映画を観ているみたいに小説が読める イメージ読書術

映画を観ているみたいに小説が読める イメージ読書術

小説の世界に没入して
“映画を観ているみたいに” リアルなイメージが浮かび
感動が胸に迫り、鮮やかな記憶が残る。
オリジナルの手法「カットイメージ」を紹介します。
小説を読むのが大好きな人、苦手だけど読んでみたい人
どちらにもオススメです。

 塩田武士『罪の声』(2016年刊。2019年講談社文庫刊)は、グリコ森永事件(1984~85)の真相に迫る小説である。

 

 前回、映画を半分ほど観て、小説を読んだ。

 観ながら読んだ 塩田武士『罪の声』【ネタバレ無し】

 

 映画の記憶の助けを借りながら、ありありとイメージして読み進め、読み終えて、とても満足した。

 グリコ森永事件を忠実になぞりながら、未解明の部分を大胆に推理して構築した物語である。

 

 小説では「ギンガ萬堂事件」となっている事件の謎を解き明かしていくサスペンスに引き込まれ、推理の見事さに舌を巻くと同時に、事件に利用された子どもたちの運命が、胸に迫る。

 

 周到に準備された力作であり、よくできた小説だと思った。

 そして、映画の後半を楽しみに観た。

 

 映画は2020年公開 監督: 土井裕泰 主演:小栗旬 星野源 

 

 

 この映画もとてもよかった。

 

 小説で詳細に描かれた事件の謎とそれを解くプロセスをわかりやすく整理し、飽きさせない。

 よくできた脚本だと思う。

 

 真犯人に迫る種明かしの場面は、日本と英国、2つの舞台を同時進行で交互に重ね、テンポよく見せる。
 真犯人とその動機がわかってみれば、空疎な犯罪であり、子どもたちの運命をもてあそぶ結果になったことに怒りを禁じえない。

 

 原作小説は謎解きだけに終わらず、巻き込まれた子どもたちに寄り添う物語だから、共感できる。

 その点、この映画は、子どもたちの運命、その後を描く結末部分を丁寧に場面化、映像化し、原作者の思いをしっかりと受け継いでいると思う。

 派手なシーンはないが、物語の展開をじっくりと追い、最後には感動と後味のよさを残す。

 

 事件の真相はけっして後味のよいものではないが、新聞記者阿久津(小栗旬)と子どもたちの一人である曽根俊也(星野源)が、事件を追うことを通じてそれぞれ人間的に成長するプロセス。

 そして二人の間に生まれる共感と不思議な友情。

 それが最後のシーンに象徴されていて、とてもよい後味で終わる。

 

 主題曲はUruの『振り子』で、最近、Uruの曲をよく聴いている私には耳懐かしく、物語の余韻に浸りながら、じっくりとエンドロールを観てしまった。

 

 小説と同じで、「グリコ森永事件」をよく知らない若い世代には、観る前に事件の概要を知っておくことが必須だろう。

 

 そのためには、NHKの再現ドラマ「未解決事件」シリーズに「グリコ森永事件」があるが、私もまだ観たことがない。

 NHKオンデマンドで視聴可能なので、今度ぜひ観てみたいと思う。

 

 

 

 

 「どくいり きけん たべたら しぬで」と、関西圏を舞台に複数の食品会社を脅迫した、グリコ森永事件(1984~85)。

 マスコミに送りつける「挑戦状」は警察への敵意とからかいに満ち、大いに世間を騒がせたが、身代金の受け渡しに成功することなく終わった、今なお謎の多い未解決事件である。

 

 その事件に着想を得た、塩田武士の小説『罪の声』は2016年刊。2019年に講談社文庫版が出た。

 映画は2020年公開 監督: 土井裕泰 主演:小栗旬 星野源 

 

 これはぜひ読みたいし、観たいと思い、まず映画『罪の声』を前半だけ観た。

 

罪の声

 

 亡父のテーラーを継いで地道に仕事をし、妻と幼い娘と暮らす曽根俊也(星野源)は、ある日、押し入れの奥から古いカセットテープと英文のメモが書かれた黒革の手帳を見つける。

 カセットテープに録音されていたのは、幼い自分の声で身代金の受け渡し場所を指示するメッセージ。

 

 それは30年以上前に起きた “ギンガ萬堂事件”で使われた電話の声だった。

 イギリス滞在歴を持つ伯父の関与を疑う俊也は、亡父の親友であった堀田の力を借りて関係者を探し、話を聞いていく――。

 

 一方、大手新聞の記者 阿久津英士(小栗旬)は、ギン萬事件の特集企画のために文化部から駆り出され、事件を調査していく。

 二人の軌跡はしばらく平行線上を進むが、やがて阿久津は同じところで聞き込みをする俊也の存在を知る。

 

 新聞記者の突然の訪問に驚いた俊也は、マスコミ報道によって平和な暮らしが破壊されることを怖れ、阿久津を激しく拒絶する――。

 

 そこまで観て映画を中断し、原作を開いた。

 

罪の声 (講談社文庫)

 

 映画を途中まで観ているおかげで、星野源、小栗旬のイメージで自然に読み進められる。

 

 阿久津は事件の足跡を丁寧に追い、それに関わった人々を特定していく。

 そして偶然にも助けられて新たな証拠をつかみ、真犯人へと迫る。

 

 当初マスコミ報道を怖れていた俊也も、次第に阿久津の誠意を感じ、自分と同じように事件に巻き込まれた “他の子どもたち”のその後を案じる彼と行動をともにしていく――。

 

 これは、グリコ森永事件を忠実になぞりながら、未解明の部分を大胆に推理して構築した物語である。

 しかも、電話メッセージに声を使われた子どもたちの存在に深く思いを寄せて、彼らの運命を想像し描き出す。

 

 文庫本で500ページ以上あるが、一部はルポルタージュのように現実のグリコ森永事件の詳細を描きつつ進むので、必要なボリュームだと思う。

 資料を周到に研究し未解決事件の真相に迫る構成のみごとさと、犯行に利用された子どもたちの心情に思いを馳せる作家の人間的なまなざし。

 

 たいへんな力作であり、よくできた小説だと思った。

 これはおススメだが、グリコ森永事件を知らない世代は、まず事件の概要を知ってから読むとよいのではと思う。

 

 この小説にはひじょうに満足し、そして、映画の後半を楽しみに観た。

 

 それについては、次回「読んでから観た 映画『罪の声』【ネタバレ無し】」

 

 

 

 私が主催するカットイメージのセミナーや公開講座で常連のMさんが、「久しぶりに当たりでした。こんな物語を読みたかった」と言って勧めてくれたのが、横山秀夫『ノースライト』。

 さっそく取り寄せて読み始めた。

 

 

 一級建築士の青瀬稔は、バブル経済期に大手設計事務所で力を発揮していたが、バブル崩壊とともに職を失い、妻も心のすれ違いから、幼い娘を連れて彼のもとを去った。

 その後、大学時代の友人岡嶋が経営する設計事務所に職を得て、細々と建築士としての仕事を続けてきた。

 

 そんな彼が設計した信濃追分のY邸は、北からの光(ノースライト)を大胆に取り入れた木造の家で、『平成の建築200選』に選ばれた。

 施主の吉野淘汰は、「あなたの住みたい家を建ててください」と言って、青瀬に設計を依頼した。

 それに応えたのがY邸だったのだ。

 

 しかし、引き渡しから4カ月後、Y邸にはだれも住んでいないことが判明する。

 吉野夫妻と子ども3人も、忽然と姿を消してしまった。

 Y邸には引っ越してきた痕跡もなく、あるのは、ドイツ人の建築家ブルーノタウトの作と酷似した椅子が一脚だけ。

 吉野のゆくえを探し、青瀬はブルーノタウトとのつながりをたぐるが、断片的な手掛かりはつながらず、謎は深まるばかりだ。

 

 一方、岡嶋設計事務所は、孤独な生涯で800点の未公開作を遺した画家 藤宮春子の記念館の設計受注を賭けたコンペに臨む.。

 しかし、その選定をめぐる疑惑が持ち上がり、やがて悲劇へとつながっていく――。

 

 そうした物語の末に明らかになる真相は、とても哀しく、そして美しい。

 物語全体を通じて浮かび上がってくるのは、自身に誇れる仕事を残したいという、建築家青瀬や岡嶋の思い、そして家族を思う愛。

 それが、彼らの父親世代の職人魂とも重なり、ブルーノタウトや藤宮春子、さまざまな人々の生きざまともダブってくる。

 

 悲劇もあるが、それを乗り越えて人々は前へ進み、思いは結実していく。

 まさに感動の結末と言ってよい。

 

 吉野家の失踪の謎を追っていく途中経過は、少し冗長に感じる部分もあったが、読み終えた感動がそれを忘れさせてしまった。

 

 ノースライト(北からの光)の建物といえば、織物の街 桐生(群馬県)で戦前に数多く建てられた “のこぎり屋根”として知られる。

 染色の状態を自然光の下で見分ける必要から、直射日光を避け、優しい北からの光を多く取り入れる工夫をしたのだ。

 

 妻が桐生市の出身なので、“のこぎり屋根” の遺構に作られたパン屋さんに行ったり、クルマで走る沿道に見かけたりしていたので、私の中にはすぐその連想があった。

       

 物語の後半、因縁が桐生につながったときには、「やはり」とうなずいた。

 桐生川ダムのイメージも含めて、個人的な記憶ともつながり、より感動が深まった。

 私の中でとても大切な一冊になったと思う。

 勧めてくれたMさんに感謝である。

 

 調べてみたらこの作品は、2020年12月12日(土)前編、19日(土)後編、NHKの土曜ドラマとして放送されている。

 

 脚本 大森寿美男
 出演 西島秀俊 、北村一輝 、田中麗奈 、柄本時生 、田中みな実

 

 これはぜひ観たいとたいと思い、NHKオンデマンドに登録して、単品購入で観た。

 前編後編それぞれ210円で、3日間の視聴期限。 

 

 

  これも素晴らしくよかった。

  脚本がとてもよくできていて、小説ではやや冗漫に感じた途中経過もテンポよく進む。

  それでいて下手な改変はなく、原作の物語を細部まで丁寧に映像化している。

    

  主人公青瀬の風貌について、原作の中に「高倉健かゴルゴ13」と例えたくだりがあるが、違和感があった。主演の西島秀俊は、私の中では青瀬のイメージにふさわしい。

 

  信濃追分の森林、浅間山、桐生川ダムなど、風景の描写も美しい。

  この物語のモチーフである「鳥」の映像と鳴き声が随所で効果的に用いられ、鮮烈な印象を残す。

  原作の持ち味を最大限に活かし、このうえなく後味のよいドラマに仕上がっている。

 

  この作品は、ぜひ “読んでから観る”のを勧めたい。

  どちらも、割いた時間以上の満足が得られると思う。

    

 

 映画『護られなかった者たちへ』は、2021年 瀬々敬久監督 出演 佐藤健 阿部寛 清原果耶……。

 予告編で観た佐藤健の眼つきがすごくて強烈な印象が残り、小説も映画も観てみたくなった。

 

 

 そこで原作小説も購入、スタンバイして、AmazonPrimeVideoで映画を観始めた。

 映画の冒頭、東日本大震災直後の風景を再現したCG映像が衝撃的で、喧騒と泣き声が満ちる避難所の様子はリアルだった。

 刑事役の阿部寛は、東野圭吾原作の映画『新参者』シリーズで演じた加賀恭一郎のイメージと区別するのが難しい。

 20分ほど映画を観て、いったん中断し、小説を読み始める。

 

 中山七里『護られなかった者たちへ』 宝島社文庫

 

 

 仙台市内で、品行方正を絵に描いたような市役所の課長と県議会議員が、相次いで殺害された。

 二人とも、手足と口をガムテープで固定し、人目に触れない廃屋に放置して、2週間ほどの苦しみの挙句に餓死させるという手口。

 最大限に苦痛を与える残忍な殺害方法から、よほどの怨恨が動機と推察された。

 事件を追う県警捜査一課の笘篠と若手の蓮田は、被害者の経歴を辿り、二人が同僚だった福祉保険事務所にたどり着く。

 

 一方、並行してもう一人の人物の姿が描かれる。

 放火の罪で10年の懲役に服し、模範囚として8年で仮釈放となった若者、利根勝久。

 彼が罪を犯した背景には、生活保護申請を拒否して老女を餓死させた福祉保険事務所職員たちへの恨みがあった。――

 

 小説を途中まで読んだら、また映画を30分ほど観たりして読み進めた。

 しかし、次第に私の中には、この物語に対する違和感が募っていく。

 

 読んでいて、犯罪の動機にまったく共感できない。  

 生活保護の申請が通らず、餓死した老女の無念を晴らすために、その窓口職員らを殺してどんな意味があるのか。 しかも8年も経ってから。

 笘篠刑事は犯人への共感を口にするが、それも理解できない。

 

 最後まで読んで、その気持ちは強まるばかりだった。

 何の救いもない。

 救いがない物語があってもいいが、その分、投げかける問いがあるはずだ。

 しかし、社会にどんな問題提起をしたいのか、それも全然わからない。

 

 映画は少し展開が違う。

 結末の残り40分は、小説の読後に観た。

 原作の根っこにある浅さや歪みは如何ともしがたいが、脚本家や演出家が、そこを何とか修正しようとした形跡は見られる。

 観る者に問題を提起し、わずかな救いの道は描こうとしている。

 

 だから、この作品が気になるむきには、映画だけ観ることを勧めたい。

 

 震災直後、孤独な三人が絆を深めていく場面は美しい。

 倍賞美津子演じる遠島けいを中心に、利根(佐藤健)と小学生の女の子 “カンちゃん”が家族のようにつながっていく。

 歳の離れた、それぞれに孤独を抱える二人の優しさが、頑なだった利根の心を開かせたのだ。

 

 それだけに、けいを餓死に追いやることになった市職員への怒りはわからなくもない。

 その結果起こる犯罪、謎の多い捜査の展開、第3の被害者に迫る危機、そして意外な結末……。

 

 物語の終盤、明らかになるけいの遺言は、涙を誘う。

 ――だが、そこに救いはない。

 

 原作に責任のある数々の疑問、納得いかない点に目をつぶれば、映画には感動できるかもしれない。  

 

 

 小説『人間失格』は高校生のとき読み、大学生で再読し、今回、映画『人間失格~太宰治と3人の女たち』(2019)を観て、このブログを書いている。

 

 そこで、「読んでから観た」というわけだが、?をつけたのは、この映画は、太宰の小説『人間失格』の映画化ではないからだ。

 太宰治自身の人生を描いた映画であり、そのタイトルとして、『人間失格』を冠したというのが正しい。

 

 監督:蜷川実花    主演:小栗旬  

 出演:宮沢りえ、沢尻エリカ、二階堂ふみ、成田 凌 、千葉雄大、高良健吾、藤原竜也……

 

 

 

 実際に映画を観ると、蜷川実花の映像美学に驚かされる。

 室内のつくり、調度品、服装、それらの色合い、デザインが強烈なインパクトを与える。

 また、戦後の街並みを見事に再現したCG映像もリアルで美しく、郷愁をそそる。

 

 そして、配役の妙とその役づくりが興味深い。

  

 脇役から言えば、坂口安吾が藤原竜也なのは、かっこよすぎる。

 しかし、敢えてした配役なのだと思う。

 坂口安吾は、蜷川監督にとってはきっと美男子なのだ。

 

 高良健吾の三島由紀夫はお見事。

 ストイックな風貌、死を意識した厳しい生き方など、晩年の三島をよく表している。

 三島は当時23歳で作家デビューを果たしたばかりだから、実際はもっとひ弱で神経質な感じではないかと思うが、それもご愛敬である。

 

 そして、タイトルにあるように太宰をめぐる三人の女。

 太宰の才能を信じて忍耐強く家庭を守る妻=宮沢りえ

 文才と功名心のあるセレブで、太宰の子を産み、堂々と生きる女、太田静子=沢尻エリカ

 正妻の地位も子どももなく、太宰とともに死ぬという至福だけを求める女、山崎富栄=二階堂ふみ

 

 女たちはそれぞれに異なるしかたで太宰を愛する。

 おのおのの人物造形と演技は、見事なものだ。

 それだけに、中心にいる太宰がつまらない男に思えてくる。

 

 小栗旬が太宰をどう演じるのか、というのがこの映画の大きな魅力だと思うが、映画から見えてくる太宰像は、騒がしいばかりで深みに欠ける。

 映画で描かれた太宰のメチャクチャな生活ぶりは、確かに史実通りなのだろう。

 だが、作品から伺える太宰の内面がもっと表現されるとよかったと思う。

 

 実際に太宰の小説を読むと、臆病でどうしようもない男が、それでも精一杯生きようとしてうまくいかない哀れさが伝わってくる。

 それがこの映画からは感じられなかった。

 

 調べてみたら、この映画の前に生田斗真演じる『人間失格』がある(2009 荒戸源次郎監督)。

 こちらは原作を映画化した形のようなので、いつか観てみたい。

 正直、生田斗真も太宰のイメージではないが、もう少し繊細な演技をしてくれそうである。

 もちろん『人間失格』の主人公葉蔵=太宰治ではないから、葉蔵は葉蔵としての人物造形がありうるし。

 

 

  ちなみに他に私の心に残る太宰原作の映画と言えば、 『ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ』(2009 根岸吉太郎監督  松たか子 浅野忠信 )。

 

 松たか子演じる健気でポジティブな妻が、とても魅力的だ。

 こちらはおススメである。

 

 

 

 

 又吉直樹の小説『劇場』(2017)は、芥川賞受賞『火花』に次ぐ第2作。

 

 無名劇団の脚本・演出家として、恋人に経済的に依存して暮らす男永田。

 彼の才能を「すごい」と無邪気に信じ、尽くす恋人紗希。

 

 映画は、監督:行定勲、主演:山﨑賢人、松岡茉優で、2020年公開。

 

 例によって映画の予告編を観てから読んだ。

 恋人紗希は基本、松岡茉優のイメージで読める。

 

 しかし、私の中で主人公永田は、山崎賢人のイメージにはならない。

 乱れた長髪と無精ひげでやつしても、山崎賢人の品のよい美少年っぽさはごまかせない。

 私小説と思ってはいないが、読みながら私の脳裏に浮かんでくるイメージは、作者又吉直樹に近い。

 強烈な内面的個性を秘めて鋭い目で世界を眺めており、笑顔がいつも薄ら笑いにしか見えない。

 

 永田の一人称語りなので、その内面の葛藤はさまざまに語られる。

 自分自身へのいらだち、恋人への感謝と申し訳なさ。

 演劇への一途な思い、あるいは他人の才能への嫉妬の炎。

 

 紗希とふざけるやりとりや、照れ隠しのように独りでしゃべり続けることば、演劇仲間との激しい応酬など、会話のディテールに迫力がある。

 ヒモと彼女、と言えば片づいてしまうシチュエーションだが、“ヒモ男”への偏見をひとまず脇に置いて、素直に物語を追っていく。

 すると、永田のことばには心を揺さぶられるし、紗希との恋愛のゆくえはとても切ない。

 

 同棲しているのに性愛的なシーンが全くない点にも、この物語への筆者の思いが伺える。

 世間の価値観を超えたところにある、純粋な恋愛を描きたかったのだと思う。

 読み終えて、永田と紗希のいくつものシーンが、美しく心に残った。

 

 さて、これをどうやって映画にしたのだろうか。興味深く、AmazonPrimeVideoで観た。

 

 

 文庫本200ページ余りの中編小説を映画にすると、ちょうど2時間半になるのか、と納得してしまうほど、原作を忠実に映像化した作品だと思った。

 

 観ていると、「あ、この場面は観た」(読んだ、ではなく)と思ってしまうことが何度もあった。

 例によって予告編を観てから小説を読んだせいでもあるし、これこそ “カットイメージの効果の証” とも言えるが、原作をいかに映像にするか、製作者たちが腐心した結果だと感じる。

 

 その意味では、原作を読んでいた感じたつらさやもどかしさを再び感じる時間だった。

 そして、観ているうちに気づいたのが、配役の妙。

 

 松岡美憂は小説を読み始めた段階で適役と思ったが、映画を観ても、まさに紗希そのものだった。

 一方、当初、イメージが合わないと思っていた山崎賢人の配役の意味が、映画を観るうちに腑に落ちてきた。

 

 紗希の前では子どものようになってしまう永田。

 女を食い物にする、横暴なヒモ男ではなく、誰の中にもある、幼くて弱い、でも純粋な部分を失わずにいる男。

  

 その傷つきやすい心をごまかすことができず、もて余す永田は、素の自分を紗希の前でさらけ出し、紗希の愛の中で幼児のように安心して眠る。

 ヨレヨレのシャツを着た、ぼうぼう髪とひげの姿に似合わぬ、山崎賢人の童顔と曇りのない眼が、幼く、優しさに飢えた内面のおびえを、垣間見せる瞬間があるのだ。

 

 小説の主要な部分を占めるドロドロした内面語りがない分、永田の内面は外から観た行動、セリフ、表情から読み取るしかない。

 山崎賢人のもつピュアな存在感が、この恋愛物語の純粋さを際立たせている。

 

 そして、エンディングには、小説にはない、というより映画にしかできない、巧みな演出があった。

 このエンディングを観るためにこそ、冗長とも言える2時間半はあった、と感じる。

 小説と同じく、これもまた心に残る、切なく、美しいラストシーンである。

 

 

 

  

 前回(①)の続き。

 

 映画『ラブレター』(1995 岩井俊二監督 中山美穂 豊川悦司)の続編を思わせる『ラストレター』。

 岩井俊二監督自身による小説『ラストレター』を、“観ながら読む”つもりで、まず映画を観始めた。

 

 

 
 
 

  

  高校時代と現代との交錯、手紙のやりとりというロマンチックな展開は、やはり『ラブレター』を連想させる。

 2時間の映画の半分、約1時間観て一度中断し、小説を読み始めた。

 

 

  冒頭から驚いたのは、乙坂鏡史郎の一人称で書かれ、彼が書いた小説だということだ。

  本の扉の裏には、こんな献辞が書かれている。

  

  美咲へ

    これは君の死から始まる物語だ。

    君が本当に愛していただろう、そしてきっと君を愛していただろう、

    そんな君の周りの愛すべき人々の、ひと夏の物語でもある。 

    そして、同じそのひと夏の、僕自身の物語でもある。  (以下、2行略) 

 

 本文は乙坂鏡史郎の主観が色濃く出た文体で、小説ならではの「語り」の魅力を存分に発揮している。

 これは映画にはできないことで、岩井俊二はほんとうにメディアの特性を知り尽くし、それを巧みに使いこなす表現者なのだ。

   

 ときどき、あとで裕里から聞いた(取材した)エピソードを、三人称的に描写し、映画と同じストーリーを展開する。

 ただ、ところどころ設定が違っている。

 小説と映画の特性に応じて設定を変えているのだろう。

 

 そうして小説は、乙坂鏡史郎自身の生き方の甘さを追い詰めていく展開になる。

 一気に最後まで読みたいと思ったが、結末の20ページほどを残して、最後は映画で味わうことにした。

 やはり岩井俊二の表現フィールドのメインは映画ではないか、と思ったからだ。

 

 そして観た後半、期待を裏切ることなく、切ないが、美しい映画だった。

 とりわけ、高校時代と瓜二つの姿で、乙坂の前に現れる二人の少女。

 広瀬すずと森七菜の一人二役の妙で、乙坂が感じた目眩のような幻覚感を、私たちも体験できる。

 

 だから、最後は映画で観てよかった。

 

 やはり岩井俊二は映画監督なのだ。

 器用に小説も書ける映画監督なのだ。

 

 この作品、まずは映画を映画として純粋に楽しむことをおススメする。

 後で小説を読めば、乙坂鏡史郎の内面をじっくりと味わえる。

 また、あえて映画で設定を変えた部分について、脚本化の意図を考えるのもおもしろい。
 

 

 

 映画『ラブレター』(1995 岩井俊二監督 中山美穂 豊川悦司)は二度観たが、私の好きな映画としては五本の指に入る。

 今もラストシーンの記憶が鮮明に残っている。

 

 その続編を思わせる、岩井監督の『ラストレター』(2020)がAmazon Prime Videoの見放題に出ていたので、これは観るしかないと思った。

 
 
 

 これには原作がある。しかし、作者は岩井俊二監督自身である。

 単なるノベライズ本なのか。

 それで原作と言えるのかなと思いつつ、Amazonで注文しておいて、映画を観始めた。

 

 うつ病が高じて自ら命を絶った女性 遠野美咲の葬儀から映画は始まる。

 離婚した美咲が身を寄せていた宮城県の実家に、高校生の娘 鮎美(広瀬すず)が遺された。

 

 美咲の妹 裕里(松たか子)が葬儀を終え、仙台市内の自宅に戻ろうとすると、中学生の娘 颯香(そよか 森七菜)が、しばらくここにいたいという。

 鮎美の“話し相手”として。折しも夏休みである。

   

 裕里は、実家を出る間際、鮎美から美咲あての高校の同窓会(同期会)の通知を預かる。

 その会に出むいた裕里は、姉と間違われてしまう。

 

 真実を言えずにそそくさと会場を後にするが、追いかけてきた同級生 乙坂鏡史郎(福山雅治)に声をかけられ、連絡先を交換する。

 それから裕里は、姉の名前で乙坂に手紙を送ることになる。

 

 乙坂は売れない小説家で、唯一出版し受賞した作品の題名は、『美咲』。

 大学時代の彼女との恋の顛末を描いた小説だった。

 

 高校時代、乙坂と裕里は部活の先輩と後輩の間柄だったが、乙坂は同級生の美咲に恋をしており、美咲あての恋文を何通も書いては、裕里に託していた。

 高校時代の乙坂鏡史郎を演ずるのは神木隆之介だが、美咲は広瀬すず、裕里は森七菜で、二人の娘たちと瓜二つの設定である。

 

 高校時代と現代との交錯、手紙のやりとりというロマンチックな展開は、やはり『ラブレター』を連想させる。

 2時間の映画の半分、約1時間観て一度中断し、小説を読み始めた。     ②へつづく

 

 

  

 

 

 

 映画『小説の神様』(2020)がAmazonPrimeVideoで公開されていたので、例によって“読んでから観よう”と思い、原作の相沢沙呼『小説の神様』(講談社タイガ)を開いた。

 ライトノベルなので、映画の助けを借りず自由にイメージして読み、そのあとで映画を観ればいいと思ったのだ。

小説の神様 (講談社タイガ)

 

 高校2年の千谷一也は、千谷一夜というペンネームを持つ覆面作家だ。

 中学2年のとき、新人賞で「日本刀のような」切れ味を持つ文章の才能を称えられ、デビューを飾った。

 しかし、その後、本を出すごとに売れ行きは落ち、読者レビューでも酷評されて、すっかり自信を無くしている。

 

 そんなとき、編集者に共作の話を持ち掛けられる。

 同じ高校生作家で、ベストセラーを連発し、華々しく活躍している不動詩凪(ふどうしいな)が考えるストーリーを一也が文章にする企画だという。

 しかし、会ってみると、不動詩凪の正体は、同じクラスの転校生小余綾(こゆるぎ)詩凪だった。

 

 ……と、読み進む。 しかし、予想に反して、この小説はかなりしんどかった。

 ストーリー自体は興味深い。この二人がこれからどうしていくのかと先が気になる。

 だが、一也のあまりに自虐的で、全否定的な内面語りとか、それに対して、高飛車すぎる小余綾詩凪の言動など、読むのがだんだん苦痛になっていく。

 歳のせいか、ライトノベルの世界との距離を感じた。

 

 とうとうあきらめて本を閉じ、本棚に戻してしまった。

『キミスイ』を観てから読んだときは、その文章の軽さに少し違和感を感じたが、やがて慣れた。

 しかし、この作品の文章は無理かもしれないと思った。

 

 そして何日かが過ぎた。

 ……が、ふとひらめいた。

 自分は、小説を読むのが苦手な人、もっと楽しく読みたいと思う人のため、『イメージ読書術』を広めているし、映画を観ながら読む方法も伝えている。

「読むのが苦痛」と感じた今こそ、自らそれを試すチャンスではないか。

 

 そう思って、映画を観始めた。

 『小説の神様 ~ 君としか描けない物語』 2020年

 監督:久保茂昭  主演:佐藤大樹 橋本環奈

 

小説の神様 君としか描けない物語

 

 前半、ほぼ原作通りで映画は展開していく。

 小説の中で私が抵抗を感じた主人公の自虐的独白やヒロインの高慢な言動も、あまり気にならない。実写人物たちの行動として、自然に観ることができた。

 

 ただ、この映画、最初はモノクロで始まるが、それが長い。

 どこかでカラーになるだろうと思って観ていくが、なかなかならない。

 ヒロイン小余綾詩凪が共同で書く小説のストーリーを語るシーンから、世界は鮮やかな色彩に染め出される。その映像の変化は鮮烈で印象的だが、そこまでが長い(約20分)。

 これから観る方は、そのつもりでいてほしい。

 

 映画はとても楽しく、そのまま最後まで観たい気持ちになったが、約2時間の映画の半分でいったん観るのをやめた。

 そこまでで、だいたい小説を中断したあたり(文庫本で約120ページ)だった。

 

 そうして、小説の続きを読み始めた。――

 

 物語はさらに紆余曲折の展開を見せていく。

 主人公千谷一也とヒロイン小余綾詩凪の感情の浮き沈み、ぶつかり合いは激しく、共感しにくい点もあるが、最初のような苦痛はなく、自然に物語の流れに乗っていく。

 

 そして、読み終えると、「なかなかいい話じゃないか」という読後感が残る。

 

 実は、私のように小説が好きな人間、小説を書きたいと思っている人間には、とても共感できる世界がそこにはあった。

 途中で投げ出しかけたが、最後まで読んでよかった。正直、そう思った。

 

 その余韻を味わいながら、映画の残りを観た。

 映画の後半も、よくできていた。

 

 脇役の成瀬秋乃(文芸部新入部員)、九ノ里正樹(文芸部部長)にも光を当てる場面を作り、一也と詩凪の物語をより立体的に際立たせいている。

 そして、一進一退の波をくり返しつつ、結末へと進んでいく終盤、セリフ回しだと冗長になりがちなストーリー展開を、声のない人物の映像と音楽でテンポよく見せていく。 

 

 主演の佐藤大樹はEXILEのパフォーマーだが、地味で内省的な高校生作家の雰囲気をうまく出している。

 ヒロイン橋本環奈は、高飛車さの反面、優しく傷つきやすい内面をもつ複雑なキャラクター小余綾詩凪を、ツンデレに堕ちず、深みをもって演じている。豊かな喜怒哀楽の表情がとても魅力的だ。

 

 最後まで観終えて、「なかなかいい映画じゃないか」という感慨が残る。

 

「小説を書く」というきわめて内面的で画になりにくい題材を、みごと興味深く、感動的な物語に仕立て上げた。

 その意味で、小説も映画もよくできていると思う。 

 

 この作品、 やはりまず小説を読み、それから映画を観るのがおススメだ。

 私と違って、この小説の文章タッチに違和感を感じることがないのであれば……。

 

 

 

映画を観ているみたいに小説が読める 超簡単! イメージ読書術

 

 織守きょうや『記憶屋』(角川ホラー文庫)

 

 前回、映画はあと回しにして予告編も観ず、さらで読んだ。

 すると、SFファンタジーとして純粋に楽しみ、結末の感動を味わうことができた。

 

 

記憶屋 (角川ホラー文庫)

 

 映画は、2020年 平川雄一朗監督、出演:山田涼介、佐々木蔵之介、芳根京子ほか。

 さっそく、PrimeVideoで楽しみに観始めた。

 

 

記憶屋 あなたを忘れない DVD通常版

 

 弁護士高原役が佐々木蔵之介なのは、原作よりもだいぶ年齢が上なので、おや、と思いながら観ていく。

 すると、登場人物名は原作を踏襲しているが、細かな設定やストーリー展開は原作とはだいぶ違うのがわかってきた。

 

 このブログシリーズ(観るか読むか)を書くうち、私が心掛けるようになったのは、「原作小説と比較せず、映画は映画自体として楽しむ」ということだ。

 

 そう思って観ていくと、映画独自のテーマも見えてきて、小説とは異なる結末にも、やはり別の意味での「哀しみ」が流れていることに気づいた。

 もしかしたら、原作を読んでいるからこそそう感じたので、映画だけを観たら結末の意味には気づきにくいかもしれない。

 

 この作品、「観てから読む」と、中途半端なネタバレで感動が薄れてしまうので、もったいない。

 小説自体は読んでイメージしやすく、ビジュアル的に特別な設定はないので、予告編や映画のチラ観も必要ない。

 

 やはり「読んでから観る」のがおススメだが、「映画独自の世界を楽しむこと」を忘れないでほしい。