ブライアン・シンガー監督、ジェームズ・マカヴォイ、ミヒャエル・ファスベンダー、オスカー・アイザック、ジェニファー・ローレンス、ニコラス・ホルト、ローズ・バーン、エヴァン・ピーターズ、ソフィー・ターナー、アレクサンドラ・シップ、オリヴィア・マン、タイ・シェリダン、コディ・スミット=マクフィー、ベン・ハーディ、ジョシュ・ヘルマン出演の『X-MEN:アポカリプス』。



1983年。最古のミュータント、エン・サバー・ヌール(=アポカリプス)がエジプトで長い眠りから目覚め、彼に仕える“黙示録の四騎士”を捜して魂が乗り移る新しい肉体を得るために活動を始める。その頃、レイヴン(=ミスティーク)は東ドイツで囚われていたミュータント、ナイトクローラーを救っていた。ポーランドで周囲にミュータントであることを隠して人間の妻と幼い娘とともに暮らしていたエリック(=マグニートー)は、事故の際に磁力を操る力で職場の同僚を助けたために大切な存在を奪われてしまう。セレブロを使ってエリックの居場所やその境遇を知ったチャールズ(=プロフェッサーX)は、彼をミュータントたちが集う「恵まれし子らの学園」に誘うが、チャールズの能力に目をつけたアポカリプスは新しく彼に従うミュータントたちとともに学園を襲う。


2011年のマシュー・ヴォーン監督による『ファースト・ジェネレーション』から始まり、その次の2014年の『フューチャー&パスト』に続くX-MENシリーズ新三部作の完結篇。

監督は前作に引き続きブライアン・シンガーが担当。

観る前からちまたでは微妙な評価なのは知っていたので、正直そんなに期待はせずに、でも一応ずっと観続けてきたシリーズのひとまずの区切りだからちゃんと劇場で見届けたいと思って足を運びました。

今回の敵はシリーズ最強といわれるミュータント“アポカリプス”で、演じるのは『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』ではまったく正反対のキャラで能天気なパイロット、そして『エクス・マキナ』では坊主頭の髭モジャIT社長役で女性型ロボットと一緒に踊ってたオスカー・アイザック。

 


ほんと売れっ子ですよね。

映画冒頭で目を閉じて横たわるわずかなショットを除いて素顔がほとんど特殊メイクと衣装に隠れているためアポカリプスをオスカー・アイザックが演じていたことに気づかなかった人もいるようですが、あの三白眼の特徴的な目つきはまさしくいつもの彼のもので、常に尊大な態度で自らを「神」と名乗る、まるでドラゴンボールZのキャラみたいなアポカリプスに存在感を与えていたのはまぎれもなくオスカー・アイザックのあの目ヂカラだった。

どうやらジェームズ・マカヴォイがプロフェッサーXを、ミヒャエル・ファスベンダーがマグニートーを、そしてジェニファー・ローレンスがミスティークを演じるのはこれが最後らしいので(※追記:どうやらさらなる続篇にも彼らは出演する模様)、そこんところは大いに名残り惜しさも感じるのですが、一方では前評判通りに「かなりビミョーな出来だな」とも思いました。

 


まぁ、そんなわけでここんとこVFXを駆使した「夏休み映画」を何本か観てきたわけですが、残念ながら今回も褒めていません。かなり厳しめの口調で書いています。

特にこの作品やシリーズのファンのかたにとっては不快な文章でしょうから、お読みにならない方がいいと思います。

ただ、僕は別に最初から映画をクサすつもりでわざわざ映画館に出向いてるわけじゃないし、ゴジラもゴーストバスターズもこのX-MENだってそれぞれの過去作にはそれなりに思い入れがあって、今回も純粋に楽しむために観ました。だからたまたまこういう結果になってしまっただけです。

いつも繰り返してますが、このブログに書いているのはあくまでも僕個人の感想ですから、世間の皆さんがその作品に対してどのようにお感じになるかは人それぞれでしょうし、この映画に対しても「いや、面白かった」というかたもいらっしゃるでしょう。

また、これもいつも前置きしているように僕はアメコミについてはまったくの無知で、X-MENの原作コミックは読んだことがないしそれについてどうこう言うつもりもありません。原作についての知識のない人間として、映画についてだけ述べています。

2000年の『X-メン』から16年続いてきた(まだこの先も続きますが)映画シリーズをとりあえずすべて観てきた者として思うところを書いたものです。

以降はストーリーについての言及もあるので、これからご覧になるかたはご注意ください。



観終わって、シリーズがついに完結した、という感慨はなかった。

なんかズルズルと終わった感じで。エンドクレジットのあとにさらなる続篇、もしくはスピンオフに繋がる場面が流れるけど、あー、はいはい、といった塩梅。

多分、このシリーズは前作で描くべきことをすべて描ききっちゃったんだろうな。

だからこの完結篇は、ちょうど『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』のようにその次の三部作に繋げるための「答え合わせ」もしくは「辻褄合わせ」みたいな役割を担わされている。

ほとんどそれだけだったといっていい。

「史上最強のミュータント」というふれこみで登場したアポカリプスは、まるで『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』における悪役ウルトロンのように、主人公たちの団結を促し登場人物を整理してお話をさらなる新章へ繋げるための橋渡し、倒されるべくして倒される、単なる見せかけの強敵でしかない。

だから何人ものミュータントたちが力を合わせてアポカリプスを倒すクライマックスにも、特にアガることはなかった。

ってゆーか、1980年代に蘇ったアポカリプスは「こんな堕落した世界は滅ぼしてやる」と思うわけだけど、そんなに世界を滅亡させたいんならさっさとやればいいのに、モタモタしてるうちに味方だったはずの黙示録の四騎士にも裏切られて集団リンチに遭った挙げ句に「これが私の運命か」などとマヌケな一言を残しておっ死ぬ。

どこが史上最強なんだか^_^; アベンジャーズと戦ったら瞬殺じゃねーか。

見かけ倒しにもほどがある「神」でした。

チャールズの力も利用して世界中の核兵器を宇宙に運び去る、って、やってること善いことじゃん、とも思うしw

とにかく、このアポカリプスさんが配下の“黙示録の四騎士”を一人ずつ捜す過程がずっと描かれるんだけど、神様だったらもうちょっと効率のいいやり方があったんじゃないのか?

まぁ、よくよく考えれば間の抜けたその姿がカワイイっちゃカワイイのかもしれませんが。

アポカリプスのキャラそのものは僕だって嫌いじゃありませんよ。

大好きな『スーパーマンII』のゾッド将軍(テレンス・スタンプ)にも似た、本人は大真面目なのに人間たちとのギャップが可笑しいキャラとして愛すべきところはある。それはウルトロンだってそうでしたし。

この映画が今一つパッとしなかったのは、アポカリプスがすべての人類とミュータントたちの共通の脅威、というふうに見えなかったこと。

なんか「最強の敵」感が希薄というか、規模はデカいはずなのにずいぶんと狭い範囲で戦ってるなぁ、と。

彼の持つ能力がどういうものなのか、イマイチよくわからなかったし。

たとえば『ファースト・ジェネレーション』の悪役セバスチャン・ショウ(ケヴィン・ベーコン)は、どんな強力な攻撃もすべて吸い込んで自分の中にエネルギーとして蓄えてしまう、まさしく「最強のミュータント」だったけど、あの絶対的な強さ、誰もかないそうにない無双ぶりは痛快だったじゃないですか。

ああいうスーパーヒーロー映画の絶対悪としての魅力が、アポカリプスには欠けてるんだよね。

そしてそれはやはり、マシュー・ヴォーンとブライアン・シンガーの監督としての手腕の差だと思う。

描きようによっては絶望的なまでの強さを誇る「史上最強のミュータント」を僕たちはスクリーンで目撃できたかもしれなかったのだ。

でもこの完結篇は『ファースト~』には遠く及ばなかった。

つくづく前作で監督がシンガーに戻ってしまったことが悔やまれる。

前作の感想でも書いたけど、舞台となるのが過去とはいえせっかくシリーズをリブートして新しいX-MENの物語が始まったのに、ブライアン・シンガーのせいで全部元に戻っちゃったのだ。映画として中途半端なところまでが。

『ファースト~』にあったユーモアは姿を消し、丁寧に描かれていたキャラクターたちは事務的に処理されて(何人ものキャラがいつの間にか死んだことにされてる。今回はハヴォック。彼の死の描写はまったく納得いかなかった)、さぁ、これで『X-メン』1作目に続きますよ、ってな具合に過去作との帳尻合わせに終始する。

確かに映画版のX-MENシリーズを立ち上げたのはブライアン・シンガーだけど、だからって彼がいつまでもこのシリーズにしがみついてる必要などない。

『ファースト・ジェネレーション』の感想でもちょっと書いたことでこれはずっと納得いかないので再びここで述べますが、旧三部作(『X-メン』~『ファイナル・ディシジョン』)の最終章『ファイナル・ディシジョン』はブライアン・シンガーが『スーパーマン リターンズ』の撮影で離れたためにジャッキー・チェン主演の「ラッシュアワー」シリーズのブレット・ラトナーが監督したんだけど、なぜか(特に原作ファンから)クソミソに言われてて、勝手に「失敗作」扱いにされている。

でも僕はあの作品は普通に面白かったし、三部作の完結篇としてよくまとまってると思います。

逆にあの映画の何が不満なのか不思議でしょうがない。




もちろん『ファイナル・ディシジョン』が完璧な映画、傑作などと主張する気はないけれど、だからって蛇蝎のごとく嫌う理由がわからない。

むしろブレット・ラトナーは健闘していたんじゃないかなぁ。この『アポカリプス』の間延びした感じ、消化不良ぶりに比べたら『ファイナル~』の方が1本の映画としてよっぽど完成されてる。

イアン・マッケランが演じるマグニートーがゴールデンゲートブリッジを宙に浮かせて移動させる場面なんか迫力あったし、レベッカ・ローミン演じるミスティークの活躍もかっこよかったし、壁を通り抜けて走るキティ・プライド(エレン・ペイジ)とそれを追うジャガーノート(ヴィニー・ジョーンズ)翼で飛び立つエンジェル(ベン・フォスター)など、『アポカリプス』にはそういうアガったり感動的な場面がほとんどなかった。

映画としてはアポカリプスによる大破壊が見せ場のはずなのに、その盛り上がらないことといったら。勘所をすべてハズしてる。






アガらないVFXの数々

原作に忠実かどうかとか、そういうのどーでもいいんで。ここでしてるのは「映画」としてどうなのか、って話だから。

だから、どうもアメコミ映画って「面白さ」についての感覚が一般の観客とコミックファンとの間でずいぶんと隔たりがあるんじゃないかと思うんですよね。

バットマン vs スーパーマン』の時にも、普通の人とコミックファンの反応が如実に違ってたもんね。どうも彼らは僕のような人間とはまったく違う人種のようだ。

『ファースト・ジェネレーション』も、原作ファンよりもそうじゃない人の方が高く評価してる印象があるし。要するに、『ファースト~』の方は必ずしも原作にこだわっていないからでしょう。

マシュー・ヴォーン本人はコミックファンだし、もちろんそれはわかっててやってるんだろうけど、ただの“ファン”目線なのか、それとも独創的なクリエイターのそれなのかの違いでもあると思う。

映画の中で原作をどれだけ忠実に再現したか、なんて、ほんとどーだっていいと思います。映画は漫画の奴隷でもしもべでもない。独立した媒体だ。

だからアメコミファン(すべての人ではないが)のほとんど狂信的ともいえる細部へのこだわりは僕にはちっとも理解できないし、彼らのような価値観で映画をジャッジする人々とは永遠にわかりあえないだろうとさえ思う。ちょうど人間とミュータントがけっして混じりあうことがないように。


あと、これは『アポカリプス』に限らずシリーズを通して言えることなんだけど、X-MENのミュータントたちって、一部の主要キャラを除いていつもあっちにフラフラこっちにフラフラ、あちらの味方になったりこちら側についたりと、腰が定まってなくて一本筋の通った信念が見られないというか、どうもイライラさせられる。

今回はマグニートーがたやすく巨悪の配下になるし。

 


ミュータントであることがバレて追いつめられて、“はずみ”で射られた矢が都合よく妻と娘を貫通、怒って人類を滅亡させようとする、って、ちょっとあまりにも無理がありすぎやしないか。

この人、家族以外にもいろんなところに子種を撒き散らしてるし、ちっとも共感できない。

やはりアポカリプスの四騎士の一人になったストーム(アレクサンドラ・シップ)が、最後は何事もなかったかのように「恵まれし子らの学園」で他のミュータントたちとくつろいでるのもまったく納得いかないし。さっきまでX-MENの敵として暴れてたくせに。

もちろん、このシリーズの“ミュータント”というのは現実の世界での“人間”の喩えでもあるのだから、フラフラと迷い続ける彼らの姿は人間のそれでもあるのはわかりますけどね。

自分たちは一体誰のために戦うのか。

悪者を倒しておしまいではなく、誰もが「より善き者になれる」というチャールズ=プロフェッサーXの信念がこのシリーズを貫いていて、だからたとえ誤った道を歩んでいた者であっても更生できる。

言ってることはわかりますよ。

それにしてもさ、と。ほんとにカタルシスがないよねぇ。

アポカリプスがチャールズの頭の中で巨大化して彼を振り回す場面とか、アポカリプスに身体とテレパスの能力を乗っ取られそうになってマカヴォイがハゲ散らかしちゃう場面なんかは面白かったし、前作からの続投のクイックシルヴァー(エヴァン・ピーターズ)が猛スピード(逆に画面では他のすべてがゆっくりに見える)で「恵まれし子らの学園」の子どもたちを避難させるコミカルな場面などは楽しかったです。




お約束のウルヴァリンことローガン(ヒュー・ジャックマン)の登場シーンも「キタキタ!」って感じで。




スタン・リーおじいちゃんの顔が大写しになると、深刻な場面でも思わず和んでしまうw

だから見どころがまったくないわけじゃないし、シリーズに思い入れがある人ならばグッとクるかもしれない(『ファースト・ジェネレーション』からの回想場面もある)。僕はあまりキませんでしたが。

ただ、これも前作の感想で書いたけど、僕にはもうサイクロップスとジーン・グレイの関係とか、ストームとか、過去作のキャラが若い姿で出てきても別に感動もないんですよね。


若き日のジーン・グレイ(ソフィー・ターナー)とサイクロップス(タイ・シェリダン)

ローガンの過去のことについても、その話もういいよ、って。そろそろシリーズを先に進めてくれないかな、と。

ジーン・グレイが仲間たちと映画館で『ジェダイの復讐』(1983)を観終わって「3作目はいつもイマイチ」と言ってたけど、その言葉全部この映画に跳ね返ってますから。自虐ネタなのか?

悪いけど、この映画に比べたら『ジェダイの復讐』は100万倍面白いです。

だから、世評に反して僕はやっぱりこのシリーズの現在までのほんとの「完結篇」はブレット・ラトナーによる『ファイナル・ディシジョン』だと思っています。思うだけなら自由ですから。

ウルヴァリン単独のスピンオフ第3弾『ローガン』でもってヒュー・ジャックマンはウルヴァリン役を“卒業”するそうで、前作『ウルヴァリン:SAMURAI』がトンデモ珍作だったので同じ監督が撮る最新作もちょっと不安はあるんだけど、日本が舞台じゃなければなんとかなるかな、とも。

もしかしたら、その映画が本当の意味での「完結篇」になるかもしれません。


↓まだもうちっとだけ続くんじゃ。
『X-MEN:ダーク・フェニックス』



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