デミアン・チャゼル監督、ライアン・ゴズリング、クレア・フォイ、ジェイソン・クラーク、カイル・チャンドラー、コリー・ストール、キーラン・ハインズ、パトリック・フュジット、オリヴィア・ハミルトン、ルーカス・ハース、ルーシー・ブロック・スタッフォードほか出演の『ファースト・マン』。2018年作品。

 

原作はジェームズ・R・ハンセンによるニール・アームストロングの伝記「ファースト・マン:ニール・アームストロングの人生」。

 

字幕監修は宇宙飛行士の毛利衛さん。

 

 

1960年代初め、NASAの有人飛行計画“ジェミニ計画”の宇宙飛行士のメンバーに選ばれたニール・アームストロング(ライアン・ゴズリング)は仲間たちとともに訓練に励むが、ソ連との競争により急かされるその行程は幾人もの犠牲者を出す過酷なものだった。妻のジャネット(クレア・フォイ)は子どもたちとともに夫の身を案じ続ける毎日を送っていた。連日ヴェトナム反戦運動が起こり、また巨額の予算を必要とする宇宙開発への疑問も出ていた。数々の困難を乗り越えて、関係者たちの経験と彼らが残した実績の集大成として、やがて人類を月に送る“アポロ計画”が進められる。

 

IMAXレーザー2D版と通常版を鑑賞。

 

デミアン・チャゼル監督の映画は『セッション』も『ラ・ラ・ランド』も劇場で観ていますが、どちらも見応えのある作品だったからさらなる新作も楽しみにしていました。

 

ところが、一足早く観た人々の感想を読むと、「登場人物への接写が多く、手ブレの映像もしんどい」というようなものがあって、僕は以前観た『ハードコア』というPOV映画で本気で気分が悪くなってその手の映画はもう勘弁、という感じだったので、映画館での鑑賞は難しいかも、と思ったんですよね。

 

でも、映画評論家の町山智浩さんの作品紹介を聴いてるうちに、やっぱり観ておきたい、と考え直しました。

 

結論から言うと、手ブレに関しては僕は大丈夫でしたし、2度観たことからもおわかりのように、この映画がとても好きです。今年観た作品の中では今のところ一番。

 

映画館で観てよかったし、もし鑑賞が可能な環境でしたら一度はIMAXでご覧になることをお勧めします(もちろん、通常のスクリーンでも充分楽しめます)。

 

劇場で鑑賞する際に注意しておいた方がいい点として、以前、僕は『シン・ゴジラ』をIMAXで観た時に前方の席に座って大失敗したんですが、この『ファースト・マン』もシンゴジ同様に登場人物の顔のアップがとても多いのと、さっき述べたように“手ブレ”が容赦ない場面が結構あるので、いつもよりも後ろ目の、スクリーンが視界にすべて入りきるぐらい離れた座席を選ばれるとよいのではないでしょうか。

 

僕はIMAXではKの列を選びました(いつもはFかGあたり)。それで正解だった。

 

確かに手持ち撮影が多用されるし手ブレは激しいけれど、手ブレ映像は飛行機や宇宙船内での振動によるものに限られるし、映画自体も『ハードコア』みたいな一人称視点のPOVではないので、慣れればそんなにキツくはないです(そういうのが苦手なかたには無理にお薦めはしませんが)。

 

あと、やはり事前に読んだ感想で、この映画が「淡々としている」という説明があったので、僕はキューブリックの『2001年宇宙の旅』のような静かで寒々とした映画を想像していたんですが、確かに主演のライアン・ゴズリングの表情を抑えた演技は『2001年』の主人公ボウマン船長役のキア・デュリアの演技に通じるものはあるものの、映画全体はエモーショナルなもので、これも実際に作品を観てみないとわからないなぁ、と思った次第です。

 

では、これ以降はネタバレがありますので、まだ映画をご覧になっていらっしゃらないかたはご注意ください。

 

 

宇宙飛行士のニール・アームストロングさんや“アポロ計画”について僕はリアルタイムであの当時のことを知らないし特に知識もありませんが、ちょっと前にNHKで放送された「ザ・プロファイラー~夢と野望の人生~」(2月7日放送)で彼が採り上げられているのを(途中からですが)観ました。

 

映画では描かれなかった、アポロ11号の月面着陸以降の彼についても語られていました。

 

さて、これは別に町山さんをdisるつもりではないのでくれぐれも誤解しないでいただきたいんですが、町山さんの作品紹介は特に主人公のアームストロングについての説明に若干首を傾げるところがあって(詳しくは音源をお聴きになるか書き起こしをお読みいただきたいんですが)、まるでニールが感情をまったく表に出さない人物のように語られているんだけど、僕には彼はささやかながら人前で感情をちゃんと表現していると感じられたし(確かに身近な者にも自分が思っていることを言葉に出して言わない、という特徴はあってそこが謎めいて見えるというのはあるが、仕事仲間たちと談笑し、妻とダンスもするし子どもたちとも遊ぶごく普通の男性だ)、映画を観ていたらわかるけど、けっしていつでも冷静沈着なわけではなくて、電話で会話しながら怒ったり大切な人を亡くして涙を流したり呆然としたり、非常時にも汗だらけで必死に試行錯誤の末、なんとか生き延びている。

 

 

 

 

映画の冒頭で“ライトスタッフ”チャック・イェーガーに飛行ミスを咎められたり、その結果、飛行禁止処分を受けたりしてるし、着陸訓練機が墜落して間一髪で脱出して命拾いしたりと、優秀であるのはもちろんだが別にミスター・パーフェクトみたいな描かれ方はされていない。

 

そもそも、彼が(映画の中で)月を目指した理由がなんだったのか考えたら、ことさらニール・アームストロングを共感不能な変人のように描いてなどいないことはわかるはず。むしろ映画を観ている観客には充分過ぎるほどその内面を想像できる人物として描かれている。

 

この映画にはニールの息子マーク(次男)が協力していて彼の母親のジャネット(映画の完成の1年前に死去)も脚本作りに際して助言したということだから、かなり正確に描かれているんでしょう。

 

ニール・アームストロングの息子が語る「月面着陸の裏側」

 

 

町山さんはラジオのリスナーの興味を惹くためにあえてミスリードするように面白く話を盛ったのか、それとも素で思い違いをされているのかわかりませんが、まるでニール・アームストロングをコミュニケーションに難がある人のように解説するのはちょっと違うんじゃないかと。

 

ニールが妻のジャネットと離婚したのは、映画で描かれる月面着陸を成し遂げた25年後の1994年のことだし。それだけの間には誰にだって起こり得ることでしょ。

 

 

 

NHKの番組でも、離婚することになってニールがそれまで見せたことがないほどのショックを受けていた、という説明があった(そのわりには同じ年に別の女性と再婚しているのだが)。

 

ニールは別に「月へ行く」ことを家族に秘密にしていたんじゃなくて、もしかしたらこれが最後になるかもしれないのに、そのことを妻や子どもたちにしっかりと説明せずに黙って行こうとする冷たい素振りを見せたことが問題だったわけで。

 

でも、ああいう人は僕の身近にいたのでわかるんですが、大切なことを必要な時に言わない人っていますよ。

 

それは本人が何も感じてないわけでも何も考えていないわけでもない。

 

コミュニケーションについて言うなら、むしろ場の空気を読まずに言わなくていいことを人前で口走るバズ・オルドリン(ニールとアポロ11号に搭乗してともに月面に降り立った。演じるのは『アントマン』で悪役に扮していたコリー・ストール)の方が問題がある人のように描かれていた。

 

 

 

だからまぁ、映画に興味を持たせてくれる、ということではとてもありがたいのですが、語られていることをすべて鵜呑みにしてしまうと、僕のように観る前に実際の作品とは異なる先入観を持ってしまう怖れもあるので注意が必要かと。「映画」を人に説明するのって(それも限られた時間で)ほんとに難しいですね。生意気言ってごめんなさい、町山さんの作品紹介はいつも楽しみにしていますので。

 

この映画では、最後に勇壮な曲が高らかに鳴り響く中で星条旗がひるがえったり、ニールが大勢の人々に拍手と歓声で迎えられたりはしない。

 

こういう「実話を基にした映画」によくあるように、映画本篇が終わったあとに本人たちの写真が映し出されたり、字幕でその後の彼らのことが説明されたりもしない。

 

イーストウッドの映画のように主人公たちを称賛したりもしない。

 

隔離室のガラスを隔てて向かい合ったニールとジャネットがガラス越しに静かに互いの手を合わせて、映画はそのまま終わる。

 

これは今のこの時代に合った手法だった。「アメリカ万歳」は今では時代遅れだ。

 

国の威信のためでも人類のためでもなく、ただ一人幼くして亡くなった娘と本当のお別れをするために主人公は月へ行く。そして戻ってきて愛する妻と黙って見つめ合う。

 

 

 

悲しみに囚われていた男が行って、帰ってくる物語。

 

ジェミニ計画の面接の時にニールが語っていたように、彼自身にも高邁な使命感はあったのでしょう。人類の発展のために月へ行くのだ、という意識は当然あったに違いない。

 

「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」

 

でも、この映画ではあえて娘への個人的な想いが動機のように描いている。僕はそこにチャゼル監督の良心を感じる。「小さな一歩」の方を切り取ったのだ。

 

デミアン・チャゼル監督はこれまでの2作品(その前の作品はあいにく未見)でもそうだったけど、いつも主人公の周辺が描かれて、「世界が狭い」と批判もされてきた。

 

そういう意味ではずっと一貫していて、この『ファースト・マン』でもジェミニ計画やアポロ計画など壮大な国家的プロジェクトが描かれるにもかかわらず、主人公ニールが見つめているのは月と娘の幻影だけだ。

 

宇宙への旅すらも個人の問題の中に収められる。

 

この映画は、人類が月へ行く、ということの意義について深くは掘り下げない。

 

軍事技術が結果的に科学の発展に資してきたように、宇宙開発のための技術もまた人々の暮らしの中で活用されている。それは事実だ。

 

一方で、劇中で黒人男性が「白人が月へ行く」と唄っていたように、地上の貧困や多くの問題を置き去りにして宇宙開発に多額の税金を使うことに疑問も湧く。

 

チャゼル監督はそこでニールが月を目指したことに大義名分を使わない。

 

だから『アポロ13』とか『アルマゲドン』のクライマックスみたいな盛大なノリを期待すると肩すかしを食らうかもしれません。

 

だけど、じゃあ終始淡々としてるかといったら、盛り上がるところでグッとこさせるし、人が亡くなる場面は大げさに描かないからこそより悲しみや衝撃は胸に響いてくる。

 

こういう題材をこのように繊細に描いた作品を僕は他にあまり観たことがないし、それだけでも名作として残っていく資格がある作品だと思う。

 

ニールたちが乗ったアポロ11号が月の周回軌道に乗った時、ふと涙が溢れて頬をつたった。あまりに自然に涙が流れたので自分で驚いたほど。

 

 

 

鷲(イーグル)は舞い降りた」という言葉が本当に美しく聴こえた。

 

1960年代当時の映画や記録フィルムの画質を模して16ミリフィルムで撮影された映像が、僕がリアルタイムでは知らないあの時代にいざなってくれる。

 

ゴズリングの他にもジェイソン・クラークやカイル・チャンドラー、キーラン・ハインズなど(アポロ11号の乗組員の一人マイケル・コリンズを演じているのがルーカス・ハースだったのを鑑賞後に知った)顔を知ってる俳優さんたちがみんな見事に昔の人々に見える映像マジック。

 

 

 

 

月面では一転してすべてにピントが合った70ミリフィルムの鮮明な映像に変わる。これもIMAXで観るとよりその違いがハッキリわかります。

 

 

 

ジャネット役のクレア・フォイは名前に聞き覚えがあったような気がしていたんだけど、それはクリストファー・ノーラン監督の『インターステラー』に(あと最近では『くるみ割り人形と秘密の王国』にも)出ていたマッケンジー・フォイで別人、互いに血縁関係もなかった(クレア・フォイはイギリス人でマッケンジー・フォイはアメリカ人)。

 

 

 

 

クレア・フォイは僕はあいにく彼女が主演している『蜘蛛の巣を払う女』は観ていないので初めて見る女優さんですが、大きな瞳が特徴的で髪を短くして60年代の服装をするとほんとにあの当時の女性のようで、ほとんどすっぴんの顔とともにその存在感にはインパクトがあった。

 

彼女がゴズリング演じるニールを見据えながら喋るシーンは、まるで自分が問い詰められているような気がしてくる。

 

この映画を「女性は激怒かも」と感想に書いていた人がいたけど、そうですか?

 

僕はジャネットはとてもリアリティのある女性として描かれていると思いましたけどね。

 

彼女が本当は何を求めていたのかは、ニールの同僚のエド(ジェイソン・クラーク)の妻パット(オリヴィア・ハミルトン)との会話でジャネット自身が語っている。普通の生活がしたかった。ニールは他の男性とは違って落ち着いて見えた、と。

 

ジャネットにはニールが背負っている任務への理解が足りない、というふうに受け取った人もいるようだし、事実、二人はのちに別れているので、彼女のことを「宇宙飛行士の妻として相応しくない女性だった」と思った、あるいは映画はそのように描いていると感じた人もいるかもしれませんが、少なくとも妻や子を持つ母としては彼女は間違ったことは言っていない。

 

さっき書いたように、映画のラストから25年間彼らは連れ添ったのだし。

 

しかし、引退しても根っからの仕事人間だったニールは手に入れた自由な時間を家族のために使うことはなかったので、失望したジャネットは彼と別れることにした。もっともな決断なのでは?

 

だから、僕は別にこの映画でことさらジャネットが夫に対して無理解な妻として描かれているとは思わなかったですけどね。

 

そりゃ、「普通の家庭」の妻よりも宇宙飛行士に共感を覚える女性だっているかもしれないですが、この映画ではたまたま妻が「普通の生活」を志向する人だった、ってだけで、別にだからって“激怒”する必要なんかないんじゃないですかね。

 

まぁ、月面着陸が成功する前にはインタヴューで「税金をそんなことに使うなんて」と批判的に話す若い女性を映しておいて、成功後に(別の女性ですが)絶賛させるというのは、意地悪な描写だったかもしれませんが。

 

女性が怒るかどうかはともかく、チャゼル監督が「人類初の月面着陸」に浮かれる人々をちょっと引いた目で見ているのは確かで、例えたら悪いけど、僕の中ではこれは来年の東京オリンピックに浮かれてる人々の姿に重なるんです(無論、東京オリンピックはまだ開催されていないが、浮かれる人々の姿が今から目に浮かぶようだ)。

 

ここで描かれている「月へ行く」という行為は、そういうお祭り騒ぎとは対極にある厳かなもので、ニールがクレーターに投げ入れた娘カレンの名前が入ったレタービーズのブレスレットからもわかるように、あれはあらためてもう一度行なわれたカレンの弔いなんですよね。

 

僕はこの映画の原作の伝記を読んでいないし、ニール・アームストロングが本当に月に亡き娘の形見を置いてきたのかどうかは知りませんが、月が娘の眠る場所ならば、そこへの到達に祭りで盛り上がるのは違うでしょう。

 

また、これは人類史上初めて月面に降り立った者たちの物語であると同時に、そこにたどり着けなかった者たちを描いた物語でもある。

 

ニールは犠牲になった者たちの想いも背負っていたはずだし、だからこそ月の表面が見えた時に万感の想いとともに彼は涙を浮かべたんだろう。

 

アポロ11号の月面着陸については、その事実は知っていても、そこに至るまでに払われた犠牲、失われた人命については知らなかったし考えたこともなかったから、次々とニールの仲間たちが命を落としていくのがとてもつらかった。

 

そして妻たちは常に夫を、子どもたちは父親を失う恐怖に堪え続けていたということ(ニールの次男で当時6歳だったマークは、まだ宇宙飛行士の危険を認識していなかったそうだが)。そのことも忘れちゃいけない。宇宙飛行士たちは自分だけで宇宙に向かっていたのではない。待っている家族の存在があったからこそ、彼らはあのような危険な任務に堪え抜けたのだと思う。

 

僕なんかにはなかなか想像できないけれど、例えばこれは『オンリー・ザ・ブレイブ』で描かれた森林消防隊と同じように、夫が、父が、いつ命を落とすかわからない、文字通り毎日が命懸けの世界で生きる人々を描いたトゥルー・ストーリー(実話)で、その重みが「命懸け」などとは程遠い生活をしている僕にも響くのです。戦っている人の映画だから。自分にはできないからこそ、純粋に尊敬する。

 

劇中で、月面着陸を無事終えて地球に帰還したニールとバズが観ているTVに、在りし日のジョン・F・ケネディの演説が映る。

 

なぜ月へ行くのか。それは「簡単だからではなく困難だからやるのだ」と。

 

これだけだと単なる精神論にも聴こえる。

 

それでも、誰もやったことがないこと、前人未到の世界を開拓するのは尊いことなのだ、という主張は、どこかで人の心を鼓舞する。

 

そんなものは必要ないんだ、と言い切れないところがある。

 

2012年、ニール・アームストロングは娘のカレンが待つところへ旅立った。

 

“彼ら”の果たした偉業はこれからも記憶され続ける。

 

「アポロ11号の月面到達」をNASAやアメリカ政府の捏造だと主張する人々がいまだにいるようだけど、それは多くの人々の努力とその成果を「嘘」だと決めつけて「なかったこと」にしようとするものだ。

 

この映画は、僕たちをあの時代に引き戻し、ニール・アームストロングと多くの宇宙飛行士、関係者たちの苦労を疑似体験させてくれる。

 

僕は『ラ・ラ・ランド』の感想で、デミアン・チャゼルとクリストファー・ノーランに似たような匂いを感じる、というようなことを書きましたが、IMAXを意識した映像とかフィルム、VFXではなく実物での撮影へのこだわり(そして頑ななまでに3D作品を撮らない)、「冒険」=誰もやっていないことへの挑戦、に対する熱意など、両者には映画監督として多くの共通点を見出せるし、こんなこと言ったらチャゼル監督は怒るかもしれないけど、この『ファースト・マン』を“クリストファー・ノーランが撮った”と言われても納得しちゃいそう。

 

チャゼル監督は、今回の映画で絶対にノーラン監督を意識してるはずだし。

 

『ファースト・マン』はジャスティン・ハーウィッツの音楽もとてもよくて映画に大いに貢献しているんだけど、時折、機械の作動音のようにも聞こえる音がノーランの『ダンケルク』でハンス・ジマーが作った曲を思わせるところがあって、ほんとにどこまでも似てるんですよね。

 

『インターステラー』の宇宙のシーンもよく比較されているし。

 

違いがあるとすれば、ノーランは「英国万歳」な人だけど、チャゼルにはジャズや古い映画への愛着はあっても「アメリカ万歳」というのはないこと。『ファースト・マン』で月に星条旗を立てるシーンがないことをドナルド・トランプから責められた、というエピソードからも、僕はノーランよりもチャゼルの方に断然好感が持てます。

 

『ラ・ラ・ランド』の感想で「絶賛はしないが…」などと偉そうに書いたけど、この映画を観終わった今、その言葉は撤回したいと思います。いや、絶賛しますよ、と。

 

監督作品を3本続けて観て、こうやってまたとても楽しめたということは、デミアン・チャゼル監督の映画が俺は好きだってことだ。

 

これからも新作が楽しみな人であることはもう疑いようがない。

 

第91回アカデミー賞視覚効果賞受賞。

 

 

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