ティム・バートン監督、エイミー・アダムスクリストフ・ヴァルツクリステン・リッターデラニー・レイマデリン・アーサージェイソン・シュワルツマンダニー・ヒューストンジョン・ポリトテレンス・スタンプ出演の『ビッグ・アイズ』。2014年作品。



Lana Del Rey - Big Eyes


1958年、夫のもとから娘のジェーン(デラニー・レイ)とともに逃げだしてサンフランシスコにやってきたマーガレット(エイミー・アダムス)は、自称・画家のウォルター・キーン(クリストフ・ヴァルツ)と出会い結婚する。ウォルターは彼がパリで描いたという風景画と巨大な瞳の子どもたちを描いたマーガレットの絵をナイトクラブに飾らせてもらうことにする。ところが思いがけずマーガレットの絵が注目されることになって…。


実在の画家マーガレット・キーンの体験に基づく物語。

ティム・バートンの映画を観るのは1本おいて2012年公開の『ダーク・シャドウ』以来。

多くは語りませんが、あの映画で正直「今後、この監督の映画とは疎遠になるかも」と思ったのでした。

だけど今回この最新作の予告篇を観て、いつものジョニデがドタバタする映画じゃないようだし、ポスターにも使われている馬鹿デカい目をした少女の絵とその作者にまつわるお話だということで興味をそそられたのと、さらにエイミー・アダムスとクリストフ・ヴァルツの共演作ということなので、これはちょっと観たいな、と。

ティム・バートンの映画としてはおとなしい、というかダークでゴシック、ストレンジな雰囲気は鳴りを潜めていてファンにとってはちょっと物足りない、みたいな感想も散見したのだけれど、僕はもうすでに「ティム・バートンっぽさ」みたいなものに過剰な期待をしなくなって久しいので、普通に楽しめました。

この映画は90年代にバートンが撮った“史上最低の映画監督”の伝記映画『エド・ウッド』をちょっと思わせるものがあって(あれもジョニー・デップがドタバタしてましたがw)、あらためて「あぁ、やっぱり『チャーリーとチョコレート工場』や『アリス・イン・ワンダーランド』よりもこっちの系統の作品の方が好きだなぁ」と思いました。

『エド・ウッド』(1994) 出演:マーティン・ランドー サラ・ジェシカ・パーカー パトリシア・アークエット



ティム・バートン作品に特に思い入れがない人にこそ、かえってお薦めできるかもしれません。

では、これ以降ネタバレがありますので未見のかたはご注意を。



予告篇を観ればだいたいのあらすじはわかるし結末もそんなに「エッ」というようなオチはないので、「物足りなかった」という人がいるのはわかる。

ストーリー自体には特に何かヒネリがあるわけではないんだけど、でもあとでまた述べますが僕はちょっと身につまされてしまうところがあって。

まず、マーガレット・キーンの一連の“Big Eyes”の絵を観て、美術に疎い(疎くないものがない)僕でも「これは日本のいろんな芸術家に影響を与えているんだろうなぁ」と思いました。

日本には独自の漫画の文化がもっと昔からあるから(まぁそれも海外の漫画やアニメの影響だったりもするんで、元をたどっていったら同じなのかもしれないが)、彼女の絵がその後の日本のデカ目のイラストすべてに必ずしも影響を与えたわけではないんだろうけど。

ともかく、マーガレットの絵の中の子どもたちのその瞳が常に悲しみに彩られていることで、何も説明されなくてもこの絵に込められた感情がダイレクトに伝わってきて、そのあたりにはとても親近感が湧きました。感覚的に理解しやすい。

こんな悲しげな顔の子どもたちを描く画家は、一体心の中に何を宿しているのだろう。

そういう点に注目していたのだけれど、映画を観終わっても意外と主人公のマーガレット自身には「闇」はほとんど感じられなくて、もしかしてこの映画に物足りなさを感じるとしたらそこなのかも、と。

マーガレットは世間知らずで言葉を弄することも得意ではない女性として描かれているが、演じているエイミー・アダムスのこれまでの出演作品での役柄の印象などからもそんなにひ弱な人に見えなくて、映画を観ていると十分に自分でものを考えて発言できる人なのがわかる。

だから闇を抱えているのは彼女ではなくて、一見雄弁で人づきあいも得意な夫のウォルターの方なのだ。

マーガレットが描く絵を通して、ウォルターの中の病的な部分が浮き彫りになってくる。

この男は妻をほとんど軟禁状態にして、彼女が描いた絵を自分が描いたと騙り、妻の連れ子のジェーンにさえも嘘をつき、ただひたすら自分の欲を満たすことだけに邁進する。

 


コミカルなシーンもあるからスルっと観れてしまうけれどこのウォルターはかなりヤバい男で、終盤に酒に酔って暴れて妻や義理の娘にマッチの火を投げつける場面など、ホラーテイストながらやってることは現実にあるドメスティック・ヴァイオレンスそのまんま。

また、マーガレットは口の達者なウォルターによって、自分は彼なしに生きていく力はないのだ、とずっと思い込まされていたという。

これもモラルハラスメントそのものだ。

この時点で人間として完全にクズなんだけど、僕が身につまされたのは彼が美術評論家に「自分で絵を描けないくせに偉そうに言いやがって」と食ってかかるところ。




これって映画についてもよくありますよね。

批判に対して「文句があるなら自分で撮ってみろ」って噛みついてくる人。

映画監督が観客に向かってそれ言ったら完全な敗北ですが、それだけじゃなくて監督でもない奴が言うことがあんのね、たまに。お前は誰だよ、誰になり代わってもの言ってるんだ、といつも思いますが。

それでも自分で絵が描けないのにまるで絵の作者にでもなったつもりで激高しているウォルターに、僕は何かどうしようもない哀しさを覚えたのです。

もしも彼が正直にこれは妻が描いた絵です、と言って売り込んでいたらなんの問題もなかったのに、彼には人一倍自己顕示欲があったものだから、ただ自分以外の人(それが妻であっても)が生みだしたものを売る、というだけでは満足できなかったんだろうな。

俺にはこんなに大勢の有名人の知り合いがいるんだ、と得意げに吹聴するところなんかも、あぁ、もうイタすぎるからやめてくれ!と^_^;

ウォルターのどーしようもない愚かさには、自分の中にある恥ずかしいものを見せつけられたような気分になったのでした。

彼自身には何一つ同情しませんが。

空っぽの人間は自分を補強して守ってくれる者をどこかから探しだそうとする。虎の威を借り、いつしか自分自身を虎だと思い込む。

でもそれは自分の空虚さや薄っぺらさを人様に開陳しているだけなのだ。

画家に憧れているのなら、下手糞だろうがなんだろうが、ともかく自分で絵を描き続ければいい。

しかしウォルターが求めているのはマーガレットのように思い入れを込めて自分が描きたい絵を描くことではなくて、「画家」というステータスだったりそれに伴う富の方で、実は「絵」そのものにはまったく興味がない。

彼はマーガレットのその指摘を理解できない。彼女が何を言っているのかすらわからない。

現在87歳のマーガレットさんは、そんなウォルター(2000年死去)のことを「気の毒な人」と言っている。


エイミー・アダムスとマーガレット・キーンご本人


映画の最後に、実際のウォルターは文無しになって死んだ、と出てくるけど、85歳まで生きたんなら十分だろ、と思う。彼は最後までビッグ・アイズを自分が描いたと主張していたそうだけど、つまり死ぬまで自分の妄想の中で生きていたんだな。ハタ迷惑な男だ。


もう一つこの映画で興味深かったのは、冒頭で映しだされるアンディ・ウォーホルのマーガレットへの賛辞のように、これは絵画がキャンバスに描かれた絵の“実物”ではなく、そのコピーが商品として売られるようになった時代についての物語でもあること。

高額なアート作品は限られた一部の人々にしか売れないが、画集やポスター、ポストカードなどは特別裕福ではない普通の人々に流通する。

当初マーガレットが描いた(そのことはウォルター以外知らなかったが)絵は、テレンス・スタンプ演じる美術評論家から「キッチュ(低俗)」と切り捨てられて美術界からはまともに評価されなかったが、ポップアートの歴史と時を同じくして人気を博していく(ポップアートが終焉を迎えた、といわれる60年代末にマーガレットとウォルターが離婚したというのも偶然ではあるが面白い)。

ウォルターは「キャンベルスープの缶よりも俺の方が先だ」と言ってて、確かに「絵を大量にコピーして売ればいいんじゃね?」と思いついた彼にはビジネスマンとして大いに先見の明とその方面での才覚があったんだろう。

この映画ではマーガレットがどれほど自分の作品に愛情を込めていたか、自分の分身のような想いで描いていたかが彼女自身の口から語られるが、それに対してビジネスの世界では当然のごとく「売れてなんぼ。売れなければ価値なし」という論理がまかり通る。「そんなに大事だったら自分の部屋の壁に掛けて飾っておけばいい」みたいに言い捨てられる場面もある。

ここのところはいつの時代でも芸術家がぶつかる壁で、それをハリウッドのヒットメーカーであるティム・バートンが描いているのがなんとも奇妙ではある。

もともと絵も描くバートンにも、そのあたりに思い当たる経験があるんだろうか。

現代からすれば「女性の画家の絵は売れない」などと考えられていた時代を想像するのはなかなか難しいのだけれど、ジャズクラブで絵ではなくマーガレット本人を娼婦を値踏みするように見つめていた男のように、いつだって女性はそういう色眼鏡で見られがちだ。

だから搾取から逃れて自分の実力を正々堂々と発揮して、本来自らが得るべき名声なり報酬なりをしっかりと手に入れることができた、そういうマーガレットの姿には溜飲が下がる。

ただ、マーガレットは絵の才能があったんだから(現在も現役の画家ですし)、そこの部分ではまったく同情や憐れみなど必要ない「持てる人」だったんだよな、とも思うんですね。

でも『エド・ウッド』で、やる気と自信だけは満々だが才能がビタ一文ない映画監督を描きだしたバートンには、「夢は見てるけど実力がまったく伴わない人間」に対する共感があるようなのだ。

僕が身につまされちゃったのは、まさにここなんですが。

つまり、僕はこれをマーガレットが主人公の映画、じゃなくて、ウォルター目線で見ちゃったんですよ。

この映画はまさに「裏エド・ウッド」とでも呼べるような作品で、『エド・ウッド』が主人公の勘違いぶりをユーモラスに共感を込めて描いていたのに対して、こちらの『ビッグ・アイズ』の方ではそういう人間が他の人々にとってどれほど大迷惑なのかを笑いをまぶしつつも結構辛らつに描いている。

エド・ウッドは「映画監督」というものに憧れていた。しかし自分が撮る作品そのものにはたいして関心を払わなかった。というか、映画を撮影している、「映画監督」でいられるその瞬間こそを愛していたんだろう。

だから作品そのものはクズだった。もっともエド・ウッド本人は大傑作だと信じていたのだが。

『ビッグ・アイズ』でエド・ウッドに似ているのは、もちろんマーガレットではなくてウォルターだ。

彼はマーガレットに最初に会った時には自分を画家だと称していたが、やがて実は他に仕事を持つ日曜画家なんだと白状する。

しかし、パリに一週間だけしか行ってないのにやけにたくさんの風景画を描いたな、とジェイソン・シュワルツマン演じる美術商にツッコまれてたように、その絵はどうやら他人が描いたものだったことが判明する。

しかもパリに行ったことすらないようなのだ。彼は恐るべき虚言癖の持ち主だった。

油絵とアクリル画の違いもわからず、実際に人前で絵筆で絵を描くことも一切ないウォルターはただ「画家」に憧れているだけの、美術の素養などまったくない男だった。

そんな彼は妻マーガレットが描いた絵を自分の筆によるものだと偽って、大々的に売りだしていく。

ウォルターは自分以外の人が描いたものを自作だと言い張ることに何一つ良心の呵責を覚えないばかりか、いつのまにかそれが本当に自分が描いたものだと彼自身信じ込んでいる。

似たような話がその辺にゴロゴロしてますよね^_^;


ところで、劇中でマーガレットが思わず入った教会の告解部屋で娘のジェーンに嘘をついたことを告白するが、それを聞いていた神父は「時には嘘も必要」と答えて、さらには会ったこともない夫ウォルターの肩を持つように「旦那さんにもいろいろ思うところがあるんだろうから、彼に従うように」と無責任極まりないアドヴァイスをする。

この場面がなんだか妙に気になったんだけど、1960年代の初め頃、世の中はまだまだ保守的だった、ということを描いていたのかな。“教会”とは当時のアメリカの社会規範を象徴しているのかもしれない。

マーガレットが薄々気づきながらウォルターの正体に目をつぶり続けた理由の一つが、この神父の言葉であることは確かだ。

僕には「教会の神父の言うことなんか信用すんな」というメッセージに受けとれたんだけど。

マーガレットがのちにハワイで新興宗教の「エホバの証人」に入信することとなんか関係でもあるのだろうか。

こんだけ具体的な宗教団体の名を出したということは本物のマーガレット・キーンさんが実際にその宗教を信奉している、ってことなんでしょうけど(ところでウォルターと離婚したあとでも彼女が“キーン”名義なのはなぜなんだろう。マーガレットはその後、別の男性と再婚して現在に至るようなのだが)。※彼女が描いた絵には“マーガレット・キーン”と署名されているから、権利上の問題か何かなのかもしれないですね。

このあたりも深くつっこんで描かれることはないしオチとか何もないので「実話なんだから、ただその通りに描いたまでです」といわれればそれまでなんだけど、モヤっとする。

まぁ、何を信じようが、人様に迷惑さえかけなければその人の自由ですが。


この映画はクリストフ・ヴァルツの演技でもってる、とよくいわれるけど、エイミー・アダムスもよかったし、子どもの頃のジェーンを演じるデラニー・レイの瞳が、いつもどこか遠くを見ているような、ちょっと冷めたような眼差しでとても印象的だった。

 


ジェーンの顔をモデルにマーガレットがあの絵を描いた、ということが映画を観ていて納得できる。

特に子どもの頃のジェーンはもう一人のマーガレットともいうべき存在で、常に客観的に母を見ている。彼女の言葉はマーガレットの心の声でもある。




店の中の客やマーガレット自身の目が巨大になってしまう白昼夢のような場面は怖かったけど、あれって日本の漫画やアニメをそのまま実写にしたみたいでもあって、僕らはそうと意識せずに普段から異様な絵を見てる、ってことだな。

 


以前からエイミー・アダムスの目ってどこ見てるのかわからない不思議な怖さがあるなぁ、と思っていたので、彼女がこの映画のヒロイン役にキャスティングされたのはとても腑に落ちました。もちろん目だけが起用の理由ではないだろうけど。

クリストフ・ヴァルツ演じるウォルターは、僕は観る前はもっと屁理屈こねまくってマシンガンのように矢継ぎ早に言葉を繰り出してマーガレットがまったく反論できないようにしてしまうんだと思っていたのだけれど、意外とそんなに喋んなくてすぐキレちゃう。ヴァルツさんのほんとに「ムカつく演技」を堪能したかったら『おとなのけんか』の方がよりイラッときます。

裁判シーンでのドタバタは確かに可笑しかったですが。

映画の中ではマーガレットは有無を言わさず言葉を封じられてしまったように描かれているけど、夫との言い合いでも結構早々と諦めちゃってすぐ彼に従ってしまうんだよね。

そういう人だったということなんだろうけど、最初から自分の主張を飲み込んでしまうので、なんとももどかしくて。

もっと自分を出すのが苦手な人なのかと思っていたんだけど、彼女には譲れないものがしっかりとあって案外頑固だし、だったらあそこまでいってしまう前に思い切ってウォルターと別れればよかったのになぜそうしなかったんだろう。彼女にはその力があったんだから、と。

結婚していた間、長らくマーガレットがウォルターが絵を描けないことを見破れなかったのは、映画の中で彼女も呟いていたように「彼は描けるんだと信じたかった」からなんだろう。

人は自分が望むように物事を解釈する。

マーガレットは絵に没頭することで現実の苦痛をやり過ごそうとしたんだろう。

何かに入り込むことで、現実を見ないようにする。これもまた身につまされてしまう。

ただ僕がマーガレットに感情移入しづらかったのは、彼女が経済的に困窮しているようにあまり見えなかったから。

彼女がウォルターと結婚したのも彼から10年もの間離れられなかったのも、根底には経済的な不安があったはずなんだけど、でも家を出ていきなりハワイに住んじゃえるんだもんな。

経済的に苦しかったら無理なことだから、彼女のもとにはそれなりのお金があったってことだろうか(町山さんの解説によれば、マーガレットさんは財布を夫に管理されてて自分のお金がなかったということだが)。

しかもなんでまた、当のウォルターと新婚旅行で行ったハワイに逃げようと思ったんだろう。

嫌な相手との思い出がある場所に住もうとする気持ちがわからない。

最初の夫と住んでいたカリフォルニア、そしてサンフランシスコ、ハワイ。これぐらいしか彼女には選択肢がなかったということだろうか。

現実にはなかなかマーガレットのように飛びだすことができない人だって大勢いるでしょう。

これは1960年代のアメリカのお話だけど、現在の日本の方がよっぽど逃げ場がない状況なんじゃないか。

そんなことをつらつら考えてしまった。

ハッキリ言えることは、マーガレットさんは男を見る目はなかったけど、彼女が何か犯罪を犯したわけではないし、責められるべきは当然ウォルターである、ということ。

ウォルターがマーガレットの描きかけ(?)の、片方の目が黒く塗りつぶされた女の子の絵を見て怪訝な表情をする場面がある。

あれはなんだったんだろう。

あの真っ黒に塗られたうつろな目には、マーガレットのどんな思いが込められていたのだろうか。

これは、男性の搾取から脱して自立していく女性の姿に共感するという観方もできるし、あるいは僕のようにウォルターのクズっぷりに自らを省みるような観方もできる、なかなか考えさせられる映画でしたよ。

作品自体は派手なわけでも特別目を惹くヴィジュアルがあるわけでもないんだけど、あのモヤっとした終わり方も含めて愚かさや哀しさをすべてひっくるめて「人間」なのだ、と言っているようでもあった。


マーガレットの友人デアンを演じるクリステン・リッターがお人形さんみたいですっごく綺麗だったんだけど、かつてつきあってたリサ・マリーといい『アリス~』で起用したアン・ハサウェイといい、なんかティム・バートンってこういう顔立ちの女性が好きなのかな、って。

 

 
マーズ・アタック!』のリサ・マリーと『アリス・イン・ワンダーランド』のアン・ハサウェイ。ほぼ同系統の顔


昨年暮れにティム・バートンと長らくパートナーだったヘレナ・ボナム=カーターが別れた、というニュースがいきなり入ってきて、ふたりには子どももいるしお似合いのカップルだっただけにちょっと驚かされたんだけど(正直、ここ10数年に渡って彼らが組んできた作品群は微妙なものも結構あったが)、どのみちバートン監督はもう昔のように孤独な男じゃなくて、その気になればいくらでも相手を見つけられるんだろうな。

ティム・バートンに対しては、ずっと根暗なヲタクの兄貴分みたいに思ってたのがいつのまにかヤリチン野郎になってたみたいな、なんか裏切られたような気分だったんですよね。

まぁ、なんだかんだいって才能あるクリエイターはモテるんでしょうけど。

リサ・マリー、ヘレナ・ボナム=カーターに続く、次に彼のミューズとなる人は果たして誰なんだろうか。



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