映画を観ているみたいに小説が読める イメージ読書術

映画を観ているみたいに小説が読める イメージ読書術

小説の世界に没入して
“映画を観ているみたいに” リアルなイメージが浮かび
感動が胸に迫り、鮮やかな記憶が残る。
オリジナルの手法「カットイメージ」を紹介します。
小説を読むのが大好きな人、苦手だけど読んでみたい人
どちらにもオススメです。

 竹田綾乃『愛されなくても別に』(2020)は、親に愛されなかった、あるいは歪んだ愛され方をして大人になった女性たちが、どうやって自分の生き方を見つけていくかの物語。

 

 2025年に映画化された。

 監督:井樫彩
 脚本:井樫彩 イ・ナウォン

 出演:南沙良 馬場ふみか 本田望結 基俊介

 

愛されなくても別に

 

 例によって原作を用意しておき、まず映画を観ていく。

 

 大学生の宮田陽彩(ひいろ・南沙良)は、母と二人暮らしだが、水族館やコンビニのバイトを掛け持ちして学費を払い、生活費も家に入れている。

 

 陽彩の母は働いてはいるものの浪費癖があり、陽彩の前でも若い恋人といちゃついている。

 朝は寝ている陽彩を起こして朝食を作らせ、食べ残しを陽彩に食べていいよと言って出勤する。

 しかし、「愛しているわ」のことばも欠かさない。

 そんな母親に陽彩は反抗する様子もなく、母の残りをおとなしく食べる。

 

 コンビニバイトの深夜シフトでよく一緒になる堀口順平(基俊介)は、軽薄を絵にかいたような大学生だ。

 もう一人のバイト江永雅(みやび・馬場ふみか)は、陽彩と同じ大学で同学年だが、髪を金髪に染め、いつもイヤホンを耳に入れていて近寄りがたく、ほとんど話したことがない。

 

 陽彩は大学に友達がいない。

 というより、飲み会に誘われても「時間とお金のムダ」と断り、自分から距離を置いているので、誰からも声をかけられない。

 

 しかし、休んだ授業のノートを見せてもらう相手もいなくて困った陽彩は、同じように孤立している木村水宝石(あくあ・本田望結)に声をかける。

 木村は最初、自分にはメリットがないと突っぱねるが、陽彩が江永雅の名前を出すと、江永に借りるくらいなら自分が貸してあげると言い出す。

 

 江永も大学では孤立しているが、その理由を木村は、「父親が殺人犯だから」と言う。

 江永自身もバイト先で、「あたしが人を殺したいって本気で思ったのは、父親に姦られたときと、母親に体売れって言われたときだよ」などと、ポロリと口にする――。

 

 30分ほど映画を観ただけでも、身勝手な親から冷遇されて育った宮田陽彩と江永雅の二人が、根深い孤独や人間不信を抱えている様子が見えてくる。

 

 観ていて楽しい映画ではないが……と思いながら、いったん映画を中断し、原作を開いた。

 

 竹田綾乃『愛されなくても別に』(2023 講談社文庫)

 

愛されなくても別に (講談社文庫)

 

 宮田陽彩の一人称で書かれているので、彼女が壁を作って内心で周りの誰彼を冷評しつつ、自分自身に対しも、やり場のないいら立ちを抱えている様子が手に取るように伝わってくる。

 母親の歪んだ愛のもとでもがきながら、懸命に突っ張って生きている様子に、共感はできないけれど、いつしか感情移入して読んでいる自分に気づく。

 

 そんな思いで読み進んでいくと、厚い化粧で素顔を隠し、ことばに毒のある江永雅の生い立ちにも、興味を惹かれる。

 そんな二人が接近し、やがて一緒に暮らすようになる展開に、なぜかホッとしてしまう――。

 

「愛されなくても別に」とうそぶいていた二人が、いつしか絆を深めながら、自分自身の生き方を見つけていく。

 あまり期待していなかったが、現代の若者たちの内面を伺えたようで、読んでよかったと思った。

 

 それから、映画の続きを観た。

 

 愛されなくても別に

  

 映画は、原作の展開を要領よくまとまめて、自然に物語が流れていく。

 

 原作のように一人称で内面が語れない分、映像表現に工夫がみられる。

 水族館の風景や、熱帯魚が泳ぐ水槽など、モチーフとして「魚」あるいは「水」が効果的に使われている。

 そして、滝つぼの水たまりで仰向けに浮かぶ「オフィーリアごっこ」。 

 

 親に翻弄されるもう一人の登場人物木村水宝石(あくあ)も水にちなんだ名前だが、彼女がより所を見つけるのは怪しげな新宗教である。

 

 その教祖様に陽彩と雅が会いに行くという展開が、物語のひとつの山場になる。

 小説では、その教祖の女性が、傷ついた心を優しく癒すことばを巧みにあやつって、陽彩を誘い込もうとする場面が、とてもリアルだった。

 

 その印象で観てしまうと、映画の中のその場面は少し物足りない。

 ごく自然に洗脳の沼にいざなっていく教祖の手管を、映像で嘘っぽくなく表現するのは難しいところだが、ぜひ観てみたかった。 

 小説はそれだけ巧みに描けていたということだ。

 

 それでもこの映画は、全体としてよくできていて、後味もよい。

 周囲の安易な理解を拒みながら突っ張って生きる陽彩と雅が、いつのまにかお互いを受け入れあい、自分らしく生きられるようになっていく。

 そのプロセスが自然に描かれている。

 

 この作品は、多かれ少なかれ親との距離感に悩む現代の若者には、共感できる世界なのではないかと思う。

 映画を観て何か自分に響き合うものがあると感じたら、原作小説で陽彩の内面語りを味わうのがおススメだ。 

 そんなあなたのためにこそ、この小説は書かれたのだと思うから。

 

 

 

 原田マハ『風のマジム』は、沖縄のサトウキビを使った初の「沖縄産ラム酒」造りを夢見て、それを実現していく、若い女性の物語。

 実在するその人物に取材して、生まれた小説だという。

 

 2025年に映画化された

 監督:芳賀薫
 脚本:黒川麻衣

 出演:伊藤沙莉 染谷将太 尚玄 シシド・カフカ 滝藤賢一 富田靖子 高畑淳子

 

風のマジム

 

 那覇の大手企業で派遣社員として働く伊波まじむ(伊藤沙莉)は、その日常に甘んじてきたが、あるとき、「新規事業企画募集」の社内コンペに自分も応募資格があると知って、心がざわめきだす。

 

 東京で4年間の大学生活を送り、地元に戻ったまじむは、沖縄豆腐の店を続けるおばあ(高畑淳子)とおかあ(富田靖子)と暮らしているが、漠然といつかは豆腐の店を継ぐことを考えてきた。

 

 そのおばあと「桜坂劇場」のバーでいつものように飲んでいたとき、バーテンダーの吾朗(染谷将太)が出してくれたラム酒(アグリコールラム)を飲んで、まじむは黒糖香るそのうまさに感動する。

 サトウキビを原料とするラムが、沖縄でまだ作られていないことを知ったまじむは、初の「沖縄産ラム」製造の企画で社内コンペに応募することを考える。

 

 やがて一面のサトウキビ畑が広がる南大東島で、夢の実現に向けたまじむの挑戦が始まる。――

 

 そこまで映画を30分ほど観て、原作を開いた。

 原田マハ『風のマジム』 講談社文庫

 

風のマジム (講談社文庫)

 


 映画の記憶を借りてイメージしながら読んで行くと、南大東島のサトウキビ畑が目に浮かび、まじむのイメージも伊藤沙莉を核としながら生き生きと動き出す。

 

 一歩一歩、夢の実現に向けて進んでいくまじむだが、当然、多くの課題に直面する。

 そのつど、おばあやおかあ、吾郎などに励まされ、さまざまな人たちとの出会いに助けられて、問題を解決し、ステップを踏んでいく。

 その姿を自然と応援したくなり、先へ先へと読んでしまう、とても気持ちのよい小説。

 

 読んで行くと、映画ではまだ観ていない場面なのに、映画のシーンがありありと目に浮んでくる。

 一つひとつのシーンの描き方、山場の持って行き方、途中経過を一気に飛ばしてその年月を想像させる場面構成など、映画化を意識して書かれているかと思うほどだ。

 

 いくつもの感動を味わいながら満足して小説を読み終え、映画の続きを観た。

 

風のマジム

 

 すると、前半の展開はほぼ原作通りだが、後半はテンポを上げてよりコンパクトにまとめている。

 その分、ドラマチックではないが、わかりやすく、気持ちよく観られる、とても後味のよい映画に仕上がっている。

 やる気、悩み、そして笑顔と、さまざまな表情を見せながら明るく誠実に生きるまじむに、伊藤沙莉は実に適役である。

 

 結論。

 この作品は、「映画を観てから原作を読む」。

 それが断然、おススメだ。

 

 映画では、夢を追う一人の女性がその真心で周りの人々を動かし、実現していくサクセスストーリーを気持ちよく楽しめる。

 そのイメージをもって小説を読むと、映画に登場した人物たちがイキイキと脳内で活躍する。

 そして、物語はよりドラマチックな展開を見せるので、映画とはまた違った深い感動を味わえる。

 

 今回ばかりは、「映画を観ながら小説を読む」などいう裏技は要らない。

「映画を観てよかったので、原作も読んでみた」という自然な流れで、どちらも楽しむことができるだろう。

 

 

 

 

 永井紗耶子『木挽町のあだ討ち』は、2023年に直木三十五賞と山本周五郎賞をダブル受賞した。

 江戸の芝居小屋でたくましく生きる人々が、武家社会の愚かな因習の裏をかく、痛快で心温まる物語。

 

 今回も、この作品を「観ながら読」んでみた。

 

 映画は2026年2月公開。

 監督・脚本:源孝志

 出演 : 柄本佑 長尾謙杜 瀬戸康史 滝藤賢一 北村一輝 渡辺謙 高橋和也 正名僕蔵 イモトアヤコ

 

木挽き町のあだ討ち

 

 ある晩、木挽町の芝居小屋森田座の裏手で、芝居見物を終えた大勢の客たちが見守るなか、白装束の若武者菊之助(長尾謙杜)が、親の仇である作兵衛(北村一輝)と死闘ののち、みごと仇討ちを果たした。

 

 その話がもはや語り草となっていたころ、故郷に錦を飾って家督を継いだ菊之助の許嫁の兄と名乗る武士、加瀬総一郎(柄本佑)が森田座に現れる。 

 

 総一郎は森田座の木戸芸者一八(瀬戸康史)に近づき、「木挽町の仇討ち」について詳しい話を聞きたがる。

 どうも仇討ちについて疑念を抱き、調べようとしているようだ。

 

 そこまでで約30分。

 いったん映画を中断して、原作を読み始めた。

 

木挽町のあだ討ち(新潮文庫)

 

 小説の各章は、加瀬総一郎が話を聞いて回った木戸芸者一八のほか、殺陣師の相良与三郎、衣裳部屋の女形ほたる、小道具職人の久蔵とその妻、そして芝居書きの篠田金治らの「語り」でできている。

 

 そこで小説を読みつつ、ところどころ前後して映画の続きも少しずつつまみ食いで観ていった。

 次々と代わる語り手たちのイメージを、頭に入れるためでもある。

 

 映画では、殺陣師の相良与三郎を滝藤賢一、衣裳部屋の女形ほたるを高橋和也、小道具職人の久蔵とその妻を正名僕蔵とイモトアヤコ、そして、黒幕とおぼしき篠田金治を渡辺謙が演じている。

 

 小説では、語り手それぞれの身の上話が詳しく語られるのだが、映画では大幅に省略されている。 

 その一方、原作の「語り」から読者の頭の中に浮かび上がるストーリーを、この映画は実際の場面として観せていく。

 

 その脚本の巧みさが際立っている。

 脚本から手掛けた源孝志監督は、只者ではない。

 

 映画を観ながら小説を読み終え、そのあとで映画も最後まで観たが、どちらも120%以上、満足できた。

 

 

 

 この作品は、映画を観てから小説を読む。

 それが断然おススメだ。

 

 そうすれば、まず映画で巧みなストーリーを謎解きのスリルとともに堪能し、結末の感動を味わうことができる。

 そのあとで小説を読めば、映画で親しみを覚えた各登場人物たちについて、それぞれの人生の悲喜こもごもを、まるでスピンオフドラマのように読む楽しみがある。

 

 だが、この小説と映画、最後まで次はどうなるという展開のおもしろさを残し、両方の魅力を存分に味わい尽くすには、次のような「観ながら読む」プランを提案したい。

 

 まず2時間の映画の半分弱、55分まで観る。

 総一郎が小道具職人久蔵夫婦の話を聞き終わったあたりである。

 

 総一郎がいよいよ黒幕らしき戯作者篠田金治に会いに行く直前。

 登場人物は出そろい謎が深まったこの時点で、映画のイメージを頭において小説を読み始める。

 

 ここまでのストーリーの理解と、芝居小屋の背景や人物の映像イメージを脳内に仕込んでおけば、「語り」の小説を読み慣れていない人でも、その世界にスッと入っていけるはず。

 

 そして小説を最後まで堪能したら、再び映画に戻って後半を観る。

 すると、小説で結末がわかっていればこそ、映画で工夫された展開のひねりや、映画らしい華やかなエンディングをいっそう楽しむことができるだろう。

 

 映画を観ながら小説を読む。

 まさにそうする価値のある小説であり、映画であると思う。

 

 

 

 2026年7月にテレビ朝日系で放送が始まったドラマ『名探偵のままでいて』。

 原作は、小西マサテル『名探偵のままでいて』と、それに続く『名探偵じゃなくても』、『名探偵にさよならを』の三部作(宝島文庫)である。

 

 今回は、放送中のドラマを観ながら原作を読んで行くことにした。

 毎週ドラマを観て、通勤電車で原作を開き、ドラマを追い越さないように読む。

 すると、ドラマは原作をほぼ忠実に映像化していて、一話完結型のミステリーとしてなかなかおもしろい。

 

 先週放送された第4回まで観て、そこまでのストーリーを後追いで読んだら、ちょうど1冊目の『名探偵のままでいて』を読み終えた。

 

 名探偵のままでいて

 

 小学校教師の楓(吉川愛)は、一人暮らしをする祖父(奥田瑛二)を定期的に訪ねる。

 祖父は楓も卒業した地元の小学校の元校長であり、いつも学校中の窓を拭き「窓ふき先生」と呼ばれていた。

 実はその間に児童たちの様子を見たり、ことばを交わしたりして全員の名前を覚え、性格もつかむ。

 そうして、卒業式ではひとり一人にふさわしい本を選んでプレゼントするという、子ども思いの伝説的校長であった。

 

 そんな祖父が今は認知症を患い、訪問ヘルパーや訪問リハビリなどのケアを受けながら一人で暮らしている。

 祖父の病は“ルビー小体型認知症”であり、そこにあるはずのないものがありありと見える「幻視」を特徴とする。

 

 ところで、楓の小学校の同僚岩田(髙松アロハ)は体育系のノリのいい性格で、折にふれて楓にアプローチするが、いつもかわされてしまう。

 岩田が高校時代、野球部でバッテリーを組んでいた親友の四季(綱啓永)は、劇団員をしているという変わり者で、伝統的なミステリー小説を愛読する楓にいつも皮肉な議論を仕掛けてくる。

 しかし四季は、実は伝統的ミステリーの数々を読破しており、楓のことも憎からず思っているのがわかる。

 

 そんな楓の周囲で次々と起こる事件の謎をめぐって、岩田と四季が知恵を絞るが、けっきょくは祖父の力に頼ることとなる。

 祖父は楓の話を聞いてひとしきり思案した後、楓に香を焚かせる。

 その香りを嗅ぐと、祖父の脳裏には、事件の真相がありありとした物語の画として見えてくる。

 

 それは“ルビー小体型認知症”による「幻視」のようでもあるが、その物語には論理的に破綻のない「推理」の裏づけがある。

 ――

 

 

 ドラマでは、祖父役の奥田瑛二が見せる認知症とは思えぬ理知的な眼差しが、実にカッコいい。

 楓役の吉川愛は、予告編を観たときに「あんまり可愛くないな」と思ったが、いざドラマを観ていくと、大きな瞳の表情が豊かでなかなか魅力的だ。

 

 原作の小説は謎と推理のプロセスが緻密でいろいろな仕掛けがあり、本格ミステリーの醍醐味を味わえる。

 また、殺人事件こそあれ人への優しさがそこここに感じられる物語で、とても読後感がいい。

  

 ドラマはそれを要領よくまとめてあるので、謎解きをしながら観ていくのが楽しい。

 現在、放送中のドラマは、まだまだこれからが佳境と思われる。

 興味がある方はぜひご覧あれ。

  

 

 

 

 染井為人『悪い夏』は、2025年に映画化された。

 

 映画『悪い夏』ポスター

 

監督:城定秀夫  脚本:向井康介

出演:北村匠海 河合優実 伊藤万理華 毎熊克哉 箭内夢菜 竹原ピストル 木南晴夏 窪田正孝

 

 今回も原作を用意しておき、映画の最初を観てみた。

 

 千葉県船岡市(架空)の職員でケースワーカーの佐々木守(北村匠海)は、真夏の炎天下、生活保護の世帯を1軒ずつ定期訪問していく。

 腰痛で働けないという元タクシー運転手山田吉男(竹原ピストル)の部屋は、散らかり放題で足の踏み場もない。

 佐々木は山田に、仕事をして生活保護を辞退するよう迫るが、山田はのらりくらりとかわすばかりだ。

 

 役所に戻った佐々木は、同僚の宮田有子(伊藤万理華)から、隣のデスクの高野洋司(毎熊克哉)が、自分が担当する生活保護の女性を脅して肉体関係を強要しているという話を聞かされる。

 

 実際、高野が、母子家庭で生活保護を受けている林野愛美(河合優実)のアパートを訪ね、いつものように体を求める場面になる。

 5歳くらいの娘美空は、隣の部屋でひたすら色彩だけの形のない絵を延々と描いている。

 

 愛美は友だちの梨華(箭内夢菜)に誘われて、きわどいサービスをするキャバクラで働いたことがあり、そのことを高野に知られて、生活保護を打ち切ると脅されていたのだ。

 

 そのキャバクラを経営するやくざが梨華の愛人金本龍也(窪田正孝)で、山田吉男を手下のように使っていた。

 高野が愛美にしていることを知った金本は、それを盾に高野を脅し、生活保護の不正受給で儲ける作戦を考える――。

 

 映画を30分ほど観ていったん中断し、原作を開いた。

 染井為人『悪い夏』(2020 角川文庫)。

 

悪い夏 (角川文庫)

 

 生活保護受給をめぐるやくざ者とケースワーカーたちが関わっていくが、やがて互いに嘘と裏切りが重なり、絡み合っていく。

 お互いのだまし合い、高まっていく緊張。

 

 そしていよいよ彼らが一堂に会して繰り広げる、七転八倒のクライマックス。

 コメディではないが、登場人物たちは皆どこか間が抜けており、悲喜劇が展開する。

 

 小説を読み終えたあとで、映画も最後まで観たが、複雑なストーリーを単純化してわかりやすく映像化できている。

 純粋にエンタテインメントとして楽しめると思う。

 

 ただ、原作でも映画でも気になったのは、中心ストーリーと並行して描かれる、極貧の母子家庭、古川佳澄(木南晴夏)の物語である。

 本筋と交わらない彼女の存在が、生活保護に巣食う者たちの陰謀合戦に、どこかの時点で思わぬ一撃になるのではないかと、期待して読んで行った。

 

 しかし、終盤の一点で佐々木と絡みはするものの、ありがちな結末で終わってしまった。

 それはとても哀しく虚しいが、そんな彼女の悲劇は、荒唐無稽でコミカルな印象になりがちなこの物語に、一点の現実味を加えている。

 

 生活保護という社会的に深刻な問題を扱っており、まさかこんなことがほんとうにあるとは思いたくないが、「もしかしたら…」と思わせてしまうリアリティはある。

 

 エンタテインメントとして小説はよくできているし、映画もそれをうまく映像化している。

 今回の場合、小説と映画、どちらかを単独で楽しめばよく、あえて観てから読んだり、読んでから観たりするまでもない。

 

 お好きな方をどうぞ。

 

 

 馳星周の小説『『少年と犬』(2020)は、2025年に映画化された。

 

 

 原作は、2020年第163回直木賞受賞作。

 「男と犬」「泥棒と犬」「夫婦と犬」「娼婦と犬」「少女と犬」「老人と犬」「少年と犬」の7章で構成された連作短篇形式の長編小説。

 東北から何かを求めて西へと旅する犬「多聞」が、その途上で出会う人々にひととき寄り添い、その運命を見届けて、再び西を目指す。

 

 今回は、映画を観る前に原作(2023 文春文庫)の最初のエピソード「男と犬」を読んでみた。

 それでやめるつもりが、とてもおもしろくて、つい第2の「泥棒と犬」まで読んでしまった。

 

 「多聞」との出会いによって、登場人物の心根の良さが表われる。

 にもかかわらず、容赦ない現実に巻き込まれていく展開に、眼が離せない。

 

 さらに読み続けたいところだったが、そこを抑えて本をおき、映画を観始めた。

 

 

  監督: 瀬々敬久  脚本: 林民夫

  出演: 高橋文哉 西野七瀬 さくら(俳優犬) 伊原六花 嵐莉菜 柄本明 斎藤工 

 

 初めの30分は「男と犬」をベースに「泥棒と犬」の泥棒の外国人を女性(嵐莉菜)に変えて、うまくまとめてあると感じた。

 先への期待感が募るが、ここもぐっとこらえて映画を中断し、原作の続きを読んで行った。

 

少年と犬 (文春文庫)

 

 人間に深く愛着を持っているが、同時に一匹の犬として静かな意志を感じさせる「多聞」。 

 多聞が北から南、そして西へと日本を縦断して旅する途上で出会う人たち。

 

 7つの物語で7つの人生が描かれる。

 その結末は必ずしも明るいものではないが、多聞はその一期一会の出会いの中で、彼らとともに在り、その人生を見届けてまた旅立つ。

 そして、西に向かう多聞がほんとうに目指すものは何なのか……。

 

 多聞という犬を媒介に、ひとり一人の人間ドラマが描かれる。

 個々の物語が実にドラマチックで、ぐいぐいと読まされてしまう。

 そして最後に、多聞を主人公とした長編物語の感動が待っている。

 

 読み終えて、直木賞は納得の小説であった。 

 そして、楽しみに映画の続きを観た。

 

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 しかし残念ながら、映画はお勧めできる仕上がりではなかった。

 これは明らかに、脚本の問題だと思う。

 

 映画の前半までは、第1話『男と犬』の主人公和正(高橋文哉)と第5話『娼婦と犬』の主人公美羽(西野七瀬)を中心人物としてシリアスドラマが展開するのだが、後半になると、原作とは全くテイストの異なる、ファンタジックな展開になってしまう。

 

 そもそも映画全体の構成として、美羽が多聞と別れて数年後、伝え聞いた多聞の旅の全貌を、たまたまバスで乗り合わせた小学生の女の子に語って聞かせるという、よくわからない設定になっている。

 それによって、一途に進む多聞の物語がぼやけたものになり、結末の感動も台無しである。

 だから、この映画はオススメしない。

 

 この小説は、映画よりもテレビドラマに向いていると思う。

 一話完結型の連続ドラマで、毎回、独立したストーリーが楽しめる。

 そして毎週見ていくと、多聞の旅の終着点への期待感が高まり、真実が明らかになる感動の最終回は、見ごたえがあるだろう。

 

 連続ドラマには、うってつけの原作である。

 ぜひ実現を期待したい。

 

 

 

 五十嵐大『ぼくが生きてる、ふたつの世界』(2021)は、耳の聴こえない両親から生まれ、育てられた著者の体験と思いを綴ったエッセイ。

 

ぼくが生きてる二つの世界

 2024年に映画化された。

 監督:呉美保   

 脚本:港岳彦

 出演:吉沢亮 忍足亜希子 今井彰人 ユースケ・サンタマリア 烏丸せつこ でんでん
 

ぼくが生きてる、ふたつの世界 / (Blu-ray) ASBD-1292

 
 
 
 
 

 

 聴覚障害者の夫婦五十嵐陽介(今井彰人)と明子(忍足亜希子)の間に、息子の大は生まれた。

 家は母・明子の実家で、極道者の祖父(でんでん)と、新興宗教に熱心な祖母(烏丸せつこ)と暮らす。

 父は懸命に働き、母は家事をしながら子どもを精一杯育てる。

 

 幼い大と母が、家で書いた手紙を交互に自宅のポストに投函し、それを取りに行っては読むという「郵便ごっこ」は、微笑ましいエピソードだ。

 自然と手話を身につけた大は、幼いころから買い物のときには店の人のことばを母に伝え、周りから褒められたりする。

 

 しかし小学生になると、友だちから「お前のお母さんのしゃべり方、変」などと言われ、母が授業参観に来るのも嫌で、お知らせを渡さなかったりするようになる。

 やがて中学生になった大(吉沢亮)は反抗期まっさかりで、母にもことあるごとに冷たく当たる。―― 
 

 いよいよ大が中学生の吉沢亮になったあたりでほぼ30分余り。

 いったん映画を中断して、原作を開いた。

 五十嵐大『ぼくが生きてる、ふたつの世界』(幻冬舎文庫) 2024

 

ぼくが生きてる、ふたつの世界 (幻冬舎文庫 い 74-1)

 

 6~7ページの短いエッセイ30話で構成されているが、平易なわかりやすい文章で、スイスイと読めてしまう。

 聴覚障害者の両親のもとに生まれた著者が、幼いころから成長するにつれ、それぞれの年代でどんな思いをしてきたか、エピソード豊かに語られている。

 とくに「好きで嫌い」だった母への思いの紆余曲折が、胸を打つ。

 

 やがて著者は、聴覚障害者を親に持つ子ども「コーダ(CODA)」の仲間たちと出会い、その社会的認知を広げるために、自分の体験を綴り、出版しようとする。

 それがこの著書であり、それは母との関係を見直し、注がれてきた愛情に気づくプロセスでもあった。――

 

 満足して原作を読み終え、映画の後半を楽しみに観た。

 

 

 高校を卒業した大は、深い考えもなく上京して役者を目指すが、オーディションでもやる気は感じられない。

 

 次いで物書き(ライター)を考えるが、ここでも明確な人生設計や目標が見えているわけではない。

 面接でもやる気があるのかよくわからない感じだが、怪しげな雑誌社の社長(ユースケ・サンタマリア)に拾われて、東京で何とか生活していく。

 

 そんな日々を経て、いつも変わらず見守ってくれる母の愛情に、あらためて気づいていく。

 久々に帰郷して母と珍しく外出したとき、二人が電車の中で周囲を気にせず、手話で表情豊かにおしゃべりする場面が美しく、深く心に残る。

 

 聴覚障害の親に育てられた主人公が、成長し、人生の道を見つけられずにさまようが、やがて自分の生い立ちを肯定できるようになる。――

 

 原作のエピソードをうまく生かしながら、わかりやすく、素直に感動できる映画に仕上がっていると思う。

 

 原作にある「CODA」の人々との出会いとその活動への参加については、少し触れている程度で、くわしくは描かれない。

 

 映画の中ではやはり、聴覚障害をもつ俳優、忍足亜希子の存在感が大きい。

 彼女の活躍ぶりを見ていると、さまざまな障害を持つ人が、もっと芸能界にいてもいいのではないかと思う。

 障害者がいることがふつうの社会ならば、俳優の個性のひとつとして障害を活かした配役の妙を、もっともっと創造することができるかもしれない。

 

 それはさておき、この作品は「観てから読む」のが断然、おススメだ。

 映画では、障害を持ちながらも一生懸命に子どもを育てようとする親の姿、その子どもが成長しもがきながらも自分の人生を見つけていく姿、ともに誠実さが感じられて清々しい。

 

 映画を観た後に原作を読めば、その先で、筆者五十嵐大が「CODA」の人たちと出会い、自分の使命を見つけて、さらに両親の愛情に深く気づいていく、誠意あふれる物語に出会うことができるだろう。

 

 

 

 斜線堂有紀『恋に至る病』 (2020)は、自殺サイトをめぐるサイコミステリー。

 

 初めは作品のジャンルが見極められず、サイコホラーか、サイコサスペンスかと手さぐりで読んで行った。

 すると、著者自身が「あとがき」の中で、「寄河景(よすがけい)という人間そのものを謎としたミステリーです」と書いている(寄河景は、主人公の女子高生の名前)。

 

 とはいえ、従来のミステリーの枠にはまるものではなく、著者独自の世界を創り上げているという感じを強く受ける。

 最後まで読んでみると、謎解きのしかけはあるが、さらにすべてを明かさず、読者の頭に消えない疑問符を残す。――

 

 さてこの作品は、2025年に映画化された。

 例によって、小説を読む前に映画の初めの部分を観てみた。

 

 監督:廣木隆一   

 脚本:加藤正人 加藤結子

 出演:長尾謙杜 山田杏奈

 

恋に至る病映画ポスター

 

 横浜市内の海に近い高校に転校してきた宮嶺望(長尾謙杜)は、人前で話すのが苦手で教室での自己紹介にも詰まるが、そのとき助け舟を出してくれたのが、クラスの人気者である寄河景(よすがけい・山田杏奈)だった。

 

 寄河景は誰からも好かれるキャラクターで、学校内外の活動に積極的に取り組む彼女は、海を見下ろす公園の清掃ボランティアを募り、クラスのみんなが参加する。

 そこで、幼い少女が手放した風船を取ってやろうとして景は斜面から転落し、足を挫くと同時に目の上を切ってしまう。

 血まみれの景を背負って助けた宮嶺は、景から「私のヒーローになって」と望まれ、そうすると誓う。

 

 しかし、そのことがリーダー格の男子生徒根津原あきらの嫉妬を買い、執拗ないじめを受けるようになる。

 それがエスカレートしていったある日、根津原がマンションから謎の転落死を遂げる。

 

 その背後には、順に指示をクリアしていくとだれもが最後は死に至るという自殺サイト「ブルーモルフォ」の都市伝説が――。

 

 最初の30分ほど、物語の方向性が見えてきたところで、映画をいったん中断し、原作を開いた。

 斜線堂有紀『恋に至る病』 KADOKAWA メディアワークス文庫

 

恋に至る病 (メディアワークス文庫)

 例によって映画を参考にイメージして読んでいったが、読めば読むほど映画の配役への違和感が募る。

 寄河景は聡明で明るく、魅力的な女子高校生だが、それに留まらず何か不思議なオーラを放ち、誰もが自然と彼女のとりこになってしまう。

 そんな神秘的な少女のイメージに、山田杏奈さんではしっくりこない。

 

 今までの経験では、映画を少し観てから原作小説を読み始めると、初めはあまり抵抗なく映画の配役でイメージし、読み進むうちに少しずつ自分なりのイメージに変化していく。

 ここまで「映画の配役では読めない」 と感じたのは初めてだ。

 

 申しわけないが、寄河景役に山田杏奈さんを配したのは、明らかなミスキャストだと思う。

 これは、俳優の持ち味の問題である。

 

 そこで、不思議なカリスマ性を備えた美少女 “寄河景”を自分なりにイメージして読んで行った。

 寄河景はいわゆる「サイコパス」であり、そんな彼女の犯罪を知りつつ、宮嶺望は景を愛し、彼女の蜘蛛の糸に絡めとられるように、どんどん深みにはまっていく――。

 

 独特な心理世界を描いた、野心的な小説だと思う。

 安易なサイコホラーに流れることなく、科学的裏づけのある人格障害としてのサイコパスと、それに巻き込まれていく人の心理、そしてそれが果たして「愛」なのかどうかを描こうとした。

 

 個人的な好き嫌いで言えば決して私の好きな小説ではないが、著者の独創への意欲と真摯な創作態度はリスペクトに値する。

 

 そう思って原作を読み終え、まったく期待せずに映画の続きを観た。

 

 

 予想通り、原作の真価はまったく活かされていない。

 残念ながら、映画としての魅力は何も見つけられなかった。

 

 ロケ場所が高校だから尚更だが、ふと高校生が撮った文化祭映画を観ている気分になる。

 Amazon prime 配信だから腹も立たないが、お金をとって見せる作品とは思えない。

 

 この作品、映画のことはスルーして、小説だけを純粋に味わうことを勧めたい。 

 

 

 

 新堂冬樹の小説『誰よりもつよく抱きしめて』(2004年発表)は、2025年に映画化された。

 

 例によって映画の最初を30分ほど観てから小説を読んでいったが、ひじょうによかった。

 感動のラブストーリーをお探しなら、これはお勧めしたい。

 小説も、映画も。

 

 

 監督:内田英治  

 脚本:イ・ナウォン

 出演:久保史緒里 三山凌輝 ファン・チャンソン 穂志もえか 永田凜 酒向芳

 

 児童書専門書店で働く桐本月菜(久保史緒里)は、水島良城(三山凌輝)と同棲している。

 良城が描いた絵本『空を知らないモジャ』は、空を飛ぶ翼を持たない鳥「モジャ」と小スズメとの友情と別れを描く、心優しい物語。

 月菜の働く絵本書店「夢の扉」が、二人の出会いの場所だった。

 

 二人は仲睦まじく暮らしているようだが、実は良城は同棲を始めた後に不潔恐怖の神経症を病み、モノにじかに触れることができなくなってしまった。

 月菜のことも愛していながら、指一本触れることができないのだ。

  

 月菜はそんな良城を理解しようとし、寂しさにも耐えて、明るくふるまっている。

 だが、愛すれば愛するほど二人は触れ合うことを求めつつ、得られないもどかしさに苦しむ。

 そして、傷つけあってしまう。

 

 そんなとき、月菜の前に年下の韓国人男性イ・ジェホン(ファン・チャンソン) が現われ、一途にアプローチしてくる。

 初めは相手にしなかった月菜だが、彼のあまりにまっすぐな思いに、心が揺れ始める――。

  

 最初30分観ただけでも、配役のよさが際立っている。

 良城役の三山凌輝は神経質なところがよく出ているし、月菜を演じる久保史緒里は、からだの触れ合いがなくても彼を愛し続ける、まじめで清純な役がとても似合っている。

 そして韓国のアイドル歌手ファン・チャンソンが演じるはジェホンは、男性的な魅力を放ちながらも、誠実な人柄が伝わる。 

 

 いよいよここから三角関係のドラマが展開するのか……というところで映画をいったん中断し、原作を開いた。

 

 新堂冬樹『誰よりも強く抱きしめて』 新装版 光文社文庫 2024

 

誰よりもつよく抱きしめて 新装版 (光文社文庫 し 31-8)

 

 読んでいくと、愛し合っていながら触れ合うこともできない二人の苦しみが、ほんとうに切ない。

 読み進めば進むほど、やりきれなさが募っていく。

 こんな気持ちを味わえるのは、やはり小説ならではだと思う。

 

 そうやって最後までこの物語にひたり、堪能しきって読み終えた。

 ネタバレはしないが、決して期待を裏切らない展開、そして結末だった。

 

 そして映画の続きを観た。

 

 

 脚本がよくできていて、原作の結末を知っていてもあらためてこの物語の切なさを味わい、感動することができた。

 こんなに素敵な小説に20年もの間、映画化のオファーがなかったことが、不思議なくらいである。

 

 いや、むしろ20年間安易な映画化をせずに、脚本家イ・ナウォンと出会ってくれたことに感謝したい。

 そう思うほど、この映画の脚本はよくできている。

 

 小説で二人は結婚しているが、映画では同棲している。

 月菜が働く「夢の扉」のオーナーは小説では月菜の祖父だが、映画では良城の祖父になっている。

 そうしたいくつかの設定変更が、実によく考え抜かれており、ちゃんと後でつながってくる。

 

 また、映画で韓国人になっているジェホンは、原作では克麻という日本人である。

 外国人ではないが、また別の意味でマイノリティとしての背景をもっている。

 

 映画の終盤では、ジェホンがなぜそこまで月菜を愛したのか、その理由が明かされる。

 それは映画独自の脚色であるが、彼の人物像にぐっと深みを持たせている。

 ジェホンを演じるファン・チャンソンの哀しげな表情が心に残る。

  

 原作がすばらしく、映画もまたよくできている。

 だから今回は、原作を読んでから映画を観る。それが断然おススメだ。

 

 もちろん、いつものごとく読む前に映画の最初を観ておくとよいことは言うまでもない。

 

 今回も私は、映画の最初の30分を観てから読んだので、月菜も良城も克麻も、映画の配役をベースにイメージしていくことができた。

 しかし、良城と同じ神経症に悩む千春、月菜の親友早智子という二人の重要な脇役は、映画で観たときに、「自分のイメージと違う」という感じを強く受けた。

 最初の30分に出て来なかったので、小説では自分なりのイメージを描いて読んでいたからだ。

 

 脇役にしてもこれだから、原作を読んでから映画を観たときに主要人物のイメージに違和感を持ってしまうと、映画を純粋に楽しめない。

 だからいつも言うように、映画の冒頭か、せめて予告編を観て登場人物のビジュアルイメージを頭に入れてから、原作を読むことが有効なのだ。

 

 この作品はまず小説で感動し、映画でもその感動を再び味わってほしいと思うからこそ、より強調したい。

 

 

 

 

 

 柚月裕子の警察サスペンス小説『朽ちないサクラ』(2015)は、2024年に映画化された。

 

 監督:原 廣利
 脚本:我人祥太 山田能龍

 出演:杉咲花 萩原利久 安田顕 森田想 豊原功補

 

 

 

 県警の管轄下で起きたストーカー殺人事件。

 その被害者が事前に出していたストーカー被害届を放置したまま、職員は慰安旅行に出ていた。その事実をスクープした記事が地元紙に載ると、県警広報課の電話は鳴りやまなくなった。

 

 広報課事務官の森口泉(杉咲花)は、慰安旅行について親友の津村千佳(森田想)にうっかり話していた。千佳は県警詰めの地元紙記者だが、親友の泉との信頼関係を大切にしてその事実は漏らさないと約束した。

 しかし事実は報道され、泉は千佳が情報を流したと疑う。

 

 その千佳が、事故を装った水死体で発見される。

 自らの潔白を証明するため独自に調べを進め、事件に巻き込まれたのだ。

 

 千佳の無念を思う泉は自力で犯人を見つけ出すと心に誓うが、彼女に思いを寄せる年下の刑事磯川俊一(萩原利久)は、泉の決意を知って協力を申し出る――。
 

 登場人物も出そろい、いよいよここから物語が展開していくぞ、というところでほぼ30分。

 映画をいったん中断し、原作を開いた。

 

 柚月裕子『朽ちないサクラ』 徳間文庫 2018

 

朽ちないサクラ (徳間文庫)

 

  

 泉と磯川が調べを進めていくプロセスは、警察らしく地味な聞き込みを中心としている。

 県警が進める本筋の事件捜査に、泉と磯川が調べて見つけた事実のピースが加わり、事件は次第に解明へと進んでいく。

 そして、いよいよ証拠固め、犯人逮捕へと進む場面は捜査一課が中心となり、しばらく泉と磯川の姿が舞台から消える。

 

 事件は解決するが、再び登場した泉は、事実関係について割り切れない疑問を口にする。

 そして、最後に残された疑惑について自らの推理を語る――。

 

 タイトルの「朽ちないサクラ」は、不屈のヒロインを思わせるが、そうではなかった。

 事件の奥の奥にあるを真相を示すキーワードである。

 

 泉は事務官だが、捜査一課長の梶山に「刑事に向いている」と評される。

 一課長をにらみ据えて、一歩も引かない度胸。

 事実を積み上げて、矛盾を見逃さない洞察力。

 

 そのことが、結末の泉の決意につながっていく――。

 

 事件の謎解きというより地道な捜査の末に真相が見えてくる展開なので、「警察小説」と呼ばれるのもなるほどと思った。

 そして、映画の続きを観た。

 

 

 

 このポスター写真は、登場人物の関係を象徴している。

 最後の真相を知ってこれを見ると、ひじょうに意味深なものがある。

 

 原作のストーリーをところどころ端折ったり、シンプルにした脚本で、警察組織の内部のやり取りとともに、事件捜査が進む。

 

 キャストでは、広報一課長梶山役の豊原功補、泉の上司である広報課長富樫を演じる安田顕、二人のベテラン俳優の演技、その存在感がすばらしい。

 

 作中に警察というものの本質として「警察は起きてしまった事件を扱う」というセリフがあったが、まさにその通りで、起きてしまった殺人事件を捜査し解明しても、殺人の事実はもとに戻らない。

 しかもその殺人の動機が組織的な都合によるものなので、物語としての後味はあまりよくない。小説も映画も。

 

 私はミステリーは好きだが、「警察小説」というのは、あまり性に合わないのかもしれない。