クリスチャン・カリオン監督、 リーヌ・ルノー、ダニー・ブーン、アリス・イザーズ(若い頃のマドレーヌ)、ジェレミー・ラユルト、 グウェンドリーヌ・アモン(マドレーヌの母)、ジュリー・デラルム(シャルルの妻・カリーヌ)、トマ・アルダン、アドリエル・ルール、エリ・ケンフェン Elie Kaempfen(マット)ほか出演の『パリタクシー』。2022年作品。

 

無愛想なタクシー運転手シャルル( ダニー・ブーン)は、金も休みもなく免停寸前で、人生最大の危機に陥っていた。 そんな折、彼は92歳の女性マドレーヌ・ケレール(リーヌ・ルノー)をパリの反対側まで送ることに。 終活に向かうというマドレーヌは、シャルルに次々と寄り道を依頼する。 彼女が人生を過ごしたパリの街には多くの秘密が隠されており、寄り道をするたびに、 マドレーヌの意外な過去が明らかになる。そしてそのドライブは、 いつしか2人の人生を大きく動かしていく。(映画comより転載)

 

物語の内容や結末に触れますので、これからご覧になるかたは鑑賞後にお読みください。

 

評判がいいのと僕の母も興味を示していたので、観てきました。母と一緒ではなかったですが。

 

すでに一日の上映回数が昼間と夜の2回になっていて、昼の回は混み混みでした。

 

タクシーの運転手と老婦人、というと、ジェシカ・タンディとモーガン・フリーマンが出演していた『ドライビング Miss デイジー』を思い出すし、老婦人が昔話をする話で思わぬ展開になっていくところなどは、やはりジェシカ・タンディが出演していた『フライド・グリーン・トマト』を連想したりも。

 

ただ、予告だけ観た時点ではタクシードライヴァーと老婦人の交流をユーモアを交えて描くハートウォーミングな映画、というイメージだったんですが、そして、まぁ、一応そういう映画ではあったんだけど、『フライド・グリーン・トマト』をご覧になったかたはわかっていただけると思いますが、想像していたような内容とは少々異なる映画でした。

 

91分というコンパクトな上映時間に収まっていてとても観やすいので、何かちょっと映画を観たい、という時にはちょうどいい作品だとは思います。

 

ただ、観終わって僕はだいぶ物足りなさを感じていました。『フライド・グリーン・トマト』を観た時のような満足感とまではいかなかった。

 

「いい話」としてまとめられているけれど、これはもう少し尺を長めにとってでもリーヌ・ルノー演じる老婦人・マドレーヌの人生をもっと見たかったな、と。

 

マドレーヌ役のリーヌ・ルノーさんってフランスの国民的歌手なのだそうで、出演映画を確認してみたら、僕は2003年に日本で公開されたコリーヌ・セロー監督、カトリーヌ・フロ主演の『女はみんな生きている』を観ていました。 1928年生まれの現在94歳。お元気でとても上品そうなかたですよね。

 

 

 

 

『女はみんな生きている』はとてもいい映画だったけど、あれ以来観ていないので、またどこかで上映してくれないかな。

 

『女はみんな生きている』も男性から酷い目に遭わされている女性たちが手を取り合うお話だったけど、リーヌ・ルノーさんは昔から社会活動も行なっていて、つまりそういう題材を意識的に選んでいるんですね。

 

 

 

今回のマドレーヌという女性の生き方も、フランスの人々はきっとリーヌ・ルノーさんの実人生と重ねて観ていたのでしょう。

 

 

 

そういうことを知ったうえでこの映画を観ると、より味わい深いかもしれませんね。

 

休みもほとんどなく給料からさまざまな経費を差っ引かれて経済的に苦しい生活をしている主人公のシャルルは、長距離の客ということでマドレーヌを乗せることに。彼女は一人暮らししていた家を引き払って鞄一つで施設に移ることになっていた。

 

パリの反対側にある養護施設に向かう途中で、無口なシャルルにマドレーヌは自分の身の上話を語りだす。

 

ナチスから解放されたフランスでアメリカ兵のマット(エリ・ケンフェン)と恋に落ちた若き日のマドレーヌは、彼との間に一人息子を身ごもる。しかし、マットは母国に妻と子どもがいた。

 

 

 

 

マットが帰国したあと、フランス人の労務者・レイモン(ジェレミー・ラユルト)と知り合い、結婚する。

 

ところが、レイモンはマドレーヌの連れ子であるマチュー(アドリエル・ルール)を邪魔者扱いして、やがて妻と血の繋がらない息子に暴力を振るうようになる。

 

マチューに手をあげられて頭に血が上ったマドレーヌは、レイモンが飲む酒に母親の睡眠薬を入れて彼を眠らせ、夫の股間をバーナーで焼く。

 

想像していたような内容と違った、というのはこのことで、まぁ、シャルルじゃなくてもちょっとヒイちゃいそうな展開ですが、映画の中で語られるのはほぼこの部分と、あとは13年の刑期を終えて戻ってきた彼女が成長した息子(トマ・アルダン)に再会するものの、長らく離ればなれだったその愛する我が子を永遠に失ってしまう場面ぐらいで、マドレーヌの長い人生の本当にごく一部に過ぎない。

 

 

 

それ以降は、彼女の死後に写真などが映し出されてざっと説明されるだけ。

 

だったらマドレーヌが「彼とのキスの味は覚えていたくなかった」と語った元夫(離婚していたかどうかは失念。確かお墓には息子と夫の名前が刻まれていたような気が)とのあの事件をきっかけにして社会運動に熱心にかかわっていくようになったあとの、もっとさまざまな人生の断片を聞きたかったし、そのことでより彼女という人を知ることができて感動も深まったんじゃないかと思う。

 

その機会が突然なくなってしまったからこその、シャルルのあの涙だったのだろうけれど。

 

マットは「いい男」でレイモンは「悪い男」とわかりやすく描き分けられているのも(マットが映し出されるのはエンドクレジットだけだが)、少し単純過ぎやしないだろうか、と。

 

だって、マドレーヌはマットのことを「最高の男性だった」みたいに語っているけど、彼は妻子がいながら現地の女性と恋をしてヤることやったあとに彼女を捨ててとっとと本国に帰っちゃったわけで、そういうことはあの当時世界中であったし、そしてどんな男性を愛するのかはマドレーヌ本人の自由ですが、でもマットがやってることは最低じゃないですか。我慢しろよ、国に帰るまでよぉ。

 

シャルルとマドレーヌの交流、パリを通過しながらいろんなところに立ち寄って二人が楽しい時間を過ごす、その様子は見ていて微笑ましかったし、自分も一緒にタクシーで半日観光にお付き合いさせてもらってるような気分になりましたが。

 

 

 

 

 

 

 

映画の途中で、多分、これは最後にマドレーヌが遺産か何かをシャルルに譲るという結末なんだろうな、と思っていたら、ほぼその通りだったんで、う~ん、もうちょっと何か捻れなかったのかな、と。

 

「いい話」なのは確かだし、誠実な人物が最後に報われる、というのは観ていて安心感はある。朝に怒鳴ってしまった妻に電話で謝ったり、喧嘩しがちな兄とも、もしかしたらこれからはもうちょっと腹を割って話ができるかもしれない、そういうきっかけをマドレーヌが作ってくれた、というのは美しいお話だとは思うんですが、マドレーヌの突然の死も彼女が代理人に託したシャルルへの手紙も、ちょっとお話がうまくいきすぎなんじゃないかと思ってしまった僕は心が薄汚れているんだろうか。

 

この映画は、リーヌ・ルノーさんとダニー・ブーンさんのお二人で持っているような感じでしたね。彼らを見ていてホッとさせてもらったような。

 

 

 

 

赤の他人同士がひょんなきっかけで語らい、ともに同じ時を過ごして、感謝の言葉を交わして別れる。

 

ただそれだけのことが、今なんと尊いことか。


この映画がフランスでヒットしたというのも、そういう時間を多くの人々が欲しているからだということですよね。そして日本でも。

 

 

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