ライアン・クーグラー監督、マイケル・B・ジョーダンシルヴェスター・スタローンテッサ・トンプソントニー・ベリューフィリシア・ラシャド出演の『クリード チャンプを継ぐ男』。



アドニス・ジョンソン(マイケル・B・ジョーダン)は、今は亡き伝説のチャンプ、アポロ・クリード(カール・ウェザース)と愛人との間の息子だった。母が亡くなり施設にいた彼をアポロの未亡人であるメリー・アン(フィリシア・ラシャド)が引き取って親子として暮らしていたが、やがて成長したアドニスは恵まれた環境を捨て、自分が生まれる前に他界した父アポロと同じボクサーの道を選ぶ。そして自分のトレーナーになってもらうため、父の生涯のライヴァルにして親友だったロッキー・バルボア(シルヴェスター・スタローン)のいるフィラデルフィアへ向かう。


2007年の『ロッキー・ザ・ファイナル』から8年ぶりの続篇。「ロッキー」シリーズのスピンオフという位置付けらしい。

実は結構最近になるまでこの映画の存在を知らなくて、たまたま映画サイトで見つけて「またやるの?」と内心呆れていたんですよね。

だって、『ロッキー・ザ・ファイナル』でもう綺麗に最後を飾ったわけじゃないですか。

それがまた『ロッキー5』みたいに若者を育てる話って、なんだか往生際が悪いなぁ、と思ってしまって。

だけど先に謝っておきますが、ゴメンナサイ、観てみたらイイ映画でした。


この映画、TVでたまに予告を目にするけどあまりに短くて印象に残りづらい。

続篇といえば、ちょうど今はあの世界的な人気シリーズの最新作が公開されてて、完全にそちらに話題を持ってかれてる感じ。

こちらも同じく「エピソード7」なんですけどねw

『ロッキー』も『スター・ウォーズ』もどちらも1970年代の半ばから終わりにかけて公開されて、アメリカ映画を変えたといわれる作品、という共通点がある。

それぞれの最新作が同じ年に封切られるというのも面白い縁ですね。

そして、かつての“英雄”が若者を導き道を譲る、という展開も非常によく似ている。

 


そんなわけで、もしかしたら『フォースの覚醒』のネタバレもポロッとしちゃうかもしれないので、この映画『クリード』とスター・ウォーズの最新作をまだご覧になっていないかたは以降はご注意ください。



『ロッキー・ザ・ファイナル』では60代にしてリングに上がったロッキーだが(あの映画の時点でロッキーの年齢がいくつの設定なのかは知らないけど、演じたスタローンは60代前半だった)、この映画での彼は完全にボクサーを引退して前作から引き続き亡き妻エイドリアンの名前を付けたイタリアン・レストランの仕事一本でやっている。

『フォースの覚醒』ではハリソン・フォードが宇宙を飛び回る冒険野郎ハン・ソロの現役ぶりを披露していたけれど、この『クリード』ではロッキーは一度も脱がないし、誰かと殴りあいもしない。

アドニスのトレーニングをするが一緒に走らず車で併走するし、映画の後半では身体も動かさなくなる。

この映画ではロッキーはあくまでも主人公アドニスを見守る存在で、彼には別の闘いが待っている。

「夜、背中が痛くて眠れないんだ」と妻の墓に語りかけるロッキーは、癌に侵されていた。

それは妻エイドリアンが罹ったのと同じ病いでもあった。

「ロッキー」シリーズってとにかく登場人物がどんどん死んでいく話で、『ロッキー3』ではロッキーのトレーナーだったミッキー(バージェス・メレディス)が、『ロッキー4/炎の友情』ではアポロが劇中で死んでいる。

前作では妻のエイドリアン(タリア・シャイア)がいつの間にか亡くなってることになっててちょっとビックリしたんだけど、今回はさりげなく彼女の兄ポーリーが墓の中に入っている。

どんだけ殺すんだ、と^_^;

ちなみに、たとえば「男はつらいよ」シリーズみたいに、あるいはアニメの「サザエさん」みたいに出演者や声優さんが亡くなったからやむなくキャラクターを死んだことにした、ということではなくて、ミッキー役のバージェス・メレディスは『ロッキー5』の頃ぐらいまではご存命だったし、エイドリアン役のタリア・シャイアやポーリー役のバート・ヤング、そして4作目でドルフ・ラングレン演じるイワン・ドラゴに試合中に殺されたアポロを演じたカール・ウェザースもみなさん今でも健在。
※追記:バート・ヤングさんのご冥福をお祈りいたします。23.10.8

だから、僕はある時期まではこのシリーズの、なんかそうやって登場人物たちを殺して話を盛り上げようとする作劇がちょっとヤだなぁ、と思っていたんです。

前作ではロッキーがあれほど愛したエイドリアンがあっけなく死んだことにされてたのにも、若干あざとさを感じないではなかった(ロッキーが墓参りする場面は泣けたけど)。

いや、『ロッキー・ザ・ファイナル』は好きな作品ですけどね。

今回、「エイドリアンの死」についてちゃんとロッキー本人のドラマに絡めてあって、前作を観返してないから最初からそういう設定だったのか今回初めて言及されたのか忘れちゃったけど(エイドリアンの死因については、ロッキーとポーリーが話してたような気もする)、とても腑に落ちたんですよね。

エイドリアンの死は、ロッキーにとっては何より大きな喪失だったということ。

これまでにも愛する人々を何人も亡くしたロッキーだが、『ロッキー・ザ・ファイナル』でついに彼は最大にして決定的な存在を失ったのだった。

これまで自分自身のために闘ってきた彼の傍らにいつもいてくれたエイドリアンがいなくなったことは、ロッキーの生きる意欲を減退させて目に見える形で彼の健康を蝕んでいた。

アドニスをチャンプにするために彼を鍛えるロッキーだったが、スパーリングの最中に倒れて病院に運ばれる。

癌を告知されたロッキーは医師から化学療法を勧められるが、同様に化学療法で苦しみ続け力尽きたエイドリアンの姿を見てきたためにそれを拒絶する。

アドニスの説得に対しても、ロッキーは彼を「家族じゃない」と突き放す。

この時のロッキーの「みんな死んで俺だけが生き残ってしまった」という言葉に思わず涙ぐんじゃったんですよね。

おそらくスタローンがもっと若い頃だったらまったく説得力を感じなかったであろうその言葉が、70歳手前の彼の姿には妙なリアリティを感じてしまって。

何しろ『フォースの覚醒』を観たあとなものだから、エイドリアンの許へ行くことを望むようなロッキーの発言に…あれ?やべぇぞ、もしかしてロッキーも死んじゃうの?と思ったら急に目頭が熱くなってきた。

僕は別に「ロッキー」シリーズの熱烈なファンではなくて初めて観たのはTVで放映された『ロッキー4』だし、6作目『ロッキー・ザ・ファイナル』で初めて劇場で鑑賞した程度の人間ですが、まぁ、シルヴェスター・スタローンというアクションスターは80年代からお馴染みだったし、年々筋肉以外のところで円熟味を増しているスタローンには世代的に父親的なものも感じてるんで、若い頃はめっちゃ元気でスゲェ強かった親戚の叔父さんが老いて元気がなくなってきた姿を見るようで、なんか堪らんかった。

現実の世界でも少年時代から馴染み深かった俳優さんや声優さんたちが毎年のように亡くなっていてツラいんですが、それがこの映画のスタローンと重なったんですね。

その時の僕は完全にアドニスとシンクロしていた。


ロッキーを“おじ(Un)”と呼び、彼に亡き父の面影を見ていたアドニスは自分を捨てるようなロッキーの言葉にショックを受けて、恋人になった歌手のビアンカのライヴ会場で暴言を吐いた男を殴って逮捕される。

留置所にアドニスを引き取りにきたロッキーは彼に謝る。ロッキーの長所の一つは、自分に非があると思ったら素直に反省してちゃんと謝るところだ。

彼はアドニスに、自分も病気と向き合ってともに闘うことを誓う。


主演のマイケル・B・ジョーダンは僕は『クロニクル』で初めて知った俳優さんで、彼が出演したライアン・クーグラー監督の前作『フルートベール駅で』や今年公開されたリブート版『ファンタスティック・フォー』は観ていませんが、現在人気上昇中の若手の有望株ですね。

今作ではしっかりと身体を作ってボクサーになりきってました。

あちらの俳優さんって『ウォーリアー』のトム・ハーディといい『ザ・ファイター』のマーク・ウォルバーグといい、そのあたりの身体の作り込みがスゴいのでいつも驚かされる。

アドニスと対戦することになるイングランド出身の現チャンプ、コンラン役のトニー・ベリューはプロのボクサーだけど、黒目がちな目と顔つきが平成ノブシコブシ吉村崇に似てるなぁ、と思って見てたら、もう筋肉質の自称・破天荒芸人にしか見えなくなってきて困った。

でも演技が達者ですよね。

なんかあのあまり瞬きしない目つきだけで、明らかにシロウトではない只者ではなさそうな雰囲気を見事に醸し出してる。

 


ベリューの他にも、ジムの練習試合でアドニスを軽々とノックアウトするも、コンランとの試合前の会見で口論となり殴られてあえなく退場するアンドレ・ウォードや、中盤でアドニスがワンシーンワンカットの試合を見せるレオ役のガブリエル・ロサドもプロのボクサー。

僕はボクシングのことまったくわからないですが、でもやはりみなさん本物の顔つきは違いますね。

彼らと戦って立派にそれらしく見えるマイケル・B・ジョーダンが素晴らしい。

『クロニクル』の時には主人公と仲良し三人組の一人で気のいい兄ちゃん役だったけど、今回の彼が演じるアドニスはもっと無口で、ユーモアがないわけではないが愛想もそんなにない。

1作目のロッキーを彷彿とさせる。

『ロッキー』(1976) 監督:ジョン・G・アヴィルドセン 音楽:ビル・コンティ



「かませ犬」として試合を組まれるのも似ている。

ただ、アドニスとロッキーでは生まれや育ちがかなり違う。

何しろアドニスはあのアポロ・クリードの息子という血統書付き。しかも少年時代にアポロの夫人に引き取られて何不自由ない生活をしてきている。

まるでタイガーマスク二世みたいに(わかりづらい喩えでスミマセン^_^;)高級車乗り回してお屋敷に住む金持ちのボンボンなんである。

自分の実の母親が有名なボクサーの愛人という日陰な存在で、また「親の七光り」というありがたくない評価に鬱屈を募らせもしただろうけれど、それでも下町のゴロツキから裸一貫で這い上がったロッキーに比べれば天と地ほどの差がある。

だいたい、せっかく昇進が決まった有名企業を辞めてロスからいきなりフィラデルフィアに移り住んでボクシングに打ち込めるのも、彼が経済的に困っていないからだ。貧しかったら日々の生活だってままならないからボクシングどころではないはず。

彼が身を投じるボクシングの世界がいくら苛酷な環境であるとはいえ、そもそも彼は恵まれ過ぎている気はする。

何度もしつこいぐらいに食事に誘ってようやく内気なエイドリアンの心を射止めたロッキーに比べて、アドニスはアパートの階下に住むビアンカ(テッサ・トンプソン)とわりとあっさり意気投合し、付き合い始める。




しかも、あろうことかロッキーの家で彼女とヤッちゃう。爆発しろ、リア充め!!

また、アポロとの試合で最後までリングに立っていることが目標で、それを成し遂げてやっと彼自身の中で自分が「負け犬」ではないことを証明したロッキーに対して、アドニスはミッキーのジムで将来を有望視されていたレオも倒したし、イングランドでの試合は完全なアウェーであったが強敵のコンランとも互角に闘ってあと10秒あれば勝てたかもしれないところまでいく。

彼は最初から負け犬ではないし、トントン拍子に飛躍していく。

そのことでアドニスに感情移入できない、という感想も散見する。

僕はすごく興味深かったんですが、これって『フォースの覚醒』の若者たちと同じなんですよね。

『フォースの覚醒』に登場する新ヒロインとその仲間たちは最初から才能に恵まれていて、彼らはあっという間に成功を収める。

それまではルーク・スカイウォーカーもそれ以前のジェダイたちも何年も厳しい修行を続けてようやく習得することができた“フォース”だったが、最新作のヒロインはいとも簡単にその能力を発揮する。

最初から彼女は優れた能力を持っているのだ。

敵役のカイロ・レンもまた、フォースの強い家系に生まれたサラブレッドである。

あの映画では、そんな恵まれた環境に育ったはずの若者がダークサイドに堕ちていく姿が描かれている。

カイロ・レンというのは主人公レイの影であり、彼女のコインの裏面である。

『クリード』も『フォースの覚醒』も、父親の世代は苦労して成功を手に入れたが、息子たちの世代は初めから才能も時に富さえも持っている。

なんだか戦後、寝る間を惜しんで働き続けて日本を復興させた祖父や父の世代と、すでに豊かさが達成された環境を当たり前のように過ごしてきた僕のような世代の違いみたい。

何もかもすべてが違う。

『ロッキー』でエイドリアンに惚れたロッキーに向かって、トレーナーのミッキーは「女は脚にくる」といっていい顔をしない。

女性に夢中になるとボクサーはハングリー精神を失って強さを発揮できなくなる、ということだが、同じ台詞をロッキーがアドニスに言っても、ずいぶんとニュアンスが違っている。

ロッキーはアドニスの恋人ビアンカを心から歓迎しているし、だからアドニスがレオとの試合で勝つと真っ先にビアンカをリングに上げて抱擁させる。かつての自分とエイドリアンのように。

本当の厳しさと「愛」のありがたみを知っているからこそ、ロッキーは人に優しい。

スタローンはこの映画でランボーとも『エクスペンダブルズ』のバーニー・ロスとも違う、まごうことなきロッキーを演じている。

普段はゆったりとした喋り方で、滅多なことでは声を荒らげることはない。

そして彼はリングでの敵を憎んで闘うのではなく、その闘いは常に自分との闘いである。

このロッキーの姿勢はシリーズを通して一貫していて、『ロッキー4』で親友アポロを殺したドラゴに対してさえも、彼との闘いはけっして復讐ではなかった。

だからこそ、アドニスを鏡に向かわせて「闘う相手は自分自身だ」と告げるロッキーの言葉には重みがある。




この映画は、これまでに「ロッキー」シリーズを観込んでいればいるほど泣けるようになっていて(ロッキーの台詞の中に「虎の目(Eye Of The Tiger)」という言葉も出てくる)、ストーリーは『ロッキー』の1作目のリメイクともいえる。

しかし先ほども述べたように、そこにはオリジナルとの決定的な違いがあるのだ。

老人たちのように今の若者たちは苦労しない。

これは意図的にそう演出されているように思う。

『フォースの覚醒』がそうだったように。

これからの若者は下っ端からのし上がったりなどしないのだ。最初からエリートなんである。

僕はすべてにおいて才能に溢れ器用でもあるアドニスに自分を重ねることはなかったけれど、時代の流れに肩をすくめてやがてそれを静かに受け入れていくロッキーには半分自分を重ねていた。

スマホを持たず、アドニスの言う「クラウドに保存してある」という意味がわからなくて「“雲”がどうしたって?」と困惑顔で尋ねるロッキーの、時代に取り残されたオヤジぶりに深い共感を覚えた。

そして化学療法で眉毛や頭髪が抜けて衰弱し、今にも消え入りそうなロッキーに泣けたのだ。自分の親の同じような姿を見てきたので。

毛糸の帽子をかぶってアドニスを指導してやつれた姿で彼を見守り、病院では痛みと苦しみと闘うロッキー。

彼は亡き妻と同じ苦しみを味わい、そしてついにそれを克服する。

彼は病魔との闘いに勝ち、生き延びたのだった。

マイケル・B・ジョーダンの熱演は素晴らしかったけど、やはりこの映画はスタローンの演技でもっている。


一度見たきりなので自信がないけど、僕の記憶が間違っていなければアドニスがロッキーの家で手に取る写真立ての中に入っていたのは、シルヴェスター・スタローンと実の息子セイジ・スタローンが写っている写真だったと思う。

セイジ・スタローンは『ロッキー5』でロッキーの息子ロバート(ロッキーJr.)を演じたが、2012年に心臓発作で36歳の若さでこの世を去った(前作『ロッキー・ザ・ファイナル』ではロバートは別の俳優が演じた)。

『クリード』ではロバートは健在で家庭を持ち幸せに生活していることが語られる。しかし、かつてロッキーJr.を演じたスタローンの息子はもういない。

そのことを知っていると、この場面は胸をえぐられるような気持ちになる。

わずか3年前に実の息子を失ったスタローンに映画の中で「みんな死んで俺だけが生き残った」と言わせる残酷さ。

そもそもスタローン自身の写し絵であったロッキーの人生には、その後のスタローンのそれが重なる。

もっとも、エイドリアン一筋だったロッキーに対してスタローンは実人生では3度の結婚をしているし、病気で妻を亡くしたわけではないのだが。

ロッキーというキャラクターは、シルヴェスター・スタローン自身の理想の姿だったのかもしれない。


…なんかロッキーのことばっか書いてますが、この映画の主人公は一応アドニスなんですけどね^_^;

確かにロッキーばっか見ちゃうので、アドニスがビアンカとイチャコラしてるのとか、正直どーでもよくなってしまう、というのはある。

アドニスとビアンカを見ながら、ロッキーファンは若き日のロッキーとエイドリアンを思いだしてるんだよね。

僕はそこにちょっと切なさを感じて、なかなか悪くなかったですが。

ロッキーがトレーナーをすることになる若者を、亡き親友のアポロの息子にしたのは巧いと思いました。

この映画、ちょっと『ゴッドファーザー PART III』(1990)を連想させるのだ。

アドニスがロッキーの前で、しゃがれ声で『ゴッドファーザー PART II』でのロバート・デ・ニーロの声真似をする場面もある。

『ゴッドファーザー PART III』では、マフィアのドン、マイケル・コルレオーネ(アル・パチーノ)が兄の遺児ヴィンセント(アンディ・ガルシア)の父代わりとなり、“ドン”の称号を彼に譲る。

老いた者は立ち去り、若者にあとを託す。

「ゴッドファーザー」は悲劇だが、「ロッキー」は最後に必ず希望を残す。

シチリア系の血を引くスタローンはこの『ゴッドファーザー PART III』への出演と監督も検討されたそうだが(とゆーか、コッポラの妹でロッキーの妻エイドリアン役のタリア・シャイアとの単なる口約束っぽいが)、当時すでにアクションスターだった彼はそのイメージが強過ぎたためもあってかこの企画はポシャってしまう。

今のスタローンだったら、味のある演技を見せてくれそうだけど。

タリア・シャイアは「ゴッドファーザー」シリーズではマイケルの妹コニーを演じており、また『ロッキー』では用心棒としてロッキーを雇い『ロッキー2』にも登場した高利貸しのガッツォ役のジョー・スピネルは、『ゴッドファーザー』と『ゴッドファーザー PART II』にボディガードのチチ役で出演している。

ロッキーやスター・ウォーズ同様に70年代に生まれた「ゴッドファーザー」もまた「父と子」にまつわる物語だった。

このあたりのテーマや人脈の交錯具合も面白い。


この映画にお馴染みのロッキーの曲がほとんど流れないことを物足りなく感じる人も結構いらっしゃるようだけど、これはあくまでもアドニスの物語なので、僕はあのクライマックスの試合のシーンでのほんのちょっと流れるか流れないか、ぐらいというのがちょうどよかったんじゃないかと思うんですが。

あそこで最後に高らかに「ロッキーのテーマ」が流れたらおかしいでしょう。

監督の持ち味なのか、この映画はすべてにおいて「程がいい」んですね。ちょっとあっさり過ぎるきらいもあるけれど。

だからアドニスがジョギングする場面なんかもそうだけど、散りばめられた「ロッキー」シリーズへのオマージュを観客の方がすくい取ってさまざまに思いをめぐらせてこの40年間を振り返る必要がある。

 


これまで『ロッキー』をまったく観たことがない人がこの映画をいきなり観ると、ロッキーの立ち位置やアドニスとの関係があまりピンとこないかもしれませんね。

今回は『ロッキー・ザ・ファイナル』の時のように回想によってエイドリアンの姿は一度も画面に映しだされない。さらに「不在の父」として重要なポジションにいるアポロさえも、TV映像やアドニスが観ているYouTubeで生前の試合の様子がわずかに見られるぐらい。

そういう意味では、特に『ロッキー4』あたりをピークにしてこれまでもクドいぐらいに“熱さ”を強調する演出だった「ロッキー」シリーズの中では、この程の良さは異色かもしれない。

この映画は新しいシリーズが始まるような紹介のされ方もしているみたいだけど、僕はこれはこれで1本きりのスピンオフでいいんじゃないかと思います。

これからアドニスがロッキーみたいに勝ち上がって、やがてチャンプになる話をやっていく必要はないんじゃないかな。

彼の将来を予感させるようなあのラストシーンで充分ではないか。

そして、僕はロッキーが映画の最後まで生きていてくれて本当に嬉しかった。




まぁ、サーヴィス精神旺盛なスタローンのことだから、次回作でいきなりまた元気になってリングに上がっちゃったりするかもしれないけど^_^; 70代のボクサーwww


── ひとまず以上で今年観た映画の感想は終了です。

明日には今年鑑賞した映画の自分ランキングを(勝手に)発表する予定です♪



※アポロ役のカール・ウェザースさんのご冥福をお祈りいたします。24.2.1


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『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』と『クリード チャンプを継ぐ男』
『サウスポー』
『百円の恋』
『ザ・ファイター』



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