映画を観ているみたいに小説が読める イメージ読書術

映画を観ているみたいに小説が読める イメージ読書術

小説の世界に没入して
“映画を観ているみたいに” リアルなイメージが浮かび
感動が胸に迫り、鮮やかな記憶が残る。
オリジナルの手法「カットイメージ」を紹介します。
小説を読むのが大好きな人、苦手だけど読んでみたい人
どちらにもオススメです。

 佐木隆三の小説『身分帳』(1990 講談社)は、2021年に『すばらしき世界』として映画化され、文庫版も復刊された。

 

 映画『すばらしき世界』 

 監督・脚本:西川美和
 出演:役所広司 仲野太賀 六角精児 橋爪功 

 

すばらしき世界

 

 幼時に母親と生き別れ、少年時代から犯罪をくり返して来た三上正夫(みかみまさお・役所広司)は、殺人で服役した13年の刑期を満了し、旭川刑務所を出所する。

 そして、身元引受人の弁護士(橋爪功)がいる東京で、生活保護を受けながらアパートで独り暮らしを始める。

 短気で曲がったことの嫌いな三上は、些細なことでカッとして大声を出したり、実際にチンピラともめ事を起こしたりもする。

 しかし、二度と刑務所に戻るまいとの思いを胸に、市井の生活に馴染むべく、努力を重ねる。

 

 刺青と刀傷を背中に持つ元極道でありながら、人生をやり直そうと懸命に生きる三上正夫を、役所広司が見事に演じている。 

 

 この映画を30分ほど観て、原作小説を開いた。

 佐木隆三『身分帳』 講談社文庫 2020年復刊版

 

身分帳 (講談社文庫)

 

 

 映画は現代に置き換えられているが、この小説が発表されたのは平成2(1990)年で、主人公 山川一(やまかわはじめ・映画では三上正夫)の旭川刑務所出所は昭和61(1986)年である。

 映画は原作のエピソードや場面を要領よく映像化しており、役所広司のままで自然とイメージして読んでいける。

 

 物語が展開に並行して、刑務所の記録である「身分帳簿」や裁判記録、その他の書類資料が挿入され、ルポルタージュふうの仕立てになっている。

 それがこの小説の特徴であり、リアリティを感じさせる。

 

 すぐ短気を起こす主人公山川の行動にやきもきさせられながら、彼を応援する気持ちで読んでいくと、小説の本編は本の途中で終わってしまう。

 未完ではないのだろうが、ストーリーとしてまだまだ山川の人生は続いていくはずである。

 

 そのあとに載っているのは、70ページほどの「小説『身分帳』補遺」。

 主人公山川のモデルとなった人物田村明義についての後日談である(「田村明義」は山川の母がつけた名前として作中にも出てくる)。

 これを読むと、佐木隆三は田村を取材し小説化した作家であると同時に、彼をバックアップする理解者・支援者の一人であったことがわかる。

 

 佐木隆三については、映画『復讐するは我にあり』を観たことがあり、その作者として名前は知っていた。

 少し調べてみると、彼自身、誤認逮捕で拘置所に入れられた経験から、犯罪者に関心を寄せ、取材を通じてそれを小説化することをライフワークにしていったようである。

 

 NHKアーカイブス あの人に会いたい(佐木隆三)

 最後に紹介される佐木隆三のことば。

「犯罪は人間の闇の部分だが、私にとって闇は何かを学ぶ場であり、何かを教えてくれるものである」。

 

 『身分帳』(講談社文庫 2020年復刊版)をさらにめくっていくと、巻末には、映画を自ら企画・制作した西川美和監督の文章が載っている。

 彼女は、絶版となっていたこの本に出会い、いたく感激した。

 そして、この作品を自ら映画化する決意を秘かに固めたという。

 

 西川監督はこう書く。

「山川が読み手の願い通りにすんなり立ち直ってくれないのと同じ分だけ、世間の方も冷たいばかりではない。けれどそれこそが社会の複雑さであり、生きていくことの難しさと楽しさではないか」。

 これこそ、西川監督が「すばらしき世界」という題名に込めた意味であろう。

 

 小説を読み終えて、映画の残りも最後まで観た。

 確かに、願い通りにすんなりと立ち直ってくれない主人公三上の行動にはハラハラする。

 そして、彼の周囲の人々が見せる冷たさと優しさ。

 

 最後まで観終えて心に残るのは、そのように生きるしかなかった、それでも精一杯生きた一人の男の人生への愛しさ。 

 西川監督が描きたかった「生きていくことの難しさと楽しさ」が、確かに伝わる映画になっていると思う。

 

 

 

 

 小説家五十嵐律人は、現役の弁護士である。

 

 メフィスト賞を受賞したデビュー作『法廷遊戯』は、実際に彼が司法試験に合格し、司法修習生の時期に書かれたという。

 

  この小説は映画され、2023年に公開された。
  監督:深川栄洋   脚本:松田沙也
  出演:永瀬廉 杉咲花 北村匠海

 

 

法廷遊戯

 

 今回も小説を用意しておき、まず映画を観始めた。  

 

 法都大学法科大学院(ロースクール)では、「無辜ゲーム」と呼ばれる模擬裁判が学生たちによって行われていた。 

 公開処刑のように学生たちが取り囲む中心で裁判官を務めるのは、司法試験を目指す学生たちの中でただ一人既に合格を果たしている結城馨(ゆうきかおる・北村匠海)。

 大学内で起きた事件を、結城は法律的知識を振りかざし、権威を持って裁いていく。

 

 彼と同期で司法試験合格を有望視されている久我清義(くがきよよし・永瀬廉)は、過去を暴露する写真つき怪文書を学生たちの間に配布され、名誉棄損で無辜ゲームを要請する。

 少年時代、児童養護施設で暮らしていた清義は、施設長を刃物で刺す傷害事件を起こしていた。

 

 その写真には、目立たないが同級生の織本美鈴(おりもとみれい・杉咲花)も写っていた。

 彼女は清義と同じ養護施設に育ち、二人は特別な絆で結ばれていたのだ。

 

 その美鈴の身辺で、部屋のドアにアイスピックを打ち込まれるなど、脅迫めいた事件が頻発する。

 しかし、真相は不明のまま二人は無事、司法試験に合格し、司法修習も終える。

 

 そんなある日、清義のもとに結城馨から電話があり、「久しぶりに無辜ゲームを開催するから傍聴に来ないか」と誘いがある。

 何気なく出かけて行った清義は、そこで思いがけない光景を目撃する――。

 

 映画を30分ほど観て、小説を読み始めた。

 五十嵐律人 『遊戯法廷』 講談社文庫。

 

法廷遊戯 (講談社文庫)

 

 小説は第1部「無辜ゲーム」と第2部「遊戯法廷」に分かれており、私が観た映画の最初30分は、ちょうど第1部にあたる。

 

 第1部の最後に起きた事件の裁判が、第2部で展開する。

 織本美鈴は殺人事件の被告となり、その弁護を清義が担当する。

 

 しかし、検察側と弁護側が丁々発止の論戦を戦わせる「法廷劇」を予想して読んでいくと、その期待は裏切られる。

 

 アクリル板越しの美鈴と清義の接見場面がくり返される。

 美鈴は無罪を主張しつつ、事件の真相は黙して語らない。

 

 清義自身も真相を知らないのだから、裁判官による検察側との事前調整の場でも、弁護側としての態度は煮え切らない。

 

 接見場面のくり返しといい、黙秘を続ける女性容疑者の謎の態度といい、前に取り上げた『ファーストラブ』を思い出した。

 → 観ながら読んだ 島本理生『ファーストラヴ』

 

 しかし、美鈴には強い意志があった。

 すべては法廷で明らかにする。

 ―― それが美鈴のねらいだったのだ。

 

 だが、美鈴を信じ、真相を明らかにしようとする清義は、やがて自分自身の過去の傷と向き合わざるを得なくなってくる――。

 

 そして、法律の知識を活かした謎解きの果てに、明らかになる真相は……。

 あまりに哀しく、そして切ない。

 いや、真相と思われた謎解きのその奥に、まだ真実が隠れている。

 

 よくできた小説だと満足して読み終え、映画の残りを楽しみに観た。

 

 映画は、現在と過去の入り組んだ謎をわかりやすく解き明かす。

 そして結末には、映像ならではの表現が強烈な印象を残す。

 

 永瀬廉の抑えた演技からにじみ出る清義の覚悟。

 アクリル板に全身でぶつかり、泣き叫ぶ美鈴(杉咲花)の悲痛な姿。

 そして、結城馨の語られない思いがにじむ、フラッシュバック映像のコラージュ。

 

 ただ、小説で描かれていた2,3の脇筋、脇役人物が、映画では割愛されている。

 むろんやむを得ないが、実はそこにこそ、単なる謎解きに終わらない、この小説の深みと魅力もあることだけは言っておこう。

  

 

 

 平野啓一郎原作の映画『ある男』は2022年に公開され、同年の日本アカデミー賞で、最優秀作品賞に輝いた。

 

 監督:石川   慶(優秀監督賞)   

 脚本:向井康介(優秀脚本賞)

 出演:妻夫木聡(主演男優賞) 安藤サクラ(助演女優賞)  

    窪田正孝(助演男優賞) 清野菜名(優秀助演女優賞)

 

ある男

 
 
 

 

 里枝(安藤サクラ)は横浜で結婚し二児をもうけたが、次男を脳腫瘍で亡くしたことから夫と離婚し、長男を連れて故郷宮崎に戻り、実家の文具店を手伝う。

 あるとき店に画材を買いにきた林業作業員の “谷口大祐”(窪田正孝)とことばを交わすようになる。やがて互いのつらい過去を語りあい、心が通じた二人は結婚し、女の子も生まれる。

 

 息子、母親と5人家族での幸せな日々は3年9ヶ月続くが、大祐の伐採作業中の事故死で、あっけなく幕を閉じる。

 

 里枝は、聞いていた大祐の実家に連絡を取るが、訪ねてきた兄は遺影を見て、「これは大祐じゃない」と断言する。

 では、自分が愛した夫は誰だったのか……。

 

 里枝の相談を受けた弁護士城戸(妻夫木聡)は調査を始めるが、なかなか手がかりはつかめない ――。

 

 例によって最初の30分ほど観て映画を中断し、原作小説を読み始める。
 平野啓一郎 『ある男』 文春文庫 2021

 

ある男 (文春文庫 ひ 19-3)

 

「ある男」の正体を探すミステリー仕立てだが、謎を追う弁護士の城戸は、その男の人生に思いを馳せつつ、「自分とは何か」という問いに直面し続ける。

 そして、在日三世という出自、妻とのすれ違いや幼い息子への接し方の戸惑いなど、自身の人生の問題と向き合う城戸の内面が語られていく。

  

 小説の序章で作者は、不思議な人物「城戸さん」と会い、「城戸さんは実際、ある男の人生にのめりこんでいくのだが、私自身は、彼の背中を追っている城戸さんにこそ見るべきものを感じていた」と書く。

 主人公は実は城戸であって、それがこの小説のしかけである。

 

 やがて明らかになってくるのは、別人になることによってしか救われない、重い過去を抱えた男の人生――。

 

 そして、真相を知った後、里枝(とその息子)の心に確かに残るのは、「ある男」の優しさと、共に過ごした幸福な日々の記憶――。

 とても考えさせられると同時に、温かな読後感の残る小説だった。

 

 読み終えて映画の続きを楽しみに観たが、これも素晴らしかった。

 妻夫木聡も、安藤サクラも、窪田正孝も、それぞれの人物の過去と内面をふまえると、場面場面で見せる表情が、実に深い。

 

 小説の魅力だった城戸の内面語りをどう映像化していくのかと思って観たが、やはり小説と映画は手法が違う。

 

 終盤の展開は、原作の場面を取捨選択し、順番を少し入れ換えている。

 それによって城戸の内面を暗示し、強烈な印象とともに「自分とは何か」という問いを余韻として響かせる。

 ――場面構成の見事なマジックを見せられた気がした。

 

 この小説と映画、どちらも、人生について深く考えさせられ、感じさせられる作品に仕上がっている。

 しかし、ミステリー仕立てであることも、この物語の魅力として欠かせない。

 

 だから、どちらも一気に最後まで観ず(読まず)、真相はどうなのだろうとの興味を持続させたまま、物語の展開に沿って場面場面を味わって行けるとよい。

 けっきょくそれが、私流「観ながら読む」の醍醐味なのかと、この作品はあらためて感じさせてくれた。

 

 

映画を観ているみたいに小説が読める 超簡単! イメージ読書術

 

 大リーグのスーパースター大谷翔平が、単なる通訳を越えて全幅の信頼を寄せていた水原一平。その男が大谷の預金6億円を使い込んだとされる報道をきっかけに、「ギャンブル依存症」が世間の注目を集めている。

 

 折しも今回取り上げる映画/小説には、ギャンブル依存の心理がリアルに描かれている。

 

 映画『凪待ち』は2019年公開

 監督;白石和彌  

 脚本;加藤正人

 主演;香取慎吾 

凪待ち

 

 映画を観る前に、脚本家自身によるノベライズ本を見つけたので、まずこれを読んでみることにする。

 加藤正人『凪待ち』光文社文庫                 

凪待ち (光文社文庫 か 66-1)

 

 競輪にふけり、酒におぼれ暮らす郁男は、美容師の亜弓と同棲して6年になる。

 亜弓の娘美波は高校を欠席し、自宅に引きこもっている。

 そんな美波とゲームに興じる郁男は、彼女の唯一の理解者である。

 

 そんな生活を打開したいと、亜弓は郁男と美波を連れて、石巻の実家に転居する。

 実家には、末期がんを患う漁師の父がいた。

 母は震災の津波で亡くなり、そのことで父は生きる気力をなくしていた。

 

 亜弓は人から譲り受けた美容院をリニューアルし、一人で働き始める。

 郁男は印刷の資格を生かせる会社に就職でき、認められて真面目に働く。

 亜弓に言われて競輪と深酒をやめ、次第に健康な生活を取り戻す。

 美波は転校した定時制高校で幼なじみと再会し、毎日通うようになる。

 すべてがいい方向に回り始めると見えたが……。

 

 小説では、まさにギャンブル依存の怖さがリアルに描かれる。

 主人公郁男はいったん競輪を絶つと決めて平和な生活を手にしたはずなのに、ふとした弾みでまた手を出してしまう。

 そして、何度か立ち直るチャンスが巡ってきても、みすみすそれをふいにし、抜け出せない深みにはまっていく。

 

 読み進み、物語のイメージに没入していくと、読者である自分自身、郁男に何度も裏切られ、やりきれない思いを味わう。

 それでいて郁男の運命から目が離せない。

 

 そのまま結末まで一気に読み進めたいと思ったが、ふと、エンディングまで読んでしまうと映画の楽しみが減るぞ、と感じた。

 脚本家自身のノベライズなので、結末はおそらく同じはずだ。

 

 そこで、思い切って読むのをやめた。

 残り40ページほど残して本を閉じ、映画を観始めた。 

 香取慎吾が郁男を好演している。

 

 しかしやはり、主人公の言動を外から見るばかりで、小説ほどは感情移入できないと感じる。

 どん底へと滑り落ちていく主人公に思い入れし、やきもきするあの感情体験は、やはり小説ならではである。 

 小説の残りは、映画を観終えてから読んだが、事件の真相などの伏線回収や人々の心情も、小説の方がわかりやすい。

 

 脚本家はシナリオを書いてそれを監督や俳優に委ねる。

 当然ながら映画は協働成果物であり、脚本家の意図がすべて表現されているとは限らない。

 小説なら自分の意図をすべて書き込めるので、作者の小林正人氏には、願ってもない機会だったのではないか。

 

 映画ももちろんよくできているが、この作品、小説だけでも十分に読みごたえがあると思う。

 

 

 映画『キネマの神様』は、2021年公開。

 

 監督;山田洋次  脚本; 山田洋次 朝原雄三
 出演; 沢田研二 菅田将暉 永野芽郁 北川景子 寺島しのぶ 宮本信子 ……

 

キネマの神様

 

 当初、志村けん主演で撮影を進めていたが、ご承知の通り志村は新型コロナに感染して亡くなった。

 急きょ、沢田研二を主演に据えて撮影を再開したが、緊急事態宣言などに阻まれて製作は難航。2021年ようやく完成して公開に漕ぎつけた、松竹映画100周年記念作品である。

 

 一方、原作は、原田マハ『キネマの神様』 文春文庫 2011年。

 

キネマの神様 (文春文庫)

 

 例によって映画を30分ほど観てから小説をしばらく読み、また映画を少し観てから、小説に戻って最後まで読んだ。

 そのあとで、映画の残りを全部観た。

 

 80代の高齢になっても競馬や賭け麻雀に溺れ、借金を作っては懲りない父(沢田研二)。

 父母に穏やかな老後をと願う娘(寺島しのぶ)は、母(宮本信子)を説得して借金の肩代わりをやめ、父をギャンブル依存から立ち直らせる計画を立てる。

 その父がギャンブル以外に打ち込める唯一のものは、映画だった――。

 

 物語の発端は共通点が多いが、途中からかなり異なる展開になっていく。

 

 映画では、撮影所を舞台にした若き日の父と母の秘めたる物語、ロマンティックで一途な純愛ストーリーが展開する。  

 実はそれこそ、山田洋次監督が想像力を発揮して創造した世界なのだ。

 

 原田マハの原作では、インターネットの「ブログ」を通じた「映画愛」の広がりが、父親の身に奇跡を起こす。 

 文庫は2011年刊だが、雑誌連載、単行本は2008年で、その時代を背景にしている。

 

 インターネットにつなぐのはパソコンが主流だった当時、アクセス数を競うのは「ブログ」だったのだ!

 スマホが普及し、投稿動画が人気を集める今では、ここに描かれた「ブログでヒット!」の世界は、妙に古臭く見える。

 

 皮肉なことに、時代の最先端をいくメディアを取り入れた小説『キネマの神様』が、古びてしまうのは早い。

 その一方で、映画人たちの古きよき時代を描いた映画『キネマの神様』は、観る者の心にノスタルジーを呼び起こし、いつまでも色あせない。

 

 だから、今回、「観てから読む」のはおススメしない。

 この組合せは、断然、「読んでから観る」べきだ。

 

 原田マハが創造した映画愛の奇跡の物語は、それを単体として純粋に楽しむ。

 

 そして映画では、山田洋次が思い描いた古きよき映画づくりの世界を堪能する。

 それは文句なく感動できる、素敵な物語である。

 東野圭吾のガリレオシリーズは好きで、テレビドラマ(第1シリーズ)も見ていたし、前2作の映画、『容疑者Xの献身』と『真夏の方程式』も観た。

 しかし、小説で読んだのは『聖女の救済』くらいか。

 映画を観た2作も、原作は読んでいない。

 

 東野圭吾の小説を読んだのは15冊ほどだが、多くの場合、善良な人々が犯罪に手を染めてしまう哀しさが、謎解きの末に待っている。

 その切なさを味わうのが好きだ。

 

 今回、AmazonPrimeVideoで、ガリレオシリーズの最新作『沈黙のパレード』が見放題になっていたので、いよいよ「観ながら読む」でガリレオの世界を楽しめるとワクワクした。

 さっそく原作を取り寄せておいて、映画を観始めた。

 

 2022年公開  監督;西谷弘、脚本;福田靖

 出演は言うまでもなく、福山雅治、柴咲コウ、北村一輝 ……

 

沈黙のパレード

 

 年に一度の仮装パレードが有名な東京都下の菊野市(架空)。

 家族経営の食堂「なみきや」は地域の人々に愛され、常連客が集う。

 なみきやの上の娘並木佐織は、歌の才能を見出され、皆に応援されて、歌手デビューにむけレッスンに励んでいた。

 

 しかし、バラ色の将来を夢見ていたはずの佐織は、ある日突然失踪し、3年後に静岡県の火事現場から焼死体で見つかる。

 容疑者として逮捕された蓮沼寛一は、15年前にも幼女誘拐殺害の容疑で起訴されたが、終始黙秘を貫いて無罪となった男である。

 当時の担当として無念の涙を吞んだ草薙刑事(北村一輝)は、今度こそはと内海刑事(柴咲コウ)とともに状況証拠を固めるが、今回も蓮沼は黙秘を貫き、起訴見送りとなる……。

 

 そのころ、菊野市の研究施設に通う物理学者の湯川教授(福山雅治)は、なみきやでしばしば食事をし、地域の人々と触れ合う。

 そしてパレードの日、湯川はなみきやの下の娘に誘われて見物を楽しむが、実はその時間帯に、蓮沼寛一は何者かによって殺害されていた――。

 

 なみきやの家族をはじめ、彼らを愛する地域の人々の多くに、殺害の動機がある。

 湯川は、彼らのためにこそ、事件の謎を解こうとするが――。

 

 映画を30分ほど観て、原作を読み始めた。

 東野圭吾『沈黙のパレード』(文春文庫)。

 

沈黙のパレード (文春文庫 ひ 13-13)

 

  映画化で上掛けしたカバーは、同じ写真でつまらない。

  そのカバーを外したら出てきたオリジナルの表紙はこちら。

沈黙のパレード

 

  ぱっと見にはよくわからないが、シュールなイラストで、じっくり見るとおもしろい。

 「仮装パレード」のオマージュであろう。

 

 さて、小説は480ページで読み応えがあるが、福山雅治はじめ映画のままのイメージで、どんどん物語の世界に入っていける。

 途中、また映画に戻って30分ほど半分近くまで観たので、パレードの場面などリアルな映像をチャージして、さらに読み進めることができた。

 

 タイトルの「パレード」は、菊野市の仮装パレードを意味しているが、パレード自体はにぎやかで楽しい。映画では見どころのひとつだ。

 

 「沈黙」の意味は、物語が進むにつれていろいろな場面で、いろいろな人物の「沈黙」として多面的に見えてくる。

 まさに「沈黙のオンパレード」。

 

 この事件の真相は、湯川の言うように「複雑なパズル」だ。

 構成するピースが多すぎて、それが何重にも交錯している。

 一度見えたと思った真相の奥に、まだまだ謎が隠れている。

 

 湯川はその謎を科学者の眼で推理し、内海と草薙の協力を得て検証していく。

 そして見えてくる真相は……。

 

 しかし、湯川の行動は、自分を温かく迎え入れてくれた地域の人々への感謝に満ちて、限りなく優しい。

 今回もまた、悪意なき人々の犯す罪が、哀しくも切ないのだ。

 

 小説を満足して読み終え、映画の残り半分も実写の迫力を堪能することができた。

 映画のできばえも見事である。

 

 ただ、複雑なパズルの謎解きを楽しみ、その先に見えてくる感動を味わうには、やはり映画を途中まで観てイメージの材料をインプットしてから、原作を読むのをおススメしたい。

 

 

 ビジネスマン経験のない私は、池井戸潤の小説はあまり読まない。

 ドラマもほとんど観たことがないが、前々回、『アキラとあきら』を “観ながら読み”して、いいなと思った。

 そこで今回は、池井戸潤『七つの会議』(集英社文庫)を、“観ながら読む”ことにした 。

 

七つの会議 (集英社文庫)

 

 こちらは同じ文庫の映画化バージョンの表紙。

 野村萬斎は映画『陰陽師』以来好きだが、歳をとってさらにいい味が出てきたと思う。

 

七つの会議 (集英社文庫)

 

  映画は2019年公開

  監督:福澤克雄      脚本:丑尾健太郎 李正美

  出演:野村萬斎 香川照之 及川光博 朝倉あき ……

 

     ジャケットの顔写真を見ただけでも、豪華キャストである。

  この他、友情出演?で、土屋太鳳や役所広司までちらりと顔を出している。

 

七つの会議

 

 映画も小説も、冒頭は中堅機器メーカー東京建電の営業会議のシーンから始まる。

 営業1課と2課の社員全員が緊張する中、営業部長の北川(香川照之)は、激しい形相で檄を飛ばす。

 月間のノルマを達成できず、北川から厳しく叱咤される営業2課長原島(及川光博)。

 対照的に、営業1課長坂戸(片岡愛之助)は、期待以上の成果を称賛される。

 

 そうして会議は終わるが、営業1課の席に、なぜか居眠りをしている男が一人……。

 北川部長と同期だが、出世コースを外れた万年係長、八角民夫(やすみたみお 野村萬斎)である。

 

 最低限の仕事しかせず、好き放題にふるまう八角への怒りを腹に据えかねて、あるとき課長の坂戸は、彼を激しく叱責する。というより罵倒する。

 すると八角はそれをパワハラだとして倫理委員会に告発し、坂戸は課長を解任されて閑職に追いやられる――。

 誰も予想していなかった厳しい処罰に、社内では戸惑いが広がるが……。

 

 映画の初めを30分ほど観て、文庫本を読み始めた。

 小説は8つの連作短編の形をとりながら、やがてそれらのピースがつながって東京建電という中堅企業(大企業ソニック〈映画ではゼノックス〉の子会社)における大事件が見えてくる。

 オムニバス形式で短編ごとに主役が代わり、東京建電という会社を、それぞれの視点から浮き彫りにしていく。

 

 たとえば、自分の仕事の意味に悩んで退職を決めた浜本優衣(朝倉あき)は、せめて最後に誰かの役に立ちたいと、残業社員のための「ドーナツ無人販売コーナー」の企画を提案し、試行を認められる。しかし、何者かの無銭飲食が絶えず、頭を悩ます――。

 

 実は彼女の存在が、組織の論理に翻弄される男たちの物語を、程よい距離で客観的に眺める視点を与えてくれる。

 映画の中でも、ギラギラした男たちのドラマの中で、唯一共感しやすく、ホッとさせてくれるキャラクターである。

 

 各短編の主人公以外にも、北川や坂戸など主要登場人物は、その生い立ちや入社のきっかけから今の地位に至るそれぞれの人生や思いが、丁寧に描かれている。

 しかし、それぞれの思いをもって懸命に仕事をしている彼らが、やがて大きな組織の渦の中に巻き込まれていく。

 

 その中で八角(通称ハッカク)は、一人出世競争から外れて、飄々と万年係長の座に安住しているように見える。

 しかし実はそれは、「組織の論理」に早くから絶望した彼が選んだ、ギリギリの生き方だったのだ。

 

 だから彼には、どうしても譲れない一線があった。

 そして、顧客や社員をないがしろにして顧みない「組織の論理」に、敢然と立ち向かう道を選ぶ――。

 

 組織の中で将棋の駒のように生きざるを得ない大半の人々にとって、流れに掉さす八角の生き方は、“あり得ない” が、“あり得てもいい” と心のどこかで羨望する会社員の姿なのではないか。

 

 小説を読みながら一度、映画の続きを30分ほど観たが、そのあとは小説に戻って最後まで読み終えた。

 それから、映画の残りを観た。

 

 連作短編のそれぞれの視点から描かれていた物語を、映画ではひとつのストーリーとしてうまくまとめている。

 

 小説の終盤、会社の危機の中で組織の防衛と自らの保身のために動く経営層の動きが、リアルに描かれる。

 ビジネスの世界を知る人なら、これは “さもありなん”とうなづく展開なのだろうか。

 映画では単純化されているが、その分テンポがよくコミカルさもあって、結末は楽しめる。

 

 しかし、最後に八角の語ることばが、日本の会社組織の体質的な闇を的確に言い当て、問題提起で終わっている。これは小説にはない趣向である。

 

 連作短編形式の小説は読みやすく、おススメだ。

 また、それをひとつの物語にまとめた映画の脚本もよくできていて、終始、飽きさせない。

 

 だがこの物語、ビジネスの世界にいる皆さんには、どう見えるのだろうか。

 

 

映画を観ているみたいに小説が読める 超簡単! イメージ読書術

 

 

 佐藤正午『鳩の撃退法』 小学館文庫(上・下)。

 上下巻で文庫本約1100ページある。

 これを今回も “観ながら読む”で攻略する。  

 

鳩の撃退法 上 (小学館文庫)

 

 映画は、2021年公開。

 監督;タカハタ秀太  脚本;藤井清美 タカハタ秀太

 出演;藤原竜也 土屋太鳳 風間俊介 

 

鳩の撃退法

 

 まず映画を30分ほど観て、それから小説を読み始めた。

 

 かつて直木賞作家として名を上げた津田伸一(藤原竜也)は、なぜか落ちぶれ、北陸のある街でデリヘル嬢の送迎ドライバーをしている。

 

 この街で起きる、若い夫婦と幼い娘一家三人の蒸発事件。そして偽札の発見。

 その陰に見え隠れする、“本通り裏”の人物の存在。

 

 津田はそれらの事件の目撃者であり、関与者でありつつ、小説家としてその物語を書き綴る。

 事件が起きたその夜と、1年余後に小説を書き始める「今」、そして東京の片隅でバーテンダーをしつつ編集者鳥飼なほみ(土屋太鳳)に原稿を売りつける「今」とが、交互に展開していく――。

 

 ……と、ふり返って書いてみたが、映画を30分観ただけでは、物語の発端となったエピソードの断片が流れていくが、ストーリーはうまくつかめない。

 とりあえず映画を中断して、原作小説を手に取った。

 

 すると、これがまた独特の回りくどい文章。

 簡潔に事実だけを描写すれば数行で済むものを、あれこれ無駄話のような語りが入りつつ、1ページに膨らんでしまう、そんなタッチである。

 だからページ数を費やしても、物語は同じところを堂々めぐりしながら、少しずつしか進まない。

 

 これが文庫本上下巻1100ページの正体だったか……

 と思いつつも、この癖の強い文体になぜかハマっていく自分がいる。

 これは不思議な感覚だった。

 

 とはいえ、通勤電車だけの読書時間では、やはり読み終えるまで日がかかる。

 そこでときどきジムで走りながらの iPadで、映画を2~30分、読んだところまで観る。

 まさに “観ながら読む” で、上下巻を読み終えた。

 

 …… 確かにおもしろい。

 最後の方は過去の場面を新たな視点から語り直していくので、伏線がつながる予感がムズムズとしてきた。そこで、上下巻を持ち歩いて前の方を読み返し、事実関係を再確認しながらワクワクと読み進めた。

 すると、思った通りではなかったが、それだけテキストを読み込んでも逆にわかりきらないもどかしさが、強烈な余韻として残った。

 

 事件の真相らしきものは津田の小説として語られるが、それが真相かどうかはわからない。

 1100ページでさんざんことばを費やしても、逆に語られない謎がある。

 そこを読者の想像で埋めさせていくしかけになっているのだ。

 

 こんな小説、読んだことない!

 

 映画の残り30分余りもそのあとに観終えたが、やはりおもしろかった。

 原作小説の不思議なテイストを映像化することに成功していると思う。

 

 ……と言いたいところだが、今回ばかりは小説と映画を少しずつ交互に読み進めたので、頭の中で小説の世界と映画の世界が癒着したように一体化しており、分離できない。

 だから、映画だけを客観的に評価することは不可能だ。

 

 なんとも不思議な物語体験になってしまった。

 しかし、その体験自体がおもしろく、佐藤正午が構築した物語世界を存分に楽しむことができたと思う。

 

 これもAmazonPrimeVideoで、いつでも映画を観られるおかげだ。

 この “チャンポン読み”、よろしかったらお試しあれ。

 

 

 

  池井戸潤の小説『アキラとあきら』。

  今回も映画を途中まで観てから、小説を読むことにする。

  映画は2022年公開 監督;三木孝浩 脚本;池田奈津子 主演;竹内涼真 横浜流星

 

アキラとあきら

 

 山崎瑛(あきら・竹内涼真)は少年期に父親が経営する町工場の倒産を経験し、父を見捨てた銀行を嫌悪して育つ。

 しかし、高校時代、父の勤める会社の経営改善のために親身になり自分の進学の道も応援してくれた誠実な銀行員と出会い、進むべき道を見つける。

 

 一方、大手海運会社東海郵船社長の長男に生まれた階堂彬(あきら・横浜流星)は、父の後継ぎとして期待されていたが、同族経営の会社を継ぐことを嫌い、一般企業への就職を目指す。

 

 同じ響きの名前を持ちながら、対照的な境遇に育った二人は、ともに東大経済学部を卒業し、同じ産業中央銀行に同期で入社する。

 二人がライバルとして闘う物語か、と想像するのが自然だが、必ずしもそうではない。

 

 確かに産業中央銀行の新入社員研修会のチーム対抗で最優秀の二人が対決する場面は、映画の最初の見どころだが、以後、彼らが競ったり火花を散らしたりする場面はない。

 二人は同窓で同期入社でありながら親密な様子もないが、互いに優秀さを認めてリスペクトしつつ、それぞれの信ずる道を歩んでいるように見える。


 山崎瑛が担当する町工場の倒産が確実になると、融資本部長(江口洋介)は社長が娘の手術代として貯めていた預金まで差しさえようとする。瑛は上司の裏をかく行動に出てその預金を守り、地方支店に左遷される。

 

 一方、階堂彬は本社で順調にキャリアを重ねていくが、父が病に倒れると、社長を継いだ弟龍馬は、系列会社社長である叔父たちの口車に乗せられて、赤字の大型リゾート施設への高額融資に連帯保証をしてしまう。

 

 ……と、2時間余の映画の前半1時間ほどを観て、いったん中断した。

 そして、原作小説の文庫版を手にした。

 

アキラとあきら (徳間文庫)

 

 池井戸潤『アキラとあきら』 徳間文庫 2017。 

 しかしこの本、厚みは2.5㎝、約700ページ。まさに圧巻の長編小説である。

 

 読み始めると、二人の生き方を決めたそれぞれの少年期のエピソードとその心の襞が、丁寧に描かれている。

 とくに、債権者に追われる父と離れて母親の実家に身を寄せる瑛少年の不安な気持ちや家族に寄せる思いが切ない。

 

 一方、彬は幼いころから先代社長である祖父のそばで経営者たちの姿を見て育つが、祖父の死に伴い、父と叔父たちの血縁ゆえの確執を目の当たりにする。

 

 これらの記憶が、第一線のバンカーとなった二人の運命に大きな意味をもってくる。

 読んでいる私たちも、これらのエピソードの積み重ねがあればこそ、瑛と彬に共感できる。そして、その後大きく展開していくドラマの中に、彼らの人間的成長を実感して心動かされる。

 

 会社経営や銀行融資に詳しくない私でもわかりやすいスリリングな展開で、見事な解決にカタルシスと感動を味わい、結末シーンの余韻に浸ることができた。

 読み終えてみれば、700ページは決して長くない。

 そして、映画の後半を楽しみに観た。

 

 映画の後半、1時間余の展開は実に見事だった。

 原作と同じ東海郵船グループの経営危機をめぐる、手に汗握るストーリーが、テンポよく展開する。

 小説ではよくも悪くもさめた距離感にいる瑛と彬だが、映画では互いに強い口調で相手の価値観に踏み込む場面も出てくる。

 

 また、クライマックスの解決策は同じだが、小説よりもさらにもう一段、立ちふさがる壁。

 そして、原作とはまた違うラストシーン。

 二人の宿命の糸が時間を超えて交わる瞬間、並び立つ瑛と彬の姿は、あまりにかっこよすぎる。

 

 原作小説は人物の心情的なリアリティで読み応え十分だが、映画はわずか2時間でスリリングなビジネスドラマの中に感動的なヒューマンドラマを味わえる。

 映画を観て気に入ったら、ぜひ原作小説で細部のリアリティと心情描写を楽しむことをおススメしたい。

 

 

 『罪の声』を読んで(観ながら読んだ 塩田武士『罪の声』)、私がその実力を買っている作家塩田武士が、主人公に俳優大泉洋を“あて書き”したという小説『騙し絵の牙』(2019 角川文庫)。 

 表紙はもちろんだが、各章の扉絵に大泉洋の写真が使われ、文庫解説も大泉洋である。

 

 映画は2021年公開、吉田大八監督。

 主演はもちろん大泉洋、他キャストは松岡美優、宮沢氷魚、池田イライザ、佐藤浩市、木村佳乃、國村隼など。

 

騙し絵の牙

 

 例によって“観ながら読む”つもりで、文庫本を用意しておき、まず映画を観始めた。

 文芸誌『小説薫風』で名高い薫風社を舞台に、創業社長の突然の死によって起こる、経営層の主導権争い。

 その中で新社長は経営を優先し、『小説薫風』を月刊から季刊に格下げする。

 

 『小説薫風』の若手編集者高野恵(松岡美優)は、季刊化に伴う人事で編集から外されかけるが、カルチャー誌『トリニティ』の編集長速水輝也(大泉洋)に、小説編集への情熱を買われて引き抜かれる。

 速水と高野は、雑誌の目玉となる連載小説の企画を考え、その実現のためにそれぞれに奔走する。

 

 彼らの企画がそろそろ見えてきたころ、映画をいったん中断した。

 1時間50分の映画の前半、50分ほどのところである。

 予定通り、ここから文庫本を開いて読み始めた。

 

騙し絵の牙 (角川文庫)

 

 しかし読んでいくと、速水や高野など人物名は同じだが、内容はかなり違っているので驚く。

 

 薫風社内の権力闘争というより、経営層から『トリニティ』の廃刊をチラつかされた編集長の速水が、社内外の人間関係の中で四苦八苦する様子が、リアルに描かれている。

 映画では硬軟の手を使い分けて対等に渡り合っていた大御所作家二階堂大作に対しても、速水は常に顔色を伺い、いかにご機嫌をとって案を通すかに腐心する。

 その努力は涙ぐましく、痛々しくさえある。

 そこには、出版不況の深刻さが赤裸々に浮き彫りにされている。

 

 しかし、そうした中でも速水は「いい小説を出したい」という信念を捨てず、状況を読み、頭をフル回転させて、当意即妙の手を繰り出す。

 そうして人の心を動かし、自分の信ずる道を実現していく。

 そんな速水のイメージに、大泉洋はピッタリである。 

 また、その部下である有能な編集者高野恵も、映画通り松岡美優のイメージで読んでいける。

 

 ……と思っていると、映画ではあり得ない速水と恵のベッドシーンが展開する。

 大泉洋と松岡美優でイメージしていて読んでいたので、ドギマギしてしまった。

 松岡美優ファンは、ご注意あれ。

 

 それにしても塩田武士は力のある作家だと、あらためて感じた。

 デジタルの普及、急速な書籍離れの中で起きている出版業界の実情を丁寧に取材し、書き込んでいる。

 そして、そこに情熱をもって働いてきた人々の苦闘を、リアルに描き出す。

 

 また、『騙し絵の牙』というタイトルに込められた意外な展開も見ものである。

 思い込んでいたストーリー、人物像が、あるとき騙し絵のように反転する。

 地と図が入れ代わって、新たな絵が見える。

 と同時に、人物への理解が奥行きを見せ、深みを増す――。

 見事と言うほかはない。 

 ひじょうに満足して、原作を読み終えた

 

 そして、映画の残り後半を楽しみに観た。すると……、

 やはり小説とはまったく違う。

 しかも、前半で仕込んでおいたネタが次々と炸裂し、息もつかせぬ展開になる。

 一瞬の逆転劇が何度も続き、誰が勝者かは最後までわからない。

 

 飽きさせない映画という意味では、よくできた脚本だ。

 もちろん作り話の世界ではあるが、斜陽の一途をたどるように見える出版界でも、大胆な発想を持てばこれだけのことができる。そういう意味でもおもしろい。

 

 『騙し絵の牙』という小説と映画、これは全く別の物語として、それぞれに楽しめばよい。

 いずれも、それぞれのメディアの長所をよく活かした作品に仕上がっている。

 読んで、観て、損はない。

 

 ただ、大泉洋というキャラクターは、本人が演じた映画よりも、“あて書き”された小説の方が似合っている。

 そう感じるのは、やはり私たちのイマジネーションの力であるし、小説家塩田武士の筆の勝利であろう。