凪良ゆう『流浪の月』は、2020年本屋大賞受賞作。
映画は2022年公開。
監督・脚本:李相日
出演:広瀬すず 松坂桃李 横浜流星 多部未華子
まずは映画を観ていく。
ファミリーレストランのフロアでアルバイトをする家内更紗(かないさらさ・広瀬すず)は、9歳のときに2カ月間、19歳の男子大学生 佐伯文(さえきふみ・松坂桃李)の部屋で暮らし、少女誘拐事件の被害者とされる。
その事件はネット上で実名も顔写真も晒され、犯人逮捕、被害女児保護の瞬間、連行される文との別れを嫌がって、更紗(子役・白鳥玉季)が「ふみ~」と泣き叫ぶ動画も流れている。
更紗が被害女児であることは広く知られた事実で、同棲している恋人(横浜流星)も、実家の両親に彼女を紹介したいと話すときに、「両親もきちんと話せば理解してくれる」と言う。
更紗自身も、気を遣うアルバイト仲間に「もう慣れました」と笑う。
だが、挿入される15年前の回想場面で、少女の更紗は自ら望んで文の元に留まっていた。
父が亡くなり、母が恋人と去り、引き取られた伯母の母の家に更紗は戻りたくなかった。
それから、15年。
更紗はある日、アルバイト仲間と行ったカフェの主人が、文であることに気づく。
そして、しばしばそのカフェに立ち寄り、読書して時間を過ごすようになる。
しかし、二人は互いにことばを交わすことはない――。
そこまで約30分。
実に不思議なテイストを感じる映画である。
何かが予感されるが、展開の予想がつかない。
いったん映画を置いて、原作小説をひもといた。
凪良ゆう『流浪の月』 創元文芸文庫。
古風な鍵をあしらった装丁は、懐かしい「創元推理文庫」だと思ったが、よく見ると「文芸文庫」である。
ミステリーではないらしい。
読んでいくと、更紗の独り語りで、映画の表情だけでは伺い知れなかった少女の内面が、手に取るようにわかる。
優しく包み込む父と、その愛情のもとで自由奔放に生きる母との家庭。
そこで、更紗はのびのびと育っていた。
その家庭の喪失が、更紗を孤独の淵に追いやった。
そして、伯母の家で中学生の従兄から夜ごとに受ける悪夢のような性的虐待……。
そんな更紗にとって、文の部屋はようやく見つけた安住の地だった。
ずっとそこにいたいと願った。
しかし、更紗の思いつきからした外出で、通行人から通報され、平和な暮らしは突如、終わりを告げる。
保護されてから「文は優しく何の暴行もなかった」と更紗がいくら話しても、大人たちはわかってくれなかったのだ。
文と再会した更紗は、自分のほんとうに大切なものに気づき、行動を起こす。
しかし、周囲の人々の偏見と誤解とそれぞれの思いから、事態は思わぬ方向へ展開していく――。
この小説にはどんどん引き込まれて読み、場面場面で「こんな物語、読んだことない」とワクワクし続けた。
恋愛ではない。性的結びつきもない。しかし、一緒にいたい。
文と更紗を結びつけるのは、多くの人が想像すらしたことのない、しかしあってもいいと思える絆。
読み終えて、本屋大賞は納得の小説だと思った。
それから、映画の残り2時間を楽しみに観た。
しかし……
この小説を映像化するのはやはり難しいと実感した。
もちろん、広瀬すずは更紗を好演している。
とくに文を演じた松坂桃李の役づくりは、肉体のそぎ落としも含めて、さすがの一言である。
また、ロケ地の選定やタイトルを暗示する白い月や雲間の月など、映像処理のインパクトにうなる場面もいくつかあった。
しかし、この映画を観て、常識を超えた文と更紗の深い絆に納得する人が、どれだけいるだろうか。
二人の関係から目が離せなくなり、「それもありうる」と思えてくる、小説で体験する不思議な感覚を、映画で味わうのは難しいと思った。
小説を読まなくても映画を観ればいい、という風潮の中で、凪良ゆうは「小説という器でしか表現できない世界」を、みごとに現出して見せた。
その意味で『流浪の月』は、小説が小説でなければならない理由を指し示してくれる、画期的な作品と言ってよいのではないか。