佐木隆三の小説『身分帳』(1990 講談社)は、2021年に『すばらしき世界』として映画化され、文庫版も復刊された。
映画『すばらしき世界』
監督・脚本:西川美和
出演:役所広司 仲野太賀 六角精児 橋爪功
幼時に母親と生き別れ、少年時代から犯罪をくり返して来た三上正夫(みかみまさお・役所広司)は、殺人で服役した13年の刑期を満了し、旭川刑務所を出所する。
そして、身元引受人の弁護士(橋爪功)がいる東京で、生活保護を受けながらアパートで独り暮らしを始める。
短気で曲がったことの嫌いな三上は、些細なことでカッとして大声を出したり、実際にチンピラともめ事を起こしたりもする。
しかし、二度と刑務所に戻るまいとの思いを胸に、市井の生活に馴染むべく、努力を重ねる。
刺青と刀傷を背中に持つ元極道でありながら、人生をやり直そうと彼なりに一生懸命生きる三上正夫を、役所広司が見事に演じている。
この映画を30分ほど観て、原作小説を開いた。
佐木隆三『身分帳』 講談社文庫 2020年復刊版
映画は現代に置き換えられているが、この小説が発表されたのは平成2(1990)年で、主人公 山川一(やまかわはじめ・映画では三上正夫)の旭川刑務所出所は昭和61(1986)年である。
映画は原作のエピソードや場面を要領よく映像化しており、役所広司のままで自然とイメージして読んでいける。
物語の展開と並行して、刑務所の記録である「身分帳簿」や裁判記録、その他の書類資料が挿入され、ルポルタージュふうの仕立てになっている。
それがこの小説の特徴であり、リアリティを感じさせる。
すぐ短気を起こす主人公山川の行動にやきもきさせられながら、彼を応援する気持ちで読んでいく。
……と、小説の本編は本の途中で終わってしまう。
まだページは残っているのに。
そのあとに載っているのは、70ページほどの「小説『身分帳』補遺」。
主人公山川のモデルとなった人物田村明義についての後日談である(「田村明義」は山川の母がつけた名前として作中にも出てくる)。
これを読むと、佐木隆三は田村を取材し小説化した作家であると同時に、彼をバックアップする理解者・支援者の一人であったことがわかる。
佐木隆三については、映画『復讐するは我にあり』を観たことがあり、その作者として名前は知っていた。
少し調べてみると、彼自身、誤認逮捕で拘置所に入れられた経験から、犯罪者に関心を寄せ、取材を通じてそれを小説化することをライフワークにしていったようである。
最後に紹介される佐木隆三のことば。
「犯罪は人間の闇の部分だが、私にとって闇は何かを学ぶ場であり、何かを教えてくれるものである」。
『身分帳』(講談社文庫 2020年復刊版)をさらにめくっていくと、巻末には、映画を自ら企画・制作した西川美和監督の文章が載っている。
彼女は絶版となっていたこの本に出会い、いたく感激した。
そして、この作品を自ら映画化する決意を秘かに固めたという。
西川監督はこう書く。
「山川が読み手の願い通りにすんなり立ち直ってくれないのと同じ分だけ、世間の方も冷たいばかりではない。けれどそれこそが社会の複雑さであり、生きていくことの難しさと楽しさではないか」。
これこそ、西川監督が「すばらしき世界」という題名に込めた意味であろう。
小説を読み終えて、映画の残りも最後まで観た。
確かに、願い通りにすんなりと立ち直ってくれない主人公三上の行動にはハラハラする。
そして、彼の周囲の人々が見せる冷たさと優しさ。
最後まで観終えて心に残るのは、そのように生きるしかなかった、それでも精一杯生きた一人の男の人生への愛しさ。
西川監督が描きたかった「生きていくことの難しさと楽しさ」が、確かに伝わる映画になっていると思う。