何かから逃れるためだったりした結果なのだろうけれど、自らがゲイ、もしくはバイセクシュアルであることが(いいとか悪いとかいうことではなく)生きていくうえで大きな負担になっていたのではないかと思えてならない。映画では彼の苦しみは孤独が原因であったというふうに描かれている。

 

誰かを愛したい、誰かから愛されたいと思うからこそ、それがかなわなければつらく、深い孤独感に苛まれる。

 

スーパースターは多くの人々の憧れであると同時に、どこかで人々と痛みを共有する存在でもある。だからこそ、僕たちは彼らの中に自分の姿を見て仰ぎつつもよりいっそう身近に感じるのだ。

 

普段音楽を聴かない僕がフレディ・マーキュリーというミュージシャンに惹かれるのは、彼が感じたのであろう孤独や味わったであろう屈辱が想像できること、それが自分の中にもあることがわかるからだ。そこにフレディ・マーキュリーの存在をちゃんと意識した時にはもはや彼はこの世にはいなかった事実が重なって、その歌声を聴きその姿を見ると涙が出てくる。

 

無論、それ以前にクイーンと彼の歌が好きだから。

 

この映画を観ていて、そのことにあらためて気づかされました。

 

また映画館で観たいなぁ。

 

 

追記:

 

その後、IMAXレーザー版を鑑賞。

 

街の中心地だからか、今度はわりと若いカップルが多かったです。女性のお一人様も何名かいらっしゃいました。おっさん一人は僕以外見かけなかったな。孤独ってこういうことを言うのかしらん^_^;

 

午前中の時点で夕方の回の席はすでにかなり埋まっていた。

 

やっぱり今回もクライマックスのライヴ・エイドの場面では膝がプルプルプルっと震えてきて、それだけじゃなくて曲に合わせて身体が自然にリズムを取り出しそうになるのを我慢するのが大変でした。

 

足踏みやギター、ドラムの音が響き渡り、歌声が劇場を揺るがしていた。

 

僕の両隣に座ってた若い女性たちは落ち着いて観ていたようだけど、おっさんは一人で動悸が激しくなってきて呼吸が荒くなっちゃってほんとに恥ずかしかった。思わず「エーオ!!」って叫びたくなっちゃったYO!!

 

僕の耳や目があまりよくないのか、正直“IMAXレーザー”とこれまでのIMAXの違いがよくわかんなかったんだけど、それでもいつも以上に巨大なスクリーンとクリアなサウンドでほとんど満席の状態で大勢の人たちと一緒にこの映画を観られたのは、ほんとに嬉しかったです(^o^)

 

第91回アカデミー賞主演男優賞(ラミ・マレック)、編集賞、録音賞、音響編集賞受賞。

 

 

映画『ボヘミアン・ラプソディ』を観た人に読んでほしいクイーンの話 デスモスチルスの白昼夢

 

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