トム・フーパー監督、エディ・レッドメインアリシア・ヴィキャンデルマティアス・スーナールツベン・ウィショーセバスチャン・コッホアンバー・ハードエイドリアン・シラー出演の『リリーのすべて』。2015年作品。R15+



1926年のコペンハーゲン。画家のアイナー・ヴェイナー(エディ・レッドメイン)は、妻でやはり画家のゲルダ(アリシア・ヴィキャンデル)の絵のモデルとして女装したことから彼の中にあった内なる女性性にあらためて気づく。自ら女性である“リリー・エルベ”として生きることを選んだアイナーは、当時まだ誰も成功していなかった性別適合手術を受ける決意をする。


第88回アカデミー賞助演女優賞(アリシア・ヴィキャンデル)受賞。

世界初の性転換手術を受けたアイナー・ヴェイナー(エイナル・ヴェゲネル)の伝記映画。

岩井俊二監督の映画とは無関係、っていうのはお約束のツッコミ。それにしても紛らわしい邦題ですよね。

原題は“The Danish Girl”。「デンマークの娘」?まぁ、邦題の方が趣きがあるっちゃあるのかも。原題の方は絵のタイトルっぽいですね。

原作はデヴィッド・エバーショフの小説「世界で初めて女性に変身した男と、その妻の愛の物語(原題は映画と同じ The Danish Girl)」。

監督のトム・フーパーは僕はこれまで彼の『英国王のスピーチ』と『レ・ミゼラブル』を観ていますが、ここ3作はすべてアカデミー賞にかかわってますね。

今回作品賞ではノミネートされなかったけど、されてても不思議ではないような風格のある作品でした。

同じく同性愛者を描いた『キャロル』がノミネートされなかったのはLGBT映画への偏見だ、というような議論もあったけど、この映画についても似たようなことが言えそうですよね。

でもどちらの映画も出演者がオスカーにノミネートされて、こちらは助演女優賞を受賞しているし、お客さんも入ってるからアカデミー賞の威力はやっぱりスゴいな。

音楽はアレクサンドル・デスプラ

昨年は『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』でアカデミー賞にノミネートされたり『グランド・ブダペスト・ホテル』で受賞したり(『アンブロークン』も担当)、この人も最近アカデミー賞づいてる人ですよね。

今回の音楽も良かった。この人の曲好きだなぁ。

僕はエディ・レッドメインの出演した映画はこれまでに『レ・ミゼラブル』など何本か観てますが主演作品はまだ1本も観ていなくて、昨年彼がアカデミー賞主演男優賞を受賞した『博士と彼女のセオリー』もタイミングが合わず公開時に観られなくてDVDでも未見のまま。

今回のこの作品でもレッドメインは主演男優賞にノミネートされていて(受賞はレオナルド・ディカプリオ)、そろそろこの人の主演作をちゃんと観なきゃなぁ、と思い映画館へ。

ただ先日の『キャロル』の時にも書いたように、僕は同性愛というテーマ自体にはたいして興味がないので、アカデミー賞関連作ということでこういう題材を扱った映画を続けざまに観ることには正直ちょっとためらいもあった。

というのも、以前、劇場公開当時に『フィリップ、きみを愛してる!』と『シングルマン』を観て「男の裸や男同士のラヴシーンはもう結構」と思い、さらにその後、頂き物のDVDで『ブロークバック・マウンテン』を観ていて途中でキツくなって観るのをやめた経験があるので^_^;

自分の中にいろいろと偏見や誤解があるだろうことは自覚してるつもりだし、男を愛そうが女装しようが宇宙人の格好をしようがそれは人の自由だと思いますが、別にそういうことに悩む人の映画を観なくてもいいなぁ、と。

だからちょっと及び腰だったんですよね。

でも結果的には観てよかったです。

なぜならこれは“男”から“女”になった実在の人物を描きながら、「本当の自分」を求めてアイデンティティに揺れる者の物語だったから。

同性愛者やトランスセクシュアルを題材にしているけれど、そうではない人でも自分に引き寄せて観ることができると思う。

原作は読んでないから映画について述べますが、先ほど「伝記映画」と書いたけど、Wikipediaで実在のリリー・エルベ、エイナル・ヴェゲネルの項を読むとアイナーと妻のゲルダはアイナーの性転換手術を理由に国王から婚姻を無効にされた、と書かれている。

このあたりは映画では描かれていないし、映画では2回目の手術後(実際には計5回手術を受けた)にアイナーはゲルダの傍らで亡くなるが、現実にはすでに“リリー・エルベ”となった元夫アイナーとは離婚して別の男性と再婚していたゲルダは“彼女”の死を再婚先のモロッコで知った、とある。

モロッコというのがまた、ある世代以上の人にはまるでこの題材と示し合わせたようにすら感じられるかもしれない。

ともかく実際にはゲルダはリリーを看取ってはいない。

つまり映画は史実に忠実に描くことにこだわっていないし、これは現在の世の中でも依然存在する性的マイノリティへの差別や偏見、迫害といったものをテーマにしているのでもない。彼らの権利を主張することが主眼ではない。

もしもそうなら、性転換のために国王に婚姻を無効にされた重大な一件を物語の中から外すはずがないでしょう。

差別やそれとの戦いについての映画ではないというのは『キャロル』とも共通していて、これは「自分らしさ」の追求についての物語、そもそも「自分」とはなんなのか、という問いかけのようにも思える。

劇中、パリでアイナーが歩いていると二人連れの男たちに「お前は男か、女か」と嘲笑われ殴りつけられる場面があるが、僕にはあれは自分の中の「男」と「女」に揺れて葛藤するアイナー自身の自問自答のようにも感じられたんですよね。アイナーかリリーか、私は一体どっちなのだ、と。

自分の拠って立つ場所、自分はどのように生きていくべきなのかを探し求める者の彷徨を描いた映画なんだ、と解釈した。

だからこれは題材を“宗教”に置き換えても成り立つし、つまり人のアイデンティティについての話なのだ。

では、これ以降はストーリーについて書いていきますので、まだご覧になっていないかたはご注意ください。



まずは出演者ですが、この映画での僕にとっての最大の見どころはアリシア・ヴィキャンデルのヌード(美尻♪)だった(°∀°)b アカデミー賞を受賞したヴィキャンデルの演技はもちろんだけど、気持ちいいぐらいにサバサバしたモデル役のアンバー・ハードもとてもよかったので彼女をもっと見ていたかったぐらい。

 
彼女の褐色の裸体に見入ってしまった

 
ちなみにアンバー・ハードはバイセクシュアルであることを公言している。夫はジョニー・デップ(追記:残念ながら今年5月に結婚生活わずか15ヵ月で離婚)


ハンス役のマティアス・スーナールツにはちょっとウホッてなったけど。

いい奴なんだよなぁ、ハンス。友だち思いで。

 


アイナーに施術するウォーネクロス医師を演じているセバスチャン・コッホはスピルバーグの『ブリッジ・オブ・スパイ』にも出てたけど、最近よく見かけますね。

どちらもドイツ絡みだから(『リリーのすべて』はドイツが製作に関わっている)、というのもあるかもしれないけど。

さてこの映画、僕には最初のうちはかなり違和感があって、エディ・レッドメインは確かに中性的な面立ちの俳優ではあるけれどどう見たって男なので、女装した彼を見た人々が本物の女性だと信じるという展開にどうしても無理を感じてしまって「そんなわけないでしょ」とずっと心の中で呟いていた。しかも「美人」ということになっててみんなが彼女に見惚れる。

 
美人かどうかはともかく、こういう顔のオネェさまは普通にいそうですが


だけどなぁ、あの女装姿でいきなり町を歩いたりパーティに出席したりして、それで誰からも気づかれないってのはありえなくないですか?声だって普通に男のものだし。

アイナーの妻ゲルダを演じているアリシア・ヴィキャンデルや彼女の絵のモデルのウラを演じるアンバー・ハードがとびきりの美人なものだから、なおさらエディ・レッドメインの女装にはまがい物臭しか感じられない。

実際のアイナーは外見もきわめて女性的だったそうだから事実を描いているのかもしれないけど(本人の写真を見る限りそうは思えないが…)、とにかく本物の女性には見えない人を「この人はほんとはもっと女性に見えてるんだ」と思い込みながら観続けるのは結構しんどかった。


リリー・エルベ(本人)


女装したアイナーが「アイナー・ヴェイナーの従姉妹」だと名乗っても誰もそのことに疑問を抱かないのも、「ほんとはみんな気づいてるけど気づかないフリしてんじゃないの」と思ったけど、そのへんは曖昧なまま。

昔、デヴィッド・クローネンバーグが撮った『エム・バタフライ』について、美形だがどうしたって本物の女性には間違えようがない女装姿のジョン・ローンについて「あれは自分が同性愛者だと認められない男が彼のことを女性だと思い込もうとしたのだ」というような指摘をしている解説を読んだことがあって、それをちょっと思いだしました。

『エム・バタフライ』(1993) 出演:ジェレミー・アイアンズ



世の中には男性の心で外見も男性のまま同性を愛する人もいれば、アイナーのように心も外見も女性であることを望み、女性として男性を愛する人もいる。女装しながら性的対象は異性の人もいる。性的指向は実にさまざまで細分化されていて、それはまるで音楽のジャンル分けのように複雑でもはやすべての人々を限られた性的な役割の中に押し込めることはできない。

なんともタイムリーというか、ちょっと前に『マトリックス』のウォシャウスキー姉弟の弟アンディ・ウォシャウスキーが姉に続いて性転換して、ついにウォシャウスキー兄弟が完全にウォシャウスキー姉妹になったニュースが流れてましたが(しかもアンディの新しい名前は“リリー”)、この『リリーのすべて』でのリリー・エルベの苦悩や命にかかわる大手術に比べると、ずいぶんとカジュアルだな、と。


『マトリックス』のウォシャウスキー姉弟が姉妹に!


いや、ウォシャウスキーさんたちにもいろいろと苦悩や葛藤はあったり手術だって簡単じゃなかったのかもしれないけど、それでもリリー・エルベの時代とは隔世の感がありますね。

僕がこの“姉妹”に覚えるなんともいえない不安定な印象は、映画『リリーのすべて』の前半あたりでアイナー=リリーに対して感じたものによく似ている。

たとえば、この映画で出番は必ずしも多くはないが重要な登場人物であるヘンリク役のみんな大好きベン・ウィショーは自身がゲイであることをカミングアウトしている俳優だけど、彼のように男性として男性を愛する人にはなんの不自然さも感じない。




無理をしているように見えないから。

そしてこの映画での彼は確かに魅力的で、なるほどちまたでのその人気ぶりが納得できる。

でも妻ゲルダから女装を“そそのかされた”ことがきっかけでやがて「リリー・エルベ」を名乗って女性になることを望むようになるアイナー・ヴェイナーは、何かとても無理をして「自分以外の何か」になろうとしているように思えてならなかった。

彼は妻からレクチャーを受けたり町ののぞき部屋に行って裸の女性のしぐさを真似たり、「女性らしさ」を学ぶ。もともとなかったものを学んで身につけるのだ。

また、女性用のドレスや下着にうっとりする様子なども、「女装」という行為そのものへの執着に思えた。

本物の女性は必ずしも意識して「女性であること」を学ぶとは限らないし、もともと女性なんだから「女装」などしない。化粧をしたり女物のドレスや下着を身につけることにいちいち興奮を覚えたりしない。当たり前の行為だからだ。

だからアイナーは、本来の自分ではない存在になろうとしている。

彼自身は少年の頃に故郷で友人のハンスに恋をして彼からキスされたことを思い出にしていて、だから女装していきなり同性愛(※追記:この映画の主人公“リリー”はトランスジェンダー女性なので、彼女が男性を愛することは同性愛ではなくて異性愛ということになりますが、2016年鑑賞時の僕の認識での表記のままにしてあります。紛らわしくて申し訳ありません)や異性装に目覚めたわけではなく、長い間押し込めてきたものがたまたま妻のモデルになったことがきっかけで表に出た、ということなのかもしれないが。

劇中でもゲルダがアイナーを診た医師から「クローゼットはちゃんと閉じていますか?」と質問されるが、LGBTにおける「クローゼット」の意味を知っているとなかなか象徴的な言葉だ。

僕がアイナー=リリーに不自然さを感じたもう一つの理由は、彼=彼女が生まれ持った自分の身体と男性という性に対して常に否定的で、しばしば「自分の中のアイナーを消したい」と口にすること。

それが妙に引っかかったのだ。

これは憶測で書いているしあくまでも僕個人の“解釈”で、現実の世の中で行なわれる性転換を否定したり、そういう人たちの心の中まで勝手に決めつけるつもりはないのでそこはご理解いただきたいんですが、僕はこれは一種の自殺願望だと思う。

「自殺」というのは、自分で自分を殺すこと、この世から自分という存在を消すことだ。

そこには激しい自己否定があり、その苦しみから逃れるために人は自ら死を選ぶ。

アイナーの自己否定は自殺願望によく似ている。

事実、男性器を切除する、というのは象徴的な「死」ではないだろうか。女性が病気などで自らの乳房を取り除かなければならない時におそらく感じるであろう深い悲しみや痛み、喪失感。男性であればそれと同等のことを感じるはずの医療行為を、敢えて自分の意思で行おうとするのは自らの死を望んでいることに他ならないのではないか。

彼は一度死んで、「彼女」に生まれ変わって新しい人生を生きる。

僕にアイナー=リリーが「無理をして別の存在になろうとしている」ように見えてしまうのは、しなくたって死ぬ心配はないのに、むしろわざわざ命を失う大きなリスクを負ってまで手術を敢行しようとする彼の姿に、自分勝手ともいえる「自分らしさ」の希求、自分にとっての「確かなもの」を求めてやまない人間の滑稽さと哀しみを見るからだ。

アイナー=リリーの苦悩を「滑稽」などと表現すると怒られるかもしれないが、女装したエディ・レッドメインがベン・ウィショー演じるヘンリクに迫られてドギマギする場面や、ちょうど男子がお風呂場で「見て見て~、女~Υ」ってやるようにチ○コを股に挟んで鏡の前で恍惚とする姿(『羊たちの沈黙』でもありましたな)は滑稽だし、そもそも恋愛や性にまつわるエトセトラは本人がどんなに深刻に悩もうが傍から見ればしばしば滑稽だ。

自分の絵のために夫を女装させて、さらにその姿で人前に連れ出す妻は、やがてそれが“ただのゲーム”などでは終わらないことを思い知る。言っちゃなんだがすべて彼女が蒔いた種ともいえる。

ゲルダがアイナーに女装させなくてもいずれ彼は自らそれを始めたかもしれないが、少なくとも映画の中では彼女のせいでアイナーは「病気」になる。

女装一つで揺らいでしまう、あまりに脆い性の同一性。

自分の中に女と男がいる、という何やら多重人格めいた状態に陥るアイナー。

リリーをわざわざアイナーとは別の人格として“演じる”ところなどまさしく。

僕の目にはこれはとても“滑稽”に映る。

夫を女装させて人々にお披露目するのは平気だが、その夫が男とキスをしていると取り乱す妻もなんとも不思議な感性の持ち主だ。

彼女は芸術家だから、そういう多少の「倒錯」的な行為もアリだったんでしょうが、しかし真面目な夫はそれにハマってしまい、後戻りできなくなってしまった。

「性」とはなんと単純、かと思えば複雑で扱いづらく、滑稽なものなのだろうか。

そしてそんな「性」は人の「生」と分かちがたく結びついている。

異論のあるかたもいらっしゃるでしょうが、個人的には性同一性障害で性転換する人も美容整形をする人も宗教にのめり込む(もしくは宗教を渡り歩く)人も、すべておおもとは「心」の問題で、根っこは同じだと思います。本人が“どう感じているか”ということが重要なので。

自分が生まれた時から持っている身体に違和感を覚え「本当の自分」を求める、「本来の自分の姿」を取り戻そうとする、というのはその人自身の心の中の問題で、他者が客観的にどうこう判断できるものではない。本人が堪えられずに変わることを望むから「障害」とされるんであって、何も抵抗を感じなければ同じ状態だって別に病気でもなんでもない。


映画の後半あたりから本格的に女性として生き始めたリリーには、前半で感じた不自然さを次第に感じなくなりました。

それは“彼女”が女性としての自分に確信を持って、もう揺るがなくなったから。

百貨店で女性店員として働き始めたリリーは輝いて見える。

世の中では誰もが何かを演じている。

これまでは「男」や「夫」を演じてきた彼女は、今度は「女」を演じる。アイナーはアイナーを演じることをやめてリリーを演じることにした。そういうことだ。

だから、そんな自分に彼女が満足してその後の人生を無事送っていれば、同じ悩みを持つ多くの人々の手本にもなっただろう。

だが、彼女はさらに手術を行なって、その結果亡くなる。

映画ではあまり触れられていないが、アイナー=リリーは「本物の女性」になることを望んでいて、卵巣と子宮の移植手術も受けたんだそうな。

子どもを産みたかったんである。

これは滑稽を通り越してもはや狂気だ。

医学的に実現不可能なものを手に入れようとして、彼は手術を繰り返し、死んだ。

この映画は性別適合手術の先駆者としての彼の勇気を讃えるが、僕は別の視点からこの映画を観ました。

それは現実を逸脱してしまった者の哀しみだ。

生まれ持った自分の身体を受け入れられず男としての社会的役割にも堪えられず、自分にはけっして持てないものを持とうとして自らを傷つけ死んでいった哀れな人。

その愚かしさすら感じてしまう人生に、でも軽蔑ではなくどこか共感を覚えてしまう。

なぜなら彼は自分の目指す道を“選択”したから。常識や規範からはみ出しながらも本当に自分が求めるものを手に入れようと行動した。

2度目の手術の前にリリーが見せた嗚咽はなんだったのだろう。

これから自分の理想の身体により近づくのだから嬉しいはずなのに、なぜ彼女は泣いたのか。

あの涙は、愛する“元妻”ゲルダやハンスとの本当の別れを予感してのものだったのか、それとも彼女が消滅を望んだ「アイナー・ヴェイナー」との別れに対してのものだったのか。

この映画では、パイオニアとか偉人というよりも、心から愛し心配してくれる妻や友人たちの手を煩わせ彼らを悲しませながらただひたすら自分が見た“夢”を追って、最後はストールとともに空に飛び立っていった一人の道化師の哀しい喜劇が描かれている。

そして僕は、そんなドタバタを繰り返しながら生きて、死んでいく人間にちょっとため息を漏らしながらも、微かに愛おしさも感じるのだ。



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