チャン・フン監督、ソン・ガンホ、トーマス・クレッチマン、ユ・ヘジン、リュ・ジュンヨル、パク・ヒョックォン、ダニエル・ジョーイ・オルブライト出演の『タクシー運転手 約束は海を越えて』。2017年作品。

 

1980年、韓国の光州市が政府によって封鎖され、全国に戒厳令が敷かれる。電話も繋がらず外部に情報が届かないため、ドイツ人記者ピーター(トーマス・クレッチマン)は現地を取材するために日本からソウルに向かい、そこで光州へのタクシーを手配する。10万ウォンという大金が支払われることを知った個人タクシーの運転手マンソプ(ソン・ガンホ)はまんまとピーターを乗せて光州に向かうが、軍の検問によって進入することは容易ではなかった。ピーターは海外のビジネスマンと偽りなんとか光州に入るが、そこでは信じられない光景が広がっていた。

 

1980年5月に韓国の光州市で起きた軍と市民の武力衝突「光州事件」にまつわる史実を再構成して描く。

 

映画評論家の町山智浩さんの作品紹介を聴いて興味を持ったのと、映画も評判がいいので鑑賞。

 

それと、ここのところ巨大ロボや怪獣が暴れるアトラクション映画が続いていたので、そろそろ普通のドラマが観たかったからというのもある。

 

「イイ顔俳優」ソン・ガンホの出演する映画は僕は『シュリ』や『JSA』以降ひと頃よく観ていたんだけど最近はご無沙汰で、2010年公開の『渇き』とチャン・フン監督の『義兄弟 SECRET REUNION』以来8年ぶりだからかなり久しぶり。もちろんその間にも日本で彼の映画が公開されているのは知っていたけど、たまたま縁がなかった。

 

 

 

8年ぶりに見るソン・ガンホは微妙に年齢を重ねつつも以前と変わらずイイ顔で、少々粗野ながら図らずもドイツ人記者と交流することになる人の良さそうなタクシー運転手を好演している。いかにもソン・ガンホが演じそうなおじさんの役w

 

初めて見た時から「おじさん」のイメージだったけど、その当時はまだ30ちょっとぐらいの歳だったんだよな。

 

ピーターを演じるのは『戦場のピアニスト』や『ヒトラー ~最期の12日間~』などのドイツ人俳優トーマス・クレッチマン。『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』では敵のヒドラ党の残党の一人、バロン・フォン・ストラッカーを演じていた。

 

 

 

 

僕は“光州事件”については詳しいことは知らなかったけど、以前別の韓国映画の台詞の中で事件の名前が出てきたのを聴いた覚えがある。韓国の観客にとっては敢えて細かく説明する必要もないぐらい自明のことなのかもしれない。

 

映画の最初に字幕でちょっと解説が入りますが、できれば事前にどのような事件だったのか、軍事独裁政権だった当時の韓国の状況なども知っておくとより理解が深まると思います。

 

さて、史実を基にした映画としてこうやって現実に起こった虐殺ともいえる事件について教えてくれるという点で大切な役割を果たしていると思う一方で、「映画」としては疑問に感じる部分が結構ある作品でした。

 

僕は同じチャン・フン監督の先ほども挙げた『義兄弟』や『映画は映画だ』を劇場公開時に観ていて、特に『映画は映画だ』はなかなか面白かった記憶があるんですが(あれ以来観返してないので内容はよく覚えてないけど)、この『タクシー運転手』に関しては、観ながらどうも違和感が拭えなかった。

 

その理由を考えながら感想を書いていきます。内容について触れますので、これからご覧になるかたは鑑賞後にお読みください。

 

 

まず、僕は劇場パンフレットを買いそびれちゃって映画やそこで描かれたものの背景について詳しい解説を読んでいないし、せいぜいインターネットで限られた情報を拾った程度なので、この『タクシー運転手』がどれほど史実に忠実でどのあたりがフィクションなのかよく知りません。

 

主人公のマンソプとピーターたちが光州で出会い宿や食事を世話になるタクシー運転手(ユ・ヘジン)や、通訳として同行した大学生(リュ・ジュンヨル)が実在の人物なのか映画用に創られた架空のキャラクターなのかもわからない。

 

 

光州のタクシー運転手を演じるユ・ヘジンはリュ・スンワン監督の『ベテラン』では財閥の御曹司の犯罪を揉み消そうとする悪辣な人物を演じていた。今回は正反対の善良な役

 

だから、結構史実に近いんだ、と言われれば「あ、そうなんですか」と黙るしかないんですが、観てる間中なんとも尻の心地が悪いというか、なかなか映画に入り込めなかったんですよ。

 

というのも、映画の最後にも字幕で説明されるけど、マンソプのモデルとなったキム・サボク氏とドイツ人ジャーナリストのピーターことユルゲン・ヒンツペーター氏は生前二度と再会することはなく(ヒンツペーター氏は映画が公開される前の2016年に死去。サボクさんはすでに光州事件の4年後の1984年に亡くなっていて、映画の公開後に息子さんが名乗り出た、とのこと)、この映画が公開された時点ではサボク氏のことは世間で知られていなかったわけで、そうするとその詳しいことが不明なままの人物を主人公にしているというのが奇妙に感じられたから。

 

通常こういう題材を描くなら、外国人であるピーターの視点から、彼が韓国のソウルで知り合ったタクシー運転手と光州まで一緒に向かって、そこで見聞きしたものや韓国人たちとの交流などを映し出すでしょう。だって、この映画はヒンツペーターさんの記憶や彼が現地で取材して得た情報を基に作ったものなのだから。

 

それを韓国人のタクシー運転手側から描くことで地元・韓国の観客には共感しやすくなったかもしれませんが、そうするとその後ヒンツペーターさんが別れたあとずっとあのタクシー運転手の行方を捜しながらも会えなかった、という事実とつじつまが合わなくなるんですよね。

 

じゃあ、行方がわからないままのはずのタクシー運転手の家庭の事情がなんで描けるんだよ、と^_^;

 

もちろん、「史実を基にした映画」であってもフィクションが加えられることは別に珍しくないし、こちらの記事↓によると、実在のキム・サボク氏とソン・ガンホが演じた庶民的なタクシー運転手とではその立場や人物像にかなりの隔たりがあるようです。そもそもサボクさんは個人タクシー業者ではなかったみたいだし。彼が英語を喋れたのも教育水準の高いインテリだったから(だとすれば、あの通訳の大学生も実在の人物ではない可能性が高くなる)。

 

ヒンツペーターさんは一人きりじゃなくて録音技師も同行していたというし。

 

韓国映画「タクシー運転手」の主役実在モデルが映画の大ヒットによって発見される

 

 

なので、マンソプはおそらく韓国の庶民的な「働くお父さん像」を重ねて創られたほぼ架空の人物と言っていいんじゃないかと。映画では子どもは娘だけど、実際には息子さんなのだし。

 

 

 

いや、史実と違ってるからダメだとかいうことではなくて、史実通りだと地味過ぎて劇映画にならないと考えたのなら、もっと巧く、もっともらしくできたのではないかと言いたいんです。

 

単純に史実に材を取った映画として「巧くない」と思った。

 

『義兄弟』でもそうでしたが、題材と手法にチグハグさを感じる。“光州事件”という、いまだに生々しい記憶が残る重い史実を「泣けるエンタメ作品」化した脚色が映画をぶち壊している。

 

ご当地韓国ではヒットしてるわけだし、そういうあちらの観客たちのたくましさを評価する人たちもいるようですが、現実のあまりに悲惨な凶行に対して登場人物たちの作り物めいた大活躍はひどく虚しい。

 

劇中でマンソプやピーターたちが呆然としたりハラハラと涙をこぼすシーンが何度もあって、それはあまりに凄惨な光景を目にしたのだから無理もないんだけど、バックに流れる音楽が過剰に情緒的なために次第に辟易してきてしまった。

 

ピーターがキムチを食べてヒーヒー!ってなったり、大学生が音痴な歌を披露するほのぼのした場面もあるけど、何か急に映画が停滞したように感じた。

 

 

 

光州事件の現場を捉えた非常に鮮烈な場面がいくつもある一方で、そういう気が抜けたように弛緩した時間が挟まれるので緊迫感が持続しない。

 

現地のタクシー運転手と突然揉めだしたり、ソウルに一人にしてきた娘のことを心配するあまりなぜかピーターに掴みかかったり、マンソプがキレるタイミングもよくわからない。

 

 

 

人物像がうまく掴みきれない、というのは『義兄弟』でやはりソン・ガンホが演じていた役と同じで、脚本に難があるんじゃなかろうか。どうもバランスが悪い。

 

映画の冒頭でマンソプは妊婦とその夫をタクシーに乗せて病院に向かうが、慌てて家を飛び出してきた夫婦は財布を忘れてきたことに気づく。彼は料金をタダにしてやる。

 

この場面は彼の人の良さを表現していて、その後ピーターに協力することになる伏線ということなんだろうけど、僕はこのマンソプを「義理堅い男」として強調する演出にあまりノれなかったです。

 

ソン・ガンホはいつもの安定感のある「おっさん演技」なんだけど、それにもたれかかったような演出が多くて(やたらと独り言が多いし)、キャラクターの描き方が雑に感じる。

 

なぜ彼をそんなに「イイ人」として描こうとする必要があるのだろう。それは本題ではない気がするのだが。

 

そして極めつきがクライマックスのカーチェイス。

 

マンソプたちを救うために光州のタクシー運転手たちが追ってくる私服軍人の車両とデッドヒートを繰り広げ、最後は自らを犠牲にして散っていく。

 

どう考えても盛り過ぎなんですよね。ハリウッド映画もどきなカーチェイスのおかげで、他のいい場面さえもが全部嘘臭く思えてきてしまう。ほんとにもったいない。

 

ドイツ人ジャーナリストが光州事件を取材する際に韓国人のタクシー運転手が危険を承知で協力したことは事実なんだから、僕は地味だろうとそれをそのまま描けばよかったんじゃないのか、と思うんですが。

 

僕がこの映画から受け取ったのは、“光州事件”という、同じ国の人間である者たちが武器を取って互いに殺し合ったという事実、本来市民を守るべき軍隊が人々を「北朝鮮に扇動された“アカ”」だと決めつけて虐殺したこと。その恐ろしさです。

 

でもなぜかこの映画では、ドイツ人ジャーナリストと韓国人タクシー運転手の友情モノ、みたいに描かれている。そこに大いに違和感があるのです。その要素はそんなに大事か?と。

 

人々を次々と冷酷に撃ち殺す兵士たちも人懐っこくて義理堅いタクシー運転手もどちらも同じ国の人間なんだ、ということを言いたいのであれば、なおのことこれはピーターの見た目から描くべきだったんじゃないだろうか。

 

マンソプの人間臭さはピーターの目を通して描かれた方が絶対に効果的だったと思う。

 

この映画がとても惜しいと感じるのは、光州事件における虐殺や街が騒然となっている様子がまるでドキュメンタリーのように非常に生々しくリアルに描かれているから。

 

物凄い人数のデモの参加者と戦車まで登場する軍隊の描写。道路に転んだお年寄りを兵士が思いっきり蹴っていたりする。夜間に燃えさかるビル。

 

一体、どうやって撮ったんだろう、と思わされる場面がいくつもある。

 

 

 

あの時、光州で何があったのか。

 

それを臨場感たっぷりに見せてくれている。それだけでも映画館で観る価値は充分にあると思います。

 

だからこそ、余計な装飾はいらなかった。

 

それにしても、兵士たちは同胞に対してどうしてあんな酷いことができたんだろう。韓国人は特別残酷なんだろうか。日本人はあんなことはしない?いやいや。

 

…歴史を振り返ればそんなことはないのがわかるはずだ。

 

そしてこれはけっして遠い昔のことではない。

 

沖縄で起こっていることはまさしく光州事件の小型版ではないか。僕たちはどこか他人事みたいに思っているけど、同じ国で起きていることだ。

 

少し前に、ジョギング中の幹部自衛官が国会議員に向かって「お前は国民の敵だ」と暴言を吐き続けたことがニュースになってましたが(その後、その統幕3等空佐は「訓戒」という生ぬるい処分を受けただけで今も自衛隊にいる)、国会議員というのは国民の投票で選ばれた人なわけで、そういう人を「国民の敵」呼ばわりするというのは、すなわち彼に投票した人々に向かって言ったのと同じことなのだ。

 

国民を守るべき自衛官の幹部が、文民統制を無視して国民の代表を「お前は国民の敵だ」と罵る。

 

その先にあるのは、この映画で描かれたような、ただの一般市民に向かって「このアカが!」と吐き捨てて暴行を加え殺害する軍人の姿だ。

 

「私はアカじゃありません」というマンソプの必死の訴えにも私服軍人の男は耳を貸さず暴行を加え続け、捕らえた学生を痛めつけて殺す。

 

国会議員に暴言を吐いた3佐は、その時この映画で私服軍人が見せた狂信者と同じ目つきをしていたに違いない。

 

反政府のアカ(共産主義者)は国の敵だから殺すべき。…信じきった者からはもはや倫理観や人権意識も失われ、疑問を抱くこともなく自国民に平然と銃弾を浴びせる。

 

これはただ単に40年前に隣国で起こった事件というだけではなくて、いずれ僕たちの上に降りかかってもおかしくない事態だ。

 

政府を批判したりデモを行なう者たちを弾圧して黙らせる。情報を統制して真実を国民から隠す。犯罪者が裁かれない。日本は今そういう国になりつつある。

 

ロシアにおける反プーチンのデモの鎮圧などにも見られるように、これは世界中で起こっている。

 

ある日いきなり暴力を振るわれたり殺されるのが恐ろしいのはもちろんだが、本当に恐ろしいのは自分が加害者、殺す側になってしまうこと。

 

光州で学生や市民たちを虐殺した兵士たちも人間であり、自分の妻や恋人、友人たちを大切にする普通の人々だったに違いないのだ。

 

彼らの中には、憐れみを感じて人の命を救おうとする者もいる。

 

 

 

 

しかし、そんな普通の感情を持った人々が命令には逆らえない風潮の中で誤った思想を植え付けられることで、いとも簡単に人を殺せるようになってしまう。

 

平和や秩序を守っているつもりで自ら乱して人命を奪っている。

 

人を直接殺すところまでいかなくても、「○○なんて、とっとと殺せばいい」などと暴言を吐く人間たちの存在が僕たちの国でも目につき始めている。

 

光州を封鎖している兵士の「外国人だからって容赦しない」という言葉からは、西洋人への劣等感の裏返しによる凶暴さがうかがえる。

 

あれはピーターを「外国人だ」と浮かれ持て囃す学生たちの裏面なんだろう。

 

 

 

マンソプやタクシー運転手たち、そしてあの学生たちのように人懐っこくて親切な人々がいる一方で、誰彼構わずみんな「アカ」と呼んで殺しまくる兵士たちのような狂人もいる。狂気はたやすく伝播する。

 

都合の悪い事実を隠して海外に報道させない、という姿勢自体がおかしいのに、それに気づかないほど彼らからはものを判断する能力が失われている。

 

近い国だからこそ、ここで描かれているものはどれも僕たちが住むこの国・日本の鏡像にも見えるのだ。

 

光州の新聞記者が新聞社に逆らって「光州の真実」を報道しようとする姿にはスピルバーグの『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』が重なる。

 

政府が間違ったことをしていれば批判するのは当たり前。誤りは正されなければならない。それを許さないのは独裁国家である。

 

いろいろ酷評めいたことを書いてしまいましたが、それでも衝撃的なシーンは心に残ったし、この映画を観終わって映画館を出て街を歩いていると目にする、楽しそうに会話したり食事をしている人々の姿を見て、僕は何か急に胸に込み上げてくるものがあって涙ぐんでしまったのです。

 

あぁ、今僕たちはとてもかけがえのない時間を過ごしている。これこそが守られるべきものだ。

 

この幸せなひとときと笑顔が、スクリーンの中に見た光州のあの光景のように突然恐怖と悲鳴、血と涙に覆われるようなことがあってはならない、と強く感じました。

 

 

映画『タクシー運転手』神話の構造と実在のタクシー部隊

 

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