映画を観ているみたいに小説が読める イメージ読書術

映画を観ているみたいに小説が読める イメージ読書術

小説の世界に没入して
“映画を観ているみたいに” リアルなイメージが浮かび
感動が胸に迫り、鮮やかな記憶が残る。
オリジナルの手法「カットイメージ」を紹介します。
小説を読むのが大好きな人、苦手だけど読んでみたい人
どちらにもオススメです。

 新堂冬樹の小説『誰よりもつよく抱きしめて』(2004年発表)は、2025年に映画化された。

 

 例によって映画の最初を30分ほど観てから小説を読んでいったが、ひじょうによかった。

 感動のラブストーリーをお探しなら、これはお勧めしたい。

 小説も、映画も。

 

 

 監督:内田英治  

 脚本:イ・ナウォン

 出演:久保史緒里 三山凌輝 ファン・チャンソン 穂志もえか 永田凜 酒向芳

 

 児童書専門書店で働く桐本月菜(久保史緒里)は、水島良城(三山凌輝)と同棲している。

 良城が描いた絵本『空を知らないモジャ』は、空を飛ぶ翼を持たない鳥「モジャ」と小スズメとの友情と別れを描く、心優しい物語。

 月菜の働く絵本書店「夢の扉」が、二人の出会いの場所だった。

 

 二人は仲睦まじく暮らしているようだが、実は良城は同棲を始めた後に不潔恐怖の神経症を病み、モノにじかに触れることができなくなってしまった。

 月菜のことも愛していながら、指一本触れることができないのだ。

  

 月菜はそんな良城を理解しようとし、寂しさにも耐えて、明るくふるまっている。

 だが、愛すれば愛するほど二人は触れ合うことを求めつつ、得られないもどかしさに苦しむ。

 そして、傷つけあってしまう。

 

 そんなとき、月菜の前に年下の韓国人男性イ・ジェホン(ファン・チャンソン) が現われ、一途にアプローチしてくる。

 初めは相手にしなかった月菜だが、彼のあまりにまっすぐな思いに、心が揺れ始める――。

  

 最初30分観ただけでも、配役のよさが際立っている。

 良城役の三山凌輝は神経質なところがよく出ているし、月菜を演じる久保史緒里は、からだの触れ合いがなくても彼を愛し続ける、まじめで清純な役がとても似合っている。

 そして韓国のアイドル歌手ファン・チャンソンが演じるはジェホンは、男性的な魅力を放ちながらも、誠実な人柄が伝わる。 

 

 いよいよここから三角関係のドラマが展開するのか……というところで映画をいったん中断し、原作を開いた。

 

 新堂冬樹『誰よりも強く抱きしめて』 新装版 光文社文庫 2024

 

誰よりもつよく抱きしめて 新装版 (光文社文庫 し 31-8)

 

 読んでいくと、愛し合っていながら触れ合うこともできない二人の苦しみが、ほんとうに切ない。

 読み進めば進むほど、やりきれなさが募っていく。

 こんな気持ちを味わえるのは、やはり小説ならではだと思う。

 

 そうやって最後までこの物語にひたり、堪能しきって読み終えた。

 ネタバレはしないが、決して期待を裏切らない展開、そして結末だった。

 

 そして映画の続きを観た。

 

 

 映画の脚本がよくできていて、原作の結末を知っていてもあらためてこの物語の切なさを味わい、感動することができた。

 こんなに素敵な小説に20年もの間、映画化のオファーがなかったことが、不思議なくらいである。

 

 いや、脚本家イ・ナウォンと内田英治監督の登場を待つのに、その年月が必要だったのかもしれない。

 そう思うほど、脚本がよくできている。

 

 小説で二人は結婚しているが、映画では同棲している。

 月菜が働く「夢の扉」のオーナーは小説では月菜の祖父だが、映画では良城の祖父になっている。

 そうしたいくつかの設定変更が、実によく考え抜かれており、ちゃんと後でつながってくる。

 

 また、映画で韓国人になっているジェホンは、原作では克麻という日本人である。

 外国人ではないが、また別の意味でマイノリティとしての背景をもっている。

 

 映画の終盤では、ジェホンがなぜそこまで月菜を愛したのか、その理由が明かされる。

 それは映画独自の脚色であるが、彼の人物像にぐっと深みを持たせている。

 ジェホンを演じるファン・チャンソンの表情がすばらしい。

  

 原作がすばらしく、映画もまたよくできている。

 だから今回は、原作を読んでから映画を観る。それが断然おススメだ。

 

 もちろん、いつものごとく読む前に映画の最初を観ておくとよいことは言うまでもない。

 

 今回も私は、映画の最初の30分を観てから読んだので、月菜も良城も克麻も、映画の配役をベースにイメージしていくことができた。

 しかし、良城と同じ神経症に悩む千春、月菜の親友早智子という二人の重要な脇役は、映画で観たときに、「自分のイメージと違う」という感じを強く受けた。

 最初の30分に出て来なかったので、小説では自分なりのイメージを描いて読んでいたからだ。

 

 脇役にしてもこれだから、原作を読んでから映画を観たときに、主要人物のイメージに違和感を持ってしまうと、映画を純粋に楽しめない。

 だからいつも言うように、映画の冒頭か、せめて予告編を観て登場人物のビジュアルイメージを頭に入れてから、原作を読むことが有効なのだ。

 

 この作品はまず小説で感動し、映画でもその感動を再び味わってほしいと思うからこそ、より強調したい。

 

 

 

 

 

 柚月裕子の警察サスペンス小説『朽ちないサクラ』(2015)は、2024年に映画化された。

 

 監督:原 廣利
 脚本:我人祥太 山田能龍

 出演:杉咲花 萩原利久 安田顕 森田想 豊原功補

 

 

 

 県警の管轄下で起きたストーカー殺人事件。

 その被害者が事前に出していたストーカー被害届を放置したまま、職員は慰安旅行に出ていた。その事実をスクープした記事が地元紙に載ると、県警広報課の電話は鳴りやまなくなった。

 

 広報課事務官の森口泉(杉咲花)は、慰安旅行について親友の津村千佳(森田想)にうっかり話していた。千佳は県警詰めの地元紙記者だが、親友の泉との信頼関係を大切にしてその事実は漏らさないと約束した。

 しかし事実は報道され、泉は千佳が情報を流したと疑う。

 

 その千佳が、事故を装った水死体で発見される。

 自らの潔白を証明するため独自に調べを進め、事件に巻き込まれたのだ。

 

 千佳の無念を思う泉は自力で犯人を見つけ出すと心に誓うが、彼女に思いを寄せる年下の刑事磯川俊一(萩原利久)は、泉の決意を知って協力を申し出る――。
 

 登場人物も出そろい、いよいよここから物語が展開していくぞ、というところでほぼ30分。

 映画をいったん中断し、原作を開いた。

 

 柚月裕子『朽ちないサクラ』 徳間文庫 2018

 

朽ちないサクラ (徳間文庫)

 

  

 泉と磯川が調べを進めていくプロセスは、警察らしく地味な聞き込みを中心としている。

 県警が進める本筋の事件捜査に、泉と磯川が調べて見つけた事実のピースが加わり、事件は次第に解明へと進んでいく。

 そして、いよいよ証拠固め、犯人逮捕へと進む場面は捜査一課が中心となり、しばらく泉と磯川の姿が舞台から消える。

 

 事件は解決するが、再び登場した泉は、事実関係について割り切れない疑問を口にする。

 そして、最後に残された疑惑について自らの推理を語る――。

 

 タイトルの「朽ちないサクラ」は、不屈のヒロインを思わせるが、そうではなかった。

 事件の奥の奥にあるを真相を示すキーワードである。

 

 泉は事務官だが、捜査一課長の梶山に「刑事に向いている」と評される。

 一課長をにらみ据えて、一歩も引かない度胸。

 事実を積み上げて、矛盾を見逃さない洞察力。

 

 そのことが、結末の泉の決意につながっていく――。

 

 事件の謎解きというより地道な捜査の末に真相が見えてくる展開なので、「警察小説」と呼ばれるのもなるほどと思った。

 そして、映画の続きを観た。

 

 

 

 このポスター写真は、登場人物の関係を象徴している。

 最後の真相を知ってこれを見ると、ひじょうに意味深なものがある。

 

 原作のストーリーをところどころ端折ったり、シンプルにした脚本で、警察組織の内部のやり取りとともに、事件捜査が進む。

 

 キャストでは、広報一課長梶山役の豊原功補、泉の上司である広報課長富樫を演じる安田顕、二人のベテラン俳優の演技、その存在感がすばらしい。

 

 作中に警察というものの本質として「警察は起きてしまった事件を扱う」というセリフがあったが、まさにその通りで、起きてしまった殺人事件を捜査し解明しても、殺人の事実はもとに戻らない。

 しかもその殺人の動機が組織的な都合によるものなので、物語としての後味はあまりよくない。小説も映画も。

 

 私はミステリーは好きだが、「警察小説」というのは、あまり性に合わないのかもしれない。

 

 

 朝井リョウ『正欲』(2021)は、この世界の多数派ではない性欲をもって生まれた人がどうして生きて行けばいいのか、という問いを追究した小説である。

 

 

 ……というと、「LGBTQ」ということばを、今では誰もが思い浮かべる。

 

 男女が互いに欲望を感じることを正常とし、それに基づくさまざまなしくみや行動様式で成り立っている社会。

 そこに生きることが、LGBTQの人たちにとってはいかにつらいものであったかを、私たちは今ではある程度、理解している(つもりではいる)。

 

 しかしこの小説に描かれているのは、「LGBTQ」という網でも掬えない、もっとマイナーな性欲を持つ人々の苦悩。

 それを誰にも理解されないという確信からくる深い孤独。

 そして、そこからの救い。

 

 今回も映画を観ながら原作小説を読んだが、よくできた小説だと思う。

 マイノリティの深刻な苦しみを描きながら、その視点から逆に、実は多数派の人々もまた社会の中で爪弾きにされることを怖れて必死に生きているのでは、という真実をあぶりだしている。

  

 映画は、2023年公開。

 監督:岸 善幸
 脚本:港 岳彦
 出演:稲垣吾郎 新垣結衣 磯村勇斗 佐藤寛太 東野絢香

 

 

 社会正義を掲げ、人は皆、社会の秩序に従うべきだと考える検事の寺井啓喜(稲垣吾郎)。

 しかし家庭では、小学校5年の息子の不登校を社会の既定路線から外れることだと言って理解せず、妻との間に溝を深める。

 

 食品メーカーに勤める佐々木佳道(磯村勇斗)と、寝具ショップで働く桐生夏月(新垣結衣)はそれぞれの生活のシーンで、いつもつまらなそうな顔で暮らしている。

(こんなに可愛くないガッキー、観たことない!)
 

 その二人が、地元の同窓会で再会する。

 彼らには、中学校の校舎裏で古い水道栓を壊し、噴き上がる水を二人だけで恍惚として浴びていた、という秘かな体験があった。

 しかし、その日を境に佳道は転校し、以来、会っていなかったのだ。

 

 もう一人の登場人物、大学生の神戸八重子(東野絢香)は、学園祭の実行委員としてミス・ミスターコンテストに代わるダイバーシティフェスの企画を立ち上げる。

 八重子には引きこもりの兄がいて、その兄がエロ動画を観ていたことを知ってから男性への生理的な嫌悪感に苦しむ。

 しかし、企画運営の中で知り合ったダンスサークルの諸橋大也(佐藤寛太)には、違和感なく接することができ、彼に好意を抱く。

 

 3つの同時並行の場面で物語は進行するが、どこで交わるのか予想がつかない。

 40分ほど映画を観ていったん中断し、小説を読み始めた。

 

 

 

 映画の配役を手がかりにイメージしながら読んでいったが、並進する物語がどうつながるのかと思いつつ、それぞれの場面のもつ不思議な引力のままに500ページを読み終えてしまった。

 

 結末では、皮肉な偶然が3つの物語を結びつける。

 マイノリティの孤独から仲間とつながろうとする試みはたまたま失敗に終わるが、それでもまだ、つながれる可能性が断たれたわけではない。

 

 佐々木佳道と桐生夏月の心の通い合い。

 理解への道は遠くとも、互いに思いをぶつけ合う諸橋大也と神戸八重子の関係。

 

 それらの希望が余韻として残る。 

 後味は悪くない小説だと思った

 

 小説を読み終えた後もいろいろな考えが未整理のまま頭の中を駆け巡りつつ、映画の続きを観た。

 

  

 小説のインパクトが強烈で、純粋に映画だけを評することは難しいが、私はよくできた映画だと思う。

 

 新垣結衣演じる桐生夏月を中心に観ていくと、深い孤独と虚無の淵から佳道というパートナーを得て、明日も生きようと思えるようになっていく、その表情の変化が胸を打つ。

 二人が、互いに性欲はなくとも相手を深く必要とする関係になっていく。

 そのプロセスがごく自然に流れていく。

 

 彼らの特異な性欲自体は理解できなくても、人と人のつながりを描いた物語として、誰もが共感できる世界になっていると思う。

 

 映画のクライマックスは検事寺井(稲垣吾郎)と夏月が対峙する場面。

 多数派を代表する寺井は家族の絆を失い、一方、理解されない嗜好を持つ夏月は、佳道との「つながり」をしっかりと握っている。

 それぞれの考え方と人生の対比が鮮やかだ。

 

 これは、小説を読んでから映画を観てもいい作品だと思う。

 提起する問題を小説で深く理解し、そのうえで映画を観れば、俳優たちの演技を堪能することができる。

 ただ、いつも言うように少し映画を観てから小説を読み始めれば、映画を違和感なく楽しめるはずだ。

 

 

 小説『今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は』(2020)は、お笑いタレント福徳秀介の作家デビュー作。自身が卒業した関西大学を舞台にした恋愛小説である。

  

 実際に関西大学で撮影された映画は、2025年に公開された。


 監督・脚本:大九明子
 出演:萩原利久 河合優実 伊東蒼 黒崎煌代 古田新太

 

[Blu-Ray]今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は Blu-ray スペシャル・エディション(限定) 萩原利久よしもと

 

 学生でにぎわうキャンパスを、雨も降っていないのに水色の折りたたみ傘をさして歩く小西徹(萩原利久)は、周りから浮いた存在だ。

 唯一の友達山根(黒崎煌代)は色柄がしつこい独特の服装コーディネートで、山根弁ともいうべき奇妙な関西弁をしゃべる。

 徹と山根はキャンパスの喧騒を避けて休み時間を過ごす。

 

 場面は変わり、徹は銭湯の閉店後に風呂場を掃除をする深夜アルバイトをしている。

 一緒に働くさっちゃん(伊東蒼)は京都の大学でバンドサークルに属し、いつもギターを背負って現れる。

 いっしょに風呂場を掃除しながら軽口を叩き合う、いいバイト仲間だ。

 

 そんな徹は、同じ授業に出ている一人の女子学生が気になり始める。

 長い髪を頭のてっぺんで大きなお団子にまとめている。

 授業が終わると、いつも一人で堂々と最初に授業を出ていく。

 学生食堂では、一人でざるそばを食べている。

 

 その孤高の姿に惹かれた徹は、機会を伺い彼女に声をかける。

 話してみると自分の青い傘と彼女のお団子頭が、どちらも自身を守る鎧なのだとわかる。

 

 今は亡き祖母が、徹に「今日の空が一番好き」と言えるように生きなさい、教えてくれた。

 しかし彼女“桜田花”も、同じことばを亡き父に聞かされて育ったという。

 

 思いが通じた二人は朝に待合せて喫茶店でデートするが、徹はまだまだ話したくて、その日の2時に遅いランチをいっしょにしようと、正門前で会う約束をする。

 しかし、……。

 

 最初の40分ほど映画を観ていったん中断し、小説を開いた。

 福徳秀介『今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は』 小学館文庫 2025

 

今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は (小学館文庫 ふ 31-1)

 

 表紙の犬は何だ? と思ったが、これは作中に出てくる喫茶店の犬サクラだ。

 サクラは店の客に愛想よく尻尾をふり、時にはキャンパスを自由に歩き回って大学生たちのアイドルになっている。

 その店でアルバイトをしていた桜田花と、僕は偶然、再会するのだ。

 

 さて小説を読んでみると、映画は原作の世界をみごとに映像化していたことに驚く。

 主人公の内面語りは、映画で観た小西徹と違和感がない。

 

 小説の前半、孤独な学生たちの緊張感はあるが、それでものんびりした展開だと思う。

 後半で明らかになる悲劇で物語は急展開し、さらにありえない偶然が待っている。

 しかし二人(徹と花)は、それを乗り越え、前に進んでいく――。

 

 ……と言いたいところだが、悲劇的な出来事から想像される葛藤や苦しみがあまりなく、意外なほどあっさりとハッピーエンドに流れていく。

 その安易な展開には、違和感を覚えた。

 

 徹と花が恋に落ちていく経過も、不思議な一致や共感だけで表面的に過ぎていく。

 何だか今どきの大学生は……と、その軽さを感じないわけではなかったが、これが新世代の小説なのかなと、まだおおらかな気持ちで読んでいくことができた。

 

 しかし結末まで読むと、さすがにこれは受け入れらないと感じ、ひるがえってそれ以前のストーリーにも違和感が募りだした。

 これが若い世代の求める小説なら、私にはついていけないな……というのが正直な感想だった。

 

 そんな読後感をもって、ときどきつまみ食いのように観ていた映画の続き1時間余りを最後まで観た。

 すると……

 

 映画として、これはよくできていると思う。

 原作のテイストをみごとに映像化した。

 

 そして、小説で感じた軽さが映画だと気にならない。

 というのも、それぞれに祖母と父を失った痛みへの共感が二人の間に流れていく。そのプロセスが、映画ではきちんと描かれている。

 そして何より原作の安易な結末を踏襲せず、ほどよいところで幕を引いて余韻の残るエンディングになっている。

 

 主演の二人もそれぞれの役柄をみごとに演じていると思う。

 文庫本の末尾に載っている萩原利久と河合優実の特別対談を読むと、二人がほんとうに真摯に役に向き合ったことがわかる。

 

 また、山根役、さっちゃん役の黒崎煌代と伊東蒼も素晴らしく、強く心に残る。

 

 今回の作品は、映画がおススメ。

 小説は結末がイマイチなので、おススメしない。

 

 だが、福徳の小説がなければこの映画は生まれていない。

 だから、大勢のスタッフによる共同制作である映画づくりの中で、原作者の貢献はきわめて大きい。

 もちろん関西弁による魅力的な数々のセリフも、福徳が書いたことばだ。

 

 その意味で、作家には惜しみない拍手を送りたい。

 

 

 

 吉村昭『雪の花』(1988)は、2025年に 『雪の花~ともに在りて~』というタイトルで映画化された。

 

 江戸時代、強力な感染症である“疱瘡(天然痘)”を撲滅したいと願う福井の町医者笠原良策(松阪桃李)が、蘭方(西洋医学)から学んだ“種痘”を地元福井に広め、根付かせようと苦闘する物語。

 良策を信じ支え続ける妻を芳根京子、西洋医学の師となる京都の医師日野鼎哉を役所広司が演じている。

 

 監督:小泉堯史   

 脚本:齋藤雄仁 小泉堯史

 出演:松坂桃李 芳根京子 役所広司 三浦貴大 吉岡秀隆

 

映画 雪の花 ともに在りて

 

 今回は映画の予告編を観てから、原作を読み始めた。

 吉村昭『雪の花』 新潮文庫  1988

 

雪の花(新潮文庫)

 

 吉村昭の小説は初めて読んだが、歴史小説っぽい難解な表現はなく文章は平易で読みやすい。

 映画予告編の記憶もあいまって、自然と天保年間の福井へとタイムスリップしていく。

 

 くり返されるたびに多くの命を奪う「疱瘡(ほうそう=天然痘)」の流行に心を痛めてきた福井の町医者笠原良策は、京都の日野鼎哉の元で西洋医学を学び、疱瘡の予防法として西洋や中国で広く普及する「種痘」に出会う。

 これこそ民を救う方法と確信した良策は、種痘を何とか地元福井で広めたいと長年に渡り努力を続ける。

 

 当時は種痘した子どものかさぶたや膿を他の子どもに移植することで、種痘の種を活かし続けるしかなかった。

 京都の鼎哉の下で種痘の腕を磨くとともに、種痘の種を継ぎ続けた良策だが、いざ種痘の種を地元の福井へ持ち帰ろうとすると、大きな困難に直面する。

 

 種痘の種は接種後7日以内に他の子どもに移植しなければ効果がなくなるが、当時、京都から福井へは徒歩で7日かかった。

 そのため良策は、福井からきた子どもたちと京都で種痘を受けた子どもたちをいっしょに連れて福井に向かい、その途中で都の子どもたちから福井の子どもたちに種継ぎを行うという計画を立てる。

 しかし、子どもたちには両親の付き添いも必要だ。

 周到な準備を整えて一行は出発するが、峠越えの途上で大雪となり吹雪の中に閉じ込められるという危機に陥る……。

 

 そうした命がけの苦労の末に種痘の種を福井に持ち帰っても、偏見を持つ役人や侍医たちの風評で庶民たちは怖れ、子どもたちに種痘を受けさせたがらない。

 一筋縄では行かない苦労が、良策の前には幾重にも立ちふさがってくるのだ。――

 

 現代医学の恩恵の下に暮らす私たちにはそれが当たり前のようだが、医療によってふつうに人の命が救われる世の中になるには多くの先人たちの苦労があったことに、今さらながら気づかされる。

 そうした偉業のひとつを掘り起こし、丁寧にドラマ化した小説と言えるだろう。

 

 小説を読みながら映画の方も後追いで少しずつ観ていったが、原作を読み終え、最後まで観た。

 

 

 

 原作小説は史実に基づく伝記的物語なので、登場人物は男ばかりで女性の影は薄く、時代劇らしい立ち回りもないが、映画ではやはり「画になる」シーンが求められるのは理解できる。

 

 疱瘡を生き延びたが残された顔のあばたと心の傷に悩む村娘はつ(三木 理紗子)との交流、良策の妻(芳根京子)の茶目っ気あるセリフなど、物語に潤いをもたらすアレンジの範囲である。

 

 しかし、実は妻は武術の達人で、質屋で刀を振り回す強盗を撃退し、神社奉納の太鼓で男勝りのバチさばきを披露する。

 また良策自身も、敵対勢力に雇われたやくざ者たちを、心得のある柔術で次から次と腕の関節を外して撃退するなど、立ち回りを演じる。

 

 ……という場面になるとあまりにも安直で、本筋の偉人伝物語の品格を下げていると感じる。

 しかも、申し訳ないが芳根京子の太鼓はまったく迫力がない。

 

 小説はコンパクトで読みやすく、先人の苦労をしのび医療のありがたさを実感する意味でも、一読に値する。

 しかし映画はあまりお勧めできない、というのが正直な感想である。

 

 ただ、役所広司演じる日野鼎哉先生だけは、「赤ひげ」然として実にカッコいい。

 彼を主役にした時代劇なら、ぜひ観てみたい。

 

 

 

   

 町田その子『52ヘルツのクジラたち』は、2021年(第18回)の本屋大賞受賞作。

 2024年に映画化された。

 

 監督:成島出
 脚本:龍居由佳里

 出演:杉咲花 志尊淳 宮沢氷魚 小野花梨 桑名桃李 金子大地 西野七瀬

 

52ヘルツのクジラたち

 

 今回も本を用意しておき、まず映画を観ていく。

 

 大分県の海辺の町。

 古びた一軒家に住み始めた三島貴瑚(杉咲花)は、住民の好奇の的になっている。

 その家にかつて住んでいた貴瑚の祖母は、“芸者上がり”の色香で地元の男たちをそわそわさせたという。

 

 そんな周囲の目をよそに気ままに暮らす貴瑚が、眠れない夜、心を鎮めるために聴いているのは、「52ヘルツのクジラ」の呼び声。

 互いに鳴き声で呼び合う習性のあるクジラだが、他のクジラたちには聴こえない52ヘルツで鳴くクジラがいる。

 その孤独なクジラの声は、ひとりぼっちの貴瑚を不思議と癒してくれる。

 

 そんな貴瑚が、親から虐待されてことばもしゃべれない少年(桑名桃李)と出会い、親身に世話をする。

 貴瑚自身が、かつて親の虐待を受けていたからだ。

 

 3年前、貴瑚は高校卒業後も母に隷属させられ、命ぜられるまま難病の義父を介護していた。

 母親から「(義父の代わりに)お前が死ねばいい」と罵倒され、死の淵をさまよっていた貴瑚を助けてくれたのは、岡田安吾(アンさん・志尊淳)だった。

 アンさんは貴瑚の高校の同級生牧岡美晴(小野花梨)とともに、家族に縛られていた貴瑚を救い出し、一人で生きられる道を開いてくれたのだ。

 

 しかし、そのアンさんも今はいない…。

 それがなぜなのか、観客にはまだ明かされない。 

 

 そして、少年の様子を見かねて家に引き取った貴瑚は、貴瑚を追ってきた美晴といっしょに、少年が唯一、心を許す伯母「ちほちゃん」の行方を探しに出かける――。

 

 ……と、映画の最初を30分ほど観ていったん中断し、原作小説を開いた。

 町田その子『52ヘルツのクジラたち』 中公文庫

 

52ヘルツのクジラたち【特典付き】 (中公文庫)

 

 映画で観たとおり、海辺の古い家で暮らし始めた貴瑚の一人称語り。

 ディティールを省いた文章で、目の前の出来事、自分の気持ち、浮かんでくる記憶を淡々と語っていく。

 映画の記憶もあいまって海辺の町が目に浮かんでくる。

 

 とはいえ、前半はわりと地味な印象で、「なぜこれが本屋大賞?」という思いもよぎった。

 しかし読み進めていくと後半で明らかになってくる過去の悲劇に胸が締めつけられ、その後の展開に感動する。

 救いの見えない孤独の淵に沈む人たちに、一筋の光となる癒しと再生の物語。

 

「52ヘルツのクジラ」というモチーフが全てを象徴し、全てにつながって来るのも、この作品のうまさである。

 本屋大賞を疑ったことに、率直に謝罪したい。

 

 本を読みながら映画の方も少しずつ“つまみ観”していたが、本を読み終えてから、後半1時間余りを最後まで観た。

  

[Blu-Ray]52ヘルツのクジラたち 杉咲花

 

 小説のストーリーを要領よく端折って、映画らしくテンポよく展開している。

 その一方、過去の悲劇に至る流れは丁寧に映像化され、腑に落ちるものになっていると思う。

 

 クジラの映像を含め海辺の町の風景が美しい。

 虐待で声を失った少年(桑名桃李)の目だけの表情に強いインパクトがある。 

 そしてアンさん(志尊淳)が醸し出すたたずまいは、秘めた苦悩をみごとに形象化していると思う。

 

 総じて、小説を読んで結末までわかっている私には、物語の感動が伝わる映像化がなされてるように見えた。

 だが、映画だけを観てこの感動が味わえるかどうかは、正直なところわからない。

 

 その意味では、私と同じように映画の最初か予告編を観て映像のイメージを頭に入れた上で、小説を通読してこの物語の感動を味わうことをお勧めしたい。

 

 そのあとで映画を観れば、心に残る物語を実写映像でたどり直し、その感動を再び味わうことができると思う。
 

 

 

 

 周囲でいろいろな人が「AIはすごい」と言うことばを聞くたびに、私は憂鬱な気持ちになります。

 AIに頼ることで、人間の思考力や学習力は確実に衰えていくだろうと考えるからです。

 

 PCやスマホの漢字変換機能に慣れて多くの人が漢字が書けなくなった……、などと言っていたうちはまだ可愛いもので、生成AIが私たちの身近になるほど、私たちは考えたり、勉強したりしなくなり、知的能力が退化するのは眼に見えています。

 AIの技術と活用ばかりが先行している現状がこのまま進んだ先に、私は明るい未来を思い描くことができません。

 

 そんなとき、イイトコサガシの冠地情(かんちじょう)さんが、私がゲスト主演してラジオで語った自身の発達障害体験についての架空のブログを、生成AIで作成してくれました。

 それも、異なる設定で3つも。

 

『シニカルGemini・AI腐女子高校生沙弥が山崎茂雄先生がゲストのくるめラ2022.2.6を考察』 https://ameblo.jp/iitokosagasi/entry-12953700770.html

 

『2022年2/1(火)くるめラ・山崎茂雄先生がゲストのラジオをChatGPTが丁寧に考察コラム』 https://ameblo.jp/iitokosagasi/entry-12953653437.html

 

『2022年2/1(火)くるめラ・山崎茂雄先生がゲストのラジオをChatGPTママさんが考察コラム』 https://ameblo.jp/iitokosagasi/entry-12953494649.html

 

 

 画像をクリックするとYouTubeでこの時のラジオトークが聴けます。

 

 私がラジオで語ったことは、私自身の人生や生き方についてのありのままの事実や正直な思いでした。

 それだけに、語った本人の立場から自分のことばがどう理解されたのか、という視点でAIを評価することができました。

 その意味では、とても貴重な機会でした。

 

 それでわかったことは……、

 AIが想像以上に的確に、私の話を理解してくれた、ということです。

 しかも、私の言いたかったこと、私の思いまでも受け取ってくれたと感じました。

 

 私が一生懸命話したことを、ここまできちんと理解してフィードバックしてくれた人はいません。 

 私の最大の理解者……と言っても過言ではない、というのが実感です。

 

 正直、読んでいて快感を覚えました。

 それだけに、麻薬のような罠を感じ、恐ろしくなりました。

 

 人間に期待できないことを、AIに求めれば、応えてくれる。

 どんな人間よりも的確に、こちらの期待以上に。

 

 どんな友達やカウンセラーよりも、忍耐強く、そしてきちんと私の話を聴いて理解してくれる。

 しかも、批判や介入をしてくる心配もない。

 

 これでは多くの人がAIとの対話にハマっていくでしょう。

 話を聴いてもらいたいとき、これほど最適な相手はいません。

 

 そうすると、人々は悩みを抱えたとき、友達やカウンセラーよりもAIを求めるのではないか。

 AIの進歩と普及によって思考力が衰えるだけでなく、人間同士のつながりも疎遠になっていくのではないか。

 

 私はそう感じました。

 子どものころ夢見た「鉄腕アトムの世界」が現実となる途上には、こんなトラップが待ち受けていたとは……。

 

 もちろん、技術には常に光と影があるので、AIとの対話は対人関係で傷つくのを恐れ、踏み出せない傾向のある人には、苦手を克服していくステップになるかもしれません。

 発達障害を抱えた人には福音です。

 

 また、長年私が、授業やキャリア教育で追求してきたのは、生徒の「できないのでは」という不安を、少しずつ乗り越え、「やったらできた」と実感するための、生徒の心のありように即したステップの工夫です。

 もしかしてAIをうまく使えば、人が試行錯誤して成長していくプロセスに寄りそい、それを効果的に助ける教育のしくみなどもつくれるかもしれない、とも感じます。

 

 しかしAIに対する議論やルール作りも進まないうちに、進歩と普及だけが加速していく現状では、人々がそれにのめりこみ、依存を深めていく量とスピードが圧倒的で、それをうまく使いこなす努力は追いつかないでしょう。

 

 だから、AIを活用して理想的な教育システムをつくれば……と言われても、到底、そんな気にはなれません。

 

 むしろ、世間の風潮に背を向け、私自身が以前と同じようにあるいはそれ以上に、自分の頭で考えることを楽しみ、自分の脳がインスピレーションを与えてくれる瞬間を無上の喜びとすべく、努力を続けていきたいな、という思いが強くなるばかりです。

 

 それが、ドン・キホーテのような孤独で甲斐のない戦いだとしても。

 

 

 

 1967年(昭和42年)出版された宮崎康平著『まぼろしの邪馬台国』は当時、空前のベストセラーとなり、「邪馬台国ブーム」を巻き起こしたという。

 驚くべきことに著者の宮崎は全盲であり、その研究・実地踏査・口述執筆はすべて、妻の宮崎和子が夫の眼となり杖となって二人三脚で成し遂げたものであった。

 

まぼろしの邪馬台国 (講談社文庫 み 14-1)

 

 第1回吉川英治文化賞を受賞したこの作品をもとに宮崎夫妻の足跡を描いたのが、2008年公開の映画『まぼろしの邪馬台国』である。

 60代初めの吉永小百合が、宮崎和子を好演している。

 

 監督:堤幸彦  

 脚本:大石静  

 音楽:大島ミチル

 出演:吉永小百合 竹中直人 窪塚洋介 風間トオル 平田満 柳原可奈子

 

まぼろしの邪馬台国 [DVD]

 

 島原鉄道の社長宮崎康平(竹中直人)は全盲だが、きわめてワンマンで傍若無人な人物である。

 反面、人情に厚く、地元の人々からは慕われている。

 

 彼がラジオ番組に出演し、独自の邪馬台国論に熱弁を振るうが、その聴き手であったアナウンサーが、のちに妻となる和子(吉永小百合)である。

 

 局との契約更新が切れて目標を失った和子は、宮崎の誘いに応じて軽い気持ちで島原を訪ねる。

 しかし、独断専行の宮崎のことばのまま、観光バスガイドの教育係を務めることになる。

 

 あまりに横暴な宮崎に愛想をつかした前妻は、幼い息子と乳飲み子の娘を置いて出奔しており、和子は宮崎の家庭の面倒も見つつ、バスガイドの一期生を育てる。

 

 しかし、島原を襲った歴史的な集中豪雨で島原鉄道の線路は随所で流され、会社は経営難に陥る。

 それでも復旧工事より発掘調査を優先する宮崎は、経営層の造反で社長の座を追われる。

 

 地位も収入も失ったが自由の身となった宮崎は、和子に手伝わせて邪馬台国研究に没頭していく――。

 

 今回は原作を読む前に映画を観終えたが、前半、蒸気機関車が轟音を立てて走る島原鉄道や島原を襲った豪雨災害の場面などが、CGを駆使して迫力満点に描かれている。

 そして後半、邪馬台国の在処を求めて夫婦で歩く古墳地帯の田園、有明海の干潟など、九州各地の風景が四季折々の風貌を見せて、息を呑むほどに美しい。

 

 そうした映像美を背景に描かれる、夫婦の絆。

 宮崎浩平は天才であるが、ゆえにその行動はあまりにも独善的で身勝手すぎる。

 それに耐え、ひたすら献身的に尽くした妻和子の愛が、天才的偉業を結実させたのだ。

 こんな夫婦関係、今では考えられない。

 

 しかし、ときには和子が夫の態度に怒ってストライキを起こし、何日も口をきかずに康平がオロオロする……という場面もあって微笑ましい。

 実は和子は部屋に籠って、康平が手で触れるための立体地図をひたすら作っていたのだ……、というところにまた愛情があふれている。

 

 そうした長年の努力がやがて実を結び、上梓された康平の著書はベストセラーとなる。

 世間の賞賛と妻への感謝、そして、康平の死までが描かれる。


 映画を満足して観終え、原作となった著書を開いてみた。

 

まぼろしの邪馬台国 (講談社文庫 み 14-1)

 

 文庫本だが、文字がひじょうに小さく、400ページあまりある。

 大著をコンパクトな1冊に無理やり収めようと苦心したようだ。

 

 随筆のような文章で、古代史に関する独自の見解とともに、夫婦で歩んできた研究の様子を語っている。

 読みにくい本ではないが、これを読破するのは難儀な話で、ところどころ拾い読みするのが精いっぱいである。

 これがベストセラーになるのだから、昭和40年代当時の人々の読書欲と読解能力は、今よりはるかに高かったことが推察される。 

 

 話は映画に戻るが、制作陣は既に過去のものとなったこの著書に再び注目し、行間から浮かび上がる宮崎康平という人物とその妻の物語を、想像力を駆使してリアルに描き出した。

 

 鮮やかなCGと実写の映像美を背景に、竹中直人と吉永小百合は、ともに力を合わせて歩んだ夫婦の歳月を見事に演じている。 

 観て損はない映画である。  

 

 

 

 2022年公開の映画『大事なことほど小声でささやく』。
 

大事なことほど小声でささやく [DVD]

 

 監督:横尾初喜
 脚本:谷碧仁

 出演:後藤剛範 深水元基 遠藤久美子 田村芽実 遠藤健慎 大橋彰 田中要次

 

 原作は、森沢昭夫の同名小説である。

 例によって本を用意しておき、まずは映画を観ていく。

 

 パッとしない会社員生活で中年を迎え、高校生の娘にも冷たくされて、少しでも自信をつけたいとトレーニングジムに入会した本田宗一(大橋彰)。

 彼を待ち受けていたのは、マッチョボディをくねらせてオネエことばをしゃべる権田鉄雄(後藤剛範)、通称ゴンママのウインクと投げキッスだった。

 

 フリーウエイトエリアでゴンママの周りに集うのは、個性的な仲間たちだ。

 ミレイちゃんと呼ばれるジムのマドンナ井上美鈴(峯岸みなみ)は、お色気を振りまきながら男たちの筋肉をペタペタと触りまくる。 

 歯科医の四海良一(深水元基)は尊敬を込めてセンセイと呼ばれているが、いつも軽口が止まらない。 

 60代後半の末次庄三郎(田中要次)通称シャチョーは実際、小さな広告会社の社長だが、下ネタを連発しミレイちゃんにしつこくアプローチしている。 

 シャイな高校生の国見俊介(遠藤健慎)シュンくんは、そんな大人たちに呆れながら、いっしょにいるのがなぜか楽しいようだ。

 

 仲間たちはトレーニングを終えると、ゴンママのお店「スナックひばり」に集まり、気勢を上げる。

 そこでの語らいがまた、彼らの元気の源なのだ。

 

 カウンターの中にはバーテンダーの衣装に身を包んだ、丸メガネで学級委員長タイプの美少女カオリちゃん(田村芽実)がいて、彼らの話に笑顔で耳を傾け、ひとりひとりの悩みに寄り添うカクテルを、さりげなく出してくれる――。 

 

 前にも書いたように、私が映画を観るのは、ジムのトレッドミル(ランニングマシン)でジョギングやウォーキングをしながらiPadで……というスタイルなので、そこでジムを舞台にした映画を観るのは、なんとも不思議な気分である。

 

 ともあれ、映画を30分ほど観ていったん中断し、原作小説を開いた。

 森沢明夫『大事なことほど小声でささやく』 幻冬舎文庫 

 

大事なことほど小声でささやく (幻冬舎文庫)

 

 目次は6章に分かれている。

 読んでいくと、各章はジム仲間のひとりを主人公としたショートストーリーで、連作短編になっている。

 映画の配役を参考にして各人物のイメージが浮かぶので、スムーズに読み進む。

 

 ジムでいつも明るく振舞っている彼らが、当たり前のことだがそれぞれに悩みを抱えている。

 それが、ジム仲間との交流やゴンママのことばに元気をもらい、前へと進んでいく――。

 各話が60ページ前後で前向きな結末を迎えるので、やや安易な感じは否めないが、読後感は悪くない。

 

 そして最後の6話目は、いつもみんなを笑わせ元気をくれるゴンママ自身が抱える寂しさを描く。

 そこに、魅力的なバーテンダーカオリちゃんのつらい過去も語られるが、かつてゴンママに救われた彼女は、そのときゴンママからもらったことばを感謝の思いとともにゴンママに返す――。

 

 原作小説を気持ちよく読み終え、映画の続きを観た。

 実は、小説を毎日の通勤電車で読み進めながら映画の方も週末に少しずつ観て行ったので、6つののうち第4章にあたる歯科医師四海良一のエピソードをメインに据えた映画であることがうすうす分かってきた。

 

 6つの話の中でも四海の体験が実は一番重く、感動的なものであることは確かだ。

 深い悲しみを抱える夫婦が、ボタンを掛け違えて互いに苦しみを高め合うが、最後には本音をぶつけ合い、歩み寄っていく。

 絡んだ糸をほぐしていく過程も安直ではなく、丁寧に描かれている。

 

 しかし映画を観ていくと、 四海と妻とがなぜか冷たくすれ違う場面がくり返され、また過去と現在のシーンを意図的に組み合せて、原因をわざと謎にしているので、ストーリーがわかりにくい。

 小説を読んで真相を知っている眼から見ると、これでは観客は消化不良で、夫婦の苦しみに共感しにくと思う。

 だから、その結末にも感動できないのだ。

 

 けっきょくこの映画は、四海のエピソードだけが無駄に長くて、せっかくの魅力的なキャラクターたちが活かされず、中途半端になってしまっている。

 原作を知っていると、そのことがはっきりとわかる。

 

 だからこの作品、映画だけを観るのはお勧めできない。

 登場人物が多いので、私のように小説を読む前に映画の最初だけ観ておくとよい。

 そうすると、頭の中でジム仲間たちが生き生きと活動し、小説をいっそう楽しめる。

 

 映画は、小説を読んだ後に観るのがよい。

 私のように批判的に観ないで、四海のエピソードだけをじっくりと味わうつもりで観ていけば、夫婦の苦しみに共感し、感動を味わうことができるだろう。

 夫婦を演じた深水元基と遠藤久美子の演技が、真に迫って胸を打つものではあるのは間違いないのだから。

 

 

 

 結城真一郎の小説『#真相をお話しします』は、2025年に映画化された。

 監督:豊島圭介
 脚本:杉原憲明
 出演:大森元貴 菊池風磨 中条あやみ 岡山天音 伊藤英明 ……

 

#しんそうを

 

 例によって原作小説を用意し、映画を観る前にちょっとめくってみる。

 5つの作品を収めた短編集で、連作でもなさそうだ。

 

 映画を観始めると、「#真相をお話しします」というネット配信番組を設定し、そこで明かされる視聴者の真相告白の形で、原作の各エピソードを映像化した映画なのだとわかる。

 だから、キャストも多い。

 

 そこで思いついて、今回はエピソードごとに映画を途中まで観て、原作短編を読み、そのあとにエピソードの続きを映画で観る……というやり方で、ひとつずつ攻略することにした。

 そうして『惨者面談』、『ヤリモク』、『三角奸計』、『♯拡散希望』と、観ながら読んでいった。

 

 個々のエピソードは謎がどんどん深まる展開で、事実がわかり納得したその先に、さらに驚くべき真相が隠れている……という構成なので、ひとつずつ「映画を観ながら小説を読む」というやり方は、正解だった。

 裏に裏があるストーリーの仕掛けは見事で、この作家の才能を感じる。

 

 映像化されていないのは短編集の真ん中にある『パンドラ』だけで、それを飛ばして最後の『♯拡散希望』まで読み終えた。

 

#真相をお話しします(新潮文庫)

 

 ただし、謎解きにははたと膝を打つが、その真相は人間不信になりそうな裏切りばかりで、正直なところ読後感はよくない。

 とくに映画では、ネット上で多くの聴衆がそれを傍観し、囃し立てているので、いっそう気分が悪い。

 というか、人と人の間の人情や信頼はここまで崩れ去ったのかと、背筋が寒くなる。

 

 しかも、安易に人を殺しすぎだ。

 これだけ巧みなストーリー展開ならば、何も殺人事件でなくても十分魅力的な物語になると思う。

 それが、映画の結末30分を残して原作を読み終えた感想である。

 

 いや、まだ一編残っている。

 映画のシナリオに採用されなかった短篇『パンドラ』。

 映画の残りを観る前に、これを読んでみた。

 すると……
 

 これこそ、私の求めていた「殺人のないミステリー」だった。

 不妊治療、体外受精、精子提供という現代的なトピックを背景に、家族の秘密に触れる「パンドラの箱」を開けるべきかと悩む主人公……。

 そしてこの作品だけは、他の短編と違って「救い」があった。

 全編、こんな展開ならよかったのに……。

 

 では、映画の結末はどうだろうか。

 そう思いながら、映画の残りを楽しみに観た。 

 

映画「#真相をお話しします」 DVD(2枚組)

 

 すると、ここにもまた小説にはない映画オリジナルの大胆なストーリー展開があった。

 とくに、私が観ていて嫌悪感を感じていた、ネット配信番組の周囲で無責任におもしろがる大多数の匿名視聴者たち。

 その罪を暴き、彼らを追い詰めていく。

 

「痛快!」とまでは言えないが、無秩序なネット社会に突きつける痛恨の一撃にはなり得ていると思う。

 豊島圭介監督は、よくできた短編集のストーリーを活かしながら、その内容を超えて匿名のネット社会という現代の闇に一石を投じるメッセージ性のある映画を創ろうとしたのだろう。

 

 ただ、原作も映画も後味はあまりよろしくないので、それを納得の上で、ミステリーあるいはサスペンスとして楽しむことをお勧めしたい。