ブライアン・シンガー監督、ヒュー・ジャックマンジェームズ・マカヴォイミヒャエル・ファスベンダージェニファー・ローレンスピーター・ディンクレイジニコラス・ホルトパトリック・ステュワートイアン・マッケランエレン・ペイジハル・ベリー出演の『X-MEN:フューチャー&パスト』。2D字幕版で鑑賞。



2023年。世界はミュータントと彼らに協力する人間を殺戮、捕獲する究極兵器「センチネル」によって荒廃の極みに達していた。プロフェッサーX(=チャールズ・エグゼヴィア)とマグニートー(=エリック・レーンシャー)をはじめ生き残ったミュータントたちは、キティ・プライドの特殊能力でウルヴァリン(=ローガン)の“意識”を1973年に飛ばし、センチネルの開発を阻止することに。73年のアメリカで若き日のチャールズは麻痺した足を回復させるための薬の副作用でミュータントの能力を失なっており、またエリックは仲間たちを殺されてペンタゴン(国防総省)の地下に幽閉されていた。一方、誰にでも変身できる能力を持つレイヴン(=ミスティーク)はセンチネルの開発者ボリバー・トラスク博士の暗殺を企てていたが、歴史の上では皮肉にもトラスク博士が殺されたことによって「センチネル計画」は決行されてしまうのだ。未来から来たウルヴァリンは博士の暗殺を食い止めるためにミュータントたちに結束を呼びかける。


2000年公開の第1作目からスピンオフも含めてこれまで6本制作された「X-MEN」シリーズの7本目の最新作。

僕は一応すべて劇場で観ています。

原作のコミックスは読んでいません。なので映画についてのみ書きます。

さて、先日前作にあたる『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』がTVの地上波で初放映されたのでツイッターで実況しながら観ていたのですが、中に「シリーズ1作目だというから観てみたのに、思った以上にわからない」と戸惑って離脱されていったかたがいらっしゃって、あぁ、これがX-MEN初体験じゃよくわからなかっただろうなぁ、と気の毒になってしまった。

まず、『ファースト・ジェネレーション』はシリーズ1作目ではないし。

時系列でいうと一番過去の時代を描いている、ということです。

しかも130分ある作品を2時間枠に収めるためにカットしまくってたもんだから、そりゃ初めて観た人は余計混乱しただろう、と。

今回の『フューチャー&パスト』はその続篇でありながらさらに過去作の登場人物たちが加わるんで、これまでシリーズをまったく観たことがない人にはいっそう難易度の高い作品になってます。

「X-MEN」シリーズは『X-メン』(2000)『X-MEN2』(2003)『X-MEN:ファイナル・ディシジョン』(2006)『ウルヴァリン:X-MEN ZERO』(2009)『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』(2011)『ウルヴァリン:SAMURAI』(2013)という順に作られていて、これを時系列順にざっと並び替えると、

『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』『ウルヴァリン:X-MEN ZERO』『X-メン』『X-MEN2』『X-MEN:ファイナル・ディシジョン』『ウルヴァリン:SAMURAI』→いまココ!

ということになる(回想シーンを除く)。

『ウルヴァリン:X-MEN ZERO』と『ウルヴァリン:SAMURAI』はスピンオフ作品なので基本観なくても大丈夫(特に『SAMURAI』はほとんど別のジャンルの映画(^o^;)だけど、ウルヴァリンは最重要キャラで本シリーズの主人公といってもいいので、観ておくとよりキャラクターの背景が理解しやすくなる。

まずはともかく第1作目『X-メン』からどうぞ。

できればタイトルの頭に“X-MEN”と入ってる作品は全部観ておいた方がいいけど、最低でも『X-メン』と『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』は観ておく必要があるかな。

でないと登場人物のそれぞれの関係とか、これまでのエピソードがわからなくてキツいと思いますので。

で、以降はそれらを観ているかたに向けて書いていきますのでご了承ください。

ネタバレもあります。未見のかたはご注意ください。



これまでのシリーズはあくまでも現代に近い世界が舞台で、だからこそ観ていて映画に入り込めたのだけれど、冒頭いきなりいかにもなSF的近未来から始まるのにはちょっと驚いた(東京オリンピックの3年後にはあんな世界になってしまうのか、とw)。

まぁ、主要な舞台となるのは1973年だけど。ちょうど『マトリックス リローデッド』での電脳内の場面とザイオンの場面が同時進行するような感じ。

で、観終わった直後の率直な感想。

壮大な夢オチかい!

そういうことですよね、あれは^_^;

う~~ん、と、いや、つまんなくはないけどね。

嫌いではないけどさ。

なんか奥歯にモノが挟まったよーな言い方してますが…。

結論からいうと、マシュー・ヴォーン監督による前作『ファースト・ジェネレーション』を観た時のような興奮や感動はありませんでした。

シリーズを通して観てきた人ならば感慨深いものはあるだろうし、総括というか総決算というか、とにかくお馴染みの顔から初登場のキャラまでが2つの時代に分かれて彼らの存続のために戦う姿にはちょっとウルッときそうになりましたけども。

でもなぁ、なんというか、観終わって「ぐわぁ~よかったぁぁ!!」っていうのはなかった。

これ、ファンの人たちには暴言かもしれないし鼻で笑う人もいるだろうけど、僕はむしろ寄ってたかって「失敗作」呼ばわりされてるシリーズ3作目の『ファイナル・ディシジョン』(監督はブレット・ラトナー)の方がよっぽど「あぁ、ついに終わるのか」って感慨があったぐらいだもの。

ビーストやエレン・ペイジが演じるキティ・プライド(1作目、2作目ではそれぞれ別の子役が演じている)が初登場したのもこの3作目だし。

反対に、妙に評判がいい2作目との出来の違いがよくわからない。

なんかサム・ライミ監督の「スパイダーマン」シリーズ2作目3作目の評価の極端な違いに似たものを感じますが。

あの、言いにくいんだけど、ブライアン・シンガーの映画っていつもこんな感じなんですよね、僕は。

この監督さんの映画はけっこう観てるんだけど、「これぞ決定打!」というものにお目にかかったことがない(評価の高い『ユージュアル・サスペクツ』も皆さんが褒めてるほどとは思わなかった)。

スーパーマン リターンズ』は好きだけど、あれはオリジナル版に対するリスペクトに感激したからであって、1本の映画として観れば不満なところは多いし。

今回は「シリーズ最高傑作」なんてふれこみだったりもしたんで、もしかしたらその待ちに待った決定打がついにくるか?と期待していたのですよ。

同じマーヴェル・コミックス原作でも、この前観たスパイディの続篇よりも断然こちらの方が楽しみだったぐらいで。

でも自分でも意外だったけど、僕は結果的にはマーク・ウェブ監督の『アメスパ2』の方が気持ちよかったんですよね。

この『フューチャー&パスト』には前作のような爽快感を覚えることはなかった。

それには理由があって、今回は前作でケヴィン・ベーコンが演じたセバスチャン・ショウのような「絶対悪」がいなかったから。

今回の敵はミュータントを狩るロボット兵器センチネルとそれを開発したトラスク博士だけど、彼らは前作でマシュー・ヴォーンが意図的に「007」シリーズの悪役のように描いたショウとは違って、ケレン味がない。

冒頭のセンチネルズの圧倒的な暴れっぷりはちょっとカッコよかったけど、あれは舞台が未来なので。




なんとなく『マイティ・ソー』の戦いのようなCG全開の「どーでもよさ」が漂っちゃってて。

そして決定的だったのが、ロボット軍団も小人博士もX-MENに倒されることはなくて、未来が変わったので強大な敵は消えちゃいました、という尻すぼみな終わり方。

ヌキどころがないまま、なんとなく終わっちゃったAV観てた感じ。

…スイマセン、ちょっと言い過ぎました(;^_^A

でもわかってくれる人いると思うんだがなぁ。

つじつま合わせというか、答え合わせというか、「こうこう、こういうことなんでこうなりましたよ」という解説だけで映画が終わってしまったよーな印象。

エモーショナルにグッとくるところがなかったんスよ!

73年の場面で起動するセンチネルたちがちょっとカッコよかったけど、それも持続しない。




何よりも萎えたのが、前作『ファースト・ジェネレーション』で大暴れしたり大活躍を見せてたミュータントたち、アザゼル(触れたものを瞬間移動させる悪魔みたいな顔の赤い人)にエンジェル(羽生えてて空飛んで火の玉吐く女の子)、エマ・フロスト(ダイヤモンドみたいに硬くなるおねえさん)やバンシー(モモンガ野郎)たちが軒並み「死んだ」ことにされてたこと。

レイヴン(ジェニファー・ローレンス)がトラスク博士に化けて彼の研究室でみつけた極秘ファイルに、生体実験の犠牲となったアザゼルやエンジェルの写真が載っていた。

そりゃねーよ、と。

だってエマ・フロストとかアザゼルとか、そう簡単に死にそうにないキャラだったじゃん。

バンシーが初めて飛行に成功するシーンは『ファースト~』でも指折りの感動的な場面だったのに、こんなたやすく「死にました」で済まされちゃったらさぁ。




ミュータントは使い捨てなのかよ。

バンシーやハヴォック(今回も軍隊の場面でちょっとだけ出てたが)たちが戦闘機に乗って飛んだ時に、あぁ、これからはこの面子が活躍するんだな、って期待したのに。

なんか『エイリアン2』のあとに『』観た時みたいなガッカリ感。

続き物だけど、作り手が替わるとキャラクターはこんなにもぞんざいに扱われるのね。

確かにシリーズを通しての主要キャラとは別に、作品ごとに登場する新キャラというのも楽しみの一つではあるけど、もうちょっと丁寧に描いてくれないかなぁ。

今回、ミュータントの新キャラたちが登場するのは、おもに未来の場面。

 


瞬間移動ができるブリンクを演じているのはファン・ビンビン

何年か前に、顔をしかめながらラーメン食べるウーロン茶のCMに出てた人ですね。




敵の攻撃をエネルギー源に銃を撃つビショップを演じているのは、フランス映画『最強のふたり』で愉快な介護ヘルパーを演じていたオマール・シー

あと、全身炎男に金属男、掟ポルシェに激似のネイティヴ・アメリカンなど。

1973年の場面に登場した、瞬時に高速移動できるクイックシルヴァーを演じるのは、『キック・アス』の主人公の友人役でヒット・ガールのことを「この子が大人になるまで俺は童貞を守る」とホザいてたエヴァン・ピーターズ

 


どうやら『キック・アス』の続篇は蹴ってX-MENの方を選んだようで。

彼の出番のシーンはこの映画の中でも珍しくコミカルで楽しかったんだけど、後半TV観てるだけで活躍しなかったのが残念。

こいつがいればセンチネルにも勝てたんじゃね?と思ったんですが。

ややこしいのが、このシリーズには作品ごとに名前と特殊能力は同じなのに別のキャラ(セイバートゥースやエマ・フロスト)が存在したり、同一キャラでも作品によって演じてるのが違う俳優だったり(ミスティークやストライカー、トードなど)すること。

さすがに「仁義なき戦い」シリーズみたいに死んだはずの人(俳優)が別のキャラとして登場することはないがw シリーズを通して観れば矛盾は「スターウォーズ」シリーズ以上にある。

まぁ、そこにツッコミ入れながら観るのも楽しみの一つといえるかもしれないけど。


オールスターキャストなんだけど一人ひとりの描写は薄くて、特に誰にも思い入れをこめられないというか、少なくともこの映画のエリック(ミヒャエル・ファスベンダー)やチャールズ(ジェームズ・マカヴォイ)には前作ほどの魅力がなかったのは確かで。

ウルヴァリンも肝腎な時に役に立ってないし。

ウルヴァリンがチャールズにエリックのことを「愛する人」と言ってたのは、もう思いっきり「お前らデキてんだろ」ってことだと思いましたが。

エリックにチャールズ、しかも今回は老け専御用達(?)の老エリック(白のガンダルフ)と老チャールズ(ピカード艦長)も加わって腐ったおねえさんたちはウフウフしてるかもしれないけど、僕はミヒャエル・ファスベンダーのセクシーさとウルヴァリン役のヒュー・ジャックマンの筋肉兄貴ぶり(今回も脱いでましたが)が互いに相殺されてしまって結果的にどちらの魅力も引き出せてなかったと思う。

 


ジェームズ・マカヴォイはヒッピー風に髪伸ばして『フィルス』の時みたいなクズっぷりを見せてたけど、なんだろ、途中でエリックと仲違いしたりまた接近したりしてるのがBL的にはどうなのか知んないけど、そういうのわかんない人間から観ても彼らの友情についてはちょっとピンとこないというか、やっぱ薄いのだ。

未来でのこの二人なんかまるで老夫婦みたいだけど、彼らの互いの想いもよくわからなかった。

 
仲睦まじいおじいちゃんカップル(映画以外の画像が紛れ込んでいます)。


老エリックが重傷を負っても、歴史が改変されたから彼は健在なはずだし。

登場人物が多すぎてさばき切れてないというか、こんなこと言うと怒られるかもしれないけど、ゲイのブライアン・シンガーが、かみさんのいるマシュー・ヴォーンに男性俳優の魅力の描写で完敗してたんじゃないか、と。


言いたいこと言ってますが、逆にこの映画が描いているものの真の意味などを考えながら観ると「深い」と思えるのかもしれません。

映画評論家の町山智浩さんがラジオで解説されてたように、このシリーズは被差別者やマイノリティたちの弾圧者たちとの戦いを描いたもので、破壊したスタジアムの瓦礫でホワイトハウスを囲んで演説するエリック=マグニートーはマルコムXだ、とか、彼が対峙するのがウォーターゲート事件を起こしたリチャード・ニクソンだったり、現実の歴史と照らし合わせることで「単なるスーパーヒーロー物」を越えた物語になっている、といったことなど意識して観れば興味深い部分はある。

 


前作の「キューバ危機」に引き続き、アメリカがヴェトナム戦争中だった時代の歴史のお勉強にもなりますし。

個人的には「単なるスーパーヒーロー物」で何が悪いんだと思いますが(ちなみに町山さんはかつて「ほんとにいないスーパーヒーローがほんとにいない悪党を倒してもフラストレーションは発散できない」とスーパーヒーロー物を全否定するような発言をしている)。

でも、社会的弱者や少数者たちについての作品だということは僕は言われなくたってシリーズの最初の頃から意識して観てきたし、何度も言いますが、そういう要素はなぜか評判の悪い3作目でもしっかり描かれてましたよ。


ちょっと話から外れるけど、以前から気になることがあって、これは特殊翻訳家柳下毅一郎さんがブライアン・シンガーの「X-MEN」シリーズについて「なぜマイノリティであるミュータントたちをことさら醜悪に描くのか」(具体的には1作目の悪役セイバートゥースやトードのことを言っている)というようなことを述べられてて、ちょっと面白かったんですね。

逆に今回、シンガーはミュータントたちを殲滅しようとしているトラスク博士役に小人症の俳優ピーター・ディンクレイジを起用している。




小人症の人がどんなキャラクターを演じようととやかく言う気はないけれど、「なんでわざわざこの役に」という疑問は湧く。

トラスク博士は人間だが、ミュータントたちの敵、この映画での悪役である。

なぜこの監督は毎回わざわざ悪役に身体的に特徴のある人を選ぶのか。

そりゃプロフェッサーだって足に障害があるけど、それは役柄上の特徴であって。

正義側=美 悪側=醜 というのは古典的な表現方法だけど、柳下さんはそれをそのままやったら現代ではおかしいんじゃないか、と疑問を呈していた。

たとえばマシュー・ヴォーンは、『ファースト~』でそういう表面的な美醜といった価値判断に捕らわれない表現をしていたと思うんですね。

だって、全身真っ青の鮫肌でこれまでは無口でクールな“悪役”だったレイヴン=ミスティークを表情豊かで人間味のある存在として描き直したぐらいだから。

 


悪役はことさら醜悪には描かれず、エマ・フロストもエンジェルもアザゼルも、名前忘れちゃったけど竜巻を操るスーツ姿の彼も魅力的でカッコよかったでしょう。

逆にX-MEN側だった、環境に適応する能力を持ったダーウィンは見た目ちょっとグロかったりしたし。

悪役のセバスチャン・ショウは若さを失なわない肉体を持った優雅な外見をしていた(鼻コンセントだけど)。

むしろ悪役の方こそスタイリッシュに描いていた。

明らかにマシュー・ヴォーンは意識して悪役を魅力的に描いている。

現実の世界だって、イケてて金持ってて威張ってる奴は一見カッコイイでしょ。

これはつまり穿った見方をすれば、ミュータントだろうと人間だろうと、見た目がすべてではない、ということ。

それがブライアン・シンガーが監督として復帰した途端に、そういう価値観の転倒はうやむやにされてしまった。

そういうところに僕は凄く不満を感じたのです。

ブライアン・シンガー自身がゲイで、おそらくそのことをこの「X-MEN」シリーズに投影しているんだろうに、マイノリティをわざわざ気持ち悪く描いたり小人俳優を悪役に据える理由がよくわかんないのです。

なんかどっかがねじれてるというか、ほんとの自分自身を受け入れられていないんじゃないの?って。

監督のことまで分析しだしたらキリがないんで、このぐらいにしときますが。

ハッキリ言えることは、ブライアン・シンガーは勧善懲悪とかスーパーヒーロー物の映像的な面白さにはさほど興味がない、ということだ(この映画が原作にどれほど忠実か、といったことはこの際措いておきます。原作の内容云々は映画の出来と関係ないので)。

そうでなければ、これまでもそうだったように映像と音によるエクスタシーに達しない作品をあえて(?)作り続ける意味がわからない。

「X-MEN」の世界やキャラクターたちは、彼が表現したいもののために仮に用いているに過ぎないんでしょう。


それと、前にどっかに書いた気がするけど、すでに死んだはずのキャラクターが何事もなかったかのようにひょいひょい出てくるのは非常に興醒めだし(たとえその理由付けがされていても)、そういうこと続けてるうちにまたシリーズから緊迫感がなくなっていくんじゃないかという危惧を覚える。

すでに描いた物語を「なかったことにする」というのは危険なんですよ。というか卑怯だ。

『ファースト・ジェネレーション』はお馴染みのキャラクターたちの若かりし日を描く、ということで新鮮味が大いにあってしかも一種のリブートでもあったわけで、それをまたしても元に戻してしまうというのはどうなんだろうなぁ。

せっかく新しくなったシリーズをまた以前のシリーズと同じ方法論で映画化して何の意味があるんだろう。

時間を遡るのは映画版では初めてだと思うんだけど、それはある意味「禁じ手」であって、そういうことがこれからもまかり通ってしまうと(原理的にはいくらでも可能なはず)、じゃあ、なんかあったらまた過去にウルヴァリンを送りゃいいじゃねーか、ということになってしまう。

てゆーか、キティ・プライドはいつの間にミュータントの意識を過去に送れるようになったんですか?『ファイナル・ディシジョン』ではひたすら壁を通り抜けてただけなのに。




「スタートレック」ならそういうのもアリかもしれないけど(73年のシーンでTVに「宇宙大作戦(STAR TREK)」のカーク船長が映る)、X-MENでこれ以上未来と過去のキャラが入り乱れるような展開はどんどん混乱を招くし世界観の崩壊に繋がるんじゃないかと思うんですが。

クドいけど、原作の方がどうなのかは知りません。興味もない。映画のことだけ話しています。

この作品がシリーズの最終作ならあれでいいと思うけど、まだ続くんならちょっといい加減にしてほしいな、と。

ジーン・グレイ(ファムケ・ヤンセン)とローガン、スコット(ジェームズ・マースデン)の三角関係とか、これ以上まだ見たい人とかいるのか?


この映画が一つの重要なことを言ってるのはわかります。

定められた「運命」などというものはない。私たちの「選択」が未来(フューチャー)を作っていく。未来は常に可能性に開かれているのだ、ということ。

だから、道を誤ったら正せばいいし、経験や思考、反省から学んで「より善き世界」を作ってゆける。

「復讐」や「征服」「殲滅」ではなく、「許し」と「共生」を。


クライマックスの決定的な瞬間に、チャールズは自分の特殊な能力でレイヴンを操るのではなく彼女の判断に委ねる。

君自身が選択しろ、と。

選択次第で、世界はより善きものになる。

チャールズの考えは「希望」そのものだ。

あの場面は、『ファースト・ジェネレーション』のクライマックスと対になっているんだろう。

『ファースト~』で磁力超人“マグニートー”は宿敵セバスチャン・ショウにとどめを刺したが、『フューチャー~』でレイヴンは復讐を思いとどまる。

こうして博士は「機密漏えい」で逮捕され、「センチネル計画」は立ち消えとなって世界の破滅は避けられた。

しかしたとえ博士が捕まったところで、すべての“ミュータント”を捜しだして虐殺する「センチネル」などという究極兵器が技術的に実現可能ならば、いつかかならず誰かが実用化するだろう。

だからこれは真の勝利ではなく、戦いはこれからも延々と続くに違いない。人類とミュータントどちらかが絶滅するまで。

この映画は最後に悪い奴を倒してめでたしめでたし、にはならない。

ブライアン・シンガーはこのような終わり方にこだわったのかもしれない。

スーパーヒーローが“悪”を腕力で倒して観客が溜飲を下げるような結末は、差別され迫害される者たちの戦いとは矛盾するものだから。これを現実に置き換えてみれば、この世から「差別主義者」や「迫害者」が消えることなどおそらくないのと同じことだ。

だからアクション映画としてカタルシスが足りないのは仕方ないのかもしれない。

これは、最悪の事態を正しき「選択」によって切り抜ける物語なのだ。

この映画からこれまでの現実の歴史や今現在の世の中の状況を思い浮かべて、「未来は私たち自身の選択に委ねられている」ということを、僕たちはよくよく心に留めておく必要があるだろう。


未来は書き換えられて、ローガンは愛するジーン・グレイや仲間たちのいるあの「恵まれし子らの学園」に戻ってくる。

キティ・プライドもローグもアイスマンも、ストームもビーストも、懐かしい顔ぶれが今日も生徒たちとともに穏やかな学びの日々を送っている。

そして1973年、海底から引き上げられたローガンは息を吹き返し、なぜか彼を助けて微笑む宿敵ストライカー・ジュニアの目は黄色く光っていた。

完…?


エンドクレジットのあとに、砂漠で空中に巨石を浮かべてピラミッドを作るナゾの男が映る。

まったく意味不明だが、あの男は『X-MEN:アポカリプス』(2016年全米公開予定)に出てくる史上最強のミュータント、アポカリプスなんだそうで(なんでも今度は80年代を描くとか)。

…ふ~ん。どーでもええわ!!でもきっと観るけどな!!!



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