ジュリー・テイモア監督、ジュリアン・ムーア、アリシア・ヴィキャンデル、ルル・ウィルソン、ライアン・キーラ・アームストロング、エニド・グレアム、ティモシー・ハットン、ロレイン・トゥーサント、キンバリー・ゲレーロ、モニカ・サンチェス、ジャネール・モネイ、ベット・ミドラーほか出演の『グロリアス 世界を動かした女たち』。2020年作品。

 

原作はグロリア・スタイネムの「ほんとうの自分を求めて―自尊心と愛の革命 (My Life on the Road)」。

 

女性解放運動の活動家グロリア・スタイネム (1934- ) の幼少期から60代までを4人の女優(+本人)が演じ、時代をシャッフルさせながら描く。

セールスマンとしてアメリカ中を旅する父レオと、結婚前には記者だった母ルース、そして姉スザンヌを持つグロリア・スタイネムは、2年間のインド留学のあと、ジャーナリストを目指して「プレイボーイ」誌の創立者が作った会員制クラブにバニーガールとして潜入取材したり、雑誌の副編集長などを経て、女性の権利と男女平等を求める運動にかかわっていく。やがてその活動は、他の差別と闘う多くの者たちとの連帯へ繋がっていく。

 

映画サイトでタイトルと実話の映画化らしいこと、フェミニズム関連の作品で主演はジュリアン・ムーアとアリシア・ヴィキャンデルということなどを知って興味を持ちました。

 

 

 

 

ジュリアン・ムーアとアリシア・ヴィキャンデルの出演作品を数多く観ているわけではありませんが、彼女たちはこれまでに「フェミニズム」を意識した作品を何本も選んでいますね。

 

といっても、僕はフェミニズムやウーマンリブについて特に詳しいのでも人一倍関心があるわけでもないし、この映画の主人公で実在の人物であるグロリア・スタイネムさんのこともこれまでまったく知りませんでした。

 

ただ、何で読んだのか思い出せませんが、彼女が雑誌の記者であることを隠してバニーガールとして高級クラブに潜入取材した、という話には覚えがあった。

 

僕がどっかで知ってたぐらいだから有名なエピソードなのだろうし、高名なかたなのだろうな、と。

 

観る前は147分という上映時間にちょっと身構えたけど、長さは感じませんでした。それぐらい中身がギッシリ詰まっていた。

 

むしろ、この時間では短過ぎたぐらいで、本来ならミニシリーズとして何話かに分けてTVドラマなどで描くといい伝記ドラマなんですよね。でも、それをあえて映画として作ってくれたから僕は観てみようと思ったのだし、すでにスタイネムさんの著書を読まれているかたはどう感じたかわからないけれど(某映画サイトのあるレヴューではこの映画がかなり手厳しく酷評されていて☆5つ中わずか2つ、という低評価だった)、僕はグロリア・スタイネムという人と彼女がかかわった活動に興味を持つきっかけを作ってくれる映画として、観る価値は大いにあると思います。

 

ってゆーか、この映画、ちょっとどこの映画レヴューサイトでも評価が低過ぎなんじゃないですかね。まったくと言っていいほど話題にもなってないし。上映館が少ないのかな?

 

フェミニズムについて詳しい人にとっては常識みたいなことが描かれていて、逆にフェミニズムに興味がない人は観ないから、結果的にあまり高く評価されないってことだろうか。

 

2020年の作品なので2年遅れでようやく日本で公開されたわけですが、各方面での女性に対する数々の性暴力が告発されて問題視されている現在、特に僕たち日本人にとっては物凄くタイムリーな映画だと思いますけどね。

 

ただ、かなりヴォリュームのある内容にもかかわらず(何しろ1940~60、70年代~現在までを駆け抜けていくんだから)劇場パンフレットもなく、スタイネムさんの著作物も読んでいないために鑑賞後に時代背景やフェミニズム関連、劇中で触れられるさまざまな反差別運動についても充分な情報を得ることができなくて、実にもったいないなぁ、と思った。

 

急遽公開が決まって用意できなかったとか、そういう事情でもあるんだろうか。その辺、一切説明がないのでモヤモヤする。せっかくなら専門家の解説とかコラムなどを読みたいじゃないですか。

 

まぁ、作品の周辺についてあれこれ知りたいならスタイネムさんが書いた本を読めばいいんですが、映画を補足するためにこそ劇場パンフというものがあるんでしょ。う~ん、もしかしてだんだん日本特有の文化である劇場パンフレットをなくす方向に持っていってます?なんか嫌だなぁ。

 

ともかく、映画の内容についてですが──

 

正直言うと、映画が始まってしばらくはかなりとっつきにくくて、というのも、あらすじでもちょっと書いたように、この映画はグロリア・スタイネムという一人のフェミニストの幼少期(ライアン・キーラ・アームストロング)から思春期前(ルル・ウィルソン)、青年期(アリシア・ヴィキャンデル)、壮年期(ジュリアン・ムーア)を描いているのだけれども、それが時間の流れのままに一直線に描かれるのではなくて、時代が頻繁に行き来する構成なんですね。

 

だから各場面、各エピソードはそれぞれがブツ切れ気味で繋がっていて、そういう映画って最近多いですが、僕はどうも苦手で。映画への集中を妨げられるような感じがして。

 

物語を順を追ってじっくり味わうことができなくて慌ただしいし、観終わったあとに映画の内容を思い出そうとしても頭がゴチャゴチャして思い出せない。

 

ジュリアン・ムーアとアリシア・ヴィキャンデルが同一人物を演じているのだろうことは観ていればなんとなくわかりはするものの、そもそも二人は似ていないし、途中まではなぜ彼女たちがわざわざ一人の女性を演じる必要があるのかわからなかった(ヴィキャンデル一人でも務まるのではないか?と)。

 

 

 

 

もしかしたら、この映画が思ったほど評価されていない理由は、このあたりの映画的表現が原因なのかも。

 

でも、4人の各世代に分かれた女優たちが一人の人物を演じることにはちゃんと意味が持たされていたし、苦手とはいえ、似たような構成で時代が行ったり来たりする『エディット・ピアフ』や『ストーリー・オブ・マイライフ』などは観終わったあとはお気に入りの映画になったように、この『グロリアス』も僕は好きになりました。世間の評価がビミョーだろうが、そんなこたぁ関係ない。

 

 

映画の終盤で、女性の権利獲得と地位向上、男女平等などを実現しようとする彼女たちの活動は「マラソンではなくリレー」と表現される。すぐに達成されるものではない。だから人の手から手へとバトンを受け渡しながら続けていくのだ、と。

 

主人公のグロリアを4人の女優が演じ、やがて彼女たちが一堂に会するのも、他のあらゆる差別と闘い続ける人々と連帯していく姿を描くのも、これが「リレー」なのだ、というところで合点がいく。

 

グロリアの母はかつて記者だったが、当時は男性の変名で記事を書かなければならなかった。娘は母の無念を晴らす。これも「リレー」。

 

“グロリアス”というタイトルは、複数のグロリアのことであり、グロリア(栄光)とは世界中の被差別者が最終的に勝ち取るべきもの、ということでもある。

 

そして、これは「シスターフッド」を描いた映画でもある。同じ女性であっても互いに意見が異なることもある。白人女性である優位性を批判されたら、「意見に耳を傾けるだけ」と答える。価値観や意見が違っていても手を取り合うことができる。

 

 

 

 

 

また、これは最近よく耳にするようになった“ヤングケアラー”の話でもあって、まだ子どもだった頃から病弱な母の面倒を見ていたグロリア(映画を観ている最中はよくわからなかったけど、どうやらある時点で両親は離婚していたようで。また姉は結婚して母の世話を妹に任せていた)は、自分の仕事があって入院中の母に付きっきりではいられず、その死を看取れなかったことへの後悔など、非常に身近なことを語ってもいる。

 

ラディカル・フェミニスト、などと紹介されると攻撃的な人物なのか、と思っちゃうけど、でもグロリア・スタイネムさんご本人が映画の最後にスピーチで語る言葉はごくごく真っ当なものに聴こえたし、彼女自身はちょうど少し前に観たドキュメンタリー映画のオードリー・ヘプバーンさんが子どもの頃から「出過ぎないようにしなさい」と教えられて育ったように、けっして自ら率先して前へ前へという人ではないんですよね。

 

 

映画の中で「中絶」をめぐる問題も描かれていて、グロリアさん自身が若い頃にイギリスまで行って当時はまだ違法だった中絶をしている。彼女が堕ろした子どもの父親が誰なのかは語られないし、彼女がどのような形で身籠ることになったのかも説明されない。

 

一人で産み育てるのが難しいからなのか、それとも産みたくない理由があるのかも、原作本には記されているのかもしれませんが、映画ではそのあたりは言及されない。

 

中絶反対派から、中絶は赤ん坊殺しだ、と糾弾されるが、グロリアは「誰もしたくて中絶するわけではない。やむにやまれずするのだ。だから自分の身体のことは本人が決定する権利を持てることに賛成している」と説明する。

 

グロリアたちが集会をしていると、爆弾を仕掛けた、という脅迫電話があったと警察が乗り込んでくる。避難しながら「(中絶反対派は)中絶は赤ん坊を殺すことだと言っておきながら、私たちを殺すのはいいのか」と呟くんだけど、つまり、女性の妊娠中絶に反対し、それを阻止しようとする者たちというのは、ほんとは赤ちゃんや人の命のことなんか気にしてないんだよね。彼らの「教義」を守るために、女性が声を上げて自らの意思を貫こうとするのを邪魔するのだ。

 

日本では中絶自体は違法ではないけれど、女性側に身体的にも経済的にも大きな負担を負わせています。

 

日本でもつい最近、現在はまだ認められていない経口中絶薬の承認が申請されました。選択肢を増やすことは、誰よりもまず女性を守るため。果たしてこの国で、それは正しく行なわれているだろうか。

 

この映画で採り上げられていることの一つ一つが、今まさにこの国で重要な問題として議論されている。無関心でいるわけにはいかない。

 

ここで描かれているのは、女性だけの問題ではないのだから。多くの女性たちを苦しめている、その原因を作っているのはほとんどが僕たち男性だ。男性こそがもっと関心を持たねば。

 

中絶の一件で想像させられるように、グロリアさんはもしかしたら若い頃に恋愛だったり性的なことで大きな傷を負ったのかもしれないけれど、彼女は60代で出会った男性と結婚して、夫が病気で亡くなるまでの間幸せなひとときを過ごしたというし、特別エキセントリックだったり浮世離れしたような人物としては描かれていない。

 

彼女のニュートラルな視点で、彼女が出会う幾人もの女性たちをこそ見せていく。何十年もの月日をザァ~!!っと駆け抜けていく疾走感を出すためにも、こういうちょっと変わった手法が必要だったのでしょう。この映画の手法、表現方法には賛否両論あるけど、僕は効果的だったと思いました。時間の流れ通りに描いていたらとてもじゃないが尺が足りないし、この映画の中でモザイクのように散りばめられた各時代を時間順に並べ替えたらブツ切れ状態がさらに目立ってしまっただろうし。

 

ヘプバーンの『いつも2人で』もいくつもの時代がランダムに入り乱れる構成だったけど、その辺の共通点も面白かったです。

 

上映時間の長さが地味にネックになってまだ1回しか観ていませんが、できればもう一度ぐらい観ておきたいなぁ。

 

 

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