映画を観ているみたいに小説が読める イメージ読書術

映画を観ているみたいに小説が読める イメージ読書術

小説の世界に没入して
“映画を観ているみたいに” リアルなイメージが浮かび
感動が胸に迫り、鮮やかな記憶が残る。
オリジナルの手法「カットイメージ」を紹介します。
小説を読むのが大好きな人、苦手だけど読んでみたい人
どちらにもオススメです。

 永井紗耶子氏の小説『木挽町のあだ討ち』は、2023年に直木三十五賞と山本周五郎賞をダブル受賞した。

 江戸の芝居小屋でたくましく生きる人々が、武家社会の愚かな因習の裏をかく、痛快で心温まる物語。

 

 今回も、この作品を「観ながら読」んでみた。

 

 映画は2026年2月公開。

 監督・脚本:源孝志

 出演 : 柄本佑 長尾謙杜 瀬戸康史 滝藤賢一 北村一輝 渡辺謙 高橋和也 正名僕蔵 イモトアヤコ

 

木挽き町のあだ討ち

 

 ある晩、木挽町の芝居小屋森田座の裏手で、芝居見物を終えた大勢の客たちが見守るなか、白装束の若武者菊之助が、親の仇である作兵衛と死闘ののち、みごと仇討ちを果たした。

 

 その話がもはや語り草となっていたころ、故郷に錦を飾って家督を継いだ菊之助の許嫁の兄と名乗る武士、加瀬総一郎(柄本佑)が森田座に現れる。 

 

 総一郎は森田座の木戸芸者一八(瀬戸康史)に近づき、「木挽町の仇討ち」について詳しい話を聞きたがる。

 どうも仇討ちについて疑念を抱き、調べようとしているようだ。

 

 そこまでで約30分。

 いったん映画を中断して、原作を読み始めた。

 

木挽町のあだ討ち(新潮文庫)

 

 小説の各章は、加瀬総一郎が話を聞いて回った木戸芸者一八のほか、殺陣師の相良与三郎、衣裳部屋の女形ほたる、小道具職人の久蔵とその妻、そして芝居書きの篠田金治らの「語り」でできている。

 

 そこで小説を読みつつ、ところどころ前後して映画の続きも少しずつつまみ食いで観ていった。

 次々と代わる語り手たちのイメージを、頭に入れるためでもある。

 

 映画では、殺陣師の相良与三郎を滝藤賢一、衣裳部屋の女形ほたるを高橋和也、小道具職人の久蔵とその妻を正名僕蔵とイモトアヤコ、そして、黒幕とおぼしき篠田金治を渡辺謙が演じている。

 

 小説では、語り手それぞれの身の上話が詳しく語られるのだが、映画では大幅に省略されている。 

 その一方、原作の「語り」から読者の頭の中に浮かび上がるストーリーを、この映画は実際の場面として観せていく。

 

 その脚本の巧みさが際立っている。

 脚本から手掛けた源孝志監督は、只者ではない。

 

 映画を観ながら小説を読み終え、そのあとで映画も最後まで観たが、どちらも120%以上、満足できた。

 

 

 

 この作品は、映画を観てから小説を読む。

 それが断然おススメだ。

 

 そうすれば、まず映画で巧みなストーリーを謎解きのスリルとともに堪能し、結末の感動を味わうことができる。

 そのあとで小説を読めば、映画で親しみを覚えた各登場人物たちについて、それぞれの人生の悲喜こもごもを、まるでスピンオフドラマのように読む楽しみがある。

 

 だが可能なら、次に示す私流「観ながら読む」方法をやってみてほしい。

 

 まず2時間の映画の半分弱、55分まで観る。

 総一郎が小道具職人久蔵夫婦の話を聞き終わったあたりである。

 

 総一郎がいよいよ黒幕らしき戯作者篠田金治に会いに行く直前。

 登場人物は出そろい謎が深まったこの時点で、映画のイメージを頭において小説を読み始める。

 

 ここまでのストーリーの理解と、芝居小屋の背景や人物の映像イメージを脳内に仕込んでおけば、「語り」の小説を読み慣れていない人でも、その世界にスッと入っていけるはず。

 

 そして小説を最後まで堪能したら、再び映画に戻って後半を観る。

 すると、小説で結末がわかっていればこそ、映画で工夫された展開のひねりや、画になる感動的な結末をいっそう楽しむことができるだろう。

 

 映画を観ながら小説を読む。

 まさにそうする価値のある小説であり、映画であると思う。

 

 

 

 2026年7月にテレビ朝日系で放送が始まったドラマ『名探偵のままでいて』。

 原作は、小西マサテル『名探偵のままでいて』と、それに続く『名探偵じゃなくても』、『名探偵にさよならを』の三部作(宝島文庫)である。

 

 今回は、放送中のドラマを観ながら原作を読んで行くことにした。

 毎週ドラマを観て、通勤電車で原作を開き、ドラマを追い越さないように読む。

 すると、ドラマは原作をほぼ忠実に映像化していて、一話完結型のミステリーとしてなかなかおもしろい。

 

 先週放送された第4回まで観て、そこまでのストーリーを後追いで読んだら、ちょうど1冊目の『名探偵のままでいて』を読み終えた。

 

 名探偵のままでいて

 

 小学校教師の楓(吉川愛)は、一人暮らしをする祖父(奥田瑛二)を定期的に訪ねる。

 祖父は楓も卒業した地元の小学校の元校長であり、いつも学校中の窓を拭き「窓ふき先生」と呼ばれていた。

 実はその間に児童たちの様子を見たり、ことばを交わしたりして全員の名前を覚え、性格もつかむ。

 そうして、卒業式ではひとり一人にふさわしい本を選んでプレゼントするという、子ども思いの伝説的校長であった。

 

 そんな祖父が今は認知症を患い、訪問ヘルパーや訪問リハビリなどのケアを受けながら一人で暮らしている。

 祖父の病は“ルビー小体型認知症”であり、そこにあるはずのないものがありありと見える「幻視」を特徴とする。

 

 ところで、楓の小学校の同僚岩田(髙松アロハ)は体育系のノリのいい性格で、折にふれて楓にアプローチするが、いつもかわされてしまう。

 岩田が高校時代、野球部でバッテリーを組んでいた親友の四季(綱啓永)は、劇団員をしているという変わり者で、伝統的なミステリー小説を愛読する楓にいつも皮肉な議論を仕掛けてくる。

 しかし四季は、実は伝統的ミステリーの数々を読破しており、楓のことも憎からず思っているのがわかる。

 

 そんな楓の周囲で次々と起こる事件の謎をめぐって、岩田と四季が知恵を絞るが、けっきょくは祖父の力に頼ることとなる。

 祖父は楓の話を聞いてひとしきり思案した後、楓に香を焚かせる。

 その香りを嗅ぐと、祖父の脳裏には、事件の真相がありありとした物語の画として見えてくる。

 

 それは“ルビー小体型認知症”による「幻視」のようでもあるが、その物語には論理的に破綻のない「推理」の裏づけがある。

 ――

 

 

 ドラマでは、祖父役の奥田瑛二が見せる認知症とは思えぬ理知的な眼差しが、実にカッコいい。

 楓役の吉川愛は、予告編を観たときに「あんまり可愛くないな」と思ったが、いざドラマを観ていくと、黒目勝ちの瞳の表情が豊かで、とても魅力的だ。

 

 原作の小説は謎と推理のプロセスが緻密でいろいろな仕掛けがあり、本格ミステリーの醍醐味を味わえる。

 また、殺人事件こそあれ人への優しさがそこここに感じられる物語で、とても読後感がいい。

  

 ドラマはそれを要領よくまとめてあるので、謎解きをしながら観ていくのが楽しい。

 現在、放送中のドラマは、まだまだこれからが佳境と思われる。

 興味がある方はぜひご覧あれ。

  

 

 

 

 染井為人『悪い夏』は、2025年に映画化された。

 

 映画『悪い夏』ポスター

 

監督:城定秀夫  脚本:向井康介

出演:北村匠海 河合優実 伊藤万理華 毎熊克哉 箭内夢菜 竹原ピストル 木南晴夏 窪田正孝

 

 今回も原作を用意しておき、映画の最初を観てみた。

 

 千葉県船岡市(架空)の職員でケースワーカーの佐々木守(北村匠海)は、真夏の炎天下、生活保護の世帯を1軒ずつ定期訪問していく。

 腰痛で働けないという元タクシー運転手山田吉男(竹原ピストル)の部屋は、散らかり放題で足の踏み場もない。

 佐々木は山田に、仕事をして生活保護を辞退するよう迫るが、山田はのらりくらりとかわすばかりだ。

 

 役所に戻った佐々木は、同僚の宮田有子(伊藤万理華)から、隣のデスクの高野洋司(毎熊克哉)が、自分が担当する生活保護の女性を脅して肉体関係を強要しているという話を聞かされる。

 

 実際、高野が、母子家庭で生活保護を受けている林野愛美(河合優実)のアパートを訪ね、いつものように体を求める場面になる。

 5歳くらいの娘美空は、隣の部屋でひたすら色彩だけの形のない絵を延々と描いている。

 

 愛美は友だちの梨華(箭内夢菜)に誘われて、きわどいサービスをするキャバクラで働いたことがあり、そのことを高野に知られて、生活保護を打ち切ると脅されていたのだ。

 

 そのキャバクラを経営するやくざが梨華の愛人金本龍也(窪田正孝)で、山田吉男を手下のように使っていた。

 高野が愛美にしていることを知った金本は、それを盾に高野を脅し、生活保護の不正受給で儲ける作戦を考える――。

 

 映画を30分ほど観ていったん中断し、原作を開いた。

 染井為人『悪い夏』(2020 角川文庫)。

 

悪い夏 (角川文庫)

 

 生活保護受給をめぐるやくざ者とケースワーカーたちが関わっていくが、やがて互いに嘘と裏切りが重なり、絡み合っていく。

 お互いのだまし合い、高まっていく緊張。

 

 そしていよいよ彼らが一堂に会して繰り広げる、七転八倒のクライマックス。

 コメディではないが、登場人物たちは皆どこか間が抜けており、悲喜劇が展開する。

 

 小説を読み終えたあとで、映画も最後まで観たが、複雑なストーリーを単純化してわかりやすく映像化できている。

 純粋にエンタテインメントとして楽しめると思う。

 

 ただ、原作でも映画でも気になったのは、中心ストーリーと並行して描かれる、極貧の母子家庭、古川佳澄(木南晴夏)の物語である。

 本筋と交わらない彼女の存在が、生活保護に巣食う者たちの陰謀合戦に、どこかの時点で思わぬ一撃になるのではないかと、期待して読んで行った。

 

 しかし、終盤の一点で佐々木と絡みはするものの、ありがちな結末で終わってしまった。

 それはとても哀しく虚しいが、そんな彼女の悲劇は、荒唐無稽でコミカルな印象になりがちなこの物語に、一点の現実味を加えている。

 

 生活保護という社会的に深刻な問題を扱っており、まさかこんなことがほんとうにあるとは思いたくないが、「もしかしたら…」と思わせてしまうリアリティはある。

 

 エンタテインメントとして小説はよくできているし、映画もそれをうまく映像化している。

 今回の場合、小説と映画、どちらかを単独で楽しめばよく、あえて観てから読んだり、読んでから観たりするまでもない。

 

 お好きな方をどうぞ。

 

 

 馳星周の小説『『少年と犬』(2020)は、2025年に映画化された。

 

 

 原作は、2020年第163回直木賞受賞作。

 「男と犬」「泥棒と犬」「夫婦と犬」「娼婦と犬」「少女と犬」「老人と犬」「少年と犬」の7章で構成された連作短篇形式の長編小説。

 東北から何かを求めて西へと旅する犬「多聞」が、その途上で出会う人々にひととき寄り添い、その運命を見届けて、再び西を目指す。

 

 今回は、映画を観る前に原作(2023 文春文庫)の最初のエピソード「男と犬」を読んでみた。

 それでやめるつもりが、とてもおもしろくて、つい第2の「泥棒と犬」まで読んでしまった。

 

 「多聞」との出会いによって、登場人物の心根の良さが表われる。

 にもかかわらず、容赦ない現実に巻き込まれていく展開に、眼が離せない。

 

 さらに読み続けたいところだったが、そこを抑えて本をおき、映画を観始めた。

 

 

  監督: 瀬々敬久  脚本: 林民夫

  出演: 高橋文哉 西野七瀬 さくら(俳優犬) 伊原六花 嵐莉菜 柄本明 斎藤工 

 

 初めの30分は「男と犬」をベースに「泥棒と犬」の泥棒の外国人を女性(嵐莉菜)に変えて、うまくまとめてあると感じた。

 先への期待感が募るが、ここもぐっとこらえて映画を中断し、原作の続きを読んで行った。

 

少年と犬 (文春文庫)

 

 人間に深く愛着を持っているが、同時に一匹の犬として静かな意志を感じさせる「多聞」。 

 多聞が北から南、そして西へと日本を縦断して旅する途上で出会う人たち。

 

 7つの物語で7つの人生が描かれる。

 その結末は必ずしも明るいものではないが、多聞はその一期一会の出会いの中で、彼らとともに在り、その人生を見届けてまた旅立つ。

 そして、西に向かう多聞がほんとうに目指すものは何なのか……。

 

 多聞という犬を媒介に、ひとり一人の人間ドラマが描かれる。

 個々の物語が実にドラマチックで、ぐいぐいと読まされてしまう。

 そして最後に、多聞を主人公とした長編物語の感動が待っている。

 

 読み終えて、直木賞は納得の小説であった。 

 そして、楽しみに映画の続きを観た。

 

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 しかし残念ながら、映画はお勧めできる仕上がりではなかった。

 これは明らかに、脚本の問題だと思う。

 

 映画の前半までは、第1話『男と犬』の主人公和正(高橋文哉)と第5話『娼婦と犬』の主人公美羽(西野七瀬)を中心人物としてシリアスドラマが展開するのだが、後半になると、原作とは全くテイストの異なる、ファンタジックな展開になってしまう。

 

 そもそも映画全体の構成として、美羽が多聞と別れて数年後、伝え聞いた多聞の旅の全貌を、たまたまバスで乗り合わせた小学生の女の子に語って聞かせるという、よくわからない設定になっている。

 それによって、一途に進む多聞の物語がぼやけたものになり、結末の感動も台無しである。

 だから、この映画はオススメしない。

 

 この小説は、映画よりもテレビドラマに向いていると思う。

 一話完結型の連続ドラマで、毎回、独立したストーリーが楽しめる。

 そして毎週見ていくと、多聞の旅の終着点への期待感が高まり、真実が明らかになる感動の最終回は、見ごたえがあるだろう。

 

 連続ドラマには、うってつけの原作である。

 ぜひ実現を期待したい。

 

 

 

 五十嵐大『ぼくが生きてる、ふたつの世界』(2021)は、耳の聴こえない両親から生まれ、育てられた著者の体験と思いを綴ったエッセイ。

 

ぼくが生きてる二つの世界

 2024年に映画化された。

 監督:呉美保   

 脚本:港岳彦

 出演:吉沢亮 忍足亜希子 今井彰人 ユースケ・サンタマリア 烏丸せつこ でんでん
 

ぼくが生きてる、ふたつの世界 / (Blu-ray) ASBD-1292

 
 
 
 
 

 

 聴覚障害者の夫婦五十嵐陽介(今井彰人)と明子(忍足亜希子)の間に、息子の大は生まれた。

 家は母・明子の実家で、極道者の祖父(でんでん)と、新興宗教に熱心な祖母(烏丸せつこ)と暮らす。

 父は懸命に働き、母は家事をしながら子どもを精一杯育てる。

 

 幼い大と母が、家で書いた手紙を交互に自宅のポストに投函し、それを取りに行っては読むという「郵便ごっこ」は、微笑ましいエピソードだ。

 自然と手話を身につけた大は、幼いころから買い物のときには店の人のことばを母に伝え、周りから褒められたりする。

 

 しかし小学生になると、友だちから「お前のお母さんのしゃべり方、変」などと言われ、母が授業参観に来るのも嫌で、お知らせを渡さなかったりするようになる。

 やがて中学生になった大(吉沢亮)は反抗期まっさかりで、母にもことあるごとに冷たく当たる。―― 
 

 いよいよ大が中学生の吉沢亮になったあたりでほぼ30分余り。

 いったん映画を中断して、原作を開いた。

 五十嵐大『ぼくが生きてる、ふたつの世界』(幻冬舎文庫) 2024

 

ぼくが生きてる、ふたつの世界 (幻冬舎文庫 い 74-1)

 

 6~7ページの短いエッセイ30話で構成されているが、平易なわかりやすい文章で、スイスイと読めてしまう。

 聴覚障害者の両親のもとに生まれた著者が、幼いころから成長するにつれ、それぞれの年代でどんな思いをしてきたか、エピソード豊かに語られている。

 とくに「好きで嫌い」だった母への思いの紆余曲折が、胸を打つ。

 

 やがて著者は、聴覚障害者を親に持つ子ども「コーダ(CODA)」の仲間たちと出会い、その社会的認知を広げるために、自分の体験を綴り、出版しようとする。

 それがこの著書であり、それは母との関係を見直し、注がれてきた愛情に気づくプロセスでもあった。――

 

 満足して原作を読み終え、映画の後半を楽しみに観た。

 

 

 高校を卒業した大は、深い考えもなく上京して役者を目指すが、オーディションでもやる気は感じられない。

 

 次いで物書き(ライター)を考えるが、ここでも明確な人生設計や目標が見えているわけではない。

 面接でもやる気があるのかよくわからない感じだが、怪しげな雑誌社の社長(ユースケ・サンタマリア)に拾われて、東京で何とか生活していく。

 

 そんな日々を経て、いつも変わらず見守ってくれる母の愛情に、あらためて気づいていく。

 久々に帰郷して母と珍しく外出したとき、二人が電車の中で周囲を気にせず、手話で表情豊かにおしゃべりする場面が美しく、深く心に残る。

 

 聴覚障害の親に育てられた主人公が、成長し、自分の人生の道を見つけられずにさまようが、やがて自分の生い立ちを肯定できるようになる。――

 

  原作のエピソードをうまく生かしながら、わかりやすく、素直に感動できる映画に仕上がっていると思う。

 

 原作にある「CODA」の人々との出会いとその活動への参加については、少し触れている程度で、くわしくは描かれない。

 

 映画の中ではやはり、聴覚障害をもつ俳優、忍足亜希子の存在感が大きい。

 彼女の活躍ぶりを見ていると、さまざまな障害を持つ人が、もっと芸能界にいてもいいのではないかと思う。

 障害者がいることがふつうの社会ならば、俳優の個性のひとつとして障害を活かした配役の妙を、もっともっと創造することができるかもしれない。

 

 それはさておき、この作品は「観てから読む」のが断然、おススメだ。

 映画では、障害を持ちながらも一生懸命に子どもを育てようとする親の姿、その子どもが成長しもがきながらも自分の人生を見つけていく姿、ともに誠実さが感じられて清々しい。

 

 映画を観た後に原作を読めば、その先で、筆者五十嵐大が「CODA」の人たちと出会い、自分の使命を見つけて、さらに両親の愛情に深く気づいていく、誠意あふれる物語に出会うことができるだろう。

 

 

 

 斜線堂有紀『恋に至る病』 (2020)は、自殺サイトをめぐるサイコミステリー。

 

 初めは作品のジャンルが見極められず、サイコホラーか、サイコサスペンスかと手さぐりで読んで行った。

 すると、著者自身が「あとがき」の中で、「寄河景(よすがけい)という人間そのものを謎としたミステリーです」と書いている(寄河景は、主人公の女子高生の名前)。

 

 とはいえ、従来のミステリーの枠にはまるものではなく、著者独自の世界を創り上げているという感じを強く受ける。

 最後まで読んでみると、謎解きのしかけはあるが、さらにすべてを明かさず、読者の頭に消えない疑問符を残す。――

 

 さてこの作品は、2025年に映画化された。

 例によって、小説を読む前に映画の初めの部分を観てみた。

 

 監督:廣木隆一   

 脚本:加藤正人 加藤結子

 出演:長尾謙杜 山田杏奈

 

恋に至る病映画ポスター

 

 横浜市内の海に近い高校に転校してきた宮嶺望(長尾謙杜)は、人前で話すのが苦手で教室での自己紹介にも詰まるが、そのとき助け舟を出してくれたのが、クラスの人気者である寄河景(よすがけい・山田杏奈)だった。

 

 寄河景は誰からも好かれるキャラクターで、学校内外の活動に積極的に取り組む彼女は、海を見下ろす公園の清掃ボランティアを募り、クラスのみんなが参加する。

 そこで、幼い少女が手放した風船を取ってやろうとして景は斜面から転落し、足を挫くと同時に目の上を切ってしまう。

 血まみれの景を背負って助けた宮嶺は、景から「私のヒーローになって」と望まれ、そうすると誓う。

 

 しかし、そのことがリーダー格の男子生徒根津原あきらの嫉妬を買い、執拗ないじめを受けるようになる。

 それがエスカレートしていったある日、根津原がマンションから謎の転落死を遂げる。

 

 その背後には、順に指示をクリアしていくとだれもが最後は死に至るという自殺サイト「ブルーモルフォ」の都市伝説が――。

 

 最初の30分ほど、物語の方向性が見えてきたところで、映画をいったん中断し、原作を開いた。

 斜線堂有紀『恋に至る病』 KADOKAWA メディアワークス文庫

 

恋に至る病 (メディアワークス文庫)

 例によって映画を参考にイメージして読んでいったが、読めば読むほど映画の配役への違和感が募る。

 寄河景は聡明で明るく、魅力的な女子高校生だが、それに留まらず何か不思議なオーラを放ち、誰もが自然と彼女のとりこになってしまう。

 そんな神秘的な少女のイメージに、山田杏奈さんではしっくりこない。

 

 今までの経験では、映画を少し観てから原作小説を読み始めると、初めはあまり抵抗なく映画の配役でイメージし、読み進むうちに少しずつ自分なりのイメージに変化していく。

 ここまで「映画の配役では読めない」 と感じたのは初めてだ。

 

 申しわけないが、寄河景役に山田杏奈さんを配したのは、明らかなミスキャストだと思う。

 これは、俳優の持ち味の問題である。

 

 そこで、不思議なカリスマ性を備えた美少女 “寄河景”を自分なりにイメージして読んで行った。

 寄河景はいわゆる「サイコパス」であり、そんな彼女の犯罪を知りつつ、宮嶺望は景を愛し、彼女の蜘蛛の糸に絡めとられるように、どんどん深みにはまっていく――。

 

 独特な心理世界を描いた、野心的な小説だと思う。

 安易なサイコホラーに流れることなく、科学的裏づけのある人格障害としてのサイコパスと、それに巻き込まれていく人の心理、そしてそれが果たして「愛」なのかどうかを描こうとした。

 

 個人的な好き嫌いで言えば決して私の好きな小説ではないが、著者の独創への意欲と真摯な創作態度はリスペクトに値する。

 

 そう思って原作を読み終え、まったく期待せずに映画の続きを観た。

 

 

 予想通り、原作の真価はまったく活かされていない。

 残念ながら、映画としての魅力は何も見つけられなかった。

 

 ロケ場所が高校だから尚更だが、ふと高校生が撮った文化祭映画を観ている気分になる。

 Amazon prime 配信だから腹も立たないが、お金をとって見せる作品とは思えない。

 

 この作品、映画のことはスルーして、小説だけを純粋に味わうことを勧めたい。 

 

 

 

 新堂冬樹の小説『誰よりもつよく抱きしめて』(2004年発表)は、2025年に映画化された。

 

 例によって映画の最初を30分ほど観てから小説を読んでいったが、ひじょうによかった。

 感動のラブストーリーをお探しなら、これはお勧めしたい。

 小説も、映画も。

 

 

 監督:内田英治  

 脚本:イ・ナウォン

 出演:久保史緒里 三山凌輝 ファン・チャンソン 穂志もえか 永田凜 酒向芳

 

 児童書専門書店で働く桐本月菜(久保史緒里)は、水島良城(三山凌輝)と同棲している。

 良城が描いた絵本『空を知らないモジャ』は、空を飛ぶ翼を持たない鳥「モジャ」と小スズメとの友情と別れを描く、心優しい物語。

 月菜の働く絵本書店「夢の扉」が、二人の出会いの場所だった。

 

 二人は仲睦まじく暮らしているようだが、実は良城は同棲を始めた後に不潔恐怖の神経症を病み、モノにじかに触れることができなくなってしまった。

 月菜のことも愛していながら、指一本触れることができないのだ。

  

 月菜はそんな良城を理解しようとし、寂しさにも耐えて、明るくふるまっている。

 だが、愛すれば愛するほど二人は触れ合うことを求めつつ、得られないもどかしさに苦しむ。

 そして、傷つけあってしまう。

 

 そんなとき、月菜の前に年下の韓国人男性イ・ジェホン(ファン・チャンソン) が現われ、一途にアプローチしてくる。

 初めは相手にしなかった月菜だが、彼のあまりにまっすぐな思いに、心が揺れ始める――。

  

 最初30分観ただけでも、配役のよさが際立っている。

 良城役の三山凌輝は神経質なところがよく出ているし、月菜を演じる久保史緒里は、からだの触れ合いがなくても彼を愛し続ける、まじめで清純な役がとても似合っている。

 そして韓国のアイドル歌手ファン・チャンソンが演じるはジェホンは、男性的な魅力を放ちながらも、誠実な人柄が伝わる。 

 

 いよいよここから三角関係のドラマが展開するのか……というところで映画をいったん中断し、原作を開いた。

 

 新堂冬樹『誰よりも強く抱きしめて』 新装版 光文社文庫 2024

 

誰よりもつよく抱きしめて 新装版 (光文社文庫 し 31-8)

 

 読んでいくと、愛し合っていながら触れ合うこともできない二人の苦しみが、ほんとうに切ない。

 読み進めば進むほど、やりきれなさが募っていく。

 こんな気持ちを味わえるのは、やはり小説ならではだと思う。

 

 そうやって最後までこの物語にひたり、堪能しきって読み終えた。

 ネタバレはしないが、決して期待を裏切らない展開、そして結末だった。

 

 そして映画の続きを観た。

 

 

 脚本がよくできていて、原作の結末を知っていてもあらためてこの物語の切なさを味わい、感動することができた。

 こんなに素敵な小説に20年もの間、映画化のオファーがなかったことが、不思議なくらいである。

 

 いや、むしろ20年間安易な映画化をせずに、脚本家イ・ナウォンと出会ってくれたことに感謝したい。

 そう思うほど、この映画の脚本はよくできている。

 

 小説で二人は結婚しているが、映画では同棲している。

 月菜が働く「夢の扉」のオーナーは小説では月菜の祖父だが、映画では良城の祖父になっている。

 そうしたいくつかの設定変更が、実によく考え抜かれており、ちゃんと後でつながってくる。

 

 また、映画で韓国人になっているジェホンは、原作では克麻という日本人である。

 外国人ではないが、また別の意味でマイノリティとしての背景をもっている。

 

 映画の終盤では、ジェホンがなぜそこまで月菜を愛したのか、その理由が明かされる。

 それは映画独自の脚色であるが、彼の人物像にぐっと深みを持たせている。

 ジェホンを演じるファン・チャンソンの哀しげな表情が心に残る。

  

 原作がすばらしく、映画もまたよくできている。

 だから今回は、原作を読んでから映画を観る。それが断然おススメだ。

 

 もちろん、いつものごとく読む前に映画の最初を観ておくとよいことは言うまでもない。

 

 今回も私は、映画の最初の30分を観てから読んだので、月菜も良城も克麻も、映画の配役をベースにイメージしていくことができた。

 しかし、良城と同じ神経症に悩む千春、月菜の親友早智子という二人の重要な脇役は、映画で観たときに、「自分のイメージと違う」という感じを強く受けた。

 最初の30分に出て来なかったので、小説では自分なりのイメージを描いて読んでいたからだ。

 

 脇役にしてもこれだから、原作を読んでから映画を観たときに主要人物のイメージに違和感を持ってしまうと、映画を純粋に楽しめない。

 だからいつも言うように、映画の冒頭か、せめて予告編を観て登場人物のビジュアルイメージを頭に入れてから、原作を読むことが有効なのだ。

 

 この作品はまず小説で感動し、映画でもその感動を再び味わってほしいと思うからこそ、より強調したい。

 

 

 

 

 

 柚月裕子の警察サスペンス小説『朽ちないサクラ』(2015)は、2024年に映画化された。

 

 監督:原 廣利
 脚本:我人祥太 山田能龍

 出演:杉咲花 萩原利久 安田顕 森田想 豊原功補

 

 

 

 県警の管轄下で起きたストーカー殺人事件。

 その被害者が事前に出していたストーカー被害届を放置したまま、職員は慰安旅行に出ていた。その事実をスクープした記事が地元紙に載ると、県警広報課の電話は鳴りやまなくなった。

 

 広報課事務官の森口泉(杉咲花)は、慰安旅行について親友の津村千佳(森田想)にうっかり話していた。千佳は県警詰めの地元紙記者だが、親友の泉との信頼関係を大切にしてその事実は漏らさないと約束した。

 しかし事実は報道され、泉は千佳が情報を流したと疑う。

 

 その千佳が、事故を装った水死体で発見される。

 自らの潔白を証明するため独自に調べを進め、事件に巻き込まれたのだ。

 

 千佳の無念を思う泉は自力で犯人を見つけ出すと心に誓うが、彼女に思いを寄せる年下の刑事磯川俊一(萩原利久)は、泉の決意を知って協力を申し出る――。
 

 登場人物も出そろい、いよいよここから物語が展開していくぞ、というところでほぼ30分。

 映画をいったん中断し、原作を開いた。

 

 柚月裕子『朽ちないサクラ』 徳間文庫 2018

 

朽ちないサクラ (徳間文庫)

 

  

 泉と磯川が調べを進めていくプロセスは、警察らしく地味な聞き込みを中心としている。

 県警が進める本筋の事件捜査に、泉と磯川が調べて見つけた事実のピースが加わり、事件は次第に解明へと進んでいく。

 そして、いよいよ証拠固め、犯人逮捕へと進む場面は捜査一課が中心となり、しばらく泉と磯川の姿が舞台から消える。

 

 事件は解決するが、再び登場した泉は、事実関係について割り切れない疑問を口にする。

 そして、最後に残された疑惑について自らの推理を語る――。

 

 タイトルの「朽ちないサクラ」は、不屈のヒロインを思わせるが、そうではなかった。

 事件の奥の奥にあるを真相を示すキーワードである。

 

 泉は事務官だが、捜査一課長の梶山に「刑事に向いている」と評される。

 一課長をにらみ据えて、一歩も引かない度胸。

 事実を積み上げて、矛盾を見逃さない洞察力。

 

 そのことが、結末の泉の決意につながっていく――。

 

 事件の謎解きというより地道な捜査の末に真相が見えてくる展開なので、「警察小説」と呼ばれるのもなるほどと思った。

 そして、映画の続きを観た。

 

 

 

 このポスター写真は、登場人物の関係を象徴している。

 最後の真相を知ってこれを見ると、ひじょうに意味深なものがある。

 

 原作のストーリーをところどころ端折ったり、シンプルにした脚本で、警察組織の内部のやり取りとともに、事件捜査が進む。

 

 キャストでは、広報一課長梶山役の豊原功補、泉の上司である広報課長富樫を演じる安田顕、二人のベテラン俳優の演技、その存在感がすばらしい。

 

 作中に警察というものの本質として「警察は起きてしまった事件を扱う」というセリフがあったが、まさにその通りで、起きてしまった殺人事件を捜査し解明しても、殺人の事実はもとに戻らない。

 しかもその殺人の動機が組織的な都合によるものなので、物語としての後味はあまりよくない。小説も映画も。

 

 私はミステリーは好きだが、「警察小説」というのは、あまり性に合わないのかもしれない。

 

 

 朝井リョウ『正欲』(2021)は、この世界の多数派ではない性欲をもって生まれた人がどうして生きて行けばいいのか、という問いを追究した小説である。

 

 

 ……というと、「LGBTQ」ということばを、今では誰もが思い浮かべる。

 

 男女が互いに欲望を感じることを正常とし、それに基づくさまざまなしくみや行動様式で成り立っている社会。

 そこに生きることが、LGBTQの人たちにとってはいかにつらいものであったかを、私たちは今ではある程度、理解している(つもりではいる)。

 

 しかしこの小説に描かれているのは、「LGBTQ」という網でも掬えない、もっとマイナーな性欲を持つ人々の苦悩。

 それを誰にも理解されないという確信からくる深い孤独。

 そして、そこからの救い。

 

 今回も映画を観ながら原作小説を読んだが、よくできた小説だと思う。

 マイノリティの深刻な苦しみを描きながら、その視点から逆に、実は多数派と思っている私たちもまた、社会の中で爪弾きにされることを怖れて必死に生きているのではないか、と問いかけている。

  

 映画は、2023年公開。

 監督:岸 善幸
 脚本:港 岳彦
 出演:稲垣吾郎 新垣結衣 磯村勇斗 佐藤寛太 東野絢香

 

 

 社会正義を掲げ、人は皆、社会の秩序に従うべきだと考える検事の寺井啓喜(稲垣吾郎)。

 しかし家庭では、小学校5年の息子の不登校を社会の既定路線から外れることだと言って理解せず、妻との間に溝を深める。

 

 食品メーカーに勤める佐々木佳道(磯村勇斗)と、寝具ショップで働く桐生夏月(新垣結衣)はそれぞれの生活のシーンで、いつもつまらなそうな顔で暮らしている。

(こんなに可愛くないガッキー、観たことない!)
 

 その二人が、地元の同窓会で再会する。

 彼らには、中学校の校舎裏で古い水道栓を壊し、噴き上がる水を二人だけで恍惚として浴びていた、という秘かな体験があった。

 しかし、その日を境に佳道は転校し、以来、会っていなかったのだ。

 

 もう一人の登場人物、大学生の神戸八重子(東野絢香)は、学園祭の実行委員としてミス・ミスターコンテストに代わるダイバーシティフェスの企画を立ち上げる。

 八重子には引きこもりの兄がいて、その兄がエロ動画を観ていたことを知ってから男性への生理的な嫌悪感に苦しむ。

 しかし、企画運営の中で知り合ったダンスサークルの諸橋大也(佐藤寛太)には、違和感なく接することができ、彼に好意を抱く。

 

 3つの同時並行の場面で物語は進行するが、どこで交わるのか予想がつかない。

 40分ほど映画を観ていったん中断し、小説を読み始めた。

 

 

 

 映画の配役を手がかりにイメージしながら読んでいったが、並進する物語がどうつながるのかと思いつつ、それぞれの場面のもつ不思議な引力のままに500ページを読み終えてしまった。

 

 結末では、皮肉な偶然が3つの物語を結びつける。

 マイノリティの孤独から仲間とつながろうとする試みはたまたま失敗に終わるが、それでもまだ、つながれる可能性が断たれたわけではない。

 

 佐々木佳道と桐生夏月の心の通い合い。

 理解への道は遠くとも、互いに思いをぶつけ合う諸橋大也と神戸八重子の関係。

 

 それらの希望が余韻として残る。 

 後味は悪くない小説だと思った

 

 小説を読み終えた後もいろいろな考えが未整理のまま頭の中を駆け巡りつつ、映画の続きを観た。

 

  

 小説のインパクトが強烈で、純粋に映画だけを評することは難しいが、私はよくできた映画だと思う。

 

 新垣結衣演じる桐生夏月を中心に観ていくと、深い孤独と虚無の淵から佳道というパートナーを得て、明日も生きようと思えるようになっていく、その表情の変化が胸を打つ。

 二人が、互いに性欲はなくとも相手を深く必要とする関係になっていく。

 そのプロセスがごく自然に流れていく。

 

 彼らの特異な性欲自体は理解できなくても、人と人のつながりを描いた物語として、誰もが共感できる世界になっていると思う。

 

 映画のクライマックスは検事寺井(稲垣吾郎)と夏月が対峙する場面。

 多数派を代表する寺井は家族の絆を失い、一方、理解されない嗜好を持つ夏月は、佳道との「つながり」をしっかりと握っている。

 それぞれの考え方と人生の対比が鮮やかだ。

 

 これは、小説を読んでから映画を観てもいい作品だと思う。

 提起する問題を小説で深く理解し、そのうえで映画を観れば、俳優たちの演技を堪能することができる。

 ただ、いつも言うように少し映画を観てから小説を読み始めれば、映画を違和感なく楽しめるはずだ。

 

 

 小説『今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は』(2020)は、お笑いタレント福徳秀介の作家デビュー作。自身が卒業した関西大学を舞台にした恋愛小説である。

  

 実際に関西大学で撮影された映画は、2025年に公開された。


 監督・脚本:大九明子
 出演:萩原利久 河合優実 伊東蒼 黒崎煌代 古田新太

 

[Blu-Ray]今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は Blu-ray スペシャル・エディション(限定) 萩原利久よしもと

 

 学生でにぎわうキャンパスを、雨も降っていないのに水色の折りたたみ傘をさして歩く小西徹(萩原利久)は、周りから浮いた存在だ。

 唯一の友達山根(黒崎煌代)は色柄がしつこい独特の服装コーディネートで、山根弁ともいうべき奇妙な関西弁をしゃべる。

 徹と山根はキャンパスの喧騒を避けて休み時間を過ごす。

 

 場面は変わり、徹は銭湯の閉店後に風呂場を掃除をする深夜アルバイトをしている。

 一緒に働くさっちゃん(伊東蒼)は京都の大学でバンドサークルに属し、いつもギターを背負って現れる。

 いっしょに風呂場を掃除しながら軽口を叩き合う、いいバイト仲間だ。

 

 そんな徹は、同じ授業に出ている一人の女子学生が気になり始める。

 長い髪を頭のてっぺんで大きなお団子にまとめている。

 授業が終わると、いつも一人で堂々と最初に授業を出ていく。

 学生食堂では、一人でざるそばを食べている。

 

 その孤高の姿に惹かれた徹は、機会を伺い彼女に声をかける。

 話してみると自分の青い傘と彼女のお団子頭が、どちらも自身を守る鎧なのだとわかる。

 

 今は亡き祖母が、徹に「今日の空が一番好き」と言えるように生きなさい、教えてくれた。

 しかし彼女“桜田花”も、同じことばを亡き父に聞かされて育ったという。

 

 思いが通じた二人は朝に待合せて喫茶店でデートするが、徹はまだまだ話したくて、その日の2時に遅いランチをいっしょにしようと、正門前で会う約束をする。

 しかし、……。

 

 最初の40分ほど映画を観ていったん中断し、小説を開いた。

 福徳秀介『今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は』 小学館文庫 2025

 

今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は (小学館文庫 ふ 31-1)

 

 表紙の犬は何だ? と思ったが、これは作中に出てくる喫茶店の犬サクラだ。

 サクラは店の客に愛想よく尻尾をふり、時にはキャンパスを自由に歩き回って大学生たちのアイドルになっている。

 その店でアルバイトをしていた桜田花と、僕は偶然、再会するのだ。

 

 さて小説を読んでみると、映画は原作の世界をみごとに映像化していたことに驚く。

 主人公の内面語りは、映画で観た小西徹と違和感がない。

 

 小説の前半、孤独な学生たちの緊張感はあるが、それでものんびりした展開だと思う。

 後半で明らかになる悲劇で物語は急展開し、さらにありえない偶然が待っている。

 しかし二人(徹と花)は、それを乗り越え、前に進んでいく――。

 

 ……と言いたいところだが、悲劇的な出来事から想像される葛藤や苦しみがあまりなく、意外なほどあっさりとハッピーエンドに流れていく。

 その安易な展開には、違和感を覚えた。

 

 徹と花が恋に落ちていく経過も、不思議な一致や共感だけで表面的に過ぎていく。

 何だか今どきの大学生は……と、その軽さを感じないわけではなかったが、これが新世代の小説なのかなと、まだおおらかな気持ちで読んでいくことができた。

 

 しかし結末まで読むと、さすがにこれは受け入れらないと感じ、ひるがえってそれ以前のストーリーにも違和感が募りだした。

 これが若い世代の求める小説なら、私にはついていけないな……というのが正直な感想だった。

 

 そんな読後感をもって、ときどきつまみ食いのように観ていた映画の続き1時間余りを最後まで観た。

 すると……

 

 映画として、これはよくできていると思う。

 原作のテイストをみごとに映像化した。

 

 そして、小説で感じた軽さが映画だと気にならない。

 というのも、それぞれに祖母と父を失った痛みへの共感が二人の間に流れていく。そのプロセスが、映画ではきちんと描かれている。

 そして何より原作の安易な結末を踏襲せず、ほどよいところで幕を引いて余韻の残るエンディングになっている。

 

 主演の二人もそれぞれの役柄をみごとに演じていると思う。

 文庫本の末尾に載っている萩原利久と河合優実の特別対談を読むと、二人がほんとうに真摯に役に向き合ったことがわかる。

 

 また、山根役、さっちゃん役の黒崎煌代と伊東蒼も素晴らしく、強く心に残る。

 

 今回の作品は、映画がおススメ。

 小説は結末がイマイチなので、おススメしない。

 

 だが、福徳の小説がなければこの映画は生まれていない。

 だから、大勢のスタッフによる共同制作である映画づくりの中で、原作者の貢献はきわめて大きい。

 もちろん関西弁による魅力的な数々のセリフも、福徳が書いたことばだ。

 

 その意味で、作家には惜しみない拍手を送りたい。